山田守は今から113年前の今日(1894(明治27)年4月19日)、岐阜県羽島郡上中島村長間(現羽島市)に生まれました。
旧上中島村は名古屋駅を出発した新幹線が岐阜羽島駅に差し掛かる直前の車窓に広がる田園地帯です。
同時期の岐阜県生まれの建築家としては、共に分離派建築会を立ち上げた堀口捨己(1895年生)や同じ羽島出身の坂倉準三(1904年生)がいますが、何れも日本近代建築史上に大きな足跡を残しました。
山田守はこの地の有力者の家に11人兄弟の五男として生まれ、中学に入学する1907年までこの地で育ちました。当初は「マモル」ではなく「モリ」と呼ばれていたそうです。
生家には山田の遺した句碑が建てられています。
「すずしろの 花よ父母なき 古里に まもる」
この地を通過する東海道新幹線は1964年10月に完成しましたが、その頃は京都タワーの竣工直前で、開通当時の新幹線には何度も乗車したと思われます。建築家にとって戦場ともいえる現場に向かう車内から眺めた古里はどう映ったのでしょう。
★羽島市役所HP
★郷土(出身)の人物 山田守
※参考文献
向井寛著「建築家 山田守」東海大学出版会刊
山田健治郎著「人間・山田守について」建築家山田守作品集P28・東海大学出版会刊