小説『神の値段』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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「このミステリーがすごい!」大賞受賞作

モダン・アートの人気作家・川田無名は、
アメリカにで修行して人気が出、
日本に帰国して相手にされなかったが、
ギャラリーのオーナー、永井唯子と組んでから、
爆発的な人気を博する。
しかし、謎の人物で、
人前に姿を見せず、
唯子とアトリエのディレクター、土門正男としかつながりがない。
既に亡くなっているのではないか、という説さえある。
しかし、定期的に作品は生みだされている。

唯子のギャラリーに勤める佐和子は、
薄給に絶えながら、唯子の魅力に惹かれて勤めている。
そんな時、一枚の絵がギャラリーに持ち込まれる。
それは縦2m横3mの大作で、
1959の制作年。
無名がニューヨークに在住の時の作品である。
この作品には、中国人富豪のラディが買いたいと申し出ていた。
秘められた作品の存在は、じきに美術界に知れ渡ることになる。

美術界のパーティーに唯子と共に出た佐和子は、
唯子の夫である佐伯に出会う。
唯子の活動を金融面でサポートしているのだという。

そのパーティの夜、
絵を保管している倉庫で唯子が殺される。
警察が捜査するが、
唯子が最後に会っていた人物は特定できない。
無名と会っていたらしいという状況もあり、
無名が重要参考人ということになるが、所在が知れない。

佐和子はアトリエに出かけ、
無名から毎月一定の時に指示を受けて
アトリエのメンバーが作品を制作していた事実を知る。

そして、唯子が亡くなるより前に出されていた指示により、
1959年の作品は
香港でオークションにかけられることになるが・・・

という美術界を舞台にしたミステリー
門外漢の私だが、
作家の最初の作品の販売を担当するプライマリー・ギャラリーと
それらの作品を二次的に取り扱うセカンダリー・ギャラリーがあり、
セカンダリー・ギャラリーでどんな高値がつこうとも、
作家には一銭の金銭的見返りがないことなど初めて知った。
また、個人のコレクターと
投機で扱う者たちの存在、
更に、美術品の見本市のようなアートフェアと呼ばれている行事が
毎週世界のどこかで開催されている、
という興味深い事実も知った。

つまり、知ることのなかった美術界の状況について
目を開かれる内容で、
そういう意味で知識欲は満たされる。
オークションの情景も興味津々だ。

ただ、ミステリーとしては、
展開に興味が続くわけではない。
犯人は早々に割れるし、
犯人を追い詰める仕掛けも少々弱い。

ただ、今までにないジャンルで、
原田マハとはちょっとおもむきが違うので、
それを評価されたのだろう。



ソウルの旅・その2・映画2本  旅行関係

2日目は、夜のミュージカルまでの時間を利用して、
↓の映画館で、

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来年日本で公開になるアメリカ映画を2本観ました。

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1本目がこれ↓「ベン・ハー」

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ルーツは、1880年にルー・ウォーレスの発表した小説。
アメリカで大ベストセラーとなり、
その発行部数記録が破られることになるのは
1936年の「風と共に去りぬ」を待たねばなりません。

さっそく舞台化され、
1899年と1901年の2回上演されています。

1899年のポスター↓。

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1901年のポスター↓。

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海の上をただようイカダのようなものは、
布の動きで海が表現され、
戦車競争は機械仕掛けの戦車で表現。
機械の不具合で、
時々メッサラの方が勝ってしまって困ったそうです。

2009年と2012年には、
「ベン・ハー ライブ」というイベントがあり、
これはアリーナステージを使って、ストーリーを展開。
ガレー船の戦闘や戦車競争も
実際にやってみせました。

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その動画を見たい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/k375NFegngg

観たかったなあ。
来年は韓国で創作ミュージカル「ベン・ハー」が上演される予定です。

映画の時代になると、
サイレントで1907年と1925年に2回映画化。
1907年版は20分の短編、

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1925年版は2時間23分かかり、
サイレント映画として前代未聞の390万ドルという
未曾有の制作費が投下された大スペクタクル映画で、
群集の場面では実に12万人ものエキストラが動員されていました。

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これは大ヒットとなり、
550万ドルという
サイレント映画史上第3位の興行収入を稼ぎ出しました。
あまりの人気に1930年代に入ると
音声がついたバージョンも公開されたほどです。

そして、決定版、1959年のウイリアム・ワイラー版が来ます。

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70ミリ、序曲、休憩入りの大作で、
アカデミー賞は11部門を獲得。
「タイニック」「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」
で並ばれるまで、
最高記録を保持していました。

2003年にアニメ版をビデオで発売。

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これにはチャールトン・ヘストンが声の出演をしています。
1時間20分と短い作品です。

2010年にカナダとアメリカでテレビのミニ・シリーズとして制作。
2夜にわたり、時間は計3時間4分。
これは、ツタヤディスカスで借りられます。

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テレビシリーズらしく、多彩な人物が登場、
陰謀渦巻く歴史劇の体裁。
ただ、若手役者の非力さが目を覆うばかりで、
大味の感は避けられませんでした。
濃厚なベッドシーンもあり、
こんなものが放送されたのか、と心配。
また、戦車競争は競技場ではなく、
エルサレムの町の中で行われるというリアルさ。

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従って、1959年版以降の劇場公開用のリメイクは
今度のが初です。

旧作が3時間32分なのに対して、
今作は2時間3分。
従って、大幅に短縮省略されており、
前作の重厚な人間ドラマにはなっていません。

省略の最たるものは、
ベン・ハーはガレー船の漕ぎ手として送られるものの、
海戦の最中に司令官を助け、
その養子となってローマ市民権を獲得し、
戦車競走の新鋭としても注目されることになる、
という下りは全くなくなり、
海に流されたベン・ハーが
打ち上げられたところで
戦車競争の馬の持ち主(モーガン・フリーマン)に出会う、
という、ワープのような展開。

そして、戦車競争で負傷したメッサラは死なず、
ベン・ハーと和解するという結末。
そのために、冒頭で二人の青年時代が描かれ、
落馬したベン・ハーをメッサラが助けて命拾いさせる、
という話が付け加わっています。

名作から魂と気品と香りを取り除くと、
こういう作品が出来上がる

というリメイク版の悪しき典型。

アメリカでは8月19日に公開され、
製作費1億ドル強の大作なのに、
オープニング興業収入1100万ドルとふるわず、6位デビュー。
批評家からも厳しいレビューが寄せられ、
2週でトップテンから姿を消しました。

CGの発達で、
戦車競争のシーンがより多彩に描けるだろう、
というのがリメイクの意図だと思いますが、
このような完成された名作に対する「神をも恐れぬ所業」はやめてほしいものです。

予告編を見たい方は↓をクリック。

https://youtu.be/JWNz5frRmzg


ソウルではもう1本。
9月23日公開初日の
「マグニフィセント・セブン」

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日本でもこの原題で公開されるようですが、
「荒野の七人」(1960)のリメイク。
言わずと知れた黒沢明「七人の侍」(1954)が原作です。

脅威におびえる町人が
7人のガンマンをやとって町を防衛する、
という原型を残して、
あとはオリジナル・ストーリー

これまでの作品の敵役は野武士や盗賊の群れでしたが、
今回は改変され、
悪徳実業家に苦しめられている町民、という設定。
集められたのは、
賞金稼ぎ、ギャンブラー、流れ者、ガンの達人、弓矢の名人などで、
最初は金のため町を守ることになった彼らでしたが、
いつしかその目的が金だけではなくなっていることに気付きます。

ユル・ブリンナーが演じた7人のリーダー役を
デンゼル・ワシントンが務め、
クリス・プラット(なかなかいい)、イーサン・ホーク
ビンセント・ドノフリオイ・ビョンホンらが
7人のメンバーとして出演。

批評家の評価はそれほど高くありませんでしたが、
オープニング興業収入は3470万ドルで首位デビュー

「トレーニング デイ」「イコライザー」の監督
アントワン・フークアですから、
出来ばえに遜色はありません。

エンドクレジットで
前作のファンの方には、
嬉しくなるようなことが起こります。
私は、思わず「おお」と声を出してしまいました。

予告編を見たい方は↓をクリック。

https://youtu.be/deSRpSn8Pyk

2本ともアメリカ公開から4カ月以上も遅れての日本公開です。
ヨーロッパもアジアも世界同時公開で、
日本だけが世界から取り残されている訳は、
次のように分析されています。

○アメリカで公開して人気の度合いを計り、
 配給契約の金額を決める場合がある
○日本の配給会社は国内の系列映画館にリサーチを行い
 配給契約を取り付ける金額を決定するシステムになっている 
○正月、ゴールデンウィーク、夏休みなど
 集客が見込める時期に配給したい
○アメリカでの人気を受けて、
 期待を持たせてじっくりと販売戦略を練りたい
○日本人は宣伝文句に弱いので「全米No.1」、
 「世界※カ国でヒット」「世界が泣いた」の肩書きで
映画の入りが違う
○映画賞の発表に合わせて
 なるべく印象に残りやすい時期を狙いたい
○字幕スーパーの日本語翻訳作業に
 言語構造が異なることから、手間がかかる
○日本独特の文化である映画パンフレットの制作に時間がかかる  
○映画館数が北米より少ないため
 大きい映画館で上映する為には、
 他の大作とタイミングをずらさないといけない
○アジア圏は海賊版がすぐに出回るので
 早く公開しないと集客が見込めないが
 日本はあまり海賊版は普及しないのでゆっくりの公開でも安心

しかし、日本を含めた世界同時公開される作品がある以上、
上記の説明は少々納得がいきません。
グローバル化の波が押し寄せ、
世界が近くなっている時、
日本の観客だけが、
世界の人々より遅くしか観ることが出来ない

という現状は、
なんとか改善してほしものです。




映画『レッドタートル ある島の物語』  映画関係

〔映画紹介〕

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監督のマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット↓は、

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オランダ出身でイギリス在住の短編アニメーション作家。
「岸辺のふたり」(2000)でアカデミー賞短編アニメ賞に輝いた。

スタジオ・ジブリの鈴木敏夫プロデューサーが
「岸辺のふたり」を観て惚れ込み、
長編を作らないかと持ちかけた。
長編アニメは初めてとなる監督の希望で高畑勲が脚本と絵コンテなどで協力。
監督がスタジオジブリ本社のある東京都小金井市に一時転居して
高畑らのアドバイスを受けてシナリオと絵コンテを完成させ、
フランスの映画監督・脚本家、パスカル・フェランが最終的にまとめた。
実際のアニメはフランスのプリマ・リネア・プロダクションズが担当。
だから、制作現場という意味でのジブリ作品ではなく、
ジブリは、ワイルドバンチ他の複数の製作会社の一つとなっている。
映画の国籍は日本・フランス・ベルギー合作で、
クレジットタイトルはフランス語である。
第69回カンヌ国際映画祭・ある視点部門で特別賞受賞

船が遭難し、嵐の海に放り出された一人の男が、
ある無人島に流れ着く。

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彼はイカダを作り、島から脱出しようと試みるが、

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そのたび、見えない力によって島に引き戻されてしまう。
それをしたのが海ガメのしわざだと思い込んだ男は、
島に上って来た赤い海ガメを棒で叩き、仰向けにしてしまう。
すると・・・

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「岸辺のふたり」は、
父の帰りを待つ娘の成長を
音楽だけに乗せて描く作品で、
わずか8分少々の短編ながら、
最後のくだりは涙をそそる。

「岸辺のふたり」を観たい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/A8I2p0ro_SI

今度の作品でも、「岸辺のふたり」にあった
水平線、草原、親子の別れなどの要素が登場する。
そして、詩情と哲学があふれるユニークなアニメとなっている。
画調は、浮世絵や水墨画を想起させるような印象。
しかし、ところによりリアルな描写も展開する。
海の描写が秀逸。

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なにより、セリフがない分、
想像力をかきたてられる。
赤ちゃんウミガメやカニなどの小さな生き物たちも、
可愛くユーモラスな動きで心を和ませてくれる。

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後半、この話、どうやって終わるのか、と興味津々だったが、
ああ、そういうことだったのか、と思わせる。
それにしても、この終わり方は高齢者の領域にある人間には
胸を打たれ、涙をそそられた。

子供向け、青年向けのアニメがあるように、
大人向けのアニメがあってもいい。

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監督はこの作品を通じて、
「人間性を含めた自然への深い敬意、
そして平和を思う感性と
生命の無限さへの畏敬の念を伝えたい」
と語っているというが、
その試みは達成されたといっていい。
音楽はローラン・ペレス・デル・マール

5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/0T3soLrQLfc


タグ: 映画

ソウルの旅・その1・ミュージカル4本  旅行関係

ソウルで観たミュージカル、1本目は、
ここ、城南アートセンター・オペラハウスで、

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「ドリアン・グレイ」

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オスカー・ワイルドの唯一の長編小説「ドリアン・グレイの肖像」
世界初のミュージカル化。

「ドリアン・グレイの肖像」は、
1945年、1970年、2009年と3回映画化。
日本では1996年と2015年の2回、
宝塚で舞台化されています。
昨年は松竹が上演。

今度の舞台は脚本がチョ・ヨンシン、
演出・脚色がイ・ジナ、作曲がキム・ムンジョンと、
純粋に韓国産創作ミュージカル
その心意気はすごいものがあります。

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出演は、キム・ジュンス、パク・ウンテ、チェ・ジェウン、ク・ウォンヨンら。
ダブルキャスト、トリプルキャストの多い
韓国ミュージカルには珍しく、
全公演同一キャストの出演。
昨年の「デス・ノート」と同様。

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画家バジルのモデルとなった美青年ドリアン・グレイは、
逆説家ヘンリー卿が紡ぎ出す、自分の若さと美への賞賛、
及び奔放な生活こそ最高の芸術だとする言葉に酔わされ、
バジルの描いた肖像画を前にして、
肖像画の方が歳をとればいいのにと言いだす。

その結果、ドリアンは歳を取らず、若いままで、放蕩に走り、
一方で、屋根裏に隠した肖像画が醜く変貌していく・・・

ドリアンは若い舞台女優シヴィルと恋に陥り婚約をするが、
演技に関しての言葉の暴力でシヴィルを自殺させてしまう。
20年後、姉の仇をとらんとしていた妹(原作では弟)をも
ドリアンは手にかけ、
その上、醜く変貌した肖像画を見て責めるバジルを
逆上し殺してしまう。

ますます醜悪になった肖像画を見て、
この画こそ自分の良心だと知ったドリアンは
自ら命を絶つが、
人々が見たのは、
元の美青年の姿に戻った肖像画と
醜い老人の死体だった。

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という話をどうやってミュージカル化?
興味津々でしたが、
視覚効果と舞台転換を上手に使って成立させていました。

ただ、暗い話をひたすら暗く演じ、
元々私はこの話は好きでないので、
舞台そのものも楽しめませんでした。

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ただ、娘に言わせると、
1回目はダメでも、
2回、3回と重なるとのめりこみ、
音楽の効果もあって、
スルメのように噛めば噛むほど味の出る作品なのだそうです。
(既に娘は8回観ています)

ハイライト映像を見たい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/cxDrESJXwFo


2本目は、ここ、
ブルースクエア・ミュージカルホールでの

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「キンキーブーツ」

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元々は、2005年に公開された英米合作のコメディ映画。

2013年、シカゴでのトライアウトを経て、
ブロードウェイで上演。
ハーヴェイ・ファイアスタインが脚本、
ジェリー・ミッチェルが演出と振り付けを担当。
シンディ・ローパーが作詞・作曲し、
トニー賞で13部門にノミネートされ、
うちミュージカル作品賞、オリジナル楽曲賞、
ミュージカル主演男優賞など6部門を受賞。

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父親の死で田舎の靴製造工場、プライス社を引き継いだチャーリーが、
倒産寸前の工場を
女装の歌手ローラの協力を得て、立て直そうとする物語。
それまで製造してきた高級紳士靴ではなく、
女装家向けの特注80pのハイヒールロングブーツの製造に切り替える。
果たしてそれは成功するのか?

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という話を、靴工場を舞台に、面白おかしく展開する。
随所に笑いをちりばめた
明るく、楽しい、これぞブロードウェイ・ミュージカル

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中でも成否を左右するのが、
ローラをはじめとする7人の女装家ダンサーたち。
ガタイの大きな男たちが
女装してハイヒールで歌い踊る。
その迫力がすさまじい。
中でもローラを演ずるチョン・ソンファは、
「ラ・カージュ・オ・フォール」 (「Mr.レディ Mr.マダム」のミュージカル版)で
オカマの歌手を演じたことがあり、
娘はこの舞台を観て、すっかりファンになりました。
こんな役ばかりしているわけではなく、
「レ・ミゼラブル」でジャン・バルジャンを演じて
ミュージカル大賞主演男優賞を得たこともある実力派。

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しかし、なんといってもこのミュージカルの強みは、
シンディ・ローパーによる音楽の良さ。
特に第1幕の幕切れの「Everybody Say Yeah」と
ラストの「Raise You Up」は、
許されれば立ち上がって踊りたくなるようなノリの良さ。

楽しい気分になって帰宅できるミュージカルは、やはりいいですね。

ラストの下りを見たい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/CLWgoEdQ1Ho


3本目は、ここLGアートセンターでの

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「ペスト」

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アルベール・カミュの「ペスト」をミュージカル化、
というから「ドリアン・グレイ」ともども驚きです。
西洋の文学作品を創作ミュージカルというのは意欲的。

ただ、脚本は外国人。
音楽はソ・テジ。

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舞台はアルジェリアのオラン市。
はじまりは、医師のリウーが階段でつまづいた一匹の死んだ鼠だった
(という描写は舞台では、ない)。
やがて、死者が出はじめ、リウーは死因がペストであることに気付く
新聞やラジオがそれを報じ、町はパニックになる。
最初は楽観的だった市当局も、
死者の数は増える一方で、その対応に追われるようになる。
やがて町は外部と完全に遮断される。
脱出不可能の状況で、市民の精神状態も困憊してゆく。

苦境の中、団結する民衆たちを描き、
無慈悲な運命と人間との関係性が問題提起される。
第二次世界大戦時のナチズムに対する
フランス・レジスタンス運動のメタファーではないかといわれています。

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ただ、近未来の出来事に変えてあるため、
服装や装置に違和感がただよい、
医師が医師に見えないし、
神父か神父に見えません。
衣裳は演劇においては重要です。

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加えて、1幕は曲想がことごとく同じで、
ずっと一つの曲を聞かされている感じ。
2幕は曲想が豊かになりますが、
映像を使った展開も不必要に思えました。
また、中々終わりそうで終わらない、
という終盤もしまりがない印象でした。

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カーテンコールになると、
左右の席の人がカメラとスマホを出し始め、
みんなが舞台を撮るのでびっくり。
どうやら、この公演では、
カーテンコールは撮影自由ということのようでした。

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以前はみんなそうだった、という話を聞いたこともあります。
カーテンコールくらい撮影させた方がファンサービスというものです。

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初日の様子(?)見たい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/h6SWBx8DpSg


最後に観たのは、
ここ、シャルロッテ劇場での

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「スウィーニー・トッド」

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ブロードウェイの重鎮、スティーヴン・ソンドハイム作詞作曲の作品。
20代で「ウエスト・サイド物語」(1957)や
「ジプシー」(1959)の作詞を手掛け成功をおさめ、
1962年の「ローマで起こった奇妙な出来事」で作詞と作曲を手掛け、
作詞家・作曲家としての地位を築きました。
他に「リトル・ナイト・ミュージック」 (1973) 、
「太平洋序曲」 (1976) 、
「イントゥ・ザ・ウッズ」 (1987) 、
「パッション」 (1994) など。

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「スウィーニー・トッド」は、
191世紀イギリスの伝説の殺人鬼、
スウィーニー・トッドを題材としたミュージカル。
1979年3月1日初演。
1980年6月29日まで577公演のロングラン。

トニー賞で、ミュージカル作品賞、ミュージカル脚本賞
作詞作曲賞、ミュージカル主演男優賞(レン・キャリオウ)
ミュージカル主演女優賞(アンジェラ・ランズベリー)
ミュージカル演出賞(ハロルド・プリンス)
ミュージカル装置デザイン賞、ミュージカル衣装デザイン賞
など8部門受賞。

1989年と2005年にブロードウェイ再演。

日本では、1981年、松本幸四郎と鳳蘭で初演。
2007年、2011年、2013年再演。

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19世紀イギリスのロンドン、フリート街。
理髪師ベンジャミン・バーカーは、
妻ルーシーに横恋慕した検事に
無実の罪で島流しにされた。
15年後、島から脱出した彼は
ロンドンに戻ってスウィーニー・トッドと名を変えて
検事への復讐を計画。
フリート街にあった自分の理髪店を再開し、
1階のパイ屋のロヴェット夫人と組んで、
次々と客の喉をかき切り、
死体はミート・パイの材料となる。
娘は検事の世話になっており、結婚を迫られていた。
スウィーニーの復讐は成るのか、それとも・・・

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俳優はチョ・スンウ、ヤン・ジュンモ、オク・ジュヒョン、チョン・ミド

復讐劇にカニバリズムを持ち込んだ、
刺激的で不気味な物語。
しかし、ちりばめられたユーモアが
適度にブレンドされて、
あまり悪い印象は持ちませんでした。

私はソンドハイムは苦手ですが、
この作品はなかなか良かった。


町中で見た、今後の上演予定作品の一部。

ロンドンで観て、あまり感心しなかった「ボディガード」
映画のミュージカル化。

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ディズニーの「アイーダ」は再演。

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これも文豪の作品のミュージカル化、「モンテ・クリスト」
再演。

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それにしても、
韓国人は暗いミュージカルが好きだなあ。
日本も同じか。


評伝『花森安治伝』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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花森安治のことは学生の頃に知った。
「暮しの手帖」の名物編集長で、
執筆から表紙から挿絵からレイアウトまで何でも一人でこなす。
商品テストなどの中立性を守るために広告は一切載せない、
企業からのテスト用サンプルや商品の提供を拒み、
自分たちが店頭で購入した商品をテストする、
というポリシーを聞き、
その公正な姿勢に驚嘆した覚えがある。

一時期編集部に在籍した森村桂のデビュー作
「違っているかしら」を
父の関係会社が出版したことからの興味もあった。
(「違っているかしら」は、その後、
 「私、違っているかしら」の題名で吉永小百合主演で映画化)

今やっているNHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」の中に
出て来る「あなたの暮し」は、
「暮しの手帖」がモデルで、
編集長の花山伊佐次を唐沢寿明が演ずるが、
実物はあんなカッコいいものではなく、
おカッパ頭に時には女装するという変わった人物だったらしい。

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この評伝は、
その花森の生涯を
膨大な資料をたどりながら追い求めるもの。
高校時代から校友会の雑誌を編集したり、
大学では帝国大学新聞(東京大学新聞の前身)に入ったり、
化粧品パピリオの宣伝部に所属したり
双書「婦人の生活」を刊行したりし、
戦前に培った経験を一挙に開花させたのが
「暮しの手帖」だった。

1945年、大橋鎭子(ドラマでは小橋常子)から相談を受けて、
翌46年、「衣裳研究所」を設立、
大橋三姉妹(鎭子・晴子・芳子。ドラマでは常子・鞠子・美子)
を助ける形での参加だった。
「スタイルブック」を発行、直線裁ちが一大ブームとなった。

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1948年(昭和23年、37歳)「美しい暮しの手帖」を創刊。

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後に「暮しの手帖」に改称。
最初の頃は季刊で、後に隔月刊に。
1954年から「商品テスト」を開始。
発行部数も100万部を越えて、
「国民雑誌」となった。

商品テストについて、花森はこう言っていたという。

「商品テストを失敗したら、
暮しの手帖社はつぶれる。
人さまが命がけで作っている物を、
いいとか、わるいとか批評するのだから、
商品テストは命がけだ」

テストには完全主義を押し通し、
ミスをした担当者には、
お前みたいなやつは、クビだ!
と大声でどなった。

広告を載せないことについては、
次のように主張する。

広告をのせることで、
スポンサーの圧力がかかる、
それは絶対に困るからである。
暮しの手帖は、暮しの手帖なりに、
一つの主張があり、
一つの志がある。
それがほかの力でゆがめられるとしたら、
もっての外である。
ことに<商品テスト>の場合、
その結果に対して、
なにかの圧力がかかってゆがめられたりしては、
折角のテストの意味がなくなってしまう。
<商品テスト>は絶対にヒモつきであってはならないのである。

ご存じのように、
雑誌の収入源は、売り上げと広告料収入である。
雑誌の評価が上がり、部数が増えれば、
広告料は上がる。
その一方の柱を拒否して、
雑誌の売り上げだけで全てをまかなう、
というのだから、その決意はすごいものだ。

第1回の商品テストはソックス。
次のマッチと続き、
鉛筆、醤油、アイロン、オーブントースター、
安全かみそり、自転車、電球、
ペンキ、ミシン、運動靴、消火器、
スティック糊、ホットケーキミックス、
万年筆、洗える背広、脱水機つき洗濯機、
炊飯器、ティッシュペーパー、
宅配便、めんつゆ、万歩計、
オートフォーカスのカメラ等、
約250種、複数回テストした商品があるからのべ300の商品を
テストし続けた。
その結果、メーカーの商品作りの精度は上がった。
日本の「ものづくり」の質の向上に役立ったのだ。

テストをする社員には、
コネが出来てしまう危険を避けて、
「友人先輩関係の会合」に出ないようにしていた。

料理記事も、次のような手順で作られたという。

@いつもの家庭料理をプロの料理人に作ってもらい、
 その手順を組写真方式で記録する。
Aそばで観察している担当編集者が、
 それを一枚のレシピにまとめる。
Bこのレシピどおりに、同じ料理を
 現場にいなかった別の編集者が作る。
Cみんなで食べ較べる。
D同じ味になっていたらOK。
 違っていたらレシピを書き直す。
EOKが出るまで、それを繰り返す。

与えられたレシピが本当に役に立つかどうかを
繰り返しテストする。
「命がけ」の実践は商品テストと同じである。

文章もやさしく、平易に、が基本で、
漢字をできるだけ減らし、
使う場合も画数の少ないものを選んだ。
編集者に対して、花森は次のような言葉で叱ったという。

──きみのかいた文章が、
八百屋の奥さんにそのまま読んでもらえるか、
魚屋の奥さんにわかってもらえるか、
それを考えて書け。
──文章をやさしく、わかりやすく書くコツは、
ひとに話すように書くことだ。
眼で見なくてはわからないようなことばは、
できるだけ使うな。
──ひらかなにすれば、わかりやすくなるわけじゃない。
ひらかなで<ひじょう>と書かれたら、
非常の意味か、非情の意味か、わからなくなる。
それこそヒジョウシキだ。

花森が唱えた実用文十訓は以下の通り。

(1)やさしい言葉で書く。
(2)外来語を避ける。
(3)目に見えるように表現する。
(4)短く書く。
(5)余韻を残す。
(6)大事なことは繰り返す。
(7)頭でなく、心に訴える。
(8)説得しようとしない(理詰めで話をすすめない)。
(9)自己満足をしない。
(10)一人のために書く。

いい加減な取材で済ますと、すぐ見抜く、
として、次のようなエピソードを紹介している。

ある部員が提出した原稿を読み終えた花森が、
すぐに筆者を呼んでたずねた。
「ほんとうに相手はこういうことをいったのか」
「はい、そうです。そのとおりですが・・・」
「ぼくにはどうしても、
こんなことしかいわないひとにはおもえないんだ。
もっとなにかがあるはずだ。
取材テープを聞かせてくれないか」
テープを聞くうちに、
みるみる花森の形相がかわったという。
編集部員が相手の答えを先取りして発する質問に、
取材相手が「はい」「そうですね」と
オウム返しに答えているだけだったのだ。
「なんだ、これは。
相手は何もいっとらんじゃないか。
みんなきみのことばだ。
きみは取材に行ったんじゃない。
きみの考えをたしかめに行っただけだ。
そんなことなら取材なんかする必要はない。
こんなもん記事になるか」
この原稿はただちにボツになったという。

1978年1月14日。
自宅で心筋梗塞で逝去。
66歳。
居間のソファーに坐っての
「弁慶の立ち往生」のようだったという。

「おおげさな葬儀はごめんだ」という言葉のとおり、
1月16日、暮しの手帖社2階のメインスタジオで
「お別れの会」を開き、
全て社員たちの手作りで、
祭壇中央の木札には戒名はなく俗名のみ。
焼香はなく、
会場には花森が好きだった
イギリス民謡の「グリーン・スリーブス」が流れていた。
最後に社員全員で、
「暮しの手帖」の表紙裏に常に載っていた「発刊の辞」を朗読したという。

これは、あなたの手帖です
いろいろのことが ここには書きつけてある
この中の どれか 一つ二つは
すぐ今日 あなたの暮しに役立ち
せめて どれか もう一つ二つは
すぐには役に立たないように見えても
やがて こころの底ふかく沈んで
いつか あなたの暮しを変えてしまう
そんなふうな
これは あなたの暮しの手帖です


↓は、大橋鎭子さんと共に。

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大橋鎭子さんは、花森のあとを継いで編集長となり、
2004年に横山泰子(長妹である晴子の息子の妻)に社長を譲り社主となる。
2013年3月23日、
肺炎のため東京都品川区の自宅で逝去。93歳だった。





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