2007/3/13
「山田守の湘南キャンパス構想(その1)」
山田守建築の分析(湘南キャンパス編)
湘南キャンパスの構想は当初、現在とは少し違ったものでした。
短期間に要求される条件が変わり、設計者の山田も相当苦慮したと思われます。
キャンパスの設計において山田は一切報酬を取らなかったそうです。東海大学の創立者である松前重義との友情の元、想像を超える大変な努力ですが、一方で山田の自由な設計も担保されていたと言えるかも知れません。

▲[図1]東海大学湘南校舎建設計画概要1963(国立公文書館蔵・東海大学学園史資料センター提供)
これは1963年に当時の官庁(文部省)に書類として提出されたもので、国立公文書館に保存されている図面です。1963年はまだ1号館が建設されたばかりで、他に何も無い原野が広がっていたそうです。この図面は当時の所員の方曰く相当「やっつけ」で描いたそうで(手抜きでは無く、時間がなかったと言うことです)確かに表現が大雑把ですが、当時の山田の構想を探るには良いヒントになりそうです。
以下にこの図面の分析をしてみます。

▲[分析図1]
これは図1をトレースし現在のキャンパス図(青点線)に重ねたものです。
実際の隣地境界(赤一点鎖線)とはズレていますが、用紙の伸縮は別として一部未確定があったのかもしれません。
さて、気が付いた点を列挙してみましょう。
1.1号館は既に施工中または竣工(1963年5月8日)しており、大きさ形、位置とも正確に描かれています。
2.中央通りはテニスラケット状にリバースする形です。
3.中央通り北端は大階段により1号館で止まっていました。
4.この位置に構想された噴水は1号館前、ロータリーは南側にずれて実現します。
5.陸上競技場、サッカー兼ラクビー場の位置は反対で方向も90度回転しています。
6.建築生産研究所とある建物は現在の建築学科棟の4倍近い建築面積で描かれています。初代建築学科主任教授としての想いでしょうか?
7.学生寮とあるJ・K・H館は現在の大きさ形であり、設計は既に固まっていたと思われます。
8.階段教室との名称の現2号館ですが、現在の大きさ形であり、設計は既に固まっていたと思われます。ただし配置方向が30度ずれており、山田によるキャンパスの校舎配置手法は個別設計の後にあったものと考えられます。
9.2号館とされる校舎はこの図面のなかでひときわ目を引く形をしています。小型Y型校舎を6つ併せて中庭を持った六角形になっており、他の山田作品にも無かった新しい形式です。正式な東京都のマークに似てますね。
10.相撲場とあります。この頃は授業科目に入れるつもりだったのでしょうか?一方道場は現在より相当小さいもので描かれています。
11.散策路のある周辺は庭園をイメージしていたのかもしれません。
12.日本地図があります。池の小島(伊丹市昆陽池の例)だったのかは不明です。
13.民族博物館が計画されていました。実現はされていません。
14.体育館は大雑把な表現ながら実現されたものと同様の形です。
15.自動車練習場とあります。当時まだクルマが普及していない時代に先見の明ですね。実現はされていません。
16.方位の表示はかなりずれていました。
17.中央通りはほぼ現在の位置に描かれています。南側の県道までの部分が描かれていませんが「計画が無かった」と言うより「書類の性格上描かなかった」のだと思われます。
全体を見渡すと南北の高台に建物を配置、中央の低地にグランドを配し南北大通りの強い軸線で結ぶ方針は初期に固まっていたと思われます。また当時の所員の方の話だと農地転用の処理をスムーズにするため、敷地全体に建物を散らす必要があったとの事です。
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