評論『60歳からの手ぶら人生』  書籍関係

[書籍紹介]

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出版業界では「定年本」「老後本」というジャンルがあるそうで、
この本も、その一つ。

「黄昏流星群」「人間交差点」「島耕作シリーズ」の
漫画家・弘兼憲史(ひろかね・けんし)によるもの。

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弘兼氏は、松下電器産業(現パナソニック)に就職し、
3年で漫画家を目指して退職。
そのサラリーマン経験を生かして、
「団塊世代への応援歌」的作品を発表している。
代表作「島耕作シリーズ」は、
最初の「係長島耕作」(1982)から知っている。

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その後、課長・部長・取締役・常務・専務と順調に出世し、
ついに社長・会長と登り詰めて、まだ連載中だが、
私は「課長」時代で卒業。

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弘兼氏は私と同世代で、
今年9月に70歳を迎える。
その立場から、10歳若い後輩たちに対する
定年後の生き方としての「人生の整理」を説く。

目次と小見出しの一部を紹介すると、

第1章 持ちものを捨てる
     (60歳とは起承転結の「結」
      つまらない「見栄」や「こだわり」があるから捨てられない
      ほか)
第2章 友人を減らす
     (本当に信頼できる友が一人いればいい
      年賀状、中元・歳暮はやめる ほか)
第3章 お金に振り回されない
     (老後不安とは、すなわちお金の不安である
      お金に振り回されず、生活をサイズダウンする ほか)
第4章 家族から自立する
     (「家族はひとつ」という幻想を捨てる
      家族は理解してくれる、この思い込みが悲劇を生む 
      ほか)
第5章 身辺整理をしたその先に
     (何はなくとも料理せよ!
      60を過ぎたら共働きが当たり前 ほか)

まあ、これを見て、大体内容は分かったようなものだし、
実践している、という人も多いに違いない。

たとえば、私は現在押し入れの整理中。
本やビデオ、古い手紙を、
ほとんど捨てたことは、ブログに書いた。
年賀状のお断りも今年の年賀状で実践。
お金も、年々費用は減りつつあり、
何とか死ぬまではもちそうだ。

そういう意味では、
当たり前のことが書かれているし、
内容は薄い感じがするが、
こうして体系的に記述されると、
心の整理には役立つ。

以下、記述の一部を紹介すると、

とんなことでも、ひとりで楽しめる人の人生は豊かです。
だとすれば孤独などまったく寂しくないし、
恐れることもないでしょう。

ここ最近、すぐにキレる高齢者が、
「暴走老人」などと呼ばれ、
そういった人が起こした事件を見聞きすることも増えましたが、
やはり頑固さが原因なのだと思います。
「年長者なのだから俺の言うことを聞け」
「少しくらいわがままをしても許されるはず」。
そういう態度だと周囲から嫌われ、浮いてしまいます。
それは「孤独」ではなく、「孤立」です。

言いたいことは、お金なんかに振り回されず
無理なく生活しましょう、ということなのです。
そのためには、身の丈に合わせて
生活をサイズダウンすることです。

ぼくは結婚式や結婚披露宴のお金が
もったいないと思っているように、
葬儀代やお墓代ももったいないと思っています。
「そんなものいらない」と言うつもりはありませんが、
そんなお金があるのなら
生きているうちに使ったほうがいいだろうと思うのです。

以前、精神科のお医者さんに話を聞いたら、
「人はボケるとつらいことから忘れていく。
奥さんに旦那さんの名前を聞くと、
ほとんどの人が忘れてしまっているんですよ。
でも、奥さんの名前を忘れる旦那さんは少ないです」
と言っていました。

奥さんから自立し、嫌われないために、
あなたが心がけることは2つあります。
それは、
「奥さんとなるべく一緒にいないこと」
「お互いの距離を保つこと」。

「もう2人だけなのだから、
これからは一緒にいる時間を増やそう」なんて発想は、
奥さんにとってはいい迷惑ですから、
早いこと捨てることをおすすめします。

僕の提案のひとつは、
「これからは在宅死を選ぶべき」
というものです。
僕ら団塊の世代が、一斉に病院で最期を迎えようとしたら、
医師や看護師の仕事量は増え、
ベッドは足りず、病院はパンクしてしまうかもしれません。
そうなると少しでも早く治療を受け、
社会に復帰すべき若者世代の
治療の機会を奪ってうまうことになります。
言葉は悪いかもしれませんが、
いずれ近いうちに死んでいく世代が、
医師や病院のベッドを占領してはいけないと思うのです。

「安楽死」も僕は認めるべきだと思います。
いくら治療しても治る見込みがないのだとしたら、
これも医師や病院のベッドを無駄に占拠することになりますから。

臓器提供の意思を示す「ドナーカード」というものがありますが、
僕は「延命治療拒否カード」のようなものを作り、
携帯しておくべきだと思っています。

「家族に看取られて最期を迎えることができれば、
いい人生だった、と思えるかもしれない」
と書きましたが、
実はそれにも執着していません。
僕の最期に居合わせるよりも大事なことがあるのなら、
そっちを優先すればいい。
僕もそうやって生きてきました。
「お父さんの最期を看取らなきゃ」なんて思ってほしくなりませんし、
負担にしてほしくもない。
僕の最後を看取らないからといって
恨むようなこともしません。

最後の第5章「身辺整理したその先に」で、
老後、どのようにしたらいいかを、次のように述べている。

○料理をおぼえる
○介護ボランティアをする
○ひとり旅をする
○ゴルフをする
○遺言書と自叙伝を書く
○オープンカレッジ、カルチャーセンターでの学習

そして、最後に、このように書く。

「いろんなことができなくなった」
と思うと暗くなってしまうかもしれませんが、
「老人力がついてきた」と思えば、前向きになれませんか。
「老い」も成長のひとつです。
何にでも「いい感じ」をつければ、
「いい感じに体力が落ちてきた」
「いい感じに貧乏になってきた」
「いい感じにもの忘れがひどくなってきた」
なんて、何でもいい感じになってしまうのです。
どんな風に生きても1時間は1時間、1日は1日、一生は一生です。
時間は誰にとっても平等に流れるのです。
その時間をどう生きるかは
その人の考え方次第ではないでしょうか。

全体を貫くのは、
この人が徹底した合理主義者であり、個人主義者であり、
無宗教者であること。
そして、なにより金銭的に恵まれていること。
合理的思考についていけない人、
情緒的に感ずる寂寥感に捕らわれている
本当に弱い人の救いにはならない。

私などは弘兼氏の考え方に近く、
既に実践しているが、
一抹の不満を感じてしまうのだ。


映画『ワンダーウーマン』  映画関係

[映画紹介]

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アメコミ(アメリカン・コミックス=アメリカの漫画作品)の映画化。

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マーベル・コミックと並ぶ
二大アメコミ出版社であるDCコミックスの一作品。
DCコミックスは、スーパーマン、スーパーガール、バットマンなどが「所属」(?)し、

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マーベル・コミックには、スパイダーマン、キャプテン・アメリカ、
X−メン、アイアンマン、マイティ・ソー、トランスフォーマーなどが所属する。

最近、アメコミものにすっかり感受性をなくしてしまい、
どの映画も全然面白く感じず、
時代に取り残されたか、あるいは老いたか、と心配していたが、
この「ワンダーウーマン」は、面白かった

原典はギリシャ神話
女性だけの部族アマゾネスは、
現世から隔絶した島で暮らしている。
そのプリンセス・ダイアナは、
幼い頃から戦士になることにあこがれ、
過酷な修行を通じて、
誰にも負けない戦士に成長していた。
ただ、自分が育ってきた島以外を知らず、
男性を見たこともなかった。

ある日、ドイツ軍に追われて「外の世界」から飛行機で舞い込み、
墜落事故を起こしたスティーブ・トレバー(初めて見る男性)を救出する。
彼からドイツ軍が殺人ガスの新兵器を開発していることを聞き
戦いの悪神アレスの関与を確信したダイアナは、
トレバーとともに「外の世界」へ。
戦争の早期終結のためロンドンへ向かう。

ドイツ軍と言っても、ナチスではなく、
舞台は第一次世界大戦
このロンドン訪問でのダイアナのカルチャーショックが面白い。
なにしろ、当時の英国は、男尊女卑の時代。
議会に女性が入っただけで騒動になるのだ。
今となっては過去の話だが、
純粋なダイアナの目から見ての珍妙さが笑える。

毒ガス製造の秘密基地に忍び込むために前線に向かったダイアナは、
塹壕の中に入り、戦争の過酷さ、悲惨さに義憤を感ずる。
そして、戦闘服に着替えて、単身、敵に向かっていくのだ。

この場面、戦場に乗り込んで、
敵をバッタバッタと倒す場面のカッコ良さ
アマゾネスの戦闘服が大変セクシーだ。

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そして、秘密基地を突き止めたダイアナは、
戦争の背後にいる邪神アレスと対決するのだが・・・

ダイアナは身長182.8p、体重74.8s。
髪の色は黒、瞳は青。
高い耐久力と怪力、亜光速での飛行能力、
動物とテレパシーで意思の疎通ができ、
伝統的な武術を知り抜いており、
剣、斧、弓術を会得している。
まさにスーパーヒロインだが、
元々人間ではない。
ダイアナの母であるヒッポリタが
神託に従い粘土をこねて赤ん坊の姿にしたところ、
神々が命を吹き込んだ、という誕生秘話
両手首に装備した腕輪は、
弾丸などを弾く能力がある。

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また、真実の投げ縄は、
輪に捕らえた者に真実を告白させる事ができるし、
武器にもなる。

という非現実な話に魂を吹き込んだのは、
まさに主役を演ずるガル・ガドットの魅力だろう。

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へんな名前だが、
イスラエル出身のモデル・女優、32歳。
イスラエルには兵役義務があるため、
18歳の時から2年間、
イスラエル国防軍で戦闘トレーナーの職務に就いていたという。
なるほど、動きがいいわけだ。
戦闘シーンが様になっている上に、
プロポーションが抜群で闘う姿が超セクシー。
そして、パーティーに出る時は夜会服に着替え、
息を飲むほど美しい。
その上、背中に剣を飲んでいるのだから、たまらない。
よくこんな女優を探し出して来たもので、
この役をするために生まれて来たかのようだ。

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その魅力を引き出したパティ・ジェンキンス監督の力量も買える。
相手役のクリス・パインもなかなかいい。

というわけで、空疎なアメコミに魂を吹き込んだ、
ガル・ガドットの奮闘を観る映画。

5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/tV2uqgkHFj4

拡大公開中。

↓は、アメリカ版ポスター。

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徴用工問題  政治関係

また韓国が
新たな反日の火種をみつけた。
徴用工問題である。

慰安婦像で味をしめた勢力が、
新たに徴用工の像をあちこちに建て始めている。

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親が子供をこの像の前に連れていき、
「ねえ、あのやせ細った人は誰?」
と訊く子供に対して、
「あれは日本人によって強制的に働かされた可哀相な人なんだよ」
と説明し、
「ふ〜ん、日本人って悪い奴なんだね」
という、格好の反日教育の題材となっている。

徴用工とは、
第二次世界大戦中に日本統治時代の朝鮮において
労務者を日本に連れて来て動員したことを示す。
ただし、戦時下にあった日本は「国民徴用令」によって
徴用したのであり、日本人全部に適用した。
当時、朝鮮人は日本人だったから、
当然その適用を受ける。
だが、内地以外に朝鮮半島にまで徴用令を適用したのは、
戦争末期の1944年9月からである。

韓国人は、
徴用された朝鮮人は過酷な労働を強制され、
奴隷のように無給で働かされた、
というイメージで捉えるが、
実際は扱いは日本人と同じで、
賃金も支払われていた、というのが定説である。

しかし、
戦後70年もたって、
元徴用工が未払い賃金に対して裁判を起こし、
その多くで勝訴し、
日本企業に賠償命令が出ているのが現状である。

8月17日、
韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が
就任100日を迎えた、記者会見で、
徴用工問題について
「両国家の合意(日韓請求権協定)が
 個々人の権利を侵害することはできない」

と述べ、戦時動員され工場などで働いた人たちの
個人賠償請求権は消滅していないとの考えを示した。

これに対して、菅義偉・官房長官は
「日本と韓国の間の財産請求権の問題は
日韓請求権、経済協力協定によって
完全に最終的に解決済みである」
とコメント。

安倍首相は25日、文大統領と電話で会談したが、
その際、17日の記者会見での発言を修正し、
「この問題は韓日条約(日韓基本条約)で解決され、
韓国政府も(元徴用工への)補償を行っている」
と説明したという。
また、
「国家間の問題ではなく、
被害者と企業間に残っている
個人的請求権まで解決したのではないという趣旨の
(最高裁の)判決について話した」
とも説明した。
なぜ最高栽判決にわざわざ触れる必要があるのか。

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韓国政府はこれまで元徴用工の補償は
請求権協定に基づいて
日本が提供した資金に含まれている
との立場を示しており、
文氏の電話会談での発言は韓国政府の
従来の見解を踏襲する考えを表明したものだ。

大統領は先の記者会見で、
元徴用工らが日本企業に損害賠償を求めている裁判について、
「個人の請求権は消滅していない」
とする韓国の最高裁判所などの判断に触れ、
「韓国政府はそうした立場から歴史問題に臨んでいる」
と述べていた。

この発言についても、
大統領府の当局者は
「司法の判断を説明しただけで、
国家間の問題としては解決済みだという
従来の政府見解を変えたものではない」
と指摘した。
だから、なんでわざわざ司法判断に触れるんだ。

元徴用工の問題をめぐって、
「韓国が従来の立場を覆したのではないか」
との懸念が強まっていたことから、
これを打ち消そうとしたものと見られる。

日韓基本条約とは、
1965年(昭和40年)6月22日、
日本と韓国が交わした
「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」
のこと。
この条約を結ぶことで国交正常化し、
同時に
「財産及び請求権に関する問題の解決
並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」
も取り交わした。

この協定で日本は韓国で持っていた全財産の所有権を放棄し、
さらに当時の額で約8億ドルの経済援助を行った。
この金額は当時の韓国の国家予算の2.3倍に上る。

日韓基本条約第二条は第一項で、このように書く。

両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益
並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、
1951年9月8日にサンフランシスコ市で署名された
日本国との平和条約第四条(a) に規定されたものを含めて、
完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。

よく読んでほしいのは、
「両締約国及びその国民の」
と書かれていることで、
これをちゃんと読めば、
個人の請求権が消滅していることは明らかだ。

国家間だけでなく、国民の問題も解決済みなのである。

韓国最高裁判所の判事は、
この部分をちゃんと読まなかったか、
読んでも無視したのだろう。

日韓基本条約の交渉中に
韓国が主張した対日債権
(韓国人となった朝鮮人の日本軍人軍属、
官吏の未払い給与、恩給、
その他接収財産など)
に対して
日本政府は、
「韓国側からの徴用者名簿等の資料提出を条件に個別償還を行う」
と提案したが、
韓国政府は
「個人への補償は韓国政府が行うので
日本は韓国政府へ一括して支払って欲しい」
としたという記録が残っている。

しかし、韓国政府は
個別支給するという約束に反し、
インフラ整備や企業投資の元手として使ってしまった。

その後、
韓国政府は1971年の対日民間請求権申告に関する法律及び
1972年の対日民間請求権補償に関する法律(1982年廃止)によって、
軍人・軍属・労務者として召集・徴集された者の遺族に対する
個人補償金に充てた。
しかし戦時徴兵補償金は死亡者一人あたりわずか30万ウォン(約2.24万円)であり、
個人補償の総額も約91億8千万ウォン(当時約58億円)と、
無償協力金3億ドル(当時約1080億円)の5.4%に過ぎなかった。
韓国政府は上記以外の資金の大部分は
道路やダム・工場の建設などインフラの整備や企業への投資に使用し、
そのため「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展をおこせたのだ。

2009年8月14日、
ソウル行政裁判所による情報公開により、
韓国人の個別補償は
日本政府ではなく韓国政府に求めなければならないことが
ようやく韓国国民にも明らかにされてから、
日本への徴用被害者の未払い賃金請求は困難であるとして、
韓国政府が正式に表明するに至った。
補償問題は1965年の日韓国交正常化の際に
日本政府から受け取った「対日請求権資金」で
全て終わっているという立場を、
改めて韓国政府が確認したもので、
いわゆる慰安婦等の今後補償や賠償の請求は、
韓国政府への要求となることを韓国政府が国際社会に対して示した。

このことを踏まえれば、
元徴用工が裁判を起こすことすらはばかれるのに、
2015年5月23日、
韓国大法院(最高裁判所)が下した、
日本企業の徴用者に対する賠償責任の裁判で
「1965年に締結された日韓請求権協定は
日本の植民支配の賠償を請求するための交渉ではないため、
日帝が犯した反人道的不法行為に対する
個人の損害賠償請求権は依然として有効」
という判決は法理念から考えられないものである。

以降、韓国の下級裁判所では元徴用工と元徴用工の遺族が
日本企業3社に損害賠償を求める裁判を相次いで起こしている。

こういう話を日本の為政者は、
なぜ韓国に堂々と主張しないのか。
主張しているのかもしれいないが、
我々には聞こえてこない。
慰安婦合意についても、
文大統領は「国民の大部分が受け入れがたい」
「元慰安婦の了承を得ずに決められた」
と言っているが、
しかし、元慰安婦の7割が既にお金を受け取っている事実を
なぜ主張しないのか。

なお、日韓基本条約交渉に当たっては、
慰安婦問題は、全く検討に上がらなかった。
慰安婦が実は戦場売春婦であることは、
当時知らない者がいなかったから、
問題にもされなかったのである。

↓の渡辺利夫拓殖大学学事顧問による「正論」で、

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渡辺氏は、
文大統領の「蒸し返し」発言に対して、
北朝鮮という危機がありながら、

連携を強化すべき日本への糾弾レベルを上げるのは
どう考えても理性的を姿勢とは思われない。
半島危機の当事者意識の無残なまでの欠如である。

と指摘している。

更に、福澤諭吉の明治30年10月7日付けの「時事新報」の論説を紹介している。

(朝鮮人は)上下一般、共に偽君子の巣窟にして、
一人として信を置くに足るものなきは、
我輩が年来の経験に徴するも明白なり。
左れば斯る国人に対して如何なる約束を結ぶも、
背信違約は彼等の持ち前にして
毫も意に介することなし。
既に従来の国交際上にも
しばしば実験したる所なれば、
朝鮮人を相手の約束ならば
最初より無効のものと覚悟して、
事実上に自ら実を収むるの外なきのみ。

明治30年といえば、
1897年。
120年も韓国は変わっていないということか。

↓の産経抄では、
作家の豊田有恒さんの言葉を紹介している。

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「いったん決まったことを蒸し返したり、
否定したりするのは、
韓国人のお家芸」

↓の書評では、次のように紹介している。

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日韓歴史共同研究で
韓国の歴史学者たちと激しくやり合った経験を持つ
著者・吉田博司筑波大教授は、
朝鮮半島の歴史を研究し続けた結果、
北も南も
李朝の時代からまったく変わっていないことに気づきました。
古代から現代にそのまま移行した彼らには「法治」がない。
平気でウソをつく、
誰もが卑劣なので「卑劣」の意味がわからない。
それが悪徳とは思いもよらないのだと断じます。
北朝鮮には崩壊への「恐怖」があり、
韓国には日本への「憎悪」がある。
すべて自分たちのせいなのに、反省しない。
日本人とは正反対の
その民族性を理解することが
日韓・日朝関係の大前提と説く著者は、
「助けず、教えず、関わらず」
の非韓三原則を提唱。
さらに歴史上繰り返されてきた民族の行動パターンから
「北も南も崩壊して半島から逃げ出す」
と予言します。
難民が日本列島に押し寄せる日は近いかもしれません。

最後に紹介するのは、産経新聞ソウル駐在客員論説委員の黒田勝弘さんのコラム↓。

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日本便に乗ると韓国人客が満載なのを見、
人口5千万の韓国の日本訪問客が600万という数の驚きを示す。
反日なのに、なぜ日本がこんなに好きなのか。
黒田さんは、韓国でなされている慰安婦問題活動が
「愛国パフォーマンス」だと断じる。

近年の韓国の反日には深刻さが希薄で、
ジコチュウ的な愛国パフォーマンスの要素が強いのだが、
しかしそれはすぐ日本に伝わり
反韓・嫌韓感情を刺激する。
韓国人たちにすれば
あれは愛国であって
ことさら反日をやっているつもりはない。
韓国マスコミも日本人がなぜ韓国に怒っているのか
その実情を伝えない。
そこでみんな笑顔で日本旅行に飛び立つということになる。
このスレ違いは深刻だが、
問題は韓国が
日本がらみでなければ愛国を語れない
という状況が続いていることだ。
この夏も「いまなお日本離れできない韓国」
の切なさを再確認した次第である。

日本をダシにした愛国パフォーマンス。
はた迷惑な話である。


さて、釜山の慰安婦像設置で
完全に韓国を見放した私は、
4月に家族で済州島に行く計画を放棄して、
娘の怒りを買い、
もはや、あの国に1円も落としたくない。
韓国映画も観ない。
もう韓国には行かない
と宣言しました。

それなのに、
1日から韓国に行きます。
韓国のオリジナルミュージカル「ベン・ハー」を観るためです。

一体、あの題材がどのようなミュージカルになっているのか。
その興味を抑えきれず、
禁を冒すことになりました。

私の宣言を支持して下さっていた方、
お許し下され。


小説『敗走千里』  書籍関係

[書籍紹介]

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この本、表紙に「復刻版」とある。

元の出版は、昭和13年(1938年)。
出版の経緯はこうだ。

著者の陳登元氏は、中国の重慶出身。
父親が親日家であったことから、
10代なかばで日本に留学。
大学卒業を控えた昭和12年8月に
本国に一時帰国したところ、
中国軍に強制徴募され、
江南地方の前線に送られた。

昭和12年7月7日に盧溝橋事件が起きて、
日中全面戦争に入った直後のことである。
8月9日には上海事変が起こっている。

2カ月間、日本との激戦の後、
重傷を負って戦線を離脱。
12月13日に南京占領が起こる少し前のことだ。

収容された上海の病院を退院直前に脱出
ぼやぼやしていると、
また前線に送られてしまうからだ。
脱出後、「敗走千里」を一気に書き上げ、
日本にいた時、日本語の個人教授を受けた別院一郎氏に送付。

昭和13年1月に原稿を受け取った別院氏は、出版の意義を認め、
昭和13年3月に刊行。
発行元は教材社で、価格は1円40銭。
初版は4800部だったが、
短期間で版を重ね、
約3万5千部売れたという。

戦後、GHQは、本書を「宣伝用刊行物」と認定し、
日本国内の個人蔵書と図書館蔵書を除く全ての本が
当局によって没収され、廃棄された。
GHQのとがめを受けたのは、
中国軍の略奪や内部抗争が赤裸々に描かれているだけでなく、
中国軍上層部への批判、
捕虜の扱いなどでの日本軍の立派さ、
更には、欧米の植民地政策への批判が書かれていたためと思われる。

そして、今年6月30日に
ハート出版により、復刻版を刊行
その際、著作権法第67条の2第1項に基づく申請をしている。

著作権法第67条は、
著作権者不明
等の場合における著作物の利用
を定めたもので、
著作権者と連絡することができない場合は、
文化庁長官の裁定を受け、
著作権料を供託して、
出版できることが出来ることが定められている。
つまり、著者の陳登元は、行方不明なのである。
存命だとしても100歳を越えている。

原稿には陳氏の手紙が添えられており、
その一部が「自序」として巻頭に掲載されている。

僕は決して戦争が好きで、
戦争に参加するために学業を投げ打ち、
帰国したわけではなかったが、
結果においては、
参戦するために帰国した形になってしまいました。
それもわずか二カ月の短時日ではありましたが、
実にいろいろのことをその戦争から学びました。
そのことは、あるいは僕が一生かかっても
学び得られないことだったかもしれません。

とにかく、僕の頭の中は今でも、
砲弾の音と、機関銃の音と、手榴弾の音と、
それからもう一つ、
飛行機からの投下爆弾の音でガンガン破裂しそうです。
それからさらに、腥い血の匂いと、汗の匂いと、火薬の匂いと、
それらの匂いで今でも胸の中がむかついています。
そうした感覚の紛糾混交したものが戦争です。

僕はこの二度と得がたい戦争を記録しておく決心をしました。
しかもこの戦争というものは今も申し上げたように、
非常に揮発性を持った感覚の集合体です。
これが発揮してしまってはもう戦争は書けません。
よく書いたとしても、それは戦争の抜け殻です。
そんなものは書きたくありません。
幸い、僕の耳にはまだ、
砲弾にやられた断末魔の人間の叫喚が残っています。
腥い血の匂いが鼻に残っています。
バラバラになった人間の腕や、脚や、首や、胴や、
そんなものが眼に残っています。

僕は書きました。
徹夜のしつづけで書きました。
「敗走千里」の第一部「慰労隊の巻」〔本書〕がそれです。
この中に、僕の言う戦争の匂いが出ていれば、
それを感覚していただければ、
幸甚に存じます。(手紙の一節より)

というわけで、経験したばかりの戦場での体験がつづられている。
上海に近い前線での塹壕暮らしの日々だが、
こういう小説は初めて読んだ。

兵士は強制徴募の誘拐まがいの寄せ集めだから、
士気も軍規も十分ではない。
下っ端の兵士は交代制で斥候に出、
付近の村から略奪・強姦を行う。
部隊には看護婦でも兵士でもない女性がいて、
士官たちの世話をしており、
その女性を巡って、将校同士の内部抗争もある。

著者の陳登元氏は自分を
陳子明」(チェンツミン)という名で登場させている。
徴兵忌避の罪で銃殺刑に処せられるところを、
彼を知る中隊長に命を助けられて軍隊に入り斥候を命じられる。
このくだりで、中国軍がどのようなものだったかが分かる。

この戦争の初め頃は、
誰も今程この斥候に出るのをいやがりはしなかった。
いやがるどころか、
古くから兵隊をやつている者共はその殆ど全部が、
その斥候を志願したのだった。
この分隊から下士斥候が出るという時なぞ、
それの参加志願者で押すな押すなの騒ぎだった。
「分隊長殿、今度は儂をつれてって下さい」
「馬鹿! お前はこの前の時に行ったじやないか。今度は俺だ」
そんな始末だから、洪傑としても
斥候の人選に困るようなことはなかった。
沢山の志願者の中から氣に入りの者だけを抜き出せばいいわけだった。

下士斥候は大概の場合、五名か六名だ。
それが揃っていざ出發という場合、
彼等はにやりと何か意味ありげな微笑を交わす。
陳子明の如き、
僅か一ヶ月程前から強制徴募されて來た新兵には、
その微笑が何を意味するものか、
初めは全然判らなかった。
が、二時間ほどして、意気揚々と帰ってきた彼らを見て、
新兵たちは初めて、彼らが何故に
あの危険きわまる斥候を志願するかが解った。
彼等は実におびただしい種々雑多な戦利品をぶら下げているのである。
主に時計とか指輪、耳飾り・・・・といったような、
小さくて金目のものだが、
中には重いほどそのポケットを
銀貨でふくらまして来るものがある。

ある一人の兵が持っていた耳飾りの如き、
現に、たった今まである女の耳にぶらさがっていたものを
無理にひきちぎってきたからだろう、
血痕が滲んでさえいた。
しかもその兵の、無智、暴戻、残虐を象徴するかのごとき、
ひしゃげた大きな鼻、厚く突き出た大きな唇、
鈍感らしい黄色い濁った眼・・・・
その眼が何ものかを追憶するようににたりにたりと笑い、
厚い大きな下唇を舐めずり回している顔を見ていると、
陳子明の胸には、
何かしら惻々とした哀愁が浮かんできてならなかった。
あの血痕の滲んだ耳飾りと関連して、
何かしら悲惨なことが行われたような気がしてならないのだった。
斥候に行った連中は、
お互いに何か探り合ふやうな視線を交して囁き合ってゐる。
「おい、張開元! 貴様それだけか?」
ポケツトをざくざく銀貨でいわしている男が云った。
「うん、これだけよ……でもなァ、よかったぞう」
唇の厚い男は、下を舐めづり舐めづり、
淫りがましい笑いを黄色く濁つた眼に浮かべながら、
大きな掌の上で翡翠の耳飾りをいじり廻してゐる。
「貴様ァ、相変わらず女一方なんだな」
銀貨の男は、相手を軽蔑しながらも、
矢張り、張開元の自由にした女に氣を惹かれてゐるらしい。
「で、その女は好かったか? 幾つぐらいなんだい?」
「二十ぐらいかな……そりゃ好い女よ」
「ふーむ、そんな女が今時分まだこんなところにまごまごしてるのかな……
で、そりゃ、どの家だい?」
「そこの橋を渡つてよ、クリークについて左に行って……」
と言いかけて、張開元は急に警戒し出した。
「でもな、その女はもういないよ、南京に行くと言ったから…」
銀貨の男は、そういふ張開元の眼をじっと見つめていたが、
やがて、はっとしたように
「おめえ、まさか、やっちまやしめえな」と云つて、
ぎゅっと、銃劍で何かを突き刺す真似をした。
「ううん、もったいねえ、そんな馬鹿なことするもんか」
張開元は慌てて弁解した。
「俺は只、この耳飾りを貰って来ただけよ」
「ふむ、そんならいいけど……
それで、家はどこだい、何か商賣してゐる家か」
「そんなこと、覚えちやいねえ、
滅茶苦茶に飛び込んだ家だからな……
そいで、その女、年寄りの婆さんと、
地下室に縮こまっていたのよ、
婆さん、脚が悪くて、歩けねえらしいんだ」
張開元は、さう云って中々女の居る家を教えなかった。
何か自分の所有物をでも他人の目からかばうような態度だつた。
「ふん、俺ァ女なんかどうでもいいんだ」
銀貨の男は、ポケツトの銀貨をざくざくいわせながら
張開元の前から去った。

陳子明はすべてを見た。そして、聞いた。
彼はこれだけで戦争なるもの、
更に軍隊なるもの、本質を残らず把握したように思った。
戦争なるものがひとつの掠奪商売であり、
軍隊なるものは
その最もよく訓練された匪賊であるということである。
しかし、そんなことは今どうでもいい。
問題は、自分が好むと好まざるとにかかわらず、
国家という大きな権力の下に、
自分がその匪賊の仲間入りしたことである。
自分一人は純潔のつもりでいても、
濁水の中に交った清水は結局濁水である。

当時、
給料の満足に支給されない支那の兵隊にとっては、
掠奪が依然として給料であり、
兵士となるための奨励賞だった、という。

日本軍の猛攻に隊列が崩れ、
必死の退却が始まる場面は
すさまじい阿鼻叫喚だ。

そのさ中、陳子明はこんなことを思う。

陳子明は別に軍官学校の出身でもなければ、
特別に軍隊生活を志望して、
戦闘方法とか軍略とかいうことに大して造詣のあるわけではない。
が、最近の少しばかりの戦爭の経験によって、
自分達の国の軍首腦部が現在重大な過失を犯しているように思えてならないのだ。
その過失というのは、
この戦爭の始まる前、
吾々の軍隊はなぜ東洋軍(日本軍)と同じような、
あの恐ろしい威力を持つところの野砲とか、
野重砲のようなものを用意しなかつたか、ということである。
敗走に次ぐに敗走を以ってする近頃になつて、
自分達のちょくちょく耳にする軍首腦部のお題目は、
「長期抗日戦」というそれであり、
「吾々は最初から長期抗日戦を覺悟し、
日軍を奥地に誘導し、
以つて彼等を奔命に疲らせ、殲滅するのは策戦に出づるのだ」
というそれである。
が、それが、事実とするなら、
吾々の軍隊は尚更、野砲、野重砲の如き威力ある武器を
最初から用意しなければならなかったのだ。
なぜと云ふのに、奥地へ日軍を誘導するというからには、
最初から現在やっているような野戦が覚悟だった筈だ。
野戦に於て、機銃や迫撃砲が、野砲、野重砲の敵ではないことは
戦わぬ前から分っている筈だ。
それだのにそれらのものを用意しなかつたということは、
吾々の軍首腦部は上海の市街戦に於て日軍を撃退する
という一本立ての策戦しか立てていないかつたことを
暗默の裡に白状しているのだ。
確かにそれに相違ない。
煉瓦やコンクリートの高層建築物の密集している市街戦に於ては、
野砲や野重砲は確かに使いものにならない。
そんなものよりも、機関銃や迫撃砲、手榴弾の方が遙かに効果を挙げ得るからだ。
その上海に於て、日軍を引きつけ、引きつけ、
トーチカからの機銃掃射に依つって日軍を消耗し、
殲滅するという策戦がもし成功したならば、
彼等国軍首腦部は確かに先見の明ありといって誇つてもいいが、
その唯一の策戦が敗れ、失敗した以上、
戦いはそれを以つて打ち切りとすべきだ。
戦っても絶対に勝つ見込みはないからだ。
「長期抗日戰」  
そんなものは、蒋介石一族、親露派、英米派の失敗の跡を
誤魔化そうというこけ威かしにしか過ぎないものだ。
要するにそれは、政権に恋々とした、
彼等の保身延命策にしか過ぎないものだ。
彼はつくづくと、この無意味の戦争が呪わしくなつた。
全然無力の彼として、この戦爭を止めさせることは不可能だが、
しかし、自分個人をこの戦爭の渦中から脱出させることは、出来る、
そして、それは何ものに對しても恥じることのない、
許されていいことだと思った。


陳は退却中に敵の機関銃に右肩を撃たれ、意識を失い、
気がついたら傷病兵の収容所にいた。
敵の鉄砲の音がまた近づいてきて、天幕がびりびり震える。
「また退却だとよ!
すぐに蘇州河を越してその対岸に引き移れっていう命令だ!」
という誰かの声で、この物語は終わる。

「敗走千里」には続編があり、
その名もずばり「続敗走千里」というのだそうだ。
読んでみたいと思うが、どこにあるのか。

しかし、短期間の中に
これだけの小説を書き上げた陳登元の文才には驚く。

戦争の虚しさを
中国軍の側から書いた本作、
貴重な本である。


映画『海底47m』  映画関係

[映画紹介]

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これは、意外な拾い物

メキシコで休暇を楽しむリサとケイトの姉妹は、

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海の中で鉄製の檻の中から野性のサメを見る
「シャーク・ケージ・ダイビング」に挑戦する。

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水深5mの地点で、
安全な檻の中から鑑賞するサメの迫力に興奮していると、
突然ワイヤーが切れ、
檻は水深47mの海底まで落下してしまう。
姉妹は生還できるのか、それとも・・・

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落下した檻は蓋の部分に金具が乗ってしまい、開かない。
鉄骨の隙間から出ようとしても、
潜水器具が邪魔で通り抜けることが出来ない。
無線も届かず、水中に出ると、暗く、迷子になる。
急激に浮上すると、潜水病で命を落とす。
しかも、周囲を人食い鮫がうようよしている。
その上、手足の傷からはが流れている。
鮫は5q先からでも敏感に血の匂いを察知してやって来る。
なにより、ボンベの酸素が長くはもたない。
船からの救助の方法はあるのか、
というより、自分たちが置き去りにされる心配もある。
ボンベを補給すると、窒素の作用で
幻覚を見る恐れもある・・・

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という究極の極限状況を描く。
極限という言葉を5つ並べても足りないほどの極限状況だ。

なにより感心したのは、
途中で海中に落下して以降、
映画の3分の2を水中シーンで貫いたことだ。
途中で上の船での救助の様子を描写したりしない。
安易な方法に走らず、
徹頭徹尾、水中に留まり、
息の詰まるような恐怖を貫く。
さぞ撮影は大変だっただろう。

サメの描写がもう少し何とかならなかったか、
という残念さもあるが、
篇中、思わず声を上げてしまったシーンが3回ほどあった。

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アメリカでは当初DVD発売だけの予定だったのが、
あまりの完成度の高さに急遽劇場公開が決定。
しかも初登場5位という快挙。
夏公開にふさわしい作品。
「ジョーズ」とは違った恐怖体験が出来る。

監督はヨハネス・ロバーツ
                                        
5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/GbOb9bcHRWA
                                        
丸の内ピカデリー、シネマート新宿他で上映中。

↓はアメリカ版ポスター。

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タグ: 映画




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