山田守は今から丁度41年前の1966年6月13日午前4時15分に関東逓信病院(山田の設計ではない)において72歳で死去されました。
胃癌だったそうですが、直前の視察洋行の疲れや壮絶な京都タワーバッシングによる気苦労などを指摘する声もあります。
直前の洋行では水族館、図書館、空港ターミナル視察が目的だったとのことです。
水族館や図書館は東海大学関係ですが、空港は当時関西方面での話があったそうで、どこの空港かは不明ですが、もし実現していたら山田のもう一つの代表作になっていたことでしょう。
通夜は築地本願寺、告別式は青山葬儀所で行われました。
また東海大学でも2号館で学園葬が行われ、全学休講で喪に服したそうです。その後キャンパスには山田の銅像が建てられました。
墓所は山田が好きだった富士山の望める鎌倉霊園にあります。墓石の脇には大きな鞍馬石に山田の詠んだ句が彫られています。
人にあり銀河にもある生死かな