『国を蹴った男』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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「春はそこまで」と並び、
先の直木賞候補作。

伊東潤らしく、
戦国武士に題材を取った6篇の短編集。

「牢人大将」

武田家牢人衆の頭目郡波(なわ)藤太郎と
その側近、五味与惣兵衛の奮闘を描く。

武田軍の中で鬼っ子扱いの牢人衆は、
危険な任務ばかり与えられるが、
功績をあげ、人数も増え、
藤太郎は「牢人大将」と呼ばれるまでになる。
無理ばかりさせる、ということで、
信玄からは「無理之介」という名前までいただく。

藤太郎には、上杉輝虎に奪われた旧領郡波城を取り戻すという目的がある。
しかし、功をあげた藤太郎の求めたものは、
「わが身分は、このままで構いませぬ。
その代わり、わが功を黄金(こがね)に替えていただけませぬか」

と申し出、その金を部下と共に遊里で使ってしまう。
その思いは信玄との次の会話に現れている。
「武士たるもの、失うものが大きければ大きいほど、
よき働きはできませぬ。
それゆえ失うものがない立場でおる方が、
よき働きができると思うのです」
「失うものがない立場とな」
「はい。人は土地を持てば一家を成します。
一家を成せば、それに甘んじ、大過なく過ごせるよう、
何事も無難にこなすようになります。
さすれば怠惰の心も生まれます。
それがしは、それがいやなのです」
「いかにも人は安住の場を得ると、心が萎える。
常に不安に身を置いていれば、
死に物狂いの働きもできる」
「仰せの通りにございます。
地位も身分もなき方が、
武士はよき働きができるのです」


信玄の死後、
勝頼軍の中で危険な仕事に従事する中、
応援に向かった砦を武田家直臣たちが逃げ散ってしまった事態に遭遇する。
逃げない牢人衆に対して武田信実が
「なぜ逃げぬのか」と問い、「おぬしらは忠義者だな」と言うのに対して、
次のように答える。
「われらが逃げぬは、
忠義心からではありませぬ。
われらは、仕事をせねば飯が食えぬのです。
たとえそれが死地であろうと、
われらは託された仕事を全うすることで、
食い扶持を得ています。
いったん逃げてしまえば、
われらは糧を得ることはできませぬ。
それが逃げても飯の食える直臣の方々とは違うのです」
「それが牢人というものなのだな」
「はい、われらは、それを誇りにしております」

その結果、死地におもむき、
「与惣兵衛、さらばだ」
「無理之介、冥土で会おう」

と言葉を交わし
「これだけの死に場はない」
と歓喜の中で討ち死にする。

「戦は算術に候」

石田三成の部下、
長束利兵衛正家は、
算術に長け、
兵站維持に必要な物資、費用、運搬にかかわる馬の数などを瞬く間に算出でき、
石田三成の秘密兵器として重用される。
秀吉からは「道具は使うもので、使われてはならぬ」と言われ、
「よき算盤を持ったからといって、
算盤ばかりに頼ってはならぬ。
算盤がいかに正しき答えを弾き出しても、
それが正しいか否か、
疑ってかかる必要がある」

と諭されるが、
石田は人が信じられぬこの世で、
頼みとするのは理だけであり、
それを支える算があれば、怖いものはないと思っている。

秀吉の死後、
小早川勢を味方につけるために
黄金5千枚を用立てた石田三成は、
天下分け目の関が原の戦いで、
小早川に約束の履行を迫るが、
小早川は「値切った」と言って約束を果たそうとしない。
長束正家に聞くと、
「耳をそろえて黄金五千枚相当、引き渡した」
との返事だ。
「今、何と言った。その相当というのは、いかなる意味か」
との問いに正家の答えを聞いた時、石田三成は、
「算盤がいかに正しき答えを弾き出しても、
それが正しいか否か、
疑ってかかる必要がある」
と言った秀吉の言葉を思い出し、
──わしには、道具を使いこなすことなどできなかったのだ。
と悟るのだった。


「短慮なり名左衛門」

上杉謙信死後の跡目争いで功を挙げた毛利名左衛門は、
長考の名左衛門と呼ばれ、重用されていたが、
論功行賞の不満を持っていた。
それを上杉景勝の奏者で頭角を表して来た樋口与六政景から同情される。
やがて政景から執政二人を除く計画を持ちかけられるが・・・
「長考」と呼ばれた名左衛門のしたことが
「短慮」と呼ばれるに至る一篇。

「毒蛾の舞」

佐久間盛政が前田又左衛門利家の内室、まつから
「(夫)又左を男にしていただきたい」
と色仕掛けで責められる。
実は幼少の時、
又左とまつの交合の様を目撃して以来、
まつへの想いが盛政にはあったのだ。
賤が岳の戦いで
その実行を迫られた中、
盛政の決断は・・・
戦国武将の判断が
一人の女の色仕掛けで左右されるという、
ちょっと納得のいかない一篇。

「天に唾して」

堺の自治をめぐり
秀吉の狡猾な罠にはまった千宗二は
秀吉の茶堂として出仕しながら
秀吉に対する不信と嫌悪を棄てきれないでいた。
「この猿のような男の小さな頭から出る悪知恵を、宗二は憎んだ。
己の欲望を満たすには、
人の弱みに付け込めばよいという簡単な道理を、
秀吉は知悉していた。
おそらく、これまでの人生で多くの辛酸をなめ、
その中から会得した知恵であるに違いない。
しかし、そうしたやり方こそ、
人が最も嫌悪することなのだ」

やがて秀吉の裏切りに合い、
諫言するが斬られそうになる。
その際の啖呵がなかなかいい。
「天下を獲ったとて、やはり心根は下郎の頃と変わらぬようですな」
「聞け、藤吉。茶の湯の道はな、欲に囚われた者には、
生涯かかっても分からぬものだ」


その後、転々とした宗二は、北条家に身を寄せ、
秀吉の総攻撃を前に
和睦交渉の使者に立てられる。
その場で、師匠千宗易(千利休)と共に
秀吉に罠をかけるところが本編の白眉。
6篇中、本編が一番面白かった。

「国を蹴った男」

蹴鞠(けまり)工房に勤める五助は
師匠の裏切りに合い、
流浪の旅に出た後、
今川義元の息子氏真(うじざね)に拾われる。
氏真は蹴鞠の名手であり、
氏真の庇護のもと、
五助は幸福な日々を送る。

やがて、桶狭間の戦いで義元が死ぬと、
今川家の命運は氏真の双肩にかかるが、
和歌と蹴鞠に耽溺する氏真は動こうとしない。
失望した家臣は一人二人と去り、
今川家は昔日の面影がないほど落ちぶれていく。
落城寸前、氏真は想いを五助に語る。
「五助、わしは鞠を蹴り、歌を詠んで生涯を過ごしたかった。
わしなど鞠を蹴るか歌を詠むほかに何もできぬ男だ。
このまま、ここで鞠でも蹴っていれば、
甲州兵が討ち取ってくれる。
さすればこんな世とも、
おさらばできるというものだ」

これに対し、五助は
「──蹴鞠や和歌がうまくて、何が悪い。
欲に駆られた餓鬼ばかりの世にあって、
これほどのお方がいようか」

と思い、
「御屋形様が悪いのではなく、
戦ばかりのこの世が悪いのです。
己の欲の赴くままに、
他人の土地を侵す餓鬼どもに何の価値がありましょう」

と励ます。

その後、氏真が織田家に召し抱えられる頃には、
付き添いは五助たちわずかなものとなっていた。
そして、織田信長の前で蹴鞠の技を披露する前、
五助は以前世話になった宗兵衛から
妻子の命と引き換えに
信長暗殺計画の加担をもちかけられる・・・

蹴鞠を作る職人「鞠くくり」という珍しい職業人を題材に取った一篇。
「天に唾して」に次いで面白い。
特に、氏真が武士をやめてから、
歌人としての才能を溢れ出すことなど、
人には「任」というものがあることを知らしめて妙。
「江戸幕府の厚意により、
その葬儀は、
十万石の大名に匹敵する格式で盛大に営まれたという」
という結語が味わい深い。



ヨルダン旅行記・4 マダバとネボ山  旅行関係

今回の旅は、
↓のパンフレットで、

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いつものとおりトラピックスです。

37名参加予定のところ、
雪の関係で35名となり、
男性11名、女性24名
一人参加は男性7名、女性10名の17名。
3分の2が高齢者
特に一人参加者は高齢者が多い。
頼もしい限りです。


ジェラシュを発ったバスは、
結構緑の中を通り、

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マダバの町に入りました。

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ヨルダンでは外国の団体に
ツーリズム・ポリスという方が一人付きます。

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いつの間にかバスに乗っていて、
いつの間にかいなくなる不思議な存在。

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でも、ちゃんと拳銃を所持しています。

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町でみかけた↓は、選挙ポスターではなく、
お葬式のお知らせ。

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顔写真付きの訃報というのも珍しい。

マダバでは、聖ジョージ教会へ。

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ギリシャ正教の教会。

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床のモザイクの地図が、「世界最古の地図」として有名です。

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6世紀のビザンチン時代の作。
死海からは魚が逃げ出しており、

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エルサレムも描かれています。

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ギリシャ正教なので、

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イコンと呼ばれる宗教画が豊富。

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これが竜退治をする聖ジョージ。

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その他、聖書の絵解き。

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文字の読めない民衆に聖書の物語を知らせました。

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色彩があざやかに残っており、

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とてもきれい。

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マダバ近辺は、洗礼者ヨハネが活動した場所としても有名。
イエスがここで洗礼を受けたのではないかとされる場所もあります。

門前町なので、

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お土産物屋が軒を連ねます。

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このようなものは売れそうですが、

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こんなものを買う人がいるのでしょうか。

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不思議です。

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その後は、ネボ山へ。

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ここは、モーセ終焉の地として有名です。

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モーセは「旧約聖書」に出て来る人物で、
エジプトに移住したヤコブ一家の
末裔であるヘブライ人が増えすぎたことを懸念したファラオは
ヘブライ人の男児を殺すよう命令しました。
モーセはしばらく隠して育てられましたが、
やがて隠し切れなくなり、
パピルスのかごに乗せてナイル川に流されます。
たまたま水浴びしていたファラオの王女が彼を拾い、
水からひきあげたのでマーシャー(「引き上げる」の意味)にちなんで
「モーセ」と名づけられました。
モーセの姉の機転で、
実の母親を乳母として王女に雇われることができ、
モーセは王子として育てられる一方、
ヘブライ人としての民族教育を母親から受けることになります。

成長したモーセは、
あるとき同胞であるヘブライ人がエジプト人に虐待されているのを見て、
はからずもエジプト人を殺害してしまいます。
これが発覚し、
ファラオに命を狙われたモーセは逃れて
ミディアンの地(アラビア半島)に住み、
ツィポラという女性と結婚し、
羊飼いとして暮らしています。

ある日燃える柴のなかから神に語り掛けられ、
ヘブライ人を約束の地
(聖書中では「乳と蜜の流れる地=カナン」と言われている現在のパレスチナ周辺)
へと導く使命を受けます。

エジプトに戻ったモーセはファラオに会い、
ヘブライ人退去の許しを求めますが、
ファラオは拒絶し、
なかなか許そうとしません。
そのため十の災いがエジプトにくだり、
最後にはファラオの息子を含めて
すべてのエジプトの初子が命を落とします。
ファラオはここにいたって
ヘブライ人たちがエジプトから出ることを認めます。

ヘブライ人がエジプトを出ると、
ファラオは心変わりして軍勢を差し向けます。
ヘブライ人たちは紅海に追い詰められ、
絶体絶命の状況に陥ります。
この時、モーセが手にもっていた杖を振り上げると、
海の水が割れたため、
ヘブライ人たちは渡ることができました。
しかし、後を追って紅海を渡ろうとしたファラオの軍勢は
ふたたび閉じた海の水に飲まれてしまいます。

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その後、モーセは民と共に苦しい荒れ野の旅を続けます。
モーセはシナイ山に登って十戒を受け、

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神はヘブライ人と契約を交わします。
これが「古い契約」=「旧約」です。

モーセは石版を入れた『契約の箱』を先頭にシナイ山を出発し、
40年荒野をさまよった挙げ句、
ヨルダン川を渡り、
エリコを滅ぼして、
カナンの地に入ります。
しかし、モーセは約束の国に入ることを許されず、
ヨルダン川の手前でピスガの頂ネボに登り、
約束された国を目にしながらこの世を去ります。
120歳であったモーセはモアブの谷に葬られましたが、
その場所は誰も知らないとされています。

というわけで、
そのネボ山の展望台から

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西方向を眺めます。

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正面がエリコ。

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かすんで、よく見えませんが、

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ヨルダン川らしきものと、

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死海らしきものが見えます。

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これは、モーセの記念十字架

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ローマ法皇が来たことを示す記念碑。

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これは何だか分かりません。

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反対側の景色も雄大です。

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その後は、モザイクのお店へ。

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マダバはモザイク画を制作する職人が多くいたことから
「モザイクの町」とも呼ばれています。

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モザイク作りの実演。

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その場で石を切って、貼っていきます。

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中には何カ月もかかるものもあります。

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点の集積で、

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今のプリンターやテレビの原理と同じ。

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それにしても見事なものです。

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その他にも、こういうお土産は

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どこも同じで、売れるのか?という疑問が再び。

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バスは一路南へ。
「デザート・ハイウェイ」(砂漠の高速道路)と呼ばれる道を
225q走ります。

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その名のとおり、砂漠というか、土漠の連続。

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時々町が蜃気楼のように現れます。

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しかし、四角い建物は変わりません。

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トイレ休憩で寄った土産物屋の一角に、お祈りの場所が。

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再びお土産品の数々。

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ペトラがらみのものも増えてきました。

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夕方の光の中を

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進み、

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ペトラのホテルに到着。

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すぐ前には「モーセの泉」があります。

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モーセが岩を杖で叩くと水が湧き出たという伝説。

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そういう伝説に満ちあふれた世界です。

さあ、明日はいよいよペトラ遺跡です。




運転免許、取りました!  

今日は早起きして、幕張へ

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千葉運転免許センター
最後の学科試験を受けるため。

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既に一月だけで、
千葉県内の交通事故死亡者は15名。
全国ワースト4位だそうです。

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がらんとした空間に

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申請の列。

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食堂や売店もあります。

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教習所卒業の方はこの看板の下に並びます。

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早めに行ったので、行列の一番でした。

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受験番号をもらい、階上へ。

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座席が指定されています。

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こんな会場。

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最初に録音された説明があり、
試験開始は9時28分
50分間に95問の設問に「正誤」の○×で解答します。

ヨルダンから帰国後、
22,24,25と怒濤の教習を受け、
めでたく先週末の26日に卒業検定に合格して
この日を迎えましたが、
学科試験に落ちては洒落にならないので、真剣。
教習所の自習室のコンピューターの模擬試験では
99点の連続でしたので、
(なぜか1つだけ間違える)
まず不合格はないだろうと思いつつも、
やや緊張。

試験終了後、
電光掲示板の前で結果を待ちます。

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終了後、15分ほどで結果が出て、
いよいよ発表です。

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番号の出た人が合格者。
「やった」という歓声が上がります。

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空白のスペースは不合格者で、
元の試験会場に戻って、
点数をきかされます。

さいわい合格したので、
次に行列を作り、

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適正検査。実は視力検査。

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カメラはここまでにし、
次に写真撮影して、
再び2階の別の会場で
講習、実は交通安全協会の説明を受けます。

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今日からみなさんはドライバーの仲間。
事故を起こさずに済む立場である。
昨年千葉県は死亡事故170人目標でしたが、
年末175人で目標を達成できなかった。
交通安全協会の交通指導員はボランティアで3千人いる。
その活動の目標は
「交通事故を一件でも減らそう」ということです、
との貴重な話。

そして、運転免許証の交付。

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この一枚をもらうために、
10月4日の入所式から
約4カ月間教習所に通いました。

第1段階12時間、
第2段階19時間の技能教習の合間に
第1段階10時間、
第2段階16時間の学科教習。
計57時間。
追加教習3時間を入れて、合計60時間。


学科教習は決まったスケジュールに合わせて行けばいいのですが、
技能教習は予約制で、
これが大変詰まっています。
なにしろ3週間先でないと取れない。
後はキャンセル待ち。
勤めながらはまず無理で、
教習生は学生ばかりです。

その中で65歳のおっさん一人。
初めての車上では、
あっちによろよろ、
こっちによろよろ。
1時間やって
「もう一回やりましょう」と教習科目1時限目は不合格。
その日は落ち込み、
「自分は運転に向いていないのではないか」と
弱気の虫が頭をもたげました。

「前ばかり見ないで、目的地を見ろ」
「ハンドルを見ちゃ駄目だ」
「反応が遅い」
と叱咤され、
「あなたは会社では管理職でしょうが、
教習中の姿は部下には見せられませんよね」
と指導員に同情されたりもしました。

途中、「狭路の通行」では、
曲線(S字)コース、屈折(クランク)コースで
何度も脱輪し、
2度「もう一回やりましょう」を食らいました。

毎日夜と早朝、
教習所のホームページにアクセスして
キャンセルによって生ずる「空車」をみつけるとクリックして予約。

その甲斐あって、
仮免検定は2カ月弱の11月29日に通過。
その後の仮免学科試験も満点をいただきました。

第2段階に入り、路上教習へ。
教習所内は最高速度30キロで、
しかも狭いですから20キロ位しか出せません。
路上で最高60キロ出せるものかと心配していましたが、
意外とスピードが出て、快適。
路上教習は楽しかった
高速では100キロを体験し、
自主経路設定はクリア。

約4カ月弱で免許をいただきましたが、
この間、毎月海外旅行をしていたことを思えば、
順調だったのではないでしょうか。

かかった経費は、
最後の登録のための千葉県収入証紙代を含め、
総額29万2,975円
3回食らった足踏みの教習料13,230円の追加で済んだのも
普通ではないでしょうか。

自動車保険会社に電話して
運転者の追加もし、
いよいよ明日からドライバーの仲間入り。
せいぜい事故をしないように気を付けます。
「世界が広がるよ」
と言ってくれる方もいます。
65の手習い。
どんな世界が見えて来るのか、楽しみです。



『トロイアの人々』  オペラ関係

今日は、上京

いつもの、↓今日の歌舞伎座

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内部に明かりがついています。

目的地は東劇で、
METライブビューイング今期7作目、
ベルリオーズ「トロイアの人々」です。

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正味4時間以上かかるこの長大な作品。
長さとスケールの大きさゆえに、なかなか上演の機会がありません。
なにしろ、ベルリオーズ生存中は全幕上演されず、
初演の1863年は第2部のみの上演。
死後20年の1890年にドイツ語版の全幕上演はありました
(ただし、2日に分割)が、
オリジナルのフランス語版全幕上演は、
ベルリオーズ死後100年たった1969年のこと。
日本ではまだ全幕上演はされていません。

METの初演は1973年で、
今度のプロダクションは1983年
フランチェスカ・ザンベッロ演出のもの。

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題材はトロイ戦争で、
第1部(第1幕・第2幕)は、
「トロイアの陥落」と題されています。

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ギリシャ軍がトロイアを包囲して10年が経ち、
突然包囲を解き撤退。
残された木馬を城内に引き込んだ結果、
中に隠れていたギリシャ兵によって城門が開かれ、
トロイアが崩壊するという顛末。

その警告をする
トロイアの王女で未来透視能力のあるカサンドラを
デボラ・ボイトが演じます。

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この人、どんな役をやっても
表情が同じですね。

第2部(第3幕〜第5幕)は、
「カルタゴのトロイア人」と題され、

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難を逃れ、イタリアに向かうトロイア人の英雄アエネアスと
カルタゴの女王ディドーとの悲恋が描かれます。

カルタゴの位置は、↓こちら。

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最後は、トロイアの亡霊たちにイタリアに行くことをうながされた
アエネアスがディドーに背を向けて旅立ち、
ディドーは自害。
その時、ローマに遠征するハンニバルについての予言をします。

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(ハンニバルとは、
第二次ポエニ戦争 (紀元前218年 - 紀元前202年)
の時のカルタゴの将軍で、
イタリア半島に侵攻し
卓越した指揮能力を発揮し、
ローマ陥落の一歩手前まで陥らせた。
ちなみに、
「オペラ座の怪人」で、
冒頭演じられるのが、
架空のオペラ「ハンニバル」。)

ディドーを演ずるは、
スーザン・グラハム

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女王としての気品と女の情熱を合わせ持つ女性を演じて、
とてもいい。
メゾソプラノは深みがあっていいですね。

第1部と第2部を貫く英雄アエネアスは、
予定されていたマルチェッロ・ジョルダーニに代わり、
ブライアン・イーメルが演じます。

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聞けば、ジョルダーニは不調のため、
3ステージをしただけで、
この役を降りたそうです。
ジョルダーニは大根だから、降りて正解で、
代役のイーメルが
METデビューとは思えない素晴らしい出来
国家存亡の使命と恋の間で悩む人間像を巧みに演じます。
その苦悩を歌う「最後の別れの時が来たならば」は、
しばらくの間、拍手が鳴りやまないほどの喝采を受けていました。

「トロイアの人々」と題名にあるように、
合唱が素晴らしい
METの合唱は本当にすごい。
今回は110人体制で、
何役もこなし、
舞台裏で衣裳替えであわただしいと、
合唱指揮のD・パランボが言っていました。
この人が合唱指導になってから、
METの合唱は格段良くなりました。

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ザンベッロの演出は
視覚的変化をもたせて
長さを感じさせず、
なかなか見事なものでした。

全編国家の存亡、
失った祖国への愛惜の情、
神意と人情の間で揺れ動く人間の性が表現され、
現代にも通じる世界を現出します。
特に第3幕と第5幕がよかった

最後はほぼ全員がスタンディング・オベーション。
しかし、いつも思うことですが、
最前列の人たち
(METに多額の寄附をして、
最前列を獲得した人たち)
は、滅多なことでは立ちませんね。

第1・2幕 90分
第3・4幕 106分
第5幕   55分
で、正味4時間11分。
それに幕間インタビューと休憩を入れて
5時間17分
まさに体力勝負です。
今回は、コーヒーとサンドイッチ持参。
4週連続上映の最後を飾り、
超大作に酔った夜でした。

滅多にやられない作品を
こうして演じてくれて、
たっぷり楽しませてくれる。
やはりMETライブビューイングはやめられません。


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ヨルダン旅行記・3 ジェラシュ遺跡  旅行関係

ヨルダンの2日目は、
アンマンから北へ。

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雪の名残が散見されます。

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それにしても、
建物は四角く、簡素。

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50キロほど走って、
ジェラシュ遺跡へ。
ヨルダンで二番目に人気のある遺跡です。

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凱旋門

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129年に時の皇帝ハドリアヌスが訪れたのを記念して建てられましたが、
予算が足りなくなり、未完のまま。

その横にあるのが競馬・戦車競争競技場

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長さ245m、幅52m。

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1万5000人もの観客を収容したといいます。
そのわりには修復した客席は少ない。

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主に戦闘用馬車の競走などが行われていたといいます。

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ここが遺跡の入り口、南門

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ここの通路を過ぎると、

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フォーラムと呼ばれる広場に出ます。

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長さ90m、幅80mの楕円形の
イオニア式の列柱に囲まれた空間。

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市場か宗教的儀式に使われていたらしい。

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それとも、市民の憩いの場か。

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柱は切ったものを積み重ねてあり、
こんな風にずれているのも。

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遠くから全景を見ると、こんなです。

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ゼウス神殿

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元はヘレニズム時代に建てられましたが、
現在残っているのは、
2世紀に造られたもの。

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これは南劇場

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北にも同様な劇場があります。

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3000人を収容できたそうです。
音響効果に優れた劇場です。

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高い位置にある入り口。

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モギリ嬢がいたのでしょうか。

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ジェラシュには新石器時代から人が住んでいましたが、
紀元50〜60年頃から
ローマ帝国の繁栄に伴って
交易で潤い、
人口は2万5千人にものぼりました。

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当時の2万5千ですから、大都会です。

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広い敷地に建物が散在します。

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3世紀の初め頃には繁栄の絶頂期を迎えますが、
海上輸送の発達やパルミナの滅亡などにより、
一旦徐々に衰退。

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392年、テオドウス帝により
キリスト教がローマの国教として定められると、
いくつかの神殿は教会に転用されます。

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その後、ビザンチン帝国の傘のもと
300年の繁栄を謳歌しました。

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614年にペルシャ軍が襲来、

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636年にはイスラム軍に完全に征服。

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8世紀には大地震が起こって建物の多くが崩壊。
人口はかつての4分の1になってしまいました。

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↓は、アルテミス神殿

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12本の高い柱が林立しています。

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女神アルテミスに捧げられた神殿。
でも、女神の姿はありません。

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この柱が天井を支えていました。

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このスプーンは耐震構造だったことを証明するため。

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スプーンを動かすと、
柱の上部が揺れます。

↓フォーラムから北門に続く列柱通り。

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かつてこの石畳を

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民衆が闊歩したかと思うと、

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感慨深いものがあります。

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しかし、都市の栄華も有限。

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東京だって、いつ廃墟になるか分かりません。

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「ここが国際フォーラムの跡地。
ガラス張りで柱のない構造、
そして無駄な空間という、
バブル時代の象徴のような建物だったそうです」
などとガイドが説明するのでしょうか。

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その後、ジュラシュは
12世紀に十字軍が短期間滞在して以来、
歴史の舞台から消えてしまいます。

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発見されたのは19世紀になってから。

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発見したのは、
ドイツ人旅行者でした。

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ニンファイム

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水の精ニンフに捧げられたもの。

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修復作業が始まったのは、1925年から。
↓は、南門の修復前と後の写真。

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木の位置にご注意下さい。

↓もそれぞれの場所の修復前と後の写真。

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遺跡にはお土産物屋がつきものです。

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買う人がいるのかと、

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いつも不思議ですが、

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商売が成り立たなければやめるはずで、

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そこそこ売れていました。

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可愛いラクダのぬいぐるみ。

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砂絵。

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作るところは、後日紹介しますが、
本当に神業。

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続きはまた今度。





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