映画『ハイドリヒを撃て!』  映画関係

[映画紹介]

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ハイドリヒとは、
ナチスでヒトラー、ヒムラーに次ぐナンバー3であった
ラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒのこと。

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この映画は、1942年、
チェコのプラハで起こった
ハイドリヒの暗殺事件(エンスラポイド[類人猿]作戦)の顛末を描く。

1938年9月29日の「ミュンヘン協定」において、
チェコスロバキアのズデーテン地方帰属を主張した
ドイツのアドルフ・ヒトラー総統に対して、
イギリスおよびフランス政府は、
これ以上の領土要求を行わないとの約束を
ヒトラーと交わす代償として
ヒトラーの要求を全面的に認めた。
この会議は「ミュンヘン会談」と呼ばれ、
ヒトラーに対する英仏の宥和政策
ヒトラーを増長させ、
その後の第二次世界大戦勃発の遠因となった。
英国首相チェンバレンは、
戦争回避した政治家として帰国時歓迎されるが、
後に、その宥和政策は強く批判された。

協定後、ナチスはチェコを事実上統治し、
チェコのベネシュ大統領はロンドンに亡命した。
そして、宥和はポーランドへの侵略を許すことになった。
戦争回避の名目で、
イギリスもフランスも同盟国を見捨てたのだ。

ハイドリヒは「ユダヤ人絶滅政策」の推進者で、
その冷酷で親衛隊の部下たちから「金髪の野獣」と渾名された。
1941年9月23日、ハイドリヒは、
ヒトラーにより
ベーメン・メーレン保護領(チェコ)の副総督に任ぜられた。
(総督はいるが、実質的トップ)
ベーメンはルール地方と並ぶナチス・ドイツ最大の軍需工業地で、
ドイツ軍の戦車の三分の一、
軽機関銃の40%はベーメンで生産していた。

ヒトラーの期待通りハイドリヒは卓抜した手腕を発揮し、
9月27日にプラハに到着すると同時に
チェコ全土に戒厳令を敷き、
即決裁判所を設置、
ゲシュタポに反体制派やヤミ市場の捜査を徹底させ、
数週間にして主だった反体制勢力をチェコから消し去ってしまった。
ナチスの法的手続きさえも無視して
拘束者を即銃殺するよう命令を出すこともあった。
繰り返される逮捕と処刑により、
ハイドリヒは「プラハの虐殺者」の異名をとるようになった。

一方、ハイドリヒはプラハでは
「人間味ある総督」に見せようと心がけ、
記者に妻ナや幼い子らなどと一緒にいる写真をよく撮らせていた。

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自身の乗用車であるメルセデス・ベンツも
オープンカーの状態にしてプラハ市民に
自分の姿がよく見えるように走らせることが多かった。
威圧的にならぬよう護衛車両をつけることもあまりしなかった。
結果的にはこれが命取りとなった。

ロンドンに亡命しているチェコスロバキア亡命政府は、
沈滞する国内のナチスへの抵抗運動を活性化させるために、
ハイドリヒの暗殺計画を立てる。
それには、国内の抵抗運動が盛り上がらなければ、
連合国側の協力を得るのは難しいという事情があった。

映画は、暗殺指令を受けた亡命チェコ軍人の
ヨーゼフ・ガブツィク曹長、ヤン・クビシュ軍曹
パラシュートでプラハ近くに降下するところから始まる。
身を寄せた家では、裏切り通報を直前に阻止し、
市内に入ってからは、
現地の連絡先を尋ねるが、直前に逮捕されており、
獣医の世話でレジスタン運動のモラヴェック家に匿ってもらう。
そして、男女一緒に偵察し、
暗殺計画を練るが・・・

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と、ごくごく丁寧に、現地での活動を描く。
全編緊迫感に満ち、一瞬も目を離せない。
現地のレジスタンスの指導者は、
暗殺計画に反対する。
なぜなら、その後のナチスの報復により、
「チェコは地図から消えてしまう」
という心配からだ。
その前に、スロバキアは実際に地図から消滅していた。

その指令をイギリスに問い合わせて確認する作業も
緊迫感の中で描かれる。

そして、暗殺の決行。
1942年5月27日早朝
トロヤ橋手前のホレショヴィチェ通りにあるカーブの前で
プラハ城へ出勤するハイドリヒの車両を
ヨーゼフとヤンは待ち伏せ。

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午前10時半頃、ハイドリヒのオープンカーがこのカーブに入り、
スピードを落としたところでヨーゼフが車両の前に飛び出し、
隠していた短機関銃を出して撃とうとしたが、
銃が故障し、弾が出なかった。
ハイドリッヒはピストルをとり出して、
ヨーゼフを射殺しようと立ち上がったが、
うろたえた運転手が車を停止し、
ヤンがハイドリヒ目がけて手榴弾を投げつけた。
爆弾は車の横で爆発。
ハイドリヒは無傷に見えたが、
実は爆発の影響で腹部と肋骨部に
車のスプリングと金具の破片が食い込んでいた。
現場に居合わせた市民達が市立病院へと搬送。
ヒムラーは親衛隊医師団を連れて自らプラハへ赴いたが、
ハイドリヒの容態は悪くなる一方で
ヒムラーと最後の面会をしたのち、
6月4日午前4時30分頃に死去
襲撃からおよそ一週間後の死であった。
(病院を尋ねたヒムラーにより、
わざと手術を失敗させ、殺された、という説もある。
ハイドリヒの台頭をヒムラーは恐れていたのだという)

そして、予想通り、
ナチスのすさまじい報復が始まり、
実行者を隠した疑いで
(事実に反していたが)
一つの村の男性が全員殺され、
女子どもは収容所に送られる。
報復で銃殺された人々は1万3千人にも及んだ。

裏切り者が出、
拠点となったモラヴェック家に踏み込んだゲシュタポによる
拷問を恐れて、モラヴェック夫人は自殺する。
その息子は拷問で、
母の首を見せられ、実行者が隠れている
聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂の名を明かしてしまう。

そして、大聖堂を取り囲んだ軍によって攻略が行われ、
抵抗の後、最後に残した銃弾で、
みな自殺してしまう。

歴史の理不尽さの中で
悲しみに満ちた人々の姿を描いて胸を打つ。
国を失うという究極の苦しみの中で
抵抗した人々の勇気に心が熱くなる。

ナチの暴虐、英仏の役割の放棄、
抑圧の中での抵抗運動と、
当時の閉塞的な状況を見事に描く。
16mmフィルムで撮影された映像と
手持ちカメラの映像が緊迫感を盛り上げる。

ハイドリヒ一人を暗殺してどうなるものか、
という疑問は、当時も今もあると思うが、
問題は抵抗を示すということ。
そして、この事件をきっかけとして、
イギリスとフランスがミュンヘン協定の破棄を決めた、
というラストの文字で、
彼らの苦労が報われた、という思いがする。

ヨゼフ・ガブチークをキリアン・マーフィが、
ヤン・クビシュをジェイミー・ドーナンが演ずる。

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監督は、ショーン・エリス

あいかわらずナチスものは映画の題材として多いが、
この作品は、その中でも一級品の出来
全ての人に観てもらいたい。

5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/bebookte_b4

同様の題材を扱った映画として、
「死刑執行人もまた死す」(1943)、「暗殺」(1964)、
「暁の七人」(1975)がある。

話は飛ぶが、
北朝鮮との戦争を回避するために、
「話し合い」をさかんに言う人がいるが、
話し合いで解決する問題かどうか、まだ分からないのだろうか。
核とミサイルでここまでやってきた北朝鮮が
核を手放すはずがないではないか。
何度だまされれば気が済むのだろう。
ここで安易な妥協をすれば、
第2の「ミュンヘン会談」になってしまう。
21世紀のヒトラー、金正恩はますます増長し、
更なる装備をして、アメリカのみならず、
日本までも核の標的にするだろう。
石炭の輸入と石油の輸出をストップすれば、
北朝鮮はすぐに立ち行かなくなるのに、
延命させている中国の責任は重い。

タグ: 映画



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2017/9/15  13:59

 

歴史には様々なドラマがある。だがそれの多くが戦争に起因していることを考えるとやりきれない気持ちにはなるのだけれど。第二次世界大戦で、ナチスに蹂躙され、ある者は逃げ惑い、ある者は為す術なく闇に飲まれ、ある者は戦いに挑み、そして…。これは現代ではチェコスロバ 




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