昭和39(1964)年「川柳平安」5月号
胸の矢は錆びてはいるが鮮烈な 堀豊次
記憶育たず夕焼の中なる父
子と風呂へ行く諦観の道となる
駅に人送り心に降るものあり
汽車の屋根を見下ろし自分から逃げる
ある決意いのちの燃える音をきく 坂根寛哉
舗道まっすぐに庶民を裏切らず
門柱のベル生活はこのように
春無為にあり靴下をはきかえる
教会の屋根へあらゆる屋根つづく
「降るものあり」は句意不明。「駅に人送り」「心に」とあるから、心象の表現だが「降る」の句語が迫ってこない。ただ後年、「駅でなあ、レールが見えると、汽車に乗ったら何処にでも行けると思う」「自分一人だけやったら、何処へでも行けるねん」と聴いたことがあり、そんなものかなあ、といった程度で現実逃避の言を受けとめたことがある。プラットホームやレールや駅の跨線橋(当時、この言い方が革新系の句語に現われたことがある)から「汽車の屋根」を「見下ろし」たときに一瞬、日常性から離れられるとの感情が湧き上がった、それを「降るもの」と書いたのかも。
表現法だけを捉えると、「心に降るものあり」の「心に」は不要の表現。
川柳界で「心に」という措辞の省略されて行く歳月があったはずだが、検討した人はない。事実「頭の中」「眼底」「耳の底」「体内」「枕の中」「目を閉じると」などがあり、いつのまにかこれらの句語が減っていった。イメージがしっかり書けていると「心に」は不要になる。
豊次はすでに
眠り落つとき花火打ち揚げん頭のなかに
到るなき思索の梯子今日も登る
山高帽頭に画きたり たのし
体内に一匹の魚 棲ましむる
血管を泳ぎて青き魚である
貴方の湖にも玩具の舟が沈んでいる
眼をとぢると家鴨が今日も歩いてる
などを書いていたが、庶民的なモダンな表現と言えばいいだろうか。いわばこれらの「心に」の書き方、とりたてて一人称の表現を考えていたわけではない。例えば
ロバの腹 ふくれているは かなしきかな
湖の底の一個の石となり―眠る
白日にさらされし如 妻就職
などは「心に」や、「頭のなか」の映像であり、両者は豊次のなかで同時進行していたようである。
新撰苑上位
体温ぽつりぽつりと僕へ帰る 服部たかほ
喜劇売る額へきょうが乾いてしまう
色紙のはり絵はみにくい父かもしれぬ
目覚ましの音はロボットになる合図 国崎エリコ
地下鉄は今朝も孤独をつめこんでいる
つぼやきの老婆の手そこにある年輪
斗争のいのちおさむるここに夕陽 城山朶夢
誰を愛すいまも尽きざる夜の川音
いつわりの弔旗上るか吾が指す夜に
クラリネットの旋律にペンキが匂う 山本ひよこ
休符の先のほうをかじっている夢
条約の必要がない音の羅列
この釣竿神話がつれるかもしれぬ 定金冬二
冬の陽はありがたきかな火葬の列
埴輪笑う暗渠の如く声なき口 中村土竜庵
埴輪黙す懐疑を遠く超えた日を
鉄骨の羞恥地上にいることの 山本祥三
鉄骨へ汚水を運ぶ蟻無数
男朝靴磨かれたまま売られゆく 鶴本むねお
私の理想を奪ってしまった鏡よ
冬二の「この釣竿神話がつれるかもしれぬ」は冬二フアンによく知られた佳作。「かもしれぬ」はいまでも書かれる常套語だが、この句の印象がつよい。
結社に来た通信物の抜粋欄がある。その一節
橘高薫風子(大阪市) (前略)川柳雑誌社は河野春三氏に編集を手伝ってもらうことになり、路郎主幹の忙殺もやや軽減することでしょうし、企画も斬新になり、いきおい春三氏の息吹が誌面にあふれてくることと思います。(後略)
竹田花川洞(東京都)3月29日の〇丸句碑建立記念川柳大会は、百五十人の出席で東京では近頃の成功した集まりでした。
上記の句碑は
ははのする通りに座る仏の灯
である。
昭和39(1964)年「川柳平安」6月号
旗失いしときより僕の地図がない 堀豊次
電車に眼をとじて開いてきょうを捨てる
カラーなきわが眼裸木飲みしより
空疎な笑い鉄の扉がとざされる
アパートならび人間乾かされてゆく
鞭のごとくタクトは持たぬだけのこと
染料に手を染め職に終わるのか
戦場が恋し死ぬときそう想う
銭湯に性器洗えりかなしき人ら
一枚の夜が夫婦に沈んでゆく
胃袋の形に秘境を呑んでいるダム 所ゆきら
トンネルからトンネルが見え国道一六八うねる
垂直にまんたんのダムを断る吊り橋の鎖影
温泉と吊橋とダムの村の珈琲はなかった
長い高い吊橋のそこで廻れ右する風の中
新撰苑上位
ぼくというのはニセ者の労働者 定金冬二
キャンバスに線は引かれた見事な殺意
童話とは銀座に孕む可能性 川上湧人
花以前乏しき孤独への帰属
ドラマは絶えず骨箱を抱く喪服 乾ふたよ
匂いのない勲章は作られず
真直に蛇の体臭へ還る女 城山朶夢
痩天に何を信ずる野犬の死
人間が人間を抱く夢惜しまず 桝井碧水
冷静を保ちて雨を行く敗者
首輪と夕陽の対話を聞いている少年工 服部たかほ
雨のつぶて人を見分けては叩く
額ぶちの中の喜劇を演じきる 山本ひよこ
不規則な跳躍にかびが生える
セコンド軽やかに吉日を刻む 鶴本むねお
深夜の天井を矛盾が這い回る
句会から少し
文学の殻の貧しさが残り 豊次
父親に預けることを子はさける 豊次
ハンガーに体温を分けて来てすわる 百日亭
体温の残る万年筆を借る 豊次
それは動物の体温であった座布団 尚平
穴に風通してきた旅 ゆきら
美しく稼ぐ運河を身に持って 豊次
石松という名のボス猿の孤独 ゆきら
あしおと欄に
去る5月3日静岡市県民会館で39年度現代川柳作家連盟の総会がひらかれ、運営方針などの検討が加えられたが、連盟賞受賞作品は河野春三、佳作に中野柳窓、時実新子の発表があった。なお委員長には東京の石原青竜刀氏を選出した。本社から堀豊次、上田枯粒が出席。