小説『民王』(たみおう)  書籍関係

[書籍紹介]

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池井戸潤による、
一風趣の変わった作品。

二代にわたって総理が政権を中途で投げ出したことから、
民政党幹事長の武藤泰山に総理大臣の椅子が回ってきた。
次の総選挙までのつなぎの政権だとみなされていたが、
国会答弁の間に異変が起こる。
泰山の息子で大学生の翔との人格が入れ替わってしまったのだ。

翔は政治には全く関心のないドラ息子で、
周囲はなんとかボロを出さないようにとりつくろうが、
秘書が作った答弁書を翔が 
目茶苦茶な読み方をしたため、
「漢字の読めない総理大臣」と波紋が広がる。
また、官房長官の狩谷に愛人スキャンダルが発覚し、
更に窮地に立たされる。

一方、翔となってしまった泰三は、
翔の就職活動のために、
いろいろな会社の面接に行かされるが、
上から目線の言い方で、次々と選考から落ちてしまう・・・

という、よくある「入れ代わりモノ」
男女高校生の入れ代わりや、
夫婦の入れ代わり、
父娘の入れ代わり
母息子の入れ代わりなどバリエーションはいろいろだが、
本書は、入れ代わりの主人公が総理大臣というのが特色。

その結果、珍妙な場面が展開するわけだが、
その最たるものが、国会答弁だろう。

「我が国は今、アメリカ発の金融キキン(危機)による、
ミゾユー(未曾有)の危機にジカメン(直面)いたしており、
景気は著しくテイマイ(低迷)しておるところでございます。
建設など、一部の業界においては
大型倒産がハンザツ(頻発)し、
製造業においては、急激な受注減によるハヤリ(派遣)労働者切りの問題がワカオキ(惹起)しておりまして、
こうした事態をカイサケ(回避)するため、
昨年から我が党が実施してきた経済対策をフシュウ(踏襲)した
積極的な景気刺激策を講じてまいる(所存)トコロアリです。
その具体的な対策でございますが、
まず失業者に特化した職業訓練制度を導入するとともに、
経営者側に対しては不当なハヤリ(派遣)労働者切りのユウム(有無)を調査し、
指導していく考えであります」

と言う按配。

この小説がポプラ社のWEBマガジン「ポプラビーチ」に連載開始したのは、
2009年8月28日。
麻生政権の末期で、
連載開始2日後の8月30日の総選挙で、
自民党は大敗し、
民主党に政権が移った、まさにその時期である。

となれば、麻生さんが国会答弁の中で、
踏襲を「ふしゅう」と読み間違えた事件を思い起こす人も多いだろう。
また、酔っぱらったかのような状態で記者会見をする
経済産業大臣も出て来る。
これもある人物を想起させられる。

この「入れ代わり」の原因は、
ある医療メーカーによる脳波移し替えによるものだとするのだが、
どうせヨタ話だから、どうでもいい。

話が展開するにつれて、
翔は泰山の体を借りて、正論を展開するようになる。
泰山は就職面接をする中で、
息子・翔の意外な側面を知るようになり、
泰山は、初めて政治を志した頃の
新鮮な思いを思い出すようになる。
まあ、予測したとおりの展開。

そして、新薬承認問題に発展する。

段々本領を発揮してきた翔が
マスコミや議員相手に正論を述べるのが痛快。
たとえば、こんな。

「よく考えてみろ。
官房長官としての狩屋になにか落ち度があったか?
政治家は結果が全てじゃないか。
俺は、狩屋がプライベートで何をしてようが
そんなことは問わない。
お前らも、くだらないことに紙面を割くぐらいなら、
もっと実のある議論をしたらどうだ。
政治家のスキャンダルなんぞで
大新聞や公共放送まで大騒ぎしているのは、
日本だけだぞ。
お前ら、そんな仕事して恥ずかしいと思わないのか。
目をさましやがれ!」

予算委員会での翔の発言。

「ここは予算委員会だろうが。
日本の国家予算を論じる場のはずだ。
さっきから黙って聞いていれば、
バナナだなんだって、
予算のことはそっちのけで
くだらねえ質問ばっかじゃねえか。
だいたいお前ら、なんのために国会議員やってんだよ。
そんなくだらねえ質問するためか。
いいか、民意はな、バナナのことなんかどうだっていいんだよ。
そんなことよりも、もっと国を良くしてくれ、
景気をなんとかしてくれって、
そう思っているはずだ。
それなのになんだ、
くだらねえマスコミに便乗し、
党首までのこのこ出てきて
バナナだなんだと時間のムダ遣いだ。
それで恥ずかしくないのか!
もう一度いう。
ここは予算を話し合う場だろう。
お前ら、国家予算よりバナナの方が大事か?」

元の体に戻ってから泰山が翔に言うセリフ。

「俺は自分が忘れちまっていたものがなんだったのか、
わかったよ。
昔の俺は、やっぱりいまのお前みたいに、
青臭くて、がむしゃらで、
そして本気に世の中のためになろうといきがっていた。
本音で生きて、みんなの声に耳を傾け、
孤軍奮闘していた。
それがいまはどうだ。
政界の論理にからみとられ、
政治のための政治に終始する
職業政治家に成り下がっちまった。
いまの俺は、総理大臣かもしれないが、
ほんとうの意味で、民の長といえるだろうか。
いま俺に必要なのは、
サミットで世界の首脳とまみえることではなく、
ひとりの政治家としての立ち位置を見つめ直すことではないのか。
それに気づいたとたん、
いままで自分が信じてきたものが
単なる金メッキに過ぎないと悟ったんだ。
いまの俺にとって、
政治家としての地位も名誉も、
はっきりいって無価値だ」

小説の掲載後、
民主党政権に代わり、
その後、民主党政権が瓦解する以前の小説である。
現実は、小説より奇なり。

2015年7月に、テレビ朝日系でテレビドラマ化
主演は遠藤憲一と菅田将暉。
好評で、2016年4月15日に、
連続ドラマのその後を描いたスペシャルドラマ
「民王スペシャル 新たなる陰謀」と、
4月22日には「民王スピンオフ 恋する総裁選」が放送された。


映画『30年後の同窓会』  映画関係

[映画紹介]

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バージニア州ノーフォークでバーを営むサルの店に
一人の男が客としてやって来る。
「俺が分からないか」
という客の顔をまじまじと見たサルは、
「ドク!」と呼びかける。
二人は海兵隊で共にベトナム戦争に従事、
30年ぶりの再会だった。

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わけありのドクは、サルを伴って、
リッチモンドにある教会を訪れる。
そこでは二人の軍隊時代の悪友のミューラーが
今では牧師として信徒の前で説教をしていた。
ドクは二人の居場所をネットで探したという。

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そこで判明したのは、
ドクは1年前に妻に先立たれ、
2日前にイラクで息子が戦死したことだった。
その息子の亡骸を基地で受け取る旅に
2人に同行してほしいというのだ。

3人はドーバー空軍基地を訪れるが、
息子の顔は銃で吹き飛んでおり、
「見ない方がいい」という助言にかかわらず、
ドクは遺体を見てしまう。

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その上、息子の死の真相を知ったドクは、
アーリントン墓地に埋葬されるのを拒否し、
家のあるニューハンプシャー州ポーツマスに搬送したいと言い張る。

こうして、息子の遺体と共に、
アムトラックで移動する男たちの旅が始まる。

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「さらば冬のかもめ」(1973)などの原作で知られる
ダリル・ポニックサンの小説を映画化。
「さらば冬のかもめ」と重なる描写が展開する。
ノーフォークからポーツマスまでのルートも同じだ。

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この原作を「6 才のボクが、大人になるまで。」(2014)などの
リチャード・リンクレイターが監督し、
3人の中年のオッサンを、
「フォックスキャッチャー」(2014)などのスティーヴ・カレル
「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」(2015)などのブライアン・クランストン
「マトリックス」(1999)シリーズなどのローレンス・フィッシュバーンが演ずるとなれば、
観ないわけにはいかないだろう。

映画は3人の中年男の会話を通じて、
ベトナム戦争時代の過去があぶり出される。
戦友の絆は、時間を経るに従い復活し、強固になっていく。
そして、ベトナム戦争の虚しさと、
イラク戦争の虚しさが二重移しになる時、
息子の死をどう迎えるかというドクの物語が鮮明になる。

サルは結婚もせずの根無し草、
ミューラーは神の導きで良い伴侶を得、
ドクは妻も息子も失った孤独の中にいる。
その3人の五十男の人生が
最後の1点で結ばれる。

そして、最後にドクの選択が間違いでなかったと分かる、
巧みなラスト。

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ベトナム戦争とイラク戦争という
二つのアメリカが起こした戦争に
今もなお翻弄される3人の男を描いて
秀逸な映画だった。

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とにかく3人のアカデミー賞候補者たちの演技合戦だけでも
楽しく観られる。

5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/lM2MgKAsi5c

TOHOシネマズシャンテ他で上映中。

タグ: 映画

出雲の旅・その7・竹田城跡  旅行関係

車窓から見る、田舎の風景。

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外国人が日本の田舎を見て、
その美しさに驚愕するそうですが、
山があって、森があって、家があって、
畑があり、田んぼがある。
本当に美しい。

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と言っている間に、
竹田城跡が近づいてきました。

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竹田城跡に行くには、
まず、ここ山城の郷に寄り、

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このチャーターバスに乗ります。

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この坂道をくねくねと登ります。

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個人客の方は、徒歩で。

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対向車が来たらどうするのか、と心配しましたが、
一方通行で、下りは別の道で降りるのだと、
後で知りました。

ここがバスの終点。

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バスから降ります。

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こんな歓迎の垂れ幕が。

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ここからは徒歩で。

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「あと○m」と励ましてくれます。

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800mほど登ります。

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市には、こういう名前の課があるようです。

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途中の展望スペースで。

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ガイドさんとの合流地点に来ました。

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この方がガイドさん。

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ここが入り口。

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ここにあった写真。

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有名な写真で、いっぺんに竹田城が全国に知れ渡りました。
一昔前まで登城ルールはなく、
1日の見学者も数えるほどで、
山を登って下りるまで
誰にも会わないことも珍しくなかったといいます。

ブームのきっかけは2006年2月、
公益財団法人「日本城郭協会」が発表した
「日本100名城」への選出。
これを機にリュックを担ぐ「歴女」ら
歴史ファンの姿が見られるようになったといいます。

翌07年には地元の写真家・吉田利栄(としひさ)さん(84)の写真で
「雲海に浮かぶ天空の城」として注目を集めました。
その頃から
新聞やテレビ、雑誌などが竹田城跡を取り上げ、
合わせて吉田さんの写真も大きく掲載されました。
「こんな城があるらしい」との噂は、
雲海の写真とともにネットで拡散していきました。

09年ごろから旅行会社が竹田城跡のツアーを組み始め、
(このツアーも、その一つ)
観光客は年々増加。

13、14年度は2年連続50万人を突破し、
15年度も約42万人。
1日1150人
推計2万人だった10年前からは考えられないほどになりました。

「天空の城」「日本のマチュピチュ」という命名も、
ブームに拍車をかけたようです。

他にこんな写真も。

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このような雲海を見ることが出来るのは、
反対側の朝来山の中腹にある立雲峡。
竹田城と同じ高さの写真が撮れます。
雲海が出るかどうかは、運次第。

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ここから城跡に。

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登って行くと、

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石垣が見えてきました。

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安土城や姫路城と同じ
穴太(あのう)積による石垣です。

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飛行機雲が石垣によく映えます。

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まず、大手門から。

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城内は見学のためによく整備されています。

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地面が黒い不織布で覆われているのは、
歩きやすくするためと、
土砂の流出を防ぐため。

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北千畳は広いスペース。

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ここには、不織布はありません。

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こんな掲示も。

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この後、三の丸、二の丸と続きます。

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竹田城の基礎を作ったのは、
室町時代の武将で、
応仁の乱の西軍の総大将・山名持豊(やまなもちとよ)。

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嘉吉元年(1441年)の嘉吉の乱勃発時に、
対立していた赤松氏に対する最前線基地の一つとして、
嘉吉3年(1443年)に誕生した。
以来、大田垣氏が7代にわたって城主となりました。

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羽柴秀吉の但馬征伐による落城後、
最後の城主となる赤松広秀が
現在の豪壮な石積みの城郭を整備したといわれています。

天守のあった本丸が見えてきました。

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大きな直方体の石の
長辺と短辺を交互に組み合わせた「算木積み」(さんぎつみ)。
強度を増すための構造です。

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ここを登ったところが天守のあった場所。

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ここです。

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当時の予想図。

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建物はありましたが、
木造だったため、今は全部消失しています。
スリランカのシギリヤ・ロックみたいですね。

城主が住んだわけではなく、
他の所に居所はありました。
あくまで戦闘のための城。
実際に戦闘に使われたことはありませんでしたが。

↓全体図。

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東西約100m、南北約400m
標高353.7mの古城山の山頂にあります。
虎が臥せているように見えることから、
別名「虎臥城」(とらふすじょう・こがじょう)とも呼ばれます。

やはり、高い場所なので、見晴らしがいい。

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城の他の場所もよく見えます。

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「日本のマチュピチュ」の景観をご覧下さい。

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降りるのは、別の通路で。

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駐車場まで降りる途中、この階段を登ると、

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こんな門もあります。

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下から見た竹田城跡。

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新緑の時期になると
「麓や登山道から石垣が見えづらい」という声が
住民や観光客から相次いでいます。
石垣を取り巻く樹木が育ちすぎ、
生い茂った枝葉が遠望を遮りつつあるためです。
夜は、石垣をせっかくライトアップしても、
町中から眺めると手前の木々が邪魔をして見えにくいのです。
「このまま放っておけば、やがて石垣が見えなくなってしまう」
と心配する人もいます。

ところが、これらの木々を簡単には切れない事情があるといいます。
山の大部分は私有地で、地権者は142人。
土地の境界が曖昧で、すでに地元にいない所有者も多い上、
相続未登記の問題も絡むからです。

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観光地には観光地なりの悩みがあるようです。



小説『最悪の将軍』  書籍関係

[書籍紹介]

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「最悪の将軍」とは、
第5第将軍・徳川綱吉のこと。
あの悪法「生類憐れみの令」を発し、
「犬公方」と呼ばれた人のことである。

朝井まかては、その綱吉の将軍宣下の時から死去までの心情を
妻・信子との心の交流を軸に、新たな光を当てる。

3代将軍・徳川家光の四男として生まれ、
長兄の家綱に子がなく、
次兄、三兄が逝去していたため、
四男として、兄から将軍職を引き継ぐことになった。

家綱は政治に倦んでおり、
老中たちの決定に
「良きように心得よ」「めでたい」「さようにいたせ」
の三言しか口にしないと言われていた。

病を得た家綱の後継を巡る詮議においても、
大老の酒井忠清らは、
綱吉を「将軍の器にあらず」と決めつけ、
宮中から将軍を迎える案を画策していたが、
正当な血筋を差し置いて外から後継を立てる案に反対を唱えた
堀田正俊らによって後継者として指名される。
その老中会議の場で、
老中末席の堀田正俊が家綱の書き付けを持ち出し、
「上意である」と宣し、
水戸光圀が同調して決定する場面など、興味津々。

綱吉自身は三兄の息子・綱豊(つまり、甥)が正当な継承者で、
自身は中継、という意識だったという。
しかし、治世は29年に及び、
子は夭逝し、
病死した後、綱豊(後の家宣)に将軍職は継承された。

既に関が原の合戦から80年、
大坂夏の陣から65年の歳月を経ており、
戦国の殺伐とした気風を排除して
「武を払い、文をもって世を治める」という信念のもと、
徳を重んずる文治政治を推進したのが綱吉の治世だと言われる。
学問の中心地として湯島聖堂を建立するなど
大変学問好きな将軍であった。
綱吉のこうした儒学を重んじる姿勢は、
新井白石・室鳩巣・荻生徂徠・雨森芳洲・山鹿素行らの
学者を輩出するきっかけにもなり、
この時代に儒学が隆盛を極めた。

元禄の庶民文化が栄えたのも綱吉の時代であり、
赤穂浪士の討ち入りが起こったのもこの時代。
「生類憐れみの令」により、
「悪政」をなしたと言われるが、
綱吉の治世を前半と後半に分けて考え、
前半は善政をほどこした、というのが、最近の評価のようだ。

本書は、
綱吉が堀田正俊を片腕に
越後高田藩の継承問題(越後騒動)を裁定し直したり、
諸藩の政治を監査するなどして
積極的な政治に乗り出し、
「左様せい様」と陰口された家綱時代に下落した
将軍権威の向上に努めた。
また、有能な小身旗本の登用もはかった。

その綱吉の心に強く影響を及ぼしたのが、
腹心の堀田正俊が若年寄・稲葉正休に刺殺された事件であり、
「堀田がいてくれたら」という思いが
常に綱吉の思いの中に常にあったと本書は書く。
浅野内匠頭の吉良上野介への刃傷が起こった時の反応。

堀田が生きていれば、
かように忌まわしき事は起きなかった。

堀田が生きていてくれれば、
犬公方などと蔑まれることはなかった。断じて。


綱吉の中には、末期の兄・家綱の口にした
「強き将軍に成りて、天下を束ねよ」
「泰平の世を」
という言葉が強く残っていた。

そこで、武家諸法度を改正し、
第一条に「文武忠孝を励まし、礼儀正しくすべき事」とし、
主君への忠、親への孝、
そして全ての行いにおいて、何よりも礼を重んじさせるようにした。

それだけに、オランダから来た医師ケンペルによって、
「この扶桑の国のように、命を重んじるよう命じた王など、
欧羅巴にはまだ一人もおりませぬ」
と褒められたことが嬉しかったと、本書はつづる。
そういわれてみれば、
ヨーロッパの王など、権力闘争ばかりで、
民のことを考えて善政をほどこした王などいなかったといえばいなかった。

信子との一日一回の交流の場があり、
それが綱吉の心をなごませる。
しかし、外へ出た時の駕籠の中では頭を抱えて呻吟する。

弱みを晒さぬ、いや、弱みなどはなから持たぬのが将軍である。
ゆえに綱吉はいつしか、
乗物駕籠の中のみと決めていた。
徳松を、そして堀田を思うて存分に嘆くことができるのは、
この狭い場しか持ち合わせぬ身になっていた。

そして綱吉は、
己が老中や若年寄らをもう微塵も信じていないことを自覚していた。


「犬公方」と陰で呼ばれ、
軽んじられていることを知った時の綱吉の反応。

民の心とは、何と御しがたいものか。
綱吉は激しい挫折感を味わっていた。

怒りさえ込み上げそうになって、綱吉は己を戒めた。
ならぬ。民を憎んだ瞬間、余は民の父ではなくなる。

無知蒙昧なる民の申すことぞ。
赦さねばならぬ。
慈愛の心を目減りさせてはならぬ。


晩年、亡くなってしまった娘息子のことを思って、
綱吉と信子が交わすことばが哀切だ。

「徳松も鶴も、逝ってしまったの」
綱吉は一人ごちた。
「儚いうございます」
「孫の一人も得ぬまま、老いた夫婦だけが残った」


そして、富士山の噴火が起こり、
江戸に灰が降り積もるのを見た後、
信子に言ったセリフ。

「不徳の君主を、
天はお責めになっているのであろうか」
綱吉は、深々と息を吐く。
「余は、やはり最悪の将軍であるのか」


それに対して、信子は、こう思う。

たとえ民が犬公方と誹ろうと、
綱吉はその民を等しく養うが政と信じてきたのだ。
この絶望の最中にあっても
身命を賭し、人々を守らんと欲している。
合わせていたはずの手を、
信子はいつしか握り締めていた。
昂然と顔を上げ、暗い空に目を据える。
徳川右大臣綱吉は断じて、最悪の将軍にあらず。
天よ、あなたがそれを知らぬとは言わせぬ。
風が吹き、また灰が舞った。


死の床で葡萄を食した綱吉は、
それを作った百姓のことを思い、言う。

「扶桑の民はいかなる災厄に遭うても、必ず立ち上がる」
「強き、愛しき民ぞ」


綱吉の死後、尋ねてきた柳沢吉保は、
綱吉の末期の言葉を信子に告げる。
それは、次のようなものであった。

「我に、邪(よこしま)無し」

綱吉という人物に新たな光をあて、
いろいろな知らなかったことを教えてくれる
良書である。


ところで、生類憐れみの令により、
野良犬の収容施設が作られ、
大久保に2万5千坪、
四谷に1万9千坪、
中野に16万坪の小屋を設け、
たとえば中野に収容した犬はおよそ10万匹で、
餌代がふくらみ、
年間9万8千両になり、
その費用を江戸の町々から徴収したという。

その生類憐れみの令も、
家宣の時代になって廃止された。
正確には、
綱吉の葬儀前に通告された。
家宣の将軍宣下の後だと、
前代の政は間違いであったと子が認めることになるので、
綱吉の生前の意志、温情によって
自ら施策を緩和したという形が取られたのだという。

収容所に預けられた犬たちは、
村々に引き取られた。

なお、後継が決まってから、
綱吉は一時期中途半端な立場に立たされる。
それは、家綱側室に懐妊があるかどうかを確かめる期間で、
大奥では、女中の誰が、いつ、
将軍の寵を受けたかを詳細に記録してあるのだという。
つまり、女中の懐妊が将軍の種であるかどうかを監視したわけだ。
初めて知った。


映画『羊と鋼の森』  映画関係

[映画紹介]

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2016年の本屋大賞に輝いた
宮下奈都の小説を映画化。
ピアノ調律師という、
今まで映画の題材にはならなかった題材を扱っている。

特に将来の夢を持っていなかった
高校生の外村直樹は、
たまたま講堂に案内したピアノ調律師・板鳥の仕事に触れ、
魅了される。
そのピアノの音色に、
育った山の中の森の匂いを感じたからだ。

調律師の訓練校に進んだ直樹は、
卒業後、板鳥のいる楽器店で調律師として働き始め、
先輩調律師の柳の下で修業し始める。
その柳と同行した仕事先で姉妹ピアニスト和音と由仁に出会うが・・・

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特に物語に大きな起伏はなく、
淡々と直樹の成長を描いていく。
先輩の板鳥や柳のやさしさを音楽がくるむ。
直樹を演ずる山崎賢人がさわやかで役にはまっている。

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板鳥を演ずる三浦友和

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柳を演ずる鈴木亮平らも役どころを抑えて好演。
特に鈴木亮平はこういう兄貴的役をやらせたら、今、天下一品。

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小説は「音楽が聞こえるような」と形容されたが、
映画では、音を有力な武器として用いることが出来る。
それを映像と如何にうまく結び付けるかだが、
冒頭の板倉の調律した音を直樹が聴くシーンから始まり、
音と森の情景をうまくイメージ化できていたので、感心した。
演奏部分でのカメラワークもなかなかいい。

悪人が一人も出てこない、
人と人の思いやりだけで成り立っているような話で、
それが、ピアノという楽器とつながって、
うまく調和していた。
北国の雪のシーンもよかった。

監督は、橋本光二郎

ラストで、「え?ジブリ?」と思うような旋律が出て来るが、
久石譲のオリジナル曲と知って納得した。
更に演奏は辻井伸行と知って、もっと納得した。

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米国のアカデミー賞の日本代表に推してもらいたい。
珍しい題材で、アカデミー会員に受けるのではないか。

5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/cVmuY0DZSlk

TOHOシネマズ日比谷他で上映中。

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小説「羊と鋼の森」

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