定年一周年  

本日をもって、
定年後一周年を迎えました。
昨年5月31日、
職場を辞して、建物を見上げて感慨にふけり、
新浦安駅で待ち合わせしたカミさんと共に、
市民墓地の父母の墓前に報告したのが、
昨日のことのようです。

そのように、
あっと言う間の1年間でした。

最初の3カ月、
何だか淋しく感じたりすることもありましたが、
1年もたつと、
リタイア後の生活はすっかり体になじみました。
午前中は読書をし、
午後は映画やビデオ、
夜はブログでパソコンに向かう生活。
1日置きにジムに出かけ、
エアロビクスやステップで汗をかき、
ほとんど貸し切り状態の風呂に入って帰宅。
何とも気持ちがいい。

そして、月一度の海外旅行
振り返ってみれば、
次の旅行をしました。

 6月 ハワイ
    モロッコ
 7月 韓国(華麗水万博)
    チベット
 8月 アメリカ横断
 9月 アイスランド、イギリス
10月 バルト三国(リトアニア、ラトビア、エストニア)
    韓国
11月 南部アフリカ(南アフリカ、ザンビア、ジンバブエ、ボツワナ)
12月 韓国
 1月 ヨルダン
 3月 南米(ブラジル、アルゼンチン、ペルー)
 4月 ベルギー、オランダ
    韓国
 5月 中欧(ハンガリー、スロバキア、オーストリア、ポーランド、チェコ、ドイツ)

15回25カ国
通算112日(出発日、帰着日も含む)ですから、
1年のうちほぼ3分の1は海外にいたことになります。
通算では133回、56カ国。
そろそろ行くべきところには行った感じで、
今は「落ち穂拾い」的に国を埋めているところ。

この1年間、映画は映画館で85本
ビデオや機内で80本
舞台は24作
本は57冊を読みました。

この間、運転免許も取りました。

しかし、この恵まれた生活を
あと半年ほどした後、
生活そのものを変えてみようと思っています。
今は、その準備期間。
走り出したら止まれないので、
走り出す決意を固めているところです。

とりあえず、
この1年間の報告でした。


映画『アンネの日記』  映画関係

〔旧作を観る〕

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今まで観る機会がなかったが、
アムステルダムでアンネ・フランクの家を訪問したこと、
ポーランドでアウシュビッツ強制収容所に行ったことで、
この旧作をツタヤ・ディスカスで申し込み。

監督は、当時一流のジョージ・スティーヴンス
原作はもちろんアンネ・フランクだが、
タイトルを見ると、
脚本のフランセス・グッドリッチ
アルバート・ハケットによる
舞台劇からの映画化であると分かる。
音楽はアルフレッド・ニューマン
撮影はウィリアム・C・メラー

アメリカ公開は1959年3月18日
日本公開は1959年9月8日。
いろいろな映画紹介で上映時間150分とあったが、
実際は179分。
3時間近く、
序曲と終曲が付く大作扱い。

映画は、
1945年、
強制収容所で生き延びたを出たオットー・フランク(ジョゼフ・シルドクラウト)が、
屋根裏部屋のある建物に戻るところから始まる。
留守を守った人物から
娘アンネ(ミリー・パーキンス)の書いた日記を渡される。
日記は1942年7月9日から始まる。

アンネの父オットーはユダヤ人で、
ヒットラーが政権をとると
オランダに亡命。
そのオランダもナチの侵攻を受け、
ユダヤ人狩りが始まる。
アンネ一家は親友のバン夫妻と
息子ピーター(リチャード・ベイマー=「ウエストサイド物語」のトニー)と共に、
隠れ家生活を始める。
その後、デュッセルというユダヤ人歯医者が加わり、
8人の共同生活だ。

階下は香味料工場で、
朝8時半から夕方5時半までは工場で働く人がいる。
一家は朝8時から6時までは、
靴を脱ぎ、言葉を交わさず、
トイレの水も流さない生活を強いられる。
配給券は3人分しかなく、
3人分の食糧を8人で分ける生活だ。

映画は、
ほとんど室内で、
8人の生活が描かれる。
食べ物の分け方で争いあったり、
ピーターのことで姉妹が嫉妬しあったり・・・
ユダヤ伝統のハヌカの祭の祝いで
聖書を朗読するシーンなど胸を打つ。
それに続く、階下の事務室への泥棒の侵入・・・
夜警にみつけられて
ナチの軍人が隠れ家近くまで迫る緊張感。
また、同居の父親が空腹に耐えかねてパンを盗む挿話も哀れだ。

ラジオで伝わる戦況が一家の希望となり、
ノルマンディー上陸作戦の成功に歓喜する。
しかし、泥棒の密告で、
ある日、親衛隊が隠れ家に訪れて来る。
オットーは、
静かに身支度を始め、
「2年間おびえて暮らした。
今から希望に生きよう」
と言う。

この摘発シーンは、
8人の様子だけを描いて、
見事な描写だ。

最後にアンネは、日記にこう記す。

「隠れ家の暮らしも終わりのようです。
荷造りの時間はわずか。
許された荷物は、カバン一つと
それに入る衣類だけです。
だから、日記さん、
あなたを連れて行けません。
しばしお別れね。
追伸:どなたか存じませんが、
この日記を見つけたら、
どうか大切に保管して下さい。
もしかしたら」


ここで日記は終わったことになっている。
(実際の日記にこういう終わり方ではない)

共同生活する中、
アンネとピーターに恋心が芽生える。
二人が天窓から外を見ながら交わす会話が切ない。

「私、閉じ込められて、
初めて自然の素晴らしさを知ったわ」

「信仰があればいいのよ。
天国や地獄を信じろとか
普通の宗教のことじゃないの。
ただの信仰。
何でもいい、
ただ何かを信じるの」

私たちだけじゃないわ。
昔からいろんな民族が
苦しい目にあってきたわ。
こんな恐ろしい世の中で
何かを信じるのは難しいわ。
でも、私は思うの。
今に世界も変わるわ。
何百年と待たなくても
いつかこんな時代は終わる。
こんな世の中でも
私は信じている。
人間は本来は善なのだと」

生き延びたオットーは、
家族の生還に希望を託するが、
妻も死に、アンネの姉も死に、
アンネもなくなったことを昨日知ったという。
そして、日記を開いたオットーは、
「こんな世の中でも
私は信じている。
人間は本来は善なのだと」

という下りを読み、
「何という子だ」
とつぶやいて映画は終わる。

普通の幸福を望めるはずの家族が
戦争の狂気に蹂躙されて
幸福を奪われる状況に陥る姿を描いて、
涙なしには見られない作品である。

アンネを演ずるミリー・パーキンスが清楚。
父オットー役のジョゼフ・シルドクラウトが素晴らしい。
音楽のアレフレッド・ニューマンもいい。

1959年アカデミー賞で、
作品賞・監督賞・助演男優賞(エド・ウィン)・
助演女優賞(シェリー・ウィンタース)・
撮影賞(白黒)・美術装置賞(白黒)・
衣裳デザイン賞(白黒)・音楽賞
の8部門にノミネート。
うち、助演女優賞・撮影賞(白黒)・美術装置賞(白黒)の3部門を受賞。
当時は白黒からカラーへの移行期であったため、
撮影賞、美術装置賞、衣裳デザイン賞は
カラーと白黒で部門が分かれていた。


4月の旅行で、
アイネ・フランクの家を訪ねた時のことは、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20130519/archive

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タグ: 映画

中欧旅行記・2 ブラチスラバ  旅行関係

私がかつて所属した、
食肉業界にとって朗報が舞い込んだ。
新聞によると、

牛海綿状脳症(BSE)について、
国際獣疫事務局(OIE)が、
日本は最も安全な「無視できるリスクの国」であると
認める決定をしたことがわかった。
農林水産省が29日に発表した。
パリで開かれているOIE総会で31日(現地時間)に正式に認定される。

OIEは、
過去11年以内にその国で生まれた牛で
BSEの発生がないことを認定の要件としている。
認定されれば、
日本産牛肉の輸入を安全性を理由に規制している
ロシアや中国、韓国などに対し、
規制緩和を求める材料になる。

日本でのBSEは、
2000年8月生まれの牛が09年1月に
北海道で36例目として確認されて以降、発生はない。


更に、

牛海綿状脳症(BSE)の全頭検査について、
厚生労働省と農林水産省は19日、
7月1日に一斉に中止するよう求める通知を都道府県などに出した。
国は検査対象を段階的に絞り込んできたが、
全国の自治体は独自に全頭検査を続けている。
検査対象をさらに絞り込むのに合わせ、
足並みをそろえてやめるよう促す。


とのこと。
業界に所属していた頃、
BSE騒動の真っ只中で
もみくちゃにされた立場から言うと、
「やっとそうなったか」という思い。
まずは、めでたいが、
BSEの副産物である
「個体識別番号」はどうなるのだろうか。


さて、中欧旅行記を続けましょう。


3日目は、
ブダペストを出て、
スロバキアのブラチスラヴァに向かいました。

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こんな景色を見ながら、バスは進みます。

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途中、風力発電の風車が沢山見られます。

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ハンガリー側の国境。

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スロバキア側の国境。

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スロバキアの位置は、↓。

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ケルト人が先住民ですが、
1世紀ごろゲルマン人が、この地を支配。
5〜6世紀頃にスラブ人が移住して来、
9世紀に現在のスロバキア、モラヴィア、ボヘミア、シレジア地方に
大モラヴィア王国が成立。
10世紀になってマジャール人の侵入を受け、
ハンガリー王国が成立すると、
この地域は北部ハンガリーと呼ばれ、
ハンガリーの一地域として扱われるようになります。
オスマン帝国がハンガリーに侵入すると
ブラチスラヴァにハンガリー王国の首都が移されました。
第一次世界大戦の終了と共にオーストリア・ハンガリー帝国は崩壊。
1918年、チェコスロバキア人国家として独立を宣言。
第二次大戦後、
共産圏に組み入れられ、
1960年、国名をチェコスロバキア社会主義共和国に改称。
1989年11月、ビロード革命。共産党政権が解体されます。
1993年1月1日、チェコとの連邦を解消(ビロード離婚)。
2004年5月1日、欧州連合 (EU) に加盟。

昔は「チェコスロバキア」と呼びましたが、
円満に別れて、かえって関係はよくなったそうです。
麻生さんがチェコを訪れて、
「チェコスロバキア」と言ってしまったのは、有名な話。
「総理、くれぐれも国名を間違えないように」
とレクチャーする外務省の人間はいなかったのでしょうか。

広さは北海道の半分ほどに550万人が暮らしています。

などと講釈を述べている間に、
ブラチスラヴァに着きました。

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聖マルチン教会

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オスマンの侵攻でハンガリーの首都がブラチスラヴァに移されていた間は、
この教会でハンガリー王の戴冠式が行われました。
1563〜1830年にかけて、
ここで即位したハンガリー王は11人、
女王は7人にのぼり、
その中には、
かのマリア・テレジアも含まれています。

戴冠式の後の王の行進の経路が道路に残されています。

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城壁跡。

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一番にぎやかな通り。

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旧市街城壁に設けられていた門のうち、
唯一現在まで残っているのが、
ミハエル門

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その上の塔。

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「その町の一番高い所に登る」という
方針に従い、登ってみました。

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上は武器博物館になっています。

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ここから外へ。

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町の眺望。

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ブラチスラヴァ城が見えます。

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その後、旧市街を散策。

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小さな町です。

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ここから世界の各都市の方向を示します。
ブラチスラヴァの中心地点。(ゼロキロメートル地点)

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東京までの距離。

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途中にあった教会。

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フラヴネー広場
日の丸の旗は、日本大使館。

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オペラ座

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現代アートの町としても知られ、

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市内のあちこちに、斬新な現代アートが展示されています。

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これは、違います。

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ナポレオンのアート。

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これが一番人気だとか。

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ブラチスラヴァ城に向かいました。

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4つの塔があることから、
「ひっくりかえしたテーブル」とも呼ばれています。

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18世紀には、
女帝マリア・テレジアの居城でもありました。

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壁を修理中。

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城からのドナウ川の眺め。

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旧城壁を見ながらブラチスラヴァにさよならし、

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再び、風車を見ながら、
ウィーンに向かいます。

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スロバキアとオーストリアの国境

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考えてみれば、
ハンガリーもスロバキアも、
かつては「鉄のカーテン」の向こう側。
行きたくても行けるところではありませんでした。
しかし、今、国境はなく、
自動車でひとまたぎ。
自由主義圏への復帰は
どれほどの喜びだったでしょうか。

一方、鉄のカーテンが崩壊して、
困ったのがスパイ小説の作家たち。
私の読書歴の中での推薦図書に「トロイの馬」というのがありますが、
確か、恋人を救出するために
チェコに潜入する話でした。
もう今、その状況はありません。
一つの創作上の「縛り」が喪失したわけです。

バスは、ブラチスラヴァから
わずか1時間でウィーンに着きます。


世界遺産100  旅行関係

先日、ブダペスト歴史地区で
訪れた世界遺産が100に到達した、
と書きましたが、
そのリストを下記に列挙します。


ヨーロッパ

アイスランド
シンクヴェトリル国立公園 (2004年、文化遺産)

イギリス
ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター寺院と聖マーガレット教会 
                        (1987年・2008年、文化遺産)
ロンドン塔(1988年、文化遺産)
カンタベリー大聖堂、聖オーガスティン修道院、聖マーティン教会
                            (1988年、文化遺産)

イタリア
レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・
  デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院 (1980年、文化遺産)
ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂
                            (1980年、文化遺産)
フィレンツェ歴史地区(1982年、文化遺産)
ヴェネツィアとその潟(1987年、文化遺産)
ピサのドゥオモ広場(1987年、文化遺産)
ポンペイ、エルコラーノおよびトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域 
                            (1997年、文化遺産)
ヴェローナ市街(2000年、文化遺産)

バチカン市国 
バチカン市国(1984年、文化遺産)

エストニア
タリン歴史地区(旧市街) (1997年、文化遺産)

オーストリア
シェーンブルン宮殿と庭園群(1996年、文化遺産)
ウィーン歴史地区(2001年、文化遺産)

オランダ 
キンデルダイク=エルスハウトの風車網(1997年、文化遺産)
アムステルダムのシンゲル運河の内側にある17世紀の環状運河地域
                            (2010年、文化遺産)
ギリシャ
アテネのアクロポリス(1987年、文化遺産)

クロアチア
ドゥブロヴニク旧市街(1979年、文化遺産)
ディオクレティアヌス宮殿のあるスプリトの歴史的建造物群
                         (1979年、文化遺産)
プリトヴィツェ湖群国立公園(1979年、自然遺産)
古都トロギール(1997年、文化遺産)
シベニクの聖ヤコブ大聖堂(2000年、文化遺産)

スペイン
古都トレド(1986年、文化遺産)

デンマーク
クロンボー城(2000年、文化遺産)

ドイツ
ライン渓谷中流上部(2002年、文化遺産)
ベルリンのムゼウムスインゼル(博物館島) (1999年、文化遺産)

トルコ
イスタンブールの歴史地区(1985年、文化遺産)
ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群
                       (1985年、複合遺産)
ヒエラポリス、パムッカレ(1988年、複合遺産)
トロイの考古遺跡(1998年、文化遺産)

ノルウェー 
ウルネスの木造教会(1979年、文化遺産)
ブリッゲン(1979年、文化遺産)
西ノルウェーフィヨルド群 -ガイランゲルフィヨルドとネーロイフィヨルド
                             (2005年、自然遺産)
ハンガリー 
ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り
                        (1987年・2002年、文化遺産)
フランス
ヴェルサイユの宮殿と庭園(1979年、文化遺産)
パリのセーヌ河岸(1991年、文化遺産)

ベルギー
フランドル地方のベギン会修道院群(1998年、文化遺産)
ブリュッセルのグラン=プラス(1998年、文化遺産)
ベルギーとフランスの鐘楼群(1999年、2005年拡張、文化遺産)
ブルージュ歴史地区(2000年、文化遺産)

ラトビア
リガ歴史地区(1997年、文化遺産)

リトアニア
ヴィリニュスの歴史地区(1994年、文化遺産)
ケルナヴェの考古遺跡(ケルナヴェ文化保護区)
                          (2004年、文化遺産) 

アフリカ

エジプト
メンフィスとその墓地遺跡〜ギーザからダハシュールまでのピラミッド地帯
                      (1979年、文化遺産)
古代都市テーベとその墓地遺跡(1979年、文化遺産)
アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群(1979年、文化遺産)
カイロ歴史地区(1979年、文化遺産)

ザンビア/ジンバブエ
モシ・オ・トゥニャ/ヴィクトリアの滝 -(1989年、自然遺産)

南アフリカ
ロベン島(1999年、文化遺産)
ケープ植物区系地方の保護地区群(2004年、自然遺産)
スタークフォンテン,スワートクランズ,クロムドライ 及び周辺地域の
           人類化石遺跡群  (1999年、文化遺産)

モロッコ
フェス旧市街(1981年、文化遺産)
マラケシ旧市街(1985年、文化遺産)
アイット=ベン=ハドゥの集落(1987年、文化遺産)


中東

イスラエル
マサダ(2001年、文化遺産)

パレスチナ
イエスの生誕地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路
                       (2012年、文化遺産)
 
ヨルダンによる申請
エルサレムの旧市街とその城壁群(1981年、文化遺産)

ヨルダン
ペトラ(1985年、文化遺産)


                                 
アジア

インド
アーグラ城塞(1983年、文化遺産)
タージ・マハル(1983年、文化遺産)
デリーのフマーユーン廟(1993年、文化遺産)
デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群(1993年、文化遺産)

カンボジア
アンコール遺跡(1992年、文化遺産)

タイ
古都アユタヤ(1991年、文化遺産)

大韓民国
石窟庵と仏国寺(1995年、文化遺産)
昌徳宮(1997年、文化遺産)
済州の火山島と溶岩洞窟(2007年、自然遺産)

中国
万里の長城(1987年、文化遺産)
北京と瀋陽の明・清王朝皇宮(1987年、文化遺産)
蘇州古典園林(1997年、文化遺産)
頤和園(1998年、文化遺産)
天壇(1998年、文化遺産)
明・清王朝の皇帝墓群(2000年、文化遺産)
ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群(1994年、文化遺産)
マカオ歴史地区(2005年、文化遺産)

日本
法隆寺地域の仏教建造物(1993年、文化遺産)
古都京都の文化財(1994年、文化遺産)
古都奈良の文化財(1998年、文化遺産)
日光の社寺(1999年、文化遺産)
原爆ドーム(1996年、文化遺産)
琉球王国のグスク及び関連遺産群(2000年、文化遺産)

ネパール
カトマンズ盆地(1979年、文化遺産)


オセアニア

オーストラリア
シドニー・オペラハウス(2007年、文化遺産)

ニュージーランド
ウェストランド・クック山国立公園、フィヨルドランド国立公園を含む
                             (1986年、自然遺産)               

アメリカ

アメリカ
グランド・キャニオン国立公園(1979年、自然遺産)
自由の女神像(1984年、文化遺産)
ヨセミテ国立公園(1984年、自然遺産)
ハワイ火山国立公園(1987年、自然遺産)

メキシコ
メキシコシティ歴史地区とソチミルコ(1987年、文化遺産)
古代都市テオティワカン(1987年、文化遺産)
古代都市チチェン・イッツァ(1988年、文化遺産)
古代都市ウシュマル(1996年、文化遺産)

アルゼンチン/ブラジル
イグアス国立公園(1984年、自然遺産)

ブラジル
リオデジャネイロ、山海に囲まれたカリオカの景観群
                      (2012年、文化遺産)
ペルー
リマ歴史地区(1983年、1991年、文化遺産)
ナスカとフマナ平原の地上絵(1994年、文化遺産)
クスコ市街(1983年、文化遺産)
マチュ・ピチュの歴史保護区(1983年、複合遺産)

以上100に、今回の旅行の

ポーランド 
アウシュヴィッツ・ビルケナウ−ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所
               (1940年-1945 年) (1979年、文化遺産)
クラクフ歴史地区(1978年、文化遺産)

                  
チェコ
プラハ歴史地区(1992年、文化遺産)
チェスキー・クルムロフ歴史地区(1992年、文化遺産)
テルチ歴史地区(1992年、文化遺産)

 
を加えて、現在105となります。

しかし、以上のリストを見て、
重大な欠落があることに気づいた方もいるはず。
その欠落を埋めるために、
近くまた旅をしなければならないのですが、
その欠落とは何か。
答は、6月4日のブログをご覧下さい。

                      

胃カメラを飲みました  

今日は胃カメラを飲みました。

私の健康状態について言うと、
自覚症状的には何も悪いところはありません

年1回の健康診断で毎回言われるのは、
肝機能系検査で、
AST(GOT)とALT(GPT)の数値が高いので、
「肝機能障害の疑いあり」
しかし、精密検査を受けると、いつも「問題なし」。

代謝系検査で中性脂肪が多いので、要経過観察。

尿中蛋白がプラスなので、これも要経過観察。
しかし、これも精密検査では、「問題なし」。

尿酸値は、最近落ち着いています。

血圧も一時期高くなりましたが、
今は上が130以下、下が80以下で、安定。

肥満も「要経過観察」ですが、
BMI(体重÷身長÷身長。基準範囲は18.5〜24.9)26.5は、
年齢的に仕方ないのではないでしょうか。

そういうわけで、
「神が与えた頑強な体」を自認。

今まで病気らしい病気は、
十数年前に十二指腸潰瘍をやり、
この時は、真っ黒な便が出て、
貧血で顔面蒼白。
人生で初めて、階段がこわくなりました。
これも薬で完治。
「名のある病気」は、これ一回のみ。

あとは、5年に1度位、
腰痛が起こり、
ズボンの着脱に困るほどですが、
2〜3週間で、いつの間にかなくなっています。

現在は「50肩」。
二の腕が痛く、
夜も眠れないほどでしたが、
これも最近はよくなりました。

それが、今度の胃の変調
3カ月ほど前から、
安静時、
たとえば映画を観ている時や就寝時に
おなかがモコモコすることが多くなりました。
1年ほど前に大腸内視鏡で見てもらいましたが、
良性のポリープが2つ3つ。
今度は胃ではないかと、
市内で内科医に診てもらい、
胃カメラを飲むことになりましたが、
評判が良い内科医のため、
予定が一杯で、
2カ月待たされることになりました。
その間に病状が進んだらどうするんだ、
と思いましたが、待つしかありません。

先日の中欧旅行中も、
バスの中などで、
おなかがモコモコします。
夜、ベッドで仰向けに寝ると、
何だかおなかが動く。
さては、病状が進んだか、と思いましたが、
旅の終わり頃には症状が治まりました。

たまにしか病気をしないので、
大袈裟に考える癖があり、
これだけおなかがモコモコするのだから、
胃の中が変調をきたしているに違いない。
ポリープか、潰瘍、それとも・・・
と妄想は膨らみます。

で、昨夜は9時から断食して、
朝、病院へ。
胃の中の泡を取る液体を飲まされ、
まず、触診。
超音波で胃だけでなく、
肝臓、膵臓、胆嚢、腎臓などを見ますが、
いずれも問題なし。
次に内視鏡検査に移り、
のどに麻酔スプレーをふきかけられ、
横向きに寝かされて、
胃の動きを押さえる薬を注射。
口にへんなものをくわえさせられ、
そこからカメラを挿入されます。
何かごそごそやっていて、その間、約5〜10分。
終わった後、1時間ほど安静にさせられ、
やがて、診察。

診察結果は





萎縮性胃炎

ですと。

撮影した映像をプリントで見せてもらいましたが、
潰瘍はおろか、ポリープさえない。
多少赤く腫れているものの、
きれいさっぱり。

そういえば、
健康診断結果を見たら、
毎年「慢性胃炎疑」と描かれていました。

胃炎。
原因は何か。
ストレスか。
ストレスなどかかりようがない生活なのに。
タバコも飲まない、酒も飲まない。
カミさんは「冷たいものの飲み過ぎ」と言います。

ただ、今度の検査でピロリ菌が検出されました。
解説書に、
「ピロリ菌に感染すると、胃に炎症を起こすことが確認されています」
と書いてあります。
すると、胃炎の原因はピロリ菌か。

ピロリ菌は、胃ガンの原因ともいわれ、
ピロリ菌に感染していない人のガンの発症率はゼロだそうです。

そこで、
ピロリ菌を殺す薬をいただきました。

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1日2回1週間続けて飲めば、
約80〜90%の患者がピロリ菌を除菌できるとのこと。

昨日66歳になったばかりの自分としては、
健康に留意しなければならないのが第一。
前にもこのブログで書いたことのある、
「老後を豊かにする2K・2Y」
真っ先に来るのが、「健康」
健康に障害があっては、旅行もままなりません。
「まず健康」
という昔の標語があり、
「健康のためなら、死んでもいい」
という笑い話もありますが、
まず健康であることを一番に、
余生を過ごしたいと思います。

さて、それでは、ピロリ菌を殺す薬を飲みましょう。





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