2017/1/23

徳島・讃岐を見る!18.真言宗御室派で四国88ヶ所第83番札所の一宮寺!  文化財研修記

高松市一宮町607には真言宗御室派の古刹で四国88箇所霊場の第83三番札所の一宮寺(いちのみやじ)がある。ご本尊は聖観音様です。ご詠歌は「 讃岐一 宮の御前に 仰ぎ来て 神の心を 誰かしらいふ」です。寺伝によれば、義淵により大宝年間(701−704)に大宝院として創建され、後に行基が一宮寺と改めたという。その後大同年間(806−810)に空海(弘法大師)が伽藍を整備し聖観世音菩薩像を刻んで本尊として安置したと伝えられる。江戸時代までは隣接する讃岐一宮である田村神社の別当寺であったが、延宝7年(1679)に時の高松藩主である松平頼常によって神仏分離が行われ、現在に至っている。

1.山門(仁王門)
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2.見事な山門をアップで見る!奥に一対の仁王像が見える!
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3.山門の両脇には巨大な草履(ぞうり)が掲げられている。
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4.山門から本堂を望む!
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5.大師堂
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6.見事な鐘楼
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7.見事な本堂
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8.薬師如来様
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9.同上 駒札
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2017/1/21

徳島・讃岐を見る!17.讃岐国一宮・田村神社2−2!  文化財研修記

高松市一宮町286には讃岐国一宮・田村神社(たむらじんじゃ)がある。ご祭神は以下の5柱で、「田村大神」と総称される。倭迹迹日百襲姫命 (やまとととひももそひめのみこと)、五十狭芹彦命 (いさせりひこのみこと) 別名を吉備津彦命(きびつひこのみこと)、猿田彦大神 (さるたひこのおおかみ)、天隠山命 (あめのかぐやまのみこと) 別名を高倉下命(たかくらじのみこと)、天五田根命 (あめのいたねのみこと)- 別名を天村雲命(あめのむらくものみこと)である。田村大神について、中世の書物では猿田彦大神や五十狭芹彦命を指すとされ、近世には神櫛別命・宇治比売命・田村比売命・田村命など様々で一定していない。社殿創建前は井戸の上に神が祀られていたという社伝から、元々は当地の水神(龍神)であったとする説もある。社伝によれば、古くは「定水井(さだみずのい)」という井戸にいかだを浮かべて、その上に神を祀っていたという。その後、和銅2年(709)に行基によって社殿が設けられたのが創建とする。この「定水井」は現在も奥殿の下にある。なお、当初は義淵僧正によって大宝年間(701−704)に開基された一宮寺と同一視(建物も同じ)されていた。朝廷の当社に対する信仰は篤く、平安時代には度々神階の授与が行われている。また延長5年(927)の『延喜式神名帳』では「讃岐国香川郡 田村神社」と記載され名神大社に列したほか、讃岐国一宮として信仰された。建仁元年(1201)には正一位の昇叙があったとされ、弘安7年(1284)7月日の銘を有する「正一位田村大明神」の扁額が残っている。また武家からも崇敬・統制を受け、長禄4年(1460)には細川勝元により、社殿造営や寄進のほか「讃岐国一宮田村大社壁書」(市指定文化財)が定められた。これは当社の関係者に対し、守るべき事項を26箇条で記したものである。天正年間(1573−1592)には兵火により一切経蔵を焼失したが、仙石秀久から社領100石を寄進された。その後も社領の寄進を受け、藩主が松平大膳家に代わったのちも祈願所として崇敬された。延宝7年(1679)、高松藩主であった松平氏により一宮寺が分割され、後に一宮寺は別の地に移された。奥殿・本殿は宝永7年(1710)の造営で、春日造。奥殿の前方は本殿に接続している。奥殿には神座があり、その床下に「定水井」と呼ばれる深淵がある。拝殿は明治10年の再建で、入母屋造です。そのほか境内には、海軍少年飛行兵之碑・海外開拓者殉難之碑などの鎮魂のための石碑や、桃太郎話に仮託した犬・猿・雉と吉備津彦・倭迹迹日百襲姫命や讃岐七福神の石像など、多くの石造物が設けられている。

1.布袋神(田村神社は東讃岐国の七福神の一つ布袋神で有名です!)
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2.見事な摂社の一宮天満宮
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3.稲荷社北参道
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4.海外開拓殉難の碑!境内には多くの碑文・像があります!
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5.さぬき獅子
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6.同上 駒札
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7.安産子宝犬
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8.見事な摂社の素婆倶羅社
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9.田村神社の横
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10.七福神
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11.姫の宮
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12.見事な田村神社の拝殿(本殿・奥殿は撮影不可能!)
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2017/1/19

徳島・讃岐を見る!16.讃岐国一宮・田村神社2-1!  文化財研修記

高松市一宮町286には讃岐国一宮・田村神社(たむらじんじゃ)がある。ご祭神は以下の5柱で、「田村大神」と総称される。倭迹迹日百襲姫命 (やまとととひももそひめのみこと)、五十狭芹彦命 (いさせりひこのみこと) 別名を吉備津彦命(きびつひこのみこと)、猿田彦大神 (さるたひこのおおかみ)、天隠山命 (あめのかぐやまのみこと) 別名を高倉下命(たかくらじのみこと)、天五田根命 (あめのいたねのみこと)- 別名を天村雲命(あめのむらくものみこと)である。田村大神について、中世の書物では猿田彦大神や五十狭芹彦命を指すとされ、近世には神櫛別命・宇治比売命・田村比売命・田村命など様々で一定していない。社殿創建前は井戸の上に神が祀られていたという社伝から、元々は当地の水神(龍神)であったとする説もある。社伝によれば、古くは「定水井(さだみずのい)」という井戸にいかだを浮かべて、その上に神を祀っていたという。その後、和銅2年(709)に行基によって社殿が設けられたのが創建とする。この「定水井」は現在も奥殿の下にある。なお、当初は義淵僧正によって大宝年間(701−704)に開基された一宮寺と同一視(建物も同じ)されていた。朝廷の当社に対する信仰は篤く、平安時代には度々神階の授与が行われている。また延長5年(927)の『延喜式神名帳』では「讃岐国香川郡 田村神社」と記載され名神大社に列したほか、讃岐国一宮として信仰された。建仁元年(1201)には正一位の昇叙があったとされ、弘安7年(1284)7月日の銘を有する「正一位田村大明神」の扁額が残っている。また武家からも崇敬・統制を受け、長禄4年(1460)には細川勝元により、社殿造営や寄進のほか「讃岐国一宮田村大社壁書」(市指定文化財)が定められた。これは当社の関係者に対し、守るべき事項を26箇条で記したものである。天正年間(1573−1592)には兵火により一切経蔵を焼失したが、仙石秀久から社領100石を寄進された。その後も社領の寄進を受け、藩主が松平大膳家に代わったのちも祈願所として崇敬された。延宝7年(1679)、高松藩主であった松平氏により一宮寺が分割され、後に一宮寺は別の地に移された。奥殿・本殿は宝永7年(1710)の造営で、春日造。奥殿の前方は本殿に接続している。奥殿には神座があり、その床下に「定水井」と呼ばれる深淵がある。拝殿は明治10年の再建で、入母屋造です。そのほか境内には、海軍少年飛行兵之碑・海外開拓者殉難之碑などの鎮魂のための石碑や、桃太郎話に仮託した犬・猿・雉と吉備津彦・倭迹迹日百襲姫命や讃岐七福神の石像など、多くの石造物が設けられている。

1.一の鳥居と参道
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2.吽形の狛犬(通常拝殿に向かって左側に位置するが、ここでは右側だ!)
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3.左側は阿形狛犬です!
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4.更に続く長い参道(参道が長いほど素晴らしい神社といいますね!)
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5.漸く素晴らしい随身門に至る!
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6.見事な湧き水の手水舎
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7.境内社の歳徳神
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8.高さ17メートルの威容を誇る大鳥居
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9.讃岐一宮・田村神社は最後にして、多くの摂社を見ます。まず一宮稲荷大明神
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10.同上 見事な拝殿
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11.摂社で見事な宇郁伎神社
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12.12支めぐり (以下次回で掲載します!)
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2017/1/17

徳島・讃岐を見る!15.阿波徳島から讃岐国高松へ!  文化財研修記

JR徳島駅発午前8時23分の特急電車うずしお6号で約1時間10分午前9時33分にJR高松駅に到着。当時高松は大変混んでおりJRから15分以上も掛かるホテルに3連泊となった。
高松は3度目ですが一般の観光だったので文化財見学としては初めてであった。荷物をホテルに預けてこれまた徒歩で琴電高松築港駅に至った。高松城のすぐ前にの駅からの乗車である。
高松城(たかまつじょう)は、日本の香川県高松市玉藻町にあった日本の城である。別名・玉藻城(たまもじょう)。国の史跡に指定されている。万葉集で柿本人麻呂が讃岐国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因み、高松城周辺の海域が玉藻の浦と呼ばれていたことに由来するとされている。高松城は、豊臣秀吉の四国制圧の後、天正15年(1587)讃岐1国の領主となった生駒親正によって、「野原」と呼ばれた港町に築かれた。現在見られる遺構は、江戸初期に徳川光圀の兄で常陸国から12万石で高松に移封された松平頼重によって改修されたものである。近世城郭の海城としては、最初で最大の例で、「讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上」と謡われている。本丸に建てられた天守は、最下重が萩城や熊本城の天守のように天守台より出張り、最上重が小倉城や岩国城の天守のように「唐造り」であった。その様子は、解体される以前に写真におさめられ、また1884年にイギリスの週刊新聞「ザ・グラフィック」でイギリス人のヘンリー・ギルマールの絵によって紹介されている。現在は、三重櫓や門など一部の建物と一部の石垣、堀が現存し、城跡は「玉藻公園」として整備されている。高松城は後日詳しく見学します。

1.JR徳島駅8時23分発特急うずしお6号車内
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2.徒歩でホテルから琴電高松築港駅(文櫓跡ふみやぐらあと)へ
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3.高松城鞘橋と内堀(さやばし)
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4.内堀の駒札
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5.琴電築港駅から約40分一宮駅に到着、徒歩10分で田村神社へ(地図)
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6.讃岐一宮田村神社(詳細は自家掲載します。)
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2017/1/15

徳島・讃岐を見る!14.舟だんじり祭りで有名な四所神社!  文化財研修記

徳島県徳島市福島には舟だんじり祭りで有名な四所神社(ししょじんじゃ)がある。徳島市中五社の一つで、近代社格では郷社。「福島の明神さん」として親しまれている。御祭神は武甕槌神、天児屋根神、比売神、斉主神。奈良の春日大社と同じ御祭神で、春日神社とも呼べる。春日神の神使である鹿に関わる伝承が残っている。“ 大同2年(807)、徳島市津田町の沖合に亀島と呼ばれる島が存在し、島内にある祠には二頭のシカが飾られていた。ここに毎日お参りに訪れていた老夫婦の夢に神様が現れ、「シカの目が赤くなったら島が沈むので、シカを連れて逃げなさい」と言った。この話を聞いた若者がいたずらでシカの目を赤く塗ったため、老夫婦は急いでシカを船に乗せて逃げた。しかしその晩、本当に大津波が島を襲い島は沈んでしまった。その後、老夫婦は自分たちを救ってくれたのはシカのおかげだと思い、シカを祀ったのが当社の起源だという。旧阿波藩主崇敬社であり、『寛保改神社帳』に「福島四所大明神 神主福島榊本頼母」とある。『阿波名勝案内』にも記載がある。明治3年(11870)に郷社に列した。7月8日・7月9日が夏祭で、10月27日・28日が秋祭。秋祭には船だんじりがある。徳島藩の船団を模したと言われるもので、地元の船大工達によって造られた。「とくしま市民遺産」。境内社に、天神社・醫王神社がある。境内の大松が御神木で、樹齢350年以上といわれている。市指定木第一号で、フクロウの木と呼ばれ、昭和48年(1973)頃までは常に巣を作っていたという。

1.四所神社
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2.玉をくわえる阿形狛犬が2つ並んでいる!
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3.反対側には吽形の狛犬が2つ並んでいるのは珍しい!
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4.見事な拝殿
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5.見事な拝殿の彫刻
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6.摂社群
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7.同上
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8.摂社の天神社
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9.天神社前の御神木で推定樹齢350年以上の大松「フクロウの木」
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10。秋祭りの「舟だんじり祭り」を「動画」で見たい方は下記をクリックして見て下さい!
https://youtu.be/T2OjhuBAmJA

2017/1/13

徳島・讃岐を見る!13.菅原道真公を祀る徳島眉山天神社!  文化財研修記

徳島市眉山町天神山1には学問の神様である菅原道真公を祀る徳島眉山天神社(びざんてんじんしゃ)がある。 もと潮音寺の鎮守として、瑞巌寺の一顎和尚が甲州恵林寺から携えて来た高さ六寸の渡唐天神木像をまつったのが起源とされる。文化6年(1809)現社地に一社を創建、潮音寺の神像をまつり、旧藩主蜂須賀公代々保護し、文教の神として尊崇した由緒ある社である。眉山へ登るロープウエイの乗り場と隣り合わせに鎮座している。乗り場の北側が潮音寺、往古は眉山の東麓の近くまで海だったようだ。広い石段を登ると朱色の社殿が見える。左端にパワースポットの巨石の姫宮(ひめみや)さんがあります。徳島眉山天神社は菅原道真公を御奉祀申し上げ、藩主蜂須賀家政公阿波入国以来の聖地でありまして、県内はもちろん県外からも学問の神様、商売繁昌、また交通安全、家内安全の神様として信仰厚く、毎年7月25日に行われています天神まつりは、徳島の夏まつりの中心行事として盛大に執り行われ県民はもちろんその名を天下に知られております。

1.徳島眉山天神社の鳥居と標柱
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http://img.ap.teacup.com/common/img_o/ja/icon_image.gif
2.駒札
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3.石段参道
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4.智恵の門と拝殿
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5.玉をくわえる阿形の狛犬
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6.吽形の狛犬
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7.智恵の牛と菅公坐像と見事な拝殿を見る!
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8.見事な拝殿の内陣
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9.針塚・筆塚
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10.摂社のパワースポット姫宮神社
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11.姫宮神社の夫婦石
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12.徳島市の天神祭りの「ギャル神輿」を動画で見たい方は下記をクリックして見て下さい!
https://youtu.be/WrtVhMqElrw

2017/1/11

徳島・讃岐を見る!12.徳島名水50泉の一つ「錦竜水」!  文化財研修記

徳島市寺町には眉山麓にある春日神社を源泉とする徳島県50名水の一つ「錦竜水(きんりゅうすい)がある。錦竜水(きんりょうすい)は、徳島県徳島市寺町の眉山麓にある湧水です。眉山湧水群4つのひとつです。徳島市民遺産選定の一つです。江戸時代の徳島城下(阿波国)の人々は、この湧水を購入して飲み水としていた。また、歴代の徳島藩主(蜂須賀氏)は、この錦竜水を愛用し、水番所を置いて保護した。昭和51年(1976)ごろ水脈が途絶えたが、その後「名水阿波錦竜水保存会」により復旧工事がなされ、昭和62年(1987)8月に蘇った。現在も歴史的名水として市民に慕われている。この錦竜水を利用して徳島県阿波市にある太閤酒造場が酒を製造しているほか、「滝の焼餅」という名産品にも利用されている。

1.錦竜水
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2.駒札
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3.錦竜水をアップで見る!
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2017/1/9

徳島・讃岐を見る!11.徳島の名水・錦竜水の源泉がある春日神社!  文化財研修記

徳島市眉山町大滝山1には徳島市の名水「錦竜水」の源泉がある春日神社がある。ご祭りかまいは武甕槌命(たけいかずちのみこと)を始め、斎主命、天児屋根命、比売神の4柱で、奈良県の春日大社と同じ神々を祀っている。大和国春日社領の富田庄(阿波国名東郡入田村(現徳島市入田町)一帯)に勧請された春日祠に起源を有つといい、蜂須賀家政の阿波入部に際して現在の大滝山東麓(眉山町大滝山1)に遷座されたと伝えるが(文化12年(1815)の『阿波志』)、一説に天正14年(1586)の家政による徳島城築城と共に、城下の鎮守として名東郡田宮村から迎えられ、同村から共に遷された勝福寺(通称春日寺)を別当寺とするようになったともいう(昭和48年)の『徳島市史』)。慶長年間(16世紀末から17世紀初)に蜂須賀氏が徳島藩主となって以後、「春日大明神」と称して歴代藩主からの崇敬を受け、祭祀料として毎年供米10が春日寺充てに寄進されたという。境内には眉山湧水群のひとつ春日水がある。境内社は豊玉比賣神社(祭神・天石門別豊玉比賣(トヨタマヒメ)、式内社)、若宮神社(祭神・天忍雲根命)、秋葉神社(祭神・天照大御神、大巳貴命、埴安姫神、保食神、少彦名命)。ウイキペヂアより抜粋。

1.春日神社
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2.大鳥居
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3.江戸時代の百度石
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4.見事な拝殿
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5.拝殿をアップで見る!
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6.阿形の狛犬
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7.吽形の狛犬
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8.摂社で式内社の駒札
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9.摂社で式内社
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2017/1/7

徳島・讃岐を見る!10.藩祖・蜂須賀蓬庵公(家政)が慶長3年に阿波の繁栄を願って創建した滝薬師!  文化財研修記

徳島市眉山町大滝山7には藩祖・蜂須賀蓬庵公(家政)が阿波の繁栄を願って慶長3年(1598)創建した持明院は『阿波名所図会』にも登場する有名寺院であったが、明治維新の神仏分離・廃仏毀釈で廃寺となった。更には昭和の大戦争で一朝にして廃墟となった。現在は跡地に前住の三沢清瑞僧正が再興の悲願を起こし、昭和33年に再建して、現在の隆盛を起こした。殊のほか霊験あらたかな滝薬師如来様を本堂、本殿で祀る大滝山常慶院滝薬師(たきやくし)がある。

1.本堂を見る!
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2.駒札
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3.本堂をアップで見る!
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2017/1/5

徳島・讃岐を見る!9.僧・行基菩薩が開山したという真言宗の安住寺!  文化財研修記

徳島県徳島市寺町82には真言宗大覚寺派で月周山・安住寺(あんじゅうじ)がある。開山は僧・行基(行基菩薩)」といわれ「阿波誌」によれば、旧勝浦郡宮井村にあり真国寺と称したが、のちに徳島城中龍祠の畔に移し誦経房と称した。寛永年中(1624〜44)現在地に移った。当時はの禄高は1石5斗であったという。明治27年(1894)10月5日五宝翁太郎がこの安住寺で生徒数名を集め特別指導さたのが徳島県立聾学校の始まりであった。瓦屋根のついた塀が引き回された境内には旅館風の建築の本堂、庫裏、方丈などの建物が並ぶ落ち着いた風情である。

1.山門
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2.山門をアップで見る!
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3.本堂
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4.見事な本堂の唐破風の玄関を見る!
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5.巨大な石佛の珍しいお墓です!
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6.石造りの弘法大師などの石佛群!
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