インド旅行記Cアグラ・その1  旅行関係

ベナレスからアグラへ。
飛行機で1時間3分。

クリックすると元のサイズで表示します

今度も出迎え人と無事会えましたが、
「どこのホテル?」と訊かれて面食らいました。
どうやらタクシー運転手で、送迎だけ依頼されたようです。

そのホテル。
1階のコーヒーショップの名前の方が大きい。

クリックすると元のサイズで表示します

ちゃんとしたロビー。

クリックすると元のサイズで表示します

部屋はそこそこの広さ。

クリックすると元のサイズで表示します

それにしても、あのバケツは何のため。

クリックすると元のサイズで表示します

昼食は「インド料理と中華料理どちらがいい?」
と訊かれて、即座に「中華!」と叫んでしまいました。
しかし、中華料理もインド風でした。

クリックすると元のサイズで表示します

アグラ(アーグラ、アーグラーとも)の人口は約157万人。(2011年)
ガンジス川最大の支流であるヤムナー川沿いに位置する都市で、
古代より交通の要所として発展しました。

16世紀初頭、ローディー朝がこの地に都を置きました。
ローディー朝を倒してムガル帝国が建てられ、
その3代皇帝であるアクバルの時代に都として定められました。

アグラといえば、
タージ・マハルとアグラ城塞が有名。
そのアグラ城塞↓。

クリックすると元のサイズで表示します

ムガル帝国の栄光と権力を象徴する美しい城塞です。

クリックすると元のサイズで表示します

ムガル帝国第3代皇帝のアクバルが建設を開始し、
1565年に着工して1573年に完成。
その後3代の皇帝の居城となり、
歴代の皇帝が増築し、
18世紀初頭まで建設が続けられました。

クリックすると元のサイズで表示します

赤砂岩で囲まれた城塞は「赤い城」とも呼ばれています。
ただし、デリーの城も同じく赤い城と呼ばれ、
単にインドの「赤い城 (Red Fort)」と言えば、
通常はデリーのほうを指します。

クリックすると元のサイズで表示します

外側から見ると赤砂岩主体の「赤い城」ですが、
城内の宮殿には白大理石も多用されています。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

首都はアクバル帝の名をとってアクバラーバードともよばれましたが、
彼による建造物はわずかしか残っていません。
むしろ後継者の第5代皇帝シャー・ジャハーン帝が
城内にも城下にも燦然と輝く建物を多く建て、
ムガル朝の建築芸術を絶頂へと導きました。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

この栄光の都も17世紀に首都がデリーに移されると凋落を始め、
その後の略奪や反乱によって、
赤い城のかつての栄華は闇に沈んでしまいました。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

タージ・マハルを建設した
シャー・ジャハーンは、
息子の第6代皇帝アウラングゼーブによって捕らわれ、
この城に7年間幽閉されました。
「囚われの塔」という部屋から
遥か彼方に見える、
愛妃の霊廟を眺めながら、
ここでシャー・ジャハーンは、
74歳の生涯を閉じました。

クリックすると元のサイズで表示します

という、この城のキモとも言うべき話は、
ガイドの口からついに語られることはありませんでした。

クリックすると元のサイズで表示します

インドのガイドはレベルが低い、というのが実感です。

クリックすると元のサイズで表示します

一般謁見の間、ジャハーンギール殿、
ムサンマン・ブルジ〜8角柱形の塔、
寝殿、アングリ庭園、貴賓謁見の間
などの見どころの説明もなし。

クリックすると元のサイズで表示します

旅行者が予習した知識以下の説明しかないのなら、
それはガイドではなく、ただの「道案内人」です。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

ムガル帝国についての説明もなし。

クリックすると元のサイズで表示します

ムガル帝国(ムガール帝国とも)は、
16世紀初頭から北インド、
17世紀末から18世紀初頭にはインド南端部を除くインド亜大陸を支配し、
19世紀後半まで存続した
トルコ系イスラーム王朝。
成立は1526年4月21日、
滅亡は1858年5月10日。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

ムガル帝国の創始者バーブルは中央アジア出身で、

クリックすると元のサイズで表示します

ティムール朝の王族とチンギス・ハーンの子孫の血を引き継ぎます。
ティムール朝の中央アジアにおける没落を機に
現在のアフガニスタンからインドに移って
第二次ティムール朝と言えるこの帝国を建国したのです。
こうした経緯から、
ムガル帝国は最後の君主の治世まで
一貫して
ティムールを始祖と仰いでいます。

クリックすると元のサイズで表示します

こんなところでウズベキスタンとつながるとは。
サマルカンドのティムールのお墓については、
↓のウズヘキスタン旅行記を参照。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20160513/archive

クリックすると元のサイズで表示します

王朝名の「ムガル」とは、
モンゴルを意味するペルシア語の「ムグール」(モゴール)の
短縮した読みである
ムグル(Mughul)が、ムガル(Mughal)に転訛したもの。
すなわち、「ムガル帝国」とは「モンゴル人の帝国」という意味になります。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

ムガル朝を真に帝国と呼ぶにふさわしい国家に発展させたのは、
第3代皇帝アクバル の治世でした。

クリックすると元のサイズで表示します

タージ・マハルを建てた第5代皇帝シャー・ジャハーンの後、

クリックすると元のサイズで表示します

息子たちによる血生臭い王位継承戦争があり、
第6代皇帝アウラングゼーブの時、
南端部を除くインド亜大陸にまたがる、
帝国の最大領土を実現しました。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

その後、帝国は分裂し、
やがてイギリスによって消滅させられ、
ムガル帝国は332年にわたるインドにおける歴史を閉じたのです。

クリックすると元のサイズで表示します

その栄枯盛衰の歴史の跡を

クリックすると元のサイズで表示します

サリーをまとった観光客が訪れます。

クリックすると元のサイズで表示します

ホテルの近所を散策しました。

クリックすると元のサイズで表示します

種々雑多な乗り物が行きかいます。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

牛もその一つ。

クリックすると元のサイズで表示します

選挙でもあるのでしょうか。

クリックすると元のサイズで表示します

コーヒーショップへ。

クリックすると元のサイズで表示します

多分沸かしてあるから大丈夫、ということで。

クリックすると元のサイズで表示します

カフェラテが300円位。
現地の収入からすると高価なはず。

クリックすると元のサイズで表示します

夕食はホテルでバイキング。
客は日本人ばかり。

クリックすると元のサイズで表示します

やっぱり、カレー。

クリックすると元のサイズで表示します

明日は、タジ・マハールです。


映画『すれ違いのダイアリーズ』  映画関係

〔映画紹介〕

クリックすると元のサイズで表示します

これはこれは、今どき珍しい
ピュアな魂の恋物語
タイだからこそ、こんな映画が作られるのか。

レスリング選手だったということ以外、
取り柄のない青年ソーンが、
何でもやるからと見つけた仕事は、
山奥の湖に浮かぶ水上小学校の先生だった。
なにしろ、そこは電気もなく、水道もなく、
携帯電話の電波も届かない、究極の過疎地。

クリックすると元のサイズで表示します

教師の経験がないため失敗続きのソーンは
生徒の子供たちとも打ちとけられず、孤独だった。

ある日、黒板の上に、
誰かの日記を見つける。
ノートに綴られた手書きのそれは、
ソーンと入れ代わりに学校を去った
前任の女性教師エーンの日記だった。

クリックすると元のサイズで表示します

エーンは手首にしたタトゥーを咎められて校長と対立、
この分校の水上小学校に追いやられたのだ。
ソーンは日記を読んで
そこに書かれた悩みに共感したり、
教え方を学んだりしているうちに、
会ったことのないエーンに恋をしてしまう・・

クリックすると元のサイズで表示します

その1年後、
恋人に裏切られて傷心のエーンは、
ソーンの去った水上小学校への赴任を希望し、
残していった日記をみつける。
そこには、ソーンの手によって日記が続けられていた・・・

クリックすると元のサイズで表示します

スマホとSNSの時代に
手書きの日記を通じて交流するという
実にアナログな設定。
それがタイの奥地の湖の小学校、
という設定で成り立ってしまう。

クリックすると元のサイズで表示します

昔、雑誌には「文通求む」という欄があった。
そこで縁組がなされると、
離れた場所での文通が始まる。
送った手紙が何日で届くか指折り数え、
返信の手紙が今日来るか、
明日来るか、と胸をときめかせる、
そういう経験をした人には切ない物語だろう。

なにしろ長距離電話も高価で、
10円(!)の切手を貼った封書が
安価な連絡の唯一の手段だった時代である。

それが今は携帯電話の時代。
その前にはポケベルの時もあった。
通信はLineだのツイッターだので瞬時に出来てしまう。
スカイプでは顔を見ながら話せる。
全てがリアルタイムの時代だが、
その昔、連絡に時間がかかったからこそ、
想いがつのることもあったのだ。

その古き良き時代を再現したような設定がまずうまい。
そして、日記を読む間に
互いの間に共感と恋心が芽生える。
まだ会ったこともない相手に対する
募る想い・・・

「ある日どこかで」や「イルマーレ」のようなファンタジーではなく、
今のタイで現実に起こっている話。

ここには、物質文明に犯される前の
素朴でピュアな心情が描かれている。

ロウソクを灯した紙の気球が飛ぶシーン、
幻影の中で、水中でエーンとソーンが泳ぐシーンなど
美しい場面も多い。
こどもたちも素朴で、いい。

クリックすると元のサイズで表示します

実在する水上学校の話と
日記を読んで恋をした男性の話
との二つの実話が元だという。
タイでは大ヒットした。

こういう映画は登場人物の役者次第だが、
ソーンを演ずるスクリット・ウィセートケーオ

クリックすると元のサイズで表示します

エーンのチャーマーン・ブンヤサック

クリックすると元のサイズで表示します

共に超魅力的で、好感が持てる。
監督はニティワット・タラトーン
あざやかな料理っぷり。

タイから吹いて来たさわやかなそよ風のような映画だった。

5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/RCm9xByErZ8

↓はタイ版のチラシ。

クリックすると元のサイズで表示します


タグ: 映画

小説『深い河』  書籍関係

昨日のインド旅行記ベナレス編に関連して、
↓の小説を取り上げます。

〔書籍紹介〕

クリックすると元のサイズで表示します

遠藤周作最後の長編小説。                            
インド巡りのツアーに参加した人々の、
それぞれが描かれる、オムニバス風の小説。

磯辺はがんで失った妻に対する追憶が日増しに心に浮かぶ。
死の直前に妻が言い残した
「わたくし……必ず……生れかわるから、
この世界の何処かに。
探して……わたくしを見つけて……約束よ、約束よ」
という言葉に執着し、
外国の調査で知った、
ベナレス郊外の村に住む
日本人であったという前世の記憶を持つ少女が、
妻の生まれ変わりではないかと思い、
訪れるつもりでツアーに参加する。

童話作家の沼田は、少年時代の記憶に基づいて
動物や鳥に強い愛着を持っている。
肺の病気で、入院を余儀なくされた沼田は、
一か八かの手術の時に、
まるで自分の身代わりのように死んだ九官鳥のことが忘れられない。

木口はビルマ戦線で、死線をさまよった経験を持つ。
瀕死の木口に、戦友の塚田は肉を勧める。
木口は吐き出すが、
実はその肉は死んだ日本兵のものだった。
その肉を食すことによって生き延びた塚田は、
その悪夢と自責の念から逃れられず、
アルコールに溺れ、体を壊して死んでいった。
木口は、慰霊の旅をしようとインドに来る。

美津子は学生の頃、大津という純朴なクリチャン青年を誘惑し、
信仰を捨てるように迫ったことがあった。
傷ついた大津はフランスの神学校に入り、
美津子は愛のない結婚の新婚旅行先で修道院にいる大津を訪ねていくが、
無神論者である美津子と、大津の話は噛み合わない。
大津自身、その信仰の姿勢を問われ、
なかなか神父になれずにいた。
大津がベナレスの修道院にいると聞き知って
美津子はツアーに申し込む。

主にこの4人のドラマが展開する。
他に、現代的な考えから
何事も軽薄で批判的な目で見る新婚旅行の三條夫妻、
インドで4年間の留学経験を持ち、
日本人観光客の反応に苛立つガイドの江波などが登場する。

最もインド的なベナレスを舞台に、
ガンジス河のほとりでそれぞれの感じたものは何か。

磯辺は妻の生まれ変わりかもしれない少女を
郊外の村で探し回るが、
結局は会えず、その存在すら怪しいとわかり、
懐疑的になって空しさを抱え込む。

沼田は買い求めた九官鳥を、
かつての身代わりのお礼に、空に放してやる。

木口は急病に倒れるが一命を取り止め、
河に向かって慰霊の経を読む。

美津子は探していた大津と再会し、
その無償の行為の底にあるものを感じ取る。

大津は美津子に裏切られたことから
宗教に救いを求めてフランスに渡ったが、
「さまざまな宗教があるが、
それらは皆同一の地点に集まり、
通じる様々な道である。
同じ目的地に到達する限り、
我々がそれぞれ異なった道をたどろうとかまわないではないか」
という日本的な考え方は、
キリスト教の考え方と根底で相容れないものがあり、
神学校や修道院から追放同然の扱いを受ける。
彼はインドに来て、
ベナレスで奉仕活動を続け、
放置された死体や、
行き倒れになった瀕死の不可触賤民や、
娼館で息絶えた娼婦を背負って、
彼らが望むガンジス河に連れて行くという行為を止めない。

折しもインディラ・ガンジーが暗殺されるという大事件が起こり、
治安は悪化していく。
騒然とする町で、
火葬場で撮影した愚かな日本人の若者を庇って、
大津は怪我を負う。
帰国しようとする直前、美津子は大津の死を知らされる。

物語の中核は
大津の信仰を巡る美津子の立ち位置で、
キリスト教信仰を理解できない美津子は
大津に沢山の疑問の言葉を投げかける。

大津は、神という言葉を美津子が嫌がると
「その言葉が嫌なら、他の名に変えてもいいんです。
トマトでもいい、玉ねぎでもいい」
と言い換える。
神の概念を広くとらえ
「善のなかにも悪がひそみ、
悪のなかにも良いことが潜在している」
と思う大津の信仰は
西洋人たちの信仰と少しずれているため、
周りから煙たがられてもいる。
「修道会からは、ぼくには異端的な傾向があると言われますが、
まだ追い出されません。
でもぼくは自分に嘘をつくことができないし、
やがて日本に戻ったら……
日本人の心にあう基督教を考えたいんです」

インドの神々の一人、死を司る神、チャームンダーの像↓が出て来る。

クリックすると元のサイズで表示します

その像について、
登場人物の口を借りて、このように言う。

「彼女は、印度人の苦しみのすべてを表しているんです。
 長い間、印度人が味わわねばならなかった
 病苦や死や飢えがこの像に出ています。
 長い間、彼等が苦しんできたすべての病気にこの女神はかかっています。
 コブラや蠍の毒にも耐えています。
 それなのに彼女は、、、
 喘ぎながら、萎びた乳房で乳を人間に与えている。
 これが印度です」

終生「日本人とキリスト教」をテーマにし続けた遠藤周作らしい内容だが、
いささか設定が古い気がする。

たびたび引用されるイザヤ書の言葉、

彼はみにくく威厳もない。みじめでみすぼらしい。
人々は彼をさげすみ、見捨てた 
忌み嫌われる者のように、彼は手で顔を覆って人に侮られる 
まこと彼は我々の病を負い 
我々の悲しみを担った。 

も、イエスの姿を大津の姿に重ね合わせて、ややしつこい。

病気の患者と苦しみを分かち合おうとする、
ボランティアのガストンは、
「おバカさん」の登場人物だし、
「私が・捨てた・女」の森田ミツが大津の姿と重なるが、
ああ、また同じ手か、と思わせてしまう。

ただ、キリスト教的なものと対極にある
多神教のヒンドゥー教を見た時、
同一だ、と感じた遠藤周作の感性は確かに鋭い、と思う。
この感覚は、西洋人には、永遠に分からない。

                                           1995年に熊井啓により映画化。                           

クリックすると元のサイズで表示します

配役は次のとおり。

美津子:秋吉久美子
大津:奥田瑛二
磯辺:井川比佐志
木口:沼田曜一
塚田:三船敏郎
(遺作)

クリックすると元のサイズで表示します

秋吉久美子は適役だったが、
大津が奥田瑛二では、かっこよすぎる。
チラシにあるように、
ラストに秋吉久美子がガンジス河で沐浴するシーンが出て来る。


インド旅行記Bベナレス・その2  旅行関係

インド3日目は、
沐浴を見るために、午前4時半に集合。
壁にはヤモリがはりついています。

クリックすると元のサイズで表示します

寝坊のガイドは1時間遅れで起床。
このホテルから川への通路を通り、

クリックすると元のサイズで表示します

ガンジス川へ。

クリックすると元のサイズで表示します

もう沐浴の人たちは、川の中にいます。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

でも、まだ寝ている人たちがいます。

クリックすると元のサイズで表示します

ここにも、

クリックすると元のサイズで表示します

あそこにも。

クリックすると元のサイズで表示します

これは犬。

クリックすると元のサイズで表示します

昨晩プージャーが行われた場所。

クリックすると元のサイズで表示します

無数の舟が待っています。

クリックすると元のサイズで表示します

この舟に乗って川の中へ。

クリックすると元のサイズで表示します

漕ぎ手は、年齢不詳の、このおじさん。

クリックすると元のサイズで表示します

ガンジス川は、ヒマラヤ山脈の南側、
インド亜大陸の北部を流れる大河。
全長は約2525km、流域面積は約173万km。
ちなみに、世界最長の川はナイル川で6650q、
日本で最も長い川は、信濃川で367q。

クリックすると元のサイズで表示します

ベナレスの位置は、↓。

クリックすると元のサイズで表示します

ヒンディー語やサンスクリットではガンガーと呼び、
これはヒンドゥー教の川の女神の名でもあります。

↓は女神ガンガー

クリックすると元のサイズで表示します

つまり、ヒンドゥー教においては、
ガンジス川は神格化されているのです。
川沿いには数多くのヒンドゥー教の聖地があり、
ガンジス川そのものも聖なる川とみなされます。

この地域はブッダが生まれ、
悟りを開いて仏教を創始した地域であり、
生誕の地ルンビニや悟りを開いたブッダガヤなど、
仏教の四大聖地および八大聖地は
全てガンジス川流域に存在します。
しかし、仏教が東アジアや東南アジアに伝播する一方で、
ガンジス流域における仏教信仰は衰退し、
聖地のあるインドではほとんど信者のいない状態となっています。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

聖なる川・ガンジス川で沐浴するために巡礼してくる信者が集まり、
ガンジス川西岸の約6.4qの間には、
ガートと呼ばれる傾斜した階段状の沐浴場が84カ所設けられ、
多くの信者が沐浴を行います。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

沐浴とはヒンドゥー教の身を清める儀式で、
まず川に入り、太陽に向かって聖水を手に汲み、
祈りの言葉をつぶやきながら太陽に捧げ、
その後、自分の頭や体に水をかけて清めます。
沐浴は朝日に向かって行うのが最も良いとされており、
そのためヒンドゥー教の巡礼者たちは早朝、
ガートからガンジスの水の中に浸り、
朝日に祈りを捧げます。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

信者以外の観光客が沐浴を行うことは避けるべきだといわれています。
というのも、
ガンジス川には近隣の下水が流れ込んでいるため、
地元の人間と違って免疫のない人が
ガンジス川の水に浸かったり飲用したりすれば
多種多様な感染症に罹病する危険が大きいためです。
免疫のない日本人は、まず無理でしょう。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

ヒンドゥー教徒にとってガンジス川で沐浴をすることは最大の夢で、
夜も明けきらぬ内から、どこからともなく人々が集まり、
日の出と共に沐浴をします。
ガンジス川で沐浴すると全ての罪が洗い流されるといわれています。
インド各地から、年間100万人を超える巡礼者や参拝客が訪れます。

クリックすると元のサイズで表示します

これではプールみたいです。

クリックすると元のサイズで表示します

この方は作法通りに沐浴をしているようです。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

ガート沿いには寺院や巡礼者・参拝客用のゲストハウス、民家など、
沢山の建物が崖のようにそびえ立ち、壮観です。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

私たちの泊まったゲストハウスが見えて来ました。

クリックすると元のサイズで表示します

この部屋が私たちの部屋。

クリックすると元のサイズで表示します

「久美子の家」というのは、
インド人と結婚した久美子さんという人が開いたゲストハウス。

クリックすると元のサイズで表示します

かなり有名で、インド旅行記にしばしば登場します。

クリックすると元のサイズで表示します

洗濯も川でします。

クリックすると元のサイズで表示します

洗っているのは、ホテルのシーツ。

クリックすると元のサイズで表示します

干しているシーツ。
あの汚れた川で洗って、白くなるのが不思議です。

クリックすると元のサイズで表示します

これこのように、下水も川に流れ込んでいるのに。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

洗濯物を干した光景。

クリックすると元のサイズで表示します

川の向こう側は砂州です。

クリックすると元のサイズで表示します

この方は一人で貸し切り。

クリックすると元のサイズで表示します

日本人の団体の舟。

クリックすると元のサイズで表示します

川の上はラッシュ状態。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

川の流れはほとんどありません。

クリックすると元のサイズで表示します

朝日が雲の間から姿を現します。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

このあたりは独特の建物。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

ヨガをやっています。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

マニカルニカ(宝石の耳飾りの意)・ガートが見えて来ました。

クリックすると元のサイズで表示します

二つある火葬場の一つです。
死者をガンジス川の川岸で火葬に付し、
灰を川に流すことは
死者に対する最大の敬意とされています。
そういう神聖な場所なので、
火葬場の写真撮影は厳格に禁止されています。

そこで、以下は、ネットから拝借した写真と写真集から掲載。

クリックすると元のサイズで表示します

ベナレスのガンジス川近くで死んだ者は、
輪廻から解脱できると考えられているため、
インド各地から
多い日は100体近い遺体が
金銀のあでやかな布にくるまれ運び込まれます。

クリックすると元のサイズで表示します

また、インド中からこの地に集まり
ひたすら死を待つ人々もいます。
彼らはムクティ・バワン(解脱の館)という施設で死を待ちます。
ここでは24時間絶えることなく
ヒンドゥー教の神の名が唱えられています。
亡くなる人が最後のときに
神の名が聞こえるようにとの配慮です。
ここで家族に見守られながら最後の時を過ごすのです。

クリックすると元のサイズで表示します

バラナシは「大いなる火葬場」という別名でも知られており、
マニカルニカ・ガートでは二十四時間火葬の煙が途絶えることがありません。
ここに運ばれてきた死者は、
まずシヴァ神を祀るターラケーシュワル寺院のリンガのそばに安置されます。
死者の耳にシヴァ神のターラカ・マントラ(救済の真言)を囁くことで、
生前いかなる罪を犯した者でも解脱出来ると言われています。
全てのヒンドゥー教徒にとって、
この地で荼毘にふされることこそが、最高の栄誉と憧れなのです。

クリックすると元のサイズで表示します

遺体が担架に乗せられ、マニカルニカ・ガートに運び込まれます。

クリックすると元のサイズで表示します

ガンジス川に遺体が浸され、聖水を遺体の口に注ぎます。

クリックすると元のサイズで表示します

布に包まれた遺体がガートの階段に乗せられます。

クリックすると元のサイズで表示します

そして、遺体が火葬の薪の上に乗せられると、
喪主が火を付けます。

クリックすると元のサイズで表示します

荼毘に付された後の遺骨は火葬場の仕事をするカーストの人たちによって
ガンジス川に流されます。
子供と出家遊行者は荼毘に付されず、
石の重しをつけて川の深みに沈められます。
子供はまだ十分に人生を経験していないから、
出家遊行者はすでに人生を超越しているからだという理由からです。

クリックすると元のサイズで表示します

火葬場はドームという一族が取り仕切っており、
交代勤務で約650人が働いています。
火葬場を見下ろす一角には、
ドームの長の座る場所があり、
ここには聖なる火と呼ばれる種火が焚かれ、
人々はこの火より火葬にする火種をもらいます。

クリックすると元のサイズで表示します

火葬場に積まれた薪。

クリックすると元のサイズで表示します

マニカルニカー・ガートの北側で下船。

クリックすると元のサイズで表示します

薪を見ながら、

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

迷路のような道を行きます。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

犬はひたすら寝ています。

クリックすると元のサイズで表示します

ゴミは誰が片づけるのか。

クリックすると元のサイズで表示します

「黄金寺院」も行きましたが、撮影禁止。
どころか、入り口近くの店で
持ち物全てを預けさせられました。

そこで、拝借した写真↓。

クリックすると元のサイズで表示します

17世紀に建立された寺院で、
寺院内にはヒンドゥー教徒しか入ることは出来ません。

クリックすると元のサイズで表示します

これは、インド式歯磨きの木。

クリックすると元のサイズで表示します

落とし物。

クリックすると元のサイズで表示します

やっと元のガートに戻りました。

クリックすると元のサイズで表示します

野外でやっている床屋さん。

クリックすると元のサイズで表示します

いよいよこの景色ともお別れです。

クリックすると元のサイズで表示します

大いなるカルチャー・ショックの町、
ベナレスよ、さようなら。

クリックすると元のサイズで表示します

そして、旅は、次の訪問地、アグラへ。

クリックすると元のサイズで表示します



小説『復活の日』  書籍関係

〔書籍紹介〕

クリックすると元のサイズで表示します
                                
小松左京による世界滅亡モノ。
以前に読んでいるが、
わけあって、再読。
巻末インタビューで、
この作品が著者の新人時代の作品だと知って、驚倒した。
「日本沈没」(1973)がブームを呼び、映画化。
「復活の日」の映画化が1980年なので、
「日本沈没」より後の作品だと思い込んでいたのだ。

昭和35年(1960年)に
「SFマガジン」(早川書房)が新人賞の募集を開始し、
小松氏が応募した「地には平和を」が努力賞に入選。
編集長の福島正実から「次、書け」と言われ、
早川書房からの出版を約束。
ところが、わけあって、
光文社から「日本アパッチ族」(1964)を出版。
福島編集長の怒りをかわすために、
「いや、もう一本書いていますから」と渡したのが
「復活の日」だったのだ。
長編2作目で、
この超弩級の作品をものにするのだから、
才能ある人は違う。

(以下、あらすじは、本書を読む予定の人は避けて下さい)

生物兵器に使う猛毒の新型ウイルスMM−88
スパイによって持ち出され、
スパイの乗った航空機は吹雪のため岩山に激突し墜落した。
雪山の中で不活性化だったウィルスは
春が訪れ気温が上昇すると増殖を始め、
全世界に広がる。
インフルエンザの症状として世界に蔓延するが、
実は隠れたMM−88が増殖していたのだ。
わずか数カ月で人類を含む脊椎動物の殆どが絶滅し、
僅かに生き残ったのは
ウィルスの力が及ばない極寒の南極大陸に滞在していた
各国の観測隊員約1万人だけだった。
アメリカ合衆国の最後の大統領リチャードソンは
「その聖域を離れてはいけない、
外部の人間を入れてはならない、
一致協力して生き延びる努力をして欲しい」
と各国の南極基地に伝えて息絶えた。

再建の道を模索して「南極連邦委員会」を結成した南極の人々だったが、
日本隊の地質学者・吉住が
ワシントンへの巨大地震の襲来を予測する。
それは新たなる脅威をもたらした。
地震による被害を敵国(ソ連)の核攻撃と誤認した
「ARS(自動報復装置)」によって
ソ連本土に核ミサイルが撃ち込まれ、
これを受けてソ連のARSも作動し、
その標的が南極にも向いている可能性大というのだ。

ホワイトハウスに詳しいカーター少佐と
助手を志願した吉住は
ホワイトハウスに入ってARSのスイッチをオフにするべく、
潜水艦で、生きた者が誰もいないワシントンに上陸するが、
スイッチオフに失敗して
核ミサイルの自動発射によるシステム同士の攻撃で
世界は2度目の死を迎えた。
しかし、核弾頭が中性子爆弾だったために、
ウィルスに変化が起こって無害なものとなる。

本来人類を死と疫病からすくうために生まれてきた医学が
35億の人類を絶滅させ

そのあと、
人類を絶滅さす目的でつくりあげられた核ミサイルが、
皮肉にも人類を救った
という皮肉。

また、南極は標的に含まれていなかった。

数年後、南極からチリ南端に移住して来た人々は、
ボロボロの服でワシントンから歩いて来た吉住に再会する・・・

とにかく、小松氏の各方面への知識の豊富さに脱帽する。
52年、つまり半世紀も前に書かれた作品
それだけに古い描写もあるが、
今描けば、SNSで世界がつながっているだけに、
パニックの拡散は、
もっと豊富な描写が出来たことだろう。






AutoPage最新お知らせ