『日本のいちばん長い日』  映画関係

今日は昼過ぎに、三越前に出かけ、

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映画を2本。
その前に、「マツコの知らない世界」で
立ちそばガールのイトウエルマさんの推薦の店、
最後の5店目、小諸そば三越前店に行きました。

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店内。繁盛しています。

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食べたのはイトウさんお勧めの、鴨南蛮。

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テレビの画面の、おススメの理由。

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確かにマツコが驚いたように、
鴨は肉厚で、しかも柔らかい。

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おつゆも美味しく、全部いただきました。

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これでイトウさんおススメのお店は5店全部制覇しました。


〔映画紹介〕

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「日本のいちばん長い日」とは、
1945年8月14日の御前会議における「御聖断」によって
太平洋戦争の終結が決定され、
「玉音放送」が国民に向かって放送されるまでの一日のこと。

題名は、連合国軍によるノルマンディー上陸作戦を描いた映画
「史上最大の作戦」(1962)の原題
「The Longest Day 」
から取られている。

夏目漱石を義祖父に持つ半藤一利のノンフィクション
「日本のいちばん長い日 運命の八月十五日」(1965)の二度目の映画化
ただし、著者の半藤一利は、
1965年当時は文藝春秋新社の社員であったため、
営業上の理由から「大宅壮一編」として出版された。
それで前の映画「日本のいちばん長い日」(東宝作品 岡本喜八監督 1967)
のクレジットには「原作 大宅壮一」と表記された。

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その後、戦後50年に当たる1995年になって、
「日本のいちばん長い日 運命の八月十五日 決定版」として、
半藤一利名で出版された。

今回の映画化は、
この「決定版」を中心にして、
同じ半藤著の鈴木貫太郎を描く「聖断」
阿南惟幾(あなみ・これちか)陸軍大臣を描く
角田房子著「一死、大罪を謝す」
宮内庁の「昭和天皇実録」からも取り入れて映画化した。
従って、前作のように純粋に最後の1日を描くのではなく、
鈴木貫太郎が首相を拝命し、
阿南を陸軍大臣とする1945年4月を起点として物語は始まる。

大本営発表とは裏腹に
政府中枢は敗色が濃くなったことを自覚しており、
最高戦争指導会議の焦点は、
いつ、どのようにして戦争を終結させるか苦悶していた。
というのは、ポツダム宣言には
「国体護持」(天皇制の継続)が保証されておらず、
天皇を中心として日本の国体を守ろうとする勢力には
そのままでは受諾不可能だったからだ。
陸軍の将校たちは「本土決戦」を主張しているが、
そうなった時の国民の苦衷を思うと、
鈴木貫太郎首相は受諾の方法しかないと思っていた。

一方、阿南陸軍大臣は、
本土決戦を主張する陸軍将兵たちの主張を背後に抱え、
どうやって着地点を見出すか苦慮していた。
鈴木内閣の倒閣運動も激化していた。
宣言について沈黙を守る日本に対して、
アメリカは広島に続き、長崎にも「新型爆弾」(原子爆弾)を投下する。
ソ連も不可侵条約を破棄して参戦してきた。
和戦両方の主張の前に、会議は紛糾し、収拾がつかなくなり、
最後は天皇陛下の「御聖断」によるしかなかった。

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その日本の運命を決する葛藤の過程を、映画はていねいに描く。
主に鈴木首相、阿南陸相、そして天皇ご自身の苦悩を深くえぐる。
鈴木首相役の山崎努

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阿南陸相役の役所広司はまさに適役で

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歴史的転換に立つ人物の苦悩を苦渋に満ちた演技で演ずる。
しかし、何と言っても昭和天皇役の本木雅弘の演技が出色で、
自分の名によって始められた戦争を
なんとか終結させようとする苦悩と孤独を
内面的な演技であますところなく演じた。
これほど悲しげな眼差しの天皇の姿は初めてである。
この映画、「御聖断」をする天皇の苦悩が描ききれなければ、
納得できないものとなるが、
本木雅弘は素晴らしい天皇像を造型してみせた。

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鈴木、阿南、天皇の3つと共に、
一億玉砕を主張する参謀たちと
内閣、宮内庁の人々も描かれるが、
やや影が薄い。
特に参謀たちの苦悩は演技が通り一遍なせいで、
伝わって来なかった。

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当時の宮城を彷彿とさせるロケ地を選び、
室内の情景もリアルで、
軍服、小道具まで気を配ったスタッフの努力は敬服に値する。
原田真人監督の脚本、演出、編集は的確。

ただ、知識がないと分からない部分が多々あるので、
膨大な登場人物の中で主要な人物には、
登場時、何者であるかを字幕で出す等の工夫は必要ではなかったか。
堤真一演ずる歴史の目撃者・迫水久常(内閣書記官長)など、
名前が呼ばれるまでは何者か分からなかった。

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終戦を巡っては、
それぞれの立場での主張があり、
今の価値観で計ることは出来ない。
ただ、もし本土決戦がなされた場合の
日本国民の苦しみと日本国の行く末を思うと、
判断出来る唯一のお方、
昭和天皇の決断は、
まさに「御聖断」と呼ぶにふさわしいと思う。

戦後70年の今、
戦争を終わらせることがどれほど大変なことだったか、
そのために、
このような出来事が国の中枢であったということを知るだけでも
価値のある映画である。

5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=LxEWiHiiCkk


なお、阿南陸相について、
Wikipedia は、次のように書いている。(要約)

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鈴木内閣では、
和平派の鈴木と、
本土決戦を標榜する陸軍を代表する阿南は、
閣議や戦争指導会議において対立することが多かったが、
阿南は陸軍の倒閣運動を押さえ込むことで鈴木を支えてもいる。

米内光政海軍大臣が鈴木総理の和平への意思を疑問視して
辞意を表明した時、
阿南は米内海相に辞意を思いとどまらせようと
手紙を書き送ってこれを説得し、
鈴木内閣の崩壊を防いだ。

終戦について激しい議論が展開された閣議の合間、
阿南は閣僚の一人であり同じ陸軍出身で同期の安井藤治国務相に
「自分はどんなことがあっても鈴木総理と最後まで事を共にするよ。
どう考えても国を救うのはこの鈴木内閣だと思う」
と語っている。
また終戦への基本方針が天皇の第一回目の聖断によって決まった
8月9日の御前会議終了後、
鈴木首相に
「総理、この決定でよいのですか、約束が違うではないですか」
と激しく詰め寄る吉積正雄陸軍軍務局長に、
「吉積、もうよい」と言ってたしなめている。

終戦の詔勅に署名したのち阿南は鈴木首相のもとを訪れ
「終戦についての議が起こりまして以来、
自分は陸軍を代表して強硬な意見ばかりを言い、
本来お助けしなければいけない総理に対して
ご迷惑をおかけしてしまいました。
ここに謹んでお詫びを申し上げます。
自分の真意は皇室と国体のためを思ってのことで
他意はありませんでしたことをご理解ください」
と述べた。
鈴木は
「それは最初からわかっていました。
私は貴方の真摯な意見に深く感謝しております。
しかし阿南さん、陛下と日本の国体は安泰であり、
私は日本の未来を悲観はしておりません」
と答え、阿南は
「私もそう思います。日本はかならず復興するでしょう」
といい、愛煙家の鈴木に、
南方の第一線から届いたという珍しい葉巻を手渡してその場を去った。
鈴木は「阿南君は暇乞い( いとまごい) に来たんだね」
とつぶやいている。
また阿南は、
最も強硬に和平論を唱えて阿南と最も激しく対立した東郷茂徳外相に対しても、
「色々と御世話になりました」
と礼を述べて去っている。

阿南は8月14日午後には、
陸軍省の道場で剣道範士斎村五郎と面会し、
短時間剣道の稽古をしている。

そして、8月15日早朝、
ポツダム宣言の最終的な受諾返電の直前に陸相官邸で切腹
介錯を拒み早朝に絶命している。
「阿南陸相は、5時半、自刃、7時10分、絶命」
との記録もある。
遺書には、
「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル
昭和二十年八月十四日夜陸軍大臣阿南惟幾
神州不滅ヲ確信シツツ」
と記されていた。
辞世の句は、
「大君の深き恵に浴みし身は言ひ遺こすへき片言もなし」とあり、
これは1938年(昭和13年)の第109 師団長への転出にあたり、
昭和天皇と2人きりで会食した際に、
その感激を詠ったものである。
阿南は昭和天皇からは「あなん」と呼ばれていた。
阿南の葬儀に昭和天皇は勅使を派遣していない。

阿南が自刃したと聞いた東郷茂徳外相は、
「そうか、腹を切ったか。阿南というのは本当にいい男だったな」
と涙ながら語り、
鈴木貫太郎首相は
「真に国を思ふ誠忠の人でした」
と評した。
阿南と閣議において対立した米内光政海相も
「我々は立派な男を失ってしまった」
と語った。

日本の内閣制度発足後、
現職閣僚が自殺(自決) したのはこれが初めてであった。
その後も2007年に、第一次安倍内閣にて
松岡利勝農水大臣(当時)が自害するまで、
62年間も現職閣僚の自害はなかった。
阿南陸相と松岡農水相の自殺との間には、
その志、背負ったもので
天地の開きがある。


まさに軍人らしい軍人で、
その潔い死にざまを見ると、
海軍大尉の息子である私は、
ついつい涙を止められなくなるのだ。

                                           
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カードの不正使用  耳より情報

本日午後、クレジット会社から電話があり、
私のクレジットカードでの買い物について、
疑義があったので、電話したといいます。

今朝、22万円ほど、
○○という通販会社で買い物をした事実があるか、
ということ。
そういう覚えはない、と言うと、
クレジットカードの番号を確認
(先方が読み上げる。こちらから言うのは怪しい)、
使用期限も確認(これも先方が読み上げ)、
住所も確認(同じく先方が読み上げ)した後、
カードが不正使用されたと思われるので、
現在のカードは
この電話が終わった段階で使用出来なくなり、
1週間から10日ほどで新しい番号のカードが届くが、
公的料金や携帯で引き落としのある会社などに
変更した旨、連絡してほしい、といいます。

不正使用者はカード番号だけでなく、
使用期限も正しく申告したといいます。

どうして不正使用と思ったかと訊くと、
クレジットカード会社は、
カードホルダーのカードの使い方を
ある程度パターン化して把握しており、
どんな場所でどれくらいの金額で、
どんな物を買うなどをシステム内で把握しているので、
そのパターンに合わないカードの利用があると、
もしかしたら不正使用かもしれないということで、
そこでカードを一時的に止めることがあるというのです。

私のカードの使い方についても、
2、3点(映画館のネット予約等)を確認し、
カード会社では、常時監視しており、
今回のケースでも不審な使用方法と認定した、というのです。

カード会社の監視を逃れた場合、
引き落とされてしまうことを予防するため、
ご利用代金明細書を常に確認してほしいといいます。

私は我が家の家計の月決算のため、
クレジット会社の引き落としは
ネットで毎月確認しており、
その時点で身に覚えのない買い物をした場合は、
クレジット会社に言えば、
支払いを停止することが出来るとのこと。
ただし、引き落とし期限が迫っていて、
引き落とされてしまった場合は、
後日の返金手続きとなる、とのことです。


ネットには、次のような投稿も出ていました。

クレジットカードを誰かに不正使用されました。
明細を見て気付いたのですが、
誰かが私のカード番号を使って
勝手にネットショップで買い物をしたようです。
ただ、カードは私の手元にあります。
一度も紛失したこともなければ、
誰かに貸したことも一切ありません。

誰が使用したのかネットショップに確認したところ、
注文者や商品の送付先が
私ではないことは確かなようで平謝りです。
注文者の住所も電話番号も登録されているそうです。
ですが、注文者の名前を聞いても「個人情報なので」
と教えてもらえませんでした。
「カード代金請求は取り消しします」と仰られましたが、
すぐに取り消ししてもらえず、
「しばらくお待ち下さい」との状況です。

警察にも行きましたが、
カード情報が盗まれただけでは被害届は出せないと言われました。
カード自体が盗まれていれば被害届が出せるそうです。

続いて、質問があり(省略)
それについての回答の中に、
次のようなものがありました。

カードの不正利用で被害を受けるのは「カード会社」です。
あなたは「自分のカード」と思っていますが「カード会社のカード」です。
クレジットカードの約款に記載があると思いますが
カードはあくまでも「使用者に貸与」されているだけであって
そのカードを「利用する権利」が
カードに記載の名義人にある・・・に過ぎません。

腑に落ちない気持ちもよくわかりますが
あなたのカード」でもないですし、
「被害もない」ので
あなたには何の権利もないということになります。

なるほど。
カードは自分のものではない、というのは、
目からウロコです。


カード会社のサイトには、
次のような説明もありました。

不正使用検知システムでモニタリングを行っています

昨今、お客様が気づかれないうちに
カードが偽造・盗難の被害に遭ったり、
カード番号などの情報が不正に詐取され
インターネット上で悪用されるなど、
カード犯罪に巻き込まれてしまう被害が多発しております。

こうした悪質なカード犯罪からお客様をお守りするために、
当社では、不正使用検知システムを導入し、
お客様のカードに異常が発生していないか、
24時間365日体制でモニタリング(不正使用の監視)を行っています。

不正使用検知システムにより、
カードをご利用の際に、
過去の不正使用ケースと類似点があったり、
会員様ご本人のご利用ケースと異なる点が見受けられた場合、
お取引を保留させていただく場合がございます。

このようなお取引の保留は、
お客様の信用状況、
ご利用可能額等の問題ではなく、
カード犯罪防止のための措置でございます。


私はほとんど店頭でのカードは使用しておらず、
ネットでの買い物や予約にしか使用していません。
今回の情報漏れは、
そのいずれかで発生したと思われますが、
ご利用代金明細書の確認を
確実にしなければならない、
と肝に命じた次第です。

また、カード会社にそのような監視システムがあることを
初めて知りました。


今度は中国疲れ  政治関係

韓国の朴槿恵大統領は、
北京で9月3日に開かれる
抗日戦争勝利70年記念式典の軍事パレードに
出席することを決めた。

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日米や欧州の首脳が出席を見送り、
朴大統領の行事出席については、
日米韓の連携が乱れることを懸念する米国が難色を示していた。
AIIBに続き、
米国は又も韓国に裏切られた。

そもそも、中国軍は、
1950年の朝鮮戦争の時、
鴨緑江を渡って侵入した侵略者だ。
その時の「反省」も「謝罪」もないのに、
のこのこ中国に出かけてパレードに参加するという。

国としての矜持も何もない。
頭の中がぐちゃぐちゃだとしか思えない。

ま、大統領就任以来、
ことごとく誤った判断をして来た人だから、
「またか」という程度のことかもしれない。

しかし、米国は、この裏切りは忘れないだろう。

一方、国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長が
抗日戦争勝利記念行事に参加すると発表された。

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国連総長といえば、
国際的に公平な立場であってしかるべき人。
その立場の人が特定の国の戦争行事に出席して良いのか大変疑問で、
しかも軍事パレードに出席するとなれば、
中国の軍備拡大を容認したことになってしまう。
国連の重要な使命の一つである
軍縮の方向にも反するし、
この人の頭の中もどうなっているのか不思議だ。

この方は「公平な立場」が分かっておらず、
以前、日本の政治家に対して歴史認識について注文をつけたこともあり、
どうやら、自分のことを「韓国代表」と思っている節がある。
中国に対しては弱腰で、
2010年、中国の胡錦濤国家主席(当時)と会談した際、
獄中でノーベル平和賞を受賞した民主活動家
劉暁波氏の解放について一言も発しなかった。

今回も習近平国家主席と会談するのなら、
国連事務総長として、
南シナ海での過激な埋め立てと
国際法の軽視を諭さなければならない立場なのに、
その気配もない。

一説には、次期韓国大統領を狙っているとの噂もあり、
その思惑で中国に尻尾を振るとは、
さすが史上最低の事務総長だとの声もある。

先日の北朝鮮との戦争突入の危機を処理したことで、
朴大統領の支持率が急速に回復したというが、
これも不思議な話だ。
北朝鮮が攻撃したのは、
北への放送をやめさせるためだった。
高官の話し合いの結果、
北朝鮮が「遺憾」の意を表明し、
それで韓国側が北への放送を中止した。
つまり、放送停止という「実」を取った北側の勝利だと思うのが普通だが。
北朝鮮は「遺憾」の表明など、痛くも痒くもないだろう。
強硬に対応したというだけで支持率が上がるとは、
韓国人の頭の中も疑いたくなる。

韓国は外国での慰安婦像の設置で、
オーストラリアの市議会で否決され、
続いてアメリカの地方都市でも設置を断念している。

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ようやくアメリカ人やオーストラリア人の中に、
「この問題は、慰安婦を痛んでいるのではなく、
反日の材料にしているに過ぎない」
という認識が広まっているようだ。


一方、中国がまた変なことを言い始めた。

26日付の中国紙、光明日報は
「昭和天皇には中国への侵略戦争の主な責任があり、
その後継者である天皇陛下は
先の大戦について謝罪するべきだ」
と主張する記事を掲載、
記事は国営新華社通信が配信した。

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記事は、
「昭和天皇は中国への侵略戦争と太平洋戦争を発動し、指揮した」
と強調した上で、
「昭和天皇は亡くなるまで被害国とその国民に
謝罪を表明したことがなかった。
その皇位継承者は、謝罪で雪解けを、
悔いることで信頼を手に入れなければならない」
と主張している。

中国はこれまで安倍晋三首相ら日本の政治家に対し、
歴史問題について反省や謝罪を求めることはあったが、
天皇陛下に対し直接、謝罪を求めることは異例。

日中間の戦争は1978年の日中平和友好条約で決着済みだし、
陛下は1992年に中国を初訪問した際、
「わが国が中国国民に対し
多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。
これは私の深く悲しみとするところであります」
と、お言葉を述べられている。

菅官房長官は記者会見で、
「天皇陛下に対する礼を著しく失しており、
これまで表明されてきている中国側の立場とも相いれないものだ。
改善基調にある日中関係にも水を差しかねず、
全く好ましくない」
と述べ、
外交ルートを通じ、
27日に中国側に抗議したことを明らかにした。 

実際、陛下が謝罪するとは先方も思ってはいないだろうから、
これは単なる「いやがらせ」

しかし、決着済みのことを蒸し返し、
いやがらせを重ねることが
中国の国家としての品格を損ねていることに
いつ気づくのだろうか。

言われた日本の方も
「そうか、中国も韓国も
何度謝っても無駄なんだ」
と思ってきた。

たとえ話だが、
70年前に失火が原因で両隣に迷惑をかけたことを
会うたびに謝罪を求められたら、
最初の二、三回はよくても、
毎度になれば、
「ああ、許す気がないんだな」
と気づき、これは町内会での立場を良くするために、
昔のことを持ち出しているに過ぎないのだな、
と思うようになり、
近所の人々も同様に思うだろう。
まして、既に亡くなった先代の父親のした失火を
「あんたは息子だから謝れ」
と言われたのではたまったものではない。

その時、思い出すのは、蒋介石だ。
戦争が終わった時、
中国に留まった日本人の軍人と民間人が
中国人の報復を恐れた時、
蒋介石は「怨みに報いるに徳を以てす」
と言って、日本人を厚遇して日本に送り返した。
そして、対日賠償請求を放棄した。

中国にはこんなに偉い人もいたのだ。

その蒋介石の国民党は共産党との内戦に敗れて台湾に逃れ、
毛沢東の共産党政権が誕生した。

そうだ、9月3日の行事、
「抗日戦争勝利記念」と言っているが、
日本と戦ったのは国民党であって、
共産党ではない
その時、共産党は山の中に隠れていたのだ。

まさに歴史の捏造だが、
9月3日に公開される中国の映画「カイロ宣言」のポスターの主役が、
蒋介石に代わって毛沢東になっているという。
カイロ宣言といえば、
1943年11月27日、
第1次カイロ会談の最終日に
アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチルおよび
中華民国の蒋介石の3首脳が署名し、
同年12月1日に発表された
対日戦の基本目的についての宣言。
毛沢東など関わっていないのだ。
まさに歴史の捏造。
あまりの荒唐無稽に、
中国のネットでは毛沢東の顔を金正恩に置き換えたりする
コラージュが流行っているそうだ。

中国とは、そういう国だということを知らなければならない。
それにしても、疲れる


スペイン・ポルトガル旅行記G グラナダ  旅行関係

グラナダ(Granada)は、アンダルシア州グラナダ県の県都。
かつてはイベリア半島最後のイスラム王朝
ナスル朝グラナダ王国の都でありました。
13世紀初めから1492年にキリスト教徒に奪回されるまでの
約250年の間、
シエラネバダ山脈が抱える「ベガ」と呼ばれる
肥沃な平野を基盤にして栄えた都です。

グラナダとは、ざくろの意味。

パヴァロッティの歌う「グラナダ」を聴きたい方は、↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=cly20_TGVEI

グラナダといえば、
何と言ってもアルハンブラ宮殿

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入口には、行列が出来ています。

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ここは、「グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン」
という名前の世界遺産に登録されています。

というわけで、
まずはヘネラリーフェ庭園へ。

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ヘネラリーフェ(Generalife)は、
ムハンマド3世(1302年-1309年)の時代に建設された、
ナスル朝時代の夏の別荘。

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アルハンブラ宮殿の北、チノス坂をはさんだ
北側の太陽の丘に位置しており、
向こう側にアルハンブラ宮殿を見ることが出来ます。

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ヘネラリーフェとアルハンブラ宮殿とはかつては、
峡谷をまたぐ歩道で結ばれていたと考えられています。

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アセキアの中庭は、
細長い池を囲むように花壇、噴水、柱廊が設けられています。

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アセキアの中庭は、
アンダルシア地方におけるイスラーム建築において、
もっとも保存の状態が良いものの1つと言われています。

用水路の中庭と
南の分館から見た北の分館。

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庭にはシエラネバダ山脈の雪解け水を利用した
噴水や水路が配置されています。

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続く庭。

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歩道は、伝統的なグラナダの様式のモザイク歩道で、
白色の石は、グラナダを流れるダーロ川から集められ、
黒色の石は、グアダルキビール川の上流の支流である
Genil川から集められました。

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猫をかたどったモザイク。

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園を飾る花々。

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このみかんは食べられません。

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園からは、遠く町が眺められます。

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では、アルハンブラ宮殿へ。
イスラム芸術の最高傑作

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堀の跡。

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水道の跡。

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遺跡の跡。

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木には心ない落書きが。

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糸杉の散歩道。

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空から見たアルハンブラ宮殿

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ウマの背のような形をした丘は頂上部が
長さ740m、幅205mにわたって平坦になっており、
夏場非常に暑いグラナダの中でもとても涼しい場所に位置しています。

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サン・フランシスコ修道院

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今は国営のホテル。
パラドールというスペイン特有のシステムで、
中世の古城や修道院、貴族や領主の館などの
歴史的建造物を改装し、
半官半民でホテルとして運営しています。
歴史的な重厚さと近代的な設備の快適さを
同時に味わうことが出来る
贅沢な宿泊施設として人気で、
スペイン全土に94軒あります。

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セカノの考古学地区

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サンタ・マリア・デ・ラ・アランブラ教会

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カルロス五世宮殿

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当時イタリア留学であったペドロ・マチューカが、
正方形の建物の中央に、
円形の中庭を設けるという設計をし(現在も未完成)、
スペインにおける純イタリア様式の成功傑作と称されています。

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その内部。

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直径30mの中庭を
二階建ての回廊が囲むシンプルなものです。

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カルロス5世は5ヶ国語に堪能な方で、

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イタリア語は、商売の話をする時に使う。
ドイツ語は軍事の話に、
スペイン語は神との対話に、
フランス語は女を口説く時に、
英語は馬と話をする時に使う。
と言ったとか。

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空から見たカルロス五世宮殿。

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アルハンブラ宮殿は、
3独立した歴史的建造物で構成されています。
法律の管理のために建てられたメスアール、
国王の官邸であるコマレス宮殿、
国王の私室のある獅子の宮殿。

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メスアールの間

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イスラム建築ですから、
偶像のたぐいは一切ありません。

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あるのは幾何学模様と
アラーを讃える文字のみ。

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展望台。

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ここからはアルバイシンがよく見えます。

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アルバイシンとは、
ダーロ川を挟んで、アルハンブラ宮殿の西側に位置する、
中世ムーア人の統治時代の建築様式を残す一角で、
世界遺産の一部を構成しています。

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アルバイシンは白壁の家と石畳で作られており、
この地区には、アラブ式の浴場(ハンマーム)、
グラナダ考古学博物館、
モスクのあとに建設されたサン・サルバドール教会が残っています。

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宮殿と呼ばれていますが城塞の性質も備えており、
その中に住宅、官庁、軍隊、厩舎、モスク、
学校、浴場、墓地、庭園といった
様々な施設を備えていました。

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メスアールの中庭

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コマレスのファサード

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アルハンブラとはアラビア語で「赤い城塞」を意味する
アル=カルア・アル=ハムラーと呼ばれていたものが、
スペイン語において転訛したもの。

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この名称の由来については、
城塞周辺の土地の土壌が赤いため、
あるいは建築に使われた煉瓦の色であるとか、
宮殿が赤い漆喰で覆われていたからなど諸説ありますが、

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アルハンブラ宮殿増築の時、
夜を通してかがり火を燃やして工事したため
グラナダ平野から見上げた宮殿は赤く染まって見えたことから
このように呼ばれたという説が、
今では一般的な説として通用しています。

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アラヤネスの中庭

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中庭からコマレスの塔をのぞむ。

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幾何学模様。

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宮殿内に敷き詰められたタイルは
一枚一枚当時の職人によって作られたものです。
円、四角形、複数の線を組み合わせて造形された
独特な八角形のタイルは
互いにぴったりと敷き詰めることができる精巧な作りである一方、
柱に描かれた鮮やかなタイルアートは
一枚一枚のタイルが全て異なる形、
大きさになっており、
違う場所にはめ込むことはできません。

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昔は青い色が塗られていたようです。

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獅子の宮殿の中庭。

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全部で124本のほっそりとした柱が取り囲んでいます。

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柱は白い大理石で出来ており、
張り出した二つの突出部を除いて、
すべて2本ずつ並んで立っています。

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名前の由来となった獅子の噴水。

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12頭のライオンが噴水を支えています。

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かつて水時計の役割をしていたと言われています。

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アベンセラヘスの間の鍾乳石飾りの丸屋根。

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数種類のみの基本となるタイルを組み合わせる事によって、
蜘蛛の巣状のモチーフを立体的に表現する技法になっています。
イランのニーシャープールや
エジプトのフスタートなど東方で発祥・発展したものが
イベリア半島まで移入してきたものだといわれています。

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アルハンブラ宮殿は9世紀に建築が始まったといわれています。

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11世紀前半から、
キリスト教徒の国土回復運動であるレコンキスタが本格化し、
1085年にはトレド、
1236年にはコルドバ、
1246年にはセビーリャを陥れ、
イスラム圏に残されたのは、
グラナダを中心とするアンダルシア南部地方のみとなります。

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アルハンブラ宮殿が拡張されたのは、
このようなイスラム終焉が見えて来た時期でした。

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ムハンマド1世とその子ムハンマド2世が60年も歳月をかけ、
水道を設置し、拡張工事を行い、宮殿を造りました。

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大きな変貌を遂げるのは、
ナスル朝の黄金時代を築いたユースフ1世と
その息子のムハンマド5世の時代です。

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1492年、レコンキスタによってグラナダが陥落し、
最後の王ボアブディルは、
カトリック女王イザベルに城を明け渡し、
臣下と共に北アフリカに逃れます。
シエラ・ネバダの丘の上で
宮殿を視界におさめて、
惜別の涙を流したといわれています。

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グラナダがキリスト教徒の手に渡った後、
1526年にカルロス5世が王妃との新婚旅行で
アルハンブラ宮殿を訪れ、
この地を避暑地として選び、
カルロス5世宮殿を建設します。

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その後、宮殿は荒廃しますが、
19世紀にワシントン・アービングが書いた小説「アルハンブラ物語」
再び注目を集め、
修復が進みました。

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イスラムの王がアルハンブラ宮殿を無血開城したことで、
グラナダには多くのイスラム建築や文化が残り、
町のあちこちに息づく
イスラムの香りが
訪れる人々を魅了し続けています。

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ナルシソ・イエペスによる「アルハンブラの思い出」を聴きたい方は、↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?v=BIvhokk6BpM&feature=player_embedded

午後は西へ。
白い町、ミハスに向かいます。


『焚火の終わり』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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宮本輝1997年の作品。

主人公は大阪の土木建築会社に勤める町田茂樹と
京都の呉服屋に勤める須川美花。
小さい頃から島根の岬の家に住んでいた美花。
その家を少年時代から訪ねていた茂樹は
ある時、二人は異母兄妹であると教えられる。

岬の家で祖母が亡くなった後、
茂樹は母の遺品を探り、
そこに「許す」という言葉が膨大に書かれたノートを発見する。
その最後には「許すという刑罰」という謎の言葉があった。
また、美花は祖母の遺品の中に
茂樹の父母と美花の母と赤子である美花を抱く男性の写った写真を見出す。
しかも、その男性の顔はくり抜かれていた。
更に、祖母の遺品の中から
美花名義の通帳があり、
毎月決まった額を振り込んで来た人間の存在のいることが分かった。

茂樹は美花と自分は本当の兄妹だろうかという疑問を抱き、
その振り込んで来た人物を探し出し、
その人物の兄の意向でお金を振り込んでいたことが分かる。
しかも、その人物は岬の家の近所の旅館で謎の死を遂げていた。
また、その場に居合わせていたのが
美花の勤める呉服屋の社長であった。
昔岬の家には複数の男女が出入りしていた事実も分かる。
小さな共同体が作られていたようなのだ。

そうした、美花の出生の秘密を探りながら、
いつの日か、茂樹と美花は結ばれていた・・・

こうした「謎」を沢山ちりばめて物語は進展する。
そして、二人を取り巻くおびただしい人間が登場する。
その人物たちはいずれも魅力的で、
人生に一物を抱えていた。

物語が進むにつれて、
同性愛近親相姦などの話が出て来るのだが、
どうも宮本輝の想念の中での出来事のようで、
あまり実感的には語られていないのが難か。
茂樹と美花の関係も
近親相姦だから愉悦が深いと思われ、
真相を知ることでその愉悦が壊れるのを恐れるようなところがある。

登場人物によって語られる
人生訓のようなものが散りばめられている。

「なにもいまさら口にすることでもありませんが、
人間てのは魑魅魍魎です。
だからこそ、他の動物にはない精神活動を営み、
そこから多くの知恵も湧いてくるんですが」

人間は潔くなければならない。
あることに潔くあろうと決めたら、
それを全うしなければいけない。

「その人間が隠し持っている快楽への衝動は、
科学でも哲学でも解明できん。
しかし、その衝動を燃料にして、
そこから聖なる何物かを生み出すのが
人間という生き物ではないのか」

考えてみれば、我々の世代は、
物心ついたときから規則にしばられ、
学校にあがっても校則というやつでがんじがらめにされ、
大学に入って、
受験勉強から解き放たれても、
あっというまに社会に出て行き、
そこでも、
自分の生活などないに等しい毎日で、
結婚したら女房や家庭に拘束され、
三十歳を過ぎたころには疲れきってしまっている・・・。

「いや、失うものがなくなった悪人ほど怖いもんはないからな」
「どんな悪人でも、人間の誇りはあるやろ?」
「そんなもん、とうの昔に捨てておるよ。
悪人になったから捨てたんとちがうんや。
もともと本当の意味での誇りなんて持ち合わせてないから悪人になったんや。
昨今の政治家みたいなもんや。
誇りを捨てた分、自意識は肥大する」

「何があっても安心してることや。
金銭的に苦しくなっても安心してる。
病気にかかっても安心してる。
世間がどうなろうと、
自分は大安心のなかにいる。
そんなふうになれたら、
美花は仏さまや」

可愛がられ、慈しまれ、
愛される幼少時代を持った者は、
なんと幸福であろうとも言った。
「美花の喋り方が、
人よりゆっくりなのは、
いろんなことをせかされたことがないからで、
可愛がられ方を自然にやってみせるのは、
可愛がられて育ったからで・・・」

描かれている当時は
携帯電話は普及し始めた頃で、
電話をマンションにかけても不在で、
などという描写が沢山出てくる。
今なら留守電もあるし、メールもある。
「連絡方法」という点では、
携帯電話の普及は
小説の展開を変えた、とよく分かる。

しかし、
「二人は兄妹なのか、血のつながりはあるのか」
という一点で物語を引っ張り、
様々な謎を提示して、
結局分かることを放棄する、
というのはいかがなものか。
真相はどちらでもいい、
二人の愛が重要、
というのなら、
わざわざ沢山の登場人物を出して、
謎の拡散をすることもなかったのではないか、
という疑問はついに払拭できなかった。






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