2016/9/26

山形・仙台を見る!1.山形城の土塁を持つ歌懸稻荷神社!  文化財研修記

山形市十日町1−1−26には主祭神の稲倉魂命(いなだまのみこと)、配神は大市姫命(おおいちひめのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、火産霊神(ほむすひのかみ)を祀る歌懸稻荷神社(うたかけいなりじんじゃ)がある。当神社は、山形城主斯波兼頼が山形城の守り神として城内に建立したのが、その始めと伝えられています。それより十代目、最上義定が山形城の内部に社殿を建て、十二代目義光のとき、天童城主との開戦に際して勝利を祈願するなど、最上家代々の信仰が厚いものがありました。城主や城下の人々が、短冊に歌を書いて神社に奉納する風習があり、歌を詠まないものは渡らせない橋も付近にはあったことから、歌懸の名が残ったと伝えられています。元和8年(1622)、最上家が改易されて新城主となった鳥居忠政は、人心一新をはかり、部内稲荷口(現山形駅付近)にあったこの社を三の丸の外の現在地に移しました。それ以降、このご縁日である毎月十日に定期市が門前で開かれ、十日町の名の起こりとなり、年の最初の十日市(1月10日)を初市と呼ぶなど、城下町の人々と深く結びつき信仰をあつめ、現在に至っております。尚、本来の社名は「歌懸稻荷神社」と 表記し、「稲」の字は旧字体の「稻」となっておりますが、当ホームページでは新字体の「稲」を使用しております。神社HPより抜粋。

1.JR京都駅発21;23発の夜行高速バスでJR山形駅に07:56到着。JR山形駅に併設のメトロポリタン山形ホテルに荷物を預けレンタル自転車で見学開始!
クリックすると元のサイズで表示します

2.スターバックス・コーヒー店で朝食
クリックすると元のサイズで表示します

3.歌懸稻荷神社標柱
クリックすると元のサイズで表示します

4.大鳥居
クリックすると元のサイズで表示します

5.駒札
クリックすると元のサイズで表示します

6.山形城の駒札(土塁・三の丸跡などは次回で掲載します。)
クリックすると元のサイズで表示します

7.二の大鳥居
クリックすると元のサイズで表示します

8.見事な拝殿
クリックすると元のサイズで表示します

9.拝殿内陣
クリックすると元のサイズで表示します

10.本殿
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

11.毎年7月第二日曜に行われる例大祭を「音声付動画」で見てみたい方は下記をクリックして見てください!
https://youtu.be/5Q8RzvrQGkA

2016/9/24

高知・伊予を見る!39.(最終回)国宝の本堂を持つ真言宗の古刹・大宝寺!  文化財研修記

松山市南江戸には真言宗豊山派である大宝寺(たいほうじ)がある。山号は古照山。詳しくは、古照山 薬王院 大宝寺と号する。本尊は阿弥陀如来坐像(国の重要文化財)。本堂は愛媛県内最古の木造建築で国宝に指定されている。寺伝によれば、飛鳥時代の大宝元年(701)に地元の豪族小千(越智)伊予守玉興が創建したと伝えられている。寺号は創建されたとされる年号に由来する。江戸時代には歴代松山藩主の祈願所となった。松平氏4代藩主松平定直によって貞享2年(1685)本堂の修理が行われた。うば桜伝説:角木長者伝説とも呼ばれる。その昔、この地に角木長者と呼ばれる豪族がいた。彼は子宝に恵まれなかった。薬師如来に祈りを捧げたところ娘が生まれた。娘の名を「露」と名付けた。露には「お袖」という名の乳母を雇い大切に育てた。お袖の乳の出が悪くなり、再び薬師如来に祈ると乳が出るようになった。そこで、お礼にお堂を建立した。これが大宝寺の始まりという。露は15歳になった時に重病にかかった。お袖は自分の命と引き替えに露を助けて欲しいと薬師如来に祈った。すると露の病気は平癒した。その祝いの席でお袖は病に倒れた。お薬師様との約束と言って、お袖は薬も飲まず治療を拒み、とうとう亡くなった。亡くなる直前に「お薬師様へのお礼に桜の木を植えて下さい。」と言い残した。長者は約束どおりお堂の前に桜の木を植えた。その桜は枝が伸びないうちから幹に2〜3輪の花が咲いた。その花はお袖の乳房のような形で、母乳のような色であったという。その後、母乳の出が悪い女性が参拝に訪れるようになった。この話は明治時代、小泉八雲によって英語に訳された。また、『怪談』にも納められている。

1.大宝寺標柱と前方に見えるのは山門です。
クリックすると元のサイズで表示します

2.見事な鐘楼
クリックすると元のサイズで表示します

3.乳母桜(うばさくら)(根回り2.8メートル、樹高5メートルで実際はエドヒガンサクラで3月下旬白に近い淡紅色の通常のエドヒガンサクラよりかなり大きな花弁で見事な乳母桜を咲かせます。)
クリックすると元のサイズで表示します

4.見事な手水舎、左側は乳母桜です。
クリックすると元のサイズで表示します

5.乳母桜の3月下旬の写真を借りてきました!
クリックすると元のサイズで表示します

6・鎌倉時代の国宝の本堂です。
クリックすると元のサイズで表示します

7.夢殿
クリックすると元のサイズで表示します

8.見事な夢殿内部
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 



2016/9/22

高知・伊予を見る!38.持統天皇の時代に創建された古社・朝日八幡神社!  文化財研修記

松山市南江戸5−12−1には氏神として足煩地主神(あぬみちしゅのかみ)。八幡三神として本陀和気命(ほんだわけのみこと、応神天皇)、帯中津彦命(たらしなかつひこのみこと、仲哀天皇)、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)、比売神、宗像三神として市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)、多紀理比売命(たぎりひめのみこと)、多岐津比売命(たぎつひめのみこと)を祀る朝日八幡神社がある。社伝によると持統天皇の治世(686〜697)に、仲哀天皇、神功皇后の行宮跡である沼台(ぬみだい)に、足煩地主神(あぬみちしゅのかみ)を祭り、沼戸明神(ぬみとみょうじん)と称した。その後、山城国乙訓郡(現在の大阪府・京都府の境)の山崎八幡宮(現在の離宮八幡宮)を勧請して、山崎八幡宮と改称した。元弘3年(1333)、河野通網が神領を献じる。延文6年(1361)、貞和年間に戦災を受けた社殿を河野氏が修理亮(しゅりのすけ)平範有に命じて現在地の朝日谷に社殿を造営した。応永19年(1412)、越智通成が社殿を増築。慶長6年(1601)、松山藩主加藤嘉明が城を松前から勝山城に移してから、松山八社八幡に加え厚く敬った。明治3年(1870)、以前よりの藩主の勧めに従い、社殿に朝日の差し込む姿から現在の朝日八幡神社に改称した。明治20年(1887)、社殿を火災で焼失、明治22年(1889)に現在の社殿が新築された。

1.朝日八幡神社の登り参道
クリックすると元のサイズで表示します

2.見事な神門と拝殿が見える!
クリックすると元のサイズで表示します

3.見事な拝殿
クリックすると元のサイズで表示します

4.拝殿内陣
クリックすると元のサイズで表示します

5.本殿は撮影が難しい!屋根のみが見える!
クリックすると元のサイズで表示します

6.下記をクリックして、秋祭りを「音声付動画」で見てください!
https://youtu.be/FShLepd_l7E

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2016/9/20

高知・伊予を見る!37.天智天皇の時代に創建された古社・阿沼美神社!  文化財研修記

松山市味酒町3−1には社伝によると越智守興が天智天皇3年(664)に創建したとされる阿沼美神社(あぬみじんじゃ)がある。味耳命の後裔である久米氏の氏神でもあったとされる。もとは現在松山城の建つ勝山の頂上にあり、「勝山三島大明神」とも称していた。慶長7年(1602)加藤嘉明が松山城を築く際、味酒村に移されたことから「味酒神社」と称するようになった。旧社格は県社。神紋は「傍折敷角切縮三文字」で、河野氏の家紋に同じである。ご祭神は主祭神大山積命 (おおやまづみのみこと)であり、雷神 (いかずちのかみ)、味耳命 (うましみみのみこと) 高御魂命八世の裔孫だが事蹟不詳。久米氏が末裔にあたる。その他多くの神を祀っている。その後も歴代松山藩主から篤く崇敬された。当時、味酒神社の行宮所は堀之内の西ノ馬場と城山東麓の杉谷にあり、それぞれ松山城の裏鬼門・表鬼門とされていた。また、通りを南に一つ隔てた曹洞宗江勝山雲祥寺は、明治4年(1871)の神仏分離令が出るまで、阿沼美神社の別当寺として社僧が仕えていたとされる。式内社・阿沼美神社とされて近代社格制度において県社に列格し、社号を旧称の「阿沼美神社」に復した。昭和20年(2945)7月の松山空襲で、社殿など数多くの建物が焼失し、昭和32年(1957)8月、鉄筋コンクリートの社殿が完成した。拝殿 内部には、旧伊予松山藩藩主の嫡流で元愛媛県知事の久松定武が揮毫した社号の額面が掲げられている。又、3つの句碑で有名です。

1.阿沼美神社を正面から見る!
クリックすると元のサイズで表示します

2.栗田樗堂(くりたちょどう)の句碑
クリックすると元のサイズで表示します

3.同上 駒札
クリックすると元のサイズで表示します

4.巨大な鳥居
クリックすると元のサイズで表示します

5.松尾芭蕉の句碑と駒札
クリックすると元のサイズで表示します

6.巨大な拝殿
クリックすると元のサイズで表示します

7.拝殿内陣(扁額は元松山藩久松家の嫡流のものです。)
クリックすると元のサイズで表示します

8.正岡子規の句碑
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2016/9/18

高知・伊予を見る!36.松山藩11代藩主松平定通が藩祖を祀ったのが始まりの東雲神社!  文化財研修記

松山市丸之内73−1には東雲神社(しののめじんじゃ)がある。松山藩11代藩主松平定通(さだみち)が文政6年(1823)に、東雲大明神(藩祖松平定勝)を祀ったのが始まりで、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、豊受大神(とようけのおおかみ)、天穂日命(あめのほひのみこと、久松松平家の家祖神)、菅原道真(すがわらのみちざね、天満大自在天神、久松松平家の家祖)、興長福玉命(おきなかさきたまのみこと)、奇足玉命(くしたるたまのみこと、伊予松山藩11代藩主、松山藩中興の祖松平定通)、真都栄命(まつさきのみこと、伊予松山藩16代藩主、老中松平定昭)、稚国玉命(わかくにだまのみこと、藩祖松平定勝の嫡男松平定吉)を祀っている。天保11年(1840)に社殿が完成し、一般の参拝が許され、東雲大明神と呼ばれるようになった。昭和20年の松山大空襲で神社内の多くの建物が焼失したが、1971年伊勢神宮の分社松山大神宮を奉還し、1973年に神明造りの社殿が完成した。

1.東雲神社標柱
クリックすると元のサイズで表示します

2.登り参道
クリックすると元のサイズで表示します

3.神門
クリックすると元のサイズで表示します

4.登り参道と大鳥居
クリックすると元のサイズで表示します

5.巨大な神明造りの拝殿と本殿
クリックすると元のサイズで表示します

6.拝殿から本殿を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

7.神社駒札
クリックすると元のサイズで表示します

8.神社所有の文化財
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2016/9/16

高知・伊予を見る!35.日本12名城の一つ松山城を見る!3−3  文化財研修記

松山城は、松山市の中心部である標高132mの城山(勝山)山頂に本丸があり、裾野に二之丸にのまる(二之丸史跡庭園にのまるしせきていえん)、三之丸(堀之内)がある、広大な平山城です。加藤嘉明(かとうよしあき)公こうが1602年から築城を開始し、わが国の築城史上、最長の歳月(四半世紀)を完成までに要した四国最大の城郭で、「現存する12天守」の中では、姫路城と並ぶ連立式の天守を有しています。加藤氏は、城の完成前に会津藩へ転封となり、蒲生氏を経て1635年から明治維新までの235年間に渡り、親藩大名であった松平家の居城となりました。わが国最後の完全な城郭建築と言われている大天守の最上階からは、360度眺望がひらけ、松山平野まつやまへいやや瀬戸内海などを見渡すことができます。日本で唯一現存している望楼型二重櫓(ぼうろうがたにじゅうやぐら)である野原櫓や、「現存12天守」の城郭では松山城と彦根城しか存在が確認されていない、韓国の倭城の防備手法である「登り石垣」が二之丸にのまるから本丸にかけてあり、また、堀之内を含む城山公園全体が国の史跡で、「日本さくら名所100選(平成元年)」や「日本の歴史公園100選の指定も受けています。 

1.三ノ門
クリックすると元のサイズで表示します

2.二ノ門
クリックすると元のサイズで表示します

3.大天守を見上げる!
クリックすると元のサイズで表示します

4.大天守閣を登る!
クリックすると元のサイズで表示します

5.初代松山城々主・加藤嘉名(よしあき)公の鎧兜
クリックすると元のサイズで表示します

6.第三代目城主の松平定行の鎧兜(この松平定行は徳川家康公の異父同母弟の松平定勝の子で明治維新まで続くが明治維新後旧姓の久松姓に戻った。)
クリックすると元のサイズで表示します

7.天守閣にある「石落(いしおとし)」
クリックすると元のサイズで表示します

8.松山城全景を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

9.平成18年81年振りに天守閣のシャチが変わった!この旧シャチは全国に名前を募集して、左が天丸、右がまつ姫と決まった!
クリックすると元のサイズで表示します

10.ロープウエー乗り場近くには加藤嘉明の騎馬像がある!
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2016/9/14

高知・伊予を見る!34.日本12城の一つ松山城!3−2  文化財研修記

松山城は、松山市の中心部である標高132mの城山(勝山)山頂に本丸があり、裾野に二之丸にのまる(二之丸史跡庭園にのまるしせきていえん)、三之丸(堀之内)がある、広大な平山城です。加藤嘉明(かとうよしあき)公こうが1602年から築城を開始し、わが国の築城史上、最長の歳月(四半世紀)を完成までに要した四国最大の城郭で、「現存する12天守」の中では、姫路城と並ぶ連立式の天守を有しています。加藤氏は、城の完成前に会津藩へ転封となり、蒲生氏を経て1635年から明治維新までの235年間に渡り、親藩大名であった松平家の居城となりました。わが国最後の完全な城郭建築と言われている大天守の最上階からは、360度眺望がひらけ、松山平野まつやまへいやや瀬戸内海などを見渡すことができます。日本で唯一現存している望楼型二重櫓(ぼうろうがたにじゅうやぐら)である野原櫓や、「現存12天守」の城郭では松山城と彦根城しか存在が確認されていない、韓国の倭城の防備手法である「登り石垣」が二之丸にのまるから本丸にかけてあり、また、堀之内を含む城山公園全体が国の史跡で、「日本さくら名所100選(平成元年)」や「日本の歴史公園100選の指定も受けています。

1.松山城の石垣(太鼓櫓)への途中
 クリックすると元のサイズで表示します

2.筒井門西続櫓方面を見る
クリックすると元のサイズで表示します

3.松山城の石垣の駒札
クリックすると元のサイズで表示します

4.太鼓櫓方面へ向かう!
クリックすると元のサイズで表示します

5.太鼓櫓を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

6.右手の屋根が大天守で左側は少天守!
クリックすると元のサイズで表示します

7.隠門方面へ向かう「見えるのが戸無門(となしもん)」
クリックすると元のサイズで表示します

8.戸無門前から松山市街を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

9.隠門(かくれもんん)
クリックすると元のサイズで表示します

10.隠門続櫓(かくれもんつずきやぐら)
クリックすると元のサイズで表示します

11.太鼓櫓
クリックすると元のサイズで表示します

12.天守閣に向かって歩く!
クリックすると元のサイズで表示します

13.大天守閣を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

14.筋鉄門(すじがねもん)
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2016/9/12

高知・伊予を見る!33.日本12名城の一つ松山城を見る!3−1  文化財研修記

JR宇和島駅発08:40特急電車宇和海8号でJR松山駅に10;07に到着。ロッカーに荷物を預けて、レンタル自転車で先ず2回ロープウエーの最終時間に間に合わず見学できていなかった松山城を見学します。松山城は、松山市の中心部である標高132mの城山(勝山)山頂に本丸があり、裾野に二之丸にのまる(二之丸史跡庭園にのまるしせきていえん)、三之丸(堀之内)がある、広大な平山城です。加藤嘉明(かとうよしあき)公こうが1602年から築城を開始し、わが国の築城史上、最長の歳月(四半世紀)を完成までに要した四国最大の城郭で、「現存する12天守」の中では、姫路城と並ぶ連立式の天守を有しています。加藤氏は、城の完成前に会津藩へ転封となり、蒲生氏を経て1635年から明治維新までの235年間に渡り、親藩大名であった松平家の居城となりました。わが国最後の完全な城郭建築と言われている大天守の最上階からは、360度眺望がひらけ、松山平野まつやまへいやや瀬戸内海などを見渡すことができます。日本で唯一現存している望楼型二重櫓(ぼうろうがたにじゅうやぐら)である野原櫓や、「現存12天守」の城郭では松山城と彦根城しか存在が確認されていない、韓国の倭城の防備手法である「登り石垣」が二之丸にのまるから本丸にかけてあり、また、堀之内を含む城山公園全体が国の史跡で、「日本さくら名所100選(平成元年)」や「日本の歴史公園100選の指定も受けています。 なお、松山城ロープウェイ東雲口駅舎1階には、(財)松山観光コンベンション協会による観光案内所が設置されていますので、観光情報を得るのにとても便利です。顔抜きパネルや観光レンタサイクルポートもあります。

1.JR松山駅前の正岡子規の句碑
クリックすると元のサイズで表示します

2.同上駒札
クリックすると元のサイズで表示します

3.松山城二之丸(堀之丸)の堀が見えて来た!
クリックすると元のサイズで表示します

4松山市街地図
クリックすると元のサイズで表示します

5.二之丸の堀沿いにある「八股お袖大明神」
クリックすると元のサイズで表示します

6.松山市役所
クリックすると元のサイズで表示します

7.愛媛県庁
クリックすると元のサイズで表示します

8.ロープウエーで松山城天守閣のある城山へ。
クリックすると元のサイズで表示します

9.同上
クリックすると元のサイズで表示します

10.城山にある城郭案内図
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2016/9/10

高知・伊予を見る!32.宇和島藩支藩吉田藩陣屋跡を見る!  文化財研修記

宇和島市吉田町にある吉田藩は明暦3年(1657)宇和島藩初代藩主伊達秀宗の五男伊達宗純が3万石を分知され、伊予吉田藩を立藩。翌万治元年(1658)に東の国安川、南の河内川を天然の堀とし陣屋を築いた。幕末まで伊予吉田藩の陣屋であった。陣屋址は昭和63年(1988年)に伊予吉田藩士の子として生まれた漢学者・簡野道明を記念して建てられた宇和島市立簡野道明記念吉田町図書館が陣屋風の建物として建てられた。周囲には石垣が一部残る。

1.吉田陣屋の駒札
クリックすると元のサイズで表示します

2.吉田陣屋跡の高台にある常夜塔
クリックすると元のサイズで表示します

3.太鼓橋と吉田陣屋のに模擬の御殿(現吉田町図書館)がある!
クリックすると元のサイズで表示します

4.同上
クリックすると元のサイズで表示します

5.陣屋門と表札
クリックすると元のサイズで表示します

6.見事な木造り・コンクリート造りの模擬御殿と図書館
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2016/9/8

高知・伊予を見る!31.吉田騒動の家老安藤継明を祀る安藤神社!  文化財研修記

宇和島吉田町東小路131には吉田騒動の吉田藩家老安藤義太夫継明を祭神として祀る安藤神社(あんどうじんじゃ)がある。吉田藩の財政難のため専売制度をを実施、御用商人の「法華津屋」と結託して金貸しや紙の買取りを法華津屋に独占させたため、農民たちの生活は困窮をしていました。江戸時代後期の寛政5年(1793)、紙の専売制廃止を訴えるべく宇和島藩「中間村(宇和島市伊吹町)」の八幡河原に吉田藩全83か村7500人以上の農民が集結、知らせを受けた継明は決死の覚悟で説得に出向きましたが説得に失敗し、須賀川の土手で藩の責任を一身に負って切腹しました。これを機に、農民は11か条の願書を提出して帰村。宇和島藩の調停もあって、11か条の要求は全面的に聞き届けられ解決しました。この騒動を「吉田騒動(武左衛門一揆)」といいます。指導者の「武左衛門」はその後捕らえられて打ち首になっています。

1.安藤神社の鳥居
クリックすると元のサイズで表示します

2.玉を抱えた阿形狛犬
クリックすると元のサイズで表示します

3.玉を抱えた吽形狛犬
クリックすると元のサイズで表示します

4.手水舎
クリックすると元のサイズで表示します

5.見事な拝殿
クリックすると元のサイズで表示します

6.見事な拝殿の向拝の龍の彫刻
クリックすると元のサイズで表示します

7.拝殿の内陣
クリックすると元のサイズで表示します

8.本殿を斜めから見る!
クリックすると元のサイズで表示します

9.駒札その1.
クリックすると元のサイズで表示します

10.駒札その2.
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ