2017/2/26

徳島・讃岐を見る!35 菅原道真公、小彦名命など6神を祀る古社・松井神社!  文化財研修記

高松市牟礼町牟礼1813には菅原道真公,少彦名命(すくなひこなのみこと)、戸山津見神(とやまつみのかみ)、天水分神 (あめのみくまりのかみ)、國水分神(くにのみくまりのかみ)、野槌神(のずちのかみ)など6神を祀る松井神社(まついじんじゃ)がある。
[香川県神社誌(由緒) 三代実録に「元慶元年夏四月七日戊寅授讃岐国正六位上松井神従五位下」とあるは當社なりといふ。然れども世俗松井大神、或は牟禮天神と称し、菅原道真を祀るといひ玉藻集には讃岐国七天神の一なりとも云へり。]

1.松井神社一之鳥居と参道
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2.駒札
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3.一之鳥居
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4.二之鳥居
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5.拝殿
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6.拝殿内陣(これらは鳥居を含めて昭和年代に再建されたものです。)
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7.拝殿から牟礼の街を見下ろす!
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2017/2/24

徳島・讃岐を見る!34.源平合戦の時、安徳天皇の行在地となった真言宗の古刹・六萬寺!  文化財研修記

高松市牟礼町1450(琴電六万寺駅から徒歩10分)で真言宗の古刹・六萬寺(ろくまんじ)に至る。天平2年(730)聖武天皇が讃岐の国主高晴公に禄を増し、新たに領地六万戸を御下賜になりました。高晴公は大変喜び、国家の豊穣を祈り大恩に報いるため牟礼の郷に寺院を建立しました。これをお聴きになられた帝より『国豊寺』という寺号の勅額と新羅王から献上の阿弥陀仏を本尊にせよと賜ったのが寺の始まりであると伝えられています。その後40年ほど経って宝亀年中(770〜780頃)に国内に流行した疫病を鎮めるため当寺にて一大祈祷会を修したところただちに治まりました。これを喜んだ高晴公は六万戸の領民に一戸一躯の銅の仏像を奉納せしめたため六萬寺と呼ばれるようになりました。その霊験あって以来、多くの信心を集め七堂伽藍を備え、今の琴電八栗駅から大町駅にもおよぶ壮麗な寺院となりました。源平合戦時代の六萬寺は寿永2年(1183)9月、源平合戦のさなか安徳天皇が屋島に御遷幸なされる時、御殿の築造が間に合わず、三種の神器と共に翌年まで御行在所として六萬寺にお留まりになられました。その後一旦、京へお帰りになる予定で摂津までお上りになられましたが一の谷の戦いで敗れ、再び当地に御遷幸なされたと伝えられています。その時お供をした公卿らの詠んだ歌が残されています。
 嬉しくも 遠山寺に 尋ね来て 後のうき世を 洩らしつる哉        三位中将 平 重衡
いざさらば 此山寺に すみ染の 衣の色を 深くそめなむ         経誦坊  祐円
 世の中は 昔語りに なれぬれど 紅葉の色は みしよなりけり       但馬守  平 経政

1.案内札
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2.六萬寺標柱
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3.駒札
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4.境内と庫裏
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5.本堂
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6.薬師堂
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7.薬師堂内の須弥壇
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8.境内の「役行者像」など
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2017/2/22

徳島・讃岐を見る!33.讃岐国三宮の多和神社とその秋祭例大祭!  文化財研修記

香川県さぬき市志度越窓1121には延喜式内社で讃岐国の三宮で主神・速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)、合祀神は倭武命、大雀命、帶仲彦命、天照大日ルメ命、息長帶姫命、大鞆和氣命を祀る多和神社(たわじんじゃ)がある。創建時期は不明である。志度寺に隣接しており寛平元年(889)、八幡神を祀り「多和八幡宮」と改称していたという。文明11年(1479)に志度寺とともに焼失する。寛文11年(1671)、高松藩藩主松平頼重の手で志度寺が復興されると、多和神社も復興される。この時、現在地に移転する。幕末期の宮司・松岡調は国学者としても知られ、後に金刀比羅宮の宮司も務めた。彼が研究のために集めた典籍や事物が社内の「多和文庫(香木舎)」として保管されている。

1.多和神社標柱
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2.一の鳥居
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3.駒札
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4.二の鳥居
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5.駒札(残念ながらこれらは非公開でした!)
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6.神門と吽形の狛犬
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7.阿形の狛犬
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8.三の鳥居
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9.更なる石段参道
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10.登りの石段参道の両側には多くの境内社があります。
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11.拝殿
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12.中門
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13.左側から拝殿後部と本殿を見ます!
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14.駒札
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15.10月第2土曜日・日曜日の秋の例大祭の「動画」は下記をクリックして見て下さい!
https://youtu.be/GiiaLFgNh98


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2017/2/20

徳島・讃岐をを見る!32.平賀源内のお墓のある自性院常楽寺  文化財研修記

香川県さぬき市志度には志度寺の塔頭で平賀源内のお墓のある自性院(じしょういん)山号は微雲窟、寺号は常楽寺。本尊は不動明王。志度寺石門より入って右側の寺院。志度寺の元・御影堂(今で言うところの大師堂)跡地で、天正年間に摂津兵庫の豪族である多田和泉守によって復建され同時に塔頭として独立開基されたと伝わる。塔頭時代の名残から院号である自性院を通名とし、各種電話帳および地図においても、これが踏襲されている。新四国曼荼羅霊場第十番札所。讃岐(白石)平賀家の菩提寺であり、それを理由として平賀源内の墓がある。ただし源内が実際に葬られている墓は東京都板橋区にある総泉寺の橋場墓地(台東区)であるとされ、この墓は平賀家および地元の人間が源内を悼み弔うための参り墓とされている。(ただし分骨等による分祀墓であるなど諸説有)2010年1月9日早朝、失火により本堂と客殿が全焼失した。これらは後に再建されている。

1.平賀源内誕生の街(香川県さぬき市志度)
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2.平賀源内記念館
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3.自性院常楽寺の山門
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4.山門から境内を見る!
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5.駒札
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6.本堂
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7.平賀源内のお墓
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2017/2/18

徳島・讃岐を見る!31.88ヶ所霊場第86番志度寺の奥ノ院・地蔵寺!  文化財研修記

地蔵寺(じぞうじ)は香川県さぬき市志度に所在する真言宗善通寺派の寺院で山号は如意山。詳しくは如意山 文殊院 地蔵寺と号する。本尊は文殊菩薩。四国八十八箇所八十六番札所奥の院。
志度寺を創建した凡園子(おおしそのこ)尼により飛鳥時代に創建されたとされる。また、寺院には下記の伝承も残っている。景行天皇の時代、日本武尊の子(または弟)讃留霊皇子(さるれおうじ)が天皇より土佐の海で船を襲い人を食して暴れる大魚の退治を命じられた。これを知った大魚は瀬戸内海に逃げ込み志度浦に隠れた。これを見つけた霊子の軍は攻撃を行ったが一同は大魚に飲み込まれた。霊子は一計を案じ、もろともに飲み込まれた軍船に火を着け大魚を退治した。後に、里人は大魚の祟りを恐れ、魚霊堂(うおみどう)と呼ばれる小堂を建立し地蔵菩薩を祀ったという。地蔵寺の名はこれに由来する。戦火など幾たびも火災に遭い寺院は荒廃した。江戸時代中期の享保14年(1729)密英が本堂を再建し、寺院が現在の形に整えられた。密英は「日本廻国六十六体尊」も設けた。中世に日本全国六十六カ国の神社仏閣を巡る日本一長い道のりの巡礼があった。これに因み密英が設置したものである。

1.地蔵寺の山門
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2.境内全体を見る!
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3.駒札
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4.地蔵堂
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5.鐘楼
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6.本堂
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2017/2/16

徳島・讃岐を見る!30.国重文の本堂・仁王門を持つ見事な志度寺!  文化財研修記

香川県さぬき市志度1102には真言宗善通寺派の古刹で四国88ヶ所第86番札所で国重文の本堂・仁王門を持つ市度寺(しどじ)がある。詳名は補陀洛山清浄光院志度寺。本尊は十一面観音です。謡曲『海人』で知られる「海女の玉取り伝説」が伝えられており、境内には「海女の墓」が五輪塔群として現存する。また、浄瑠璃の『花上野誉の石碑』(志渡寺の段/しどうじのだん)などの舞台にもなっている。ご詠歌は「いざさらば 今宵はここに しどの寺 祈りの声を 耳に触れつつ」です。本寺の縁起によると、志度浦にたどり着いた霊木を凡薗子尼(おおしそのこに、智法尼とも)が草庵へ持ち帰り安置し、その霊木から本尊(十一面観音)を造立し、堂宇が建立されたという。創建は推古天皇33年(626)のこととされている。天武天10年(681)には藤原不比等が堂宇を増築し、「志度道場」として名づけたという。不比等に関わる「海女の玉取り」伝説は謡曲などでも知られる。また、持統天皇7年(693)には不比等の子・藤原房前が行基とともに堂宇を建立したと伝えている。室町時代には四国管領の細川氏が代々寄進を行い繁栄するが、そののち戦乱により寺院は荒廃する。藤原氏末裔の生駒親正による支援などを経てのち、寛文10年(1671)、高松藩主松平頼重の寄進(本堂・仁王門)など、高松藩主松平氏により再興された。昭和37年(1962)に重森三玲による枯山水「無染庭」が造られている。

1.国重文の山門(仁王門)は本堂と同様に寛文10年(1670)頃の建立
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2.駒札
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3.駒札
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4.阿形の仁王像
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5.吽形の仁王像
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6.仁王門をアップで見る!
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7.見事な五重塔 ( 高さ33m。1973年から着工され、1975年5月に落成。地元出身の実業家竹野二郎によって寄進された。)
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8.仁王門から境内を見る!
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9.閻魔堂
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10.大師堂
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11.国重文の本堂(寛文110年(1670)建立。毎年、7月16日と17日午前中、本尊と脇仏の開帳をし堂内を見学できる。
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12.奪衣婆堂
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13.納経所、他に薬師堂など多くの諸堂がある!
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2017/2/14

徳島・讃岐を見る!29.日本12名城の一つで日本一高い石垣の丸亀城!2−2!  文化財研修記

香川県丸亀市には「日本12名城の一つで日本一高い石垣を持つ丸亀城」がある。丸亀市の中心市街地の始まりは、慶長2年(1597)、生駒親正(いこまちかまさ)・一正(かずまさ)による亀山への築城に始まります。このころの城造りは、織田信長の築いた安土城や豊臣秀吉が築いた大坂城を手本に、城郭だけでなく武家屋敷や城下町までも濠や土を盛った土塁(どるい)で囲み防御した「総構(そうがまえ)」となっています。生駒氏は慶長6年(1601)に宇多津より人を移住させています。今の御供所町、北平山町、西平山町です。慶長20年(1615)、大坂夏の陣により豊臣氏が滅び、徳川氏の天下となります。徳川幕府は武家諸法度を制定し規制を行います。元和元年(1615)の一国一城令により生駒氏は、高松城を残し、丸亀城を廃城しました。生駒氏の丸亀城絵図は、前田育徳会尊経(そんけい)閣文庫や国会図書館に残っています。絵図によると、天守は山上の最高所中央部に建っていました。また、「縄張り」と呼ばれる城の形も現在とは違っています。平成5年度の天守横の石垣修理時に、石垣に埋もれた生駒氏時代と推定される石垣が発見されています。これらの絵図に武家屋敷や城下町の記載はありません。 正保2年(1645)、山崎氏が幕府の許可を得て廃城となっていた丸亀城を再築するときに作成した絵図が、国立公文書館に残っています。正保城絵図(しょうほしろえず)と呼ばれる絵図で、この絵図には城郭・武家屋敷・城下町の記載があります。 山上の縄張りは現在の形とほぼ一致し、扇の勾配の高石垣は、山崎氏の手によるものです。この絵図には古町(こまち)と書かれた箇所があります。生駒氏時代からある町で今の御供所町、北平山町、西平山町、本町、南条町、塩飽町・城西町二丁目・中府町五丁目の一部がこれに当たります。また、大手町を除く番丁の武家屋敷地は当時の道路や区画が今も残っています。(HPより抜粋)

1.高浜虚子の句碑
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2.見返り坂
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3.三の丸跡
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4.二の丸跡
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5.二の丸跡から天守閣を見上げます。
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6.見事な天守閣です!
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7.別な角度から天守閣を見る!
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8.駒札
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9.天主台から丸亀港を見る!
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10.丸亀市街を見下ろす!
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11.見事な天守閣をもう一度見て、さようなら!
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2017/2/12

徳島・讃岐を見る!28.日本の12名城で日本一高い石垣の丸亀城!2−1!  文化財研修記

香川県丸亀市には「日本12名城の一つで日本一高い石垣を持つ丸亀城」がある。丸亀市の中心市街地の始まりは、慶長2年(1597)、生駒親正(いこまちかまさ)・一正(かずまさ)による亀山への築城に始まります。このころの城造りは、織田信長の築いた安土城や豊臣秀吉が築いた大坂城を手本に、城郭だけでなく武家屋敷や城下町までも濠や土を盛った土塁(どるい)で囲み防御した「総構(そうがまえ)」となっています。生駒氏は慶長6年(1601)に宇多津より人を移住させています。今の御供所町、北平山町、西平山町です。慶長20年(1615)、大坂夏の陣により豊臣氏が滅び、徳川氏の天下となります。徳川幕府は武家諸法度を制定し規制を行います。元和元年(1615)の一国一城令により生駒氏は、高松城を残し、丸亀城を廃城しました。生駒氏の丸亀城絵図は、前田育徳会尊経(そんけい)閣文庫や国会図書館に残っています。絵図によると、天守は山上の最高所中央部に建っていました。また、「縄張り」と呼ばれる城の形も現在とは違っています。平成5年度の天守横の石垣修理時に、石垣に埋もれた生駒氏時代と推定される石垣が発見されています。これらの絵図に武家屋敷や城下町の記載はありません。 正保2年(1645)、山崎氏が幕府の許可を得て廃城となっていた丸亀城を再築するときに作成した絵図が、国立公文書館に残っています。正保城絵図(しょうほしろえず)と呼ばれる絵図で、この絵図には城郭・武家屋敷・城下町の記載があります。 山上の縄張りは現在の形とほぼ一致し、扇の勾配の高石垣は、山崎氏の手によるものです。この絵図には古町(こまち)と書かれた箇所があります。生駒氏時代からある町で今の御供所町、北平山町、西平山町、本町、南条町、塩飽町・城西町二丁目・中府町五丁目の一部がこれに当たります。また、大手町を除く番丁の武家屋敷地は当時の道路や区画が今も残っています。(HPより抜粋)


1.JR善通寺駅から18分でJR丸亀駅へ。徒歩12分で丸亀城に至る。天守閣を遠謀する!
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2.丸亀城天守閣と日本一高い石垣を見る!
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3.下記をクリックして、「動画」で丸亀城の濠、石垣、天守閣、大手門を見て下さい!
https://youtu.be/ynp9MxqlysE


4.大手門方面を右側から見る!
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5.見事な濠と城壁
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6.国重文の大手二の門と櫓を見る!
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7.大手二の門(高麗門)を見る。
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8.大手二の門を正面から見る!
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9.国重文の大手一の門を見る!
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10.丸亀城の地形地図
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11.「石垣の美」の駒札
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12.見事な石垣を見上げる!(以下次回で掲載)
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2017/2/10

徳島・讃岐を見る!27.お大師様のふるさと善通寺2−2(西院)!  文化財研修記

香川県善通寺市には四国88ヶ所霊場75番札所で「お大師様誕生の地の真言宗善通寺派の総本山善通寺」がある。日本の歴史上、朝廷から大師号(諡号)を賜った高僧は24人います。真言宗の宗祖空海も延喜21年(921)に「弘法大師」の諡号を賜りました。大師の諡号を持つ高僧達の中、「大師は弘法にとられ…」とも言われ、大師といえば弘法大師を指すほど、弘法大師は広く人々の信仰をあつめ、敬慕の念と親しみを込めて「お大師さん」「お大師さま」と尊称されています。お大師さまは、宝亀5年(774)6月15日、御父・佐伯直田公(さえきあたいのたぎみ)と御母・玉寄御前(たまよりごぜん)の子として、四国の香川県北部にひろがる讃岐平野の西端、そののどかな田園地帯の一角にある善通寺の地に御誕生になりました。この善通寺は東西2院の寺域は約4万500平方メートルもあり四国で最も広く、空海が唐より帰国した翌年の大同2年(807)、長安の青龍寺模して起工し、父の諱(いなみ)の善通(よしみち)を寺名としたと伝えるが、白鳳時代から奈良時代の古瓦が出土していることから、この地には佐伯氏の氏寺があったか、氏寺の伽藍配置(四天王寺式)を想定して創建したと見られている。

1.善通寺(東居んと西院)の境内図
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2.この橋を渡ると東院から西院(誕生院)の仁王門に至る!
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3.見事な仁王門です!
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4.阿形の仁王像
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5.吽形の仁王像
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6.御影堂への参拝道
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7.鐘楼と護摩堂など
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8.見事な御影堂(誕生院)
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9.同上 駒札
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10.見事な御影堂を右側から見る!
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11.四国88ヶ所お砂踏み道場
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12.西院裏門と救世橋
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2017/2/8

徳島・讃岐を見る!26.お大師様のふるさと善通寺!2−1(東院)!  文化財研修記

香川県善通寺市には四国88ヶ所霊場75番札所で「お大師様誕生の地の真言宗善通寺派の総本山善通寺」がある。日本の歴史上、朝廷から大師号(諡号)を賜った高僧は24人います。真言宗の宗祖空海も延喜21年(921)に「弘法大師」の諡号を賜りました。大師の諡号を持つ高僧達の中、「大師は弘法にとられ…」とも言われ、大師といえば弘法大師を指すほど、弘法大師は広く人々の信仰をあつめ、敬慕の念と親しみを込めて「お大師さん」「お大師さま」と尊称されています。お大師さまは、宝亀5年(774)6月15日、御父・佐伯直田公(さえきあたいのたぎみ)と御母・玉寄御前(たまよりごぜん)の子として、四国の香川県北部にひろがる讃岐平野の西端、そののどかな田園地帯の一角にある善通寺の地に御誕生になりました。幼名を「真魚(まお)」と名付けられ、ご両親の寵愛を受けてお育ちになりました。幼い真魚さまは非常に聡明で信仰心の篤いお子様だっだと伝えられています。現在、善通寺の西院が建つ地は、当時は佐伯家の邸宅がありました。その西院御影堂の奥殿が建つ場所は、母君のお部屋があった場所と伝わっており、お大師さま御誕生の聖地として大切にされています。(HPより1部抜粋掲載)

1.JR善通寺駅(JR琴平駅から6分)
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2.善通寺近辺の地図
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3.東院の正面門の南大門と五重搭
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4.見事な国登録文化財の南大門(JR善通寺駅から徒歩15分)
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5.東院(善通寺旧境内、国史跡)と西院(誕生院)との地図
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6.国重文の五重塔
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7.同上 駒札
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8.常行堂(釈迦堂)
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9.見事な須弥壇
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10.見事な国重文の金堂
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11.同上の駒札
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12.同上の見事な扁額
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13.県指定天然記念物の大楠と右には五社明神(弘法大師が生まれた時には既にあったという大楠の木です!)
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14.塔頭寺院の観智院
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15.中門(ここを潜り西院へ向かいます!以下次回)
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