2011/7/15

国宝・住吉大社と堺市の文化財を訪ねて!その2.仁徳天皇陵古墳(百舌鳥耳原中陵)  文化財研修記

大阪府堺市堺区大仙町には世界最大の古墳・日本最大の前方後円墳「仁徳天皇陵古墳(正式名:百舌鳥耳原中陵)」がある。住吉大社から車で約20分で到着する。この古墳は大仙公園内にあるので大仙駐車場に貸切バスなら一回千円、乗用車1時間100円で駐車できる。堺市博物館もこの駐車場から徒歩で8分。この仁徳陵は第16代仁徳天皇の墓と云われ、北側の第18代反正天皇(はんぜいてんのう)陵古墳と南側の第17代履中天皇(りちゅうてんのう)陵古墳を併せて百舌鳥(もずの)耳原三陵(みみはらのさんりょう)と呼ばれています。百舌鳥古墳群は北は反正天皇陵古墳、南は仁徳天皇陵古墳を経て履中天皇陵古墳の周辺、東はニサンザイ古墳辺りの東西・南北約4キロ四方の台地上に広がっております。築造は、4世紀後半に乳岡古墳が築造され、次いで履中天皇陵古墳・大塚山古墳→仁徳天皇陵古墳・御廟山古墳・いたすけ古墳→反正天皇陵古墳・ニサンザイ古墳の順に築かれたものと考えられています。47基の古墳が現存し、かっては100基以上あったことが確認されています。仁徳天皇陵はまさに世界最大の古墳で、全長486メートル、後円部径約249メートル、高さ35.8メートル、前方部幅307メートル、高さ約33.9メートルの規模で,三重の濠が巡っています。陪塚は樋の谷古墳を始め10基以上に及びますが、塚廻古墳を除いて主体部の構造や副葬品のわかっている古墳はほとんどありません。仁徳天皇陵は5世紀中頃の築造と考えられています。さて、第14代仲哀天皇と住吉大社の国宝第4本宮に祀られている神功皇后の間で生まれたのが第15代応神天皇であり、その陵は大阪府羽曳野市にある誉田御廟山古墳(日本第2の前方後円墳の応神天皇陵で全長420メートル、二重の濠、後円部最大幅267メートル、高さ36メートル、前方部幅330メートル、高さ35メートル)であり、応神天皇は八幡神とされており、この陵には誉田八幡宮が鎮座しており唯一の盗掘を免れた古墳で江戸時代この陪塚から金メッキをほどこした見事な馬具出土して、誉田八幡宮に納められ国宝となっている。又その息子が第16代仁徳天皇で、仁徳天皇陵からは馬具埴輪が出土している事から、応神・仁徳の頃、騎馬の風習が始まったと考えられている。尚、アメリカのボストン美術館に仁徳天皇陵出土の銅鏡や環頭太刀などが収蔵されている。これらの品は明治41年(1908)に既に美術館に収蔵されていた。又、和の五王の謎とは中国の5世紀の宋の時代に和の王がたびたび宋に使者を派遣して、貢物を送った記録が「宋書」記されている。最初は421年倭国の讃(さん)という王は、遠いので殊勝だといって爵号をおくっている。つづいて425年に、讃王は司馬曹達を使者として派遣し、430年にも使者と貢物をおくっている。倭王讃は仁徳天皇だという説、讃は応神天皇だという説もあり、未だ倭の五王は確定してない。


1.仁徳天皇陵古墳を中心とした地図
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2.大仙公園駐車場
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3.周濠(駐車場の裏が古墳の周濠です。この周濠伝いに仁徳天皇陵遥拝所へ数分で行けます。周濠は三重となっておりこの外濠は明治時代に一部修復されていますが、周囲は2718メートル、面積46万4123平方メートルの世界最大の面積を持つ古墳です。)
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4.仁徳天皇陵古墳
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5.仁徳天皇陵古墳「正式名:百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらなかのみささぎ」)宮内庁案内板
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6.遥拝所から見る仁徳天皇陵
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7.仁徳天皇陵古墳前広場(数台なら乗用車の駐車可能)
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8.仁徳天皇陵案内板
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京都府綾部市に於ける「国重要文化財指定の古墳」は下記をクリックして見て下さい。
http://ayabun.net/bunkazai/annai/hijirizuka/hijirizuka.htm

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