安倍首相の米国議会での演説  政治関係

米国東部時間の昨日、安倍晋三首相米上下両院合同会議
「希望の同盟へ」と題して、
約45分間にわたり、英語で演説
世界的視野に立ち、未来指向で、
ユーモアもある
なかなかの名演説だった。

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はじめに、1957年6月、
同じ演台に立った祖父、
岸信介元首相について触れ、
58年ぶりに孫の自分が日本国総理として
話す機会が与えられたことを感謝、
歴代の日本大使に対する謝辞を述べた後、
自分自身のアメリカとの関わりについて述べた。

私個人とアメリカとの出会いは、
カリフォルニアで過ごした学生時代にさかのぼります。
家に住まわせてくれたのは、
キャサリン・デル−フランシア夫人。
寡婦でした。
亡くした夫のことを、
いつもこう言いました、
「ゲイリー・クーパーより男前だったのよ」と。
心から信じていたようです。
ギャラリーに、私の妻、昭恵がいます。
彼女が日ごろ、私のことをどう言っているのかは
あえて聞かないことにします。
デル−フランシア夫人のイタリア料理は、世界一。
彼女の明るさと親切は、
たくさんの人をひきつけました。
その人たちがなんと多様なこと。
「アメリカは、すごい国だ」。
驚いたものです。

のち、鉄鋼メーカーに就職した私は、
ニューヨーク勤務の機会を与えられました。
上下関係にとらわれない実力主義。
地位や長幼の差に関わりなく意見を戦わせ、
正しい見方なら躊躇なく採用する。
この文化に毒されたのか、
やがて政治家になったら、
先輩大物議員たちに、
アベは生意気だと随分言われました。

私の名字(ABE)ですが、
「エイブ」(注=エイブラハム・リンカーン大統領の愛称)
ではありません。
アメリカの方に時たまそう呼ばれると、
悪い気はしません。
民主政治の基礎を、
日本人は、近代化を始めてこのかた、
ゲティズバーグ演説の有名な一節に求めてきたからです。
農民大工の息子が大統領になれる──、
そういう国があることは、
19世紀後半の日本を、
民主主義に開眼させました。
日本にとって、
アメリカとの出会いとは、
すなわち民主主義との遭遇でした。
出会いは150年以上前にさかのぼり、
年季を経ています。

続いて、日米の戦争に触れる。

先刻私は、第二次大戦メモリアルを訪れました。
神殿を思わせる、静謐な場所でした。
耳朶を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。

一角にフリーダム・ウォールというものがあって、
壁面には金色の、
4000個を超す星が埋め込まれている。
その星一つ、ひとつが、
斃れた兵士100人分の命を表すと聞いたとき、
私を戦慄が襲いました。
金色(こんじき)の星は、
自由を守った代償として、
誇りのシンボルに違いありません。
しかしそこには、
さもなければ幸福な人生を送っただろうアメリカの若者の、
痛み、悲しみが宿っている。
家族への愛も。

真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海…、
メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、
私はアメリカの若者の、
失われた夢、未来を思いました。
歴史とは実に取り返しのつかない、
苛烈なものです。
私は深い悔悟を胸に、
しばしその場に立って、
黙祷を捧げました。
親愛なる、友人の皆さん、
日本国と、日本国民を代表し、
先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、
深い一礼を捧げます。
とこしえの、哀悼を捧げます。

加えて、かつての敵が今日の友になったことにつなげる。

皆様、いまギャラリーに、
ローレンス・スノーデン海兵隊中将がお座りです。
70年前の2月、
23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、
硫黄島に上陸した方です。
近年、中将は、
硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加してこられました。
こう、仰っています。
「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、
行っているのでもない。
その厳かなる目的は、
双方の戦死者を追悼し、
栄誉を称えることだ」

もうおひとかた、
中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。
かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、
この方のお祖父さんこそ、
勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。

これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。
熾烈に戦い合った敵は、
心の紐帯が結ぶ友になりました。
スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。
ほんとうに、ありがとうございました。

引き続き、戦後の日本とアメリカの関わりについて述べる。

戦後の日本は、
先の大戦に対する痛切な反省を胸に、
歩みを刻みました。
自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から
目をそむけてはならない。
これらの点についての思いは、
歴代総理と全く変わるものではありません。
アジアの発展にどこまでも寄与し、
地域の平和と、繁栄のため、
力を惜しんではならない。
自らに言い聞かせ、歩んできました。
この歩みを、私は、誇りに思います。

焦土と化した日本に、
子供たちの飲むミルク、
身につけるセーターが、
毎月毎月、米国の市民から届きました。
ヤギも、2036頭、やってきました。

米国が自らの市場を開け放ち、
世界経済に自由を求めて育てた
戦後経済システムによって、
最も早くから、最大の便益を得たのは、
日本です。
下って1980年代以降、
韓国が、台湾が、ASEAN諸国が、
やがて中国が勃興します。
今度は日本も、資本と、技術を献身的に注ぎ、
彼らの成長を支えました。
一方米国で、日本は外国勢として2位、
英国に次ぐ数の雇用を作り出しました。

こうして米国が、次いで日本が育てたものは、
繁栄です。
そして繁栄こそは、平和の苗床です。

更に、具体的課題、
TPPの推進を述べた後、
アメリカの「リバランス」の支持に移る。

私たちは、アジア太平洋地域の平和と安全のため、
米国の「リバランス」を支持します。
徹頭徹尾支持するということを、ここに明言します。
日本はオーストラリア、インドと、
戦略的な関係を深めました。
ASEANの国々や韓国と、
多面にわたる協力を深めていきます。
日米同盟を基軸とし、
これらの仲間が加わると、
私たちの地域は各段に安定します。
日本は、将来における戦略的拠点の一つとして期待される
グアム基地整備事業に、
28億ドルまで資金協力を実施します。

そして、アジア地域の平和に言及する。

アジアの海について、
私がいう3つの原則をここで強調させてください。

第一に、
国家が何か主張をするときは、
国際法にもとづいてなすこと。
第二に、
武力や威嚇は、自己の主張のため用いないこと。
そして第三に、
紛争の解決は、あくまで平和的手段によること。

太平洋から、
インド洋にかけての広い海を、
自由で、法の支配が貫徹する
平和の海にしなければなりません。
そのためにこそ、
日米同盟を強くしなくてはなりません。

具体的に、安保法制の充実につとめ、
新しいガイドラインの合意に言及し、
そのための
積極的平和主義に触れる。

いまや私たちが掲げるバナーは、
「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」という旗です。
繰り返しましょう、
「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」こそは、
日本の将来を導く旗印となります。

最後に、東日本大震災について触れる。

まだ高校生だったとき、
ラジオから流れてきたキャロル・キングの曲に、
私は心を揺さぶられました。
「落ち込んだ時、困った時、
目を閉じて、私を思って。
私は行く。あなたのもとに。
たとえそれが、あなたにとっていちばん暗い、
そんな夜でも、明るくするために」

2011年3月11日、
日本に、いちばん暗い夜がきました。
日本の東北地方を、地震と津波、
原発の事故が襲ったのです。
そして、そのときでした。
米軍は、未曾有の規模で救難作戦を展開してくれました。
本当にたくさんの米国人の皆さんが、
東北の子どもたちに、
支援の手を差し伸べてくれました。
私たちには、トモダチがいました。
被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。
そしてなにものにもかえられない、
大切なものを与えてくれました。
――希望、です。
米国が世界に与える最良の資産、
それは、昔も、今も、将来も、
希望であった、希望である、希望でなくてはなりません。
米国国民を代表する皆様。
私たちの同盟を、
「希望の同盟」と呼びましょう。
アメリカと日本、力を合わせ、
世界をもっとはるかによい場所にしていこうではありませんか。
希望の同盟――。
一緒でなら、きっとできます。
ありがとうございました。

抽象的なきれいごとを羅列するのでなく、
自分の実体験に引き寄せた内容。

議長役を務めたベイナー下院議長は
「第2次大戦中に戦死した英雄に言及したことに、
本当に感謝 している」
との談話を発表。
スティーブ・コーエン下院議員は
「傑出した演説。
第2次大戦がもたらした死と悲しみを認めたこと、
女性(の活躍)に言及したことは適切だった」

レーガン元大統領のスピーチライターだった
ダナ・ローラバッカー下院議員(共和)は
「Aプラスの演説だった」とたたえた。

実際、10回程度スタディンクオベーションがあったが、
米議会での外国の首相の演説では
多い方だという。

一部に、首相が過去の植民地支配と侵略に対する「おわび」を表明せず、
いわゆる従軍慰安婦問題にも触れなかったことを
批判する声も聞かれた。
というが、
だって、そういうことを言及する場ではないでしょう。
アメリカの議会での演説だから、
日米関係について論ずるのは当たり前。
馬鹿の一つ覚えで
何でもかんでも「謝罪」ばかり言うのは愚かしい。

中国に対しても、
アジアの海について、
3つの原則をあげて牽制、
「太平洋から、
インド洋にかけての広い海を、
自由で、法の支配が貫徹する
平和の海にしなければなりません」
は名文句。

これに対して、
中国外務省の洪磊(こう・らい)報道官は
29日の定例記者会見で、
日米首脳会談で同盟の強化が確認され、
南シナ海における中国の対外拡張について
懸念が表明されたことについて
「日米同盟は冷戦時代の産物であり、
第三者の利益に損害を与えたり、
地域の安定を乱したりすべきものではない。
われわれは今後の成り行きを注目する」
と不快感を表明したという。

まあ、何を言っても
自分のことを棚に上げてケチをつける国なので、
言わせておけばよろしい。

また、韓国外務省報道官は30日、
安倍首相の米議会演説について、
「正しい歴史認識を通じて
周辺国との本当の和解と協力が行える
転換点になり得たのに、
そのような認識も真の謝罪も示されなかったことを
非常に遺憾に考える」
と批判する声明を発表。

「正しい歴史認識」=韓国の歴史認識
を押しつける強引さ。
これも無視してよい。

ところで、
↓の写真が何か分かるだろうか。

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これは、4月28日にニューヨーク・タイムスに載った広告。
韓国広報専門家のソ・ギョンドク誠信女子大教授が広告主となった
日本の安倍晋三首相の「過去の歴史謝罪」を促す広告。

1941年12月7日の
ハワイの真珠湾が黒煙に覆われた写真の上に
「Attack on Pearl Harbor」の文字。
「米国真珠湾爆撃を覚えてますか?」と始まるテキストは
日本が第二次世界大戦を介して
複数の国に大きな被害を与え、
特に全世界の日本軍慰安婦に
まだ謝罪と補償をしていないという点を強調したもの。
続いて29日、
安倍首相が米国上下院合同演説をするという事実を取り上げ
「議会で慰安婦に謝罪と補償をするという
約束をしなければならない」と主張。

ここまで来ると、
もはや狂人の所業としか思えない。
日米を離間させるために、
74年も前のことを持ち出すとは。
広告を載せる方も載せる方だ。

安倍首相が演説の中で
硫黄島に上陸したスノーデン海兵隊中将と
硫黄島守備隊司令官だった栗林忠道大将の孫である
新藤義孝国会議員との間で
和解の握手の演出をしたの好対照。
まさに「昨日の敵は今日の友」の潔さ。

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過去にいつまでもこだわり、
自分たちの「恨」の情念を
アメリカ人にも押しつける狭量さを露呈したものに過ぎない。

安倍首相の演説に合せ、
元従軍慰安婦李容洙(イ・ヨンス)氏(87)が
アメリカに出掛けて
記者会見で日本の謝罪を要求したという。
その際、「2年間、強姦に遭い、
性関係を拒否するという理由で
電気ショックなどの虐待にあった」
と述べた。
電気ショック。いつの話だ。
そんな設備を日本軍が持っていたというのか?
「またホラ話」と
ネットを賑わせている。

この李さんは、
米民主党のマイク・ホンダ下院議員の招きで、
議会で安倍首相の演説を聞いたが、
一度も拍手はしなかったという。

このことについて、
アメリカのネットユーザーは、
次のようなコメントを寄せている。

「韓国政府や韓国人が
日本から不当な扱いを受けたことに対する
謝罪を受け取っていないのなら、
なぜ当事者同士でその問題を話し合わないのだ。
米議会をそのような問題の劇場として使うのか
理解に苦しむ。
そんな道化芝居を演じるなんて、
無礼で下品で無意味なことだ」

一方、韓国の法曹・外交界の女性団体関係者らが
旧日本軍の慰安婦女性を
ノーベル平和賞候補として推薦する案を推進中だと
韓国の報道機関が29日報道した。
報道によれば韓国女性弁護士会と
女性平和外交フォーラムは28日、
日本軍の慰安婦生存者である
李容洙さんら53人を
ノーベル平和賞の候補として推薦するための案を議論中だと明らかにした。

もう何を言っていいか分からない。

この韓国の常軌を逸した執着に対して、
アメリカ人も「異常だ」と気づき始めているという。

朝鮮半島専門家のスコット・スナイダー米外交問題評議会シニア・フェローが
28日、韓国メディアのインタビューで、
「日韓関係の強化は、日米韓すべてに利益を与える。
韓国が独裁などの過去を正し、
民主化を成し遂げたのと同じように、
日韓協定も見直してほしい。
韓国人が安倍首相に心からの謝罪を期待すればするほど、
彼の影響力は大きくなる。
そうするのではなく、
韓国人は自信を持って、
自ら歴史問題から脱出することができると
認識するべきだ」
と指摘したという。

分かっている人は分かっている。

それにしても、
安倍訪米は、
日米の緊密な同盟関係を世界に印象付けた。
グッジョブ


『負の方程式』  書籍関係

今日は韓国版「デスノート」チケットオープンの日で、
午後2時の時報と共にクリック。
「しばらくお待ちください」
という表示が出ている間にチケットが取られ、
出て来た広い会場の座席表は真っ白

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たまにキャンセルされた席が色で表示され、
そこをクリックしても、
タッチの差で取られている。
娘曰く
「瞬殺だった。
今までで一番一番早かった」


試しに他の日の販売状況を見ても、
真っ白っけの連続。
以前はジュンスの出ない日は良い席も取れたのだが、
今回はダブルキャストではなく、
ジュンスは全公演に出演するため、
全日予約ソールド・アウト。
チケット販売1分で完売。
公演の(販売面での)成功は間違いなし。

娘はオークションで、と言っているが、
やれやれ。


〔書籍紹介〕

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「ソロモンの偽証」文庫版第6巻に、
書き下ろしで「負の方程式」という
文庫本で100ページ程度の中短編が収録されている。
いわばボーナストラックとも言える内容だが、
藤野涼子の「その後」が描写されているので、
紹介しよう。

その藤野涼子、あの事件から20年経った今は、
弁護士になっていた。
(映画では教師)
その間に、学校内裁判で弁護人を務めた神原和彦と結婚
その和彦について、
「市塵にまみれているわたしと違って、
彼は清らかな象牙の塔の住人でございましてね。
学者って、ホントにどんどん浮世離れしていくから困っちゃう」
と言っているところを見ると、
和彦は大学で研究生活を送っているらしい。
涼子の姓が藤野のまま、ということは、
和彦は藤野家に婿養子で入ったということか。

この「負の方程式」には、
宮部みゆき作品の、もう一人の人物が登場する。
というか、この小説は
その人物の一人称で語られるから、
実質主人公。

その人物とは、杉村三郎だ。
「だれか」「名も無き毒」「ペテロの葬列」のあの主人公。
「ペテロの葬列」で妻と離婚し、
今田コンツェルンも離職した杉村は、
2年が経過し、
私立探偵になっていたのだ。
おやおや、こんなところで再会、
という喜び。
捜査のための「嘘」も初めはなじめなかったが、
今では嘘も方便として、
すみやかに口から出るようになっている。
というより、「天職」を見つけた、という感じ。

その杉村に新たな依頼が来る。
依頼主は秋吉翔太という中学生の父親。
校内で起こったある事件で息子が精神のバランスを欠いたため、
事件の真相を調べて欲しいと依頼して来た。

事件は学校主催の「避難所生活体験キャンプ」という合宿中に起きた。
参加者の一人、下山洋平が
深夜に合宿所を逃げ出し、非常ベルが作動。                    
参加したクラス委員の三好淳也らの話によると、
夜、付き添っていた英語教師の火野岳志教諭が
生徒らの部屋を訪れ、
「もし、この場で何かが起こって
誰かが犠牲にならなければ他の皆が助からない場合に
誰を犠牲にするか考えておけ」
と制限時間1時間を告げた。
生徒らは相談して、
その時のリーダーだった下山を犠牲にすることに決めた。
下山はショックを受け、
深夜に逃げ出したというのだ。

ところが、火野はこれを全面否定
そんな話しをした覚えがないと主張した。
しかし、その合宿に参加した男子7名は
口を揃えて三好の言葉を肯定し、
その場に居合わせたという女子2名も同様だった。

双方食い違う主張。
問題となり、
その途中経過の中で、
火野は学年主任を殴ってしまい退職に。
その火野によって雇われたのが藤野弁護士。
事件後、ふさぎ込むようになった秋吉の父親によって雇われたのが杉村三郎。
こうして「ペテロの葬列」と「ソロモンの偽証」の
両主人公が接触することになった。

事件は、学校関係者に接触する杉村の観察眼で
思わぬ解決をするのだが、
ミステリーとしては、軽いノリ
まあ、ボーナストラックだから
気負わずに書いた、という感じか。

事件の当事者が
藤野涼子の学校内裁判の時の年齢と近く、
藤野涼子の胸に去来するものは何か、
という興味もわく。

二人は別れる時、こんな会話を交わす。

「藤野先生、お幸せに」
「そんなの、探偵が弁護士に向かって言う台詞じゃないですよ。
杉村さんって変わってますね」
「どこかで、またご一緒することがあるかもしれませんね。
そのときは、懲りずによろしく」

杉村三郎と藤野涼子の組み合わせで、
新たなシリーズ誕生?
を期待させる終わり方である。

「ソロモンの偽証」の感想ブログは、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20150416/archive

「名もなき毒」の感想ブログは、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20150110/archive

「ペテロの葬列」の感想ブログは、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20150330/archive



焼肉バイキング  耳より情報

今日は、昼前から銀座に出掛け、

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映画を観る前に、
ここで昼食を。

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前2回、「貸し切り」だったのですが、
3回目にして、ようやく「入店許可」が降りました。

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こちらも智恵が付き、
日曜日に電話をかけ、
「明日のランチは貸し切りですか」と問い合わせ。
月曜は貸し切りが入っており、
火曜は「まだ入っていません。
でも、分かりません」との話。
前日に貸し切りが入ることなど、あるのでしょうか。

料金は前払い。
ランチの食べ放題980円+ソフトドリンク飲み放題200円。
税込みで1274円のコース。

開店直後だったので、
すいていましたが、

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じきにこの通り。

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お肉の量は豊富ですが、

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豚、鶏が多く、牛肉は1品だけ。

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チャーハン、焼きそば、カレーもあります。

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飲み物はこれで。
容器は紙コップ。

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コカコーラは中国語で「可口可楽」と書いてあります。

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これが一皿目。

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テーブルの脇に、このような時間を記入したレシートが貼られます。

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店員さんがこれを見て、
「お客様、時間オーバーです」
と言うのでしょう。(多分)

料理のところに行列が。

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列を作ることの説明が、中国語で書かれていました。

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随所に中国語の表示があります。

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豚のことを中国語では「猪」といいます。

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盛大に肉を盛ります。

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店員さんが
「並んで下さい」
割り込み防止をしていました。

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気がつけば、回りは中国人だらけ

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やかましい中国語に囲まれての食事は、落ち着かない。

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今日は貸し切りではないですが、
「36名様ご来店」などと、
中国人観光客の入店がひっきりなし。

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外人さんもいました。

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食事後の惨状。

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1時間の制限時間は、
意外とあわただしい。
最後は投げ込むように咀嚼。

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肉質、味ともに980円相当。
話のタネに行きましたが、
もう来ることはないでしょう。

出たところのお土産屋。

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ここも中国人相手。

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出たところにも中国人の団体が。

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映画の前、「口直し」に、帝国ホテルで休憩。

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いいですね、帝国ホテル。
ロビーの装花。

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昼が腹一杯だったので、
夜は軽くそうめんで。


『グッド・ライ いちばん優しい嘘』  映画関係

〔映画紹介〕

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あまり期待しないで観たが、
想像を越える良作だった。

1983年、スーダンの内戦により
村を襲われ、父母を亡くした子どもたちは、
「エチオピアへ行け。太陽の昇る方角だ」
という父の言葉を信じて、東に向かう。
しかし、エチオピアも危険だと知った兄弟たちは
今度は南に転じてケニアに向かう。
途中、民兵に会い、兄の機転で助かった弟、妹たちは
4年(!)もかかって、
ケニアの難民キャンプにたどり着く。

ここまでの描写がていねいで、
裸足でアフリカの危険地帯を踏破する子どもたちの苦労は並大抵ではない。
その間、命の危険にさらされたばかりでなく、
体の弱い弟は死んでしまう。

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それから13年
難民キャンプで無為に過ごした彼らに対して、
NGOの働きで、
アメリカの各地に移住することになった。
その数3600人。
兄妹4人は初めて飛行機に乗り、
カンザスシティに向かうが、
受け入れの規則で妹は別の都市に連れて行かれ、
離れ離れになってしまう。

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ここまでが半分。
この後は現地で職業の世話をする女性・ケリーの尽力で
アメリカ社会に慣れようと努力するが、
電話など見たこともなく、
マクドナルドも知らない
彼らの就職は困難を極める。
車に乗ればすぐ酔い、
牧場にいけば「危険な猛獣はいるか?」と聞く。
ようやく職業に付き、
定着したように見える彼らの心の中には
アフリカの大地に対する郷愁
逃避行時のトラウマに悩まされる。
そのために兄弟で口論し、
殴り合いの喧嘩にもなる。

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どんなにアメリカの生活が便利で豊かであっても、
生まれ育った大地に対する思いは取り除くことができない。
牧場で日長一日牛を観てすごすのもその表れだ。
スーパーが賞味期限を過ぎた食材を捨てる現場を見て動揺する青年。
ホームレスにそれを与え、叱られ、職場を離れたりする。
そういうことが
文明社会に染まって生きる人間に対する批判にもなっている。
彼らの姿を通して、
どんなに物質的に豊かでも、
それ自体幸福とは何の関係もないこと、
人間の幸福とは何か、
生きるとは何かを考えさせられる。

アフリカ人であるという誇りを胸に
懸命に生きようとする彼らに
離ればなれになった妹と一緒に暮らせるように
ケリーは一肌脱ぐことになる。
そして、逃避行の間に別れた長兄らしい人間が
難民キャンプにいるとの情報を得た次男は、
ケニアに再び向かう。
そこで次男はある決断をする・・・。

題名の「グッド・ライ」の意味は何か。
それは映画を観てほしいが、
意外に奥が深い。
ただ、そこには自己犠牲の尊さがある。

エンドクレジットで
スーダンの青年役で出演している俳優たちが
みんな実際の難民だったことが分かる。
これも映画の味付けになっている。
ケリーを演ずるリース・ウィザースプーンが貫祿の演技。
彼女、濱田マリと似ている。

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ユーモラスで明るい展開だが、
その描いている内容は意外に重い。
スーダン内戦の事情など
全く知らず、関心も持たない
平和ボケの日本の観客にも衝撃を与えるだろう。

しかし、深刻な内部対立を抱えるアフリカは
何とかならないものか。
その結果苦労するのは、
地道に平和に暮らしていた庶民たちなのだ。

「持病」が起きず、
一瞬も眠くならずに鑑賞した。
それもフィリップ・ファラルドー監督の力量。
重いテーマを、ユーモアでまぶしながら
笑いと共に
観客に伝える手腕は鮮やか。
拾いものの良作と言える。

5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?v=wpxw9sCMnqc&feature=player_detailpage


タグ: 映画

曽野綾子さんのコラム  政治関係

今朝の産経新聞に、
賢人・曽野綾子さんが
↓のようなコラムを書いておられる。

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題材はこの夏に発表される
総理の戦後70年の談話

「一国の立場を代表する談話などというものを
書ける人がいるとは思われない」

「文章の怖さは
決して万人には受け入れられない
という運命を持つことだと
知悉した上でやるのだろうか」

「あらゆる人が納得するようなことだけを書けば、
こんな八方美人風の可もなく不可も文章など、
通用すると思うのか、
とそっぽを向く人出る。
総理個人の思いが強力に打ち出されていれば、
それに同感する人もいるだろうが、
必ずそれを種に攻撃する人も出る」

まさにその通りで、
そもそも70年を節目に談話を出す必要性があるのだろうか。

このような総理の談話は、
50周年の節目に時の村山総理が出し、
60周年の小泉総理も踏襲したものだ。
70周年で出し、80周年、90周年、100周年と続き、
そのたびに「謝罪」を強要されるのだろうか。
50周年で総括したのだから、
次は100年。
それでいいのではないか。

私は、そう感ずる。

そして曽野綾子さんは、
「中国や韓国は、
先の戦争のことを謝り続けろ、と言うらしい」
とし、
前にも紹介した持論を紹介する。

「謝罪ということは、
直接の被害を受けた人と、
与えた人とが、
現在そこに当事者としている場合にしか、
なし得ないことではないだろうか」

「仮に私個人に、
70年も前に起きたことを
今でも言い立てる人がいたら、
そういう性格の人とは
付き合いたくないと思うに違いない。
70年前、
顔を見たこともない私の曾祖父が犯した悪事を、
今普通の市民として生きている私に責められても、
私としては謝りようがない」

「そもそも過去の認識という行為は、
すばらしいように見えるが、
あくまで後ろ向きの姿勢なのだ。
それより現在
現実にその人が、
どれだけ誠実な市民として暮らし
周囲の人にも貢献しているかが問題であろうし、
過去の認識へのそれが答えなのだ」

「戦後の日本人は、
国中焦土になった中から復興し、
誠実に働いて優良な製品を作り、
人道にもとる行為もせずに生きてきた。
それが過去の戦争に対する反省であり、
償いでもあろう」


まさに正論である。
この文章を中韓国民に配って歩きたいほどだ。

オーストラリアのアボット首相は、こう言っている。

「日本は今日の行動で判断されるべきだ。
70年前の行動で判断されるべきではない。
日本は戦後すっと模範的な国際市民であり、
法の支配の下で行動をとってきた」

しかし、中韓には、
反日に走らざるを得ない国内事情を抱えており、
戦後の日本にはケチをつけるものが何もないので、
戦争中のことを言い立てているに過ぎない。

この中韓の姿勢は、
最近では「宿痾」(=長い間治らない病気)とさえ言われている。
何の病気か。
体でないことは確かだから、
「心の病気」に違いない。
病人を相手にしても始まらない。
後は中韓が何を言おうと、
「世界の人々は分かってくれる」
毅然たる姿勢を貫くのみである。






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