対談集『赤い韓国』  書籍関係

[書籍紹介]

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櫻井よしこさんと
呉善花(オ・ソンファ)さんの対談集。

呉さんは韓国生まれで日本に帰化、
拓殖大学国際学部教授。
韓国を批判する評論を理由に
韓国に入国拒否された経験を持つ。

その二人が言論テレビの番組で対談した内容を基に再構成、
大幅に加筆したものが本書。
韓国人の特殊性について、
韓国人自身による分析は説得力がある。

5つの章からなり、
第1章 半島の民族主義が攻めてくる
第2章 反日、親北、親中の理由
第3章 「歴史は一つ」という全体主義
第4章 儒教の国の身勝手な善悪
第5章 赤い韓国はいかにして作られたか
第6章 作り話が新たな物語を生む国
という構成。

櫻井さんは、
韓国の「反日」思想の背景として、
次の4つを挙げる。

1.儒教の影響による「日本は野蛮」観
2.日韓併合による同化政策への「恨」(ハン)
3.全斗煥政権時代、日本に60億ドル支援を要請し、
  拒絶された「恨」
4.北朝鮮の対南工作が「イデオロギー」から「民族」へ変化

1.と2.はよく言われることだ。
1.はケント・ギルバートさんも指摘するように、
中国(大陸)がトップで、
次が韓国(半島)、
日本は島国で、
中国から遠く野蛮であり、
文明は朝鮮が教えてあげたという思想。
そのことを呉さんは「侮日」観と呼んでいる。
「反日」の根源には「侮日」があるのだと。

その「野蛮な日本」によって併合されたことで、
日本が朝鮮の人々に教育を与え、学校を建設し、
大規模な土地改良や交通・通信設備の整備、
近代工場や大規模水力発電所の建設など、
社会インフラの整備を行ったことなど、
全て忘れてしまい、
「日本はひどいことをわが国にしたのだから、
日本に対しては何をしてもいい」
という考えになってしまう。

3.は初めて知ったが、金の恨みは恐ろしい。
4.はなるほどと思われるのは、
北と南は同じ民族という気安さで、
その接着剤に「反日」が利用されている、という。
そうか、今の韓国の「反日」の背後には北がいるのか。

それと、絶対許さない体質
たとえば河野談話は、
韓国の要請に応じて、
あのように言っておけば、韓国は許してくれるだろう、
と日本政府は思った。

呉 日本人は謝罪すると、それで水に流して前向きにいきます。
しかし、韓国人や中国人はそうではありません。
このような悪いことをしたと認めて、
前向きに行きましょうと言っても、
「悪い」と認めた部分だけが大きくなっていきます。
櫻井 そのことをずっと言い続けるのですか。
呉 そうです。
日本人からすると、過去に拘泥することはみっともない、
美学に反することです。
しかし、朝鮮半島の人には、
日本が認めたことを追及していかなければならない。
それが善だという意識があります。
日本人は美意識で生きていますが、
朝鮮半島の人は善か悪かなのです。
日本人が「悪」を認めたなら、
解決しなければならないという前提があり、
それがいま大きくなって、
この状態になっているということです。
悪行をどこまでも(永遠に)問い続けていくこと、
そうやって悪行を犯したという自覚を失わせないようにしていくこと、
それこそが善なる人間の努めだという考えなのです。

この意見を聞いて、
慰安婦問題の解決はない、
と絶望したのは、私だけだろうか。

そして、「歴史は一つ」という認識にも触れる。

たとえば、日本統治時代のことを
良い統治だったという人がいると、
攻撃を受け、世間的に抹殺されてしまう。
場合によっては、「名誉毀損」で損害賠償を請求される。
更には、そう言った老人が若者に撲殺されてる事件さえ起きた。

呉 韓国には、民主国家一般のような言論の自由も
学問の自由も実質的にはありません。
朱子学以外を認めなかった
李氏朝鮮王国時代がそうだったように、
思想は国家が決めたものしか残らず、
一つの思想しかないことになります。

つまり、韓国では「そういう考えもある」はあり得ず、
一つの「歴史認識」しか許されないのだ。
日本の植民地時代にひどいことをされた、
日本は謝罪すべきで、
我々の言うことを何でも聞くべきなのだ、と。

呉 歴史認識は二つも三つもあってはならない。
日本では歴史に関して様々な考えがあってもよいと言いますが、
その考えは韓国では通用しません。
この歴史認識は絶対正しいのに、
なぜ様々な意見があるのか、
と反論を受けることになります。
いまの韓国人が、これだけ「歴史、歴史」と声高に言っているのは、
韓国の考える歴史こそが
唯一の正しいものなのだと考えているからです。

呉 戦後の韓国は、反日民族主義を国是として出発しました。
「日本帝国主義の支配」によって
我々は無実であるのに、
国を奪われ、国土を奪われ、富を奪われ、文化を奪われ、
過酷な弾圧下で苦難の歴史を歩まされた
という認識です。
そしてここに、
「日本人はそのように善なる韓国人を苦しめてきた」、
つまり「人類の普遍的な倫理への罪を犯した日本人」
という反日の物語ができ上がるのです。
そこでは日本人は永遠の悪しき人であり、
韓国人は善なる人です。
いまの反日感情のあり方や、
慰安婦問題をこれほど執拗に責め続けていることの奥には、
そのような幻想の世界がある。
しかし韓国人からすれば
それは紛(まご)うことなき現実なのです。

その恩恵を受けた人々がいる。
元慰安婦のお年寄りたちだ。

呉 日本の女性にだってたくさん、
身を売った人たちがいたわけです。
でも何も言わないというのは、
それはやはり、家族のために、
やむなく稼ぐために、仕事をしていたからです。
もちろん、多くのそういう女性たちが
惨めな気持ちでいっぱいだったことでしょう。
しかし、それを誰かのせいにして、
私はこんなに苦しめられたと
声を大にして主張することは、
日本人にはまず見られません。
しかし、韓国人の場合は、
日本軍の強制があって慰安婦にさせられたのだ、
という物語が作られていくのです。
日本の左翼活動家が強制連行を入れ知恵し、
これを韓国の活動家が受けて、
同じように主張するようになった。
それで多くの元慰安婦たちは、
救われた気持ちになったのですね。
それまで国内では、
「日本人に身体を売って儲けていた女たち」
と見下されていたのが、
一転して、
「そうではなかった、
日本軍に強制されて
仕方なく慰安婦になったのだ」
となったからです。
それで積極的に、
活動家の主張に合わせた「証言」をする
元慰安婦たちが出てくるようにもなったわけです。
日本が悪である以上、
韓国人はどこまでも善でなくてはならないのです。

呉 それまでは、慰安婦だったという過去を
恥ずかしく思っていたかもしれませんが、
作られたドラマによって英雄になりました。
慰安婦像があちこちで完成していますが、
ものすごく美しく作られています。
いまや慰安婦像は神様のような存在、
女神のようになっています。
いつの間にか一つの物語ができ、
慰安婦に対する見方も変わる。
これが韓国人の情緒なのです。

この発言、日本人が言えば大問題だろうが、
言っているのは、韓国人である。

北と南は同民族、という指摘も目が覚めるものだった。

櫻井 お話を伺っていると、
北朝鮮と韓国の反日政策は、
嘘をついたり、日本からすれば自分勝手という部分で、
かなり似ている印象を受けました。
こんなことを言うと韓国の人に怒られるかもしれませんが、
やはり朝鮮民族として南北両国民は似ていると思います。
呉 それは長い間、儒教、特に朱子学が核になってきた民族ですから、
似ているというより
本質は同じということではないでしょうか。
韓国を極端化したら北朝鮮になる、と言えます。
見かけの政治体制は異なりますが、
その違いは本当は程度の違いなのです。
なぜなら、韓国と北朝鮮は本質的には同じだからです。
だから、「いまの韓国の政治体制を強化すれば北朝鮮になる」
と考えればよいし、
「いまの北朝鮮の政治体制を弱化すれば韓国になる」
と考えれば、よく分かると思います。

軍艦島の世界遺産認定を巡る
韓国の「騙し討ち」について、こう述べる。

呉 私はこれまで日本人の「お人好し」について
繰り返し美徳だと述べてきました。
しかし美徳にも限度はあります。
愚かです。

そして、こう追加する。

呉 韓国は別に日本と仲よくしたいなどとは思っていないのです。
それを間違えて、日本から対立をなくしたい、
手を結びたい、仲よくしたいと考えるから、
足をすくわれてしまいます。
日本は韓国と無理してつき合う必要はない。
そのくらいに考えていた方がよいのです。

仲よくしたいと思っていたら、
次々とちょっかいを出してくるはずはない。
慰安婦問題、徴用工問題、
竹島問題、「東海」問題、
これらはことごとく韓国側が一方的に起こした問題だ。
50年前の日韓基本条約も
経済支援も全部忘れてしまい
「いやがらせ」に近いことをする。
それも仲よくしたくない、
という本心が分かれば、理解できる。

慰安婦問題の日韓合意については、こう述べる。

呉 日韓合意を世界に向けて発表したからといって、
それでもう慰安婦問題は解決だということにはなりません。
日本政府が10億円を拠出したら、
「日本人は強制連行を認めた。
それならばもっと金を出せ」
という流れに必ずなります。
それを知ってもらいたい。
だからこそ、
韓国とは少し距離を置いたつき合い方をした方が、
無難にいくと思います。

この本を読んで、
韓国とは折り合いをつけることは困難と分かった。
これほど日本人と韓国人は違う
顔は似ていても、
その体質は天と地だ。
あとは、最小限の近所つき合いをしていくしかないだろう。

そう改めて思わされる本だった。


映画『チェイサー』  

[映画紹介]

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これは、拾い物の好篇。

シングルマザーのカーラは、
6歳の息子のフランキーと暮らし、
食堂のウエイトレスをしているが、
親権を巡って、別れた夫と争っている。

公園のイベントにフランキーと一緒に出かけたカーラは、
弁護士と電話で話して、一瞬だけ目を離したすきに、
息子がいなくなってしまう。
駐車場で一組の男女がフランキーを車に押し込む姿を見たカーラは、
車にしがみつくが、振り落とされてしまう。
自分の車に戻ったカーラは、
息子を連れ去った車を追いかけていくが、
携帯電話も失くしてしまい、
警察に連絡する術がない・・・

この映画、冒頭の食堂の場面と
真ん中あたりの保安官事務所と
最後の家を除いて、
全編、車での追跡シーンに終始する。
そういう映画を作りたいという、
その志がいい。

その過程で追跡に焦るあまり、
他の車の横転事故を起こしたり、
犯人の車と自分の車で白バイをはさんでしまうハプニングもある。
車を追い詰め、犯人を轢こうとするが、果たせず、
犯人の女に車に乗り込まれ、殴打されるという事態も起こる。
最後はガス欠で立ち往生したところを犯人の車に襲撃されもする。

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こうした困難を乗り越えての母親の執念が
ハル・ベリーの好演で説得力豊かに演じられる。
製作もつとめるハル・ベリーは出ずっぱりで、
最後の最後までカーラの視点が物語が進行する。

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途中保安官事務所に立ち寄ったカーラが
助手の鈍い反応に苛立ち、
壁にある行方不明の子供の沢山の写真を見て、
警察は当てにならない、
待つのではなく、
自分自身たった一人で
最愛の息子を救い出す覚悟を決める場面もいい。
最後に犯人を追い詰めた後の展開もサスペンスフルだ。

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犯人を倒した後、犯人に言うセリフ、
「誘拐する相手、間違ったわね」
もなかなかいい。

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「チェイサー」(追跡者)は、日本で付けた題名で、
原題は「KIDNAP」。「誘拐」、中でも「児童誘拐」の意。
日本題は韓国映画「チェイサー」(2008)とまぎらわしいが、
意味はよく伝えている。
アメリカで社会問題化している児童誘拐を題材に、
母親の愛情を描くアクションスリラー。
なかなかの作品である。

監督は、ルイス・プリエト

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なお、本作は2014年末には撮影を終了、
2015年10月9日に全米公開される予定だったが、
製作会社が資金不足に陥った結果、
全米公開日を2016年2月26日に延期すると発表。
その後も、公開日は5月13日、12月2日と先延ばしになり、
ついには、全米公開が白紙となった。
2017年3月10日に公開日が再設定されたものの、
製作会社が破綻したため、いつ公開できるか分からない状況に陥り、
最終的に、配給権を他の会社が買い取り、
2017年8月4日に全米公開された。
公開の遅延によって生じた費用は1300万ドルにも上った。
8月4日、全米2378館で封切られ、
公開初週末に1021万ドルを稼ぎ出し、
週末興行収入ランキング初登場5位となった。
(トラブルの割りには、日本公開は早かった)
アメリカでの評判は芳しくないようだが、
私は面白く観た。

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/V7zDhB0CiO8

ユナイテッドシネマ・アクアシティお台場で上映中。


ああ民進党  政治関係

民進党前原誠司代表には驚かされた。
来るべき衆議院選挙において、
民進党は「届け出政党」とせず、
(つまり、民進党としての公認はせず)
「望む人は全員、希望の党から出馬できるようにしたい」
というのだ。
自身は無所属で立つのだという。

客観的に見れば「合流」だが、
希望の党の側は、「合流ではない」と言い、
マスコミは「事実上の合流」と書いている。

驚くべきは、その無責任さだ。
人気がないとはいえ、民進党は政党だ。
その政党の党首(代表)が、
自身の政党を否定し、
あとは、個別に他の党からの立候補を希望しなさい、
と、事実上の放り出しをしているのだ。

その動機は、
野党勢力を結集させ、
与党から政権を奪うのだという。
「どんな手段を使っても、
安倍政権を止めなければならない」
と言っているが、
政権を倒すことだけが目的化し、
その後、どのような国を作るかが、
全く見えてこない。
そもそも選挙とは、
政策を提示しあって、
国民の前で議論して投票してもらうものではないのか。

希望の党では、
個別に審査して、
公認するかどうか決める、
というが、もっともで、
民進党は安保法制反対の立場だった。
憲法改正の問題もある。
それほど意見の相違がある議員たちを
十把一からげで公認などできるはずがない。
その上、希望の党は「憲法改正して、一院制をめざす」と言っている。
同じ民進党の参議院の仲間にはどう顔向けできるのか。

では、希望の党に断られた候補者はどうするのか。
その人たちが民進党の公認を求めたらどうするのか。
それとも「無所属で立候補しなさい」というのか。
まさに無責任の極みだ。
それに地方支部はどうしたらいいのか。
参議院民主党はどうなるのか。

政党間で政策を摺り合わせて「合流」するなら、まだ分かる。
しかし、その痕跡はない。
ただ「小池人気」にあやかろうとしているにすぎない。

しかも、1996年の旧民主党から数えて
21年の歴史を持つ政党が、
わずか数日前に結党宣言をした政党にすり寄るとは。
恥を知らないのか。
「名を捨てて実を取る」
と言っているが、
捨てる名に価値がないと判明しているから
捨てたにすぎない。
合流することによって、
「政権を委ねたけれど、
全然駄目だった民主党」の
過去から訣別できる。
そんなものを狙ったとすれば、
恐ろしい、最悪の「解党」だ。

大体、小池知事だって、
東京都知事に就任して、わずか1年少々。
豊洲を停止して迷惑をかけ、
あげくの果てに、豊洲と築地を両方残す、
という具体性も予算も伴わない決定をし、
都知事としては何の成果もあげていない。
「都政改革」の実もあがっていないし、
今度も「しがらみのない政治」など、
抽象的で曖昧なものばかり。
「日本にはありとあらゆるものがある。
ものがあふれている。
でも、希望が足りない」
にしても、
村上龍「希望の国のエスソダス」にある
主人公の言葉
「この国には何でもある。
本当にいろいろなものがあります。
だが、希望だけがない」
のパクリではないのか。

マスコミはいつの間にか、
「安倍対小池」の図式にして
小池人気をあおろうとしているが、
小池さんは、政局を読む力はあっても、
政策的には何も持っていない。
以前、テレビの討論番組を見て、
「この人、中身がない人だな」
と思った記憶がある。
かきまわして、結局「出来ませんでした」がオチだ。

小池魔術が通用して、
政権交代、などということになったら、
今まで積み上げた安倍さんの努力はどうなる。
ようやく上向いて来た経済はどうなる。
トランプさんとの友好関係はどうなる。
そして、何よりも、
北朝鮮情勢はどうなる。

この未曾有の危機にあって、
真に日本の行く末に責任を持っている人は誰か
それを問うことこそ重要ではないのか。

都知事と国政の代表の兼任などできるはずがない。
もし小池さんが知事の仕事を投げ出すことがあれば、
これも無責任極まりない。

与党対野党+マスコミの図式の中、
朝日・毎日とテレビ各局の
プロパガンダの中、
国民の賢明な選択を望むものである。


エジプト旅行記Bルクソール西岸  旅行関係

今日は、ルクソール西岸観光。
船はナイル川東岸に停泊していますので、

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西岸に行くには、
この橋を渡らなければなりません。
橋が出来る前は、はしけで渡りました。

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畑が広がるのは、

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運河が水を運ぶからです。

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市場などを見ながら、

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町を進むと、

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やがて、このような荒れ地に出ます。

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ここが「王家の谷」の入り口。

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↓のように、このあたりは、
岩窟墓群があります。

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ナイル川東岸は、太陽の昇る生者の国、
西岸は、日が沈む死者の国という見解から。
王墓とされるピラミッドも
わずかな例外を除き、みなナイル川西岸にあります。

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王妃の谷や貴族の谷は観光コースには入らず、
王家の谷、ハトシェプスト女王葬祭殿、
メムノンの巨像に観光客が集まります。

王家の谷には、
古代エジプトの新王国時代(紀元前1570年頃〜1070年頃)の
王たちの墓が集中しており、
24の王墓を含む
64の墓が発見されています。

新王国時代以前の王の墓の多くが盗掘にあっていたことから、
トトメス1世(紀元前1493〜1482治世)によって
自分の墓のありかを隠す目的で
この谷に初めて岩窟墓が建設されました。

この谷が選ばれたのは、
正面の山の形がピラミッドに似ていたからだと言われています。

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全て岩を掘って造られたもので、
地表から階段を下りると、
前室などを経て、棺の置いてある玄室に通じます。
その途中に、
王が生活に使った様々な宝飾品が納められています。
それが盗掘の対象となりました。

当初は軍隊が守っていたようですが、
王国の衰退によって置かれなくなると、
墓はことごとく盗掘を受けました。

今、墓の入り口は↓のように整備されていますが、

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↓は、1838年から39年の間に描かれた細密画。

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入口を入ると、
このようなカートで奥まで行きます。

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谷の中にカメラは持ち込めず、
でも、スマホや携帯はOKで、
外の撮影も可というのは、なぜでしょう。

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今回は、ラメセス四世九世の墓と、
ツタンカーメンの墓に入りました。

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墓の中は撮影禁止。
そこで、拝借した写真を掲載。
どのお墓のものかは分かりません。

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墓は地中深く堀り進められており、
王の治世の長さや強力さで
その規模が決まりました。

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王位につくとすぐに、
自分の墓の準備をしたといいますから、
ご苦労なことです。

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それも宗教観によるもので、
王はあの世に行った後、
復活すると考えられていたので、
その体(ミイラ)を保存し、
生活用品を副葬する意味があったのです。

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壁の漆喰に描かれた図柄は、
冥界を旅するラー神に同伴したいと願う
王の望みを叙述するものです。

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しかし、何といっても
ハイライトはツタンカーメンの墓
正面の小さな墓が、それです。

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この墓が有名なのは、
ほとんど盗掘されないままで発見された
唯一の墓だからです。

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この黄金のマスクがその容貌を伝えるツタンカーメンは、
10歳足らずで即位し、
19歳頃に没した少年王でした。
在位は紀元前1333年頃〜24年頃。

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正しくはトゥトアンクアムン(Tut ankh amun)といい、
「アメン神の生ける似姿」という意味です。
ツタンカーメンは、その英語読み

ツタンカーメンは
アクエンアテン(アメンホテプ4世、イクナトンともいう)と
その姉妹の一人との間に生まれました。
(当時、近親婚は当たり前でした)
父アクエンアテンは、力の強くなった神官たちと対立して、
首都をアマルナに移し、アメン神を廃し、アテン神を立てて、
世界初の一神教宗教改革をした人物。
従って、父の存命中は、
トゥトアンクアテン(Tut ankh aten)「アテンの生ける似姿」と名乗っていました。
アクエンアテンの死後、
伝統的な神であるアメン=ラーの信仰を復活させ、
トゥトアンクアムンと改名。
また、首都をアマルナからメンフィス、テーベに戻しました。

若くして死んだため、
暗殺説などが憶測されましたが、
その後の調査で、
落馬の骨折にマラリアが重なって死亡した可能性が高い
とされています。
元々、生まれつき爪先が変形しており、
左足の人差し指の一部がなく
左足の骨の一部も壊死していて、足が不自由で、
歩くのに杖をついていた虚弱な王だったとされています。

宗教改革者アクエンアテンについては、
エジプト考古学博物館のくだりで、
詳しく説明します。

ツタンカーメンの墓を発見したのは、
ハワード・カーター(1874〜1939)という考古学者。

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イギリス・ケンジントン生まれ。
エジプト考古学の大家であったフリンダーズ・ピートリー卿の下で学び、
1891年、17歳の時に
遺跡発掘現場の助手としてエジプトに渡ります。
イギリスでは高等教育こそ受けなかったものの、
精緻な模写や考古学への強い情熱が高い評価を受け、
1899年から1903年までの4年間、
エジプトの考古局首席監督官(遺跡監督官)を務めました。

気難しい性格から、
30歳で遺跡監督官の地位を失いますが、
その後も考古学者として活躍。

1916年から、イギリス貴族のカーナヴォン卿の援助で、
王家の谷の発掘調査に着手。
しかし、新しい墓は発見されず、
空振りに業を煮やした
カーナヴォン卿から支援の打ち切りを通告されます。
では、最後にあそこを掘らせてくれ、
と着手したのが、
他の墓のゴミ捨て場となっていた部分。
人夫小屋が立てられていた場所です。

そして、ついに地下に向かう階段を発見。
その下から封印された未発見の墓の入り口がみつかりました。
カーターが墓の発掘に取り組んでから8年目の
1922年11月4日のこと。
カーター48歳。

カーナヴォン卿に電報を打ち、
イギリスから卿が到着したのは11月23日。
26日には、まず壁の上部に穴を開け、
そこから明かりを入れて中を見たカーターに
カーナヴォン卿が「何が見える」と訊くと、
カーターは答えます。
「素晴らしいものが」

それが控えの間にあった金色に輝く財宝でした。

↓が、その光景。

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当時の白黒写真をデジタル処理して色付けしたものが↑。
以降、この色付け写真を紹介します。

ツタンカーメンの墓は、
他の王たちの大規模な構造に比べて、
極端にこぶり
↓のように、4つの部屋しかありません。

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これは、少年王の急逝があまりに突然で、
墓の準備が出来ておらず、
他の高官のための墓を転用したという説が有力です。

ツタンカーメンの墓が盗掘にあわなかったのは、
その質素さと、
ツタンカーメンの2代後のファラオ、ホルエムヘブによって、
アクエンアテン、スメンクカラー、ツタンカーメン、アイ
の4代に渡る王の名前が
歴代のファラオの王名表から削除されていたことが影響しています。

カーターが目を付けたのもそこで、
二、三の資料に、まだ確認されていない王の名前が記されており、
その王の墓だけが、いまだに発見されていない、
きっとまだ見ぬ墓がある、と確信したのです。

また、ツタンカーメンの墓の直上に
ラメセス6世(ツタンカーメンより200年後の王)の墓があったことも、
盗掘をまぬがれ、
発見が遅れる理由となりました。

最初に墓に入ったのは、カーターとカーナヴォン卿、
それに卿の娘のイヴリン。↓

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カーターとイヴリンは恋仲で、
結婚の意志がありましたが、
イヴリンの母親の反対で結婚できませんでした。
当時のイギリスの身分差別の犠牲者です。
貴族の娘と、使用人に等しい墓堀りの結婚ですからね。
1939年に64歳で亡くなるまで、
カーターは生涯独身で過ごしました。
カーターの葬儀には、イヴリンも出席したといいます。

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実は、ツタンカーメンの墓が盗掘をまぬがれた、
というのは正確には正しくなく、
実際には宝石の一部などが抜き取られていましたが、
副葬品自体は無事だったのです。
第1の封印は破られていましたが、
第2の封印は無事で、
3000年の歴史を経て、
王のミイラにかぶせられた黄金のマスクをはじめとする
数々の副葬品がほぼ完全な形で出土したのです。

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副葬品には、番号が付けられています。

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宝物殿の様子。

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2体の立像に挟まれて
塗り固められた部分が玄室への入り口。

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彫刻を布で巻くカーター。
玄室が開けられ、黄金の厨子が見えています。

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次の間への入り口を開けているカーター。

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この時には、
玄室に何があるかは分かっていません。

玄室が開けられた時も、
手前の厨子に隠れて、正面の壁画は全部が見えません。

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現在の墓の内部。

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4重の厨子は取り除かれ
(カイロ考古学博物館に展示。後日触れます)
3重の棺の一番小さい棺が置かれています。

厨子を開いて中を除くカーター。

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この時点でも、3重の棺や黄金のマスクの存在は分かっていません。

厨子の布を慎重に巻くカーター。

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棺の蓋をあげる作業をするカーター。

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棺を調べるカーター。

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2番目の棺を調べるカーター。
棺の中に棺があり、というのは、マトリューシカ人形のようです。

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ついに黄金のマスクに到達。

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このように3000年のほこりにまみれていますが、
きれいに磨かれ、
今はカイロ考古学博物館の特別な部屋に安置されています。
これを発見した時のカーターの興奮はいかばかりだったでしょうか。

その後、カーターは出土品の整理作業に10年間没頭しました。
王家の谷から数多くの墓が発見された時代、
発見者たちは、高価な宝物を勝手に自国に持ち帰り、
まともな記録など残そうとはしませんでしたが、
カーターは全ての出土品をリストアップし、
可能な限りの修復を施し、
エジプト政府に全て引き渡したのです。
その数1703点
粘り強さは考古学者の特性ですが、
カーターは筋金入りでした。

ところで、ツタンカーメンの墓については、
「ファラオの呪い」という話があります。
というのは、遺跡発見から5カ月後、
カーナヴォン卿が虫に刺された傷が化膿し、
あっけなく死んでしまったのです。
ついでに愛犬まで死に、
更に発掘関係者から死者が続出したため、
マスコミは「墓を暴かれた死者の呪いだ」と書きたてました。
墓に存在した古いバクテリアが死因だ、
という説もありましたが、
それを否定するのが、カーターの生存です。
呪いを最も受ける発見者がぴんぴんしているのですから、
呪いなど存在しないことが証明されます。
(もっとも、同姓同名のハワード・カーターが交通事故死した時も、
やはり「ファラオの呪い」と書かれましたが)

カーターは高等教育を受けていなかったため、
当時の学会では彼や彼の成果は低く扱われ、
母国イギリスでは、
王墓発見の功績はカーナヴォン卿に帰せられ、
カーターはたまたま手伝った現場責任者の扱いでした。

しかし、アメリカは、身分や学歴よりも実績を評価する国のため、
世紀の大発見をしたカーターの人気は高く、
カーターは死に至るまで、
アメリカでの講演活動を唯一の仕事として過ごしました。

私は18年前の1999年、
ツタンカーメンの墓を訪ねていますが、
その時は、昔の面影がある作りでした。
しかし、今回訪ねてみると、
床は真新しい板でフローリングされ、
入った左側にツタンカーメンのミイラが
ケースに入って展示されています。
私が行った時は、玄室の棺の中にいましたのに。

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ツタンカーメンのミイラ
防腐処理の際の樹脂が化学反応によって変質したため
保存状態はかなり劣悪でした。
しかも、発見後、ミイラの包帯が解かれてしまったことも
保存状態の悪化に拍車をかけることとなりました。
包帯を解く際にも、多くの外傷がミイラに付けられ、
さらには脊椎が切断され性器までもが消失しました。

2005年1月、
CTスキャン撮影などによってミイラの調査が行われ、
死亡推定年齢が19歳であることが明らかになりました。
身長は165pで、
古代エジプトの成人男性の平均とほぼ同じでした。
なお、この調査の際に前述の消失していた性器が、
無事に再発見されています。

ミイラの保存状態が極めて劣悪で、
従来どおりの棺内での保存では維持出来ないため、
王墓内に設けられた気温や湿度を厳重に調整できる
プレクシグラス(軽く透明な合成樹脂)製の展示ケースの中に移され、
保存状態が比較的良い顔と足先の部分が公開されています。

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ツタンカーメンの墓から出土した数々の美術品は、
最後に訪ねた考古学博物館の部分で、
再び触れます。


その後、訪れたのは、
ハトシェプスト女王葬祭殿↓。

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空か山から撮った写真。

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上から見たところ。

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ハトシェプストは、
古代エジプト第18王朝第5代のファラオ。
(在位紀元前1479年頃〜1458年頃。ツタンカーメンより140年前)

この人は、古代エジプト唯一の女性ファラオ

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夫であるトトメス2世は
妾腹の息子トトメス3世を次の王にせよと遺言しましたが、
トトメス3世は幼かったため、
摂政になったハトシェプストが22年間にわたり王を務め、
絶対的権力を保有しました。
公的な場では男装し、あごに付け髭をつけていたと伝えられています。
ハトシェプストの意味は「最も高貴なる女性」。

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なお『旧約聖書』の「出エジプト記」で
モーセをナイル川で拾って育てた義母は彼女とも言われています。(ホントかね)

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当時の赤い彩色がいまだに残っています。

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ハトシェプスト女王葬祭殿は、
その葬儀のために建てられた建造物。
ハトシェプストの側近で愛人であった
建築家センムトが設計を行いました。

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死後、抑圧を解かれたトトメス3世によって、
刻まれた姿や名前が削られるなど一部破壊を受けました。(異説あり)

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1997年11月のルクソール事件の現場となりました。
これは、イスラム原理主義過激派の「イスラム集団」が
外国人観光客に対し行った無差別殺傷テロ事件。
日本人10名を含む外国人観光客61名と
エジプト人警察官2名の合わせて63名が死亡、85名が負傷。
犯人たち6名は射殺されました。

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脇の岩山にある穴は、当時の貴族の墓。

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午前中、最後に訪れたのは、メムノンの巨像

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どちらもアメンホテプ3世の像。
しかし、プトレマイオス朝時代(紀元前305年〜)に、
ギリシアの伝説、トロイア戦争に登場するエチオピア王メムノン
のものとされて、この名がつきました。
当時は歴史的建造物の尊重、などという概念はありませんでしたから。
高さ約18m。

元々は、
背後に同王アメンホテプ3世の葬祭殿が控えており、
その入口の部分でした。
葬祭殿は第19王朝ファラオ・メルエンプタハ(1213〜1203年治世)が
自身の葬祭殿の石材調達のため破壊してしまいました。
すごいことをするね。

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向かって右側の像は紀元前27年の地震によりヒビが入り、
夜明けになると、おそらく温度差や朝露の蒸発のせいで、
うめき声や口笛のような音を発していたといいます。

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メムノンの巨像が声を出す現象は当時のガイドによって脚色され、
死別した母への呼び声だとされました。
その声を聴こうと詰めかける人々で観光地化して、(ローマ時代の話)
その中にはハドリアヌス帝と妻のサビナもいました。

その後、巨像はセプティミウス・セウェルス帝によって
下に落ちていた像の上半身を取り付けられると、
声を出すこともなくなったといいます。

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という午前中の観光。
とにかく暑い
40度は確実に越えています。
これほど水を欲したことはありません。
古代の人はどうしていたのでしょうか。

昼にクルーズ船に帰り(避難し)
しばしの休憩の後、
今度は東岸観光へ。




衆議院解散に対する意見  政治関係

安倍首相が、
今回の解散を「国難突破解散」と言った。

まさに、今、日本は
戦後最大の国難を迎えている。

北朝鮮情勢が緊迫する中、
野党が呑気に国会で
首相の足を引っ張っている場合ではないのだ。

その解散に対して、
当初反対していた荒井広幸・元新党改革代表が
その反対をひっこめた経過を
インタビューが語っているので、
紹介しよう。

産経新聞「単刀直言」

「安倍晋三首相は『国民の結束を問いたい』と言ったんです」
「北朝鮮危機前に総選挙は今しかない」 

実は安倍晋三首相が18日に米国に出発する前に
電話で話したんです。

長年の親友にして盟友である者として、
臨時国会での衆院解散・総選挙への反対を進言するためです。

私は「この時期の解散・総選挙は
北朝鮮情勢への対応で政治空白を作るし、
『もり・かけ(森友学園・加計学園問題)隠しだ』と批判される」
とはっきり進言しました。

私の言葉に首相はいらだつかなと思いましたが、
意外に淡々としていました。
そして私にこう言ったんです。

「国際社会が圧力を強めない限り
北朝鮮は核・ミサイルを放棄しないよ。
対話と言いながら結局、時間稼ぎされて
核・ミサイルがここまできてしまった。
これから圧力をかけるしかない中で
解散・総選挙をするのは今しかないんだ」

「もり・かけ隠し解散」などと言われることについては
「そういう批判は甘んじて受ける」と言いました。
「これから大変な局面にどんどん進んでいくんだ。
非常に困難な時なんだよ」とまで言うんですよ。

そこで私は直感したんです。
首相はトランプ米大統領を含む世界の指導者との会談を通じて
つかんだ何かがある。
そこで「日本の首相として国民を守るためにどうしたらよいのか」
を考えたんだと思いますよ。
首相も平和的に解決したいと思っているけど、
米国は大統領でさえも「軍事的選択肢を排除しない」
と言っているわけですからね。

首相は「今回の解散・総選挙で国民に結束を問いたい」
というニュアンスのことも言いました。
言外にあるのは日本を取り巻く国際情勢は
ますます難しくなるということです。
だからこそ国民のみなさんに結束を呼びかけているんですよ。

逆に言えば、この衆院選は
「国民に日本の安全保障を考えてもらう選挙である」
と言えます。
同時に
「平和裏に北朝鮮問題を解決しないと
大変なことになるから自分に力を与えてくれ」
と訴える選挙でもあるんです。

「自分たちの命を守り抜くんだ」という
強い国民の決意があれば、
それをもって首相がトランプ氏を止めることも、
進めることもできるんです。

首相は中露首脳にもモノを言える人なんですよ。
それをまた別の人が
「新しく首相になりました」って挨拶するんですか。
それこそ政治空白じゃないですか。

首相は、自分を批判してきた人も、批判していない人も、
すべての日本人を守ることを優先しているんです。
大変なプレッシャーだと思います。
「政治空白だ」「党利党略だ」などと他人に言われ、
首相にその懸念を伝えたことは考えが浅かったと思います。
今はそっくりそのまま野党にお返ししたいですね。

今度の解散・総選挙はみんなで「
日本を守るための壁」を作るような時間ではないでしょうか。

10月18日から中国で共産党大会があります。
11月上旬にはトランプ氏の来日があり、
その後はアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が控えています。

この間に北朝鮮に対する国連安全保障理事会による追加制裁決議や、
中国当局による北朝鮮の企業や個人所有の銀行口座を
全面凍結したことの効果を見ることになります。

北朝鮮が中国共産党大会に合わせて
メンツを潰すようなことをしないかどうかは分かりませんが、
9〜10月の東アジア情勢は
「小康状態」だと言えるのではないでしょうか。

仮に最後に残るのが軍事的選択肢であっても、
まだ時間を要する。
米国は、国際社会に対して
「ここまでやったけど北朝鮮は核を放棄する状況にない。
次の段階にいかなくてはなりませんよ」
と伝える責任があります。

「解散は首相の保身だ」という批判に対してはこう答えたい。
「憲法改正に必要な国会の3分の2の議席を持っているのに、
それを投げ出して衆院選を打つんですよ。
それは国民の命を守るという理由があるからです」とね。

私は、昨年の参院選後に新党改革を解散したこともあり、
この1年余り謹慎していました。
ですが、有権者の一人として、
いまの国会議論やマスコミ報道があまりに平面的過ぎると危機を感じ、
口を開く決意をしました。

福島出身の私が東日本大震災で得た教訓が2つあります。
一つは「万が一は起こり得る」。
もう一つは「日本人を救うのは日本人である」ということなんですよ。


私はこの人は政治家としては嫌いだが、
この意見は傾聴に値すると思う。





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