日本のスゴイ建築物ベスト25  旅行関係

外国人訪日客の増加が止まらない。

観光庁の発表によると、
今年上半期の外国人旅行者数が
前年同期に比べて15.6%増の
1589万8900人になったという。
単純計算で年間3千万人に至る勢いだ。

先日、秋葉原に行った娘の話によると、
地下鉄の乗客が外国人だらけだったという。

昨年1年間の訪日外国人数のランキングが↓で、

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これを見ると、「外国人」といっても、
中国、韓国、台湾の近隣3国で
1906万人で7割近くを占める。
増加の要因は、LCC(格安航空会社)の便や
クルーズ船の増加があげられるという。

それにしても、人口5千万人の韓国から
714万人もの人が押し寄せているとは・・・

テレビ番組もそうした訪日外国人を扱ったものが増え、
「Youは何しにニッポンへ」を始め、
日本LOVEの外国人の日本知識は
日本人自身を凌駕している。

そのテレビ番組の一つ、
「世界が驚いたニッポン!スゴ〜イデスネ!!視察団」
でまとめた
外国人プロと観光客が感動した、
日本のスゴイ建築物ベスト25
を紹介しよう。
世界34か国、366名のアンケートで集計。

以前、「日本の世界遺産建築ベスト25」
というのを紹介しました↓が、

日本の世界遺産建築ベスト25

今日のは、世界遺産に限定していないため、
最近の建築物も入っています。


1位 浅草寺 本堂と五重塔

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2位 姫路城 大天守

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3位 厳島神社 大鳥居

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4位 東京スカイツリー

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5位 東京タワー

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6位 伏見稲荷大社 千本鳥居

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7位 清水寺本堂

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8位 松本城 大天守

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9位 日光東照宮 陽明門

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10位 東大寺大仏殿

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11位 あべのハルカス

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12位 平等院鳳凰堂

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13位 京都駅ビル

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14位 白川郷 合掌造りの家屋

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15位 三十三間堂(蓮華王院本堂)

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16位 明石海峡大橋

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17位 黒部ダム

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18位 東京駅 丸の内駅舎

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19位 モード学園コクーンタワー

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20位 成田山新勝寺 三重塔

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21位 歌舞伎座

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22位 GINZA SIX

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23位 国立代々木競技場

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24位 鹿苑寺舎利殿(金閣)

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25位 伊勢神宮社殿

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東京5つの川クルーズ  旅行関係

昨日のことです。

朝から、ここへ。

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日本橋です。

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「日本国道路元標」がある場所。

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道路標識の「東京まで○○q」とは、
日本橋までの距離をいいます。

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ここの麒麟は、羽根があります。

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普通の麒麟には羽根はありませんが、
羽根をつけたのは、
スタート地点として、
全国に羽ばたくように、
ということだそうです。
東野圭吾原作の映画「麒麟の翼」(2011)に出て来ましたね。

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慶長8年3月3日(1603年4月14日)、
徳川家康の全国道路網整備計画に際し、
初代の橋(木造の太鼓橋)が架けられ、
現在のものは、明治44年(1911年)4月3日に架けられた
19代目

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上を高速道路が覆っているので、
橋からの眺めは、ご覧のとおり。
1963年(昭和38年)に高速道路が出来ました。

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脇にある「滝の広場」。

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ここが、クルーズの集合場所。

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このクルーズに参加。

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これが、そのクルーズ船。

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座席。

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座布団は、そのまま救命具になります。

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帽子を持参しなかった人のために、
麦わら帽子も用意してあります。

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トイレも完備。

午前10時出発。
参加者は17名
カミさんはこういうイベントには興味がないので、
私一人で参加。

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日本橋川→亀島川→隅田川→小名木川→神田川→日本橋川
というコースで、約50の橋をくぐります。

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↓は、その一番目の江戸橋

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魚河岸は日本橋と江戸橋の間の北岸にありました。

川から見る高速道路の景観。

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素敵なフォルムです。

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鎧橋は平安時代からこの場所にあったと言われています。

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川を掃除する船。
この船のおかげで、川がきれいに保たれています。

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南下して隅田川に出る前に、右折して、
この水門から

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亀島川へ。

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日本橋川からの分流。

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約1qの短い流路に5つの橋が架かります。

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江戸期には川沿いに向井将監(忠勝ほか)の御船手奉行所があって、
江戸に入る船舶はここであらためを受けたため、
将監河岸とも呼ばれました。

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他に日比谷河岸、亀島河岸、湊河岸がありました。

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↓は葛飾北斎描くところの河岸の風景。

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亀島川水門。
先程通った日本橋水門との2つの防潮水門で
完全に閉め切ることができます。
高潮の発生時に川が逆流して
洪水を引き起こすのを防ぐため。

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隅田川に出ました。

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目の前に億ションの景観が。
リバーシティ21センチュリーパークタワー。

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素敵な眺めです。

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これは中央大橋
佃島と霊岸島をつないでいます。

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永代橋

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5代将軍徳川綱吉の50歳を祝して作られました。
隅田川に4番目にかけられた橋。
ただし初代ではなく、
初代の橋はこれより100mほど上流にかかっていました。

隅田川の橋には重要文化財があり、
永代橋、勝鬨橋、清洲橋の3つ。

永代橋の向こうに東京スカイツリーが見えます。

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初代永代橋があったところ。

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清洲橋。関東大震災の復興のために昭和5年に作られた橋。

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ここで東に折れて、小名木川に。

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新小名木川水門

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「川」と呼んでいますが、
実は、旧中川から隅田川を結ぶ運河です。
一直線で、長さ4.6q。

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1590年頃、江戸城を居城に定めた徳川家康は、
兵糧としての塩の確保のため行徳塩田に目を付けました。
しかし江戸湊(当時は日比谷入江付近)までの東京湾北部は
砂州や浅瀬が広がり船がしばしば座礁するため、
大きく沖合を迂回するしかありませんでした。
そこで小名木四郎兵衛に命じて、
行徳までの運河を開削させ、
これによって経路が大幅に短縮されました。
小名木川の名称は開削者の名からとられています。

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やがて、塩以外にも、
成田参詣客なども運ぶようになって運搬量が増大し、
小名木川は江戸物流の重要河川となりました。

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わが町・浦安も、
旧江戸川から新川〜小名木川を経て、
日本橋の魚河岸に海産物を運んで、栄えました。

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春には、桜が咲くようです。

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幼稚園の子供たちが手を振ってくれました。

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素敵な雲。

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扇橋閘門(こうもん)。

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ガイドさんから「パナマ運河方式」と説明がありましたが、
閘門より東側は地盤沈下が激しく
ゼロメートル地帯の顕著な地域のため水位を1m下げています。

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只今工事中のため、
ここで引き返します。
来年春には、閘門を通って、東側にも行けるそうです。

シーラカンスのオブジェ。

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元の水門を通って、

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再び隅田川に。

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松尾芭蕉の像が立っています。
芭蕉庵史跡展望庭園
芭蕉がここから奥の細道の旅に出た、と言われています。
像は、時間によって向きが変るそうです。

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新大橋

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千住大橋、両国橋に続く隅田川3番目の橋で、
大橋と呼ばれた両国橋に続く橋として、
新大橋と名付けられました。
徳川綱吉の母桂昌院が綱吉に勧めて架けさせたといわれています。
それまでは人々は渡し船で渡っていました。

首都高速をくぐります。

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両国橋

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その両たもとには、六尺玉花火のオブジェが。
昔はこの場所で花火大会が開催されたからです。
今は、もっと上流で行われています。

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総武線が走っています。

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ここで東京スカイツリーは見納め。

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進路を西に変えると、

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神田川へ入ります。
その入り口にあるのが、

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有名な柳橋

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ここで三味線の音色が。

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船を止めると、

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船宿と佃煮の小松屋の四代目店主、
秋元治さんが乗船してきました。

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古い写真を使って、柳橋の説明をします。
これが一つの話芸。
とても粋な感じでした。

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昔は木の橋だったと分かります。

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この写真の男の子が店主の子供時代。

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お嬢さんの三味線に合わせて、
「梅は咲いたか」を披露してくれました。
その3番の歌詞が
「柳橋から 小船を急がせて
橋をくぐって 船はゆらゆら 波任せ
船から上って 吉原へご案内」
と柳橋を唄ったもの。
とてもいい声でした。

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これが本題。
佃煮の販売。
船宿のおみやげに佃煮を作って販売したのが評判に。
旬の材料だけ使って、
しっかり味付け。

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手むきあさりも穴子も高かったので、
↓の二つを購入。

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味は濃い目ですが、
食品添加物の味がせず、超おいしい!

ご一家に見送られて、神田川を北上。

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柳橋についの動画は、↓をクリック。

https://youtu.be/wlX9BP7F3g4

小松屋のホームページは↓。

http://www.tsukudani.net/

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このあたりは屋形船が多くあります。
柳橋から舟遊びをしつつ、吉原へ、が
昔のお大尽のコース。
柳橋芸者が有名ですが、
今は一人もいないそうです。

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神田川は、三鷹市井の頭恩賜公園内にある
井の頭池に源を発した川。
隅田川に合流するまで流路延長24.6q。
都心を流れているにも拘らず全区間にわたり
開渠であることは極めて稀だといいます。
橋の数は140もあります。

高度経済成長期には生活排水の流入により水質が悪化し
「死の川」と呼ばれることもありましたが、
下水道網、下水道処理施設の整備が進み、
元々湧水が多いことなどから
近年は水質が大幅に改善し、
鯉や鮎、鮒などが生息するようになりました。

これは浅草橋

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川というより、運河ですね。

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神田ふれあい橋の向こうに総武線が走ります。

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パワースポットの神社。
勝負運、出世運、金運がアップするそうです。

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これは万世橋

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コンクリートを囲った板の跡が残っています。

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昔、ここに万世橋という駅がありました。
その駅舎が残っています。

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昌平橋は3つの橋で構成。

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総武線の線路をくぐり、

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やがて見えて来たのは、

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聖橋
手前にあるのは、丸ノ内線の鉄橋。

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只今、丸ノ内線が通過中。

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聖橋は、船から見上げた時が一番美しく設計されたとか。
このクルーズでないと見ることが出来ません。

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すぐ脇のお茶ノ水駅は工事中。

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聖橋と駅をはさんでのお茶ノ水橋
明治24年に初の日本人設計の橋として架けられました。

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このあたりは、谷が深く、
お茶の水渓谷と呼ばれています。

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いつも地下鉄から見下ろしている景色を下から。

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この建物は、

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順天堂病院

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東京ドームホテル

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水道橋
東京ドームに行く時は、駅から手前の斜めの橋を渡ります。

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ちらりと見えた東京ドーム

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ここで西に折れて、日本橋川に入ります。
春になると、桜が咲きます。

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神田川の派川(分流)。

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ほぼ全流路に渡って首都高速道路の高架下を流れています。

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地図では、川があるようには見えません。

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隅田川合流点の近く、
亀島川を仕切る日本橋水門付近でようやく川面が開けますが、
空を望める川面は僅か500m弱しかありません。

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日本橋川は、江戸時代、経済・運輸・文化の中心として栄え、
堀の両側には河岸が点在し、
全国から江戸・東京にやってくる商品で賑わいました。

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ガイドさんから、
「この橋は何と読むのでしょう」
とクイズが。
漢字検定1級レベルだそうです。

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答は、くぐった反対側に書いてありました。

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このあたりは、昔、台所町といったそうです。

他のクルーズ船とすれ違います。

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このルークという船は、
以前、目黒川クルーズに参加した時乗りましたね。

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この桟橋は、千代田区役所のもの。
防災用のもののようです。

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一ツ橋。
昔は丸太一本の橋だったそうです。

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江戸城の石垣。

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このあたりでは、
皇居の内堀(清水濠)に30mまで接近しています。

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諸藩の大名に普請を分担させたため、
石にマークが刻印されています。

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神田橋。
地名の由来は橋が多いですね。

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JRの線路の橋。

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旧国鉄の紋章が刻印されています。

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工事中の区間。

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いよいよ終点が見えて来ました。

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麒麟は、このように見えます。

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獅子の顔。

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日本橋川は、
首都高速道路に流路を覆われているため、
河川としての景観を害していると嘆く人がおり、

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首都高速の高架橋を撤去の上、
橋や護岸などの水辺環境を整備して
観光地化するという構想が活発化しているといいます。
ソウルの清渓川みたいにするのでしょうか。

それにしても、高速道路をどうするのでしょう。

船着場に到着。

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知らなかった東京を知った、川の旅。
2時間程。

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大変勉強になりました。


日本の世界遺産建築ベスト25  旅行関係

テレビ番組「世界が驚いたニッポン!スゴ〜イデスネ!!視察団」で、
外国人の建築家&観光客(37の国と地域367名)が選んだ、
日本の世界遺産建築ベスト25
というのをやっていたので、紹介します。

1位 龍安寺 方丈庭園(石庭)

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2位 厳島神社 社殿

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3位 清水寺 本堂

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4位 白川郷 合掌造り家屋

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5位 鹿苑寺 舎利殿(通称 金閣)

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6位 慈照寺 観音殿(通称 銀閣)

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7位 法隆寺 五重塔

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8位 中尊寺 金色堂

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9位 二条城 二の丸御殿

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10位 東大寺 南大門

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11位 下鴨神社 楼門

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12位 西芳寺(通称 苔寺)

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13位 天龍寺 大方丈

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14位 東寺 五重塔

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15位 姫路城 大天守

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16位 西本願寺 御影堂

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17位 高野山 根本大塔

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18位 薬師寺 東塔

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19位 平等院 鳳凰堂

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20位 唐招提寺 金堂

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21位 上賀茂神社 楼門

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22位 富岡製糸場 繰糸所

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23位 仁和寺 御殿

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24位 春日大社 回廊

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25位 日光東照宮 陽明門

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石庭が1位だなんて、シブいですね。

ちなみに、日本には、
世界遺産の建築物が約700もあるそうです。


出雲の旅・その8・天橋立  旅行関係

バスは最後の訪問地、天橋立に。

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位置は、ここ↓。

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まず、知恩院に。

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本尊は文殊菩薩で、
奈良県桜井市の安倍文殊院(安倍文殊)、
山形県高畠町の 大聖寺(亀岡文殊)などとともに
日本三文殊の一つとされています。

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808年(大同3年)の平城天皇の勅願寺として創建されたというから、
相当古い寺です。

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文殊堂

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文殊菩薩は、知恵を司る菩薩で、
「三人寄れば文殊の知恵」というのは、
特別に頭の良い者でなくても
三人集まって相談すれば何か良い知恵が浮かぶものだ、
という意味。

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ここのおみくじは、扇子型

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木にくくり付けられると、

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実がなっているようです。

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多宝塔は、国の重要文化財です。

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丹後国守護代・延永春信によって建立され、
1501年(明応10年)に落成。

昼食は、ここで。

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こういう席で、

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さめた天ぷらを。

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天橋立を高い場所から見るために、ここへ。

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リフトかモノレールか、どちらかを選びます。

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リフトを選択。

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ベルトはありません。

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こんな感じに乗ります。

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いざ出発。

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かなり長い。

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途中゛こんな表示もあります。

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降りて来る人とすれ違います。

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振り返ると、天橋立が見えてきました。

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終点が近づきます。

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ここで降ります。

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ここが入り口。

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中には、いろいろな乗り物があります。

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いい景色。

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これが、股のぞき

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こんな風に見えます。

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こんな設備があって、

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この階段を登ると、

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こんな風になっています。

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ここから見た景色が、↓これ。

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1万5千年前に海面が上昇したことから変動が起こり、
約8千年前には現在の地に砂州が形成されだしました。
約5千年前には陸上に砂州が姿を現し、
更に野田川と外海から流れてきた砂粒が堆積して
現在の形になったといわれています。

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天にいる男神が
地上に祀られていた女神のもとに通うために
かけた梯子が倒れてしまい、
それが天橋立になったという伝承があり、
それで縁結びの地として知られるようになりました。

地形は↓。

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見る場所によって全く異なる姿を見せてくれ、
昇龍観、飛龍観、一字観、雪舟観と
「天橋立四大観」と呼ばれています。

昇龍観↓北側の傘松公園からの天橋立の眺め。

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一字観↓西側の大内峠一字観公園からの天橋立の眺め。
天橋立が横一文字に見える景観からそのように呼ばれています。

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雪舟観↓東側からの天橋立の眺め。
雪舟筆「天橋立図」が描かれたことが由来。

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そして、ビューランドから見えるのが、飛龍観

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龍が天に昇るように見えることから、そう呼ばれています。

再びリフトに乗って下へ。

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途中、モノレールとすれ違います。

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砂州の部分へ。

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狭い所で20mから広い所で170mに達し、
主に観光の散策路となっています。
宮津湾の西側沿岸流により砂礫が海流によって運ばれ、
天橋立西側の野田川の流れから成る阿蘇海の海流にぶつかることにより、
海中にほぼ真っ直ぐに砂礫が堆積したことによるもので、
外洋に面さない湾内の砂州としては日本では唯一です。

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一帯には約8千本の松林が生え、
東側には白い砂浜が広がります。

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松は、人の手により植林されたものではなく、
大部分が自然発生的に生えたものです。

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レンタサイクルには乗る時間がありませんでした。

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日本三景の碑。

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2013年の観光入込客数は178万人です。

「天橋立を世界遺産に」との看板。

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京都府、宮津市などは
「天橋立−日本の文化景観の原点」という名で、
文化庁に対し世界遺産暫定一覧表記載資産候補としての
提案を行ったものの
いまだ暫定リストに選ばれていません。

帰りの飛行機は、大阪伊丹空港から。
この空港、久しぶり。

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行きは日本航空でしたが、
帰りは全日空。

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羽田に着きました。

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最後に珍しい報告を。
空港で荷物が出て来るのを見ていて、
同じトランクがないのには感心しますが、
新浦安方面行きバスに乗るため、
荷物を置いたら、
全く同じケースが並んでしまいました。
左がその方ので、右が私のもの。

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あるんですね、こういうこと。


これで、今年5月の旅行記は終わり。

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バックナンバーは、それぞれ↓をクリック。

倉敷美観地区

玉造温泉

出雲大社

足立美術館

砂の美術館

鳥取砂丘

竹田城跡


出雲の旅・その7・竹田城跡  旅行関係

車窓から見る、田舎の風景。

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外国人が日本の田舎を見て、
その美しさに驚愕するそうですが、
山があって、森があって、家があって、
畑があり、田んぼがある。
本当に美しい。

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と言っている間に、
竹田城跡が近づいてきました。

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竹田城跡に行くには、
まず、ここ山城の郷に寄り、

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このチャーターバスに乗ります。

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この坂道をくねくねと登ります。

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個人客の方は、徒歩で。

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対向車が来たらどうするのか、と心配しましたが、
一方通行で、下りは別の道で降りるのだと、
後で知りました。

ここがバスの終点。

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バスから降ります。

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こんな歓迎の垂れ幕が。

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ここからは徒歩で。

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「あと○m」と励ましてくれます。

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800mほど登ります。

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市には、こういう名前の課があるようです。

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途中の展望スペースで。

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ガイドさんとの合流地点に来ました。

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この方がガイドさん。

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ここが入り口。

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ここにあった写真。

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有名な写真で、いっぺんに竹田城が全国に知れ渡りました。
一昔前まで登城ルールはなく、
1日の見学者も数えるほどで、
山を登って下りるまで
誰にも会わないことも珍しくなかったといいます。

ブームのきっかけは2006年2月、
公益財団法人「日本城郭協会」が発表した
「日本100名城」への選出。
これを機にリュックを担ぐ「歴女」ら
歴史ファンの姿が見られるようになったといいます。

翌07年には地元の写真家・吉田利栄(としひさ)さん(84)の写真で
「雲海に浮かぶ天空の城」として注目を集めました。
その頃から
新聞やテレビ、雑誌などが竹田城跡を取り上げ、
合わせて吉田さんの写真も大きく掲載されました。
「こんな城があるらしい」との噂は、
雲海の写真とともにネットで拡散していきました。

09年ごろから旅行会社が竹田城跡のツアーを組み始め、
(このツアーも、その一つ)
観光客は年々増加。

13、14年度は2年連続50万人を突破し、
15年度も約42万人。
1日1150人
推計2万人だった10年前からは考えられないほどになりました。

「天空の城」「日本のマチュピチュ」という命名も、
ブームに拍車をかけたようです。

他にこんな写真も。

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このような雲海を見ることが出来るのは、
反対側の朝来山の中腹にある立雲峡。
竹田城と同じ高さの写真が撮れます。
雲海が出るかどうかは、運次第。

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ここから城跡に。

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登って行くと、

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石垣が見えてきました。

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安土城や姫路城と同じ
穴太(あのう)積による石垣です。

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飛行機雲が石垣によく映えます。

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まず、大手門から。

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城内は見学のためによく整備されています。

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地面が黒い不織布で覆われているのは、
歩きやすくするためと、
土砂の流出を防ぐため。

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北千畳は広いスペース。

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ここには、不織布はありません。

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こんな掲示も。

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この後、三の丸、二の丸と続きます。

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竹田城の基礎を作ったのは、
室町時代の武将で、
応仁の乱の西軍の総大将・山名持豊(やまなもちとよ)。

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嘉吉元年(1441年)の嘉吉の乱勃発時に、
対立していた赤松氏に対する最前線基地の一つとして、
嘉吉3年(1443年)に誕生した。
以来、大田垣氏が7代にわたって城主となりました。

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羽柴秀吉の但馬征伐による落城後、
最後の城主となる赤松広秀が
現在の豪壮な石積みの城郭を整備したといわれています。

天守のあった本丸が見えてきました。

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大きな直方体の石の
長辺と短辺を交互に組み合わせた「算木積み」(さんぎつみ)。
強度を増すための構造です。

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ここを登ったところが天守のあった場所。

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ここです。

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当時の予想図。

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建物はありましたが、
木造だったため、今は全部消失しています。
スリランカのシギリヤ・ロックみたいですね。

城主が住んだわけではなく、
他の所に居所はありました。
あくまで戦闘のための城。
実際に戦闘に使われたことはありませんでしたが。

↓全体図。

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東西約100m、南北約400m
標高353.7mの古城山の山頂にあります。
虎が臥せているように見えることから、
別名「虎臥城」(とらふすじょう・こがじょう)とも呼ばれます。

やはり、高い場所なので、見晴らしがいい。

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城の他の場所もよく見えます。

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「日本のマチュピチュ」の景観をご覧下さい。

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降りるのは、別の通路で。

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駐車場まで降りる途中、この階段を登ると、

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こんな門もあります。

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下から見た竹田城跡。

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新緑の時期になると
「麓や登山道から石垣が見えづらい」という声が
住民や観光客から相次いでいます。
石垣を取り巻く樹木が育ちすぎ、
生い茂った枝葉が遠望を遮りつつあるためです。
夜は、石垣をせっかくライトアップしても、
町中から眺めると手前の木々が邪魔をして見えにくいのです。
「このまま放っておけば、やがて石垣が見えなくなってしまう」
と心配する人もいます。

ところが、これらの木々を簡単には切れない事情があるといいます。
山の大部分は私有地で、地権者は142人。
土地の境界が曖昧で、すでに地元にいない所有者も多い上、
相続未登記の問題も絡むからです。

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観光地には観光地なりの悩みがあるようです。






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