花火大会  

今日は、浦安市の花火大会
毎年7月の最終土曜日に行われます。
毎回「今年が最後」と言われていますが、
続いています。

市が何千万円もかけて
(その一部は事務局長の市民税です)
きれいなものを見せてくれるのですから、
事務局長は毎年観にでかけます。
カミさんと娘は別な約束があって、
事務局長は一人で、昨年同様、
大江戸温泉浦安万華郷で観ました。

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前半は水着ゾーンで、
後半は露天風呂で、生まれたままの格好で。

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正式会場に一番近いところで、塀一つ隔てて観ると、
音楽も聞こえるので、なかなかいい、ということに気づきました。

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7時30分から8時30分まで。
その後、館内に入場者がぞろぞろ。
花火を観た後、温泉に、という家族が多いようです。

↓は、館内でやっていたガラポンで当たったカレー。

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レトルトかと思ったら、ルーでした。

こんなところで運を小出しにするのではなく、
ロト6で使いたいのですが。


新入社員と、もし組合内助成事業がなかったら・・・  

↓は、今週火曜日から事務所にいる新入社員

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東京の水は飲める、
と言われても、味はやはりそれほどでもないのは事実。
上に乗っているのは、山梨県から来た水。
やはり、ちょっと違うのは、気のせいでしょうか。

温水と冷水が出て、
今までは、氷を作るのも
水道水を一回わかして冷ましてから使っていましたが、
これからは、この水を受けて冷凍庫に。
ちょっと水を飲みたい時も
ここからの直接の水を飲めるので、なかなかいい。

8リットル入りのボトルが3日でなくなりました。


今日はあわただしい一日で、
午前と午後2回の会議や研修で、出たり入ったり、
その間に役員さんや証券会社の来訪を受けてバタバタ。

電話の相手から「お疲れですか?」と気を使われるほど声が沈んでいたのは、
午後から取りかかる仕事が億劫だったからで、
その億劫な仕事とは、
ミニ支部長会で出た意見の「テープ起こし」。
実際はテープではなく、ICレコーダーですが、
なぜ億劫かというと、
人がしゃべった言葉は大変非論理的なので、
そのまま起こすと、論旨不明になって、
その修正作業がやや苦痛だからです。

日常的によくもまあ、
こんなよれよれの話をしているなあ、
と感心するほど、
文字に直すと、ものすごい。
一つの言葉を契機にして
話がどんどんずれていく。
これを意味が通る言葉に直していくわけで、
少々気が重い。
更に、その後には、
話を課題別にまとめていく作業がついて来、
これを座談会用の資料にし、、
その次には5つの部の担当ごとに分けて、
部会の資料としていきます。

放っておいても
誰かがしてくれるわけではないので、
自分でしなければなりませんが、
結局遅くまでかかってしまい、
まとめは、家に持ち帰り。


録音を聞いて思ったのは、
今の組合が組合内助成事業を中心において運営しているという事実。
これがなかったら、組合はどうなっていたのか、と思わされます。
たいした事業もしないで、
「組合に入っていてもメリットがない」
などという批判にさらされていたのでしょう。

全肉連から脱退したのが、平成16年秋。
返還される予定の持分を
特別会計で運用し、
その果実で組合員のための事業を起こそう、
と決めたのが翌年の1月。
こうして平成17年から始まった組合内助成事業が
予想以上に組合員に喜ばれて毎年拡大、
今では共同購入事業、団体保険と並んで
組合事業の中心になっています。

もし、全肉連を脱退しなければ、
財源もなく、
このような発想もわかず、
結局は国からの補助金事業をあたふたとこなして
それなりに仕事をしている気になっていたに違いありません。
「お金 (補助金) が出れば、知恵が引っ込む」
と言われるように、
自分たちに本当に必要な事業を生み出すことが出来ずに、
上部団体から与えられた補助金事業を下に流し、
「会計検査院の検査があるから」という殺し文句で
面倒な事務処理を支部に強要し、
それほど組合員のためになるとも思えない事業を
毎年毎年同じように垂れ流していく組合のままでいたことでしょう。

組合内助成事業がなかったら、と思うと、少々ぞっとします。

今は自分たちが生み出したお金で、
誰はばかることなく、
縛られることなく、
自由な発想で事業を興し、
組合員に喜ばれる事業だけをやっていく。

あの時の決断が組合の体質を変えました。

ただ、何にでもマンネリはあるもので、
6年目となると、
事業は常態化し、
当たり前になって、
感謝の心も薄れてきます。

今回、ミニ支部長会を通じて感じるのは、それで、
もう少し、前向きな建設的な意見は出ないものか、
とも思います。
初期の頃の、
目の覚めるような提案を受けて、
それを事業に構築していく喜び
はありません。

新たな提案がないのは、
それだけ組合員の満足いく事業を構築している結果だと
前向きにとらえつつも、
何か残念な思いもする
5回のミニ支部長会でした。
それが「テープ起こし」の中での感想。

あさって、ミニ支部長会は最終回となります。





名鑑原稿完成と『共犯者』  

ようやく『東京食肉名鑑』の原稿が完成
午前中に一応仕上げて、
午後、最終点検をかけると、
大きな間違いが二、三見つかったり、
行の送りで気に入らない点があったり。
結局、夕方までかかってしまいました。

他の間違いが印刷完了後発見されたりしなければいいのですが・・・。

しかし、昔の80支部もあった時代に比べると、楽なものです。
このあたりの簡便化は、支部統合の成果です。

最終的入稿は明日。
作らなければならない文字があり、
その作成は、自宅でなければできませんので、持ち帰りです。


[書籍紹介]

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図書館の入った左手に文庫本コーナーがあり、
ふと手にした本。
あちこちに収録されていた短編を集めたもので、
昭和55年発行以来、
平成20年で59刷を数えるという凄さ。
1刷で3千部としても、18万部。
文庫本でですよ。

やはり面白い。
通勤の往復で時を忘れた。

浅田次郎が、ある直木賞作家の女性の肩に
「文学の神サマが乗っている」
と言ったことがあるが、
一人の作家の持つアンテナに
宇宙に充満する創作のエネルギーが
怒濤のごとく受信される現象があるらしい。
一時期の松本清張がそれで、
今まで現れることがなかった文学の潮流が
松本清張のペンを通じて噴出した時があった。

標題作の「共犯者」は、
家具の外交員をしていた主人公が、
いきずりの男と共に銀行を襲い、
その資金を元手に事業に成功する。
しかし、5年前に別れた共犯者から
いつの日か恐喝されるのではないかと心配をし始め、
人に依頼して彼を探し出し、
その動向を監視する。
しかし、それが逆に自分の墓穴を掘ることになる・・・

という作品を始めとして、
いかにも松本清張らしさが満載の本だ。

中に、「あれ、この話、知っている」
というのがあり、
読み進むうちに
野村芳太郎の映画「影の車」(1970)の原作だと気付いた。
「潜在光景」がそれで、車には全く関係がない。
当初「影の車」という連作短編集に収められいて映画化されたために
その題名がついたもの。

一人のサラリーマンが帰宅途中のバスで幼なじみの女性に再会し、
母子二人で住む家を訪れるようになる。
しかし、小さい息子は彼になじまず、
時々、彼は子供の中に殺意を感じてしまう。
そして・・・

というストーリーを聞けば、
ああ、あの話かと、思い出す方はいるだろう。
事務局長も昔映画館で観た時、
あの衝撃のラストに驚いた覚えがある。
今回小説を読むと、
実に巧みな脚色だったと気づき、
さすが橋本忍、と感心した次第。

ちなみに、
あの全国の映画館で観客の涙を誘った「砂の器」(1974)も、
橋本忍の脚本のおかげで、
原作よりはるかに奥の深いものになっていた。
(山田洋次が共同脚本)
映画の中で演奏されるピアノ協奏曲「宿命」は強烈で、
我が家では「宿命」という言葉が出るたびに
事務局長があのメロディーを口ずさむので、
そのたびにカミさんから「やめてよ」と叱られていた。

などと読みながら話が拡大していく、
松本清張の作品群。

これから、読む本が途切れた時、
この人の文庫本に手がのびそうな気配。
やはり、最後は松本清張に回帰するのか。
事務局長の作風も多分このあたりだが、
今、こういう書き方をすると、
古くさく感じられてしまうのだろうか。




関ブロ東京大会スタートと『さざなみ情話』  

今日は朝から市場内各団体合同の打ち合わせ会があり、
市場の入り口に設置されている
車の車輪や人の靴裏の消毒用マット
1カ月延長することになりました。
各団体の負担は、一定の計算式でなされ、
本組合の負担分は軽微ですが、
中には3カ月で100万円以上を負担しているところもあります。

口蹄疫の津波の影響はこんなところにも訪れていますが、
種牛をはじめ、宮崎県の牛豚の大量処分の影響の余波が
現れるのは、
数ヶ月、あるいは数年の時期を経て現れると思うと、
少々暗澹とする思いがします。


午後、関ブロ (関東甲信越1都9県の食肉組合の協議会) 事務局の
Nさんが来訪し、
関ブロ東京大会の各県に対する招聘文書に印を押しました。
発送は8月2日、
出席者の通知期限は9月10日、
参加費の納入期限は9月22日、
となり、
いよいよ関ブロの作業がスタートします。

Nさんは、事務局長同様、全く違う世界から食肉業界に入った方で、
温厚、誠実な人柄は、「業界の良心」といえるもの。
6年前のZ会脱退の際は、
きっとご苦労かけたものと、
今さらながら、頭を下げる思いです。

しかし、Nさんがこのブログの読者だとは知らなかった。


[書籍紹介]

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藤沢周平の後継者は山本一力ではなく、乙川優三郎だ、
と事務局長は密かに思っており、
同意見の人もいますが、
この乙川さん、寡作なのが少々難点。
なにしろ1年に1冊くらいしか出版しない。

この「さざなみ情話」は、4年前の本。
直木賞作家の筆力を今更褒めても仕方ないが、
細かい情景描写、心理描写は、
江戸時代のまさにその時に生きていたのではないかと思うほどの臨場感。
その中にしっとりとした情感を織り込む手法は、
読んでいて文学の豊饒な世界にいる歓びを与えてくれる。

主人公は、川船頭の修次。
父と兄をシケの海で失って以来、
漁師の道を捨て、
高瀬舟に醤油樽を乗せて
銚子から利根川、江戸川を経て江戸へと往復する毎日だ。
家には老いた母と妹がおり、
妹は幼い頃、修次の不注意で背中に大火傷を負っており、
女としての幸福を放棄して拗ねた日々を送っていて、
修次は妹に対して罪悪感を抱いている。

水量が少ない時には
川底をこすればいっぺんで舟が壊れ、
後には借金だけが残る、
すれすれの生活だ。
気の合わない従弟と二人で舟に寝泊まりする日々に希望はない。

その修次のただ一つの救いは、
松戸の旅籠の食売女 (料亭所属の売春婦) のちせとの
月に一度の逢瀬と、
年季明けに所帯を持つという夢だった。
修次はその日のためにせっせとお金を貯めている。

一方、ちせは長野から出て来て、
13の時に客を取らされ、
それからは、船頭や農夫相手に体を売る毎日。
すさんだ生活の中で
いつ自分を見失うか、というすれすれのところにいる。
そのちせの希望も
間をおいて訪れる修次と交わした約束で、
それだけを唯一の光にして毎日を生きている。

こうした絶望的な境遇にいる一組の男女の
魂の触れ合いが
淡々とした日常描写の中で描かれる。

ある意味で書かれ尽くした内容だが、
しっとりと香り立つ描写で、
乙川ワールドが展開する。
酔う。

おそらく今でも東南アジアでは成り立つもので、
何も外国を引きあいに出さなくても
日本でも、わずか数十年前には、
いくらでも転がっていた話である。
いや、考えようによっては、
貧困という要素を除けば、
今でも、すぐそこにある物語だと言えるだろう。
単調な生活の中に希望を見出そうとするうごめきは、
誰の心の中にもある。

毎日毎日知らない男と肌を合わせ、
泊まりの客とは抱かれて夜を過ごす売春婦の生活というものが
こういうものであったかと、
初めて知らされる思いだが、
乙川優三郎は、
どうやって売春婦のこんな心の襞まで入り込むのだろうか、
と思うほど哀切だ。

同僚の若い娘が
客を取らされて日々変貌していく姿を見てちせが心を痛める様、
自分も転げ落ちるすれすれのところにいる恐れなど、
経験せずに書けるところが
やはり小説家の想像力というものだろう。

こんな小説は書けないな、
とつくづく事務局長は資質の違いというものを感じた次第。

自慢ではないが、
(というか、こんなことを自慢しても仕方ないのだが)
事務局長、俗に言う「女を買う」ということはしたことがない。
お金を支払って、知らない女性と交わることなど、
どんなに性欲が強い時期でも、できなかった。
それは善悪を越えた体質の問題だが、
今度、この本を読んで、
しなくてよかった、とつくづく思う。
それほど、この行為の中で人間が失うものが多いのだと思わされた。

最後のくだりで、
「妙見島」「猫実」(ねこざね)という名前が出て来て、驚いた。
修次が、ある計画のために海に出る下見をする場面で
浦安の河口を訪れるのだ。
まさに事務局長の前の住居のそば。
(娘の保育園は「猫実保育園」)
小説の世界の人物がすぐそばを通り過ぎたような気がした。

市井の人間の絶望と希望、愛と再生の物語。
是非、お読み下さい。


名簿作製と秋葉原  

「東京食肉名鑑」の編集作業は最終段階ですが、
やってもやっても次々と直しが見つかります。
不明な部分は、いちいち支部長に電話して確かめます。
「富夫」という名前の人の「夫」をわざわざ「男」に修正してきて、
でも、手元の登記簿では、「夫」の方が正しい、
つまり、校正されたものの方が間違っている、
などということも頻繁に出て来ます。

付録についている定款の文字を思い切って大きくしました。
組合員の年齢層から考えて、
あまり細かい文字は読んでもらえないからです。

夕方から秋葉原へ
印刷機メーカーの展示会に行ったのですが、
秋葉原も変わりましたね。
昔の野菜の卸売市場の跡地には、
新しいビルが建っています。
しかし、↓のような光景は同じ。

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この狭苦しい通路は、

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今は↓このように呼ばれているようです。

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芝居をしていた頃、
ここで調光機とコードを大量に買って、
手製の照明調整卓を作った頃のことなどを思い出しました。

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高校生の頃は、秋葉原に来る時はワクワク。

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放送局からの放出テープのことなどは、
昔のブログの「想い出ボロボロ」という
思い出話コーナーに書きました。↓

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20060322/archive

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↓外人の姿も多く、

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↓こんな人もいます。

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一度、メイドカフェにも行ってみたいですが、
一人で行くのはどうも・・・。

↓うわ、ラジオ会館だ。なつかしい。

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よく来たものですが、
今は↓フィギアを求めるおタクたちの巣窟になっていました。

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ところで、7月23日のブログ「今日は記念日」に書いた
医療法人での出来事について、
いろいろな反応が来ています。

「本当に良く似た話ですね」と真っ正面でとらえてくれた方、
「これって、何ですか」と疑問を呈して来る方、
「あれのことですよね」と確かめて来る方、
「うまくカモフラージュして書きましたね」とニヤニヤする方、
「これ、小説?」と笑う方。

一方で、
K君が院長に「もう私に話しかけないで下さい」と言った話は
目撃者によって、
かなりの範囲まで広がっているようです。
しかも、尾ひれがついて・・・。






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