2007/3/24
「山田守の湘南キャンパス構想(その6)」
山田守建築の分析(湘南キャンパス編)
これは東海大学の機関誌「東海」第5号(1964/4/15発行)において「理想的学園の造成をめざして」と題した特集記事の最初に紹介された絵です。おそらく山田の元図から機関誌編集者が絵として起こしたものと思われます。

▲[図7]機関誌「東海」第5号38ページより(東海大学学園史資料センター蔵)
この機関誌「東海」第5号の記事はキャンパスの将来構想を詳しく取材したものとして注目されます。取材時期については40年9月の断りがありました。山田の元図は見つかっておらず、[図6]との前後関係は不明です。以下分析図です。

▲[分析図7]
ここでは紹介された記事の一部を抜粋して紹介します。(この時点で既に竣工している1・2号館の記事については省略します)
1.食堂
五百名収容の第一食堂についで、北隣に第二食堂が建設される。→仮設によるものです。
2.体育関係施設
中央道路を境とする西側には武道館及び屋内体育館が建設され、武道館は建坪五百坪。四百畳の柔道場と二百坪の剣道場が設けられ、屋内体育館は六千坪という大規模な構想が練られている。→武道館については現在とほぼ同じ規模で考えられています。但し建設位置は違う場所です。屋内体育館は現在の2倍以上の構想でした。
3.望星学塾
敷地西南端に設けられた学生寮・望星学塾は三十九年にまず第一号棟が完成、つづいて第二号棟の北側一棟がこのほど完成した。引き続いて第二号館の残り一棟及び第三号棟の建設が行われ完成の暁には約千名を収容することになる。
4.図書館・第四号館
中央図書館を中心として各学部の研究室、事務管理部門を置く。鉄筋コンクリート、建て坪千二百坪の三階建てで、一号館と二号館の中間に建てられる。→実際には建坪は小さく高さは4階で建てられている。
5.第三号館(B)
地面を堀削して階段式とし型は八角形。中央部に教壇を設けて一方角千名、合計八千名を収容する大規模な構想が練られている。→この図面で最も注目すべき構想です。立面は判りませんが日本武道館のような平面及び断面であったことが読み取れます。これは結局実現しませんでしたが教室としてどのような形になったのか興味深いものがあります。
6.第三号館(A)
第二号館の東側に建設されるもので現在建築工事進行中。四十一年九月完成予定。→ここでは(B)館の存在があり、(A)館とされているが、何故別の番号が振られなかったのかは不明。
7.松前会館
本年八月着工した松前記念館は鉄筋コンクリート二階建て三百八十坪で、一階は各種集会、催し会場、二階は宿泊施設とし、周囲の植樹、築庭に配慮を加え教職員、父兄、卒業生の交流、親睦の場となる。
8.研究実験館
A・B・C・D・E・Fの六棟を建設する。いずれも鉄筋コンクリート二階建て。建て坪三百、延べ六百坪で、このうちA・B二棟は既に完成し、設備工事が進んでいる。C・D・E・Fの四棟は目下建設工事中で四十年度中には完成する。→当時の構想ではE・F棟の間が二棟分空けられて、中央実験館前庭が形成されていた。後にこの部分に新F・G棟が建設され、F棟はH棟に名称変更されている。
さらにこれらの研究・実験機関の統制部門として将来研究実験区画の中央部にまたがる大規模な中央研究実験館が建設されることになっている。計画では鉄筋コンクリート一部三階・一部四階建て、建坪二千坪、延べ七千五百坪の大建築物でここには電子計算機室、図書文献センター、機器分析室、加速器室、共同利用研究室、ゼミナール室、討論室、視聴覚教室、各種研究実験室、消耗品のセルフサービスなどが設けられることになっている。ここにあげた実験・実習棟、研究実験館の区画(三万坪)は中央研究実験館をセンターとして構造、配置、組織に新しい構想をとり入れ、中央倉庫システムなどにによって各実験、実習、研究機関を有機的に連結すると同時に、従来の大学で行われている科別、専門分野別の実験、研究方式をテーマ別の方式に切りかえる。これによって従来では当然生じてくる専門分野のセクショナリズムを施設、運営の両面から一挙に払拭し、共同研究、共同実験による各部門相互の密接な連携によって研究の綜合化をはかり、教育の成果をあげることにしている。→結局幻になってしまった中央研究実験館の構想ですが、その背景や具体的施設計画まで決まっていたのには驚きました。実現していれば現在の工学部の姿は違っていたものと思われます。山田はセクショナリズムの払拭を建築計画や具体的な形で表そうとしていたわけです。
9.実験実習棟
1号棟から5号棟までのうち3(パネル二階建て四百坪)、4(同)、5(同ふき抜け二百坪)が完成し機器の据付が進行している。
つづいて着工する1、2号棟はいずれも建坪二百坪、延べ四百坪。四十年度中に完成予定。
10.協助会館
鉄筋コンクリート延べ三千坪で建築する計画で第三食堂、読書室、展示場、小劇場、音楽室、討論室、その他教職員、学生の交流、福利厚生施設を収容する。→図中では「学生会館」の表記になっている。実際の同内容の施設は北側敷地外に設けられている。
11.方位はほぼ正確になっています。
山田の生前に残されたキャンパス構想図面としてはこの[図7]或いは[図6]が最後のものとなったと思われます。山田は1965年10月30日から12月23日まで欧米へ視察からの帰国後、体調を崩し、翌年1966年6月13日に亡くなりました。病床に伏しても最後まで(湘南)武道館を始め湘南キャンパス工事のことを気にしていたそうです。
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