名古屋へ・その2  旅行関係

一夜明けると、
前夜は暗くて見えなかった景観が
窓の外に広がります。

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矢作川沿いに建てられたホテルだと分かります。

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笹戸温泉は愛知県下最古の温泉。
発見されたのは室町時代後期(1500年前後)といわれており、
その歴史は600年以上

釣りに出掛けた村人が、
傷ついて動くことのできない白鷺が
数日後、元気に飛び立っていくところを目にし、
白鷺が羽を休めていた泉から
湯の花が湧き出ていることに気付いた、
という伝説が残されています。

今朝も昨夜同様貸し切り状態の湯につかります。
↓は殿方大浴場。とうふやの公式サイトの画像を拝借。

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ちょっと小さい露天風呂。

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↓は婦人用大浴場。

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このホテルは、正式名称を「旬樹庵 -紫翠閣-とうふや」といい、
昭和13年に豆腐屋として開業。
開業から2年ほど経ったころから、
このあたりに行商に来る商人の宿を兼ねるようになり、
昭和28年に本格的に旅館としてスタート。

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朝食。

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これは、

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ジュレをサラダにかける道具です。

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窓から下を見ると、人が集まっています。

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合鴨にエサを与える人たち。

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私たちも、エサをあげたかったのですが、

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人が去ると、川で泳ぎ、

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私たちがエサ(100円)を買って下りていく頃には、
影も形も見えませんでした。
どこに行ったのでしょう。

↓河原から見たホテル。

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帰りのエレベーターにあった、
忘れ物の注意書き。

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やはり、携帯電話関係が一番多いようです。

再び甥の運転で名古屋市内へ。
せっかくのお休みなのに、ありがとうございました。

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で、名古屋城へ。

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入場券売り場。

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大人500円は、安い。

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ここが入り口。

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かなり広い敷地です。

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ボランティアの方が解説しています。

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西南隅櫓と天守閣。

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ここは、11月8日放送のNHK「ブラタモリ」の冒頭で、
タモリが説明を受けたところ。

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名古屋城は、
今川氏・織田氏の那古野城(なごやじょう)の跡周辺に、
徳川家康が九男義直のために築城したもの。
以降は徳川御三家の一つである
尾張徳川家17代の居城として明治まで利用されました。

大阪城、熊本城とともに日本三名城に数えられ、
伊勢音頭にも
「伊勢は津でもつ、
津は伊勢でもつ、
尾張名古屋は城でもつ」
と詠われています。

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1945年(昭和20年)5月14日の名古屋空襲により、
本丸御殿、大天守、小天守、東北隅櫓、正門、金鯱などが
焼夷弾の直撃を受けて焼失しましたが、
天守は、地元商店街の尽力や全国からの寄付により
1959年(昭和34年)に再建されました。

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そして、ここ、本丸御殿

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2009年に復元着工。
2013年、玄関と表書院を一般公開、
2016年からは対面所と下御膳所を一般公開。
今年中に工事を完了し、
来年には全体公開を予定しています。

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玄関で靴を預け、中へ。

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建築材として木曽山のヒノキが使われていますが、
木曽の山林地帯はかつて尾張藩の領地で、
尾張藩は将来の為に森林保護や伐採抑制政策を進めていたのです。

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玄関
訪れた人がまず通され、
取り次ぎを待つ部屋。

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玄関といっても、一之間(18畳)と二之間(28畳)の
2部屋からなっています。

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虎や豹を描いた襖絵が素晴らしい。

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ここは、表書院

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正規の謁見に用いられたもの。
5部屋からなります。

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本丸御殿は、元々
城主(藩主)が居住する御殿でしたが、
1620年(元和6年)、将軍上洛時の御成専用とすることになり、
以後藩主は二之丸御殿に居住しました。

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本丸御殿を使った将軍は秀忠、家光、家茂の3人で、
上洛の途中に宿泊しています。

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御成御殿となった後の本丸御殿は、
尾張藩士により警備と手入れが行われるのみで、
名古屋城主である尾張藩主ですら
本丸に立ち入るのは巡覧の時のみだったといいます。

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もったいない。

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御成専用とするだけあって、
二条城本丸御殿に匹敵した豪華な作りです。

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こころない仕業。

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再び、カミさんのセリフ。
「そんなもの撮って、どうするの」

対面所

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4部屋あり、
藩主と身内や家臣との私的な対面や
宴席に用いられました。

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京都と和歌山の名所が

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多くの人物と共に描かれています。

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黒漆塗折上げ小組格天井。

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格天井。

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下御膳所
料理の配膳や温め直しのための部屋。

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天井には、煙出しがあります。

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こんな立派なパンフレットが無料配布されています。

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完成公開は、来年の6月8日。

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次は、天守閣へ。

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日本のお城は、本当に美しい。

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大天守の高さは55.6m(天守台19.5m、建屋36.1m)と、
18階建ての高層建築に相当。
高さでは江戸城や徳川大坂城の天守に及びませんが、
延べ床面積では4424.5uと史上最大の規模。
体積では姫路城天守の約2.5倍あり、
柱の数・窓の数・破風の数・最上階の規模・
総高・防弾壁・防火区画など
14項目で日本一。

空襲で焼失した後、1959年に再建。
コンクリート構造であったため、
今、木造復元化の計画が進められています。

この車椅子用エレベーター施設は、
もう少し向こう側に出来なかったものか。

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天守閣には、こちらから入ります。

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下から見上げたところ。

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ここが入り口。

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7階建てで、

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5階まではエレベーターで上がれます。

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その上へは、階段で。

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7階から下を覗いたところ。

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天守閣最上階。

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名古屋の町を見下ろします。

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下の階には、様々な展示物が。

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金のシャチホコの実物大模型。

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高さは北側のもの2.621m、南側のが2.579m。
重さは1272sと1215s、
金の量は44.69sと43.39s。

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江戸時代の町並み。

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食卓。

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祝い膳なので、豪華です。

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暗くなっているのは、

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こういう仕掛けのため。

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ジオラマ。

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警備員の方も、
雰囲気を壊さないため、
このような衣装を身につけています。

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「清正石」を横目で見ながら、

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旧二の丸東三之門へ。

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「ブラタモリ」では、本丸御殿はスルー、
天守閣もシャチホコの金製ウロコの盗難事件に触れただけで、

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この門を抜けます。

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そして、搦手馬出(からめてうまだし)の説明などした後、
修復工事中の空堀へ行き、

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タモリの得意分野、地形について考察。

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名古屋城が台地の上に造られたということが分かります。

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ここの堀には、
ビニールに包まれた石垣が沢山あり、異様。

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加藤清正は、ここでは別格。

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元の場所を通って、退場。

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いやあ、いいものを見せてもらいました。

名古屋駅に到着。

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地下街の矢場とんで味噌カツ丼をたべようと思いましたが、

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ご覧のとおりの行列でしたので、

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このお店で、

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名古屋コーチンの親子丼を。

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美味でした。

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帰りの新幹線は、
指定席はずっと満席。
すごいね、新幹線。
自由席車両に並んで、
別々な席に座って、東京に戻りました。

わずか2日間なのに、
一週間もいたような
密度の濃い実家訪問旅行でした。


映画『ノクターナル・アニマルズ』  映画関係

[映画紹介]

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LAの現代アートのギャラリー経営者スーザンは、
豪邸に住み、裕福な暮らしをしているが、
夫は破産寸前で、しかも浮気しており、
スーザンはそれに勘づいている。
不眠症に悩まされ、心は荒廃している。

ある日彼女のもとに、
19年前に離婚した元夫エドワードから、
「夜の獣たち(ノクターナル・アニマルズ)」という小説のゲラが届く。
近く出版されるというその小説は「スーザンに」と献辞があり、
読んでみると、車で旅行中の親子3人が
夜の道路で若者たちに襲われ、
妻と娘が惨殺されるという破滅的なものだった。

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読みながら、スーザンはエドワードとの出会いと同棲生活、
母親の反対、新しい恋人の登場で、
エドワードに裏切り行為をして別れたことを思い出す。
当時の温和なエドワードとは全く違う
暴力的な小説にスーザンは戸惑うが・・・

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というわけで、スーザンの現在過去
小説の中の虚構の3つが
織りなされて物語は進む。

破綻はなく、特に小説の中の若者たちの犯罪が
すさまじい緊迫感で描写される。
丁度東名高速での事件の後だけに、
リアリティが増す。
主犯格の若者を演ずるアーロン・テイラー=ジョンソン
ふてぶてしい演技で、
ゴールデングローブ賞助演男優賞受賞。

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エドワードを演ずるジェイク・ギレンホール
小説の中の妻子を殺される男を演ずる。

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ということは、
スーザンの中でエドワードと男は重なっていることが分かる。
エドワードとの過去、空っぽな現在、
そして小説の中の暴力世界がリンクする。
なかなか巧みな映画である。

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やがて犯人は拘束されるが、
証拠がなく釈放される見込み。
捜査に当たった警部は、ガンで余命がなく、
男にある行為を勧める。

この警部を演ずるのが、
「ドリーム ホーム 99%を操る男たち」のマイケル・シャノンで、
先のアカデミー賞では助演男優賞候補となった。

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スーザンを演ずるのは、エイミー・アダムスで、
恋人を捨ててリッチな生活を手に入れながら、
過去への罪悪感から
心の荒廃に脅かされる女性の心理を見事に演ずる。

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監督は、「シングルマン」で監督デビューしたトム・フォード
本業はファッションデザイナーで、
イヴ・サンローランおよびグッチグループ全体の
クリエイティブ・ディレクターを経て、
現在は自らの名を冠したブランドを主宰。

オースティン・ライトの小説「ミステリ原稿」を映画化。
ヴェネツィア国際映画祭では審査員大賞を獲得した。

5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/AuNdHjQ3THU

TOHOシネマズ シャンテ 他で上映中。


タグ: 映画

名古屋へ・その1  旅行関係

先週末の土日と、カミさんの生家に行って来ました。

5時起床。
朝6時の我が団地。

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「そんな写真撮って、どうするの?」とカミさん。

東京駅の駅弁の専門店・祭。

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朝5時半からやっているこの店は、すごい混雑。

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「飛ぶように売れる」とは、このことか。

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並んだので、
余裕を持って出発してよかった。

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新横浜より西に行くのは、
5年半ぶりです。

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指定席も自由席も満席です。

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購入した駅弁3点。

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上越新幹線開業35周年記念弁当。

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イクラかに弁当。

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下見で、これ、と決めていたのがあったのですが、
製造即売なので、9時から。

牛肉重。

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これも娘の希望した、某メーカーの牛タン弁当があったのですが、
既に販売停止に。

しかし、最近の駅弁は、本当にうまい。

ほどなく見えて来たのが、

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富士山

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このあたりがベストポジション。

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雪の積もり具合が丁度いい。

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今は、パソコン、スマホ用の電源が標準装備。

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1時間41分で名古屋に到着。
早い。快適。

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ここで甥(カミさんの姉の長男)の車に乗せてもらい、
カミさんの生家に向かいます。

実は、27年ぶり
毎年、カミさんに「久しぶりに行ったら?」と言っていたのですが、
ついつい間があいたのは、
あまりに交通が不便だったからです。

愛知県と岐阜県の境目あたり。
近隣に駅はありません。

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Yahooの地図検索では、
6時間35分かかる、と出ています。

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名古屋で中央本線に乗り換えて恵那まで1時間3分。
明知鉄道に乗り換えて明智まで50分。
そこから徒歩(!)で1時間55分、とあります。
「徒歩」ということは、バスが通っていないということでしょう。

高速を出ると、山道に入ります。

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くねくねとした道を行きます。
いつも浦安のまっすぐな道しか運転していない私には、
甥の運転技術は驚嘆です。

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1時間半で、生家に着きました。
今は義姉(カミさんの長兄の奥さん)が一人で住んでいます。

カミさんはここで生まれ、
中学卒業まで住みました。
高校は足助の姉の家に下宿し、
卒業後、名古屋に出ました。
当時、女性の職業としては、電話交換手は花形でした。

その後、いろいろあって、
私と結婚し、
浦安に住んで40年になります。

生家のすぐ裏にお墓があります。

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ご先祖様のお墓がすぐそばにあるのは、いいですね。

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カミさんの旧姓は「森井」といいます。

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お墓から見た景色。

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典型的な田舎の景色です。

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木に囲まれたのは神社。
トトロの世界ですね。

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お墓のすぐ側にあった紅葉がきれい。

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近所を少し散歩しました。

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昔は愛知県東加茂郡旭町須渕でしたが、
今は豊田市に組み入れられました。
もっと昔は岐阜県だったことがあるそうです。

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吉幾三の歌ではないですが、
本当に何もないところで、
学校も病院も郵便局もスーパーもコンビニもありません。

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こういうところで生まれ育ったから
カミさんの性格は穏やかなのかな、などと思います。

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家の前を流れるのは、矢作川(やはぎがわ)。

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季節になると、鮎釣りで賑わうようです。

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川沿いに紅葉がきれいです。

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上ら見た、木に囲まれた神社。

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カミさんは、ここで缶蹴りをして遊んだそうです。

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カミさんの生家近辺でした。

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その後、足助市に移動して、
昼食会を。

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カミさんの兄弟が集まってくれました。
男・女・男・女・男と上手に産んだ、5人兄弟。
長兄は亡くなりましたが、その奥さんが須渕から出席。
長兄の長女と、姉の長男と長女、
そして私の娘と、
次の世代が4人。
私を入れて10人の集まりです。

森井家は5人兄弟の下の世代が9人、
その次の世代が13人、
更に次の世代が今のところ2人。
もっと増えるでしょう。
子孫繁栄

カミさんは義兄(姉の旦那さん)の葬式以来で15年ぶりの再会。
うるわしい兄弟の交わりを見せてもらいました。

あっという間に時間が過ぎ、
姪(カミさんの姉の長女)の家に移って歓談。

次の世代の写真を見せてもらいました。

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その家で飼っていた猫。
何という種類か、聞いたけど、忘れました。

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みなさんと別れた後、
足助の町を散策

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その昔、三州街道(塩の道)の足助宿として栄えた、
奥三河の中枢拠点です。

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それだけに、ちょっと変った感じの建物があります。

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最近、NHKでも紹介されたそうです。

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2005年4月1日に
近隣町村(藤岡町・小原村・旭町・稲武町・下山村)と共に
豊田市へ編入されました。

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足助のマンホール。

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ここは、香嵐渓(こうらんけい)。

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紅葉の名所で、

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ただいま「もみじまつり」の真っ最中。

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矢作川支流巴川がつくる渓谷で、
愛知高原国定公園の一角に当たります。

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紅葉やカタクリの花などが有名で、
毎年県内だけでなく近県からも数多くの観光客が訪れます。

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寛永11年(1634年)に
香積寺(こうじゃくじ)の三栄和尚が、
巴川から寺に至る参道に
カエデやスギの木を植えたのが始まりとされています。
更に、地元住民などの手によって
数多くのカエデが植え足されたり、
散策道がつくられるなどして現在のようになっています。

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外人観光客も沢山。

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中国人も来ています。

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香嵐渓のシンボルとも言える待月橋(たいげつきょう)が
命名されたのは昭和28年(1953年)。
その後3回の掛け替えを経た後、
平成19年(2007年)に今の橋となりました。

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イロハモミジ、オオモミジなど11種のカエデが
約4千本あると言われています。

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昭和5年(1930年)に、
当時の住職と町長が
大阪毎日新聞社社長の来町の際に命名を求め、
「飯盛山からの薫風は、
香積寺参道の青楓を透して巴川を渡り、
香ぐわしいまでの山気を運んでくる。
山気とは、すなわち嵐気也」
から
「香嵐渓「という名が付いたといわれています。

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この階段を登ったところにあるのが、
香積寺(こうじゃくじ)。
曹洞宗の寺で、山号は飯盛山(はんせいざん)。

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滅亡した足助氏の菩提を弔うために
飯盛山(いいもりやま)の足助氏の居館(飯盛山城)跡に建立されたもの。
応永34年(1427年)、白峰祥瑞禅師により開山。
寺号は維摩経香積仏国品から名付けられました。

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これは、

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ライトアップ後点灯される、ろうそく。

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その準備がされていましたが、
見たかったですね。

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しかし、時間がありません。

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この橋は、香嵐橋という、吊り橋。

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すっかり暗くなりました。

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夜の山道を走り、20分ほどの笹戸温泉へ。
↓が泊まったホテル。(翌朝撮影)

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泊まった部屋が、

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16畳と広く、

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次の間と

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洋室付き。

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これが夕食。

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献立↓。

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秋鮭と茸の豆乳鍋。

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牛フィレとフォアグラの陶板焼き。

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お腹がいっぱいになりました。

お風呂は貸し切り状態。
親子三人で温泉に泊まるのは、
20年ぶりくらいでしょうか。

明日は名古屋城に行きます。


小説『君の膵臓を食べたい』  書籍関係

[書籍紹介]

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映画を観て気になったので、読んでみました。

高校生の「僕」(終わりの方で名前が明らかになる)が
病院で偶然拾った「共病文庫」というタイトルの文庫本は、
クラスメイトの山内桜良 (さくら) の秘密の手書き日記帳で、
その冒頭に、桜良が膵臓の病気により、
命が長くはないことが記されていた。
桜良は病気のことを
親友の恭子にさえ告げておらず、
家族以外では「僕」だけが知る秘密となった。
桜良は、「僕」が読んでしまったことを知り、
そこから二人の奇妙な関係が始まる。
それは、正反対の人間に「僕」が振り回されることを意味していた・・・

というわけで、
遠からず死ぬことが決まっているクラスメイトとの
秘密を共有しながらつき合う男女の物語。

既に映画を観た感想は、↓のブログに書いたとおり。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20171031/archive

小説は、本来なら深刻な話になるところを、
シリアスにもセンチメンタルにもならずに
軽快な形で書き綴る。

たとえば、

「君の膵臓を食べたい」
と桜良が言うと、「僕」は
「いきなりカニバリズムに目覚めたの?」
と返し、
「昨日テレビで見たんだぁ、
昔の人はどこか悪いところがあると、
他の動物のその部分を食べたんだって」
「それが?」
「肝臓が悪かったら肝臓を食べて、
胃が悪かったら胃を食べてって、
そうしたら病気が治るって
信じられてたらしいよ。
だから私は君の膵臓を食べたい」
「もしかして、その君っていうのは僕のこと?」
「他に?」

という調子。
二人で焼き肉を食べながら、こんな会話をする。

「私、火葬は嫌なんだよね」
それなりに楽しく焼き肉を食べていると、
彼女が明らかに場所を間違えた話題を振ってきた。
「なんだって?」
聞き間違いの可能性もあったので、
一応確認してみると、
彼女は真面目な顔で繰り返した。
「だから、火葬は嫌なの。
死んだ後に焼かれるのはなぁ」
「それ、焼き肉食べながらする話?」
「この世界から本当にいなくなっちゃうみたいじゃん。
皆に食べてもらうとか無理なのかな」
「肉を食べながら死体処理の話はやめにしよう」
「膵臓は君が食べてもいいよ」
「聞いてる?」
「人に食べてもらうと
魂がその人の中で生き続けるってい信仰も
外国にあるらしいよ」

桜良のセリフ。

「私達は、皆、自分で選んでここに来たの。
君と私がクラスが一緒だったのも、
あの日病院にいたのも、
偶然じゃない。
運命なんかでもない。
君が今までしてきた選択と、
私が今までしてきた選択が、
私達を合わせたの。
私達は、自分の意思で出会ったんだよ」

こうして、桜良との交わりを通じて、
「僕」は、「人との関わりが人を作る」ことを学んでいく。

桜良が死んだ後、
「僕」が桜良の家を訪ね、
お母さんと「共病日記」について話す場面は、
映画同様感動的。

ただ、あまりにもピュア過ぎて、
70歳を過ぎた者、
いろいろな汚いものを見聞きし過ぎた者には、
共鳴するには至らなかった。
もっともっと人生は複雑だからだ。

なお、映画との違いは、
映画が12年後の「僕」が後輩に語って聞かせる過去、
というくくりは、小説では、ないこと。
あれは映画化に際しての脚本家の創作だった。



映画『ラストレシピ』  映画関係

[映画紹介]

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佐々木充は、レストランを経営するが、
あまりに理想の料理を求めるあまり、
客からも使用人からも見放され、
多額な借金を抱えて、
返済のために特殊な料理を作っていた。
それは、
「人生の最後に食べたい思い出の料理」を求める金持ちを対象に、
客の昔味わった料理を再現してみせることだった。
充は、「一度食べた料理の味は忘れない」という
絶対味覚の持ち主だったのだ。

その充に対して、奇妙な依頼が舞い込む。
中国人の料理界の重鎮・揚晴明という老人からで、
戦前の満州で、
天皇陛下の料理番だった山形直太朗が作り上げた
「大日本帝国食菜全席」のレシピを再現してほしいと言うのだ。
その料理は満州国への天皇行幸の際の晩餐会で
お披露目されるものだったという。
老人はそのレシピ作りに携わったが、
今、そのレシピは失われているというのだ。

充はつてを辿って、
直太朗と共に満州に渡り、
料理の助手をしていた鎌田正太郎などから話を聞く。

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こうして、現代の日本と戦前の満州を交互に描きながら、
充は直太朗がレシピ作りに腐心した跡を辿ることになる・・・

かなりスケールの大きい話だし、
至高の料理に向けての人々の関わりが
濃密なドラマを生む。
題材としては、映画化に値する内容だ。

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私好みの話なのだが、
乗れなかった

その理由は、細部に見逃せない手抜きが散見されるからだ。

[以下、観る予定の人は読まない方がいいでしょう]

たとえば、冒頭に、
余命いくばくもない財産家が
妻と初デートの時食べたオムライスを
充に再現してもらい、
食べて満足を得る、という場面がある。
となれば、「一度食べた料理の味を忘れない」はずの充は、
いつその料理を口にしたのか
財産家の青春時代のことで、
食べたのはその人物で、充ではない。
ならば、そもそも同じ味のオムライスを作ることなど、
不可能ではないか?

充が経営するレストランでの厨房の情景が出て、
充が助手の作った味付けが気に入らず、廃棄を命令し、
あげくの果てに、望む味が出ないから
客に帰ってもらえ、
などと言う。
横暴な暴君で、性格破綻者だ。
こんな人物なら、修業時代にも同様なことをしていて、
開業にまでは至れないだろう。

途中で「大日本帝国食菜全席」を巡る陰謀が明らかになり、
直太朗がレシピを燃やすが、
その時、周囲に人が沢山いるのに、
誰一人火を消そうとしない
著しくリアリティが欠ける描写だ。

毒を盛る、という話が出るが、
そんなことは勝手に手下にやらせればいいのであって、
直太朗の了解など不要。
これは、直太朗が何らかの形でその陰謀を知るという形で十分。

そもそも、毒味によって発覚するのなら、
その晩餐会そのものが中止になり、
関東軍の不祥事になる。
いくら戦争を起こす策略としても、
全く現実味がない。

幸子が開店したレストランが貰い火で焼け、
レシピを守るために火に飛び込んだ幸子が
焼け死んだことになっているが、
では、レシピはどうやって救出したのか
充に渡されるレシピが
焼け焦げの跡一つない、というのは、どういうわけか。
他の所に保管してあったのを
幸子が店にあると思って火の中に飛び込んだとしたら、まったく不自然。
そもそも大切なレシピだ。
コピーしておくなどという措置はしていなかったのだろうか。

こうした疑問が撮影時に誰からも出なかったとは思えない。
出なかったとすれば、スタッフが無能だし、
出たのにきかなかったとすれば、
監督が、誰も言えないワンマンだったからだ。
              
「麒麟の舌」と呼ばれる究極の味覚を持つ料理人の
幻のレシピを巡る着想は優れているし、
現代と過去をつなぐ部分は意表をつくが、
細部のリアリティが欠如していては説得力が失せる。

映画は「大きな嘘」と「細部のリアリティ」が調和して成り立つ。
細部のリアリティで手を抜けば、
大きな嘘まで成立しなくなってしまう。

突っ込み所満載の映画はあり、
逆にそれを楽しむムキもあるが、
たいていはSFかアクション、又は喜劇であって、
このような歴史をからめた作品には向かない。

そういうわけで、
5段階評価の「3」をつけざるを得ない。

基本的にこのブログでは
あまりけなさないようにしているが、
今回のように、期待作で、評価も高い作品には、
ついひと言申し上げたくなってしまった。

ただ、充の友人役の綾野剛は、
何をやらせても役柄を膨らますことが出来、感心した。

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直太朗の西島秀俊は、最後まで料理人には見えなかった。

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田中隆一の原作を映画化。

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余分なことだが、
当時「レシピ」などという言葉があっただろうか?
レシピが一般化するのは、この2、30年のことではないか?
当時は「調理法」などとは言わなかったか?

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/mJfQ0JOePFU


タグ: 映画




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