2018/1/20

京丹波を見る!32.形原松平家の奥方の菩提寺の円通寺!  文化財研修記

京都府亀岡市紺屋町には曹洞宗で亀山城主の奥方の菩提寺の葉屋山・円通寺(えんつうじ)がある。江戸時代の寛延元年(1748)から幕末まで、丹波亀山藩(現京都府亀岡市)は、八代に渡って形原松平家(かたはらまつだいらけ)が継承しましたが、今回はこの形原松平家ゆかりの寺院です。形原松平家(かたはらまつだいらけ)は、室町時代の三河の豪族、松平信光(後に徳川家康を登場させる松平宗家の第3代とされます)の4男・松平与副を祖とする松平氏の庶流で、当初、三河国宝飯郡形原(愛知県蒲郡市形原)を領したことから形原松平家と呼ばれます。4代家広、5代家忠の時代に、宗家の徳川家康に仕えて功をあげ、その子の6代家信は、元和4年(1618)に、形原藩1万石の大名となり、その後、摂津国高槻藩2万石、下総国佐倉藩4万石へと移封しました。その後、佐倉藩を継承した7代の康信が、摂津国高槻藩を経て、慶安2年(1649)に、丹波篠山藩5万石の藩主となりました。その後、典信、信利、信庸(信利弟)を経て、信岑(丹波篠山藩形原松平家五代)が、享保の大飢饉で苦しむ領民に重税を課すという失政を行って、寛延元年(1748)に丹波亀山藩5万1千石に移封されます。以降、幕末まで丹波亀山は形原松平家が八代に渡って領有しました。形原松平家藩主の菩提寺としては、亀山城跡の東にある光忠寺(京都府亀岡市古世町北古世町)が有名で、6代家信以降の歴代藩主の墓がありますが、今回採り上げた円通寺は、亀山城跡の西に位置し、藩主の奥方の菩提寺になります。大永2年(1523)、勅諡法輝円明(ちょくしほうきえん)禅師、白洲巌龍(しらすがんりゅう)大和尚を開山として招請し、形原松平家の奥方の菩提寺として創建されました。(開基については、藩主の正室側室等々諸説あるようです。)創建当時は、まだ形原松平家は三河国(愛知県西部)の小豪族に過ぎませんでしたが、その後、徳川家康に使えて松平家が大名になると、藩主の菩提寺である光忠寺と共に、松平氏の国替えに伴って、三河国形原、摂津国高槻、下総国佐倉、摂津国高槻、丹波篠山、丹波亀山へと再三移転を繰り返しました。寛延元年(1748)の丹波篠山からこの丹波亀山(亀岡市)への移転の際は、当初は本町の寿仙院(円通寺の東)のある場所に移されましたが、寛政元年(1789)に、穴太道の要衝である亀山城の西の現在地に移りました。

1.見事な山門
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2.駒札
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3.山門から本堂を見る!
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4.見事な本堂
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5.もう一度見事な土塀から本堂を見る!
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2018/1/17

京丹波を見る!31.法華宗の名刹・本門寺!  綾部の文化財

京都府亀岡市本町62には法華宗の名刹・誇林山・本門寺(ほんもんじ)がある。本門寺は、1308年日蓮聖人の弟子・日弁が藤原定家の末孫・日寿を折伏し、藤原定家の旧邸を寺として開創したと伝えられている。応仁の乱後の1493年、本門寺は現在の亀岡市稗田野町に移転したといわれている。1600年丹波亀山藩主となった前田玄以が現在地に移している。その時、本門寺は分家して一つは京都へ戻り、現在の宥清寺となっている。本門寺に祀られている鷲大明神は日蓮聖人由縁の明神で、東京鷲神社から勧請されている。

1.本門寺の見事な山門
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2.駒札
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3.山門から境内を見る!
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4.見事な本堂と開祖・日蓮上人像
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5.境内の紅葉
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2018/1/14

京丹波を見る!30.小早川秀秋公が城主の時、息子の一存の為に米2石を寄進した五箇寺の一つ壽仙院!  文化財研修記

京都府亀岡市本町64には浄土宗霊松山・壽仙院(じゅせんいん)があります。元亀3年(1572)、霊松山浄土寺として創建されたと伝えますが詳細は不明です。明智光秀が厚く帰依した大誉春光和尚(だいよしゅんこうおしょう)を中興開山として亀山城の本丸の地にあり、天正20年(1592)小早川秀秋が息子の一存の菩提を弔うために米二石を寄進した五箇寺の一つとして寺名が壽仙院と改称されました。さらに亀山城主前田徳善院玄以(まえだとくぜんいんげんい)の時、現在地に移されました。境内の裏には元福知山城主の小野木公知(おのぎきんとも)(重勝)の墓があります。公知は豊臣秀吉の大母衣衆(おおほろしゅう)として活躍し、関ヶ原の合戦では西軍に属して丹後の田辺城を占領しましたが、石田三成方の敗戦により細川忠興に城を包囲され、助命と所領安堵を条件に降伏しました。しかし条件が果たされないまま慶長5年(1600)、当寺で自害をして果てました。

1.壽仙院の駒札
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2.本堂
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3.境内
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2018/1/11

京丹波を見る!29.小早川秀秋公が亀山城主の頃創建した法華寺!  文化財研修記

京都府亀岡市本町67には日蓮宗の法華寺(ほっけじ)があります。丹波亀山城主・小早川秀秋の保護を受けて現在地に移されました。城下の寺院本堂の中で最も古く、本堂に祀られている高祖日蓮上人像は、身延山日号上人の作と伝えられます。また、山門脇には本町妙見堂(元妙見)が鎮座しています。

1.法華寺の山門と見事な標柱
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2.山門から本堂を見ます!
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3.見事な本堂です!
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4.境内とお堂
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5.山門脇の本町妙見堂
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2018/1/8

京丹波を見る!28.浄土真宗本願寺派(西本願寺)の名刹・誓顕寺!  文化財研修記

京都府亀岡市塩屋町には豪族有馬則秀が開祖の浄土真宗本願寺派の名刹・誓顕寺(せいけんじ)がある。創建400年を得ている見事な寺です。 境内には亀山藩を代表する文人として知られる、軽森野楊(かるもりやよう)のお墓があります。 軽森野楊は亀山藩士で、松尾芭蕉の十哲の一人である榎本其角の俳風を亀山に伝えるのに活躍した人物。 参勤交代の道中や江戸において俳諧の人々と交流し、 なんと当時の俳壇において”日本の三俳人”の一人にあげられています。

1.誓顕寺の山門と標柱
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2.標柱をアップで見る!
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3.駒札
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4.見事な本堂を見る!
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2018/1/5

京丹波を見る!27.織田信長公の叔父が開基の浄土宗の專念寺!  文化財研修記

京都府亀岡市塩屋町には、天正2年(1574)、玉蓮を開基として創建され、寺号も玉蓮寺と呼ばれました。その後、織田信長の外護を受けて、黒谷金戒光明寺(くろだにこんかいこうみょうじ)の二十一世を勤めていた信長の叔父でもあった源蓮社性譽上人(げんれんしゃしょうよしょうにん)あ、天正4年(1576)10月に金戒光明寺の仏を遷座して本尊として里人の教化に努められたことから、性譽上人を開山としています。天正20年(1592)には、亀山城主小早川秀秋から2石の寄進を受けた亀山五箇寺の一つに列しました。寛文10年(1670)には、亀山藩主大給松平忠昭の菩提寺となり寺領20石の寄進を受けて以後、歴代藩主の庇護を受けました。さらに、城下に起こった大火の類焼により堂宇が焼失しましたが、貞享4年(1687)に、藩主久世出雲守重之(くぜいずものかみしげゆき)から木材の寄進を受けて七間四面の堂宇が再建されました。又、本堂には徳川二代秀忠、三代家光、四代家綱の三代にわたる将軍の位牌を安置し祀っていることから、その供養料として歴代亀山藩主から、領内の下矢田村の御高より20石の寄進を受けました。このように、当寺は、歴代城主や藩主の庇護を受けた由緒ある寺院の一つです。

1.塩屋町通りの駒札
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2.專念寺の標柱
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3.專念寺の駒札
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4.見事な山門
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5.見事な境内と庭園
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6.境内庭園2.
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7.見事な本堂
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2018/1/2

京丹波を見る!26.真宗大谷派の名刹の正誓寺!  文化財研修記

京都府亀岡市矢田町22番地で城址のお土居の中には真宗大谷派の名刹の平等山・正誓寺(しょうせいじ)がある。天正6年(1578)に行信坊教善を開基として、中矢田久保の地に建立されました。その後、亀山城下の整備に際して、大手門から南へ2町のところ、御土居の内側にあたる現在地に移転した。現在の本堂は大棟に上げられた鬼瓦銘により宗祖親鸞聖人の500回忌にあたる宝暦11年(1761)に建造されたものと考えられます。しかし、内陣仏壇の格子に描かれた牡丹や唐獅子の絵や欄間の大振りな彫刻、かって装置されていた火頭窓等の意匠から、桃山時代の余韻を残した元和9年(1622)頃に建てられた前身本堂の部材を再利用して建立されたものと考えられます。(お寺の駒札より抜粋掲載)

1.正誓寺山門
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2.山門から本堂と境内を見る!
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3.駒札
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4.見事な境内と十三重の石塔
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5.見事な本堂
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6.すぐ横に「亀岡祭りの難波山の鉾蔵」があります。
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7.鉾蔵の説明
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8.矢田町の説明
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2017/12/31

京丹波を見る!25.菅原道真公を祀る京町天満宮!  文化財研修記

京都府亀岡市京町には菅原道真公を祀る京町天満宮がある。創祀は不詳ですが、縁起によれば、菅公大宰府左遷の時にお供をした春彦なる者、公の死後に形見の木像を御神体にして祀り奉つたのが始まりといふ。戦乱を避けて東本梅の大内村に仮の神殿を建てて安置、春彦の死後は大内村の楽音寺に祀られてゐたが、その後現在地の宝蔵寺境内に遷座した。維新後、宝蔵寺は廃され、天満宮のみが残つたという。旧城下町の京町に鎮座します。この辺りの道路には景観に配慮して石畳やアスファルトではない材質の舗装がしてあり、古い家並みも散見され、なかなか風情があります。本殿は道路の反対側を向いてゐます。また、本殿の道路側に時計が掛けてあるのがモダンな感じでした。境内は児童公園として整備されてをり、境内裏は盛土の塚になつてゐます。境内裏にお墓が残つてゐるのは宝蔵寺の名残りでしょうね。

1.京町天満宮
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2.駒札
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3.同上駒札
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2017/12/28

京丹波を見る!24、紅葉の延喜式内社の桑田神社!  文化財研修記

京都府亀岡市笹町山本には延喜式神名帳』に「丹波国桑田郡 桑田神社」と記載される式内社の桑田神社(くわだじんじゃ)がある。主祭神は市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)、配祀神は大山咋命 (おおやまくいのみこと)と大山祇命 (おおやまつみのみこと)です。祭神の大山咋命・市杵島姫命は、鍬山神社(亀岡市上矢田町)祭神とともに、湖であった亀岡盆地を開拓のため保津峡を開削したといわれる。当地は盆地入り口にあたるため政治的にも重要な地で、秦氏の勢力がいち早く進出したとされる。社伝では、この地は「田庭」と呼ばれており「丹波」はこの田庭より名付けられたとされる。その後、田庭には早稲を作ったり桑を植えて養蚕を営んだことに因み、田庭を今でも小字で「桑の木」と呼んでいると伝える。天明年間(1781−1789)社殿が焼失。当地の地名が「桑田」であることは『大日本史神祇志』にも記されているが、明治6年まで川向うの神社と同じく「請田神社(浮田神社)」を名乗っていた。明治6年6月、近代社格制度において村社に列し、明治10年6月に式内社桑田神社を公称した。

1.紅葉の延喜式内社の桑田神社
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2.駒札
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3.紅葉と大鳥居
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4.紅葉の石段参道
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5.紅葉の境内
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6.亀岡盆地を見る!
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7.紅葉と見事な舞殿
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8.紅葉と本殿を横から見る!
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9.見事な紅葉と本殿
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10.摂社の一つ「九頭龍大神」
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11.紅葉の境内
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12.本殿をアップで見る!
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13.摂社・天満宮
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2017/12/23

京丹波を見る!23.延喜式内社の見事な村山神社!  文化財研修記

京都府亀岡市笹町森には主祭神(本殿)には大山祇命 (おおやまづみのみこと)と木花咲耶比売命 (このはなさくやひめのみこと)を祀り、配祀神(八幡宮)には応神天皇と仁徳天皇を祀る式内社の村山神社(むらやまじんじゃ)がある。本殿・八幡宮とも創建は不詳。『延喜式神名帳』には「丹波国桑田郡 村山神社」と記載されて式内社に列していることから、それ以前の存在は確認できる。境内背後の台地上には須恵器等の窯跡が見つかっており、裏山からもその破片が確認されている。社伝では、古くは広大な社地を有していたが兵乱で焼失し、応永27年(1420)に国恩寺の雑掌として当地を治めた渡辺六郎頼方が社殿を再興、その頃八幡宮を勧請して並列したという。本殿(右)と八幡宮(左)が最上段の板垣内に同一の規模で鎮座する。本殿・八幡宮それぞれに参道が設けられている。摂末社は百太夫社、厳島社、広田社、天皇社 ( 祭神:仲哀天皇)、五社大明神 は 稲荷社・天満宮社・大国主命社・野々社・愛宕社です。

1.村山神社の鳥居と標柱
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2.大鳥居をアップで見る!
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3.阿形の狛犬
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4.吽形の狛犬
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5.見事な舞殿を見上げる!
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6.見事な手水舎
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7.見事な舞殿をアップで見る!
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8.見事な八幡宮を見上げる!
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9.八幡宮をアップで見る!
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10.村山神社本殿
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11.村山神社本殿(七五三の特別参拝です!)
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