『海街diary』  映画関係

〔映画紹介〕

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予告編でストーリーのおおよそを把握し、
好みの題材ではないので、
観たいとは思わなかったが、
監督が是枝裕和と知って、
観る気になった。
映画は監督のセンスを観るものなので、
監督で作品を選ぶのが最適だからだ。

観て、正解
日本映画の良いところが出た秀作だった。

鎌倉の古い家で一緒に暮らす三人姉妹。
しっかり者の幸(綾瀬はるか)、
男運の悪い佳乃(長澤まさみ)、
マイペースの千佳(夏帆)。
父親は女を作って家を出、
母親は姉妹を捨てて北海道暮らし。
女性三人で「女子寮のような」生活をしている。

そんな彼女たちのもとに、
15年前に姿を消した父親が亡くなったという知らせが届く。
父親は2番目の妻との間にできた娘と一緒に
3番目の妻の経営する山形の温泉旅館に身を寄せていたのだ。
葬儀のため山形へ向かった三人は、
そこで異母妹すず(広瀬すず)と対面する。
血のつながらない継母との暮らしに居心地の悪さを感じた幸は、
見送りに来たすずに、
鎌倉で自分たちと一緒に暮らさないかと持ち掛ける。
すずは即座に応じ、
遺産を放棄したすずは鎌倉に訪れ、
こうして姉妹4人の鎌倉での生活がスタートする・・・。

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映画は、この4人姉妹の生活を淡々と描く。
特に目立った事件は起こらない。
せいぜい法事に訪れた母親(大竹しのぶ)と
幸の微妙ないさかいがある程度だ。
勤める病院の医師と不倫をしている幸は
「家庭を壊した」すずの母親と同じ立場にいる。
最近、その医師が外国に勉強に行く意志をあきらかにし、
幸に一緒に行ってくれないかと望んでいる。

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だらしのない男とばかりくっつき、
破局を繰り返す佳乃は、
都市銀行から傷ついてやってきた誠実な上司と
顧客を訪問しながら、
次第に心が惹かれていくのを感じている。

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スポーツ店で働く千佳は、
ちょっと変わり者の店長といい感じになっている。

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転校したすずは学校になじみ、
所属するサッカー部で存在感を発揮し、
部の同輩の生徒と淡い初恋を味わう。

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こうしたことが
満開の桜のトンネル、
梅の収穫と梅酒作り、
しっとりと咲くアジサイ、
海の上の花火大会・・・
鎌倉の自然の移り変わりの中
じっくり描かれていくが、
何の変わりもない日常の日々
いかに輝くものであるかを感じさせて
涙を禁じ得なかった。

4人姉妹の演技も自然で、
生き生きとしている。
特に天然を封印した綾瀬はるかの演技が出色。

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長沢まさみ夏帆もいい。

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新人の広瀬すずも表情の中に
父親との思い出を隠した複雑さを演じた。

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出番は少ないが、
母親役の大竹しのぶも、
登場した瞬間に
過去の家族の経緯を彷彿とさせる演技。

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共同生活も
やがて結婚して巣立っていくだろう将来によって変わってしまう。
その変化の前の短い美しい日々が愛おしい。
「あなたのような宝物」というセリフがあるが、
一人一人の存在が宝物のように輝き、
日本の家族の原風景がきらめくような作品だ。

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何かのストーリーを求める方には不評だろうが、
「事件」を描くのではなく、
「人間」を描くことが大切という
映画の基本をしっかりと捉えた
是枝監督の眼力が冴えわたった
今年一番の傑作である。

5段階評価の「5」

予告編は↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=K3vE-fcc5oU

タグ: 映画

長崎3日目とリベンジ  旅行関係

3日目朝のホテルの窓からの景色。

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雨は小雨ですが、風が強い

6時から朝風呂に入り、朝食を取り、
8時のバス出発に合せて、
早めに部屋を出てチェックアウト。
しかし、バスが来ません。
ほどなく、
「軍艦島の船は欠航になったので、
出発を30分遅らす」
との連絡。
部屋に戻ると、
ドアに↓のような貼り紙が。

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私が部屋を出た後にノックしたようです。

やがて風が止みましたので、
最後の希望をつなぎます。

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念のため、船会社のホームページにアクセスすると、
「欠航」の決定は覆されていません。

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↓が昨年の出港・上陸率の表。

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6月の上陸率は96.7%ですから、
欠航の3.3%に当たってしまったようです。

(なお、昨年7月の上陸率が低いのは、
台風8号による島内桟橋が破損された特殊事情のため。)

最初から日程表に
「荒天時又は波が高い時は、
欠航となる場合がございます」
と書いてあり、
天候による理由では文句は言えません。

その場合の代替施設として、
長崎歴史文化博物館が指定されていますが、
それだけでは時間が持たないので、
出島観光が付け加えられました。

カステラの文明堂本店を見ながら、

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ここ

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出島和蘭商館跡へ。

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最近、長崎市が力を入れて、
完全修復を目指しており、

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中はよく整備されています。

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出島は、1634年、
江戸幕府の鎖国政策の一環として
築造された人工島で、
扇型の形をしており、
面積は3969坪(約1.5ヘクタール)。

倉庫。

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このような表示が各建物の前に置かれ、
大変分かりやすい。

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オランダ商会員の部屋。

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床が畳み敷きというのは、意外です。

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ということは、オランダ人は靴を脱いだということですね。

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蔵。

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輸入品の中には砂糖があり、

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このようなものに姿を変えました。

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衣裳をつけたガイドさん。

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幻灯機。
初めて幻灯を見た人の驚きはどんなだったでしょうか。

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覗き眼鏡。

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時計。

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鎖国中、
西洋の科学文明に触れることが出来るのは出島のみで、
全国の俊才が長崎に集まりました。

この劇場では

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映像で

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出島の歴史が紹介されます。

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これが正面の表門

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そこからの景色。

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考古館での展示。

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出島は幕府が長崎の有力者に命じて作らせました。
建造費は銀200貫目(約4千両)。
今のお金に換算すると約4億円になります。

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ポルトガル人は、土地使用料
毎年80貫(1億5千万円)支払っていました。

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その後、
幕府がキリスト教の布教と植民地化を避けるために
ポルトガル人を国外追放し、出島は無人状態となります。

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しかし、出島築造の際に出資した人々の訴えにより、
オランダ商館が平戸から出島に移され、
宗教活動を規制されたオランダ人が居住することになりました。

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その際の交渉で、借地料は55貫(約1億円)に引き下げられました。
それだけ支払っても、
オランダ側にはメリットがあったことになります。

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出島の一番奥。

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ここに出島のミニチュアがあります。

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これが表門。

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水門。

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船で運んできた物資をここから上陸しました。

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そういえば、
アムステルダムの王立美術館でも
出島のミニチュアを見たことを思い出しました。

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日時計。

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旧出島神学校

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商館長の居住空間再現。

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しかし、気の遠くなるような距離を渡って来たものです。

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その間、添乗員さんは、
何度も船会社に出港に変更されていないか
問い合わせてくれたようですが、結果はNG。
天気は回復しましたが、
軍艦島付近の波が高いのだそうです。
船会社の判断では仕方ありません。

さて、ここは、

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長崎歴史文化博物館

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ここには、一昨日見た
龍馬像の複製があります。

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このテーマで展示物が並びます。

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一昨日、風頭公園で知った
上野彦馬についての展示がありました。

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エリアの半分は長崎奉行所の復元。

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こういう踏み絵もあったのか。

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マリア観音。

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近所に防空壕跡があるというので、
行ってみました。

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空襲警報が発令されると、

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県知事をはじめとする県の要員が集まり、
指揮、連絡手配に当たっていた場所です。

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原爆の被害を最初に打電したのはこの場所からでした。

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通風坑。

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さて、軍艦島上陸しなかったため、費用の返金がありました。
代替施設である出島と博物館の入場料を差し引いて、
2150円
こんなの返してくれなくてもいいから、
上陸させてくれよ、と言いたいところです。

長崎の最後は眼鏡橋

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我が国最初のアーチ型石橋です。

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皇居の二重橋も同じ形式。

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この位置からだと、
「眼鏡橋」の名称が納得出来ます。

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建てたのは渡来の僧、黙子如定(もくすにょじょう)。
その像が眼鏡橋のたもとにあります。

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長崎を後にして、バスは佐賀県へ。

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ここで昼食です。

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料理はこれ。

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炊きたての釜飯がおいしい。

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後は階下でお土産物を物色。

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佐賀の農村を見ながら、

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車内では、○×クイズやじゃんけん大会。

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ここにも寄りました。

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鯱(しゃちほこ)の門

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屋根に鯱があります。

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石垣の裏に

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ハートの形が。

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佐賀城の城郭の構造は輪郭梯郭複合式平城。
幅50m以上もある堀は、
石垣ではなく土塁で築かれています。

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攻撃にあった際は
主要部以外は水没させ
敵の侵攻を防衛する仕組みになっていたことから、
「沈み城」とも呼ばれています。

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実は、この歴史館、
行程表に入っているにもかかわらず、
この時期、修理のため閉館。
中に入れませんでした。

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行程作成者の不注意ですが、
代替訪問先として選ばれたのが、↓。

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佐賀の偉人、大隈重信侯の記念館です。

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庭には、大隈侯の銅像が。

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実は、この記念館、
50年ぶりにリニューアルして、
今年2月に開館したばかり。

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建物は今井兼次氏のデザイン。
ガウディの研究者なので、
どことなくガウディに似てるの声も。
そうですか? 似てますか?

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正面階段。

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階段の踊り場には、
「緋色のガウン」と呼ばれるアカデミックドレス。

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このドレスを大隈侯はこよなく愛したといいます。

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まずヒデオで大隈侯の生涯を学習。

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その後、展示室へ。

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奥様の綾子夫人。凛としたたたずまい。

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なにしろ、大隈侯といえば、
「早稲田大学の創立者」くらいしか知りませんでした。

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日本に近代的な政党内閣制度を導入し、
内閣総理大臣を2度にわたって務めた
大政治家であったことを初めて知り、
大変勉強になりました。

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全国を演説してまわり、
その肉声はレコード盤に残されています。

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文字を書かない人だったので、
著作は残っていません。
文字は、↓の天皇陛下に当てたものと、
子供時代に書いたものの2点だけが残っています。

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↓は何十年ぶりに従兄弟が集まった時の記念写真。

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左側の四角い枠の中の人は、
その時に居合わせたのですが、
写真嫌いで並ばず、
大隈侯が強く勧めると、
「あなたが字を書くのなら写ってもいい」
と言われ、
大隈侯が字を書くことを拒否したという挿話が残っています。

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↓は大隈侯の義足。

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明治22年に暴漢により爆弾を被弾して右足を失いました。
大隈侯は犯人を非難せず、
「若者はそれくらいの意欲がなければ」
と言い、
犯人がその場で自死したことを知ると、
大変残念がり、
命日のたびに遺族に花を贈ったといいます。

こういう話を聞くと、
大きな人物だったんだなあ」と感動します。

敷地内には生家が保存されています。

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武家屋敷です。

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平屋ですが、
お母様が2階を増築し、
ここを大隈少年の勉強部屋としました。
早くから優秀と分かっていたようです。

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さて、佐賀空港
中国の春秋航空のカウンターがあります。

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この空港には有料ラウンジがあり、

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わずか300円で利用できます。

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中のカウンター。

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ラウンジ。

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飲物は無料で、お得です。

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空は青空がのぞき、

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飛行機の到着を待つ作業員の皆さん。

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東京から飛行機が到着しました。

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ゲートに向かって来ます。

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船の接岸と同じで、高度な技術と

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共同作業。

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ゲートが接続されます。

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東京は雨ですと。

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待合室の様子。

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前から窓際の人から入れた方が合理的、
と思っていましたので、
この方式には賛成。

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来る時と同じ飛行機。

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さらば、長崎と佐賀。

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さて、今回、旅行記を短期集中連載し、
そのわけを最終回に明らかにする、と書きました。

軍艦島、
来週、
リベンジします。

早々と決めたのは、
「くやしい思い」「残念な気持ち」を長く持ち続けるのは、
精神衛生上悪いと思ったからです。

今度は朝長崎に発って、
その日の午後、軍艦島へ。
夜帰京することも可能ですが、
一泊のプランなので、
長崎で何か食べて、
翌日の午後、東京に戻ります。

リベンジ、期待して下さい。




長崎2日目  旅行関係

朝のホテルの窓から。
今にも雨が降って来そうな天気です。

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泊まったホテルに大きな体の外人さんの姿がちらほら。
ロビーで熱心にスマホに取り組んでいます。

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この方たち、
ポーランドからの研修生
三菱造船所のクルージング船造船に
携わっているそうです。
慣れない日本旅館での生活、どうなんでしょうか。
それとも、毎晩お風呂を楽しんでいるのか。

大型バスで送迎されているところを見ると、
待遇は良さそうでした。

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朝食はバイキング。

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典型的な日本の朝のホテルの食事。

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ちょっと食べ過ぎか。

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さて、今日は長崎港へ。

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このフェリーで福江島へ向かいます。

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乗船開始。

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これがチケット。

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この通路で船内へ。

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展望デッキ。

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長崎港の様子。

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稲佐山

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ヨーロッパから来た大型客船。

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出航の準備に乗組員が忙しい。

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出航。

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この橋は、ながさき女神大橋といいます。

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この橋をくぐると、

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港の外へ。

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この椅子に座って、

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景色を眺めます。

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雨が降らなくてよかった。

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遠くに、明日行く予定の軍艦島が見えます。

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景色にも飽きて、

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下の客室に。

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二等客室は絨毯敷き。

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団体の指定。

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みんな毛布にくるまって寝ています。

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毛布と枕は貸してくれます。

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難民みたい。

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緑の部分がゴロ寝部分。

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ここはバリアフリー客室。

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下の車庫にも行ってみました。

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乗用車もありますが、ほとんどがトラック。

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新米の私には、止める自信がありません。

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再び展望デッキへ。

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島影が変わってきました。

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五島列島は島が140あり、
うち人が住んでいるのは18。
すなわち、122が無人島です。

福江港が見えてきました。

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入港。

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長崎を発って3時間10分。

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空を行く飛行機。

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福江島には空港があって、
福岡まで4便、長崎まで3便が毎日飛んでいます。
夏期には、関西国際空港からの便も。

接岸作業をする人たち。

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大きな船の接岸は高度な技術です。

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「タモリ倶楽部」で見たことがあります。

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デッキがつながれ、

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誰もいなくなった二等客室。

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まだ寝ている人もいます。

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福江港ターミナルビル。

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歓迎の言葉。

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福江島は、長崎県西方沖の五島列島を構成する島の一つで、
列島の南西端に位置します。
島の面積326.43kmは五島列島最大、
日本国内では11番目の面積です。
2010年国勢調査では、
人口3万6千979人。
昔は福江市といいましたが、
2004年8月1日の市町村合併により
全域が五島市となりました。

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来年は、この世界遺産が登録される予定。

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さて、バスの中でのガイドさん。

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地元のボランティアの方です。

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石田城跡。昔の福江藩1万5千石当主・五島氏の城です。

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五島氏当代の車のナンバーは「510」だそうです。

武家屋敷などを通り、

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まずは昼食の場所に。

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このような趣のある建物。

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様々な貝を敷きつめています。

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囲炉裏です。

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まず干物と鳥の足を焼き、

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続いて牛肉を。

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キャベツも。

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なかなかいい趣向です。

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五島うどん。

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デザートにカンコロもち。
さつまいもが主で、焼き芋の味がしました。

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焼きおにぎりにする人も。

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海が見えたので、

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沢づたいに降りてみました。

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カニが逃げまどいます。

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夏には海水浴場になるようです。

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次は鐙瀬(あぶんぜ)熔岩海岸

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対馬海流の影響もあり、
温暖多雨の亜熱帯海洋性気候です。

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樹海の中を通って、

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この展望台から海岸を一望。

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黒い海岸は、
鬼岳が噴火して溶岩が海に流れ込んだものです。

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植物研究家の昭和天皇陛下は、
豊かな生物に時を忘れ、
時間オーバーして滞在したそうです。

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次は、鬼岳

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標高315m。

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頂上には噴火口があります。

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鬼岳からの景色。

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天気が良ければ、絶景なのでしょうが・・・。

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この建物は、

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天文台
竹下内閣の時の1億円ふるさと創成事業で建てられたもの。

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次は浦頭カトリック教会

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五島はかくれキリシタンの島で、

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教会が50位あるそうです。

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うちプロテスタント教会は1つだけ。
あとはカトリック教会です。

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この教会は写真OK。

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最後は堂崎教会

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五島に初めての洋風建造物として、
赤レンガ、ゴシック様式の天主堂が完成したのは1908年のこと。

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敷地内には、様々な像が林立します。
これは「復活の夜あけ」像

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聖ヨハネ五島殉教像「受難のとき」
ヨハネ五島は、五島生まれの19歳の青年で、
26聖人の殉教者の一人。

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アルメイダの宣教碑「出会いの日」

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ザビエルの鹿児島上陸の後、
五島には、アルメイダとロレンソがキリスト教を伝えます。
時の領主宇久純定の招きにより、
城内でキリストの教えを説き、
多数の者を洗礼に導きました。

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堂内は、現在ではキリシタン資料館になっています。

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正面の祭壇。

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マリア観音

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かくれキリシタンは、
偽装のため、
観音像に模したマリアを拝みました。

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踏み絵のキリスト像。

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ここも世界遺産の候補です。

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帰りはジェットフォイルで。

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来る時は長崎から100qを
フェリーで3時間10分、
帰りはジェットフォイルで1時間50分。

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この時間差は何故かというと、
乗船料がフェリーは3070円で、
ジェットフォイルは5490円。

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旅程計画者の節約感覚のようです。

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夜のホテルでの夕食。

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これは満足出来るものでした。

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お風呂は露店風呂と大浴場と展望風呂↓。

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今夜は「世界三大夜景」の片鱗を見ることが出来ました。

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夜になって風が出て来ました。
明日の予報は雨。
どころか梅雨前線の北上で
九州全体が雨。
鹿児島では豪雨が心配されています。

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明日の軍艦島上陸は果たせるのでしょうか。







3000号記念と長崎  旅行関係

本日で、このブログは、
3000号に達しました。

2005年11月22日に開始し、
「1000号」が2009年3月9日、
「2000号」が2012年5月27日。
それから3年1カ月で3000号達成となりました。
通算9年7カ月と5日

その間、2012年6月1日を期して、
前の職場の事務局長のブログから
個人のブログに移行、
それからもほぼ1000号になります。

1000回までの写真の掲載は5482枚。
次の1000回では7727枚ですが、
この1000回では23289枚。
この3年間は旅行記が多かったためでしょう。
通算36498枚で、
1日平均12.17枚の写真を掲載。

その3000回全てが
古いものも含めて
今でも読むことが出来るのですから、
サーバーの記憶容量は一体いくらあるのでしょうか。

3000回を祝するような、今日の夕焼け

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さて、スペイン・ポルトガルの旅行記がまだ中途ですが、
昨日までの長崎の旅
短期集中連載します。
なぜ集中しなければいけないかは、
最終回(3回目)で明らかになります。


久し振りの羽田空港国内線第2ターミナル。

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最近のパッケージツァーの航空券は
このようなものです。

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右上の2次元バーコードをかざせば
荷物検査もゲートも通ります。

ゲートは一番端の73番ゲート。

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この便は満席だそうです。

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航空会社は全日空。

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座席は3・3の構成。

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最新式のヘッドセット。

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「全日空寄席」が楽しみで、
今日は桂米朝さんで、
「まめだ」と「替り目」を楽しみました。

羽田を発って、

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こんな景色を見ながら、

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1時間30分で佐賀に着きました。

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佐賀空港は小さな空港です。
羽田へ毎日5便、成田へ1便。
上海へ春秋航空で週3便、
仁川(ソウル)へティーウェイ航空で週3便。

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すぐに広がる田園風景。

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これは俗称「猫耳山」というのだそうです。

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車内で、軍艦島上陸に際しての誓約書を書かされました。

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まず行ったのは、ここ

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平和公園
原爆落下中心地の北側、
小高い丘にある作られたこの公園は、
悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓いと、
世界平和への願いを込めてつくられたものです。

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平和祈念像

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高さ9.7メートル、重さ30トン、
青銅製の平和祈念像。
制作者の長崎出身の彫刻家北村西望氏は
この像を神の愛と仏の慈悲を象徴するものとし、
天を指した右手は“原爆の脅威”を、
水平に伸ばした左手は“平和”を、
軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”
という想いを込めました。

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毎年8月9日の原爆の日を
「ながさき平和の日」と定め、
この像の前で平和祈念式典がとり行なわれ、
全世界に向けた平和宣言がなされます。

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脇にある「折鶴の塔」には、

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全国の小中学生の折った折鶴が奉納されています。

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訪れた時にも行われていました。

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公園のあちらこちらに

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各国から贈られた像が建てられています。

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平和の泉

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原爆のため体内まで焼けただれた被爆者たちは
「水を、水を」とうめき叫びながら死んでいきました。
その痛ましい霊に水を捧げて、
冥福を祈り、
世界恒久平和と核兵器廃絶の願いを込めて
浄財を募り建設された円形の泉です。

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平和の鳩と鶴の羽根を象徴した噴水が舞い、
正面には、被爆し、水を求めてさまよった
少女の手記が刻まれています。

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すぐ傍の原爆公園(原爆落下中心地)にあるこの塔は、

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原爆落下地点をあらわしています。
この地点の500メートル上空で原爆が破裂しました。

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小学生に説明するボランティアの方。

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破壊された浦上天主堂の壁の一部。

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ここにも千羽鶴が。

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ごく近所にある浦上天守堂に行ってみました。

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ここには法皇も来られました。

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内部での撮影は禁止なので、
「外」からパチリ。

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この壁に刻まれた楽譜は、

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「長崎の鐘」の楽譜です。

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「長崎の鐘」とは
長崎原爆の爆心地に近い浦上天主堂にあった
「アンジェラスの鐘」のことで、
原爆で崩壊した瓦礫の中から掘り出され、
今でも再建された天主堂で澄んだ音色を響かせ、
原爆の理不尽さと世界平和を訴えています。

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この楽譜は、
サトウハチロー作詞・古関裕而作曲の「長崎の鐘」で、
長崎医科大学の放射線科の医師であり、
被爆者でもあった永井隆博士が書いた自伝本「長崎の鐘」と
永井博士の半生を歌にしたものです。

こよなく晴れた 青空を
悲しと思う せつなさよ
うねりの波の 人の世に
はかなく生きる 野の花よ
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る

召されて妻は 天国へ
別れてひとり 旅立ちぬ
かたみに残る ロザリオの
鎖に白き わが涙
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る

こころの罪を うちあけて
更け行く夜の 月すみぬ
貧しき家の 柱にも
気高く白き マリア様
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る

藤山一郎の歌う「長崎の鐘」は、↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?v=3rV_9GFGq4o&feature=player_embedded

一瞬窓外をかすめたのは、
「一本足の鳥居」

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拝借した写真。

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これは、原爆の衝撃波が縦方向に襲ったため、
半分破壊されて残って立っていた「奇跡の鳥居」です。

長崎駅

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長崎の市民の足は路面電車です。

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このヘリコプターは、
普賢岳の救援に実際に使われたもの。

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長崎のシンボル、稲佐山

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停泊中の大型客船。

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ここから降りて来た中国人の大軍が
平和公園でピースポーズをして写真を撮っていました。

四海楼。ここが長崎ちゃんぽんの発祥の地だとか。

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ボーリング発祥の地でもあります。

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グラバー園への坂道。

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途中、こんなものや

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こんなものがあります。

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グラバー園。

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安政6年(1859年)の長崎開港後に
長崎に来住したイギリス人商人
グラバー、リンガー、オルトの旧邸があった敷地に、
長崎市内に残っていた歴史的建造物を移築したもの。

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この動く歩道で一旦上まで行き、
だらだら降りて来ます。

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一番上。

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ここからは長崎港が一望出来ます。

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旧ウォーカー邸

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旧長崎地方裁判所長官邸

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この白い像は、ジャコモ・プッチーニの像

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三浦環の像

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三浦環はプッチーニ作曲のオペラ「蝶々夫人」を得意とした方。

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この噴水は「蝶々夫人」の中の
「ある晴れた日に」の楽譜となっています。

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マリア・カラスの「ある晴れた日に」を聴きたい方は、↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=khPrm3aFxd4

「マダム・バタフライ」は、グラバーの妻、ツルがモデルという説があります。
これは彼女が長崎の武士の出身であることや、
蝶の紋付を好んで着用し
「蝶々さん」と呼ばれたことに由来します。
グラバー邸が長崎湾を見下ろす南山手の丘の上にあることも、
物語の設定と一致します。
しかし、原作小説を書いたロングの小説で
具体的に記述されている蝶々夫人の経歴に、
ツルの生涯と似ている部分がありますが、
重要部分で異なる点も多いため、
モデルと考えるのは不自然との意見もあります。

丁度、こんな展示も行われていました。

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旧オルト邸

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旧スチイル記念学校

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旧自由亭

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ここが西洋料理発祥の地だそうです。

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旧グラバー邸

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トーマス・ブレーク・グラバーは、
1838年6月6日、スコットランドで生まれ、
武器商人として幕末の日本で活躍しました。
日本で商業鉄道が開始されるよりも前に
蒸気機関車の試走を行い、
長崎に西洋式ドックを建設し
造船の街としての礎を築くなど
日本の近代化に大きな役割を果たしました。
維新後も日本に留まり、
高島炭鉱の経営を行い、
造船、採炭、製茶貿易業を通して、
日本の近代化に貢献しました。

1911年12月16日、
日本で逝去。満73歳。
配偶者ツルとの間に
梅吉、富三郎、ハナの三人の子供をもうけました。
まさに、「日本に骨を埋めた」わけです。

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室内は当時のままに保存されています。

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グラバーはキリンビールの創立者の一人で、
このコマイヌがキリンビールの模様にデザイン化されたと言われています。

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確かに日本の近代化に貢献した人物で、
ここも世界遺産の候補です。

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情緒ある通路を通りながら、出口へ

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ここを通らないと、外には出られません。

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中にはこのようなものが。

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長崎くんちに関する展示。

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「長崎くんち」は長崎の氏神「諏訪神社」の秋季大祭。
10月7日から9日までの3日間催されます。

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寛永11年(1634年)、
二人の遊女が諏訪神社神前に謡曲「小舞」を奉納したことが
長崎くんちの始まりと言われています。
以来、長崎奉行の援助もあって年々盛んになり、
さらに奉納踊には異国趣味のものが多く取り入れられ、
江戸時代より豪華絢爛な祭礼として評判でした。

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この奉納踊は、国指定重要無形民俗文化財に指定されています。

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「龍踊(じゃおどり)」「鯨の潮吹き」
「太鼓山(コッコデショ)」「阿蘭陀万才(おらんだまんざい)」
「御朱印船(ごしゅいんせん)」など、
ポルトガルやオランダ、中国など
南蛮、紅毛文化の風合いを色濃く残した、
独特でダイナミックな演し物を特色としています。

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次は大浦天主堂へ。

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国宝に指定されています。

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1865年(元治2年)に建立された
日本最古の現存するキリスト教建築物。
正式名は「日本二十六聖殉教者堂」といい、
その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、
殉教地である長崎市西坂に向けて建てられています。

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ユネスコの世界遺産暫定リストへ掲載が決まった
「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」
を構成する文化財の1つ。

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階段の途中にあるのが、

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信者再発見のパネル。

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建立まもない天主堂は「フランス寺」と呼ばれ、
美しさと物珍しさで付近の住民たちが多数見物に訪れていました。
プティジャン神父には今でも何処かで

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カトリック教徒が密かに信仰を伝えているのではないかという
わずかな期待がありました。

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1865年3月17日、
浦上の住民十数名が天主堂を訪れ、
そのうちの女性がひとり、
祈っていたプティジャンに近づき、
「私共は神父様と同じ心であります」(信仰が同じです)とささやき、
自分たちが迫害に耐えながら
カトリックの信仰を代々守り続けてきた
いわゆる隠れキリシタンである事実を話し、
「サンタマリア様のご像はどこにありますか」と尋ねました。
プティジャン司教がマリア像を示すと、
「本当にサンタマリア様でいらっしゃる。
おん子イエズス様を抱いていらっしゃる」と
感動の涙を流したといいます。

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それで、このマリア像は「信徒発見のサンタマリア」と呼ばれています。

これは正面にあるマリア像。

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その後、プティジャン神父は
密かに浦上や五島などに布教を兼ねて隠れた信者の発見に努め、
浦上だけでなく長崎周辺の各地で
多くのカトリック教徒が
秘密裏に信仰を守り続けていたことが分かりました。
この「信徒発見」のニュースは
当時の教皇ピオ9世のもとにもたらされ、
教皇は感激して、これを
「東洋の奇蹟」と呼んだといいます。

教会内は撮影禁止につき、
「外」からパチリ。

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グラバー園への坂道には、
↓のような施設もありました。

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コルベ神父の記念館ですが、

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中に入ると「記念室」になっていました。

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この方がマキシミリアノ・コルベ神父。

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日本宣教の後、
ポーランドに帰国。
そこでナチスの手によって収容所送りとなります。

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1941年7月末、
脱走者が出たことで、
無作為に選ばれた10人が餓死刑に処せられることになりました。
囚人たちは番号で呼ばれ、
そのうちの一人のポーランド人軍曹が
「私には妻子がいる」と泣き叫びだしました。
この声を聞いたとき、そこにいたコルベ神父は
「私が彼の身代わりになります、
私はカトリック司祭で妻も子もいませんから」
と申し出、
コルベ神父と9人の囚人が地下牢の餓死室に押し込められました。

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通常、餓死刑に処せられると
その牢内において受刑者たちは
飢えと渇きによって錯乱状態で死ぬのが普通でしたが、
コルベ神父は全く毅然としており、
他の囚人を励ましていました。

時折牢内の様子を見に来た通訳のブルーノ・ボルゴヴィツは、
牢内から聞こえる祈りと歌声によって
餓死室は聖堂のように感じられた、と証言しています。
2週間後、当局はコルベ神父を含む4人がまだ息があったため、
フェノールを注射して殺害しました。

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ボルゴヴィツはこのときのことを以下のように証言しています。

マキシミリアノ神父は祈りながら、
自分で腕を差し伸べました。
私は見るに見かねて、用事があると口実を設けて
外へ飛び出しました。
監視兵が出て行くと、
もう一度地下に降りました。
マキシミリアノ神父は壁にもたれてすわり、
目を開け、頭を左へ傾けていました。
その顔は穏やかで、美しく輝いていました。

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コルベ神父は、
1971年10月10日にパウロ6世によって列福され、
1982年10月10日に
ポーランド出身の教皇ヨハネ・パウロ2世によって列聖されました。

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こんなところで、
コルベ神父に出会おうとは。

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アウシュビッツを訪れた時のブログは、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20130603/archive

孔子廟を見た後、

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ホテルへ。

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南館は新しいですが、
私は古い本館の方へ。

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本館の4階がロビーで、
建て増しした南館の9階とつながるという構造。

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歓迎の看板。

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ロビー。

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私の部屋。
ホテルというより日本旅館。

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窓からの眺め。
このホテルは山の上にあります。

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下から見ると、こんな感じ。

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館内の自動販売機は、
市中より安い。
これは好感が持てました。
これにより持ち込みの阻止にもなり、
まさに「損して得取れ」。

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添乗員さん推薦の風頭(かざがしら)公園に行ってみました。

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名前のとおり風の強いところで、

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ここは、凧挙げの名所。

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神社もあります。

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古代遺跡?

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お墓です。

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これは、

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写真の開祖、上野彦馬の墓。

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坂本龍馬の写真は、この人が撮りました。

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と思ったら、

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坂本龍馬像

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添乗員さんは、この顔が好きなのだとか。

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「竜馬がゆく」の文学碑もあります。

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さて、夕食。
ホテルが町中にあれば、食べに行くのですが、
山の上では仕方なく、ホテルで食事。

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こういうオプション夕食。
卓袱料理(しっぽくりょうり)とは、
中国料理や西欧料理が日本化した宴会料理の一種。
長崎市を発祥の地とし、
大皿に盛られたコース料理を、
円卓を囲んで味わう形式をもちます。

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実際は、こんな。なにしろ「しっぽく風」ですから。

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長崎ちゃんぽんの後に

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皿うどんが出たのには驚かされました。

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麺類の後に麺類。
しかも薄味、というか、甘味。
隣席の人が「芥子と酢を持って来て」と言っていました。
私は旅館で出された料理は残さずいただくのですが、
初めて半分残しました。

食事の間に部屋では寝床の準備が。

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この看板に誘われて、展望台へ。

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長崎は最近、「世界新三大夜景」を売り出しているようです。
新三大夜景とは、香港、モナコ、長崎の三つ。
平成24年10月5日に開催された
「夜景サミット2012in長崎」で
「世界三大夜景」に認定されたといいます。
長く「世界三大夜景」といえば、
ナポリ、函館、香港のことだと思ったが。

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パンフレットによれば、
このように見えるらしいのですが、

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しかし、夜霧でこんな風にしか見えませんでした。

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『晴れ男』敗れたり  旅行関係

長崎に行ってまいりました。
ツァーの名前は
「世界遺産候補軍艦島上陸と祈りの島五島列島3日間」
しかし、
「世界遺産候補軍艦島上陸と祈りの島五島列島3日間」
になってしまいました。

史上最悪の九州豪雨に遭遇し、
軍艦島への船が欠航してしまったのです。

三日間、長崎地方の天気予報は雨。
それでもグラバー園で降られた以外は
観光の時は傘要らずで、
「晴れ男」らしさを発揮、
最終日も雨は上がったのですが、
軍艦島近辺の波が高いということで、
朝7時15分の時点で欠航の知らせ。

その後、少し好転したので、
添乗員さんが再三問い合わせてくれましたが、
一度決まった決定は覆らず、
ついに軍艦島上陸は果たせませんでした

軍艦島が目的で行った旅行で
軍艦島に行けず。

ついに、「晴れ男」返上です。

それでも沢山の名所を回ることが出来ました。

一部を紹介すると、

平和公園

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グラバー園

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大浦天主堂

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福江島の鬼岳

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福江島の堂崎天主堂

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出島

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眼鏡橋

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佐賀の大隈記念館

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その他。

旅行記は順次掲載します。

まあ、長い人生、
思い通りにならない時もあります。

再チャレンジは何時のことか。






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