2011/6/13

当麻寺・石上神宮・天理参考館を訪ねて03 石上神宮  文化財研修記

当麻寺参拝、国宝や文化財を拝観中之坊庭園拝観、昼食の後、午後は天理市にバスを走らせて石上神宮に到着した。

石上神宮(式内社・明神大社)
天理教会本部の南東約一キロメートルのうっそうとした森のなかに石上神宮がある(祭神・布都御魂神・布留御魂神・布都斯魂神)がある。「布留の社」とよばれ、大神神社と並んでわが国最古の神社と考えられています。  

又、古代の多くの和歌に詠まれ「歌枕」として知られ、「万葉集」にも「石上布留の神杉神さびし恋をもわれは更にするかも」と詠われ、神宮参道の左側に柿本人麻呂の「をとめらが袖布留山の瑞垣の久しき時ゆおもひき吾は」と云う歌碑がある。

神社信仰の古式をとどめ、江戸時代までは神殿がなくうっそうとして森が延々と続く背後の布留山が神体となっていた。(注、布留遺跡の出土品は天理参考館3階18号室に展示されています)

七支刀(国宝)
長さ74.9センチメートルで石上神宮の神宝として長い間伝えられてきた鉄剣。
刀身の左右に三つずつ枝刀を段違いに出した特殊な形状をしていることからこの名がある。表面に三十四字、裏面にニ十七字の銘文を金象嵌で表している、銘文はさびなどで損傷が激しいが明治六年から多くの研究者の解読作業が行なわれてきた。
 いまだ諸説があるが、四世紀頃、朝鮮半島の百済王から倭国(日本)王に贈られたことを記したものとされる。古代の対外交流を」示す史料として貴重な品である。現在では精密なレプリカのみが見れます。

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バス2台に分乗して石上神宮の参道に到着、歴史ガイドさんの案内で境内を進み、記念写真を号車ごとに撮影
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参道横の木陰にも放し飼いの金鶏がとまり、時々雄叫びをあげて鳴いている
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国の重要文化財の「楼門」文保2年(1318)建立(内側)
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楼門よこに並ぶお札授与所に向う会員
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石上神宮拝殿に向かい手を合わせる
石上神宮拝殿(国宝)
 永保元年(1081)皇居の神嘉殿を移したとされる邸宅風の拝殿で、仏堂風の外観で入母屋造、桧皮葺の屋根、母屋の周りに庇をめぐらし、母屋は丸柱を立て、組入天井を張り、頭貫など組物の木鼻の形状は、初期の大仏様の影響を見せる、拝殿建築の古い形式を残す遺構である。
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参拝所の内陣
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歴史ガイドの解説を聞きながら、参拝所横の格子の間から聖域を覗く会員
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格子の間から聖域の写真を撮る
祭神の布都御魂神は神武天皇が大和に入ったとき、武甕雷神が帯びていたという平国之剣
(布都御魂)であり、この地に祀られたものという。「日本書記」によれば、神武天皇は即位ののち物部氏の遠祖の宇摩志麻治命にこの剣を与え、宮中に奉祀させた。宇摩志麻治命は父・饒速日命が降臨した際に天津御祖から賜った十種の神宝を天皇に献上し、神盾を立てて祀ったという。社殿では、その後崇神天皇のとき、この地を本拠地とした物部伊香色雄に命じて石上の高庭に移したという。布留の社は古代以来多くの武器が奉納され、古代国家の武器庫としての性格をもっていたと考えられている。そのため、大和王権の軍事をつかさどった物部氏の氏神となり、その一族の信仰を集めた。
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楼門横で次の会員グループが歴史ガイドさんの説明を聞きながら順番待ち
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摂社出雲健雄神社拝殿(国宝)
 天理市杣之内町にあった内山永久寺の鎮守社の拝殿を大正三年(1914)に移築したもので、正面五間のうち、中央の一間は土間とし、「馬道」と呼ばれる通り口としている。このような形式は「割拝殿」と呼ばれこの建物は現存最古のものである。引き違いの各格子や、両面の板扉など全体が住宅風の意匠で統一されている。又、軒を飾る蟇股の部材は形は鎌倉時代の趣味をよく伝えている。
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摂社出雲健雄神社(国宝)の由緒書き
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摂社「天神社」の高台から拝殿の屋根越しに聖域の内部を取る
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末社「祓戸神社」
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参道で牛の塑像を撫でる会員
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天然記念物 石上神宮鏡池の「ワタカ」の写真を手に説明される歴史ガイド
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天然記念物 石上神宮鏡池の「ワタカ」説明
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鏡池
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山之辺の道の案内板を見る会員
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山之部の道の案内図 この参道が山之部の道のルートに建つ
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登り参道の途中左側にある「柿本人麻呂の歌碑」未通女等之 袖振山乃 水垣之久時従億寸吾者(おとめが そでふるやまの みずがきの ひさしきときゆ おもいきわれは)「布留山(石上神宮の背後の神山、転じて石上神宮境内)に瑞垣(拝殿背後の禁足地の垣)が出来た昔からあなたのことを思っていました」
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柿本人麻呂の歌碑の前に集まった会員 バス乗り場の近く参道入り口




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