講演『システィーナ礼拝堂』  美術関係

私はミケランジェロ「アダムの創造」が大好きだ。

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あのバチカンのシスティーナ礼拝堂

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天井画である。

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もし神様が
「今度、世界中の美術品を全て消滅させることにした。
たが、お前の願いを受け入れて、
一つだけ残すことを許してやろう。
何にする?」
と訊いてきたら(そんなことはあるはずもないが)
即座に
「『アダムの創造』を残して下さい」
と言うだろう。

システィーナ礼拝堂には3度訪れた。
うち1度、同行者から
「好きな人と会っているような顔をしていたよ」
と言われたことがある。

あの空間にいるだけで
陶然としてしまう。

そのシスティーナ礼拝堂について、
美術史家エリザベス・レヴの講演があるので、
観たい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/lQflBowgVB4

途中、絵画の実物が沢山写る。

観るヒマのない方は、
↓の講演録をどうぞ。

[解説]

システィーナ礼拝堂は
地球上で最も象徴的な建物ですが、
知られていないことも沢山あります。
美術史家エリザベス・レヴが巧みに案内してくれるのは、
この有名な建物の天井画の全体像、
そしてミケランジェロが生き生きと描いた、
いにしえの物語です。
そして彼が当時の宗教的な図像を乗り越えて、
新しい芸術の海図を作り上げていった様子を教えてくれます。
レヴによれば、ミケランジェロがこの絵を描いて500年経った今、
私たちはシスティーナ礼拝堂によって、
鏡を覗くように世界を見て、
自問するように仕向けられます。
「自分は何者か、そして人生という大舞台で
自分はどんな役を演じているのか?」と。

[講演翻訳]

ローマにいる自分を想像してください。
向かっているのはバチカン美術館。
長いい回廊をゆっくり歩き
彫刻やフレスコ画など様々なものの横を過ぎます。
目指しているのはシスティーナ礼拝堂。
長い回廊と階段と扉を抜けた先に
礼拝堂の入り口が現れます。

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あなたなら何を期待しますか?
広々としたドーム?
天使の聖歌隊?
実はそういうものはありません、
こう考える方がいいかもしれません。
何があるでしょうか?

礼拝堂の壁にかかっているのはカーテンです。
壁に描かれたカーテンに文字通り囲まれます。
これが礼拝堂本来の装飾です。
教会ではタペストリーを使って
長いミサの間寒さをしのぐだけではなく
「偉大なる生の劇場」を表したのです。
この人間ドラマは私たち全員が役割を与えられた
壮大な物語全世界を組み込んだ物語であり
システィーナ礼拝堂の絵画は
3つの段階に沿って展開していきます

ここは当初富と教養を持つ
少数のキリスト教聖職者用に建てられた空間でした。
彼らはここで祈り、ここで教皇を選出しました。
500年前、ここは聖職者のための究極の「男の隠れ家」でした。
ではなぜこの場所が多種多様な文化を持つ人々を
毎年500万人も引きつけ、魅了するようになったのでしょうか。
それはこの狭い空間に
創造性が爆発しているからです。
地政学的な新たな領域の発見という
熱狂的な興奮に触発されて
古くからの教会による布教の伝統に火がつき、
歴史上最も偉大な芸術作品が生まれたのです

この発展は大きな進歩であり、
少数のエリート層に始まり、
最終的には世界中の大衆という観客に向けて
語りかけることになりました。
この進歩は3つの段階を経ていて
それぞれが歴史的な出来事に結びついていました。

最初の段階はかなり限定的で
とても狭い見方しか反映していませんでした。
2つ目の段階はコロンブスの歴史的な航海によって
世界観が劇的に変わることで生じたものです。
そして3つ目の段階は「発見の時代」がかなり進み
教会がグローバル化という試練に立ち向かっていた頃でした。

この教会の元々の装飾は小さな世界を反映しています。
キリストやモーゼの人生を語る活気に満ちた場面があり、
ユダヤ教徒やキリスト教徒の進歩を表しています。
これを発注した教皇シクストゥス4世は
フィレンツェ画壇のドリームチームを結集しました。
そこにいたのはサンドロ・ボッティチェリや
後年ミケランジェロの師となるギルランダイオなどです。
彼らは純粋な色の装飾で壁を覆い尽くしました。
この物語の中に見慣れた光景があるのがわかるでしょう。
ローマにある史跡やトスカナの風景を取り入れることで
はるか彼方の物語を親しみやすくしています。
教皇自身の友人や家族も描き加えられ、
欧州大陸の小さな宮廷の装飾にはぴったりでした。
ところが1492年に新世界が発見された頃には
世界がどんどん広がり、
奥行き40m、幅14mのこの小宇宙も
広がる必要に迫られました。
そしてそれは実現しました。
豊かな創造性とビジョンに恵まれた
一人の天才と素晴らしい物語のおかげです。

この天才こそミケランジェロ・ブオナロッティ。
1100平方メートルある天井の装飾を依頼された時は33歳でした。
彼は苦境に立っていました。
絵画の修行もしましたが
彫刻を極めるために辞めました。
フィレンツェには怒り狂った依頼人が沢山いました。
未完成の依頼を山のように残し、
一大彫刻プロジェクトを期待してローマに行ってしまったからです。
でもその計画は反故になってしまいました。
彼に残されたのはシスティーナ礼拝堂の天井の
装飾的な背景に重ねて十二使徒を描く契約だけでした。
イタリア中どこにでもあるような装飾画です。

ところがこの天才は挑戦します。
人間が勇敢にも大西洋を横断したこの時代に
ミケランジェロは新しい芸術の海図を作ろうしたのです。
彼も物語を伝えようとしました。
ただし使徒の物語ではなく
偉大なはじまりの物語つまり『創世記』の物語です。

天井に物語を描くのは容易な仕事ではありません。
どうすれば19m下から
活気あふれる情景を読み取ることができるでしょうか?
200年間フィレンツェの工房に伝わってきた絵画の技法は
このような物語を描くには不十分でした。

ただミケランジェロの本職は画家ではなかったので
自分の強みを生かすことにしたのです。
彼は空間を群衆で満たす技術を身につける代わりに
ハンマーとノミを手に大理石の塊を彫り
その中から人物像を取り出しました。
ミケランジェロは本質を重視し
物語を伝えるために
躍動感あふれる堂々たる肉体を使いました。

この計画を支持したのは非凡な教皇ユリウス2世でした。
この教皇はミケランジェロの大胆な才能を恐れませんでした。
教皇シクストゥス4世の甥で
30年間芸術にどっぷり浸かっていたので
その力を心得ていました。
歴史上「戦う教皇」の異名をとった彼ですが、
バチカンに残したのは要塞でも砲台でもなく、
芸術でした。
ラファエロの間やシスティーナ礼拝堂、サン・ピエトロ大聖堂や
大規模なギリシャ・ローマ彫刻のコレクションを後世に残したのです。
確かにキリスト教的ではありませんが
このコレクションは世界初の近代的美術館
バチカン美術館の基礎となりました。
ユリウスという人物は、
壮麗さと美を通してバチカンに永遠の意義を与えようと考えました。
その判断は正解でした。
ミケランジェロとユリウス2世という
2人の巨人の出会いが、システィーナ礼拝堂を産んだのです。
ミケランジェロはこの計画に没頭
し3年半で完成させました。
最小限の人員しか使わず、
何時間にも渡ってほとんどの時間を
頭上に手を伸ばして天井に物語を描いたのです。

ではこの天井画を見ながら
物語が世界に広がる様子を見ていきましょう。
芸術と私たちの世界の間にありふれた関係はもう存在しません。
そこにあるのは空間と構造とエネルギーだけです。
9枚のパネルを取り囲むように堂々たる枠が描かれ
絵画的な色彩というより彫刻的な形態に突き動かされます。
私たちは入り口の近く部屋の端に立っています。
祭壇から離れた場所゛聖職者用の入り口がついた柵から
私たちは覗き込んで
遠くにある始まりを探します。
科学的な探求であれ聖書の伝統であれ
私たちはまず原初の光を考えます。
ミケランジェロは原初のエネルギーを
光と闇が分かれる様と
遠くにぼんやりと躍動する姿を
狭いスペースに描き込むことで表現しました。
次にその姿はより大きくなり
左から右へすごい勢いで動いていくのが見えます。
その後には太陽と月と植物が残されます。
他の画家とは違い
ミケランジェロは創り出された物に焦点は合わせません。
創造という行為自体に注目したのです。

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そして詩の休止のように動きは静まり、
創造主は停止します。
何をしているのでしょう?
造っているのは大地でしょうか
それとも海でしょうか?
あるいは自分が造った宇宙やいろいろな宝物を振り返り
ミケランジェロと同じように
天井にある自分の創造物を振り返って「良し」と言っているのでしょうか。

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これで場面は整い
いよいよ創造のクライマックス
男の創造に至ります。

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アダムは暗い背景に明るく描かれ際立っています。
でもよく見ると足は地面の上に力なく置かれ
腕は膝の上に重く寄りかかっています。
アダムには偉大さへと突き進むような内面の輝きがありません。
創造主はその輝きを指先から与えようとしています。
アダムの手との間はわずか1ミリです。

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これを見て私たちは夢中になります。
なぜならもう少しで指が触れ
人間が自分の目的を見つけて立ち上がり
創造物の頂点を極めようとしているからです。

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ここでミケランジェロは変化球を投げます。
もう一方の腕の中にいる人物は?
最初の女性イヴです。
でもイヴは単なる思いつきではなく
筋書きの一部で、
最初からミケランジェロの頭にありました。
イヴを見てください。
腕を神の腕に回すほど親しいのです。
21世紀アメリカの美術史家である私にとって
この時がまさに絵が語りかけてきた瞬間でした。
ここで表現された人間ドラマは
男と女のドラマだと気づいたからです。
だからこそ天井の心臓部となる中心には
アダムの創造ではなく女性の創造が描かれているのです。
確かにエデンの園では2人は一緒でしたし、
堕落する時も一緒。
堂々とした姿が恥ずかしさのあまり前かがみになるのも一緒でした。

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今天井の重要な地点に差し掛かったところです。
教会の中でもこれ以上進めない地点にいるのです。
入り口のついた柵で内部の祭壇には近づけないので
まるで追放されたアダムとイヴのようです。
天井に描かれた後の場面は
人でごった返す私たちの周りの世界を反映しています。

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ノアと箱舟と洪水、
生贄を捧げ神と契約するノア、
彼は救世主かもしれません。
その一方でノアはブドウを育てワインを作って泥酔し
納屋の中で裸で眠りこみます。

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天井画のデザインとしては奇妙です。
生命を創造する神に始まり
納屋で泥酔する男に至るのですから。
アダムと比べてみると
ミケランジェロが私たちをからかっていると思うでしょう。

でも彼はノアの真下に明るい色彩を配置して
暗さを吹き飛ばします。
エメラルド色橙色緋色の預言者ゼカリアです。

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ゼカリアは東から光がさすことを預言し
その瞬間私たちの目は新たな方向へと向けられます。
巫女や預言者たちが列をなして私たちを導いてくれます。
道中の安全を確保する英雄たちに導かれ
母親や父親にしたがって進みます。
彼らが動力となって偉大な人間のエンジンを前進させます。

さてとうとう私たちは天井画の要、
すべてが最高潮に達する場所に至ります。
そこには自分の領域から抜け出し
私たちの空間を蝕む人物がいます。

ここが最も大事な局面、
過去が現在と出会う場所です。
この人物ヨナは3日間クジラの腹の中で過ごしたので
キリスト教徒にとってはイエスの犠牲を通した
人間の復活を象徴します。
ただ毎日ここを訪れる
あらゆる信仰を持った大勢の訪問者にとって
ヨナは遠い過去が今の現実と出会う瞬間を表しています。

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これらすべてに導かれ
ぽっかりと開いた祭壇のアーチにたどり着き
目にするのがミケランジェロの『最後の審判』です。

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世界が再び変容した後の1534年に制作されました。
宗教改革により教会は分裂し
オスマン帝国はイスラムの名を世に広め、
マゼランが太平洋航路を発見していました。
ベニスより遠くに行ったこともない59歳の芸術家は
この新世界にどう語りかけるのでしょう?
ミケランジェロが描こうとしたのは宿命であり
優れたものを後世に残したいという人類共通の普遍的な欲求です。
『最後の審判』というキリスト教的な視点で世界の終わりを語るため
ミケランジェロは驚くほど美しい肉体を持った人々の姿を描きました。

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いくつかの例外を除き、何も身につけておらず、
誰かの肖像でもなく、肉体だけで構成され
この391人の中に、一人として同じ者はいません。
私たちと同じでそれぞれが唯一の存在です。
人々は下の隅にある地面から抜け出し上昇しようともがきます。
昇天した人々は他の人を救うため手を伸ばします。
この素晴らしい場面では
黒人と白人が一緒に引き上げられていて
新しい世界における人間の調和を見事に表現しています。
画面で一番大きな部分は勝者に与えられています。
そこにはスポーツ選手のような全裸の男女がいます。
彼らこそ困難を乗り越えた人々、
つまり困難と戦い障害を克服する人間像という
ミケランジェロの想像の産物です。
まるでスポーツ選手のようです。
男性と女性が途方もないスポットライトの中で
体を曲げポーズをとっています。

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この集団を統率するのはイエスです。
十字架上で苦痛に耐えていた男が
今では栄誉に満ちた天国の支配者なのです。
ミケランジェロが絵画で示したように
苦難や挫折や障害は美徳を封じるどころか生み出すのです。

ところでこれは奇妙な結果を招きます。
ここは教皇の私的な礼拝堂ですが
「ひしめく裸体」と呼ぶのがもっともふさわしいでしょう。
それでもミケランジェロは最高の芸術的言語を使おうとしました。
考えうる最も普遍的な芸術上の言語、
つまり人間の肉体です。
だから不屈の精神や自制といった美徳を示す方法を使うのではなく、
ユリウス2世の見事な彫刻コレクションからヒントを得て
内面的な強さを外から見える力として表したのです。

ところで当時の人はこう書き残しています。
この礼拝堂はあまりにも美しいので論争は避けられないだろうと。
実際そうなりました。
印刷機のおかげで
裸体に対する批判が広まっていることが
ミケランジェロの知るところとなりました。
すぐにこの人間ドラマの傑作は「ポルノ」というレッテルを貼られました。
彼が肖像を2つ描き加えたのはその頃です。
1つは彼を非難した儀典長の肖像、
もう1つは自分自身の肖像をスポーツ選手ではなく
乾いた皮として、苦痛に耐える殉教者の手元に描きました。

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彼が亡くなる年、
数名の人物に覆いが描き加えられました。
彼が説いた栄光は余計なものに邪魔されました。

さて私たちは今この世にいます。
始まりと終わりの間にあるこの空間、
壮大な人間の経験全体に閉じ込められています。
私たちはシスティーナ礼拝堂で
鏡を覗くように周りを見ます。
自分はこの絵の中の誰だろう?
群衆の中にいるのか?
あの酔っ払いだろうか?
あのスポーツ選手だろうか?
そして心躍る美の楽園を出る頃には
私たちは人生最大の疑問を抱くようになります。
自分は何者か、
人生という大舞台で自分はどの役なのか、
という疑問です

ありがとうございます

(拍手)

(ブルーノ・ジュッサーニ)
エリザベス・レヴありがとう。
あなたはポルノの話題を出していましたね。
当時の人々にとってヌードや日常の場面や
不適切なものが多すぎたという点です。
ただ問題はより深刻です。
単に覆いを描き加えたことが問題なのではなく
芸術が破壊される寸前だったんですから。

(エリザベス・レヴ)
『最後の審判』は大きな影響力を持ちました。
印刷術によって誰でも見られるようになったためです。
この問題も1〜2週間で起こったわけではなく、
20年もの期間に渡って続いた問題でした。
教会にはこんな評論や批判が寄せられました。
「教会が我々に生き方を説けるわけがない。
教皇の礼拝堂にはポルノがあるではないか」
こんな批判や、作品を破壊しようする主張がありましたが
ミケランジェロが亡くなった年に
教会はやっと作品を守るための妥協案を思いつきました。
それが30枚の覆いを描き加えるということでした。
ちなみにイチジクの葉を描く習慣は
ここから始まりました。
教会は芸術作品を守ろうとしたのであって
汚したり破壊する気はなかったのです。

(ブルーノ)
今の話はシスティーナ礼拝堂でよく耳にする
ツアーガイドとはまったく違いますね。(笑)

(エリザベス)
どうでしょうそれは宣伝ですか?(笑)

(ブルーノ)
いえいえそうではなく私の意見なのですが
現在芸術を体験する時、いくつか問題があります。
その場で見ようとする人があまりにも多く
500万人が礼拝堂の小さなドアをくぐりますが
それは私たちが今経験したのとはまったく違うのです。

(エリザベス)
そうですね立ち止まって見るのは確かにいいことです。
ただ理解して欲しいのは毎日2万8千人が訪れていた頃
たくさんの人々が一緒に周囲を見回しながら
素晴らしさを感じていた頃だって
500年前の壁画が
自分の周りに立っている人々全員を惹きつけ
みんなが天井を見上げて感動していたのです。
これは時間や地理的空間を超え
私たち全員に本当の意味で美が伝わることを見事に証明しています

(拍手)

ミケランジェロの天井画製作にまつわる過程は、
映画「華麗なる激情」に詳しい。

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ミケランジェロはチャールトン・ヘストン
ユリウス2世はレックス・ハリソンが演じた。
監督はキャロル・リード

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夜中、足場を登って、ユリウス2世が絵を見に来、
アダムの創造を見て、言う。
「この絵は美しいけれど、嘘だ。
人間はこんなに美しくはない」
ミケランジェロはこう答える
「これは罪を知る前のアダム、
神に対して全幅の信頼を寄せていた時の姿です」

また、ユリウス2世は言う。
「戦争に強い教皇などいくらでもいる。
私が後世に名前を残すとしたら、
戦争によってではなく、
お前にこの絵を描かせたということによるだろう」

そのとおりになった。

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ネット回復と横山大観と木村武山展  美術関係

プロバイダーからモデムのキットが届き、
配線すると、インターネットが接続可能になりました。

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一昨日、
モデムが壊れたので市内のケーズ電気に行くと、
モデムは置いていない、
これは、プロバイダーのものだろう、とのこと。

プロバイダーに電話すると、
すぐ話が通じて、
代替品を送る、ということに。
届くまでに「4日から1週間」、
という話でしたが、
2日後の今日、届きました。
さすがニッポン。

今回の件で判明したことがいくつか。
ケーブルテレビを導入した時に、
ネットもケーブル経由にしたとばかり思っていましたが、
そうではなく、マンションの光回線を利用。
ああ、それで電話線とつながっていたのか、と納得。
そして、モデムはプロバイダーの貸与品でした。
なにしろ今のプロバイダーとの契約は2005年の7月。
あんまり昔のことで忘れていたのです。

従って、代替品が届いた時点で、
前の機械は返却することになり、
ゆうパックの伝票も入っていましたが、
電話に出た係が「返却不要」と。
あまりに古い製品なので、
そういうことのようです。

いろいろ「お得なプラン」の電話紹介はあるのですが、
このプロバイダーは
メールアドレスの移動ができないので、
ずっと12年も継続しています。

ネットのできない暮らしは本当に不便で、
調べ物も映画の予約もできません。
今、娘はソウルに行っていますが、
LINEでの連絡も取れません。
もちろん、このブログの更新もできません。

ともかく、早期に回復してよかった。

で、不通の間のことを報告。

5月19日、午後から江戸川橋に出掛けました。

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ここには神田川が通っており、
右側が春には桜が満開になります。

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江戸川公園を横切り、

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この坂、目白坂を登り、

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椿山荘を横目に見て、

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目的地は、ここ

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間野記念館

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講談社創業90周年事業の一環として
2000年4月に設立。
展示品は、講談社の創業者・野間清治が、
大正期から昭和初期にかけて収集した美術品を主体とする
「野間コレクション」
明治から平成にわたり蓄積されてきた 貴重な文化遺産ともいえる
「出版文化資料」
さらに、講談社とゆかりの深い画家、
村上豊画伯の画業が見てとれる「村上豊作品群」
の3つに大別されます。

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本日の展示は、↓これ。

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横山大観(1868〜1958)と

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木村武山(1876〜1942)は、

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共に草創期の東京美術学校に学び、
岡倉天心の薫陶を受けた日本画家です。

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↓横山大観「東京大震災火災」

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↓横山大観「月明」

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↓木村武山「観音」

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↓横山大観「白鷺ノ図」

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↓横山大観「夜梅」

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一室を木村武山の「十二ヶ月図」が
9セット展示されており、壮観でした。

↓木村武山「12ケ月図・十二月、梟」

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日本画は本当に美しく、
日本人の琴線に触れます。
きれいきれいなものを見て、
心が満たされる午後でした。

次回の展示は↓これ。

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友人と落ち合って、
中庭の見えるテラスでおしゃべり。

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その後、いつも寄るカテドラルへ。

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正式名称は
カテドラル関口教会聖マリア大聖堂
と申します。

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音響がいいのか、よくコンサートがされます。

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ローマのサン・ピエトロ大聖堂にある
ミケランジェロの彫刻「ピエタ」の原寸大レプリカ。

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どうやってレプリカにするのでしょうか。

ここには、ルルドの洞窟
同じ大きさで作られています。

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この後、新宿御苑前で芝居を観ましたが、
それは、次回に。


ミュシャ展/スラヴ叙事詩  美術関係

今日は、午後から六本木へ行き、

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ここ、

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国立新美術館へ。

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このオブジェは、

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草間彌生さんの展覧会が行われていて、

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「木に登った水玉 2017」という、
草間さんの作品です。

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草間さんの展覧会の入り口も水玉。

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このコーナーは、
水玉を貼り付ける部屋。
草間さんの展覧会のチケットを持った人だけが入れます。

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私は、この美術館に来るのは、初めて。

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広いですね。

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2階に上がります。

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上からの眺め。

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本日のお目当ては、これ。

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アルフォンス・マリア・ミュシャ(1860年7月24日〜1939年7月14日)は、
アール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナー。
「ミュシャ」という表記はフランス語の発音によるものであり、
チェコ語の発音を日本語表記すると
「ムハ」または「ムッハ」となります。

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パリで多くのポスター、装飾パネル、カレンダー等を制作。
1895年、
舞台女優サラ・ベルナールの芝居のために作成した
「ジスモンダ」のポスターで、一挙に有名になりました。

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星、宝石、花などの様々な概念を
女性の姿を用いて表現するスタイルと、
華麗な曲線を多用したデザインが特徴。

↓は、装飾パネル連作「四季」(1896)

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アメリカの富豪チャールズ・クレーンから
金銭的な援助を受けることに成功し、
財政的な心配のなくなったミュシャは
1910年、故国であるチェコに帰国し、
20点の絵画から成る連作「スラヴ叙事詩」を制作。

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この一連の作品は
スラヴ語派の諸言語を話す人々が古代は統一民族であったという
近代の空想「汎スラヴ主義」を基にしたもので、
この空想上の民族「スラヴ民族」の想像上の歴史を描いたもの。

Wikipediaによれば、
スラヴ人は、
中欧・東欧に居住し、
インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派に属する言語を話す
諸民族集団のこと。
ひとつの民族を指すのではなく、
本来は言語学的な分類です。
東スラヴ人(ウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人
西スラヴ人(スロバキア人、チェコ人、ポーランド人
南スラヴ人(クロアチア人、セルビア人、ブルガリア人など)
に分けられます。

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スメタナの組曲「わが祖国」を聴いたことで、
構想を抱いたといわれ、
完成までおよそ20年を要しています。

この時期には
チェコ人の愛国心を喚起する多くの作品群や
プラハ市庁舎のホール装飾等を手がけています。
1918年に
ハプスブルク家が支配するオーストリア帝国が崩壊し、
チェコスロバキア共和国が成立すると、
新国家のために紙幣や切手、
国章などのデザインを行いました。
財政難の新しい共和国のためにデザインは無報酬で請け負ったといいます。

1939年3月、
ナチスドイツによってチェコスロヴァキア共和国は解体され、
プラハに入城したドイツ軍によりミュシャは逮捕されました。
「ミュシャの絵画は、国民の愛国心を刺激するものである」
という理由からでした。
ナチスはミュシャを厳しく尋問し、
それは78歳の老体には耐えられないもので、
ミュシャは釈放から4ヶ月後に体調を崩し、
祖国の解放を知らないまま生涯を閉じました。

「スラヴ叙事詩」はミュシャが
1910年から1928年にかけて手掛けた作品で、
チェコおよびスラヴ民族の伝承・神話および
歴史
を描いた全20作品から成り、
サイズは小さいものでもおよそ4 x 5メートル、
大きいものでは6 x 8メートルに達します。

全作品が完成した後、
特設の展示場を用意することを条件に
プラハ市に寄贈されたましたが、
ミュシャ存命中に全作品が展示されたのは
1928年の一度きりでした。
その後、南モラヴィア州のモラフスキー・クルムロフの城館に
展示されていましたが、
2012年、プラハ国立美術館
ヴェレトゥルジュニー宮殿に移されました。

チェコ国外において全作品が展示されることは初めてのことです。

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故郷のスラヴ人−トゥラン人の鞭とゴート族の剣の間で

異民族の襲撃におびえるスラヴ人。
後方には襲撃によって燃え盛る炎と、
家畜と人間を略奪する異民族が描かれる。
前方右手にはキリスト教以前の司祭、
前方左手には異民族から隠れるスラヴ人の男女が描かれ、
スラヴ人の独立と平和への願いが描かれている。

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ルヤナ島のスヴァントヴィト祭−神々が戦う時、救いは芸術にある

スラブ人はルヤナ島(リューゲン島)に神殿を建造し、
毎年収穫を祝った。
しかし1168年にデーン人の襲撃を受け神殿も破壊されてしまう。
人々は気づいていないが上空では神々の戦いが始まっている。
左には狼を引き連れたオーディンの姿が描かれ、
中央樫の木の手前、うなだれている青年の後方に
スラヴの神スヴァントヴィト(スヴェントヴィト)が描かれている。

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大ボヘミアにおけるスラヴ的典礼の導入−母国語で神をたたえよ

キリスト教国となったモラヴィア王国では
国王ラスチスラフがラテン語からスラヴ語による典礼を導入した。
モラヴィアからの求めに応じて
ビザンツ帝国から派遣された修道士、
キュリロスとメトディオスによる翻訳が開始されたが、
反発するものも多くメトディオスはローマへ行き
教皇の許可を得なければならなかった。
この作品ではラスチスラフの跡を継いだ
スラヴ語導入反対者のスヴァトプルクの前で
教皇からの手紙が読み上げられている。
画面中央、ローマの特使から少し離れたところに立つ人物が
メトディオスである。
上空右手には導入に積極的だったロシアとブルガリアの国王夫妻、
中央には前王ラスチスラフと東方教会の司祭が描かれる。
その下の導入を喜んで抱き合う4名を
抱えるように立つ人物がキュリロスである。
画面手前左手の青年が持つ輪はスラヴ人の団結を象徴する。

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ブルガリア皇帝シメオン−スラヴ文学の明けの明星

ブルガリア帝国の皇帝シメオン1世は帝国の版図を拡大し、
その治世は帝国の繁栄の時代であった。
ブルガリアは文化の中心地ともなり、
ここには文人、学者、司祭に囲まれた皇帝が描かれている。

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ボヘミア王プシェミスル・オタカル2世−スラヴ王朝の統一

オタカル2世はその軍勢の強さから「鉄人王」と呼ばれ、
また領有していたクトナー・ホラの銀山から「黄金王」とも呼ばれ、
彼の時代にプシェミスル朝は最盛期を迎えた。
オタカル2世はハンガリー王国と敵対していたが、
1261年オタカル2世の姪と
ハンガリー王の息子による結婚で和解した。
この作品では結婚を祝いに来た来賓に対して、
オタカル2世が新郎と新婦の手を取って
引き合わせている姿が描かれている。

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セルビア皇帝ドゥシャンの東ローマ帝国皇帝即位−スラヴの法典

セルビア王ステファン・ドゥシャンは軍事的な成功により
セルビアの最大領土を獲得した。
またドゥシャン法典を編纂し法整備をすすめた。
ドゥシャンは1346年皇帝に即位、
この作品では戴冠式の後の祝賀の列を描いている。
宝冠を被り白い衣装を着た画面中央の人物がドゥシャンである。
手前には若い女性たちが描かれているが、
彼女たちが持つ若枝は希望と明るい未来の象徴である。

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クロムェジーシュのヤン・ミリーチ−尼僧院に生まれ変わった娼家

ヤン・ミリーチはカレル4世に仕えたが、
その後貧しい人々の救済に人生を捧げた。
1372年には彼の説教により大勢の娼婦たちが改悛し
病人や貧民の救済にあたった。
この作品では悔い改めた娼婦たちのための施設を
建設している場面が描かれている。
作中でのヤン・ミリーチについては異なる説があり、
足場の上に立つ青い衣装をまとった髭の長い人物とするものと、
改悛を表す白い服を着た娼婦たちの前に立つ
青い服を着た人物とするものがある。

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ベトレーム礼拝堂で説教するヤン・フス−真実は勝利する

宗教改革者として後々の時代まで大きな影響を残したヤン・フスは、
カトリックから異端と宣告され処刑された。
彼の処刑はフス戦争を引き起こすこととなった。
作中では1412年のベトレーム礼拝堂で行われた
フスの最後の説教が描かれている。
フスは左手中央の身を乗り出して説教を行う人物である。
画面左、壁を背にして立つ片目の人物は
フス戦争で指揮を執ったヤン・ジシュカである。
右手の天幕の下には女官を連れた
ヴァーツラフ4世王妃ソフィアが描かれている。

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クジーシュキでの集会−プロテスタントの信仰

フスの処刑後、フスの教えに賛同するものが出始め、
カトリックに忠実な司祭は追放され、
フス派がそれにとって代わった。
フスが学長を務めたプラハ・カレル大学は
フスの教えを広めないよう閉鎖されたが、
フス派は郊外で集会を行い、反乱の計画を練った。
作中では過激派の説教師コランダが
信仰とともに武器を持って立ち上がるよう説いている。
暗い空はその後の争乱の時期を暗示し、
枯れ木と白い旗は反乱による犠牲者を、
赤い旗と緑の木は希望を表している。

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グリュンワルトの戦闘の後−北スラヴ人の団結

ドイツ騎士団は急速に勢力を拡大しており、
これに対抗するためポーランド王国と
リトアニア大公国は同盟を組み、
グリュンワルトの戦闘でドイツ騎士団を破った。
作品では戦闘場面ではなく戦闘の翌朝を描いている。
戦闘で死んだ多数の人馬が描かれており、
画面中央上部には勝利の代償に愕然とする、
ポーランド国王ヴワディスワフ2世が描かれている。

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ヴィトーコフの戦闘の後−神は権力でなく真理を伝える

ヴァーツラフ4世がこの世を去ると、
後を継いだのは弟のジギスムントであった。
ヤン・フスの処刑は彼の責任であると見られており、
民衆は彼の王位継承に反対した。
ジギスムントはカトリック教会から支援を受けて、
十字軍を組織しプラハに侵攻するが、
ヴィトーコフの丘での戦闘で奇襲を受け敗退する。
この作品も戦闘場面ではなく、
戦闘後に執り行われた荘厳ミサを描いている。
中央右にはフス派の指揮官ヤン・ジシュカが描かれており、
足元には戦利品が散らばり、
陽光がスポットライトのように彼を照らしている。
左手には聖体顕示台を持つ司祭と、
ひれ伏して祈りを捧げる司祭たちが描かれている。
また左下の隅には戦争によって被災したと思われる
乳児を連れた女性が描かれている。
この作品が制作された1916年は
第一次世界大戦でヨーロッパが戦火に包まれており、
ミュシャの戦争への嫌悪感がこの作品に現れている。

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ヴォドナャニのペトル・ヘルチッキー−悪に悪をもって応えるな

ペトル・ヘルチツキーは
宗教改革に影響を与えた思想家の一人であったが、
戦争や軍事的行為には反対する平和主義者であり、
フス派とは一線を画していた。
この作品に描かれているのは、
フス派によって襲撃されたヴォドナャニの町と、
家を焼かれた住民たち、そして犠牲となった人々である。
何の罪もない人々が犠牲となったという
フス戦争の暗い一面を描いている。
画面中央で聖書を抱えた姿で描かれたヘルチツキーは、
戦争の犠牲者たちを慰め、
また心を復讐に向かわせないよう諭している。

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フス教徒の国王ボジェブラディのイジー−条約は尊重すべし

フス派の穏健派(ウトラキスト派)は
バーゼル協約によってフス派を認めさせることに成功した。
しかし教皇はこの協約を一方的に破棄し、
ローマに従うことを求めてきた。
この時チェコの国王であったのがボジェブラディのイジーであった。
彼は、およそ150年ぶりのチェコ人の国王であり、
賢明な王として知られた。
この作品では横柄な態度をとる教皇の使節に対し、
玉座を蹴って立ち上がり、
要求をはねのける国王の姿である。
右下に描かれたこちらを向いた少年は
「ローマ」と題された大きな本を閉じており、
ローマとの関係の終焉を表している。

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クロアチアの司令官ズリンスキーによるシゲットの防衛−キリスト教世界の盾

1566年、勢力を拡大していたオスマン帝国は
ついにドナウ川を渡りシゲットへ侵攻してきた。
都市を守るのはクロアチアの貴族ニコラ・ズリンスキーであった。
ズリンスキーは防御を固めたが、
包囲から19日後に防御施設は破壊される。
降伏勧告を拒否し決死の突撃を行うが、
多勢に無勢でありズリンスキーは兵士とともに命を落とす。
ズリンスキーの妻、エヴァは火薬庫に火を放ち、
同胞を巻き添えにしながらもトルコ軍を撃退した。
スラヴ叙事詩20作のうち、
唯一戦闘場面が描かれた作品である。
エヴァは右手にある足場の最も高い場所に立ち、
状況を見つめている。

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イヴァンチッチェでの聖書の印刷−神は我らに言葉を与え給うた

ヤン・フスとペトル・ヘルチツキーの影響を受けて
1457年に設立されたチェコ兄弟団(ボヘミア兄弟団)は
信仰にとって教育が重要なものと考え、
ミュシャの故郷であるイヴァンチッチェに学校を創設し、
聖書をチェコ語に翻訳した。
この聖書はその後クラリッツェで印刷されるようになり
クラリッツェ聖書と呼ばれた。
チェコ語で書かれた聖書は国民の連帯意識を高め、
またチェコ語文法の基本ともなった。
画面右手には印刷された聖書を
ルーペを使ってチェックする人々が描かれ、
左手前方には老人のために聖書を読む青年が描かれている。
青年の厳しい表情はカトリックによる
その後の迫害を予知しているかのようである。

左下に描かれたこの人↓がミュシャ本人だと言われている。

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ヤン・アモス・コメンスキー−希望の灯

1619年に神聖ローマ皇帝となる
フェルディナント大公がボヘミア王位に就き、
この王の下カトリック化が推し進められていった。
1620年、フェルディナント2世と政策に反発する
プロテスタント貴族との間で白山の戦いが起こった。
プロテスタントたちは敗北し、
主だったものは処刑または追放された。
この時に大勢の知識人、聖職者、貴族も国外へ亡命した。
そのような中にヤン・アモス・コメンスキーもいた。
コメンスキーはボヘミア兄弟団の精神的指導者であり、
教育の重要性を説き、
またその改革的教育法で高い評価を得た人物であった。
コメンスキーは亡命先のオランダのナールデンで
海を散歩して過ごしたが、
最期は海岸で椅子に座りながら息を引き取った。
作中で椅子に座っている人物がコメンスキーで、
左手にいる彼の信奉者たちは
指導者の死を嘆き悲しんでいる。
中央には小さなランタンがあるが、
これは亡命者たちが母国に戻れる日がいつか来るだろうという
「希望の灯」である。

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聖山アトス−オーソドクス教会のヴァチカン

アトス山は正教会の聖地であり、
また南スラヴ人にとっても重要な場所であった。
ミュシャはこの作品を制作するにあたって
1924年にこの地を来訪しており、
時代を超越した精神性に感銘を受けている。
中央に大きく描かれた聖母マリアと幼いイエスが描かれており、
その手前には慈愛と信仰の寓意像が描かれている。
左右には実在する修道院の模型を持つ天使たちが描かれる。

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スラヴの菩提樹の下で誓いを立てる若者たち−スラヴ民族の目覚め

白山の戦い以降ボヘミアは
およそ300年間ハプスブルク家の支配下に置かれた。
近代に入るとヨーロッパ諸国で民族運動が盛り上がり、
チェコでもまた1890年代に
オムラディーナと呼ばれる若者たちによる
民族運動団体が結成された。
彼らは反オーストリア、反教会を標榜し、
過激派とみなされ、
1904年には指導者が逮捕・投獄されている。
作中では若者たちが輪になって
スラヴの女神スラヴィアに誓いを立てる場面が描かれている。
女神スラヴィアは占術のシンボルである菩提樹に腰かけている。
手前でハープを奏でる女性のモデルは、
ミュシャの娘ヤロスラヴァであり、
1928年の展覧会では同じポーズのポスターが制作されている。

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また、少女の対称にあたる右手に腰かけている若い男性は
ミュシャの息子、イージー(ジリ)がモデルである。

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この作品はいくつかの人物が
油彩で仕上げられておらず未完成作とも言われている。

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ロシアの農奴解放の日−自由な労働は国家の基盤である

ロシアは近代化した他のヨーロッパ諸国に遅れをとっており、
皇帝アレクサンドル2世は
改革のため1861年に農奴解放令を布告した。
作中、およそ中ほどに立つ人物が布告を読み上げる役人である。
周囲の人々は熱心に聞き入るわけでもなく、
また歓喜に包まれるといった風でもない。
背景には右側にクレムリン宮殿、
中央に聖ワシリイ大聖堂が描かれているが、
その姿は霞んでおり漠然とした不安といったものを感じさせる。
ミュシャはこの作品を書き上げる前年、
1913年にロシアに取材旅行に出向いており、
多数の写真やスケッチといったものがこの作品に生かされている。

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スラヴの歴史の神格化−人類のためのスラヴ民族

スラヴ叙事詩最後の作品。
ここまで描かれてきた歴史の集大成であり、
スラヴ民族の独立を祝う作品である。
この作品ではテーマごとに特徴的な色彩が用いられている。
右下の青で描かれた部分は太古の神話に近い時代を表している。
上方の赤はフス戦争によって多くの血が流れた中世を表しており、
その手前、暗い影として描かれているのは
スラヴ民族を脅かす敵対勢力である。
中央の黄色は第一次世界大戦で祖国のために戦った男女で、
オーストリア=ハンガリー帝国の終焉と
スラヴ民族の新しい時代が始まることを象徴している。
中央に大きく描かれた青年像は、
新しいチェコの自由と独立を表し、
その背後にはキリストが描かれ、
スラヴ民族の独立と繁栄を見守っている。


↓は、eチケット

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ネットで予約し、プリント。
仮に2枚プリントしても、
最初に入った人のバーコードが読まれ、
次の人は入れない仕組みです。
ブロードウェイのチケットで見たことはありますが、
日本では、初めて見ました。

音声ガイド

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檀れいさんのきれいな声が解説し、
背後にスメタナ「わが祖国」が流れます。

檀れいさんの挨拶は、↓をクリック。

https://youtu.be/E5dzDFszlZE

↓映像コーナー。

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↓会場の写真。

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あれ? 撮影禁止では?

実は、この展覧会、1室だけ撮影OKなのです。

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粋なはからい。

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メトロポリタンも大英博物館も写真はOKですけどね。

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ですから、こんな写真も撮れます。

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こんな大きな作品をどうやって運んだかというと、
丸めて運ぶのだそうです。

展示風景は、↓をクリック。

https://youtu.be/kMRPaNp2yNQ

スラヴ叙事詩以外にも、
「ミュシャとアール・ヌーヴォー」
「世紀末の祝祭」
「独立のための闘い」
「習作と出版物」
というコーナーがあり、
堺市の所蔵する展示物もあり、
全部で100点ほど。
なかなかの充実度でした。

堺市には、
「ドイ・コレクション」があり、
「カメラのドイ」の創業者である土居君雄が、
ミュシャの知名度がさほど無かった頃から個人的に気に入り、
渡欧する度に買い集めたものです。
1990年、土居が他界した際、
土居夫妻が新婚時代に居住したことのある
堺市に寄贈されたものです。
堺市立文化館アルフォンス・ミュシャ館で一部が展示されています。

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ミュシャ展は6月5日まで

その後は、東京ミッドタウンに行き、

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このお店で

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こんなものを食べて、

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暗くなった頃、ミッドタウンの裏に。

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ライトアップされたがきれいです。

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東京タワーがこんな風に見えます。

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公園に出来ていたのは、

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「江戸富士」
高さ6m、幅23mあります。

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そこにプロジェクションマッピングで、

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映像が映し出されます。

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プロジェクションマッピングは、
4月16日まで







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