当時のジャーナリズムの書きたてもありこの建物が分離派の金字塔であることは今や疑うべくも無い定まった見方でしょう。ただしかし、「パラボラアーチ」の要素だけをとってみればこれは山田の発案だったとは言い難いと感じております。
よく言われるドイツ表現主義の1921年以前の作例にパラボラアーチはそうは見かけない。ペルツィッヒはどちらかというとフリー曲線か半円アーチを多く用いた。
一方、逓信省内では中電の計画されていたのと同時期かそれ以前に山田以外の設計者が独自のアレンジでパラボラアーチを局舎の設計にいくつも取り入れていたのも事実です。
山田は「ある電話局の草案」を上司に否定された経緯を持つが、パラボラアーチが否定されたのではなく(むしろその使用は前提条件で)当時のことなので、山田のあまりに斬新なモダニズム的提案の逆に言えば古典的様式感の備わらないあたりが問題になったのではなかろうか。
では、逓信省パラボラアーチの発祥は誰がいつから・・・・?
渡辺仁などの候補はいるものの未だ闇の中のようです。
http://www.sainet.or.jp/~junkk/