記念誌最終段階と『マルガリータ』  

今年度も半期が終わりです、
と書く日がまたやって来ました。
早いですね。

永遠に続くと思われた猛暑の夏も、
天候の神が
「いけね、カレンダーめくるの忘れていたよ」
と気づいたかのように、
一挙に秋らしくなり、まるで辻褄合わせのよう。
今日でクールビズも終わりです。


今日は芹田理事長の業界紙のインタビューがあったり、
宮本専務が来訪したり、
ハムが届いたり、
とあわただしい展開の中、
関ブロ東京大会懇親会を担当する司会者と打ち合わせ。
ざっと作ったシナリオを説明し、
あとはプロの手腕に任せます。
関ブロ大会そのものの手順も
関ブロの事務局と確認、
あと3週間後に迫った大会はどんどん形を見せて来ました。

一方、昨日の東京スカイツリーの写真撮影で
表紙が固まったためか
記念誌の編集が一挙に進み、
週明けの入稿へ向けて、
あとは磨くだけとなりました。
磨くというのは、レイアウトや色をより見やすくし、
写真ももっといいのがないか選別。
編集作業も事務所内で出来るのが、
わが組合の強みです。


[書籍紹介]

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第17回松本清張賞受賞作。

マルガリータというと、
カクテルを想起する人がいるだろうが、
これは、元々の意味である、
ギリシャ語の「真珠」(margarite) のこと。

ちなみに、カクテルのマルガリータは、
1949年に、
ロサンゼルスのバーテンダー、ジャン・デュレッサーが考案し、
亡くなった若き日の恋人マルガリータの名前を付けたもの。
とか、
1936年に、
メキシコのホテルのバーテンダーが作り、
ガールフレンドの名前をとって名付けた。
とか、諸説あり。
マルガリータは英語ではマーガレット。
英国の元首相を、マルガリータ・サッチャーと呼ぶと、
随分趣が変わる。


事務局長の世代は、
キリシタンものというと、
「青銅の基督」や「沈黙」を思い出すが、
この作品は、
ローマに使節として派遣された
天正の少年使節の一人、千々石 (ちぢわ) ミゲルと
その妻・球の生涯を描く。

天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)は、
天正10年 (1582年)に
九州のキリシタン大名、
大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代として
ローマへ派遣された使節団。

正使と副使の4名が少年 (今で言えば、中学生) だったことから、
少年使節と呼ばれる。

長崎〜マカオ〜ゴア〜リスボン〜マドリード〜フィレンツェ
と辿って、ローマまで3年かかって到着。
ローマ出発後、
5年かかって帰国した時には、
豊臣秀吉によるバテレン追放令発布されていた、
という運命の皮肉。

少年たちは、異国文化のヨーロッパで何を見たのか、
その驚きはどうだったのか、
などということは
ほとんど出て来ない。
出発した4人は、
あっという間に戻って来て、
あとはキリスト教禁令下での
行動を描く。

伊東マンショ(正使)は1612年、長崎で死去。
中浦ジュリアン(副使) は、1633年、長崎で穴づりによって殉教。
原マルティノ(副使) は、1629年、追放先のマカオで死去。
千々石ミゲル(正使) は、後に棄教。

この小説は、
背教者・千々石ミゲルとその妻・珠を主人公にし、
なぜミゲルは棄教したのか、
棄教は本当なのか。
4人がしたらしい「誓い」とは一体何なのか、
などを軸に物語は進む。

キリシタン迫害時代の
「踏み絵」や殉教は
世界的に見ても特殊で、
美化されている。
しかし、
ユニークなのは、
この少年使節たちが
実は殉教を否定しており、
殉教で日本の民を死なせまいとしていたということだ。

また、秀吉の追及を避けるために、
わざと一人が棄教してみせたというのも珍しい見解。
小説家の想像力の産物だ。

ローマでの生活はほとんど描写されないが、
舞踏会で
婦人から「立派に殉教して下さい」と言われるシーンが出て来る。
安全な土地から
遠く離れた極東の野蛮国の若者に
過酷な宿命を迫る姿は傲慢で、
それが善意なので手に負えず、
そこには東西の文化の対立という
奥深いものが存在している。

が、そういう掘り下げはやや不足で
事務局長はちょっと不満。
美しい姫が全面的に美化されて描かれていたり、
会話や描写も甘い。

しかし、
歴史に新しい光を当てたのは事実で、
ユニークな切り口が評価されたものと思う。
4人の少年使節が
深い友情に結ばれて一つになっていた姿は美しい。

捕まったジュリアンの首実験のために
呼ばれたミゲルが
棄教の真実を巡って
対決するシーンがドラマチックだ。

是非映画にしてもらいたいが、
優秀な監督でないと、
大甘の映画が出来るのではないかと心配だ。


余談だが、
事務局長が大学生になった頃は
遠藤周作の「沈黙」がブームで、
これは衝撃的だった。

後に事務局長は「沈黙の果て」という
芝居を書いて、上演している。
遠藤周作の向こうを張るなどと、
若気の至りのこわいもの知らずで、
今思えば、恥ずかしい。


スカイツリーと感謝の夕べ  

今日も関ブロ東京大会記念誌の編集。
ようやく今日になって送られて来た最後の挨拶文を入力。

昼過ぎ、カメラを持って錦糸町へ。
記念誌の表紙となる東京スカイツリーを撮影するためです。
今年の正月に新聞用に撮った時より
はるかに高くなっているので、
近くは無理。
「メレンゲの気持ち」で、
石塚さんが錦糸町のホテルのレストランからのツリーを紹介していたので、
そこで撮影するつもりで出掛けました。

急遽行ったのは、
天気予報では明日からは曇りが続き、
晴天は今日だけだからです。

錦糸町に着くと、大きく見えて驚き、
ホテルのビルを探す途中、あるビルに入ると、
なんと、そこは組合が関係している某保険会社が入っているではありませんか。
電話をかけると、組合担当者がいて、
給湯室に入れてくれました。
聞けば、毎日そこでツリーが高くなっているのを見ているのだそうです。

ついでにすぐ近くの本社まで連れて行ってくれて、
そこでも撮影。
ガラス越しなので、写り込みが心配でしたが、
何とかクリア。

ここからは、↓こんな写真が撮れます。
(クリックすると、大きくなります)

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縦位置。↓
なぜか傾いています。

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それにしても、行った現場で、
組合関係の人が勤めるビルに遭遇し、
最適の撮影ポジションが獲得出来るとは。
日頃良い行いをしていると違うものです。

組合に戻り、
さっそく表紙に取り入れました。
まだテスト版ですが、
↓のようになりました。

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曇天だと背景は白くなってしまいますが、
青空で、雲の具合も丁度いい。
素人写真でだめなら、
プロの撮ったものを買うつもりでしたが、
お金を使わずに済んだようです。


夕方、3日前に行事をしたばかりのホテル・パシフィックへ。

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沢山ある宴会場では、
たった一つの宴会のみが行われました。

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閉館にあたり
顧客の皆さんを招待しての感謝の集い。
人数制限があり、
芹田理事長とご一緒。

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看板もなく、正面のスクリーンに

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パシフィック49年の歴史が映し出されます。

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そして、「パシフィックマインド」は、
お台場のホテルに引き継がれます。

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組合の歴史とも
事務局長の歴史とも重なるビデオでした。
組合はここで、70回を越える行事をしていますし、
他団体のものを加えれば、
事務局長はここで100回以上のイベントに出席しています。
一つのホテルとこれほど深い関わりを持つことはまれで、
9月号の『東京食肉新報』で特集を組んで、本当によかった。

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今さらながら、広い会場だったんだな、
と感慨深い。

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500人の出席者を前に、
政治家や有名人の長々しい挨拶などなく、
関連会社の3人の社長の感謝の言葉だけ。
乾杯もなく、中締めや本締めもなく、
BGMは、お琴とハープとヴァイオリンの生演奏。
ひたすらセンスの光る感謝の夕べ。

その後、最後のパシフィックの味を楽しみました。
ここの食事は、
ニューオータニやオークラ、帝国ホテルと肩を並べます。

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明日、今夜の宿泊客のチェック・アウトをもって
一旦閉館。
きっと関係者は泣くんでしょうね。

本日が本当の、さよならパシフィック


TVタックル  

昨夜の「TVタックル」で放送された
芹田理事長の発言内容は、次のとおり。

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「ついこの間、有言実行内閣ということを言いました。
菅さんは、今までのマニフェストで、
ほとんどといっていいくらい、
まとまったことが出来ていない。
それに対して、
有言実行内閣ということは、大変な言葉。
その重みが分からなさすぎる。
それを認識してそういう言葉を吐いてもらいたい」


もう一つの発言は、
スポンサーのタイトルの背後で、短く。

実は、今度の出演、
前回放送 (7/19) の終了間際の発言が大変衝撃的であったため、
今回は名指しで局に呼ばれたものです。

前回の件は、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20100719/archive

今読んでいる小説「マルガリータ」(村木嵐・作)の中に、
一人の若いキリシタンに対して、
有馬家の家老が次のように言う場面が出て来ます。

「政(まつりごと)など、
相手の出方を読むばかりで、
ふと気づけば
己の見上げておった高みなど、
とうに忘れている。
己の読み通りに動いたというて
得意になっておる愚か者の、
砂の掛け合いよ」


自嘲気味に語られる、この言葉。
今の政治家たちに聞かせてやりたい。
「最も大切なものは何か」
を見失って、
価値がないものに時間と労力をかけているとしか思えません。


今日は、夕方から少し遠征して他県まで行き、
某団体の話をうかがって来ました。
わが組合の将来を占うような問題で、
大いに参考になりました。
会社に「社風」があるように、
団体にも「団風」があり、
そういう意味で、
他の業種団体の風に触れるのは、新鮮な経験です。


記念誌と『日本人のへそ』  

理事・支部長会が終わり、
一区切り付いたので、
関ブロ東京大会の記念誌に取りかかりました。
いや、既に取りかかっていたのですが、
この時点で、
編集のAさんにデータを渡し、
参加者名簿などにも着手した次第。

石原都知事からの祝辞も届きました。
やや時間がかかったのは、
石原さんの場合、
自分の名前で出るものには、
ちゃんと目を通すからだそうです。
多分、おかしな文章には手を入れるのでしょう。
官僚が作った作文に
「石原印」を付けるには、
それだけのことをするという姿勢は嬉しい。
なにしろ、都の職員全員の中で
最も文章のうまい人 (なにしろ芥川賞作家ですからね)に添削されるのですから、
都の職員も緊張するでしょう。

政治家というのは、
しゃべるのは上手でも文章のヘタな人が多く、
そのヘタ度が並外れており、
生原稿を見て絶句したことが多々ありますが、
石原さんは文章の達人で、
しかも、教養と視点の高さといったら
どんな政治家もかなわない人ですから。


その石原さんが尖閣諸島問題で
「日本は沈むよ」
と嘆いていましたが、
今度のことで一番いけないのは、
「ああ、また日本は中国に屈してしまったか。
我々の政府は、こんな政府なのか」

と国民の誇りを奪ってしまったこと。
中国、韓国を訪問すると、
経済的にも、国民の意欲においても
既に負けていることを感ずるのは、
このブログに何度も書いていますが、
今度のは、それとは違う。

困ったお隣さんの居丈高な主張を
気の弱い、争うことの嫌いなお父さんが
あっさりと膝を屈してしまったら、
子供は誇りを持てなくなる。
理不尽な主張には、
父親らしく、断固はねのけるだけのことをしてもらわないと、
子供は卑屈な子供に育ってしまう。

今度のことで
ただでさえ自信を喪失している日本国民は
さらに首をうなだれてしまった。
それはナショナリズムの問題ではなく、
生きざまの問題です。


下のような記事を目にしたので、
掲載します。

今年3月26日の衆院外務委員会で、
竹島のヘリポート改修問題を取り上げた新藤義孝氏(自民)の質問に
最後まで「不法占拠」と口にすることを避け続けた
岡田克也外相(当時)の答弁。

新藤氏「岡田大臣、竹島問題に関する基本認識はどうなのか」
岡田氏「竹島の領有権に関するわが国の立場は一貫している。韓国に累次の機会にわが国の立場を申し入れている」
新藤氏「きちんと答えてください。わが国の立場は変わってないと言っているだけだ。竹島は日本の領土なのか。韓国に不法占拠されていると思っているのか。どうですか」
岡田氏「当然、竹島は日本の領土です」
新藤氏「不法占拠はどうなの」
岡田氏「その竹島を日本が占有していないことは事実であります」
新藤氏「きちっと言ってください。何でそうすり替えるのか」
武正公一外務副大臣(が突然登場する)「竹島はわが国の領土で、現状は実効支配されていると考えています」
岡田氏「今副大臣が述べた通りです」
新藤氏「何で自分で言葉にできないの? もう一度言ってください」
岡田氏「さきほど私の言葉で申し上げた」
新藤氏「竹島は韓国に不法占拠されているかと聞いている。不法占拠されているのか」
岡田氏「竹島は日本の領土。しかし、今実効支配するには至ってません」
新藤氏「では韓国の不法占拠を認めないのか」
岡田氏「何回も答えている。そういう表現を使いたければそういう表現もできると思う」
新藤氏「だったらあなたの口からそう言ってください」
岡田氏「どう答えろと指示される立場に私はない。あなたと考えは同じだ」
新藤氏「私は不思議で仕方ありません」

新藤氏ではないが、本当に不思議で仕方ない。

竹島は日本固有の領土という認識はある、
それを韓国に実効支配されていると言っている。
これを「不法占拠」と言わずして、何というのか。
なのに、「韓国が不法占拠した」とは絶対に言わない。
わざわざ副大臣に答弁させ、「副大臣に同じだ」といってみたり、
「そういう表現を使いたければそういう表現もできると思う」と言い、
「あなたと考えは同じだ」という。
男として、いやにならないのだろうか。
誰の顔色をうかがっているのか。

元々竹島も尖閣諸島も日本の領土であることは
歴史文書を見れば、明白。
中国では昔、教科書にさえ、そう書いてあった。
ところが、天然ガス資源があることが分かった途端に
自分の領土のように言い始めた。

毅然とした態度を取ればいいのに、
相手の顔色をうかがう。
「話し合いで」などという。
国際裁判所に訴えればいいのに、
相手が出て来ないからと、しない。
相手が出てこないのは、
いざ裁判になれば不利だと知っているからだ。

今度の船長の釈放で
鎮静化しようと思ったら、
相手は「謝罪と賠償」を要求してきた。
中国政府は、国民の声でそうせざるをえない。
国民の声がそれを求めるのは、
日本の巡視艇が衝突して来た、
と報道しているのだから当たり前だ。

一日も早くビデオを公開して、
国際世論に訴えるべきだろう。

どうして民主党は、
やることなすこと裏目に出るのか。
石原さんの言う
「本当に日本は沈むよ」
という言葉が現実化してきたようだ。


と怒ってばかりいないで、
少し笑いたいと思い、
夕方から、恵比寿のテアトル・エコーに行きました。

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作品は井上ひさし「日本人のへそ」

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追悼公演となってしまったので、
狭いロビーには、
↓のような写真が飾られています。

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↓は、井上ひさし⇒熊倉一雄のはがき。

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「ひょっこりひょうたん島」は、
井上ひさしの作品で、
声の出演をしていた熊倉一雄
NHKのエレベーターの中で
「芝居を書いてみない?」
と声をかけて、出来上がったのが、
この「日本人のへそ」。

浅草の人気ストリッパー、ヘレン天津が
東北の山奥から集団就職で出てきて
どうしてそうなったのか
という半生を辿る第一幕は、
全体が吃音治療のための一環として演じられ、
出演者全員が吃音症患者という設定。
それぞれがどもり (これ、差別用語?) になった
過去のトラウマをかかえている、というのが最初に紹介される。

という第一幕は、
ミュージカル仕立てなのですが、
なんとも安直でちっとも面白くなく、
どうしてこれが41年前に大評判を取ったのかさっぱり分からない。
海千山千のミュージカル鑑賞者には、
かえって、それが邪魔になります。

で、第2幕。
全く違う話が展開して、
一体これはどうしたことだと目を白黒しているうちに、
第1幕の吃音治療芝居が、実は何だったのかが明らかになってきます。
ここからは、抱腹絶倒となり、
事務局長、大いに笑いました。
途中で帰らなくてよかった。

あまり面白かったので、
帰路、雨宿りを兼ねて、
井上ひさし好きの友人に電話をかけてしまいました。

今から観ようとしてもチケットはありません。
なにしろテアトル・エコー、100しか座席がない小劇場です。
この作品はテアトル・エコーが本家ですが、
来年3月には、
シアターコクーンで
栗山民也演出で上演されます。

それに、前に紹介した「風と共に来たる」は、
来年5月に再演されます。

テアトル・エコーと「風と共に来たる」については、
↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20090826/archive


ところで、今夜の「TVタックル」には、
芹田理事長が再び登場。↓

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ついでのように書いては悪いので、
このことについては、明日にします。


理事・支部長会  

本日は理事・支部長会
会場はホテル・パシフィック東京
品川駅をはさんで
組合と向かい合う位置関係のため、
38年間にわたり、組合の新年賀詞懇親会の会場となってきました。

同ホテルは9月一杯で閉館するため、
38年間の思いをこめて、
いつもは10月に開催する理事・支部長会を
1週間早めて、9月中に開催したわけです。

会場は、いつも新年賀詞懇親会で使う「萬葉の間」を二つに分けて。
↓の光景も今日が見納めです。

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まず、いつものように↓常務会を開いた後、

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3時から理事・支部長会。↓

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芹田理事長にとっては、初の大舞台。

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5つの部の事業について、各部長が担当。
それぞれ20分の持ち時間をたっぷり説明し、
結構充実していたのですが、
そのわりには質問のレベルが低かったように思いました。

その後は、↓懇親会。

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「さよならパシフィック」をうたった、最後の懇親会。

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新聞では、↓のように特集し、

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↓38年間の新年賀詞懇親会の写真を全て掲載しました。

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新聞を見て、総支配人がえらく喜び、
「こんなことをしてくれた団体は、他にありません」
と芹田理事長に言ったそうです。

最後は、三役が壇上に並び、

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最後の手締め。

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この会場を外部に貸すのは、今日が最終で、
29日に「感謝の夕べ」をした後、
最後の宿泊客を30日に送り出した後、
ホテル・パシフィック東京は、
39年の歴史を閉じます。

さよなら、パシフィック






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