大晦日は歌舞伎座でオペラ  

ここのところ、ブログを時々休むのは、
炊事洗濯で疲れているせいです。
一方、よせばいいのに、一日に映画3本はしご、
などということもしています。

今年の映画観賞は無事100本を越えました。
もっとも、今年からカウントの仕方を変えて、
METライブビューイングやシネマ歌舞伎、ゲキ×シネなどの
劇場で大スクリーンに上映する舞台収録ものもカウントすることにしました。
従来は「ビデオ」のジャンルに入れていたのですが、
これだけ普及すると、
やはり映画と同じにカウントすべきだと思いましたので。
ですから、正確には、
劇場映像鑑賞年間100本」ということになります。

そのMETライブビューイング
大晦日は歌舞伎座での上映です。

クリックすると元のサイズで表示します

これで3年目のイベント。
すっかり大晦日の行事として定着したようです。
(歌舞伎座が建て直されるので、来年の年末はできませんが)

クリックすると元のサイズで表示します

去年からMETライブビューイングは映画館で上映されていますが、
「歌舞伎座でオペラ」というのは、
独特な趣があります。

実は今日の「ガラ」は
今年のMETライブビューイングの1作目に当たり、
9月22日に2008〜2009シーズンのオープニングとして上演されたもの。
欧米では当日生で上映しましたが、
日本では、大晦日までお預けだったわけです。

今年のガラは初の試みで、
オペラ3作から名場面1幕ずつを上演。
その全ての主役を一人のソプラノが演じます。
↓その歌姫ルネ・フレミング

クリックすると元のサイズで表示します

今回のMETライブビューイングのイメージは全てこの写真で統一。
ニューヨークには、この写真があふれたそうです。
フレミング自身が
「まあ、私、こんなにきれいだったかしら」
と思ったのではないかと、事務局長は意地悪く想像するのですが、
こんなに若く、妖艶なわけではありません。
実際、事務局長、この写真を見て、始め誰だか分かりませんでしたから。
写真は魔法です。

まず最初は、ヴェルディ「椿姫」(全3幕)から第2幕の二つの場面。

クリックすると元のサイズで表示します

ヴィオレッタとアルフレードの愛の巣をアルフレードの父・ジェルモンが訪ねて来て、
ヴィオレッタに別れてくれるように迫り、
アルフレードの妹の結婚に自分の存在が邪魔であることを知ったヴィオレッタは
アルフレードにわざと愛想尽かしをし、
怒ったアルフレードは仮面舞踏会でヴィオレッタを辱める。
という二場。

バリトンの有名なアリア「プロヴァンスの海と陸」が歌われる。
揺れ動くヴィオレッタの心情をフレミングが見事に演じ、
この人、歌も演技も一級品。
舞踏会のシーンも合唱が劇的に盛り上げてドラマチック。
なにしろ演出がフランコ・ゼッフィレッリだから、
まことにオーソドックス。
演出家の「勝手な解釈」を押しつけることなく、
音楽を壊さず、ドラマを盛り上げ、
それに、群衆の一人一人まで
細かな演技指導をしており、
活き活きした空間が舞台の上に現出する。
装置も自分で設計しており、
隅々までぎっしりと行き渡った
美しい造形。
事務局長は内心、
全作品をゼッフィレッリでやってほしいと思っているくらいです。

全く文句のつけようがない、完璧な舞台。
オペラを観る喜びを堪能させてくれた。

2番目は、マスネ「マノン」(全5幕)の第3幕の2つの場。

クリックすると元のサイズで表示します

マノンが
かつての恋人デ・グリューが
振られた傷心から信仰の道に入ったことを聞き出し、
教会に訪ねて行って、
今は神父として、その雄弁で未来を嘱望されているデ・グリューを
再度誘惑して陥落するまでを描く。

アルフレードを歌ったラモン・ヴァルガスが
ここでもデ・グリューを歌う。
何だかアルフレードが
仮面舞踏会での失態を恥じて神の道に入ったのを、
金持ちと結婚したヴィオレッタが再度誘惑に行く、
という誤解を与えかねない配役。
ここは別なテナーを持って来てもよかったのではないか。

最後はR・シュトラウス「カプリッチョ」(全1幕)の最後のシーン。

クリックすると元のサイズで表示します

伯爵令嬢マドレーヌが自分の恋と芸術論を重ねて歌うのが
延々15分続く。

というわけで、フレミング一人で3つの役を一晩でやり、
しかも、イタリア語、フランス語、ドイツ語と3つの言語で歌う。
(ご本人はアメリカ人)
まさに、歌舞伎でやる「奮闘公演」みたいなもの。
ただ、段々作品規模が尻つぼみになるので、
作品の並べ方には一考あるのではないか。

このガラにはもう一つおまけがついており、
フレミングが着る衣裳は、
クリスチャン・ラクロワ、カール・ラガーフェルド、ジョン・ガリアーノ
という当代一流のデザイナーたちが担当。
この衣裳の豪華さが話題。
その上、その衣裳を着たところを
あのリーホヴィッツが撮って、
「ヴォーグ」で特集。
というのも休憩中の映像で見せてくれる。

また、当日、タイムススクェアでの無料公開の様子も入り、
インタビューで「たまたまここに通り掛かり・・」と観衆が答えていたから、
予約制ではないようだ。
オペラの普及には、METは大変熱心です。

3つの名場面を3人の指揮者の競演で
当代一番の歌姫で
素晴らしい衣裳と装置で観るという、
大変贅沢な経験。
一年の終わりに大変充実した時を過ごさせていただいた。

来年も良いことがありそうです。





無事退院  

本日、カミさんは無事退院しました。
今後、松葉杖をつきながら、
通院して治療に努めます。

入院中は食事は全部たいらげ、
リハビリは1日1時間、
それ以外にベッドで機械を使ってするリハビリを30分ほどやり、
あとは同室の人と話をするか、
音楽を聴くかテレビを観るか。
結構ゆるやかに「休暇」を取ったようですが、
事務局長だったら退屈で死んでしまいます。

帰宅して興味深かったのは、ペットの反応
大好きなお母さんが帰って来たのを大喜びで迎えるかと思ったら、
何となくよそよそしい。
表情もけわしい。
「何よ、今までずっと放っておいてさ。
あたしのことなんか、どうでもいいんでしょ。
ふんっ」

と言っている感じ。
つまり、すねている
犬なら、尻尾を振って、顔をなめて、喜びを表現するのでしょうが、
ここが、犬と猫の違い。
猫の反応は大変女性的です。

「ゴロニャン」と甘えるようになり、
表情が優しくなったのは、
2時間位たってから。

「退院したら何を食べたい?」
と訊くと、
「ラーメン」というので、
昼食は事務局長特製の野菜ラーメンを作成。

ちなみに、事務局長が海外旅行から帰って、
最初に食べたいものも、やはりラーメンです。

こうして、事務局長の一家は、
再び三人プラス一匹の生活に戻りました。







事務所最終日  

今日は事務所の本年最終日。
島田理事長に来ていただき、
事務局職員と昼食のひとときを持ちました。
昨年のブログ、一昨年のブログを見ると、
この後、前理事長の「独演会」となるのですが、
現理事長はまた別の個性の持ち主ですから、
そうはならず、
なごやかにそれぞれがお話して、
きっちり1時にはお開きとなりました。

島田理事長にとっては、初の年末。
就任後約半年の間に
副理事長時代には見えなかった様々なものを見て、
得るものが多かったようです。
特に、理事長でないと経験しない
全国団体や各県組合との交わりの中で、
東京組合の重要さと素晴らしさを認識した、
という話をされました。

確かに、立場によって見えて来るものが違う、というのは
どの組織でもそのとおりで、
取締役には取締役の
専務の立場には専務の立場での
社長の位置では社長の位置で
初めて見えて来るものがあります。

事務局長も8年前に次長の立場から昇格してしばらくした時、
「ああ前のO事務局長は、こんな光景を見ていたのか」
とつくづく思った時がありました。
事務局長は肉屋さんではないので、
永遠に理事長になることはありませんが、
理事長になると、どんな景色が見えて来るのでしょうか。

地方の理事長さんの中には、
事務局長を組合員だと思っている方がいて、
「今度東京に行った時、あなたのお店を見せてくださいね」
などと言われることがあります。
極めつけは、
某全国団体にまだいた頃、
ある会長さんにとても気に入られ、
「君には将来、ここ (全国団体) の会長になってもらいたい」
と言われたことがあります。
組織上、そういうことはあり得ないと説明すると、
がっかりした顔をされました。

全国の会長には、更に違う責任と景色があるはずで、
事務局長は時々、全国団体の長に噛みつきますが、
先方にしてみれば、
「何も分かっていない、うるさい奴」
と思っているのでしょうね。
まあ、それぞれの立場の意見をまとめるのが
上の人の仕事なので、
うるさいと思うか、ありがたいと思うかは、
相手の度量の問題ですが。

島田理事長とは今後のスケジュールの検討をし、
職員の皆さんには、三々五々帰っていただき、
事務局長は定時まで留まりました。
なにしろ、昨日、早めに事務所を終わらせた
某全国団体のことを「悠長なことだ」
などと批判してしまいましたからね。
こうして自分の言動が自分を縛ります。
仕事はしあげ、
29日には出ずにすみそうです。
仕事関係は一切持ち帰らず、
この年末年始は退院してきたカミさんの看護に専念します。

そうして一人で事務所にいながら
この一年を振り返ると、
50周年記念事業を沢山やった昨年に比べ、
おとなしい年になるだろうと思っていたら、
とんでもない話で、
終わってみれば、
やはり激動の年でした。
主なものを上げると、

@「より堅固の組織を作るために」が策定され、組合員の資格を改めて問うた。

A組合員の奥様たちを招待して、ハワイ旅行を敢行した。

B50周年記念事業の最後を飾り、キロ290円で豚肉を供給するという、前代未聞の共同購入を実施した。

C福祉共済保険の値上げ分を組合が補てんする新たな組合内助成事業が開始された。

D定年制により勇退した近藤前理事長に代わり、新たに島田理事長が選任された。

E新執行部体制により、意見収集のミニ支部長会が6カ所で開催された。

F組合員から偽装者が出て、マスコミに取り上げられ、組合の姿勢を正すために表示の講習会を7カ所で開催、組合員の半数が受講した。

G支部統合が完了してその祝賀会を開催し、支部旗を統一で作り、贈呈した。

H金融危機の波を受け、AIG問題で翻弄され、更に、急激な円高の進展により、組合運営に重要な影響が出た。

I国の補助金による「国産牛肉まつり」に参加し、テレビに取り上げられるなど、東京組合の存在感を示した。

何だか、「十大ニュース」になってしまいましたね。

特に@の「組合員の資格を問う」は、
組織としてはかなり重要な問題で、
こういうことをあいまいにしておいてはいけない時期に来ていたのでしょう。
その結果、数十名の組合員に退いていただくことになり、
人事の整理もありましたが、
様々な今後の火種が封じられた効果は、
後世で振り返った時に意味のあることになると思います。

また、Gの支部統合完了は、
4年半かかってなし遂げた組織改革で、
これも、そういう時期に来ていたのでしょう。

こうして、「新たな変身」を今年もなし遂げたことに気づきます。
わが組合は時代の変化に対応して、
自らを変革することかできる
ので、
これは素晴らしいことですね。

来年は役員改選もなく、
ミニ支部長会もなく、
平穏な年になるのか。
それとも、新たな局面が待っているのか。

Hの金融危機の問題は世界的に継続していますので、
組合の今後の対応についての決定を
年の始めにしなけれはなりません。
その時点で為替がどうなっているか。
為替の問題だけは我々の手に余ります。



曜日の巡り合わせと『英国王 給仕人に乾杯 !』  

どうも回りを見回すと、
世の中、今日で会社が終わりのところが多いようです。
土日をはさんで29日にまた出るよりは、
今日で終わりにしてしまおう、
ということのようです。
その上、明けて4日が日曜のため、
始業は5日。
つまり、9日間の大型連休が出現。
曜日の巡り合わせで、めったにないことです。
しかし景気が悪いのに、
9日間も
どうやってすごすんでしょうね。

全国団体も今日で終わり。
それどころか、用事で午後かけたら電話に出ないので、
同じビルの別の団体に訊いたら、
上の階に見に行ってくれて、
「もうみんな帰ったようです」とのこと。
今日は平日ではないのか、
せめて定時までしたらどうだ、
と思うが、
最終日を繰り上げ、ついでに時間まで繰り上げて
昼で終わりにしたらしい。
悠長なことだ。

さて、わが組合も土日をはさんで29日出るのはご勘弁願いますが、
その代わり、明日の土曜日は開きます。
ちょっとだけ律儀。

そんな中、常務会と新年賀詞懇親会の準備で
事務局長は29日も出なければならない勢い。
それはいやなので、
家に持ち帰りましたが、
寒くて活動が鈍ります。
冬眠するクマの気持が分かります。

[映画紹介]

クリックすると元のサイズで表示します

題名を見て、
「英国王室に仕える給仕人の
王室の人々との交流を描く
心温まる映画なんだろうなあ」
などと勘違いして観に行きませんように。

全然違う話です。

チェコの駅でソーセージの売り子だった小男が
レストランでのビール注ぎの見習いから始めて、
様々な悪どいことをし、
同胞を裏切り、
百万長者にしあがっていく話。
その背景にチェコの20世紀の歴史がからむ。
ヒトラーの侵攻、
そこからの解放の後、
今度は共産主義政権の登場・・・。

共産主義の再教育センターを出所した初老の主人公の
回想の形で展開する物語は、
決して重々しくではなく、軽妙なタッチだ。
しかし、その奥行きは相当深い。
こんなきつい話を
こんなにも軽やかな筆さばきで描けるのは、
監督が成熟したセンスの持ち主だから。
監督はチェコの天才イジー・メンツェル
あの「プラハの春」で旧ソ連の侵攻を受けた時、
チェコに留まって、作家としての筋を通した人。
ご自分でも相当苦労したはずだが、
そんなものは笑いのめしてしまう大人の作家。
だから、重い話が喜劇として成立する。

「私は貝になりたい」のように、
戦争の犠牲者の話を
今だに重々しく涙の話にしか作れない
日本の映画とはわけが違う。

しかし、軽妙に描きながら、
相当毒も満載
チェコがヒトラーに屈して以来の悪夢のような展開は
ものすごい鋭い刃を観客につきつける。
特に、ヒトラーの信奉者であるドイツ人妻との交わりは
大いに笑え、かつぞっとする。

高級娼館が改造されたナチの施設の描写など、
素晴らしい映画的見せ場だ。

釣り銭を巡るエピソードが3回出て来るが、
この扱いも見事。

実に面白い正月屈指の映画だが、
少々映画観巧者が喜びそうな作品であることも確か。
各紙絶賛のため、
小さい日比谷シャンテは満席の連続で、
事務局長は次の回のチケットを買って、時間をつぶした。
普段映画を観ないような層がつめかけているが、
映画が終わってみると、
何とも不思議な表情をしていたので、少々心配だなあ。

5段階評価の「4.5」。








刺身は箸で食べたい  

昨日はヒマみたいなことを書いてしまいましたが、
今日は常務会と新年賀詞懇親会の準備で大忙し。
仕事始め(1/5)の翌日(1/6)が新年賀詞懇親会ですから、
年内に準備を済ませておかないとなりません。
やっと出席者が出揃ったので、
受付名簿と席の割り振りをします。
今回の参加者は220名
昨年より少なくなったのは、
ハワイ旅行の奥様方の参加が意外と少なかったため。
やはり2月から10カ月の隔たりは大きいのかもしれません。

昨日、渡辺元行革大臣の造反が話題になっていました。
しかし、たった一人の反乱とは。
今の閉塞状況を打破するのは解散しかない、
というのは一本筋が通っているし、
国民は今の手練手管、党利党略の政治にはあきあきしており、
ねじれ国会で動きが取れないなら、
いっそのこと民主党に衆議院を取らせてしまった方が
ものごとが動くだろう、という思いが国民の中に醸成されていますので、
もう少し同調者がいてもいいとは思いますが、
たった一人。
国会議員の皆さん、勇気がないんですね。
よほど政権を失うのがこわいのに違いない。

昔、小沢一郎が新党の運営に失敗してしょぼくれていた時、
「小沢一郎よ、岩手に帰れ」
という論文を書いた人がいました。
誰だったか忘れましたが、
名前の通っている人です。
中国かどこかの故事をひきあいにし、
今小沢一郎にとって引くことも一つの姿勢だろう。
故郷に帰り、たった一人の政治家として静かにしていれば、
必ず君を必要とする時代が来るだろう、
そんな趣旨の内容でした。

その予言どおり、
今、小沢一郎は日本の政治の方向性を決めるキーマンとして復活しました。

自民党も同じです。
自民党よ、下野したらいい。
この数代に渡る総裁のていたらくを見て、
国民から見離されたのは身から出たさび。
ならば、ここで民意を問うて、
ボロ負けして、
小さな政党になって、
政権を失って、
その悲哀を味わうがいい。
その間に自分を磨いて、
もう一度国家国民が自民党を必要とする時を待てばいい。

とにかく選挙に負けることがいやで、
選挙に勝てそうな顔という動機で党首を選び、
その支持率が下がれば、
ただちにゴタゴタし始める、
そんなことではなく、
今の民意に謙虚に耳を傾けたらいいのです。
今国民は解散までもが政争の具となっている姿に
あきれかえっているのですから。

「潔さ」
そういう言葉の対極にある今の政治を、
サムライの子孫である日本国民は本当に嫌悪しているのです。

などと書いていると、
いろいろなことが次々と出て来ます。

たとえば、「ゆとり教育」の破綻。
当たり前ですよ。
人生には知識をつめこむのが必要な時期があるんです。
小学校から中学に至る
脳のネットワークが顕著に結ばれていく時期には
教育の真っ只中にいなければならないんです。

それを「ゆとり」だなんて、誰が言い出したのか。
世界の水準より下がっていることにやっと気付いて、
大慌てで直そうとしている。

我々のような世代になったら、
もはや学習しても脳味噌の中には残りませんが、
小学校、中学校のあの時期は
教え方さえ良ければ、
いくらでも知識は増えていきます。

そうか、きっと教え方に自信のない教師たちが
「ゆとり教育」なんて言い出した
んだな。

携帯電話の学校への持ち込み禁止、
なんて、議論するだけおかしい。
われわれが小学校の時、
勉強に関係ないものを持って来たら、とりあげられましたよ。

学校とは勉強するところだ
ということを明確に把握すれば、
授業を邪魔するものの排除など当たり前でしょう。

例のだらけた服装の生徒を入学させなかった校長も
当然すぎて、議論する方が不思議。
賢人・曽野綾子はこう言っています。

「多くの子供たちを良識の範囲で育てるためには、
意識的迷惑をかける人物は排除して当然だろう。
迷惑な生徒を育てる場所は他にあるはずだ」
と。

そして、こうも言っています。
「この校長は謝ったが、
その気の弱さが一番残念である」


曽野さんの「多くの子供たち〜」の文は、
教育評論家の村田栄一という人の言っている
「校長の更迭は妥当な処分。
更迭に反対する動きは、
迷惑な生徒さえいなければいいという、
ある意味で自分勝手な行動
だ」
という論理に対して書かれたもの。
村田氏はこうも書いています。
「『服装が乱れている場合は不合格とする』
ということを事前に受験生に通知せず、
独自判断で不合格にするのは問題だ」

こういう「ヘンチクリンな理屈」
非難もされずにまかり通るから困る。

ここでまた話は飛びますが、
最近読んだ記事で興味深いものがありました。

ある医師が介護・福祉系の大学で、
リハビリの講義をしていて、
最近のリハビリは、
医学的な所見だけでなく、
患者の満足度も重視しなければならないと話し、
その例として、
ある脳梗塞の患者が懸命のリハビリで
フォークで食事ができるようにまで回復した話をしました。
しかし、本人は箸で食事が出来るようになりたいという。
その理由を聞くと、
「フォークで刺身を食べてもうまくないんや。
刺身はやっぱり、箸で食べんと」

と。
だから、リハビリは医学的な判断だけで中止せず、
患者の希望を考えてプログラムする必要がある、
とつないだわけです。

すると、一部の学生が、こう言ったといいます。

「箸で食べてもフォークで食べても、刺身は刺身では」

こういう意見を言う学生は、
人類の文化というものが全く分かっていないのでしょうね。

そうそう、昔、こういう宗教説話を聞きました。

ある人が地獄に言ったら、
食べ物は山のようにあるのに、
住人たちはみんなガリガリに痩せて飢えていた。
どうしてだろうと見ると、
そこにはルールがあって、
自分の腕より長い箸を使わなければならない、
という決まりだった。

箸で食べ物をはさんでも、
自分の腕より長いので、
ちゃんと口にまで運べない。
だから、食べようとしても食べようとしても、
口に入らず、みんな飢えていた、という。

こんなひどい世界は見たくない、
とその人が天国に行くと、
そこは地獄と同じように食べ物があふれ、
腕より長い箸で食べなければならない、
というルールは同じなのに、
天国の人たちは栄養一杯で、
丸々と太って幸せそうだった。
どうやって食べているのだろう、と思って見ると、
天国の人たちは


お互いに与え合っていたのです

という話。

事務局長など、こういう話を聞いて、いたく感心した口だが、
それを聞いて、一人の学生が言った。

「いや、食べる方法はあります。
箸で食べ物を持ったら、
垂直に持ち上げて、
ぱっと離して、
落ちて来るのを受ければいいんです」

こうして話の趣旨はどんどん脇にそれ、
どう要領よくやるか、という話に変わっていきます。

共産党系の学生の言った意見は、いかにもそれらしい。
「腕より長い箸で食べなければならないなんて、
それは、その規則が悪いんだ

これらの「ヘンチクリンな理屈」、
みなさん、どう思います?






AutoPage最新お知らせ