『五郎治殿御始末』(映画『柘榴坂の仇討』の原作)  書籍関係

〔書籍紹介〕

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「ごろうじどのおしまつ」と読む。
明治維新(御一新)の変動の中、
武家社会の崩壊で
武士という身分を捨てざるを得なかった人々の内面を描く短編集。

「椿寺まで」
日本橋西河岸町の商人・江戸屋小兵衛は、
丁稚の新太を連れて甲州街道の旅に出る。
途中、追いはぎの浪人を撃退するなど、
新太の目には、
いつもと違う小兵衛の姿が現れる。
また、共に風呂に浸かった時、
新太は、小兵衛の背中に
無数の刀傷があるのを見てしまう。
そして、街道を外れたところにある庵を訪ねた時、
新太は寺男から思いがけない話を聞く。
それは小兵衛の過去と
新太の出自に関する話だった・・・
元旗本が商人に姿を変えた生き様の物語。

「箱館証文」
大河内厚は、明治政府の官吏として働いているが、
刻々と変わっていく元江戸の町になじめないものを感じていた。
その大河内を一人の人物が訪ねて来る。
旧会津藩士の渡辺一郎という男は、
一枚の書状を取り出す。
それは五稜郭の戦いのさ中、
渡辺と組み合って敗れた大河内が
脇差をのどに突きつけられて言った
「そこもとの命、千両で売らぬか」
と持ちかけられた時の証文で、
その約束を果たすように求めているのだ。
返事は一週間後に、
と帰ったが、
明治政府が定めた「一週間」という制度に大河内はなじめない。
大体「木火土金水(もくかどごんすい)」の意味のある配列を
「火水木金土」と並び替えれば、
世界は毀れてしまう。
大河内は剣術の師匠である山野方斎を訪ねる。
話を聞いた方斎が古手紙を探し出し、
示したのは、
渡辺が方斎に対して差し出した
命と引き換えに千両を支払うという証文だった。
渡辺の自宅を訪ねた二人は古証文を示すが、
再び一週間の期間を置いて
柳橋の船宿に赴いた二人を待っていたのは、
意外な人物であり、意外なものを持ち出した・・・
戦場を舞台に
命のやりとりをした者たち
最後に行き着いた所は・・・という物語。

「西を向く侍」
幕府の天文方に勤めていた成瀬勘十郎は、
その職能で新政府に出仕するはずだったが、
もう5年も待命という中途半端な地位に置かれている。
そこへ、新政府によって、
明治5年は12月2日を大晦日にするように、
との命令が出たとの噂を聞く。
太陽歴を採用し、
世界と同じカレンダーを使うとのことなのだ。
それが間違いであることを文部省に掛け合った勘十郎は
文部省を辞去したその足で家伝の刀を売る。
そして、「大の月、小の月」で戸惑う者に対して、
「西向く士(さむらい)」を提案する。
今に伝わる小の月の覚え方の発端を描く物語。

「遠い砲音」
前二作の
一週間の制度、
太陽暦の制度
に戸惑う元武士に対して、
この話は「時計」の採用で
24時間、60分、60秒に
翻弄される近衛砲兵隊の将校の話。
元長門清浦藩の藩士である土江彦蔵は、
アウワーズ、ミニウト、セカンドという概念が理解出来ず、
たびたび遅刻していた。
その時計の読み方が分からず、
大失態を演じた彦蔵は
人事異動で正午の砲声を放つ仕事を任される。
やがて、正午、午前、午後、時、分、秒が採用され、
納得した彦蔵であったが、
預かっている藩主の口から、
「今日の砲声は20秒遅れていた」というクレームを付けられる。
丑の刻、午の刻でやってきた江戸時代から
24時間制に移行する中での戸惑いの物語。

「柘榴坂の仇討」
この短編集の中では、
これが一番いい。
詳しくは前日のブログ
映画「柘榴坂の仇討」の紹介を参照。

「五郎治殿御始末」
桑名藩の家来、岩井家の血を引く老人の
曾孫に対して語る祖父、五郎治の行く末。
恭順開城した後始末で
沢山の藩士の職を解いた祖父が
息子の離縁した妻の実家に
孫を預けるために旅に出る。
その途中で、孫は祖父と共に死ぬことを決意するが・・・
一人の侍の死に場所を求めての旅路を描く。

いずれの短編も
大きな時代の変革に戸惑う武士
愛惜に満ちた生きざまを描く。

「西を向く侍」の中で、このように書く。

御一新の後、
旧幕府の御家人たちが選ぶ道には三通りがあった。
その一は
無禄を覚悟で将軍家とともに駿河へと移り住むことであり、
その二は
武士を捨てて農商に帰することであり、
その三は
新政府に出仕する道であった。

しかし、そのいずれもが
昔の武士の矜持を保つには難しい道であった。

「五郎治殿御始末」の中で、
5代前の先祖の生きざまを書いた後、
筆者はこのように記す。

武家の道徳の第一は、
おのれを語らざることであった。
軍人であり、行政官でもあった彼らは、
無私無欲であることを士道の第一と心得ていた。
翻せば、それは
自己の存在そのものに対する懐疑である。
無私である私の存在に懐疑し続ける者、
それが武士であった。

おそらく日本の歴史の中で
明治維新ほど国の形が変わり、 
上層階級が変貌を迫られた時はあるまい。
裃を脱ぎ、洋服を着るようになった武士たちは
その内面に武士道を内包しつつ、
民衆の中に埋没していった。
そして、世代が交代するたびに
その精神は薄れ、
今の日本人の有様を迎える。

私は日本文化の背骨のように
「武士道」というものは燦然と輝いていると思うが、
既に忘れ去られようとしている。
今の時代にそれを復活させることはできないのであろうか。

そんな様々なことを考えさせられる短編集である。


『柘榴坂の仇討』  映画関係

娘が頼んでいたiPhone6+が届きました。

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右は「4」。
「5」を飛び級した分、大きさが格段に違います。
画面も大きく、鮮明。
iPhoneからおさらばした身からすると、複雑です。


〔映画紹介〕

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安政7年、彦根藩士・志村金吾
主君である大老・井伊直弼に仕えていたが、
登城途中の桜田門外で水戸脱藩浪人らに襲撃される。
井伊の警護を担当していた金吾は、
将軍拝領の長槍を奪われたのを深追いしているうちに、
井伊は暗殺されてしまう。
60名の供侍を備えながら、
わずか18名の刺客に襲われ、
主君の首級を挙げられた彦根藩は面目をつぶす。
父母は責任を取って自害するが、
金吾は切腹することを許されず、
襲撃犯で逃亡した者のうち
一人でもいいから首を上げよと命令される。

それから歳月が経ち、
5名のうち4名は既に死亡したと分かっている。
最後の仇である佐橋十兵衛の行方を追う金吾の前に
時代は変わり、江戸は東京に
元号は明治となり、
徳川も彦根藩もなくなってしまう。

桜田門外の変から13年後、
車引きに姿を変え、
名前も直吉と改めた佐橋の行方をつかんだ時には、
政府によって仇討ち禁止令が出ていた・・・

浅田次郎が2004年に発表した短編集
「五郎治殿御始末」に収められている一編を映画化。
(この本については、翌日9月30日のブログを参照)
短編なので、
取り立てられて井伊直弼に面会した金吾が
直弼の人柄に触れるシーンや

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古い友との交流や
金吾や直吉の日常が付け加えられているが、
あとはほぼ原作通り。

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セリフもぼそのまま残っている。
大きな改変は、
金吾の髪形が原作ではザンギリ頭なのが、
武家の髷のままだというあたりか。
これは、
サムライであり続けようとする金吾の心根を表して良い改変だ。

武士の社会が滅び、
民衆の中にサムライたちが埋没し、
それでも武士の魂を捨てられない群像が背後にある。
武士たちは髷を切り、紋付き袴を脱ぎ、
洋服の中に身を包んでも
武士であった自分を捨てることが出来ない。
武士の一人が金貸しに辱められている姿に
「姿形は変わろうとも、
こうしてサムライたちは生きている」
と現れる場面など、胸を打つ。

廃藩置県で、
もはや彦根藩などこの世のどこにも存在せず、
仇討ちしても帰る所はなく、
家禄が旧に復するわけでもない。
汚名がそそがれることもなく、
賞賛など決してされない立場ながら、
実直に仇討ちを求める金吾の姿は
武士の時代の掟を引きずるもので、
その不条理さがたまらない。
武士の矜持を守るために、
金吾の上で時間は止まっていた

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金吾が直吉の車の客となって、
新橋駅から柘榴坂まで行く途中、
交わす二人の会話が切ない。
そして、柘榴坂での対決。

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「おぬしは、あの日からずっと、
この垣根のきわに座り続けていたのか」
「おぬしこそ、
あの日の御駕籠のかたわらに
13年もの間、立ち続けていたのか」
という二人の会話は哀しい。
そして金吾の言う
「どうかそなたも、
この垣根を越えてはくれまいか。
わしも、そうするゆえ」
という言葉に救われる。

十字架を負わされた男が
もう一人の十字架を負わされた男と出会い、
和解し、
互いに十字架を下ろすことの出来た結末は
心にやさしく、
読書で言う「読後感」はすこぶるいい。

金吾を演ずる中井貴一が好演。
時代の変化に取り残された男の哀愁をよく演じた。

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監督は「沈まぬ太陽」の若松節朗
時代劇の名作がまた一つ誕生した。
この短編を一本の映画にしようとした企画者に拍手。

5段階評価の「4.5」

予告編は、↓をクリック。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=JCV3WZBiRXM


なお、柘榴坂は、
現在の品川駅の高輪口を出て信号を渡り、
Wing高輪とSHINAGAWA GOOS(旧ホテルパシフィック)の間を
上がったところにある。

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旧ホテルパシフィックの敷地は

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薩摩下屋敷のあったところ。

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原作には、
「品川の薩摩屋敷を右に折れると、
楠の大樹に被われた柘榴坂である」
と書かれている。

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新橋駅からここまでは駅にして3つ。
随分長い距離を二人は歩いたものだ。

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彼も咲く、我れも咲こう〜日本・中国・韓国〜  政治関係

岸田文雄外務大臣と中国の王毅外務大臣が
ニューヨークで会談したが、
日中首脳会談については、
前進がなかった模様だ。

それはそうだ。
中国側は
安倍首相の靖国神社への「不参拝宣言」
尖閣諸島の「領土問題化」
首脳会議の前提条件としているというのだから、
話が前に進むわけがない。
こんな高いハードルを設置するということは、
首脳会談をしたくない、
ということだから、
放っておけばいい。

24日北京を訪問した
三ツ矢憲生前外務副大臣らと
中国共産党の対外連絡部幹部との面会で、
三ツ矢氏らが白紙の状態で日中首脳会談を開催する重要性を訴えると、
中国側は
「白紙というが
実は落書きされている」
とやり返したという。
なかなかセンスのある反論だが、
「落書きしたのは中国側でしょう」
と言い返せなかったのは何故か。

韓国も日韓首脳会談の前提として、
慰安婦問題での安倍首相の謝罪と
慰安婦に対する国家予算での賠償を
首脳会談の前提としているという。
謝罪なら歴代の総理が何度も繰り返したし、
賠償は日韓基本条約で解決済みだから、
これも越えることの不可能なハードルの設置だ。

つまり、両国とも首脳会談に応じる気持ちがない。
というより、
応じたら、対日弱腰で叩かれる。
つまり、首脳会談の拒絶は、
外交問題よりも国内問題なのだ。

従って、あまり日本が首脳会談を求め続けるのも、
足元を見られるから避けた方がいい。
日中も日韓も緊急の課題などないのだから、
相手が困って手を差し延べて来るまで
待てばいいのだ。


今、韓国の仁川でアジア大会が開催されているが、
中国競泳の孫楊選手が、
男子400メートルリレーで、
中国が日本を破って優勝した後、
中国メディアに対して
「今夜は中国人に留飲が下がる思いをさせた。
正直に言うと、日本の国歌は不快に聞こえる」
と発言したという。

こういうところにも中国の民度の低さがうかがえる。
国歌や国旗に対しては、
その国の人たちの崇敬の的だから、
立場を越えて尊重すべき、
というのが国際的な約束事
心の中で何を思おうと勝手だが、
口に出してしまったら、
その国の国民に対する侮蔑となる。
ということがこの選手には分からないのだ。
もっともこの選手、
問題児としても知られ、
昨年は無免許でポルシェを運転してバスと衝突。
警察に拘留されて、6カ月間の大会出場停止処分を受けた人だという。
だとしたら、
こんな与太者の言うことを問題にするのもおとなげないと言えよう。

よく外国のデモで
抗議先の国旗を燃やしたり、
その国の元首の人形を焼いたりするが、
ああいうことは日本人にはしてほしくない。
抗議の仕方にも節度というものがある。
私は誰かが金正日の写真を持って来て、
「踏め」と言われても
それはしない、
と言ったことがあるが、
どんなに悪い奴でも犯罪者でも、
その人間に対して
していいことと悪いことがある。
それは、その行為をする者の
内心の尊厳の問題なのだ。

アジア大会関係でもう一つ。
仁川アジア大会に出場するホッケーの日本男子選手が、
韓国の女子高生にホッケー協会のバッジを渡したことが、
思わぬ波紋を呼んだ。
バッジが旭日旗を連想させるデザインだったためだ。

場所は仁川市の富平女子高校。
同校の室内ホッケー場で練習していた選手が、
練習を見に来た女子学生約20人に、
記念品としてバッジを手渡した。
しかし、女子高生は、旭日旗に似ていたことを不快に思い、
教師に知らせた。
学校側は、非常識な行動だとして、
組織委員会に問題を提起したという。

関係者によると、
国際試合などで相手チームと交換するためのもので、
選手は、記念になればとの思いで手渡し、
相手に不快感を与える可能性があるという認識は全くなかったという。

そのピンバッジのデザインが↓これ。

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旭日旗が↓これ。

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朝日をデザイン化すれば、
こういうものになるのは当然。
これも「似ている。やあねえ」で終わることは出来なかったのだろうか。
少なくとも組織委員会に提訴するような問題ではないだろう。


首相経験者の発言などが波紋を呼んでいるが、
福田康夫元首相は25日、都内で講演、
日中、日韓関係について
「過去の話をいつまでしていても切りがない。
その結果、前進がない」
などと述べ、
歴史認識に関わる問題を
2国間の重要議題にすべきでないとの考えを示したという。

福田さん、たまには良いことを言う。

日韓の未来志向については、
韓国大統領が何度も触れている。

↓は、外務省が制作した「未来志向の日韓関係を目指して」という動画。

https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=A0rQztPmGPU

この中でも触れているが、
1998年、金大中大頭領が来日した際、
「今後、韓国政府としては、
過去の歴史についての問題は
出さないようにしたい」
と明言している。
一国の大統領の発言だから重いが、
その重さを
その後の韓国政府は軽んじている。

とにかく、
中韓は日本を貶めたい一心だ。
その材料として、
すぐに戦争中の問題を持ち出す。
逆に言えば、
戦後の日本の世界に対する貢献には
文句を付ける余地がないということなのだ。

競うなら、前向きに競えばいい。
「彼も咲く。我れも咲こう」
として、それぞれの国が花開けばいいのだ。
それこそが良き隣人の姿ではないか。


『国境』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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黒川博行の「疫病神」シリーズ5本のうち、2作目。
「破門」で直木賞を取ったのと同じ登場人物。
建設コンサルタントの二宮と暴力団・二蝶興業の桑原。
二人は同じ人物から詐欺の被害に遇う。
二宮は建設機械の北朝鮮への輸出を巡って、
桑原はその若頭が北朝鮮へのカジノへの出資話で。
詐欺の犯人は在日朝鮮人・趙で、
大金を持って北朝鮮に逃げた。
そこで、桑原は若頭の指示で趙の後を追って北朝鮮に入る。
腐れ縁の二宮を伴って。

一度目の平壤では、
ツアーへの参加の形を取ったため、
監視員の干渉を受け、
行動が思うままに任せないが、
趙をあと少しのところまで追いつめ、
一旦帰国した後、趙が逃げた経済特区に行こうとするが、
招請状が2カ月かかることを知り、
それでは趙が更に逃亡するかもしれず、
とにかく早く潜入するために、
中国経由でセメント袋の中に隠れて密入国を果たす。
日本語を話せるガイド李の手引きで
趙の足取りを探り、
ついに捕獲、
詐欺の絵図と残された数億の金の行方を知ると、
三人は豆満江を渡って脱出を図るが・・・

二度にわたる北朝鮮での出来事がすさまじく細密。
一度は平壤、二度目は国境付近の片田舎。
綿密な調査に裏打ちされた描写は迫真力にあふれ、
ページをめくる手を止めない。

この作品が書かれたのは2001年。
小泉訪朝はその翌年だから、
はるかに先見性に満ちている。
しかも小説に描写された北朝鮮は、
その後13年たっても変化が見えない。
金正日は死んだが、
その息子に王朝は引き継がれ、
民衆は飢餓にあえいでいる。

小説の中で
北朝鮮の住民の声を借りて、
この国がなぜこんな悲惨になったかを語らせている部分がある。

「ひとつは、
人々の物質的な欲望を無視して
政治スローガンばかり優先したこと。
『いくら仕事をしても報われない』
という認識が一般化しました。
ふたつめは、
需要と供給を考えず、
中央が一方的に決定する計画経済体制です。
三つめは、
軍需産業にあまりに多くの投資がなされ、
民需部門に資金がまわらなかったこと。
四つめは、
金父子の個人独裁により、
非生産的な記念碑やモニュメント建設に
財源を浪費したこと。
五つめは、
ソ連と東欧諸国が崩壊して、
それらの国からの援助が中断し、
しかも貿易で外貨決済が要求されるようになったため、
資材や原料の調達が困難になったこと──」

全く今と同じ状況である。
金王朝を取り巻く少数者が特権を守り、
その外側にいる国民は悲惨な目に遇っている。
今度の冬は越せない、
今度こそもうだめだ、
と言われながら、
何とか持っているのは、
やはり中国の援助があるからに違いない。
中国の責任は重い。

小説の中に描かれている北朝鮮の姿は、
賄賂ばかりで不正が横行している姿だ。
まるで国あげてヤクザ稼業に地道をあげている様だ。
このような国家が存在していること自体が
歴史の恥だと思わなければならない。

一日も早くこの国が崩壊することを望む。

舞台が日本に戻ってからも、
企業や政治家、詐欺師集団が絡んで
一大事件へと発展する。
いずれの人物も金の亡者で、
金の奪い合いを展開。

実はこの小説、
444ページで2段組。
正味1155枚の大作だが、
途中止まることなく読み終えた。
それというのも、
二宮と桑原の会話が
漫才のように面白く、魅力にあふれているからだろう。
桑原の言う「パーマデブ」(金正日のこと)など笑える。
「ハングルを制定したのは世宗大王ではなく、
金日成が創始したと教えられているんです」
などというところもある。

北朝鮮の実情
これほど見事に描いた小説は、他に知らない。
その意味で、貴重な本である。


映画サークル  映画関係

今日は昼頃、銀座に出て、

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映画を2本ハシゴ
2本とも5段階評価が「3」の映画で、
このブログで紹介するほどではないのが残念。

映画の合間には、
またも↓で食事。

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食べても食べても減らない、
立ち食いステーキの店です。

その後は、東銀座に移動して、
映画鑑賞サークル「CCS」
月1回の会合。

近況の報告の後、

「オール・ユー・ニード・イズ・キル」
「GODZILLA ゴジラ」
「マレフィセント」

の3本の映画について、
感想を述べ合いました。

出席者の一人が「めったにない経験」を披露。
都内のある映画館で「フライト・ゲーム」を観た時のこと。
本編が始まってしばらくして、
字幕が出ていないことに気づいた。
事務所に行ってみると、
アルバイトみたいな青年が弁当を食べている。
映写室はもぬけの空。
電話連絡して映写技師が来て、
調整しても、今度は音が出ない。
そんなこんなで、40分ほど経過して、正常化。
時間のない方は、招待券をもらって帰り、
最後まで観た人にも招待券が。
しかし、次の回も上映開始が大幅に遅れたはずで、
どうしたんでしょうか。

字幕が出ない、
という事態は、
昔のフィルム上映なら考えられませんが、
今のデジタル上映ならあり得ることです。
家庭でDVDを上映する際、
字幕を日本語、英語、字幕なし、
と選べるのと同じです。

しかし、上映開始後は、
映写技師が映写室から席を外してしまう、
などということは初めて知りました。

昔のように、2台の映写機で交互上映していた頃は、
映写技師は結構忙しかった。
まず、終わったリールを巻き戻す作業。
次のリールをかけ、
窓から覗いて、
画面の右端に丸いマークが出ると、
次の映写機を始動。
二度目の丸いマークで機械を切り換え。
これを10分ごとにやらなければならないわけです。
フィルムのかけ方を間違えると、
画面が上下に分割してしまったり、
ピントが合わなかったりで、
それらの調整もしなければなりません。

こうした上映方式だからこそのミスも沢山ありました。
一番多いのが、リールの順番が狂ってしまうこと。
「クオ・ヴァディス」を観た時のこと。
一度燃えたローマが
次の巻では燃える前に戻っていた。
もっとも一緒に観た人は気づいていませんでしたが。

「ニュールンベルグ裁判」を二番館で観た時のこと。
それまで英語でしゃべっていた俳優たちが
突然、日本語で話しだした。
巻が変わると、再び英語に。
これは、裁判劇なので、
吹き替え版も公開されたのですが、
その字幕版と吹き替え版のフィルムが混在してしまった事態。

そのうち、すべてのリールを一本にまとめての上映に移り、
10分おきに映写機を交代する手間はなくなりました。
更に大きな変化はデジタル上映。
ハードディスクを使って、
ビデオのような操作
(見たことはありませんが、
多分、そうなんでしょう)
で上映。
それにしても映写室からいなくなるというのは、怠慢だと言えるでしょう。

昔は映写技師は資格が必要でした。
なにしろ、可燃性の分物質を扱うんですから。
フィルムが不燃性になってからも、
フィルムを傷つけないために、
一定の研修が必要でした。

公民館などで16ミリフィルムを借りて上映する場合でも
研修終了証が必要でした。
今のデジタル上映では資格はどうなっているんでしょうか。

本編以外の予告編もデジタル上映なのか、
だとしたら、バラバラに入って来る予告編を
一本にまとめるのか。
予告編だけフィルム上映なのか。
誰か知っている人がいたら、
教えて下さい。


↓は、帰路、乗換駅の八丁堀で見たもの。

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というのは、
今朝のNHKの番組で、
「待ち合わせには携帯電話で連絡しあうのが今風だが、
昔は、駅に伝言板というのがあって、
『先に行く』などと連絡しあったものだ」
という話が出ていました。

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でも、今も伝言板ってある、
という証拠写真。


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