『置かれた場所で咲きなさい』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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若くしてノートルダム修道女会に入り、
アメリカに派遣されて帰国後、
ノートルダム清心女子大学(岡山)の学長に就任、
現在はノートルダム清心学園理事長をつとめる
渡辺和子氏のエッセイ集。

どのページにもキリスト教に裏打ちされた
深い人生観
がうかがえる内容。

題名は著者が学長という立場で悩みを抱えていた時、
一人の宣教師が渡してくれた短い英語の詩から取っている。
その詩は次のようなものだ。

置かれたところで咲きなさい。
咲くということは、
仕方がないと諦めることではありません。
それは自分が笑顔で幸せに生き、
周囲の人々も幸せにすることによって、
神が、あなたをここにお植えになったのは
間違いでなかったと、
証明することなのです。

置かれたところで咲きなさい。
何と素晴らしい言葉ではないか。
与えられた環境に不平不満を言うのではなく、
まず自分が咲き、花開くこと。
それによって周囲に幸福をもたらすこと。
職場や学校、家庭でも
この言葉によって変えられることは多いのではないだろうか。
今いる場所で咲けない者が
他の場所で咲けるはずがない。
今いる場所で花開けば、
他の場所に移されることもあるだろう。

そして、渡辺さんは、このように書く。

どうしても咲けない時もあります。
雨風が強い時、
日照り続きで咲けない日、
そんな時には無理に咲かなくてもいい。
その代わりに、
根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。
次に咲く花が、
より大きく、美しいものとなるために。

また、このような言葉もある。

「時間の使い方は、
そのまま、
いのちの使い方なのですよ」

八木重吉の詩も紹介されている。

神のごとくゆるしたい
ひとが投ぐるにくしみをむねにあたため
花のようになったらば神のまへにささげたい

一人の実業家が、定年後に語ったという
次の言葉。

「私は、木を切るのに忙しくて、
斧を見る暇がなかった」

ある人が言った言葉。

「人生は学校で、
そこにおいては、
幸福より不幸のほうがよい教師だ」

河野進氏の作った詩。

こまった時に思い出され
用がすめば すぐ忘れられる
ぞうきん
台所のすみに小さくなり
むくいを知らず
朝も夜もよろこんで仕える
ぞうきんになりたい

次に書かれた話も心に残る。

三歳ぐらいの子どもを連れた母親が、
水道工事をしている人たちのそばを通りながら
語って聞かせています。
「おじさんたちが、
こうして働いていてくださるおかげで、
坊やはおいしいお水が飲めるのよ。
ありがとうといって通りましょうね」
同じところを、
これまた幼い子を連れた別の母親が通りかかります。
子どもに向かっていいました。
「坊やも勉強しないと、
こういうお仕事をしないといけなくなるのよ」
価値観はこのようにして、
親から子どもに伝えられることがあるのです。
最初の母親は、
人間はお互い同士、
支え合って生きていること、
労働への感謝の念を
子どもの心に植えつけたのに対して、
二番目の母親は、
職業に対する偏見と、
人間を学歴などで差別する価値観を
植えつけたのではないでしょうか。


年齢を重ねることに対する述懐。

誰しも歳は取りたくないと思いがちですが、
ある時、次のような言葉に出合いました。
「私から歳を奪わないでください。
なぜなら、歳は私の財産なのですから」
この言葉に出合って以来、
私の心には、
「財産となるような歳を取りたい」
という思いが芽生えました。
そして、自分らしく生きるということ、
時間を大切に過ごし、
自分を成長させていかなければならないのだということに、
改めて気付かされたのです。
肉体的成長は終わっていても、
人間的成長はいつまでも可能であり、
すべきことなのです。
その際の成長とは、
伸びてゆくよりも熟していくこと、
成熟を意味するのだといってもよいかもしれません。
不要な枝葉を切り落とし、
身軽になること、
意地や執着を捨ててすなおになること、
他人の言葉に耳を傾けて謙虚になることなどが
「成熟」の大切な特長でしょう。

これなど、
いたずらに「歳を取りたくない」などと言っている
私に対する自戒の言葉ですな。

著者が通った私立の小学校で教えられたことも心に残る。

入学してすぐ担任からいわれたことの一つは、
「校門を通る時、
男の子は必ず帽子を取って
守衛さんに、
先生にすると同じ態度であいさつしなさい」
ということでした。
六年間、これを続けている間に、
いつしか習慣になり、
これが一つのリーダー学であることに気付いたのは、
社会に出てからでした。

私が、今も職場で特に目立たない働きをしていてくれる人たちにあいさつするのは、
多分、小学校で身についたことなのです。
学生たちにも、
「お掃除や草取りをしていてくださる人たちに、
ごあいさつするのですよ」
といっています。
「給料を払っているのに、
あいさつしたり、ありがとうという必要はないでしょう」
という若い教師も、いないではありません。
それは、大きな考え違いです。
あいさつは、身分や立場とは無関係なのです。
特に、あいさつしてもらうことの少ない人たちに、
あいさつは、
「あなたは、ご大切な人なのですよ」
と伝える最良の手段であり、
お互いが、お互いのおかげで生きていることを自覚し合う、
かけがえのない機会なのです。

このような金言に満ちた本。
薄く、小さな本ですが、
一家に一冊、どうぞ。



『激戦 ハート・オブ・ファイト』  映画関係

大雪、と脅かされていたわりには
浦安ではほとんど雪は降りませんでした。

と思ったら、出かけた日本橋で↓の光景が。

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都内は降ったんですね。

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復元なった福徳神社。

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その境内にも雪が積もっています。

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ここまで来たのは、
本日初日のスペクタクル映画を
大きな画面とドルビー・アトモスで観るため。
初日というのにガラガラでびっくりしました。

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〔映画紹介〕

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こういう映画も観ます。

事業家の息子・チーは、
田舎を巡る放浪の生活を送っていたが、
父が事業に失敗して失踪し、
マカオの場末の飲み屋で酔いつぶれていた父を引き取る。

旦那に捨てられ、マカオの町で
女手ひとつで二人の子供を育てるクワンは、
誤って家の風呂場で息子を溺れ死にさせてしまい、
精神に変調をきたし、
娘のシウタンに支えられて生きている。

ボクシングの元王者だったファイは、
八百長で落ちぶれ、
タクシー運転手に身を持ち崩し、
借金取りに追われてマカオに逃げ、
王明君と娘の家に居候する。

ファイはボクサー時代の先輩のジムで働くが、
そこにチーがやって来て、
総合格闘技MMAに参加するために
ファイの教えを請う。
こうして師弟のMMAに向けての特訓が始まる・・・

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気楽なスポ根ものと思って観ていると、
その熱さに全身が包まれてしまう。
トレーニングと格闘技の試合、
それに居候の身でありながら
クワン母子の面倒を見始めるファイの生活との
緩急の度合いが程良い調合ぶりだ。

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チーの執念は腑抜けになった父に再生のきっかけを与えるため、
ファイの挑戦は、クワンに生きる希望を与えるため、
誰かのために頑張る姿が胸を打つ。

マカオを舞台にしたトレーニングの様子、
古タイヤ、太チェーン、荷車、ドラムなど
廃棄物を使った筋トレがハングリー。
MMAの試合の描写の迫力が観客を巻き込む。
四角いリングではなく、
八角形の金網に囲まれたオクタゴン。
ボクシングだけでなく、足技、寝業を使った格闘はダイナミック。
それを臨場感あふれるカメラワークで描く。

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挿入される「サウンド・オブ・サイレンス」が効果的。
監督のセンスが光る。

二年前の東京国際映画祭で上映後、
ようやく公開された本作。
やはりアジアの熱気を反映した熱い作りだ。

チー役のエディ・ポンは鍛え上げた肉体を披露、
ファイ役ニック・チョンは46歳に見えない体で熱演、
上海国際映画祭男優賞、香港電影金像賞最優秀主演男優賞を受賞。

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娘役の子役クリスタル・リー
上海国際映画祭女優賞を受賞。

どん底を味わった主人公たちが
何かに挑戦することで
周囲を幸福に導こうとする姿は胸を打つ。
特に弟子のチーの雪辱に名乗りを揚げるファイの姿に
こみあげるものがあった。
鑑賞後の気分はすこぶるいい。

監督は、今香港で最も勢いのある監督と言われるダンテ・ラム

予告編は↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&x-yt-cl=85114404&v=6pK56BAMOlo&x-yt-ts=1422579428

タグ: 映画

死刑制度の是非  様々な話題

先日、新聞に次のような記事が出ていました。

内閣府の発表した「基本的法制度に関する世論調査」によると、
日本で死刑制度容認派が80%を超え、
否定派を大幅に上回っていることが判明した。

それによると、
「死刑もやむを得ない」と容認したのは80・3%。
逆に「死刑は廃止すべきである」と否定したのは9・7%。

死刑容認の理由(複数回答)は
「被害者や家族の気持ちがおさまらない」が53・4%で最も多く、
次いで「凶悪犯罪は命をもって償うべきだ」(52・9%)、
「生かしておくとまた同じような犯罪を犯す危険がある」(47・4%)の順。

逆に否定の理由(同)は
「裁判に誤りがあったとき取り返しがつかない」(46・6%)、
「生かして償いをさせた方がよい」(41・6%)、
「国家であっても人を殺すことは許されない」(38・8%)の順だった。

今回は、仮釈放のない終身刑の導入を仮定した質問を初めて設置。
死刑について「廃止する方がよい」は37・7%にとどまり、
「廃止しない方がよい」が51・5%と過半数を占めた。

調査は昨年11月、
全国の成人3千人に面接で実施し、
60・9%が回答。
昭和31年から10回目だが、
質問文を過去2回を変更している。
6回目(平成6年)から前回(21年)までは
「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」
「場合によっては死刑もやむを得ない」だった。
今回は有識者からなる検討会を設置し、
「より明瞭な回答」を得られるとして変更した。

死刑制度容認派は3回目(昭和50年)の56・9%を底に増え続け、
前回は過去最高の85・6%を記録。
一方、否定派は5・7%だった。
常磐大学国際被害者学研究所の諸沢英道教授は
「今回の結果は日本における死刑支持の根強さを示した。
質問の文言などを変えたので過去との単純な比較はできない」
と指摘した。


死刑制度容認派が8割を越えているとは驚き。
昭和50年から今までの40年の間に
何があったかと思い出しても決定的なものは見当たりません。
社会全体が人道派から現実派に転換したのでしょうか。

1993年3月26日以降で
死刑が執行された者は102名
他に病死23名、自殺1名がいます。

2014年10月16日現在の
死刑確定囚は129名

刑事訴訟法には、次のように定められています。

刑事訴訟法第475条 死刑の執行は、法務大臣の命令による。
2 前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。
但し、上訴権回復若しくは再審の請求、
非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされ
その手続が終了するまでの期間
及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、
これをその期間に算入しない。

というわけで、
2015年1月1日現在、
93名が再審請求中で、
再審請求中は刑の執行が停止されますので、
刑務所で生き長らえています。
税金を使って。

死刑の方法は各国様々で、
現在58カ国の死刑存置国で行われている、処刑方法は以下の通りです。

絞首刑:日本、韓国、エジプト、イラン、ヨルダン、
     イラク、パキスタン、シンガポール他
電気処刑:米国アラバマ州、サウスカロライナ州、
      バージニア州、フロリダ州、
      ただし処刑対象者が薬殺刑を選択できる。
ガス殺刑:米国アリゾナ州、メリーランド州、
      ミズーリ州、カリフォルニア州、
      ミシシッピー州、ノースカロライナ州、コロラド州
致死薬注射:中国、グアテマラ、タイ、
        米国の死刑を執行している上記以外の州
銃殺刑:ベラルーシ、中国、北朝鮮、ソマリア、
     ウズベキスタン、ベトナム他
斬首刑:サウジアラビア、イラク
石打ち刑:アフガニスタン、イラン、サウジアラビア
公開処刑はイラン、北朝鮮、サウジアラビアなどで行われています。

各国の死刑執行数(2009年の資料)

@ 中華人民共和国 未発表。少なくとも2000回(推定)
A イラン 少なくとも388回
B イラク 少なくとも120回
C サウジアラビア 少なくとも69回
D アメリカ合衆国 52回
E イエメン 少なくとも30回
F スーダン 少なくとも9回
G ベトナム 少なくとも9回
H シリア 少なくとも8回
I 日本 7回
J エジプト 少なくとも5回
K リビア 少なくとも4回
L バングラデシュ 3回
M タイ 2回
N シンガポール 少なくとも1回
O ボツワナ 1回
-  マレーシア  未発表
-  朝鮮民主主義人民共和国 未発表




『後妻業』  書籍関係

今日は親戚筋の家に出かけ、
↓のような豪華なランチをご馳走になりました。

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その後、銀座に出かけて、

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映画を2本
1本は当たり。
もう1本は大当たり。
こういう日は嬉しいですね。

↓みかけた看板。

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疑問その1:こんなのしてもらう人がいるのか。
疑問その2:20分といえば、片耳10分。
       10分間も何をするのでしょう。

通りで見かけた遅いイルミネーション

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〔書籍紹介〕

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91歳の中瀬耕造が脳梗塞で倒れ、入院する。
中瀬には、結婚相談所で知り合った
22歳歳下の竹内小夜子という妻がいる。
中瀬の二人の娘は
小夜子は入籍したとばかり思っていたが、
実は内縁の妻だった。
中瀬が息を引き取り、相続の話になった時、
小夜子が公正証書を持ち出す。
そこには中瀬の財産の大部分が小夜子に相続させる遺言が記載されていた。

納得出来ない娘は弁護士に相談し、
興信所を雇って調べた結果、
小夜子には過去結婚歴があり、
その結婚相手が不審な死をとげていることが分かる。

実は小夜子は結婚相談所を経営する柏木亨と結託して、
資産を持っている老人の後妻に入り、
夫の死後、遺産を相続する“後妻業”を続けていたのだ。

小夜子は経過を柏木に逐一報告していた。
柏木は結婚相談所に入会した男性会員の中で
妻に先立たれて資産を持っている男性会員を小夜子に紹介、
遺産を相続させた上で、
儲けを折半するという約束を交わしていた。

「次、よさそうなんがおるんかいな」
「天祥に太い客が来た。
齢は七十三。
不動産屋の隠居や。
東大坂の瓢箪山に千二百坪の土地と賃貸マンションを二棟持っている。
子供は四人。
外に認知した子がふたりいてる。
相続関係はややこしいけど、
中瀬の爺よりは
ええ金になるかもしれん。
おれはあんたを紹介したいんや」

柏木がマネージメントする
エース級の女はほかにも何人かいるが、
小夜子はナンバーワンだろう。
頭の回転の早さ、口のうまさ、
臨機応変の変身とごまかし、
中でも罪悪感のなさは
まちがいなくナンバーワンだ。

中瀬の娘たちが依頼した弁護士や探偵によって小夜子の過去が暴かれていく。

平成15年以降、
名城小夜子、黒澤小夜子、津村小夜子、武内小夜子と名字が変わったが、
夫であった名城善彦は和歌山の白浜海岸で突堤から転落して溺死、
津村泰治は大阪市大正区の特別養護老人ホームで病死、
武内宗治郎は徳島のつるぎ町で事故死(車で転落)していた。

というわけで、
少し前に話題になった
京都府向日市の連続不審死事件
夫の殺害容疑で逮捕された
67歳の筧千佐子容疑者の事件を彷彿させる内容に、
同事件を予言した作品として話題になっているのが本書。

実際の不審死事件は、
筧千佐子容疑者が
京都や大阪の結婚相談所を介して男性と知り合い、
結婚、または交際をしたが、
短期間の間に相手の男性6人(またはそれ以上)が
次々と死亡したとされる。
その結果、千佐子容疑者が得た遺産などは
8億円に上るといわれている。

『後妻業』の舞台も大阪の結婚相談所。
武内小夜子は、69歳という高齢女性。
まるでこの事件を知って書いたような内容で、
小説家の想像力はすごい。

とにかくすさまじい内容だ。
登場人物がことごとく金銭欲にまみれ、
共感できる人間など一人もいない。
その人物たちが
汚い大阪弁で金儲けの相談をする場面が連続する。

後半、小夜子たちの犯罪が
どんな結末を迎えるか、
多少溜飲を下げるものの、
読後感はすこぶる悪い
しかし、現代の一面を明確に切り取ったという点で、
稀有な一冊である。



『ジミー、野を駆ける伝説』  映画関係

〔映画紹介〕

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1932年のアイルランド。
元活動家のジミー・グラルトンが
10年ぶりにアメリカから故郷の片田舎に戻って来る。
そこには、かつて村人たちの交流の場であった
ホール(集会所)が荒れ放題に放置されていた。
住民の要望を受けて、
ジミーはホールを復活させ、
そこで音楽やダンスや学習をし、
住民たちに活気が戻ってくる。

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しかし、保守的な教会や警察、地主たちは快く思わず、
じわじわと参加者への弾圧が強まり、
ジミー自身も警察に追われる身となる・・・。

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カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いた
ケン・ローチ監督「麦の穂をゆらす風」は、
独立戦争から内戦に至る1920年代初頭のアイルランドが舞台だったが、
この映画はその10年後を描く。

ジミーは実在する人物だが、
歴史に名を残す人ではなく、
いわば「名もなき英雄」
その人物に光を当て、
当時のアイルランドの人々の置かれた過酷な状況を描く
ケン・ローチの視点はさすが。
やはりケン・ローチはアイルランドを舞台にした時、
光を発する

ジミーが帰国した背景には世界大恐慌があり、
そのことは冒頭、ニューヨークの失業者の群れの描写で表される。
ホールでする行事には、
ジミーが持ち帰ったアメリカ文化が色濃く匂い、
それとアイリッシュの音楽が融合し、
それが地主や教会の反発を買う。
しかし、ジミーがしたことは、
どこの誰でも、自由に生き、人生を豊かにする権利がある、
ということの行使に過ぎない。
しかし、社会を支配していた層には、
それは危険思想と理解されたのだ。
それで「反キリスト」「無神論者」「アカ」という烙印が押される。

教会はホールの前に立って参加者たちをチェックし、
礼拝の説教でその名前を読み上げる。
神を讃えるべき礼拝の場を借りて、
住民たちへの非難がされる。
まさに「礼拝を汚して」いるのだが、そのことに神父は気づかない。
逮捕されたジミーに対して、
人々が罵倒する時、
神父は「彼に敬意を払え。
勇気と良識はあなたたちより上だ」
と言うが、
そんなことを言ってももう遅い。

80年前の出来事と笑ってはいられない。
日本でも70年前までは、
英米の文化を敵性文化として排斥し、
「贅沢は敵だ」と言い、
反する者に「非国民」の烙印を押し、
自由や幸福を追究することが許されない社会が存在したのだから。

ホールでの様々な活動の描写が鮮やか。
おそらく即興的に演出されただろう情景に
住民の自由への希求、文化への憧れが滲み出る。
このあたり、演出の手腕が冴える。
何より住民の表情が生き生きとしている。

ラストは思わず涙がこみ上げる。
ジミーはアメリカに追われて二度と故郷を訪れることはなかったが、
ジミーの蒔いた種が
やがて芽を出し、花開き、結実するだろうと予感させる終わり方だった。

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テレビや舞台で活動してきたバリー・ウォード
実に魅力的にジミーを演ずる。

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敵対する神父役のジム・ノートンの声の良さ。
外国の役者は声がいい。

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原題は「Jimmy's Haii」(ジミーのホール)。

5段階評価の「4」


予告編は↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?v=TYu6zqdYWsM&feature=player_embedded&x-yt-cl=84503534&x-yt-ts=1421914688

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