昭和39(1964)年「川柳平安」1月号
暗殺の報伝わる電車に白く運ばれる 掘豊次
靴屋に靴並びテレビ暗殺を繰りかえす
ケネディのあの眼開かずダラスの町
弾道は現実歴史とはならず
歴史から抹殺される二組の妻子
「暗殺の報伝わる」年が終わって、オリンピック開催の年が始まった。「電車に白く運ばれる」という表現は具体的に判然とした意識や認識ではなく、暗殺のニュースを聴いた当初の、「電車」のなかでの整理できぬ感情だと思われるが、大きな事件と庶民の日常性との距離感が働いた措辞と感じられる。外で起こったなにごとかについての自分の意識や認識を書くより、その前段階の定かならぬ気分や感情が「暗殺の報」「靴屋に靴並び」「ケネディのあの眼開かず」の三句に書かれている。豊次のこの書き方については別に触れたいが、日常的な生活感情のなかでの「共感」を川柳の原理とする川柳人であった。だから、事件の報道があって、とにかく感情の整理段階を書こうとしたと思われる。意味以前の感覚の表現なので、三句に伝えるべき意味やメッセージ性はほとんど書かれていない(当時では意味やメッセージが稀薄でも社会性川柳というカテゴリーの句だった)。「あの眼」の措辞がどのような感情から書かれたかは本人にも不明だろうが、事件に対する自分と同位置の庶民には、「あの眼」が思い起こされるものとの意識が働いたのだろう。豊次の抒情にともなう美意識を多少なりとも知るところからいえば、「白く」という光りの捉え方に事件との距離感、その無為の感があるが、暗殺があった<晩秋とか初冬>の感が豊次らしい美的感覚だ。
そして「白く運ばれる」なかでも、むろん電車から降りても別の時間でもいいのだが、「靴屋に靴」が並んでいる光景が眼についた。一般庶民と「暗殺」事件との乖離や繋がりが意識に巡ったはずである。あるいは、2・26や盧溝橋事件の報が流れたときの自身とその庶民生活とを、思い出したかもしれない。豊次にとって「靴屋」の「靴」は社会人の個々が履いている「靴」であるとともに、当時では一足の「靴」を躊躇わずに買い求めることのできない日々の経済感覚があったのだ。
日常性や庶民感情が自分の川柳の位置だとの思いが起きた。川柳人堀豊次のアイデンティティーが自覚された。またまた歴史に残るに違いない大事件が起きた。が、それを知ったときの庶民の感情は「歴史とはならず」なのだ。豊次は社会や世界に〈衆や集と個〉という二極構造があるという認識を、「歴史とはなら」ないという受身の立場から書こうと思ったのである。
のちに「二組の妻子」って何ですか?と訊ねたことがある。「ケネディの妻子と、あの、撃った犯人(オズワルド)のなあ」と、豊次さんは事件についてよりはるかに、その妻子におもいを寄せていた。オズワルドに妻子が居るものと思って、二組の妻子へ情をよせていたのだ。狙撃犯複数説やオズワルド単独説、オズワルド白説などあって、映画にもなり、えっ、オズワルドに妻子が居たのか、と首をかしげたが、ためらいなしに、まず両方の妻子を思ってしまったところに掘豊次の面目躍如たるところがあった。単純といえばまったく単純だが、掘豊次は庶民感情を川柳に書くことに徹した川柳人であり、庶民であるところの階層に川柳という文芸があるべきだとの思いを持ちつづけた人であった。
堀豊次ほど川柳の社会的地位を思っていた人を私は知らない。庶民性や日常性から離れた事象を批判的に見ていたひとであった。それはまた、豊次を革新派と見なす大方の川柳人や川柳界の目とちがって、河野春三や山村祐・宮田あきらなどの革新性には距離を取っていた。この辺の豊次の実像を知るひとは少ない。そして、一般的な庶民とその日常性を低俗化させる方向の川柳と川柳人への、口に出すことのなかった豊次の反感の濃さを知る人も少ない。一切の社会的名誉欲から離れて「私は、誤解はなんぼでも受けたらええねん」――「川柳は庶民の文芸や」に豊次の「新撰苑」があった。平安川柳社でも川柳ジャーナルでも、川柳界でも、私は、掘豊次という川柳人の身の処し方にじれったい思いを抱きつづけていたが、いつも、豊次の身の処し方がどこから出るものであるかを理解していたと思っている。「賛成できまへん。そんなん、川柳の質の向上にならへんと思います。もう、庶民という言葉に執着したらあかんと思います」と言うべきだったという悔いのいくつかを思い出す。そういえば昭和53(1978)年1月に平安川柳社が解散して、むろん「新撰苑」もなくなってから何年間も過ぎていたが、忘れられない一言がある。「もう、皆、中産階級になってしもて」――なんと答えたかは忘れたが、それぞれの時代に川柳という文芸を受け継ぎ、次に渡すしんどい無償の行為に殉じたひとがたくさんあって、自分はその一人の苦闘をまのあたりに見つづけ、親しく話を交わすところにいたのだという感慨が胸に噴きあがった。
新撰苑上位
少年の日を追ってるから夕陽丸いんだ 服部たかほ
砂でかためた童話を買っているおとな
ラッシュアワー靴には顔があるかもしれぬ
一瞬の静寂にミューズの戯れはない 山本ひよこ
いのちの断片をバスーンが拭き抜ける
黎明を突き破るピッコロが震えている
資本家が胃壁を満たす地球の飢えた部分 石川重尾
窓のない貨車走り冷たい感触の明日
死臭充満玩具のネジをまく女 定金冬二
十字架の上でも女幻惑す
二人の夜蔭花植物の花開く 中村土竜庵
不倫の視野去らぬ白い柩車
人なぶる紙幣一陣の風を受け 桝井碧水
この話敗け目お臍が冷えてくる
踊り狂ったピエロの死を空へ葬ろう 林 とん平
わが生涯のカードはすでに配られている