『夫の後始末』  書籍関係

[書籍紹介]

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昨年(2017年)2月3日、作家・三浦朱門氏が逝去。

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その介護と看取りをつづったのが、
妻の曽野綾子さんによる本書である。
第1部「変わりゆく夫を引き受ける」が介護を、
第2部「看取りと見送りの日々」が看取りをつづっている。
「週刊現代」に連載したものを単行本化。

当時、三浦朱門91歳、曽野綾子85歳
典型的な「老老介護」だが、
誰もが直面しなければならない「老い」と「死」を
正面から受け止め、粛々と綴っている。
その毅然とした覚悟に、
姿勢を改めさせられる思いがする。

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まだ中年の頃、
私は尊敬する老医師
(聖路加国際病院名誉院長の日野原重明氏のこと)から、
人間の最期に臨んでやってはいけないことを
三つ教えられたことがあった。
○点滴乃至は胃瘻(いろう)によって延命すること
○気管切開をすること
○酸素吸入。
若い人が事故で重体に陥ったような場合は、
もちろんあらゆる手段を使って、
生命維持を試み、
それを回復に繋げるべきだが、
老人がいつまでも点滴で生き続けられるものではない。
また気管切開をすると
最期に肉親と一言二言話をするという
貴重な機会まで奪うことになるから
絶対に止めた方がいい、
と私は教えられたのだ。


そして、こう書く。

私たち人間は、寿命だけは、
神でも仏でもいい、
人間をはるか遥か離れた偉大な存在に決めてもらうのがいい、
と考えていたのである。
それが人間の分際というものであった。


更に、こう書く。

私たちは自然に老い、
生命の糸が燃え尽きる時に死ねばいいので、
こんな簡単な話はないと思っていた。


朱門さんも日頃、
「長生きさせなくていいよ」とかねがね言っていたという。

ただ、死期が近づくにつれて、
朱門さんが食べなくなることに対しては、
曽野さんは胸を痛めたようだ。

食物があるのに、食欲がない、という状態は、
飢餓に苦しむ人々から見たら、
天国の境地である。
もっとも、本当に飢餓の状態が深刻になった子供たちもまた
食欲を失う。
私は飢餓の年のエチオピアで、
救援物資のお粥を入れたボウルを膝の上に載せたまま、
全く食べようともしない子供たちをたくさん見た。
(中略)
エチオピアの飢餓の子たちは、
決して声をあげて泣かなかった。
ただ食欲は失っていた。
それだけが、彼らの、
現世に対する強烈な拒否の表現だった。
生きるに値(あたい)しない現世というものがある、
と彼らは骸骨が見えるようになった
無表情な顔で言っていたのだ。


介護の内実について、このように書く。

奉仕とは、うんことおしっこの世話をすることなのた。
それ以外は、人に仕えることではない、
と私の知人の神父は言った。
これは私にとって決定的なことだった。
奉仕というのは他人に対する行為だが、
家族に関して言えば、
「看病」つまり看取りだ。
その看取りの基本は、
排泄物の世話なのである。


葬儀は、「前のとおり」に行われた。
「前のとおり」とは、
朱門の父母と曽野さんの母を送った時の葬儀と同じ形、
という意味だ。
曽野さんの家は、
夫の父母と自身の母の同居で、
その3人を介護し、この家から送り出したのだ。

私の母が一番若くて83歳、
朱門の母が89歳、
父が92歳で亡くなったのだから、
明治生まれの世代としては、
全員天寿を全うしたと言ってもよかった。
私たちは自宅で、亡き人たちと直接血縁のある僅かな甥や姪、
それから晩年に我が家で世話をしてくれた人たちだけで、
見送ったのである。
それが我が家の葬式の原型になっていて、
その送り方が、私たちは好きだった。
静かに世間を煩わせることなく、
ほんとうに心の通じ合い、
その最期を知っていてくれる人たちだけと過ごせたからである。


葬儀のミサはボリビアから帰国中の倉橋神父が執り行った。

神父は人間の死は決して生命の消滅ではなく、
永遠に向かっての新しい誕生日だということを
説教の中で述べられた。
この思想は、
ほんとうはカトリック教徒全員の中にあるもので、
死の日は「ディエス・ナターリス(生まれた日)」という
ラテン語で呼ばれるのである。
それから半分南米人らしくギターもお上手な神父は、
突然祭服の下から、
ハモニカを取り出して
「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」を吹いて下さったので、
私たちは全員で合唱した。
そしてミサが終った時、
「こんな明るいお葬式ってあるものなの!?」
と言う人もいた。


朱門さんが亡くなった後の生活について、
次のように書いている。

※私のような年齢の者でさえ、
朱門がいなくなった後の静かさは想像できなかった。
朱門は別に、騒々しい性格ではなかった。
家にいる時は、大抵本を読んでいるか、
コンピューターに向かっていた。
テレビもあまり見なかった。
音楽も聞かない。
友人を招くということもない。
だから朱門は、夕暮れのように静かな人だった。
別に寂しくはないのだという。
一人生きて、したいことがあり、
精神の食事のような読書もたくさんできて、
「自足している」
という言葉が一番その状態をよく表していたように思う。

今後のことについて。

私らしさを失わずに、整理して、
できれば端正にこの世を終わりたい、
というのが私の希望だ。
(中略)
今イラクでIS(イスラム国)との局地戦にさらされている土地から
逃れられない人たちは、
明日まで安全に生きられることだけが唯一の希望だろう。
できればその上、壊れていない家で眠ること、
飲料水や食料が手に入ること、
時々は洗濯ができることなどを希望しているかもしれない。
日本人は全員が、
イラクの難民たちの悲願を、すでに手にしている。
私たちは、自分よりも恵まれない人の存在を
絶えず意識し、謙虚に残された生を生きるべきなのである。


まさしく「賢人」と私が付けるにふさわしい生き方である。

今、日本は団塊の世代が70代に突入した。
あと10年も経てば、
全国で夫が妻を、妻が夫を介護し、看取る、
ということが起こるに違いない。
その基本は「うんことおしっこの世話をする」ことだという。

我が家も例外ではない。
我が家では夫の方が妻より長生きだ、と勝手に決めているが、
その妻の介護と看取りについて、
新たな覚悟を与えてくれる本だった。

↓は、若い頃のご夫妻。

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以下、目次を記す。

まえがき 夫を自宅で介護すると決めたわけ

第一部 変わりゆく夫を引き受ける

わが家の「老人と暮らすルール」
夫の肌着を取り替える
布団が汚れたら、どうするか
八十五歳を過ぎた私の事情
夫の居場所を作る
食事、風呂、睡眠のスケジュール
モノはどんどん捨てればいい
夫が突然倒れた時のこと
よく歩く、薬は控える、医者に頼らない
介護にお金をかけるべきか
「話さない」は危険の兆候
介護にも「冗談」が大切
明け方に起きた奇跡
夫に怒ってしまう理由
散々笑って時には息抜き
「食べたくない」と言われて
老衰との向き合い方
「奉仕」とは排泄物を世話すること
温かい思い出と情けない現実

第二部 看取りと見送りの日々

夫の最期の九日間
ベッドの傍らで私が考えていたこと
戦いが終わった朝
息子夫婦との相談
葬式は誰にも知らせずに
お棺を閉じる時の戸惑い
夫の遺品を整理する
変わらないことが夫のためになる
広くなった家をどう使うか
遺されたメモを読み返す
心の平衡を保つために
納骨の時に聞こえた声
「夫が先」でよかった
人が死者に花を供える理由
夫への感謝と私の葛藤
「忘れたくない」とは思わない





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