保冷剤と『宰相の資格』  

夏の節電対策の一つとして企画した
保冷剤の共同購入
意外と出足が悪くて心配しましたが、
今日までに280箱ほど注文があり、
当初の予想とおりの結果となりました。
よかった、よかった。

せっかく企画しても応じてもらえないと、
企画倒れであったかと、
次からいやになりますからね。


〔書籍紹介〕

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産経新聞に2005年10月13日から
2011年1月13日まで連載した
「首相に申す」を一冊にまとめたもの。

2005年10月といえば、
小泉さんが郵政選挙で296議席という
圧倒的勝利をおさめた直後。
その後、5年3カ月の間に、
安倍、福田、麻生、鳩山、菅と
次々と首相は交代した。
中途に自民党から民主党への政権交代さえあった。

その小泉〜菅に至る6人の首相に
櫻井よしこさんは直言し続けたわけである。
相当辛辣に、鋭く。
                                        
菅直人については、
こう書いている。

政策や理想よりも権力を追う人物が首相になった。
己れの政権が国益を損ない続け、
国民の心が離れていっても、
菅直人首相は「石にかじりついても」
宰相の座にとどまり続けたいという。
恥を知らない人物なのである。


この本では、
まず菅直人について書き、
さかのぼって鳩山由紀夫を分析し、
ここから一挙に小泉純一郎に飛んだ後、
今度は時系列にそって、
安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と述べていく。

鳩山・菅と続く民主党政権のていたらくを書き、
その民主党政権を生むに至った
自民党の凋落を、
小泉・安倍・福田・麻生とたどっていく。
まさに政権交代は起こるべくして起こったのであり、
その結果、とんでもない「異形の政府」が誕生してしまったことが分かる。

「まえがき」は、

一国の宰相──なんと重い言葉か。

という書き出しで始まる。
そして、明治からの宰相の歴史に触れ、
諸外国の宰相の例に論を進め、
最後に日本の現在の宰相についつて書いた後、
こうしめくくる。

指導者たらんとするわが国の政治家にとって必要なのは、
深く歴史を学び、
広く世界を見ることだ。
思索の時間を己れのためと、
日本のために確保し、
考えを深めることだ。
心身の鍛練を続け、
自分が生きている間の評判などに
決して振り回されはしない
という覚悟を身につけることだ。
まさに評価は歴史が下してくれる。
たとえ、眼前のいま、
評価されなくとも、
宰相たる者の道を志したのであれば、
それでよいのである。


その覚悟のあった首相は、
この5年間にいただろうか。

そう思いつつ、この本で改めて6人の宰相について読むと、
暗澹たる思いにさせられる。
こんな人たちしかいなかったのか。
政治家としてどころか、
人間として劣悪な人たちが
なぜ国のトップに立つのか。

それはおそらく選び方のシステムが悪いのだとしか思えない。
その上、システムを動かす人たちが、さらに悪い。

せっかく政権交代に国民が期待しても、
自民党のしたことを否定したのはいいが、
悪い方に変えてしまった。
その象徴が普天間問題であり、
対中国問題だ。

わが国には、中国という「困った隣人」がおり、
その隣人が着々と力を付けており、
外交手腕は一枚も二枚も上だ。
それに勝とうと思えば、
まともな歴史観を持つしかないのだが、
それが全く欠けている。
だから福田首相のように、
「お友達の嫌がることをあなたはしますか。
しないでしょう。
国と国の関係も同じ。
相手の嫌がることを、
敢えてする必要はない」

などという幼稚なことを言う。
相手(中国)が日本に対して嫌がることをし続けているのに。
これでは甘く見られるはずだ。

などと書いていくときりがないのでやめるが、
総理大臣などと威張っていても、
このかよわき女性一人の舌鋒にかなわない。

引用したい部分は山ほどあるが、
きりがないので、
2、3だけ抜き書きして終わろう。

政治家が命をかけて築き守っていくべき
国家のその根本は外交と国防である。

国家は経済によって滅びるものでも、
たった一度の敗戦によって滅びるものでもない。
指導者が対立を恐れ自信を喪失するとき、
国民は支柱を失い、
国家は確実に滅びていく。

(日本には)どの国にもない、
健全な金融資産の塊に加えて、
文字どおり世界一の水準を誇る
各分野の技術がある。
よく働き、人を幸せにすることを誇りに思う価値観も、
いまだ失われていない。
お金も技術も、
さらに心もあるのである。
これをもって日本の底力と
首相は呼んだのであろう。


中国の首脳は、
ある外交の場で
「日本は30年後には滅んでいるだろう」
と言ったという。
今のままなら、確実にそうなる。
そうならないように、
若手の政治家たちよ、
立ち上がれ。


業務伝達マニュアルと『マイ・バック・ページ』  

組合は東京都の二つの部署が管轄で、
そちらに決算報告や様々な申請を出しますが、
その一年分の一覧表を作り、
見本を付けて、
業務引き継ぎファイルを作り、
次長に説明、伝達。
事務局長の仕事の中でも重要な部分なので、
これを作って、ほっとしました。
事務局長が意図しているのは、
「誰が見てもトレース可能なマニュアル」で、
こうしたことを一つ一つ積み上げていくのが
この1年間の仕事になります。


一息ついたので、
帰宅途中「ちょっと一本」。
ようやく映画を観る余裕が出来た、
というより、
明日までが使用期限の招待券がありましたので、

映画は、
妻夫木聡松山ケンイチ主演の
「マイ・バック・ページ」

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予備知識なしに観たら、
しょっぱなに安田講堂事件が出て来て、びっくり。
なにしろ、昨日、安田講堂の前を通ったばかり。
ニュースの音だけで、事件の映像は出ないが、
冒頭の建物内部は、壁の落書きなどから見て、
あきらかに安田講堂を模している。

↓その落書き。

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「連帯を求めて孤立を恐れず 
力及ばずして倒れることを辞さないが 
力を尽くさずして挫けることを拒否する」


とか、

「君もまた覚えておけ 
藁のようにではなく 
ふるえながら死ぬのだ
1月はこんなにも寒いが 
唯一の無関心で通過を企てるものを 
俺が許しておくものか」


とか、
当時は名文と思ったが、
今読むと、何だか恥ずかしい。

原作は川本三郎で、
当時、朝日新聞社の記者だった頃、
ある過激派のリーダーと知り合って、
取り込まれ、
その事件に関わって記者の立場があやうくなる話。
実話に沿って話が作られている。

背後に当時の様々な世相が描かれ、
リアルタイムで生きた事務局長などは身につまされる。
登場する学生たちの姿は、
今から見れば、まさに「若気の至り」で、
見ていてお尻がむずむずする。

川本三郎の一種の青春グラフティだが、
映画として面白いかというと、大変つまらない
それは当然で、
駆け出しで青臭い記者が、
頭が悪い性格破綻者に
ガセネタを掴まれる話なんて、
面白くなるはずがない。

「間抜けな登場人物に観客は同情しない」のだ。


ただ、ラストのところは、ちょっといい。
冒頭の方のシーンや、
女友達が話した映画の内容が重なり、
主人公の通過した数年の空疎さが際立つ、苦い味付け。
この場面の妻夫木聡はなかなかで、
「悪人」を通過して、演技がうまくなったようだ。

既に40数年前の出来事を
独特な切り口で取り上げたのは買いたいが、
なにぶん、監督のセンスが悪すぎる
芸術は全てセンスの産物です。

5段階評価では、退屈したから「2」。

ただ、劇場で無料で配っている、
↓「原作試し読みBOOK」は、

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川本三郎の述懐の文章がなかなか読ませる。
川本と監督(山下敦弘)と脚本(向井康介)の鼎談も面白い。


五月祭と合気道演武会  

今日は東大五月祭(ごがつさい)に出かけました。

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↓今日は正門から。

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学園祭は秋行われることが多く、春の開催は数少ないので、

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人が集まる人気の学園祭です。
女子大生が沢山来ているのも面白い。

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↓は駒場からの出張。「合格体験記」が笑える。

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校舎の中に入ってみると、

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バンドの演奏や喫茶店が多い。

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こんなのも。

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まだあるんですね、東大伝統の襖張りサークル。

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映画研究会を見付けました。

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昔は8ミリや16ミリで、映写機を借りるのも大変でしたが、
今は、ビデオとプロジェクターで環境は整っているはず。

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自主製作の映画を上映中。

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コメントは控えさせていただきます。

安田講堂前のステージでは、バンドの演奏。

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傘で見えません。

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雨は学園祭には大敵ですね。

でも、三四郎池周辺は、こんな情緒のある景色にもなります。

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今日の目的は、これ。

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最近合気道は事務局長の中でマイブームで、
同期の仲間も演武をするというので、
合気道を見たことのないカミさんを誘いましたが、
朝になって「雨だからイヤ」と断られて、一人で来ました。

会場の七徳堂

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中国の古典「春秋左氏伝」の「武に七徳あり」より命名されました。

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ここに事務局長が足を踏み入れるのは、44年ぶりです。

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やがて準備が整って、開会。

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田中茂穂永世師範は事務局長も教えを受けた恩師です。

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このたびの災害と武士道を結びつけて、
弱者に対する愛、沈着冷静な行動の話をされました。

主将の挨拶。

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部の創立は昭和29年で、組合(昭和32年創立)より長い。
この主将は57代目で、
今の1年生の中から60代目の主将が出る、と言っていました。

演武の開始。演舞ではなく、演武。

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↓のような次第で、中央大、専修大、京都大の客演もあります。

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ここからの写真は、
残念ながらいいものがありません。

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↓こんな風に、流れてしまい、
連写機能のないデジカメでは無理。

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発光量の大きいストロボを備え、
シャッタースピードを調整出来るカメラを使わないと、良い写真は撮れません。

↓こういう静止状態なら可ですが、
やはり合気道は、
投げた時の流れるような瞬間の切り取りが美しい。

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今は女子部員もいるようです。

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見ていて、
45年前のあれこれが思い出されます。

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先日会った同期会のメンバーで、今も道を探究している師範も演武。

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最後は永世師範の演武ですが、

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これもほとんどカメラには映らない。

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真剣を振った時も、
シャッという空気を切る音はしても、
写真に剣は映りません。

全ての演武が厳粛な雰囲気の中行われ、
私語も一切なく、
まるで儀式のよう。

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こういう時、事務局長は通常、
カメラアングルを変えるために移動するのですが、
それもはばかれるほどの雰囲気。
カメラの位置が動かないのは、そのためです。

カミさんに見せてあげられなかったのは残念ですが、
来て本当に良かった。
久しぶりです、この感動

事務局長も一度は武道の道に踏み行ったことがありますので、
その内面が揺さぶられ、
不覚にも泣きそうになりました。


東大合気道部については、↓をクリック。

http://www.todai-aikido.jp/index.html


イル・トロヴァトーレ  オペラ関係

今日は土曜日。
久しぶりにゆっくり寝かせていただきました。

夕方から、オペラ好きの友人と共に、東劇へ。
METライブビューイング今期第11作目、
「イル・トロヴァトーレ」を観るためです。

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トロヴァトーレとは、「吟遊詩人」のこと。

ヴェルディ中期の大傑作。
舞台は15世紀のスペイン。
伯爵家の赤子誘拐事件と、
ジプシーの火刑を巡る復讐譚で、
陰惨な話だが、
それを上回る音楽の素晴らしさで、
話の不愉快さを忘れさせる。
次々と美しい旋律が繰り出され、
どの部分を取っても
ぴんと張りつめた音楽的興奮が
トラマチックに盛り上げる、
まさに、ヴェルディ

ソプラノ、メゾソプラノ、
テノール、バリトンと
4人の歌手の水準が揃わないと成り立たないオペラで、
これに合唱が加わって、
さすが、メトロポリタンと思わせる舞台。

レオノーラは、ソンドラ・ラドヴァノフスキー

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拍手喝采を受けていたが、
事務局長的には、この膜がかかったような声質は好きではない。
全く違うジャンルの音楽を持ち出して恐縮だが、
中島みゆきや松任谷由実を聴く時の落ち着きのなさを終始感じた。

マンリーコは、マルセロ・アルヴァレス

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歌はいいが、演技は力が入りすぎていないか。

ルーナ伯爵はディミトリ・ホヴォロストフスキー

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素敵な銀髪と容姿は、
こっちの方がレオノーラの気を引きそうだが、
バリトンなので、この役しか出来ない。
どの路線でいこうか演技に迷いが見えた。
「素敵路線」でよかったのに。

しかし、何と言っても最高は、
アズチューナのドローラ・ザジック

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第2幕のアンヴィル・コーラスに続き、
火あぶりの顛末を語る
彼女のアリアはしびれる。
この曲は、
後で2回、テンポを変えて効果的に演奏される。

ルネおばさんのインタビューで、
1988年にこの役でMETデビューと言っていたから、
年季が入っている。
この役の隅々まで知り尽くした歌と演技で、
オペラ全体を引き締める。
「復讐しておくれ!」という
亡き母の呪縛の言葉が重く歌われる。

そこで、我が家にあるレーザー・ディスクを引っ張りだしてみたら、

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まさにその1988年収録のもので、
彼女が歌っていた。
既にこの時から素晴らしい。

このLD、歌手陣がすごい。
レオノーラはエヴァ・マルトン。
(この人のトゥーランドットを事務局長は2度観ていて、好きです)
マンリーコはパヴァロッティ。
ルーナ伯爵はシェリル・ミルンズで、
アズチューナが、当時「新進」だったザジック。

METの前のプロダクションで、
舞台に階段が作られ、
背景画だけが変わる演出。
合唱は正面を見て歌う。
今回の合唱は全員演技しながら歌う。
オペラの演出も変化している。

このオペラ、合唱が効果的で、
第2幕のジプシーによるアンヴィル・コーラスや、
(アンヴィルとは、金床のこと。
これを打ち鳴らしながら歌うので、こう呼ばれる)
第3幕の兵隊たちの合唱は素晴らしい。
(叱られそうだが、この兵隊たちの歌を、事務局長は密かに
「ホニャララ・コーラス」と呼んでいる。
イタリア語の歌詞が「ホニャララ・ホニャララ」と言っているように聞こえるからだ)
第3幕最後の、マンリーコの「見よ、恐ろしき炎!」は終盤、
合唱が付いて盛り上がる。

デイヴィッド・マクヴィカーの演出は、
舞台半分に回り舞台を作って、
場面転換をスムーズにし、スピーディーに展開する。

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リアリズムの演出は、
ジプシーの一人一人、兵隊の一人一人まで
生きた人間の生身の生活が反映されていて見事。

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昔と違い、オペラ歌手の演技力は向上しており、
どんな訓練をしているのだろうか。

というわけで、
ヴェルディ!を堪能した3時間


なお、収録日の4月30日、
事務局長はこの客席にいました。
休憩時間に客席を映すのを期待して、                       
わざと立ち上がって周りを見回したりしていましたが、
休憩中は終始舞台裏の作業を映していて、
客席は映さず、空振り。
ただ、休憩に入った時、
客席後方からのショットで、
前の方で立ち上がった人物が事務局長。
ジャケットの色で自分では分かりますが、
誰も気づかないでしょう。
後ろ姿だから当たり前か。

↓は、ゴヤの絵を使った、いつもと違うカーテン。

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天井桟敷からは、↓こんな風に見えます。

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安心と『吉原十二月』  

昨日紹介した、
福島第1原発の所長は、
菅さんと同じ東工大の出身で、
現場を知らない本社にずけずけモノを言う人物だったらしい。
だから、
本社の決定にも、
自分の信念に従い注水を継続したらしい。
まさに、
「事件は会議室で起こっているんじゃない。
現場で起こっているんだ」

でしょうね。
事務局長、こういう人物には、すぐ共感を覚えてしまいます。


↓は、今朝の産経新聞1面の、賢人・曽野綾子さんのコラム。

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いつもながら鋭く本質をついています。
特に、

「安心して暮らせる生活などというものを、
人生を知っている大の大人が言うものではない。
そんなものは、地震や津波が来なくても、
もともとどこにもないのである。」

「安心して暮らせる生活を、約束する人は
嘘つきか詐欺師。
求める人方は物知らずか幼児性の持ち主である。」


という指摘は強烈。
そう思うと、幼稚な人が増えました
政治家の演説を聴くと、
つくづくそう思います。
「よくそんな歯の浮くようなことを
恥ずかしげもなく言えるな」
と思うのはしばしば。
そんなことを言うのは、当選したい一心ですから、
どうしても顔が物欲しげで卑しくなります


「生食」も「安心してモノを食べられるかどうか」
という問題で、
「安心」と密接に関わっています。
機関紙で特集するために、
理事と支部長の皆さんに意見を求めたところ、
続々とFAXが集まっています。
やはり現実に商売している方々の意見ですから、
傾聴に価するものが多い。
次の新聞をお楽しみに。


娘が働くなったおかげで、
朝の洗面所でのカチ合いから解放されました。
その代わり、カミさんの朝起きるのが遅くなりました。
やはり、夫より娘中心に動いていたんですな。

娘は今夜は送別会で、
きっと朝帰りでしょう。
夜、娘の帰宅を待つ生活からも今後、解放されます。


最近、本の紹介が少ない、と言われました。
読んでいないわけではないのですが、
紹介するだけのものがなくて。
では、久しぶりに、

〔書籍紹介〕

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松井さんお得意の吉原もの。
先日、「籠釣瓶」を観たばかりですので、
大変イメージが沸きやすい。

今回の趣向は、
田沼から白河候に代わり、
倹約令が出され、
好景気から不景気に世の中が変わってしまった、
今の日本みたいな世相を時代背景に、
幼くして女衒によって遊里に引き取られた二人の少女が、
先輩花魁の二人禿として育ち、
やがて新造から太夫になり、
小夜衣(さよぎぬ)、胡蝶(こちょう)という名で、
吉原で一世を風靡していく過程での
ライバル意識と友情の物語。

これを妓楼の主の視点から語られる。

と書いたところで、
既に若い人には読めない単語が沢山登場する。
                                        
女衒=ぜげん
花魁=おいらん
禿 =かむろ
新造=しんぞう


など、いずれも死語。
歴史や文学の中にしか登場しない言葉。
江戸時代の遊廓は、
既に失われた文化だが、
それでも作家や読者の想像力を今でも刺激するのは、
やはり、何か日本人のDNAに共鳴するものがあるに違いない。

もともと「太夫」であったのが
花魁と呼ばれるようになったのは、
禿から見て
「おいらの姉様」と呼ぶのをつづめたものだと、初めて知った。

今回の小説は、
この二人の花魁が子供から少女へと変身し、
サナギから蝶になって飛翔する様を
正月から師走に至る
12カ月の季節の移り変わりの中に織り込み
縦横二つの糸が絡み合って一つの模様を作るという趣向。

それぞれの出来事が二人の女性の成長の記録として
味わい深く、
まさに大人の読み物
「粋」(いき)という言葉が横溢する
松井今朝子の真骨頂で、
こんな小説は彼女にしか書けない。

印象深い場面は沢山あるが、
主人公の小夜衣が書の先生から言われる言葉が素晴らしい。

「教わって、こう書けるものではない。
これは、この子にしか書けぬ字だ。
思えば人だれしも、
この世で己れにしか書けない字を書きたいと願うものだ。
が、書こうとしても、
天賦の才なくしてそれは叶わぬ。
めなたは稀なる己れの才を大切(だいじ)にするがよい。」
             
                           
確かに、書に限らず、
人は「自分にしか出来ないもの」を残したいと思って生きているはずだ。
ほめられた結果、小夜衣には、次のような変化が起きる。

以来、ぼんやりだったあの妓は
急に何事にもしっかりしてきて、
人前で堂々と振る舞うようになりました。
小夜衣の素質(すじ)を見込んだのはわしの方が先だが、
それを見事に開花させてくださったのは
千蔭先生だったのかもしれません。
                        
                
他にもいい表現が沢山ある。

思えばこの世は大きな一つの芝居小屋で、
人それぞれが天から授かった役をこなすだけなのかもしれません。
殿様やお姫様のような、
いいお役もあれば、
幕が開いてから閉じるまで
貧乏なその日暮らしという、
悪い役まわりもある。

男によらず、女によらず、                            
人は自らを信じて度胸が据われば
身の輝きが増し、
姿かたちも立派に見えてくるが、
逆さまに気落ちすれば、
見かけまでたちまちうらぶれてしまう。

「泣いてはならん。
人のために流す涙はよいが、
己れを憐れんで泣くものではない」

金は天下の湧きものとも、
まわりものともいうが、
遣ってこその値打ちで、
人の懐から出なければ、
あってもないのと同然です。
                           
             
小説を読む喜びを与えてくれる作品。
是非、お読み下さい。

直木賞を取った「吉原手引草」については、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20070906/archive


根津遊廓を扱った、木内昇の、同じく直木賞受賞作「漂砂のうたう」は、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20110212/archive










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