2016/12/11

山形・仙台を見る!40.国史跡の仙台城跡(青葉城)!  文化財研修記

伊達62万石の居城、仙台城(青葉城)。標高約130m、東と南を断崖が固める天然の要害に築かれた城は、将軍家康の警戒を避けるために、 あえて天守閣は設けなかったといわれています。残念ながら今では城は消失し、石垣と再建された脇櫓が往時をしのばせます。政宗公騎馬像の前に立てば、天下取りの野望に燃えた政宗公と同じ視線で、市街を展望できます。
青葉城資料展示館では、コンピューターグラフィックスによる青葉城復原映像などが見られます。周囲には仙台ゆかりの土井晩翠の文学碑もあります。 平成15年夏、国の史跡指定を受けました。

1.仙台城跡の石垣、右は宮城県護国神社の大鳥居
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2.駒札
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3.駒札
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4.同上 石垣
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5.伊達政宗公騎馬像
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6.同上 アップで見る!
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7.仙台城(青葉城)案内図
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8.本丸跡地
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9.土井晩翠像
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10.同上 駒札
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2016/12/9

山形・仙台を見る!39.仙台城跡に創建された宮城県護国神社!  文化財研修記

 明治天皇の思し召しにより明治維新から大東亜戦争に至るまで、幾多の戦役でわが国の平和と繁栄を念じつつ、尊い生命を御国に捧げられた郷土出身者の御霊を祀る。明治37年8月27日ここ仙台城(青葉城)本丸城址に招魂社として創建され、昭和14年内務大臣指定護國神社となり、昭和20年7月仙台大空襲の戦火により社殿施設を全焼したが、戦後多くの困難を乗り越えて現在の姿に復興した。現在、宮城県出身戦歿者をはじめ、元第二師団管区(福島、新潟、山形の一部)戦歿の御祭神5万6千余柱を御祀りしている。御本殿はは、日本民族の祖神と尊ばれている伊勢神宮の外宮「風宮(かぜのみや)」の旧御正殿で、昭和28年の神宮式年遷宮に際し、戦災で消失した当社御本殿の御復興にあたり、神宮の特別の思し召しをもって昭和30年東北に初めて下げ渡された極めて尊い御殿である。建築様式は唯一神明造(特徴:掘立式で棟の左右を棟持柱で支える)で伊勢神宮よりそのまま御移築したものであるが、御屋根は萱葺を銅版葺に改めてある。宮城県、仙台市の最も誇りとする建物である。宮城県護国神社HPより抜粋。

1.宮城県護国神社の標柱と仙台城の石垣が両側にあります。
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2.神社の駒札
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3.朱の大鳥居と拝殿
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4.見事な拝殿
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5.拝殿内陣(本殿は撮影不可能でした!)
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2016/12/7

山形・仙台を見る!38.元米沢市から分霊を移した穴蔵神社!  文化財研修記

仙台市青葉区霊屋下21−16には宇迦之御魂神祀る穴蔵神社(あなぐらじんじゃ)がある。、元米沢に御鎮座あり、伊達氏の守護神として奉斎せるを、藩祖政宗伊達郡梁川に遷し、後、仙台若林に城郭をさだむるに及び荒井村に遷し、後、青葉城を築くのとき鈴の沢の地を選び城に向けて遷し祀る。故に「夕日明神」と称あり。天保6年(1835)7月広瀬川の氾濫と崖崩れの災をおそれ遂に川下の現在の地に鎮めまつる。藩祖の信仰あつく社殿の修復のことは勿論、本社に3貫文の地を寄進し、更に年1石の饌米を奉献するを例とし、172家をもって祭事を行わしめた諭旨である。又、公の奥方愛姫(陽徳院)は安産の守護神として深く信仰したと伝える。(社伝、稲荷神祠頌)大正11年八木山の越路神社(山神)を合祀する。又、東京都在住白石安子刀自により平成15年参道修復工事、平成17年本殿一棟を献納された。

1.穴蔵神社の駒札
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2.石段参道途中から朱の大鳥居を見下ろす!
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3.更なる登り石段参道
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4.拝殿と手水舎
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5.拝殿
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6.拝殿をアップで見る!
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7.本殿を斜めから見る!
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2016/12/5

山形・仙台を見る!37.伊達藩二代藩主・忠宗公の霊屋・感仙殿と三代藩主・綱宗公の霊屋・善応殿!  文化財研修記

初代藩主伊達正宗公を祀る霊屋(おたまや)の瑞鳳殿の反対側にある感仙殿(かんせんでん)は二代藩主伊達忠宗公(1599−1658)の霊屋であり、瑞鳳殿と同等の華麗なものでしたが、明治初年に本殿を除いて取り壊され、残った本殿も昭和20年の戦災で焼失しました。 現在の霊屋は瑞鳳殿に続いて再建が進められ、昭和60年に完成したものです。その横には三代藩主・綱宗公(1640−1711)を祀る善応殿(ぜんのうでん)があります。善応殿は三代藩主伊達綱宗公の霊屋で、感仙殿と同様に造営されましたが、昭和20年の戦災で焼失し、昭和60年感仙殿とともに再建されました。 善応殿には焼失以前の資料が乏しかったため、種々の検討の結果、綱宗公が好んで描かれた「鳳凰」と「牡丹」を装飾に採用しました。感仙殿北側には9代藩主周宗公、11代藩主斉義公夫妻の墓所である妙雲界廟があります。

1.感仙殿や善応殿への門
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2.正面から感仙殿を見る!
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3.感仙殿に向かって左側には善応殿がある!
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4.正面から見る!
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5.ここにも殉死者のお墓がある!
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6.妙雲界廟の駒札
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7.妙雲界廟(みょううんかいびょう)
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2016/12/3

山形・仙台を見る!36.仙台伊達藩・藩祖伊達正宗公を祀る瑞鳳殿!  文化財研修記

瑞鳳殿(ずいほうでん)は寛永13年(1636)、70歳で生涯を閉じた仙台藩祖伊達政宗公の遺命により、その翌年ここ経ケ峯に造営された霊屋(おたまや)です。 瑞鳳殿は、本殿、拝殿、御供所、涅槃門からなり、 桃山文化の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築として昭和6年(1931) 国宝に指定されましたが、昭和20年の戦災で惜しくも焼失しました。現在の建物は規模、装飾ともに、焼失以前の瑞鳳殿を範とし、1979(昭和54)年に再建されたものです。
平成13年(2001)に、仙台開府四百年を記念して大改修工事が実施され、柱には彫刻獅子頭を、屋根には竜頭瓦を復元し、創建当時の姿が甦りました。

1.瑞鳳殿への登り参道
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2.瑞鳳殿の参道
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3.涅槃門(雨でカメラが曇った!)
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4.涅槃門を潜る!
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5.瑞鳳殿を見下ろす。
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6.霊屋の両脇のには多くの家臣寄贈の石灯籠があります。これは片倉小十郎寄進の石燈籠です。
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7.霊屋への門
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8.門を潜る!
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9.見事な瑞鳳殿
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10.正面から見る!
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11.扉をアップで見る!
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12.駒札
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13.両脇には多くの殉死者のお墓がある!当時はまだ殉死が許されていたのです!
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2016/12/1

山形・仙台を見る!35.仙台2代藩主・伊達忠宗創建の瑞鳳寺!  文化財研修記

仙台市青葉区霊屋下には元臨済宗妙心寺派だった瑞鳳寺(ずいほうじ)がある。山号は正宗山で開山は清岳、開基は伊達忠宗、本尊は平泉の毛越寺より遷した釈迦三尊像です。江戸時代初期の寛永14年(1637)、仙台藩2代藩主・伊達忠宗によって、藩祖・伊達政宗廟「瑞鳳殿」が造営された際に香華院として創建された。仙台藩から一門格の寺格を与えられ、経ケ峯に多くの末寺を持っていたが、明治維新期の廃仏毀釈の風潮や廃藩置県による藩の後ろ盾の喪失によりことごとく廃寺となった。大正15年(1926)に復興されたが、現在は財団法人瑞鳳殿の管轄外となっている。境内には、高尾門や鐘楼、伊達忠宗寄進の梵鐘などのほか、殉死した家臣や、戊辰戦争および西南戦争での戦死者らの墓がある。

1.一日降り放題「ループル仙台バス券」620円を購入、JR仙台駅前から乗車
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2.仙台伊達藩初代藩主・伊達正宗公を祀る瑞鳳殿バス停で下車、登り参道
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3.駒札
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4.瑞鳳寺の山門
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5.境内の一部
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6.供養法語楼
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7.花塚
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8.見事な高尾門
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9.見事な本堂
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10.本堂の見事な彫刻
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2016/11/29

山形・仙台を見る!34.縁結びと夏の三社まつりで有名な野中神社!  文化財研修記

仙台市青葉区中央の「一番町商店街」のど真ん中には今では「縁結びと三社まつり」で有名な野中神社があります。慶長6年(1601)、仙台城の町割りのために縄張りが行われました。この時に縄張りを行ったのは、ときの仙台藩主にして仙台の開府者である伊達政宗公です。このとき、縄張りの中心点として定められたのが野中神社だったと言われており、仙台城の城下町の縄張りを記念し、縄張りに使った縄を集めて埋めて、野中神社を祭ったという話がつたわっています。社殿は、昭和63年(1988)に伏見稲荷を模した形で、再建されています。次にお祭りですが、野中神社は旧暦の6月24日が祭礼とされ、仙台のにぎやかな夏祭りのひとつとされていました。しかし、今は三社まつり(仙台一番町三社まつり)として、毎年7月下旬になるとえびす神社・和霊神社と一緒に、一番町三社まつりが開かれ、神輿が商店街を練り歩きます。

1.一番町商店街の垂れ幕
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2.野中神社への横の参道
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3.狭いが朱の鳥居が一杯
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4.又,横道の参道
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5.野中神社の額が掲げられている朱の鳥居
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6.又、横道の参道
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7.ふれ「ここち」アベックで撫でると縁が良い諭旨です。
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8.又、登り階段前には額入りの朱の鳥居があります。
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9.ビルの上の野中神社への登り階段
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10.野中神社です!さすが繁華街の神社ですね!
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11.三社まつりを見たい方は、下記をクリックして動画で見て下さい!
https://youtu.be/29SlnwEFHQs

2016/11/27

山形・仙台を見る!33.福の神・仙台四郎を祀っていることでも有名な三瀧山不動院!  文化財研修記

仙台市青葉区中央2−5−7のクリスロード商店街のど真ん中には大日大聖不動明王をご本尊様(当寺では三瀧山不動尊という)を勧請し奉る真言宗智山派(総本山智積院・京都市東山区)に属する加持祈祷の専門寺院であります。又、福の神・仙台四郎を祀っていることでも有名です。当寺の沿革は定かではありませんが、郷土資料研究所によると、慶応元年(1865)加藤タケ尼律師が眼病平癒を祈り三・七・二十一日の祈願をこめたその満願の前日お不動さまに供える水を汲みに出て、はからずも拾い上げたのは四寸ばかりの不動尊であった。おおいに喜び床の間にご安置申し上げていたところ突然に神がかり状態になり、種々の事を口走るようになり信徒の人々が大いに驚き種々これに訊ねてみるとそれが皆的中するので尊信大いに得るに至ると記してると記してあり開山の縁起であります。「笑う門には福来る」そんな諺通りに笑顔を絶やさず商売繁盛を招く一人の男がいた。その名も「仙台四郎」少し知恵遅れであったことから(四郎バカ)と呼ばれてはいたが、当時の人々は、四郎の純粋な心と笑顔を愛し、大切にもてはやしたと言われています。四郎を慕って集まる子供たちは丈夫に育ち、彼の立ち寄った店は千客万来であった。そのような言い伝えから仙台の旧家や老舗等には「福の神仙台四郎」の写真が飾られています。

1.クリスロード商店街の垂れ幕
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2.クリスロード商店街からの参拝口
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3.アップで見る!
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4.商店街からの参拝参道
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5.手水処
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6.ビルの建物の2階へ上がる!
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7.見事な須弥壇です!
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8.須弥壇に向かって左側には「仙台四郎像と写真」が祀られています!
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9.右側には見事な神輿が祀られています!
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2016/11/25

山形・仙台を見る!32.日本三奇の一つと云われる御釜神社!  文化財研修記

塩釜市本町6−1には陸奥国一宮・鹽竈神社(しおがまじんじゃ)の境外末社である御釜神社(おかまじんじゃ)があります。この神社では塩竈市・鹽竈神社の名の由来となった塩釜(四口の神釜)を奉安しています。塩釜は天逆鉾(宮崎県高原町、高千穂峰山頂)、石の宝殿(兵庫県高砂市、生石神社)とともに「日本三奇」に数えられます。四口の神釜は塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)が製塩に用いたものという伝承があります。元は7口あり、3口が盗まれて4口になったともいわれます。また、神釜の水は溢れることも涸れることもなく、世の中に異変が起こるときには色が変わるとも伝えられます。因みに、「竈」は「かまど」のことで、「塩竈」は製塩に使う竈のこと、「釜」はかまどにかけて煮炊きをする器具のことで、「塩釜」は「塩竈」に載せて潮水を煮詰めるための釜ということになります。神釜について、「神竈」という表記も見られますが、意味から考えると「釜」が適切だと思われます。「御釜神社」の名も同じでしょう。ただし、「塩竈」と「塩釜」はセットで使わなければ意味のないものですし、そもそもどちらも「かま」というのは語源が同じだからということのようです。鹽竈神社の「塩(鹽)竈」は、竈と釜を含めた総体としての塩竈を表しているのでしょう。ところで、『国史大辞典』によれば、6〜7世紀までの製塩は土器を使っており、塩釜が文献上に登場するのは奈良時代のことだそうです。当時の記録に残る塩竈は、御釜神社の神釜のような鉄製の浅い大皿のようなものでした。しかし、鉄製の塩釜は極めて希少で、わずかに国衙や寺院で用いられていたにすぎず、古代から中世においては石釜や土釜、貝釜、網代釜が一般的だっただろうと推測されているとのこと。さらに近世の入浜塩田では独特の構造の石釜が普及したといいます(若狭湾、駿河湾などでは鋳鉄の塩釜も使われたとのこと)。つまり、近世以前、鉄製の塩釜というのは極めて珍しいものだったようなのです。日本三奇とはいうものの、石の宝殿や天逆鉾に比べて塩釜は地味というか、なぜ三奇に数えられるのだろうと訝しく思っていたのですが、江戸時代以前の人たちにとっては鉄製の塩釜というもの自体が非常に貴重で希少なもの、つまり見慣れないものだったということを前提に考える必要があるようです。だからこそ神様が使ったもの、神様が愛でたものという伝承もできたのではないかと思慮します。

1.御釜神社の朱の大鳥居
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2.駒札
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3.境内
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4.駒札(芭蕉と御釜神社)
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5.御釜神社
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6.御釜社神釜奉置所(向かって左に神釜奉置所。この中に四口の神釜が奉安されています。神釜の拝観はできますが、写真は撮れません。許可がいります)。
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7.御釜神社塩竃(藻塩焼神事で使われる塩竈)
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8.同上
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9.御釜神社の境内社藤鞭神社(牛石ふじむちじんじゃ)
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10.御釜神社藤鞭社の池(こちらは境内にある藤鞭社とその脇にある池。伝承によれば、昔、和賀佐彦という神様が7歳の子供の姿となり、塩を乗せた牛を曳いていました。その牛が石になったのが牛石で、藤鞭社の脇の池に沈んでいるといいます。一年に一度の水替神事の際にその姿が見えるそうです。この池の水は海とつながっているともいいます。また、藤鞭社は、神様が使っていた藤の鞭を立てかけておいたところ、枝葉が茂って花が咲いたのでお祀りしたと伝えられていのです。東北大震災の時には池の水の色が変わったそうです。
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7月4日から6日にかけての神事は下記をクリックして見て下さい!
1.https://youtu.be/5A2f1FlE4k0
2.https://youtu.be/dNwVYTYTsgg

2016/11/23

山形・仙台を見る!31.延喜式内社で明神大社の志波彦神社!  文化財研修記

塩釜市一森山1−1には志波彦神社(しわつひこじんじゃ)があり志波彦大神をお祀りしております。あまり馴染みのない御神名ですが、『延喜式』の神名帳に記載されている2861社の中でもわずか225社しかない「名神大社」と言う格別の崇敬を朝廷より受けていた神社です。 元々は東山道より多賀城に至る交通の要所宮城郡岩切村(現仙台市宮城野区岩切)の冠川の辺(現八坂神社境内)に鎮座しておりましたが、中世以降衰微の一途を辿り境内も狭隘だったため、明治4年の国幣中社列格の際に社殿造営の事が検討され、明治7年12月24日この地を離れ鹽竈神社別宮に遷座され、この際の御祭文に後日鹽竈神社(しおがまじんじゃ)境内に社殿を造営する旨が奏上されました。 大正11年当時の宮司山下三次が政府に造営の陳情をしましたが、翌年の関東大震災発生にて効を奏せず、次代古川左京宮司が時の政府に強く訴えかけてようやく昭和9年に着手、明治・大正・昭和の神社建築の粋を集め昭和13年に完成したのが現社殿です。造営前の社殿地には2階建て社務所が建っておりましたが現在の場所に降ろし、その場所に志波彦神社を建立しております。 鹽竈神社とは趣を別にし、本殿・拝殿ともに朱黒漆塗りの極彩色社殿となっております。又全額国費を以て造られた最後の神社とも言われております。

1.志波彦神社の大鳥居
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2.登り参道途中にある石の五重搭
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3.登り参道
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4.登り参道途中から塩釜市街を見る!
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5.神門
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6.この神門の横にも石の五重塔がある!
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7.駒札
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8.手水舎
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9.見事な拝殿
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10.拝殿前にある阿形の狛犬
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11.見事な拝殿内陣
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