2018/5/20

京丹波を見る!京都三龍寺の一つ亀岡市の古刹・龍潭寺!  文化財研修記

京都府亀岡市の行者山(431m)の麓の稗田野町太田東谷40にある金剛山・龍潭寺(りょうたんじ)は、1400年代に臨済宗妙心寺派の祖・雪江宗深禅師が開創した大梅寺を始まりとすると伝えられている。1489年火災で焼失したが、1497年細川政元の支援を得て、雪江禅師の弟子特芳禅傑禅師によって再興され、龍潭寺として開山された。京都市龍安寺、南丹市龍興寺とともに臨済宗妙心寺派の三龍寺と呼ばれている。参道脇にある庭園は、岩・石と古木が組み合わされた自然に近い様相を示す境内庭園で、禅宗庭園の枯山水庭園とは趣を異にしている。木々に覆われた境内の静寂は禅寺そのものである。本尊は聖観音で庭園は京都府指定名勝、文化財としては松井雲江像図、特芳禅傑関係資料(府指定文化財)がある。また細川政元の念持仏であった青面金剛童子立像がある。

1.龍潭寺の山門
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2.山門をアップで見る!
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3.参道脇の駒札
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4.参道脇の禅宗庭園
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5.山門から参道を見る!
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6.両脇の庭園
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7.鬱蒼とした木々に囲まれた鐘楼!
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8.弁財天堂
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9.見事な本堂
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10.経蔵
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11.経蔵内部
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12.秘仏の釈迦如来像は見れないが、観音菩薩像が護っています。
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13.天井には見事な竜が描かれています!
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14.開山堂
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15.堂内の本尊特芳禅傑禅師 (とくほうぜんけつぜんじ)像
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16.庚申堂(堂内の青面金剛童子立像は特別に許可を得ないと見れません!)
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2018/5/15

京丹波を見る!ぼけ封じの寺と呼ばれる祥雲寺・天足堂!  文化財研修記

京都府船井郡京丹波町大迫上ノ山36には通称・ぼけ封じ寺の天足さんと呼ばれる曹洞宗の祥雲寺(しょううんじ)がある。承応3年(1654)に山口県のあるお寺の住職だった天足がこの地にお堂を建てて、村人の悩みを聞き、病苦を癒したと言われていいます。天足さんとはかつての住職の事です。そんな祥雲寺の天足堂の両脇には天足が植えたと伝わる樹齢300年以上のヒノキが残っています。左横の木を安楽の霊木、右横の木を長寿の霊木と呼びます。ちなみに天足は「私が死んだ後も病気で苦しい者があれば言いなさい。必ず救います。」と言い残して、このヒノキの下に葬られたといわれています!!

1.祥雲寺の表中
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2.全景を見る!
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3.楽寿観音像
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4.見事な石段参道
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5.山門の近畿楽寿観音霊場第33番札所の標識
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6.十三重の石塔を見ると天足堂と樹齢300年以上の巨大な2本のヒノキ!
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7.天足堂と長寿の霊木
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8.長寿の霊木をアップで見る!
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9.天足堂内
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10.左横の木を安楽の霊木!
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2018/5/10

京丹波を見る!京丹波町本庄の古社・阿上三所神社!  綾部の文化財

京都府京丹波町には古社の阿上三所神社(あじょうさんしょじんじゃ)が4ヶ所あり、今回は本庄にある阿上三所所神社を見ます。この神社の御祭神は豊受比賣命(とようけひめのみこと)、三穂津比賣命(みほつひめのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと) 三神です。創建等由緒は不明ですが、貞観年間(859〜877)以前は天王山の山頂に鎮座していたと伝わり、徳治元年(1306)に現在の地に遷座したとされます。最初は阿上神社と称していましたが、観応元年(1350)に坂原へ、また永徳2年(1382)に下粟野へ分霊し、阿上三所神社と称されるようになったといいます。旧和知町内にある4社の阿上三所神社の中で最古の神社です。旧社格は郷社。神饌幣帛料供進神社。 祭神については上記3柱の誉田別命ではなく、武甕槌命(たけみかづちのみこと)という説もあるようです。 現在の本殿は享和2年(1802)に再建されたもので、三間社流造唐破風付き、柿(こけら)葺の美しい社殿です。また拝殿は建築年代は不明で、明治41年に改修された記録が残っています。

1.大鳥居と扁額を見上げる!
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2.見事な石段参道
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3.拝殿を見上げる!
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4.見事な拝殿
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5.拝殿内の扁額
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6.本殿を見上げる!
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7.見事な本殿の彫刻!
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8.本殿を横から見る!
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9.本殿横の彫刻
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10.摂社群
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11.いぼ水宮駒札(阿上三所神社の鳥居から50メートル程の所に位置しています。)
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12.いぼ水宮
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2018/5/5

京丹波を見る!江戸時代遠州より分霊された秋葉三尺坊大権現を祭る味方の火祭り!  綾部の文化財

都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)味方町の味方紫水ヶ丘公園には「秋葉三尺坊大権現」がある。主催は味方町自治会で例年5月5日(子供の日の祭日)に午前10時30分より「秋葉三尺坊大権現奉祀・味方の火祭り」が今年も執り行われた。遠州静岡県秋葉山上に古代より秋葉寺があって、同寺に千数百年前より秋葉三尺大権現が奉祀されており、霊験あらたかな「火防の守り神」として、関東を中心に全国にわたり多数の信者(講中)があり信仰の中心になっていました。明治の神仏分離令により、三尺坊大権現の御神体と物件一式は前期の秋葉寺から可睡斎に遷され、それ以来、秋葉三尺坊は此処でお祀りされるようになった。秋葉総本殿三尺大権現の称号はこの時、起きたものです。叉、別に秋葉山中には秋葉神社があり,これは叉、別途にお祭り行なわれています。一方、この丹波国何鹿郡(いかるがぐん)の綾部九鬼藩では文化年間に多数の火災が起こり、文化三年(1806)味方村(みかたむら)が発起し、京都府何鹿郡を中心に、天田郡東部(福知山市の東部)、船井郡(今の京丹波町、京丹波市)、丹後地方などを纏めて「味方村秋葉百人講」を結成し、この秋葉三尺坊の分霊を祀ったのです。

1.5月5日午前10時30分:紫ヶ丘公園の秋葉三尺坊大権現味方分霊場にて開始!
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2.同上
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3.山武士問答!大槻教会長が霊場の監視役へ入場の要請をされている場面。
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4.無事山伏問答を通かして、大槻京会長により祭事開始!
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5.大護摩供養開始!
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6.もうもうと燃える大護摩!
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7.大槻教会長の「湯立て!」熱湯を被る!
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8.火渡り・ご来賓や一般参列者も参加可能です!
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9.より詳しくは下記をクリックして見て下さい!
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1727.html


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2018/5/3

京丹波を見る!昭和前期まで使用された産屋(うぶや)を持ち江戸時代綾部九鬼藩主が崇敬した大原神社!  綾部の文化財

大原神社(おおはらじんじゃ)は、京都府福知山市三和町大原にある神社で。参拝すれば、「天一位」とある御朱印を頂ける。 平安時代前期の仁寿2年(852)に創建されたという。御祭神は、伊邪那美命・天照大日霎命・月読命です。 南丹市美山町樫原大原谷の当社と同名の神社では、当社は樫原大原谷を分祀したものという由緒を伝えている。当社御朱印あるいは扁額にある「天一位」は自称だというが、やはり樫原大原谷の発祥だという。また、東京都中央区日本橋兜町の大原稲荷神社も「天一位」を称する。ともかく、創立以降、累代藩主の庇護を受け、公卿諸侯の尊崇を仰ぎ、とりわけ綾部藩主九鬼侯の崇敬が篤かったという。 現在の広壮な社殿は、江戸時代後期の寛政8年(1796)に再建されたもの。拝殿の唐破風の見事な「龍の丸堀り」柏原の中井権次正貞の作で天保3年(1831)のものです。古くから「大原志(おおばらざし)」と俳句の季語にも詠まれた当社は、この地方の安産信0仰をつかさどる神社として、多くの参詣者があった。 例祭は5月3日で、春季例大祭。宵宮が前日の2日にあり、神興渡御がある。 境内の、神前の清流近くに産屋(うぶや)が建ち昭和の初期まで、産婦が臨月を迎えると、ここに七日七夜篭り、出産に臨んだという。 当社の絵馬群は、丹波地方一の質、量を誇るとされ、府下で5位の古さとなる慶長4年(1599年)奉納「神馬図」や、元禄4年(1691)「平等院(宇治橋)図」などが現存する。 幕末の丹波地方の農耕の1年の様子を描いた「四季耕作図」は、当時の農業の有様を物語る貴重な資料の一つになっている。 また、伝説が記された巻物とともに残されている「蛇のひげ」と呼ばれるものが残されている。その昔、現在の蛇ケ谷の地域を荒らしていた化け物を、石粉主利助という者が退治した時、姿を現し逃げ出した竜が落としたものだという。


1.国道123号線から大原神社の全景を見る!
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2.5月3日(祝)の春季例大祭の幟がある周辺
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3.周辺の見所
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4.石段参道と大鳥居
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5.石灯籠と絵馬殿
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6.手水舎
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7.拝殿を見る!
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8.拝殿
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9.拝殿の中井権次正貞の見事な龍の丸彫り!
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10.駒札
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11.拝殿後部と本殿を見る!
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12.摂社火之神神社
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13.駒札
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14.餅撒きをされる林宮司様
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15.大正琴の奉納演奏
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16.現存する産屋
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2018/3/22

京丹波を見る!2の12.白河上皇勅願により創建の曹洞宗の新宮寺!  文化財研修記

京都府船井郡京丹波町豊田新宮谷67には曹洞宗の古刹の新宮寺(しんぐうじ)がある。新宮寺は、1090年白河上皇の勅願により新宮重利が熊野権現を祀る社を建てたのが始まりと伝えられる。室町時代に竹翁和尚が再興し、曹洞宗新宮寺を開いて権現社との神仏習合となったといわれる。地元では子安権現と呼ばれ、権現信仰が続いている。山裾の自然と調和した境内は趣があり、静かな空気に触れる空間である。本尊は釈迦牟尼で、文化財としては不動明王坐像:府指定文化財、藤原時代、熊野十二所権現本地仏像:府登録文化財、権現堂:町指定文化財、法華経:町指定文化財がある。

1.新宮寺の全景
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2.本堂及び子安権現参拝口
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3.見事な山門
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4.子安権現参拝口
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5.見事な本堂
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6.本堂から見る風景1.
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7.同上2.
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8.同上3.
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9.同上4.
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2018/3/18

京丹波を見る!2の11.国重要文化財指定の九手神社(くてじんじゃ)!  文化財研修記

京都府船井郡京丹波町九手125には国重要文化財の九手神社(くてじんじゃ)がある。九手神社(くてじんじゃ)は、大山咋命 (おおやまくいのみこと)を主祭神とし、豊田地頭藤原定氏が京都の松尾大社より勧請した。長元2年(1029)9月31日に社殿が造営され、 明応7年(1498)3月3日再建される。これが現在の本殿である。天正10年(1582)3月17日松尾大社の神輿を受納した。安政4年(1857)3月御室御所が九手大明神の御染筆の鳥居額を納め、5月菊御紋章付き釣提燈1対を寄付した。 明治6年(1873)村社に列せられた。大正10年(1921)4月30日、当時の古社寺保存法に基づき、特別保護建造物(現行法の重要文化財に相当)に指定された。境内のアラカシは、平成16年3月5日、京都府京丹波町の天然記念物に指定されました。

1.九手神社の大鳥居と標柱(アラカシが左手い見えます。)
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2.駒札
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3.大鳥居を正面から見る!
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4.阿形の狛犬
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5.吽形の狛犬
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6.駒札
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7.正面は元舞殿
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8.駒札(画像をクリックすると拡大して読めます!)
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8.拝殿正面を見る!
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9.国重文の本殿を左側から見る!
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10.見事な国重文の本殿を右横から見る!
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2018/3/14

京丹波を見る!2の10.南丹市日吉町にある京都府指定文化財の多冶神社!  文化財研修記

京都府南丹市日吉町には大山咋神、天太玉命の2神を祀る多冶神社(たじじんじゃ)がある。社伝では、奈良時代前期の慶雲年間(704−707)、天智天皇第3皇子の田原左大臣(志貴皇子、施基皇子)による創建とされる。平安時代中期の『延喜式神名帳』では「丹波国船井郡 多沼神社(たひち・たぬ・たぬま-)」と記載され、式内社に列している。鎮座地の集落名が「田原(たはら)郷」であることから「多治」の字があてられたと考えられているが、鎌倉時代の乾元元年(1302)の棟札には「多沼大明神」の記載があり、「多沼」と称した時期もあったものと推測されている。明治10年、近代社格制度において郷社に列した。


1.神社の駒札(画像をクリックして頂くと拡大して読むことが出来ます。)
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2.多冶神社の標柱と鳥居
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3.二の鳥居
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4.京都府指定文化財の駒札
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5.手水舎
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6.舞殿(元)と拝殿・本殿を正面から見る!
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7.舞殿から拝殿を見る!
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8.拝殿を正面から見る!
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9.拝殿をアップで見る!
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10.拝殿背後の見事な本殿を横から見る!4度目の宝暦5年(1775)再建の本殿!
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11.摂社
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2018/3/10

京丹波を見る!2の9.丹波屈指の曹洞宗の古刹・玉雲寺!  文化財研修記

京都府船井郡京丹波町市森には応永23年(1416)に太容梵清禅氏が須知出羽守慶吉の慈請を受けて開山・創建された丹波屈指の曹洞宗の禅寺の玉雲寺(ぎょくうんじ)がある。かつては琴滝の滝つぼのすぐ脇に建っていたという。しかし天正7年(1579)、明智光秀の市森城攻撃によって寺の建物や宝物はほとんど焼失した。現代の境内・本堂・庫裏は光秀が禅氏の道徳を尊崇し、天正8年に再興したもの。広い境内には、本堂・庫裏・開山堂・観音堂・衆堂などが立ち並び、本堂と庫裏の庭が禅寺らしい厳かな雰囲気を醸し出している。本堂と離れの間には石組みとサツキを中心とした庭園があり、サツキの咲く季節は美しい。また、境内には「ツツジ」や「アジサイ」「シュウメイギク」「ツバキ」など、四季折々の花を咲かせ佳景を演出している。特に秋の紅葉は山寺のたたずまいと調和して、琴滝を訪れる観光客にも親しまれ、絶好の撮影ポイントとして多くのアマチュア写真家が訪れている。

1.玉雲寺の標柱と山門を見上げる!
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2.見事な山門です!
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3.山門をアップで見る。
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4.見事な鐘
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5.九重の石塔と庫裏
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6.右、本堂、左、庫裏と禅寺らしい庭園
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7.本堂を正面から見る!
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8.山門から石段参道を見下ろす!
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2018/3/6

京丹波を見る!2の8.船井郡一之宮で延喜式内社の摩気神社!  文化財研修記

京都府南丹市薗部町竹井宮ノ谷3には延喜式内社の摩気神社(まけじんじゃ)がある。南丹市園部町の最西端、胎金寺山の北麓に北面して鎮座する。宮本(鎮座地)である竹井集落を始め、篠山街道沿いに広がる周辺集落共通の氏神として近世以来「摩気郷十一ヶ村の総鎮守」と称されている。茅葺の覆屋内に鎮座する本殿・東摂社・西摂社は京都府指定文化財で、境内は京都府文化財環境保全地区に指定されている。その趣から、京都で撮影される時代劇のロケ地としてたびたび使用される。なお、社殿が北面する丹波地方唯一の神社としても知られる。祭神は大御饌津彦命 (おおみけつひこのみこと)、天児屋根命の御子神・天押雲根命の別称で、水や食物を司る神であるとしている。祭神については、大御気津姫命(おおみけつひめのみこと、大宜都比売神)と考証する異説もある[3]。また、神社名「マケ」は「御食(みけ)」から来たと考えられること、現行神事のお田植祭やお千度から農事に深く関わる神であることがわかることから、食物を主宰する食物神(御食津神[みけつかみ])であるとみられている(ただし、丹波道主尊を祀るとする説もあった)。なお、鎮座地の立地からかつては背後の胎金寺山を神体山とした可能性も指摘されている。近世では竹井村が篠田、摩気、上新江の3村に分かれていたように(上新江村は当神社祭礼に関する場合、更に今井、辻田の2村に分かれた[4])、他の集落も複数の村に分かれており、総鎮守とした村は都合19個村にも及んでいた(右表参照)。「十一ヶ村」の称には符合しないが、当社の氏子集落には別に村単位の氏神が合計11社あってそれらを当神社の末社として位置付けていた。そのことから、この場合の「十一ヶ村の総鎮守」とはその11社の上位に位する総氏神という意味である。また、「摩気郷」という郷名は史料に確認できないので地域的な通称と思われるが、祭祀圏が周辺村落に展開されていた点に極めて中世的な姿が認められることから中世に遡る広域名称であったことが想定できる。この地域が藩政時代にあって園部、亀山両藩に分かれながらも藩政の枠を超えて共同で祭祀を担当していたこともその一証とされる。(ウイキペデアより抜粋掲載)

1.摩気神社の鳥居と標柱
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2.大鳥居
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3.祭神ゆかりの御神泉
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4.アップで見る御神泉
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5.駒札(画像をクリックして頂くと拡大して読めます!)
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6.神門を見る!
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7.神門をアップで見る!
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8.神門から茅葺の拝殿、東摂社・西摂社(京都府指定文化財)を見る!
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9.御神水
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10.奉納絵馬が飾られている舞殿
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11.絵馬の一部
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12.阿形の狛犬
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13.吽形の狛犬
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14.丹波地方(兵庫県丹波を含む。)唯一の北面する拝殿、本殿、東摂社!
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15.本殿
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16.本殿をアップで見る!
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