来年もよろしく  

このブログ、今年は本日で店じまいです。
18年ぶりに海外で年を越します。
この時期は高いので我慢してきましたが、
昨年が
カミさんの交通事故で悲惨なものになりましたので、
今年はそのご褒美
こうしてたいしたことのない慰謝料は、消えていきます。

それと、娘が相変わらず「ああ野麦峠」をやっておりますので、
その慰労のために。
父親はつらいよ。

というわけで、
今から暖かいところに出掛けます。
現地の天気予報はずっと雨。
なにしろ、雨女の娘がいますので。
天気予報が当たらないように祈っています。

再開は1月4日から。

一年間、ご愛読ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
よいお年をお迎え下さい。



事務所最終日  

組合事務所は最終日
食肉市場と連動している関係でそうなっており、
事務局長、次長の二人だけの出勤となりました。
事務局長は、年明け早々の新年賀詞懇親会の準備、
次長は食肉共同購入の処理で大忙し。

夕方になると落ち着いて、
少し今年の組合を振り返ってみました。

今年の特色は、
「世界的経済危機の中での組合運営」
昨年9月のリーマン・ショック以来の問題は、
一つは、景気悪化による消費の低迷として、
もう一つは、為替の下落による仕組債の利率低下として、
組合に影響を及ぼしました。

その結果、
@平成20年度決算が7年ぶりの赤字に
なりました。
ただし、これは事業組合のことで、
生衛組合の方は、
仕組債が初年度の固定金利であったために、
為替の影響を受けず、逆に
A生衛組合は、この10年での最高決算
となり、
2年後に迫った組合年金の終了に伴う
補てん分として特別基金を造成することが出来ました。
いいタイミングです。

為替の戻りが遅い場合、
事業組合の獲得利息が低下することから、
組合運営の今後が危惧されましたが、
常務会では
B「経済危機の中における組合運営の基本姿勢」を策定
組合が赤字になろうとも
組合員のための
組合内助成事業は継続実施するという
本部の決意を示したことで、
組合員に希望を与えました。

しかし、これを機会に
C組合事業の見直し
を行いましたが、
後に民主党政権の「事業仕分け」に似て、
必要な事業と当面休止する事業を分けて、
活用度の高い
食肉共同購入 (「○○の日」などの材料肉を補助を付けて安価に提供)
調理材料共同購入 (じゃがいも、玉ねぎなどに補助を付けて安価に提供)
資材共同制作 (手提げ袋や人造竹皮など5つの品目に補助を付けて安価に提供)
支部会支援 (支部で行う行事に1人3千円の補助を付ける)
を継続することになりました。
特販事業は、参加店250店以上の条件付きでしたが、
これをクリアして継続されました。

中小企業等協同組合法の改正に連動して、
D定款変更
を臨時総代会を開いて決定、
その結果、
E組合内助成事業の財源に特別積立金を充てる
ことを決めて、
本会計から切り離すことにより、
財務状況改善の道を開くことが出来ました。
現在の為替のまま3月まで推移すれば、
事業組合は1年で黒字に回復することが出来、
22年度も活発な組合活動を展開できます。

経済危機の中にあっても、
縮こまることなく、
前向きに体質改善して
苦境から抜け出すことが出来たもので、
適切な時期に自己改革を断行した組合幹部の決断は称賛されてよいと思います。

その他に
F5年ぶりに功労者を表彰
G国産牛肉まつりに今年も協力

ということもありました。
新型インフルエンザの時は、
H組合は迅速にマスコミに働きかけ
「豚インフルエンザ」という呼称は
ごく短期に消え失せました。
BSEの時の体験が生かされたといえるでしょう。

十大ニュースには、一つ足りませんが、
本当は
I組織の危機を中枢幹部が一致団結して乗り越える
という出来事もありました。
これについては
まだ決着していないので、
書きませんが、
比較的平穏であったような今年も
やはり指折り数えれば
両手で数えるほどの沢山の出来事がありました。

午後5時、事務所の電灯を消し、
鍵をかけて家路に向かいながら、
今年も組合は守られていたな、と
目に見えない恩寵に感謝する思いでした。

今、米ドルも豪ドルもじわじわと上昇しており、
豪ドルは、夕方から高騰して、
夜には82円に到達。
希望的な思いで1年を締めくくることが出来るのも、感謝です。

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信なくば立たず  

新年賀詞懇親会の座席配置をやる過程で、
ダブリを二人発見。
支部からの参加リストと
前期役員招待と二つのルートで参加を言ってきた人がいたからで、
こういう気付かない部分が
実際の作業の中で発見されるのが
現場作業の醍醐味ですね。
座席も24卓に見事に配置されました。

新年は仕事始めの翌日が新年賀詞懇親会で、
常務会も開きますので、
その資料作りも年内にしなければなりません。
いよいよ新年度へ向けての事業計画、収支予算作りがスタートします。


1年のしめくくりの政治ネタ。

今年の最大の事件は政権交代だが、
いざ出来てみたら、
結構ヘンテコリンな政権になってしまったな、
というのが国民の感想だ。
わくわくして料理のフタを明けてみたら、
変な味付けの料理を食べさせられた感じ。

普天間問題に対しては、
「決断できない総理」がすっかり定着してしまった。
上に立つ人は「判断役」なので、
決められない人をトップにいただくのは、本当に迷惑
評論家の江藤淳は、10年以上前に、論文で、
鳩山さんについて、
「こんな優柔不断な人物に国政を委ねたらどんなことになるか。
世才がないというより、決断力がない」

と見破っていたという。さすが。

日米関係については、
「ノムヒョン化」などと、
韓国史上最低の大統領になぞらえられている。

「事業仕分け」は評価されたものの、
あれほど言っていた「財源はある」が確保できずに、
マニフェストはあっさり反古にされつつある。

最大の失敗が母親からの政治資金が発覚した時の対応で、
贈与税の納入で誤魔化そうとしているが、
あれは明らかに脱税
しかも、野党時代に
「秘書の罪は議員の罪」
「私なら議員バッジを外す」

などと言っていた言葉が全て自分に向かって来る。
天に向かって放った矢が、
今頃になって次々と降って来ている状態だ。

こういう経過で明確になったのは、
首相の資質に対する不信感
それは、かばおうとする民主党議員にまで
不信感は広がっている。
気の毒に。
麻生さんと同じに、
総理が物笑いのタネになるのは、
国民にとって不幸だ。

まさに「信なくば立たず」で、
信頼感を失った総理は早めに退陣して、
新たな民主党政権を作り直すべきだろう。

鳩山政権には、国民新党と社民党という
重荷が背後霊のようにぶら下がっているが、
国民新党の亀井代表のインタビューが今朝の産経新聞に載っていて、
この人らし過ぎて笑ってしまった。

一国の首相を「あいつ」と呼び、
「政治は数じゃない」とうそぶき、
「国民は相当数いかれている」と言い張り、
「小泉純一郎のやったことを
国民新党が全部、ぶっ壊しちゃう」
と自慢する。
この人の中には自民党を追われた時の怨念があり、
その復讐のための政治をやられたら、国民はたまらない。

「相当数のいかれた国民は、
『亀井けしからん』と言うかもしれないが構わん。
オレは今、国民やマスコミによく思われようなんて気は全然ない」

というから、もはやこわいものなしだ。

「無学者、論に負けず」というが、
この乱暴者のめちゃくちゃに
学者(鳩山さん)が振り回されている図は痛々しい。

東大を出た亀井さんを「無学者」というのも何だが、
彼は大学時代、ろくに勉強しなかったと本人が言っている。
どんなに有名な大学を出たところで、
学んでいなければ、無学者だ。
ただ、困るのは、自分に学があると思っている点で、
こういう人ほど始末におえない。

亀井さんは最近、天皇陛下との食事の場での会話を公にしたが、
これは明白なルール破り、というか、アウト。
「陛下の言葉を引用しない」
というのは、政治家の最低限のマナーで、
引用すれば、それが「天皇の政治利用」になるからだ。
そんなこと一つを
政治の世界に長くいるのに、身につけられない。

その上、皇居移転論議は何事か。
京都はまだいいが、
広島というのは、
自分の選挙区だから、まさに「政治利用」だろう。
「京都は好きです」
という陛下の見事ないなしで
はたと恥を知ればまだいいが、
その話を自慢げに公表するなど、最低の最低。

こんな人を内閣に置いているのは、
小沢さんの責任で、
この「政局のプロ」 (「政治のプロ」にあらず) は、
来年の参議院議員選挙で勝つための政治しか行っていないから困る。
先の不敬記者会見も
あんな若造の記者たちを前に吠えて恥ずかしくないのか。

本当に日本の政治は貧困はきわまった。
原因は、まともな人は政治家にならなくなったこと。
前にも言っているが、
議員を減らし、
その代わり、高給にして
秘書も国費で沢山つけてやることによって
ステータス的に高くしてやらなければならない。
秘書も親戚や他で役に立たない人がなれないようにして、
国家試験を通らないと政策秘書になれない制度にしたらいい。
今のように、親分が落選したら失職するような不安定なことでは、
良い人材は集まらない。

人は宝、というが、
国会が宝の山になるような政治の世界になってもらいたいもの。
夢かもしれいないが。





ドブロヴニク  旅行関係

年を越したくないので、
秋の旅行の写真を駆け足で。
3つの目的地の一つ、ドブロヴニクです。

ドブロヴニクは、アドリア海に突き出した城塞都市。
少し離れた道路から、↓のような景観が観られます。

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少しアップ。

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↓は、プロが撮った写真。全然違います。

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この写真を見た途端に、
「ここに行きたい ! 」と思った次第です。

旧市街に入るには、この橋を渡って行きます。

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ピレ門。反対側にある港以外の入り口は、ここだけ。

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もちろん、世界遺産です。

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その世界遺産を、独立戦争の時、ユーゴ軍は爆撃しました。
↓はその被害を示すプレート。

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↓が、町の目抜き通り、プラッツァ通り。

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オノフリオの噴水の、不思議な水の出口。

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ショーウインドウも兼ねているので、入り口の形が独特です。

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↓騎士ロランドの柱。

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海側には、港があります。

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ここに来たら、城壁を歩かなければ、意味がありません。

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8世紀から16世紀にかけて作られました。

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ここからの港はきれい。

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しかし、何と言っても、屋根並の美しさは抜群。

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まるで別世界のよう。

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ここが一番高いミンチェタ要塞からの眺め。

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↓こんな風に生活臭もぷんぷんします。

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向かいに見えるのは、ロヴリェナツ要塞。

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ゆっくり歩くと、刻々と景色が変わります。

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大砲を見ると、いかにも要塞、という感じがします。

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2〜30分かけてぐるりと回り、下に降りて、町を散策。

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教会も沢山あります。

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これは有名な聖母昇天図。1550年、チタン作。

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市場。イチヂクの干したものが沢山売られていましたが、
これが、意外と美味。

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肉屋さんもありました。

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入り江には、甲羅干する人も。何もこんなところで。

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もう二度と来ないだろう「アドリア海の真珠」を目に焼き付けて、
長いバスの旅に。

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↑は歩道橋ではなく、
野生動物の移動用に作られたもの。

↓のような景色を見ながら、
バスで7時間。

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↓途中見た、神秘的な山。

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夜になって着いたホテルには、↓のようなブラックな剥製が。

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↓は、もっときつい。

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↓ツァーならではの、不思議な光景。

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いよいよ最終目的地、プリトヴィッツェ湖群国立公園です。



大掃除とクロアチア  

いよいよ今年もあと一週間
事務所は週明け2日を残すのみとなりました。

で、今日は年に一度の大掃除
普段手の届かない蛍光灯やロッカーの上などをきれいにし、
応接間の書棚の整理などを行います。
意外ときれいで、
この事務所は案外ほこりが少ないようです。

事務局長の後ろの資料ロッカーは既に満杯状態ですが、
中には、古く、不要なものもあるので、
整理が必要。
今日は1つしか手つかず。

組合の歴史の中では、何回か大整理が行われたことがあり、
それは、
@前の前のビルから前のビルに引っ越した時
A分室があったところが建て替えとなった時
B分場という場所が建て替えになった時
C前のビルから今のビルに移った時
と4回、整理を余儀なくされ、膨大な資料を捨てました。
特に、Cの平成14年2月のビル移転の時には
5年以上前のものは廃棄、
1年以上前のものは地下倉庫へ
の原則を決めて移転。
地下倉庫は7年前からの古いものがありますので、
何時整理することになるのか。

ただ、永久保存のもの、
たとえば総代会資料や役員関係の書類、
新聞で撮った写真等は
ちゃんと残していますので、
それが2年前の50年記念誌の編集の時には役立ちました。

家での大掃除もそうですが、
捨てる決意がないとなかなか整理はつきません。
「1年間使わないものは不要なもの」
という判断基準が原則だそうです。

押し詰まったのに、旅行記がまだ終わっていないので、
駆け足で。

「クロアチア便り]

途中立ち寄ったトロギールの町。

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城壁に囲まれた小さな島で、町全体が世界遺産

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元々は地続きだったのを、
敵の侵略に備えて水路を作り、
人為的に本土と切り離されました。
この時代、大国に挟まれた都市は大変でした。

↓この門をくぐると、

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中世の世界が広がります。
何しろ町が出来たのは、紀元前385年頃。

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タイムスリップしたよう。

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洗濯物が干してあったり、生活臭がぷんぷん。

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世界遺産の中に住むというのは、どんな気持ちなのでしょうか。

↓はクロアチアを代表する聖ロヴロ教会

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13世紀に建てられ、
ロマネスク様式とゴシック様式が調和した美しい教会。

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鐘楼があると、

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登ってしまうのが、事務局長の習性。

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こういう鐘を見て、

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こういう景色を見ると、
心が落ち着きます。

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さて、次はスプリット
アドリア海沿岸で最大の港町。

↓のようなリゾート地ですが、

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ここには、ディオクレティアヌス皇帝の宮殿があります。
世界遺産

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↓は、その復元模型。

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地図的には、↓こんな感じ。

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7世紀にスラヴ人の侵攻で崩壊しました。
中はゆっくり見学でき、

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昔のローマ皇帝の時代に思いを馳せます。

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建てられたのは、295年〜305年。

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ディオクレティアヌス帝はキリスト教徒を迫害したことでも知られています。

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実は、中は土産物屋の巣窟。

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内宮はこんな感じ。

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元の霊廟には、キリスト教の大聖堂が建てられています。

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迫害した皇帝への

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きりすと教的リベンジ。

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事務局長は、お約束の鐘楼へ。

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やはり、町は高いところから見ないと。

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その後は、町歩き。

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石畳が素敵です。

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魚市場を発見。

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このあたりに魚市場が建てられたのは、

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硫黄が吹き出ており、

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それが臭みを消すからだとか。

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魚市場の場所一つ取っても、意味があります。

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マグロも日本みたいに売っています。

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海の悪魔=タコも、こちらでは食べるんですね。

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スプリットを後にして、
しばらくは、右にはアドリア海、

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左には、山を見て南下。
天気が良くて本当によかった。

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今回は、ボスニア・ヘルツェゴビナも訪問。
というのは、
ボスニアはわずかにアドリア海に開けた領土を持っており、
そこでクロアチアは一部分断されているので、
ドブロヴニクに行くには、
どうしてもここを通らなければなりません。
日本人の観光バスは、特に検問はありません。

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なんでそんな風になっているかというと、
これにも歴史があり、
ヴェネチアの脅威を感じていた
ドブロヴニクは、
緩衝地帯とするために、
その土地をオスマントルコに売却したのです。
本当に中世の歴史は、大国の侵略との闘いです。

↓はボスニアのネウムの町のスーパー。

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物価が安いので、クロアチアの人も買物に来ます。
お土産のチョコレートは、ここで買いました。

こうして、今回の旅行の第2目的地・ドブロヴニクに着いた時は、夕方。

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さあ、いよいよ
「アドリア海の真珠」の訪問です。






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