2011/6/13

当麻寺・石上神宮・天理参考館を訪ねて01 当麻寺  文化財研修記

今日の綾部の文化財を守る会の研修旅行は、昨年92名の参加で行った飛鳥寺甘樫丘万葉展望台石舞台古墳岡寺橿原考古学研究所附属博物館の研修に引き続き、奈良県の当麻寺・石上神社・天理大学付属天理参考館に参加者80名で行われた。
秋(11月)の研修と異なり、春(6月)は日が長いので遠出が出来る。

観光バス2台を連ねて当麻寺に到着したが、駐車場は主要道路の向こう側で右折では入れず、かなりの距離を行き過ぎて転回可能場所に入り逆戻りしてやっと指定駐車場に収まった。現地のガイドさんが2名待っておられ号車毎に案内していただく。

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バス駐車場の横手すぐに相撲の始祖として知られている當麻蹴速(タイマノケハヤ)塚と相撲館を見学。
「日本書紀」によると垂仁天皇の時代に自分の強力を自慢していた當麻蹴速と出雲の野見宿禰(ノミノスクネ)とを天皇が力比べさせた。これが日本初の天覧相撲となり、蹴速は脇骨を蹴り折られて死んでしまう。
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歴史ガイドさんから解説を聞く一同
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相撲館入り口の當麻蹴速の塑像
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当麻寺まで長い登り参道を10分間歩く
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当麻寺(真言・浄土両宗)
 大和盆地の西端・大阪府に接する二上山の東麓の奈良県葛城市当麻にある当麻寺は紀元612年聖徳太子の教えによって異母弟である麻呂子親王が河内に万法蔵院を建立した。その後、親王の夢に従って、681年、当麻国見(麻呂子親王の孫)が役の行者開山のこの地へ移したのが当麻寺です。麻呂子親王伝説は大江山の鬼退治から綾部の「志賀の七不思議」、大江町の元伊勢神宮内宮の「麻呂子親王お手植の杉」等と綾部や福知山、宮津にも多くの伝説があります。
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藤原不比等の曾孫(藤原豊成娘)の中将姫が16歳の時に継母に命を狙われ現世の浄土を求め、この寺の住職に認められ尼僧となった姫は、極楽浄土の光景を、蓮糸で一夜にして織り上げられたと伝えられている。これが当麻曼荼羅(国宝)で本尊となったという
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当麻寺構内案内図
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梵鐘(国宝、白鳳時代で日本最古のもの)
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国宝の本堂(中には国宝の当麻曼荼羅厨子等がある)
国宝・本堂(曼荼羅堂)
 内陣は天平時代、外陣は藤原時代で元は先手堂と呼ばれる小さな御堂であったが、曼荼羅信仰の高まりと共に大きくなり現在は当麻寺の本堂です。中には次の文化財があります。
当麻寺曼荼羅(重文、室町時代)、厨子=国宝(天平時代)、須弥壇・国宝(源頼朝の寄贈とされる)、十一面観音菩薩像(重文、弘仁時代)、中将姫29才像(伝御自作)、来迎弥陀(伝恵心僧都作)、弘法大師参篭の間(弘仁時代、810〜24)に真言密教を伝えられた弘法大師が21日間参籠された間。
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国宝の当麻曼荼羅厨子を見ながら説明を聞く会員

続いて向かい合う、重文・金堂(鎌倉時代)
 曼荼羅堂が本堂となる以前の当麻寺の御堂。その為、この金堂を中心に講堂や東西両塔が並んでいます。現在の建物は鎌倉時代の再建です。
四天王像(重文、白鳳時代及び鎌倉時代、寺伝によれば百済より献納されたされ、異国的雰囲気の日本最古の乾漆像)、弥勒菩薩像(国宝、粘土造りの塑像)、不動明王像(藤原時代、本尊の御前立として安置され、カルラ炎と呼ばれる光背が見事です)、役の行者・前鬼・後鬼像(室町時代)を見学、

重文・講堂(鎌倉時代)金堂と同じ鎌倉時代の再建。
阿弥陀如来坐像(重文、藤原時代、講堂のご本尊、寄世木造り、京都定朝風)、妙幢菩薩坐像(重文、地蔵菩薩の古名で全国的に珍しい木造りです)
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広い構内に立つ仏閣を撮る
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石燈籠(重文、白鳳時代、日本最古のもの)
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広い構内に立つ仏閣を撮る
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見事な国宝の三重塔(西塔、最近奈良県立樫原考古学研究所の発掘で680年白鳳時代のものと判明した):東西の三重塔(白鳳時代の国宝で東西の塔があるのはこの当麻寺のみです)




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