2017/11/18

京丹波を見る!12.丹波七福神の寿老人を祀る6番札所の極楽寺!  文化財研修記

京都府亀岡市千歳町には丹波七福神の一つ寿老人を祀っている6番札所で浄土宗本山知恩院の末寺で吉祥山・極楽寺がある。正保3年(1646)光誉雲哲の創建と伝えられ、本尊阿弥陀如来坐像は足利幕府初期のものと思われる。収蔵庫に安置している木造り十一面観音立像は高さ205センチメートルで、平安朝期の造立と見られてたいへん美しい姿である。この観音像は明治初期の廃仏希釈までは出雲神社に安置されていたことから、出雲神社神宮寺の仏像とみられ、雨乞いの神事にも使われていたといわれる。現在は国の重要文化財に指定されている。(一部駒札から抜粋。)

1.山門全体を見る!
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2.標柱と寿老人像
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3.駒札
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4.山門をアップで見る!
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5.国重文の十一面観音立像の安置されている収蔵庫の案内
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6.国重文の十一面観音像の収蔵庫
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7.本堂
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8.本堂内を覗いてみました!
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9.同上 アップで見る!
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10.国重文のの平安時代の十一面観音立像(拝観には予約と志納料が要ります!)
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2017/11/15

京丹波を見る!11.丹波七福神の第5番札所で恵比須尊を祀る耕雲寺!  文化財研修記

京都府亀岡市千歳町には丹波七福神5番札所で恵比須尊を祀る臨済宗妙心寺派の末寺の耕雲寺がある。本尊は聖観世音菩薩で、開創は慶長年間(1620)頃でありますが、火災による消失で開山並びに開基は不詳です。精鍛錬公禅師が当山の再興に尽鰲雲力されて、元禄8年(1695)京都の妙心寺塔頭の麟詳院の鰲雲元什和尚を迎えて復興されました。鰲雲和尚は妙心寺住姓世233世で大本山妙心寺の再住職に叙された方で、その復興にあたり越智駿河守正喬公の父、正則公の菩提追善のために供養を受けられた。正喬公は春日局の孫で、当山に正喬公の中老子の三幅画軸が伝わっている精鍛錬公禅師は弟子の宣練首座とともに、享保14年(1729)堂宇と共に焼死され、その後、元文2年(1737)頑渓全愚和尚が堂宇を建立した。神山志祐和尚が天明5年(1785)に観音堂を建立し、川東観音霊場の第4番札所であります。又、当山には石仏があり鎌倉時代中期の作といわれ、叡山系の石仏の流れをくむ弥陀9体仏と不動尊が大日堂に安置されています。(当山駒札より)

1.見事な景観の耕雲寺を見上げる!
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2.駒札
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3.石段参道
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4、本堂
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5.本堂と恵比須神を祀る!
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6.大日堂と恵比須神を祀る!
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7.恵比須神石像
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8.堂内を覗いて見ました!
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2017/11/13

京丹波を見る!10.丹波七福神4番札所で弁財天を祀る金光寺!  文化財研修記

京都府亀岡市千歳町には浄土宗総本山知恩院の末寺で丹波七福神の一つ弁財天を祀る金光寺がある。承応3年(1654)頃、文覚上人の創建と伝えている。本尊は木造り阿弥陀如来坐像で両脇に観音菩薩、勢至菩薩、脇壇には善導大師を祀っている。本堂は昭和55年(1980)壇信徒の浄財より再建。鐘楼堂の釣鐘も戦時中に供出したままのものを祈願鐘として、同年有縁の人々の浄志により再鋳したものである、薬師堂は、この寺の近接地にあった東林寺の建物で、江戸時代に火難を免れ当山に移築されたものと伝えられている。堂内の薬師如来像は木造りで40センチ程の坐像で、厨子に安置されている。脇士は日光,月光両菩薩十二神将を祀る。又、別に阿弥陀如来坐像も安置している。他に天満宮の社と行者堂がある。行者堂には大峰山の岩石・役行者、不動」明王、地蔵菩薩等の石仏、住吉神社、弁財天の社を祀っている。(お寺の駒札を一部抜粋)

1.見事な山門
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2.駒札
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3.山門をアップで見る!
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4.見事な境内
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5.鐘楼
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6.本堂
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7.石仏群と弁財天社など
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8.阿弥陀堂
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9.見事な亀岡盆地の眺め!
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2017/11/11

京丹波を見る!9.丹波七福神の一つで3番札所の大黒天を祀る蔵宝寺!  文化財研修記

京都府亀岡市千歳町には丹波七福神3番札所で大黒天を祀る臨済宗妙心寺派の蔵寶寺(ぞうほうじ)がある。往古は真言宗の寺であったともとも言われていますが、元和2年(1616)京都花園妙心寺派本山の妙心寺の塔頭寺院であった長興院より,南渓和尚が移住され、開山として再建され、禅宗の臨済宗妙心寺派本山妙心寺の末寺となりました。現在の本堂は昭和9年に改築されたものです。境内の東北の一角にある薬師堂は、寛延元年(1748)の創建で、堂内には薬師如来・地蔵菩薩・大黒天の木像が安置され、安産・火除けの霊像として古くから信仰を集めています、大黒天は丹波七福神札所三番の霊場として多くの人達が訪れています。お寺の駒札より一部抜粋。

1.蔵宝寺の標柱
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2.駒札
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3.見事な参道と正面に薬師堂が見える!
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4.本堂
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5.大黒天様
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6.薬師堂案内碑
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7.薬師堂をアップで見る!
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8.堂内を覗いて見た!
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9.境内から見る見事な亀岡市の田園風景!
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2017/11/8

京丹波を見る!8.明智光秀公が丹波攻略のため築いた亀山城跡!  文化財研修記

京都府亀岡市荒塚には明智光秀は、天正5年(1577)頃、丹波攻略の拠点とするために丹波亀山城を築城しました。保津川と沼地を北に望む小高い丘(荒塚山)に築かれましたが、正確な史料が残っていないため全容は分かっていません。光秀は近隣の村から人を呼び寄せ、城下町を形成しました。天正8年(1580)に丹波国を拝領した光秀は、本格的な城下町の整備と領国経営に着手しますが、そのわずか2年後に「本能寺の変」が起こります。亀山城はその後、羽柴秀俊(小早川秀秋)によって修築され、慶長15年(1610)岡部長盛の代に天下普請により近世城郭としての亀山城が完成します。この築城にあたっては城づくりの名手・藤堂高虎が縄張りを務め、五重の層塔型天守が造営されました。又、亀山城の天守は、創建当初では明智光秀によって3重の天守が構えられ、後の小早川秀秋の時、文禄2年(1593))に5重に改築されたという。以降この天守については不明であるが、建築史の観点では、破風の一切ない層塔型天守は慶長14・15年(1609・1610)以降に見られるもので、それ以前の小早川時代に改変されたという天守はそれ以降に再び改変されたか解体され、明治期に撮影された姿のものが新しく建造されたのではないかといわれている。
現在本丸・二の丸・西の丸の地は大本教亀岡本部の天恩卿(てんんおんきょう)となっているので見学には許可が必要です。

1.JR亀岡駅から南へ徒歩10分で城跡全体が見える公園に至る!シャチの模型が面白い!
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2.この南郷池を回って「惣構の嶺樹院」が此処にあった!
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3.懐かしくも、昔良く仕事で行った大本亀岡本部入口です!
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4.石垣
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5.内堀(万祥池)
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6.雨が又降り始めたので此処で退散!移築された城門の一部(千代川小学校)を借りてきました!
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7.下記をクリックして、「動画」で亀岡祭りを見て下さい!
https://youtu.be/jMlH-8sWAqg


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2017/11/5

京丹波を見る!7.丹波のほてい寺とも呼ばれる丹波7福神2番札所の養仙寺!  文化財研修記

京都府亀岡市千歳町には臨済宗で丹波の「ほてい寺」と呼ばれる丹波七福神第2番札所の養仙寺(ようせんじ)がある。養仙寺の創建は天平13年(741)とも寛正年間(1460〜66)とも云われる古寺ですが、往時は寺運も隆盛したとされますが度重なる兵火により衰微し、戦国時代には明智光秀の侵攻により衰退しました。境内に残された石仏、石碑、石塔等は光秀が築城した亀山城の石垣や石造物として利用され寺観も荒廃しました。寛永16年(1639)、大光普照禅師により再興され臨済宗に改宗、寺宝である木造地蔵菩薩立像は足利尊氏の念持仏と伝わる古仏像で平安時代末期から鎌倉時代初期に制作され、当初は愛宕神社の本地仏として祀らていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令後に当寺に移されたとされます。又、丹波七福神二番札所としても知られ、境内には500体以上の布袋様を安置している事から「ほてい寺」の愛称があります。

1.養仙寺標柱と山門
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2.見事な山門と石段参道
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3.駒札
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4.見事な境内と布袋尊像
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5.布袋尊像
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6.見事な境内庭園
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7.下記をクリックして、「動画」で養仙寺を見て下さい!又,変わった感銘をうけますよ!
https://youtu.be/RyU4_s5C2ao


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2017/11/2

京丹波を見る!6.京都の元愛宕神社と云われる見事な愛宕神社!  文化財研修記

愛宕神社(あたごじんじゃ)は、京都府亀岡市千歳町国分にある神社で、旧称は「阿多古神社」。式内社で、社伝では愛宕山の愛宕神社(京都府京都市)は当社からの勧請とし、そのため「元愛宕」や「愛宕の本宮」とも称される。愛宕山の愛宕神社同様に「愛宕の三つ参り」として、3歳までに参詣すると一生火災に遭わないとして信仰される。本殿には火産霊神 (軻遇突智神)、伊邪那美神、大国主神が祀られています。社伝によると創祀は神代で、山を神籬として祀られたという。その後、継体天皇元年(507)に社殿が創建されたと伝える。14年(872)に従五位上、元慶3年(879)に従四位下に昇叙されたと見える。また、『延喜式』神名帳には丹波国桑田郡に「阿多古神社」として式内社の記載がある。これらは、いずれも当社に比定される。当社付近には丹波国分寺が位置するが、その衰退で僧侶が当社に奉仕したこともあり、神仏習合によって仏像が立てられ「愛宕権現」と称されたという。現在、その仏像は当社西にある養仙寺に移されている。また社伝では、当社の分霊が京都鷹ヶ峰に祀られた後、和気清麻呂により嵯峨山に遷され、これが現在の愛宕山の愛宕神社になるとしている。そのため「元愛宕」「愛宕の本宮」とも称されるほか、社殿には当社が全国の愛宕神社の総本山であると記載してあり、鳥居脇の社号標にも「本宮 愛宕神社」と記している。

1.愛宕神社標柱と正面の鳥居
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2.駒札
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3.見事な舞殿
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4.別な参道にある鳥居
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5.駒札
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6.登り参道
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7.ご神木と駒札
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8.見事な舞殿(此処で合流です!)
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9.見事な拝殿
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10.拝殿後部の見事な本殿(鎌倉時代の1280年頃の創建で国の重文です!)
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11.本殿を見る!
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2017/10/31

京丹波を見る!5.丹波七福神の一つ毘沙門天を祀る神応寺!  文化財研修記

京都府亀岡市千歳町山麓には丹波七福神の一つ毘沙門天を祀る曹洞宗瑞雲寺・神応寺(じんのうじ)がある。神応寺の開創については、江戸時代末期の火災による資料類焼失により不詳であるが、神応寺の伝承によると、京都府八幡市にある神応寺の別院として建立されたのではないかと言われている。本堂裏手には300体以上の石仏が安置された庭園があり、8月23日には万灯会が行われ1万本のロウソクが灯る様は誠に見事です。

1.神応寺の山麓の「和らぎの道」案内図
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2.此処から徒歩で神応寺に向かいます。途中の銅像も楽しめますね!
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3.神応寺の標柱と山門
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4.本堂
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5.本堂横にある毘沙門堂
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6.毘沙門天像は残念ながら撮影不可能でした!
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7.仏様をお祀りしているお堂
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8.300体以上の石仏をお祀りしている本堂裏手の庭園
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9.同上
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10.8月23日の夜の1万本のローソクは見事ですね!
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2017/10/29

京丹波を見る!4.足利高氏公倒幕挙兵地の篠村八幡宮!  文化財研修記

京都府亀岡市篠町八幡には足利高氏公の倒幕挙兵地である篠村八幡宮(しのむらはちまんぐう)がある。ご主祭神は勿論、誉田別命 (ほんだわけのみこと、応神天皇)、合祀神は仲哀天皇、神功皇后様である。社伝や本殿の棟札によれば、延久3年(1071)に勅宣によって源頼義が誉田八幡宮(大阪府羽曳野市)から勧請し創建したとされる。延久4年(1072)5月113日付の頼義の社領寄進状も現存する。篠村の荘園は藤原氏によって開かれたものであったが、いつの頃からか源氏が相伝することになり、その荘園に勧請されたものとされる。当地は足利高氏(尊氏)が鎌倉幕府打倒の挙兵をした地として知られ、亀岡市指定史跡にも指定されている。高氏は元弘3年(1333)4月29日に篠村八幡宮に戦勝祈願の願文を奉じ10日間滞在したのち、六波羅探題を滅ぼして建武中興の礎を築いた。また後醍醐天皇と決別したのち、建武3年(1336)1月30日に京都攻防戦で敗れたため、2月1日まで篠村八幡宮で敗残の味方の兵を集めるとともに社領を寄進して再起祈願を行なっている。そして尊氏は九州へ逃れ、体勢を立て直すと京都に戻り室町幕府を開くこととなる。以上の篠村八幡宮への祈願の様子は、『梅松論』『太平記』『難太平記』に記されている。現在も高氏(尊氏)旗揚げの願文(京都府指定文化財)や御判御教書(寄進状)が伝わるほか、境内には矢塚や旗立楊が残されている。尊氏にとっては2度の岐路で篠村八幡宮により大願が成就したことから、貞和5年(1349)8月10日に尊氏自身が当社にお礼参りをしたほか、歴代足利将軍からも多くの社領を寄進され、盛時にはその社域は篠の東西両村に渡ったという。この頃、別当職は醍醐寺三宝院門跡が務めていた。しかし、のちの応仁の乱や明智光秀の丹波侵攻によって社伝・社域の多くを失ったという。
江戸時代に入り、寛永年間(1624-1643)、亀山城主・菅沼定芳によって本殿が改修され、以後亀山城主の直轄神社として庇護された。本殿は一間社流造。境内には、高氏挙兵にまつわる「矢塚」が残る。『太平記』によれば高氏は篠村八幡宮に願文とともに一本の鏑矢を供えたといい、多くの武将もそれに続けて供え、矢がうず高く積み上げられたという。矢塚は、これらの矢を埋納した場所とされ、塚上には椎の木が植えられている(現在は2代目)。
境内北方には、「旗立楊(はたたてやなぎ)」として、挙兵した高氏が味方武将に所在を知らせるため、4月27日から5月7日までの間「二引両」の家紋入りの旗を掲げたという楊(やなぎ。柳とは樹種が異なる)が立っている。この楊は『梅松論』にも記載がある。現在の木は昭和初期に挿し木したもので、高氏の時代より6・7代を経て引き継がれてきたものになる。

1.篠村八幡宮標柱と鳥居
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2.見事な参道
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3.手水舎
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4.境内社の一つ
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5.駒札
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6.境内にある相撲の土俵!
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7.境内図
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8.見事な拝殿
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9.見事な本殿
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10.境内社の一つ
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11.矢塚への道
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12.矢塚
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13.摂社の乾疫神社の駒札
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14.摂社・乾疫神社
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15.「旗立楊(はたたてやなぎ)」駒札
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16.旗立楊
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17.足利尊氏公生誕の地、綾部安国寺は下記をクリックして見て下さい!
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1519.html


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2017/10/27

京丹波を見る!3.国史跡の丹波国分寺跡!  文化財研修記

京都府亀岡市千歳町国分には国史跡・丹波国分寺跡がある。丹波国分寺(たんばこくぶんじ)は、国分にある浄土宗の専念寺により管理されている。山号は護国山。本尊は薬師如来です。
奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、丹波国国分僧寺の後継寺院にあたる。本項では現寺院とともに、古代寺院跡である丹波国分寺跡(国の史跡)を説明する。創建は不詳。出土瓦から実際の創建は奈良時代末期と見られている。国分寺の付近は古代丹波国の中心地で、現在も丹波国一宮の出雲大神宮や千歳車塚古墳などが残る。『延喜式』主税上では、丹波国の国分寺料として稲4万束があてられた旨が記載されている。発掘調査からは平安時代末期頃の再建が認められるほか、平安時代後期の薬師如来坐像が本尊として伝わっているが、文献上ではその後の経緯は明らかでない。寺伝では、戦国時代に明智光秀の兵火により焼失したため、安永3年(1774護勇比丘によって現本堂が再建されたという。ただし、国分寺には元禄14年(1701)銘の鰐口が伝わることから、それ以前には復興されていたと考えられている。現在の本堂・鐘楼・山門は、安永3年(1774)の建立。いずれも亀岡市指定文化財に指定されている。
また境内には次の名木がある。
オハツキイチョウ(雌)
胸高幹周4.3メートル、樹高22メートル(1996年1月の調査時点)。乳イチョウとして知られる。亀岡市指定天然記念物、京都の自然200選、亀岡の自然100選選定。
カゴノキ(雄)
胸高幹周3.3メートル、樹高13メートル(1996年1月の調査時点)。亀岡市指定天然記念物。
ムクノキ
胸高幹周6.36メートル、樹高25メートル(1996年1月の調査時点)。亀岡市指定天然記念物。
イヌマキ
胸高幹周2.2メートル、樹高8メートル(1996年1月の調査時点)。亀岡市指定天然記念物。
本堂・鐘楼・梵鐘は亀岡市指定文化財です!

1.田圃の荒地の中にある駒札
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2.遠方の森が丹波国分寺跡だ!
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3.此処にも駒札がある!(亀岡市指定天然記念物イヌマキ!)
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4.山門です!
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5.山門をアップで見る!
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6.同上
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7.駒札
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8.手水舎
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9.鐘楼
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10.本堂
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11.駒札
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12.見事な亀岡市指定天然物の木・正に乳イチョウです!(風雨が強くなり此処で撮影は中止です!)
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