ウズベキスタン旅行記Hヒワ・その2  旅行関係

ここはヒワの町の北門から南門への道と、
西門から東門への道が交差する十字路

クリックすると元のサイズで表示します

お土産物屋が並びます。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

ガイドのお二人。

クリックすると元のサイズで表示します

絨毯の工房にも寄りました。

クリックすると元のサイズで表示します

絨毯作りに励む織子さんたち。

クリックすると元のサイズで表示します

スマホが脇に置いてあるのが今風。

クリックすると元のサイズで表示します

こちらでは刺繍をしています。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

このヒワ最古のミナレットのあるのは、

クリックすると元のサイズで表示します

ジュマ・モスク

クリックすると元のサイズで表示します

他のモスクと違っているのは、
この柱。

クリックすると元のサイズで表示します

約3m間隔で213本の柱があります。

クリックすると元のサイズで表示します

10世紀に建てられたものですが、

クリックすると元のサイズで表示します

修復工事が重なり、今の形になったのは、18世紀末頃。

クリックすると元のサイズで表示します

高さは5m。

クリックすると元のサイズで表示します

柱の彫刻は1本1本違います。

クリックすると元のサイズで表示します

4本が10〜11世紀のもの。

クリックすると元のサイズで表示します

ところで説明が遅れましたが、
ウズベキスタンでは、
歴史的建造物に入る時、撮影料を取られます。
5000スム(200円)くらいですが、
ガイドさんが一括徴収。
しかし、シールをくれるわけでも、証明証が出るわけでもありません。
ここ、ヒワでは、初めて↓証明書が出ました。

クリックすると元のサイズで表示します

そして、ここジュマ・モスクで、
初めて提示を求められました。

さて、ここでは

クリックすると元のサイズで表示します

民族舞踊のショーが。(有料)

クリックすると元のサイズで表示します

アラクリ・ハン神学校の中庭です。

クリックすると元のサイズで表示します

現れたは、このようなチーム。

クリックすると元のサイズで表示します

年季の入った声で民謡を歌います。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

子供たちは踊ります。

クリックすると元のサイズで表示します

最後は観客と一緒に。

クリックすると元のサイズで表示します

ここは、イスラーム・ホジャ神学校

クリックすると元のサイズで表示します

1910年に建てられた、
ヒワで最も新しい神学校。

中庭を42の部屋が囲みます。

クリックすると元のサイズで表示します

部屋は展示場に。

クリックすると元のサイズで表示します

イスラーム・ホジャはヒワの最後の王の大臣。

クリックすると元のサイズで表示します

非常に進歩的な大臣で、

クリックすると元のサイズで表示します

ロシアをたびたび訪れ、

クリックすると元のサイズで表示します

得た知識を自国の発展に役立てようとして

クリックすると元のサイズで表示します

ヨーロッパ形式の学校を開いたり、

クリックすると元のサイズで表示します

病院、郵便局なども開き、
橋や道を造って近代化しましたが、

クリックすると元のサイズで表示します

人気が出たため、
ハンと聖職者たちの陰謀で

クリックすると元のサイズで表示します

生き埋めにされてしまいました。

クリックすると元のサイズで表示します

付随したイスラーム・ホジュ・ミナレット
ヒワで一番高く45m

クリックすると元のサイズで表示します

下から見上げたところ。

クリックすると元のサイズで表示します

この階段を上がると、

クリックすると元のサイズで表示します

中に入れます。(有料)

クリックすると元のサイズで表示します

階段の数は118段。

クリックすると元のサイズで表示します

明かり取りの窓のないところは懐中電灯が必要です。

クリックすると元のサイズで表示します

ようやく上に。

クリックすると元のサイズで表示します

上からのヒワの町。

クリックすると元のサイズで表示します

泥色の町です。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

そのところどころに青いタイルが。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

こうして、ヒワの町ともお別れです。

クリックすると元のサイズで表示します

バスはウルゲンチの町に向かい。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

ウルゲンチ空港からタシケントへ。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

夕日がお見送りです。

クリックすると元のサイズで表示します

中途ブハラを経由して、
タシケントまでは2時間。

クリックすると元のサイズで表示します

夜中の0時を回っています。

クリックすると元のサイズで表示します

タシケントのホテルは、
JTBの分類でウズヘキスタン唯一のLクラス

クリックすると元のサイズで表示します

部屋はこんなに立派です。

クリックすると元のサイズで表示します

一人部屋差額料金2万円を
このホテル一つで消化したのではないかと思うほど。

クリックすると元のサイズで表示します

今度の旅行で初めてポットを見ました。

クリックすると元のサイズで表示します

続きは、また今度。



『七つの会議』  書籍関係

〔書籍紹介〕

クリックすると元のサイズで表示します
                              
中堅メーカーの東京建電の営業一課で異変が起る。
ダメ社員の烙印を押されていた八角民夫
上司の課長・坂戸
社内のパワハラ委員会に提訴したのだ。
華々しい実績を上げている坂戸のことだから
上の判断でお咎めなし、になるという周辺の予測に反して、
坂戸は課長を解任されてしまった。
上司の北川部長も、更に上部の取締役会もそれを承認したという。

代わって第一課長に就任した原島
パワハラ提訴の真相を八角に問いただす。
話を聞いて、原島は打ちひしがれる。

一方、3年前に坂戸によって調達の解約を受けた
ネジ製造会社「ねじ六」の社長は、
突然訪ねて来た原島から
3年前に契約を切られたネジ製造の再注文を受けて面食らう。

経理部の課長の加茂田は、
営業第1課の資材調達コストが高くなったことに注目していた。
調べてみると、
かつて坂戸が取り引きを打ち切った会社ばかりが
再度調達先として選ばれ、
その結果、調達価格が上がっているのだ。
しかし、役員会で報告すると、
社長が「原島に任せたのだから、それでいい」と却下する。

業績不振でクレーム処理係に回された佐野は、
会社が製造したパイプ椅子のネジが壊れた、
というクレームを受ける。
調べた結果、そのネジが坂戸課長の時代に
ねじ六からトーメイテックという会社に
発注替えされた時の製品だということに気づく。
トーメイテックが安い見積りでねじ六から仕事を奪い、
その結果、粗悪品を提供したのだ。
それというのも上層部からのコスト削減の命令があったからだった。
その報告を上司に握りつぶされた佐野は
積年の恨みもあって、
内部告発に踏み切るが、
それが想像異常に巨大な波紋に変わっていく・・・

というわけで、
東京建電がコスト削減のためにした不正の実態が明らかになる。
ネジの強度が不足し、
そのネジはパイプ椅子だけでなく、
航空機や鉄道の座席にも使われている。
もしリコールにでもなれば、
莫大な費用になることを知った社長の決断は・・・

会社の中で起る典型的な事件を通して、
組織の中の人間模様、
サラリーマンの悲哀

等が描かれるのは、
いつもの池井戸作品のとおり。

話の展開は謎を含み、
初めは社内人事の謎、
次に社内不祥事の解明、
それに対する上層部の対処、
さらに親会社の対応へと
スリルは拡大する。
更にそれは親会社との関係など、
企業の体質の問題にまで広がっていく。

企業体質を打破することが出来るかどうか。
その中で、取締役、管理職、社員の
真実が試される。

とにかく読んでいて面白い

出世争いに敗れ、
本社から出向してきた副社長の村西の父親の言葉が胸を打つ。

「仕事っちゅうのは、金儲けじゃない。
人の助けになることじゃ。
人が喜ぶ顔見るのは楽しいもんじゃけ。
そうすりゃあ、金は後からついてくる。
客を大事にせん商売は滅びる」

2013年7月、NHKの土曜ドラマで4回にわたり放送された。



ウズベキスタン旅行記Gヒワ・その1  旅行関係

砂漠での故障に備えて付いて来た空のバスは、
本日、15時間かけて
サマルカンドに戻るそうです。
ご苦労様。

朝食後、添乗員さんが
東門の外にある市場に連れて行ってくれました。

クリックすると元のサイズで表示します

屋根付きのバザールはサマルカンドのものと同じ。

クリックすると元のサイズで表示します

売っている商品は多彩です。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

野菜

クリックすると元のサイズで表示します

果物

クリックすると元のサイズで表示します

豆類

クリックすると元のサイズで表示します

漬け物

クリックすると元のサイズで表示します

お菓子

クリックすると元のサイズで表示します

パン

クリックすると元のサイズで表示します



クリックすると元のサイズで表示します

これは、ひまわり油。

クリックすると元のサイズで表示します

肉屋さんもあります。

クリックすると元のサイズで表示します

これは、日本の肉屋さんにはない光景。

クリックすると元のサイズで表示します

うわ〜。

クリックすると元のサイズで表示します

やっぱり魚だけは売っていません。

クリックすると元のサイズで表示します

おいしそうですね。

クリックすると元のサイズで表示します

ブハラの「タキ」に似た建物。

クリックすると元のサイズで表示します

中はやはり商店街。

クリックすると元のサイズで表示します

途中見た民家。

クリックすると元のサイズで表示します

このあたりは、やはり貧しそうです。

クリックすると元のサイズで表示します

ヒワは、2つの町に分かれます。
城壁の外側は、
ディチャン・カラと呼ばれる地区であり、
かつては11の門が街を守っていました。

世界遺産イチャン・カラの意味は
ずばり「内部の城」。
内側にある城の中のことで、

クリックすると元のサイズで表示します

高さ8〜10m、厚さ6m、
長さ2200mの城壁に守られています。

クリックすると元のサイズで表示します

城壁にあるお墓。

クリックすると元のサイズで表示します

はじめは小さなオアシス都市でしたが、

クリックすると元のサイズで表示します

アムダリヤ川の水系が変わったため、
ここに都が移され、
17世紀にはこの地帯の
政治、経済、宗教の中心地となりました。

クリックすると元のサイズで表示します

イチャン・カラ地区は、
18世紀から19世紀にかけて建設された
50以上の歴史的建造物と
250以上の古い民家が存在します。

クリックすると元のサイズで表示します

観光は、この西門から入ります。

クリックすると元のサイズで表示します

脇には、ヒワで生まれた科学者
ムハンマド・アル・ホレズミ(783〜850)の像があります。

クリックすると元のサイズで表示します

シルクロードの地図も。

クリックすると元のサイズで表示します

西門を入ったところ。

クリックすると元のサイズで表示します

まず迎えるのが、カルタ・ミナル

クリックすると元のサイズで表示します

1852年に着工したものの、中断。

基礎部分の直径は14.2mあり、
完成すれば70〜80mになる見込みでしたが、
26mで中断されたままになりました。
中断の理由は、様々な伝説が残っています。
カルタとは、「短い」という意味。
表面が青色のガラス張りタイルで覆われています。

その脇にあるのが
ムハンマド・アミン・ハン神学校で、

クリックすると元のサイズで表示します

1852年に完成。
中央アジアで最も大きな規模の神学校で、
最盛期には99人の寄宿学生がいたといいます。

今は、ホテルになっています。

クリックすると元のサイズで表示します

内庭。
2階建ての建物には125の宿坊があり、
260人の学生の受け入れが可能。

クリックすると元のサイズで表示します

今はホテルの宿泊施設に。

クリックすると元のサイズで表示します

階段を登ったところも

クリックすると元のサイズで表示します

ホテルの部屋。

クリックすると元のサイズで表示します

その向かいはキヨフナ・アルク

クリックすると元のサイズで表示します

「古い宮殿」という意味。

クリックすると元のサイズで表示します

ハンの宮殿です。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

この階段を登ると、

クリックすると元のサイズで表示します

見晴らし台があり、

クリックすると元のサイズで表示します

ヒワの町が見渡せます。

クリックすると元のサイズで表示します

城壁に囲まれた町だということが、
改めて分かります。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

あとで、このミナレットに登る予定。

クリックすると元のサイズで表示します

こちらが新しい宮殿、タシュ・ハウリ宮殿

クリックすると元のサイズで表示します

そのハーレム。

クリックすると元のサイズで表示します

ハンの執務室。

クリックすると元のサイズで表示します

その天井。

クリックすると元のサイズで表示します

奥にあった展示室。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

当時の様子を伝えます。

クリックすると元のサイズで表示します

ハンの寝台。

クリックすると元のサイズで表示します

公務を行う部分の中庭。

クリックすると元のサイズで表示します

真ん中にある台のようなものは、
↓のようなユルタを建てるためのもの。

クリックすると元のサイズで表示します

ハンは、このユルタにいるのを好んだといいます。

↓はパフラヴァン・マフムド廟

クリックすると元のサイズで表示します

ヒワの庇護者として尊敬されていた
パフラヴァン・マフムド(1247〜1326)が眠っています。

クリックすると元のサイズで表示します

彼は毛皮職人であり、
同時に詩人であり、哲学者でもありました。

クリックすると元のサイズで表示します

堂内は、一面鮮やかな青いタイルで覆われています。

クリックすると元のサイズで表示します

食事をしているのではありません。
祈りの宗教行事です。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

町中の小さな博物館を覗くと、

クリックすると元のサイズで表示します

昔を伝える展示物が。

クリックすると元のサイズで表示します

こんなだったんですね。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

続きは、また今度。



オバマ大統領、広島訪問  様々な話題

オバマ米国大統領
現職大統領として初めて広島を訪問
献花と演説をした。

クリックすると元のサイズで表示します

オバマ大統領の演説は割と短いことが多いが、
広島での演説は17分にわたる長いものだった。

その演説要旨は次のとおり。

○71年前、雲一つない晴れた朝、
 空から死が降ってきて、世界が一変した。
 せん光と火の壁が街を破壊した。
 そして、人類が自分たち自身を破壊する手段を持ったことを明示した。
○私たちはなぜこの場所、広島に来るのだろうか。
 10万人を超える日本人の男女、子供、
 数千人の朝鮮人、捕らわれた十数人の米国人の
 死者を悼むためだ。
○広島と長崎に残酷な結末をもたらした世界大戦は
 最も富裕で、強大な諸国によって戦われた。
 こうした国の文明は世界の偉大な都市や
 素晴らしい芸術を生んだ。
 しかし、同じ場所から戦争が起きた。
○数年のうちに約6000万人が亡くなった。
 撃たれ、爆撃を受け、捕らえられ、飢えさせられ、ガスで殺された。
○空に上るきのこ雲の姿は
 人間性の中心にある矛盾を想起させる。
 われわれの考えや創意、言葉といった
 自然界から人類を区別する能力が
 われわれに不相応な破壊力も与える。
○私たちはこの街の中心に立ち、
 原爆投下の瞬間を想像せずにはいられない。
 あの戦争とその前の戦争、それに続く戦争の
 罪のない犠牲者全員を記憶している。
 私たちには歴史を直視し、
 こうした苦しみを止めるには何をすべきかを問う
 共通の責任がある。
○いつの日か被爆者の声は聞けなくなる。
 しかし、1945年8月6日の朝の記憶は決して消えない。
 あの運命の日以来、私たちは希望の選択をした。
 米国と日本は同盟を構築しただけでなく、友情を築き上げた。
○国際社会は戦争を回避し、
 核兵器を制限・削減して
 究極的には廃絶を目指す制度や条約をつくった。
 それでもなお、国家間の攻撃やテロ行為が世界中にあり、
 仕事は決して終わっていない。
○私自身の国のような核兵器を持つ国は、
 恐怖の論理から抜け出す勇気を持ち、
 そうした兵器のない世界を目指さなければならない。
 私の人生のうちにこの目標は実現できないかもしれない。
 しかし、粘り強い努力によって
 破滅の可能性を低くできる。
 (核兵器)備蓄の破棄につながる計画を立てることはできるし、
 他国への拡散や狂信者の手に渡るのも阻止できる。
○私たちは戦争そのものに関する考え方を変え、
 外交によって紛争を防止し、
 起きてしまった紛争を終結させる努力をしなければならない。
○(原爆で)亡くなった人たちは戦争を望んでいない。
 科学の奇跡は生活を奪うことではなく、
 その改善に用いることを望むだろう。
 国家や指導者が選択をするとき、
 この簡明な知恵を熟慮するなら、
 広島の教訓は生かされる。
○この場所で世界は永遠に変わった。
 しかしきょう、この街の子どもたちは
 平和のうちに一日を過ごすだろう。
 それは何と貴重なことだろうか。
 これが私たちが選べる未来だ。
 広島と長崎は核戦争の夜明けとしてではなく、
 私たち自身の道義的な目覚めの始まりとして知られる未来だ。

さすがアメリカ大統領らしい、
視点の高い高邁な理想に裏打ちされた演説だ。

クリックすると元のサイズで表示します

安倍晋三首相
これに対して所感を述べ、

○米国の大統領が被爆の実相に触れ、
 核兵器のない世界への決意を新たにする。
 核なき世界を信じてやまない世界中の人々に
 大きな希望を与えてくれた。
○全ての日本国民が待ち望んだ歴史的訪問を心から歓迎したい。
○日米両国の和解、そして信頼と友情の歴史に
 新たなページを刻む
 大統領の決断と勇気に対して、
 心から敬意を表したい。
○世界中のどこであろうと、
 再び悲惨な経験を決して繰り返させてはならない。
 核兵器のない世界を必ず実現する。
○日米が力を合わせて、
 世界の人々に希望を生み出すともしびとなる。

私は、米軍による原爆投下によって
一般市民(非戦闘員)に莫大な犠牲を出したことは、
東京大空襲を含めて、
国際法違反の行為だと思うが、
賢い日本国民は、
そんなことを言っても何にもならないことを知っている。
だから、戦後70年、
原爆投下や空襲が政治問題になることはなかった。

戦争に負けたことを率直に認め、
その後、瓦礫の中から
世界有数の経済大国を作り上げた。
それで十分である。

ただ、どんなことも政治問題化する一部の人々によって、
今回、大規模なデモ隊などが組織されることを恐れていたが、
そんなことはなかったようだ。
現職大統領として広島を訪問したオバマ大統領の勇気をたたえ、
「核なき世界」を標榜する大統領の主張に賛意を表明した。
本当に日本人は賢いと思う。

オバマ大統領に謝罪など要求しないし、
オバマ大統領も謝罪はしなかった。
原爆投下の正統性についての議論もあるが、
いずれにせよ戦争中のことだ。
戦争に勝つためなら
何でもする、というのが戦争というものだ。
誰が良く、誰が悪いではなく、
人類全体のこととして
受け止めるべきなのだ。


しかし、中国の王毅(ワンイー)外相は
一部メディアに対し、
「広島は注目を払うに値するが、
南京は更に忘れるべきではない」
と述べたという。
なんでも自分の政治的主張に利用しようとする
意地汚い根性丸出しだ。

更にひどいのは韓国で、
オバマ米大統領の広島訪問に先立ち、
韓国の被爆者らが27日、
広島市の平和記念公園の
韓国人原爆犠牲者慰霊碑を訪れて献花した。
オバマ大統領に謝罪と賠償などを求める手紙を読み上げ、
最後は日本語と韓国語で
「オバマ大統領は謝罪しろ! 賠償せよ!」
と拳を突き上げ、シュプレヒコールをあげたという。

訪日したのは韓国の被爆者5人と被爆2世の計6人。
慰霊碑前では6人と支援者らが手を合わせ、犠牲者に黙祷。
陜川支部長を務める沈鎮泰(シム・ジンテ)さんが手紙を読み上げ、
「オバマ大統領は韓国人原爆被害者の慰霊碑を訪れることを要求する」と主張した。
手紙では
「日本の侵略戦争と植民地支配への責任を回避しようとする
安倍政権の意図に利用されないことを望む」
などと持論を展開。
「韓国人原爆被害者への謝罪と賠償は当然な責務」
と言及した。

この背景にあるのは、
韓国のメディアの主張で、
ケリー米国務長官の広島訪問以降の1カ月半、
韓国メディアが繰り返してきた
オバマ大統領の広島訪問に対する主張の要旨は次のとおり。

○原爆投下を招いた原因は
 侵略戦争を起こした日本にある。
 日本は原爆の被害者である以前に加害者だ。
○安倍政権は、オバマ広島訪問を
 戦争責任の希薄化に利用しようとしている。
○「戦犯国」である日本に
 広島を前面に出すことで“被害者面”をさせてはいけない。
○安倍晋三首相は、米国の現職大統領の広島訪問を
 初めて実現させたという業績を残す。
 日本は日本外交の勝利と考えている。
○オバマ大統領は広島で日本の戦争責任を指摘し、
 悲劇の原因を作った加害者と、
 真の被害者(韓国や中国)を明らかにすべきだ。
○オバマ大統領は韓国人の原爆犠牲者を慰霊すべきだ。
○日本は過去の過ちを心から反省し謝罪していない。
 このため、戦後の完全な清算は難しいということを
 日米両首脳は理解しなければならない。
○日本から被害を受けた国(韓国など)が
 納得できる内容にしてこそ、
 広島訪問の成果が現れる。

この人たちには、
広島を訪問したオバマ大統領が
犠牲者を追悼し、
核兵器のない世界を作るための契機としたい、
という真摯な姿勢は目に入らない。
その理想に目を向けることなく、
ただ、自分の政治的主張をするためだけに利用しているのだ。

まして、「謝罪と賠償」を求めるなどは
「死ぬまで言ってろ」と言いたくもなる。

産経新聞の記者がインドネシアで
現地の慰安婦問題について取材した時、
英字紙「インドネシア・タイムズ」の
ジャマル・アリ会長は次のように語ったという。

「われわれには、
韓国とも中国とも違う
歴史とプライドがある。
『お金をくれ』などとは、
360年間、わが国を支配した
オランダにだって要求しない」


ウズベキスタン旅行記Fヒワへ  旅行関係

旅行第5日は、完全移動日
ブハラからヒワへ450qを約8時間かけて走破します。

クリックすると元のサイズで表示します

キジルクム砂漠を疾走。

クリックすると元のサイズで表示します

バス内部はこんな。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

砂漠と言っても、
鳥取砂丘のようなものではなく、
要するに荒地

クリックすると元のサイズで表示します

ラクダが食べるような草だけが生えています。

クリックすると元のサイズで表示します

シルクロードの時代、
こんな道をローマへ向けて隊商が進んだとは。

クリックすると元のサイズで表示します

ところどころに見える盛り土のようなものは、
人工的な運河を掘った跡。

クリックすると元のサイズで表示します

黄色いガス管がどこまでも続きます。

クリックすると元のサイズで表示します

馬車が行きます。

クリックすると元のサイズで表示します

迷い牛?

クリックすると元のサイズで表示します

これはドイツに委託した道路整備。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

やがて快適な道路になることでしょう。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

今回のツアー(Bコース)の参加者は28名
ご夫婦が5組、父娘が1組、
女友達同士が2組、姉妹とその義妹と職場の友人の4人組が1組、
一人参加が男4、女4、うち男女1組は以前からの知り合い同士。

居住地は、東京都7、千葉県6、埼玉県3、神奈川県2、
静岡県3、長野県2、福井県2、三重県2、大分県1

ウズベキスタンに来ようなどという人が
初海外のはずはなく、
旅行経験豊かな人ばかり。
中にはモンゴル、ブルネイやコスタリカなど、
私の視野に入っていない土地に行った方もいました。
中で77カ国に行ったという人が、
行ったことがある国を塗りつぶしてくれる
世界地図作成サービスのサイトがあると教えてくれたので、
帰国後、そのサイトを探し、
ずらりと並んだ国名の中から
私の行った国をチェックすると、
↓のような地図を作ってくれました。

クリックすると元のサイズで表示します

色のついたのが、
私の行った国
色の違いは、
国境を明らかにするためのもので、意味はありません。
そのサイトでの計算では、
私は67カ国に行っているようです。

さて、砂漠の中でのトイレタイム。
女性を野外でさせるわけにはいかないので、
男性トイレは女性陣に譲り、

クリックすると元のサイズで表示します

男性陣は青空トイレ

クリックすると元のサイズで表示します

添乗員によれば、
あのトイレは
目がしみて痛くなるほどすさまじいものだといいます。

トイレから管を通じて流れ出るものは、
↓の穴にためられ、
やがては埋められます。

クリックすると元のサイズで表示します

↑これは、今回の旅行で2番目に汚い写真

昼食は、このようなレストランで、

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

ランチボックス配付。

クリックすると元のサイズで表示します

入っていたジュースには、
ロシア語、ウズベク語、

クリックすると元のサイズで表示します

英語、トルクメニスタン語、カザフスタン語で
同じ内容が印刷されています。

クリックすると元のサイズで表示します

まさに、現代のロゼッタストーン

クリックすると元のサイズで表示します

バーベキューを焼いてくれました。

クリックすると元のサイズで表示します

回教国ですから、豚は出なく、羊の肉と

クリックすると元のサイズで表示します

鶏肉。

クリックすると元のサイズで表示します

もっとも、ガイドさんたちは
「豚肉、食べるよ」
と言っていました。

ウズベキスタンは、回教国といっても、
「ゆる〜い回教国」なので、
1日5回の礼拝もしなければ、
豚肉も食べるそうです。
「メッカ巡礼は行くんですか」と訊くと、
「行かない」と即答。
ましてや辛い断食などするはずもない。

回教国を旅行すると、
ミナレットという塔の上から
礼拝時間の到来を告げる
アザーンという声が旅の情緒を刺激しますが、
今回の旅行で、
アザーンを聞いたのは、
ヒワで1回だけ。

ちなみに、アザーンは、
ミナレットの階段を登って
塔の上から、よく通る肉声でやるのが基本。
しかし、最近では拡声器を使って、
地上でやるようになりました。
ただし、録音の再生は不可。
あくまで人間が呼びかけなければなりません。

また、アザーンと一緒に音楽を流すことは禁じられています。
イスラム教正統派は、教義上、
音楽を官能的快楽をもたらすものとして、
容認していないからです。
ことほどさようにイスラムはやっかいです。

クリックすると元のサイズで表示します

一角にあったトイレ。

クリックすると元のサイズで表示します

この旅行で3番目に汚い写真

クリックすると元のサイズで表示します

更に山のない平らな土地をしばらく走って、

クリックすると元のサイズで表示します

ここのモテルで休憩。

クリックすると元のサイズで表示します

ここでお茶を飲みました。

クリックすると元のサイズで表示します

向かいのレストランに置いてあったハエ取り紙。

クリックすると元のサイズで表示します

今度の旅行中、一番汚い写真

口直しに、きれいな雲の写真を。

クリックすると元のサイズで表示します

ウズベキスタン人の平均寿命は男性71、女性73
女性の方が長生きなのは、
ガイドによれば、「奥さんがいないから」。
そこから、ウズベキスタンの女性が強い、という話に。
ガイドさんは二人とも恐妻家のようです。
その一人が
「日本のいいところは、
奥さんがご主人を尊敬しているところ」
と言うと、
添乗員さんが、色をなして
「それは、ずっと昔の話です」
と否定していました。
なんだかガイドも添乗員も恐妻家が揃ったようで、
添乗員さんは、
奥さんに水をかけられたことがあるそうです。
あとで「原因は何ですか?」と訊くと、
「それは、我が家の秘密です」と言われました。
それにしても、
ガイドさんは、日本の時代劇でも観たのでしょうか。

やがて大きな川・アムダリヤ川を渡り、

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

緑が増えると、
砂漠が終わったことが分かります。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

政府の建て売り住宅。

クリックすると元のサイズで表示します

ヒワ市内に入り、
外城の門から入ったところにある

クリックすると元のサイズで表示します

このホテルに宿泊。

クリックすると元のサイズで表示します

こんな立派なロビーと

クリックすると元のサイズで表示します

プールもあります。

クリックすると元のサイズで表示します

室内。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

ここも、冷たい水しか出ませんでした。

クリックすると元のサイズで表示します

ホテル前には、内城イチャン・カラの南門があります。

クリックすると元のサイズで表示します

明日は1日かけて、

クリックすると元のサイズで表示します

この世界遺産を観光します。

クリックすると元のサイズで表示します

夜のとばりが降りると、

クリックすると元のサイズで表示します

イチャン・カラの中を散策。
北門まで歩いてみました。

クリックすると元のサイズで表示します

街灯がなく、

クリックすると元のサイズで表示します

真っ暗。

クリックすると元のサイズで表示します

次回はヒワ市内を。





AutoPage最新お知らせ