2011/5/16

中筋ふれあい歴史ウォークに参加  綾部の文化財

5月15日(日)中筋公民館・文化部の体験講座、第1回、高津町半日コース(高津八幡宮、八幡山城跡、穏竜寺、荒倉神社、藤ノ木古墳)に参加した
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綾部の文化財を守る会の会報を配布し、集めた年会費1千円を届けに森本会計宅へ向う途中、いつもの散歩道に張り出されたPR掲示を見た。延町在住の森本氏に取材参加の可否を伺うと、部外者もOKとのことであった。中筋公民館・文化部(若山登部長)の健康づくりも兼ね歴史学習する体験講座とのこと。「文化財と人とのふれあい」をテーマとする当会HPに格好の機会と思い取材に参加した。(人のいない古墳、城跡などの写真は何時でも撮れるが・・・)
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綾部市ふれあいセンターに集合、今日の案内解説をされる中筋公民館長:四方晴向氏(中筋資料委員会前委員長)から説明を受ける
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80名参加の大人数なので、府道を通り神内電機工場横から高津八幡宮参道へ、この道は知らなかった
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元慶5年(881)山城の国・男山にある石清水八幡宮より金色の鳩が飛来して種々の奇瑞を表したので、石清水八幡宮の如意別宮として社殿を創建せしめたと伝える高津八幡宮創建の歴史・・・、綾部九鬼藩九代藩主:九鬼隆都公は社殿の改築を計画され嘉永五年(1852)に再建された拝殿・幣殿・本殿の権現造・・・など、府下でも有数の代表的社寺建築を説明される中筋公民館長:四方晴向氏
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本殿の壮大な三重虹粱の妻飾りを見上げる
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寛文10年(1670)綾部九鬼藩初代藩主:九鬼隆季公寄進、自然石の手水鉢
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中筋地区の参加者80名の集合写真 クリック拡大してご覧ください
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市指定文化財の木造獅子・狛犬像(南北朝期)
社務所で里帰り特別拝観 立会いの高津八幡宮:塩見有紀宮司

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当日配られた歴史ウォークの資料 クリック拡大してご覧ください
@高津八幡宮「京都の自然200選」 1)古代密教の修験道場→別当寺・極楽寺・究竟院(明治初廃寺) 2)金鳩飛来伝説ー男山の石清水八幡宮より勧請し創建(881年) 3)祭神ー応神天皇・神功皇后・仲哀天皇・玉依姫命・仁徳天皇 4)「勧進状」(1501年)−1500年社殿焼失と記載。その後再建。 5)綾部藩主九鬼氏加護ー初代隆季寛文10(1670)手水鉢寄進。九代隆都嘉永5(1852)再建。拝殿・幣殿・本殿の権現造。
★今回特別拝観「木造獅子・狛犬像」南北朝期・市指定文化財

感想
80名参加の集合写真撮影は、いつも綾部の文化財を守る会の春・秋2回のバス2台を使った研修旅行で私が撮影するのとほぼ同一規模である。
森本会計と帰り道にも話し合ったが、我が研修旅行参加者よりも年齢層も若く健康づくりを兼ねての「ふれあい歴史ウォーク」、本当に元気一杯良く歩かれる。子供を背負ったお父さん等もおられる。
中筋地区自治会は、防災訓練など行き届いていると伺っているが、統率力、集団行動力も抜群である。集合写真撮影において、一人の脱落者もなくすんなりと整列されたのに驚き、深く敬意を表する次第である。


高津八幡宮の見学を終えて少し急な坂道を歩き、高津八幡山城跡に向う。
途中の道際に椅子の並べられた展望所があるが、建てられた鳥瞰絵図に蔦がからみ、展望は木が茂りほとんど見えない
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道端に泥にまみれて放置された「城跡案内板」。「城郭・曲輪・堀切等跡配置絵図」の方も木枠が壊れ汚れて、地面すれすれに逆さ吊り状態になっている
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堀切にかかる木橋を渡り、細い山道を元気に山城跡を登る一行
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山城跡に集まり熱心に四方晴向氏から解説を聞く
A八幡山城(高津城)
1)標高150m。中世の山城。曲輪・堀切等跡。 2)八田城主大槻氏より右京之進1349年築城。 3)明智光秀の丹波支配(1579年)で落城か。
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唯一開いた樹木間から見える由良川対岸の展望

感想嗚呼 高津城は落城す? ふるさと、歴史を大切にしないものは国(邑)を滅ぼす・・・
西原の釈上が岳・戦国時代の遠見番所に歴史ウォーク:55名参加で登った。綾部盆地から長田野、福知山方面まで見通せる。高津八幡山城跡からの展望は以前は、烏が岳山頂、由良川に架かる音無瀬橋のアーチ(バスケット・ハンドル型ニールセン・ローゼ橋)、由良川流域、法恩寺、鍛冶屋など犀川流域が見通せたので双眼鏡を持って登った。展望が悪くなっており失望した。
この八幡山城跡から甲ガ岳城跡まで古道(間道)が通り辿り着ける。ここまで登られたら更に中筋の歴史古道を縦走する・・・「最近あった横峠古道ウォーキング:170名参加」のような行事をされれば・・・、この種の自然・歴史探索行事は最近人気があると解説者に申し上げておいた。

大島SVクラブが甲ガ岳登山口や城跡に案内を建てられている。ミニ探検隊のような活動がかってあったのでは? 先日の「あやべ市民新聞」に甲ガ岳の高さは?の記事があった。
国土地理院の三角点(地図の三角点印の標高)と山頂の所在地が異なる山は数多い。三角測量を重ねて見通しの良い場所に所定の間隔で三角点標石を設けるので、甲ガ岳山頂のように「古木:うらじろの木」があり、秋葉神社などが建つ茂った森でなく、三角点は山頂より100mほど東の登山道の稜線すぐ横にある。
ついでに安場川を挟んで対峙する四尾山(点名:本宮287.29m)よりも、点名:甲ケ岳:289.82mの方が高い。綾部市の三角点一覧表はここをクリック

綾部三大山城の一つとされている「甲ガ岳城」とこの「高津城」は、由良川沿いの軍馬の動向について連携して当たり、この両城を結ぶ甲ガ岳の稜線を行き来する情報伝達もあったと思われる。かって見晴らしの良かった城跡からの展望、倒れて泥にまみれた城跡案内板、壊れ逆さ吊り状態の城郭・曲輪・堀切等配置絵図などを大切にして欲しいと思う。


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高津八幡宮の表参道の四百余段の長い石段を元気に降りる一行。
この長い石段建設の由来を記した「石坂碑」が鳥居の上の両側に建っている。天明四年(1784)から文化十三年(1816)までの実に32年をかけて、飢餓、洪水等の災厄のなかで村民、氏子、近隣の人々の篤い信仰により造られたと云う
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表参道石段下に集まり、木造両部鳥居を見上げながら四方晴向氏から説明を聞く

高津八幡宮の表鳥居から荒倉川をわたり、曹洞宗 瑞亀山・隠龍寺の標柱のある坂道を上がる
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靴を脱いで隠龍寺本堂に上がる
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本堂に正座し四方晴向氏から本尊・釈迦如来の尊格・印相について、弘治元年(1555)高津城主大槻安芸守辰高の発願により創建などの解説を聞く
B隠龍寺 1)瑞亀山、曹洞宗、本尊・釈迦如来。 2)1555年高津城主大槻辰高開基。旧寺? 3)梵鐘ー延宝6(1678)年銘。極楽寺から。 4)名僧ー10世活宗和尚(江戸末ー明治中期)
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あやべ西国観音霊場第11番札所:瑞亀山・隠龍寺の本尊・釈迦如来に参拝する参加者
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延宝6(1678)年銘の梵鐘。極楽寺からと云う

再び荒倉川沿いを下り高津公会堂前へ歩く
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石段を上がり荒倉神社へ
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綾部市古木名木100選「ケヤキ」の巨木を見上げる
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東日本大地震の死者の冥福を一同揃って祈り神社に参拝のあと、四方晴向氏から解説を聞く
府社:高津八幡宮の神格に対して地元の鎮守神として祀られた古社・荒倉神社。荒倉神社についての詳しい創立由来記録は不明。「高津村誌」は編纂されていないとのこと。
C荒倉神社 素戔鳴命・古名木「ケヤキ」・郡境石碑
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綾部九鬼藩の開設した郷学校の一つ、「明倫堂址」の標柱が立つ。
D中筋小旧跡 ・明倫堂ー慶応3(1867)年開校。・奠麗校ー明治8(1875)年再開。・中筋尋常小学校、明治20年延に。

府道に出て大島町へ向う。府道とJR線の間に広がる水田空き地に出る
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藤ノ木古墳を見ながら四方晴向氏から解説を聞く、多田町にある「聖塚・菖蒲塚古墳」とほぼ同時期の方墳であると考えられる。また高津集落の鬼門に当たり鬼門除けの信仰もあった様。
E藤ノ木古墳 1)古墳時代中期(5世紀前半)築。 2)方墳「森さん」

感想高津発のB級グルメは?
現在、綾部バラ園「春のバラまつり」が行われ、「あやべB級グルメ・フェア」の屋台店舗が並んでいる。「ふるさと自慢・和木梅」など多少は素晴らしいものがあるが、「福田神社宵宮御用達・喜楽焼き」などの出店がない。むしろ地元の人が食べたことがないと云われる。平城遷都1300年祭に関して、長屋王邸跡から出土した「高津発の木簡」があり、天皇に納める山野河面の珍味・グルメの荷札だと云うことである。高津は全国に認められた「グルメの郷」。大いに発奮して「綾部のB級グルメ」の頂点から全国レベルのB級グルメを創出して欲しいと思う・・・こんなことを話しながら出発点に戻った

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正午を過ぎ、帰着予定時間より早く全員が市ふれあいセンターに戻り解散

感謝>本取材記事について、第1稿、第2稿の2度にわたり、解説の四方晴向氏(中筋資料委員会前委員長)から校正のご指導をいただきました。心から厚く感謝を申し上げます。なお記事中の<感想記>は編集者の私見です。

参考資料>記事本文中に引用した資料は、それぞれの「リンク」をクリックしてご覧ください。
その他の参考資料は、下記をクリックしてご覧ください。
綾部の文化財シリーズ第7回 高津八幡宮(元府社・高津鎮座)大槻正明宮司
会報36号 高津八幡宮・木造獅子・狛犬 塑像一対 南北朝時代 山下潔美氏
会報36号 高津八幡山城 川端二三三郎氏
高津八幡宮について 大島文隆氏
綾部の古木・名木100選陽成天皇元慶五年男山八幡宮より金色の鳩が飛来した高津八幡宮の5本木
綾部の古木・名木100選・高津八幡宮の御神木のヒノキ
綾部の古木・名木100選高津八幡宮のケヤキ
綾部の古木・名木100選・古社・荒倉神社の巨大なケヤキ
あやべ西国観音霊場第11番札所瑞亀山・隠龍寺とその由緒
丹の国綾部第4話 九鬼氏と綾部の人々「藩校と郷学校:慶応元年、十代隆備は藩の碩学近藤勝直を総督に任じ、大いに藩校を充実すると共に、領内栗村、高津、小畑等六ケ所に郷学校を建てて庶民教育に努力した。」
四方晴向氏の解説で触れられた、聖塚・菖蒲塚古墳
会報40号 福田神社発見の棟札と鬼面 山下潔己氏 福田神社・境内社

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