1月も終わり  

早いですねえ、1月も終わりです。
この時期は新年会だのなんだの、
食べる行事が続くので、
1キロ跳ね上がった基本体重は
ついに戻らないままでした。

[書籍紹介]

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「ノルゲ」とは、ノルウェーのこと。

友人に勧められて読んでみました。
分類すれば「純文学」の「私小説」。
ノルウエーに留学した妻に付いていった夫の1年間を
淡々とつづって500ページ近く。
オスロのアパートの隣人のことや
妻の学校の友人のことや
町で知り合いになった人々のことや
ノルウェーの鳥のことを
ゆるゆると書いて
ちゃんと読ませる。
まさに「筆力」とはこういうものか。
パソコンに不具合が生じたので、
初期化するまでの経過が延々描かれたりします。

読み方によっては、
異文化との遭遇の話。
昨年オスロにはごく短時間だけいたことがあるので、
興味津々で読みました。

その中で一つ面白い話が。

ノルウェーはサマータイムを採用していますが、
人間は新しい時間にすぐ慣れても、
動物たちはそうはいかない。
牧場主たちは、
夏時間と冬時間の切り換えのたびに
馬の食事や訓練の時間を
毎日5分刻みでずらしていくそうです。
12日かけて1時間ずらした生活に順応させる。
牛でも搾乳の時間を同様ずらしていく。

日本人だったら、
今までの3時はこれから4時だから、
では、半年間は4時に餌を与えればいいんだな、
とやりそうですが、
ノルウェーではそうではないようです。

「ペール・ギュント」に関するイプセンとグリーグに対する
中古レコード店の主人の話も興味深い。

「多くのノルウエー人は、
いまでもこの曲を好んでいない。
グリーグの曲としても、
最悪の作品だという意見もあるくらいだ」

「そもそもイプセンは、
ノルウエーに生まれたけれど、
父親は祖先がデンマーク人で母親はドイツ系だった。
そして、イプセンはこの国では認められずに、
長い間外国に暮らして、
晩年になるまでノルウェーに帰らなかった。
『ペール・ギュント』は、
そんなイプセンのノルウェーに対する怒りが
込められた作品なんだよ」

知りませんでした。

あとがきを読んで驚愕。
この小説、「群像」に6年もかけて連載したのだそうです。
何も起こらない話で6年間。
純文学、私小説、恐るべし。

ところで、
つい最近、
「事務局長はいつ本を読んでいるのか
という質問を受けました。
もっぱら会社の行き帰りの電車の中で読んでいます。

また、以前小説を書いていた頃、
「いつ書くのか」
と聞かれました。
家で夜遅く、睡眠時間を削って書いているに決まっています。

更に、
ブログはいつ書いているのか
とも聞かれます。
これも、家で夜中に書いています
中には昼間、組合事務所で書いていると思っていた人がいたらしい。
そんなはずないでしょう。


企画指導部会とマクベス  

今日は企画指導部会
人数が少ない会議の場合、
発言しやすくなるためか、
みんなが発言して、
話はどんどんよれていく。
まるで志の輔の落語のようです。

途中会議室を出ると、
「知らない人が聞いたらケンカをしていると思われる」
と言われたほど、
大声での議論でした。
でも楽しそうでした。
決めるべきことは決めていただいたので、
前に進みます。

牛生もつに関する問い合わせは掲示板に続いており、
その指定地域の組合員店に電話をして
販売の確認をしてから
掲示板に回答する、
という手順が続いています。
手間と言えば手間ですが、
事務局は消費者と組合員店舗をつなぐ役割もしているわけですから。

家に帰ったら、中国製餃子で大騒ぎ
これで餃子の消費も落ちてしまいますね。
中国製の食品は一旦輸入禁止にしたらどうなのか。

分からないのは、国会
つなぎ法案でいつもの騒動をしていたかと思ったら、
衆参議長のあっせんで一転取り下げ。
(1)年度内に一定の結論を得る
(2)各党の合意が得られれば修正する
というのですが、
これがよく分からない。
「一定の結論」が、与野党共に不満なものだったらどうなるのか。
合意できなければ、一定の結論も出ないはずだが。
それとも、「結論が出ません」と結論する気なのか。
どこにも担保されていないのに、
とりあえず
振り上げた拳を下ろせるチャンスが来たので下ろすということか。
こんなことをしていると、
やはり日本には二大政党体制は無理なのだ、ということになってしまいそうだ。
二大政党の利点とは、
いつでも政権交代可能な形を作ることで、
政治に緊張感を生み、
政策中心の議論がされること
だったのだが、
「切磋琢磨」ではない「足の引っ張りあい」になってしまう
日本の風土ではやれないのか。

さて、ようやく
METライブビューイング「マクベス」
1月12日に上演したものを、28日に鑑賞。
今回は六本木のTOHOシネマズへ。
どうして品川をやめたかというと、
ネット予約の段階で席が確定しないからです。
六本木までの交通費がかかりますが、
やはり良い席は確保しておきたいので。
の、はずが、
ぎりぎりに場内に入ると、
ガラガラ。
なのに、ネットで予約したあたりは
コンピューターが自動的に選ぶため、ぎっしり。
結局、他のすいている良い席に座ったので、
何のための予約か分からなくなりました。
上映館が増えたために空いているようになったのでしょうか。

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ヴェルディ初期のシェイクスピアの香り満々の作品。
美しい音色に満ちた、
聞きどころが沢山ある、好きなオペラ
です。

今回は新演出で、20世紀の話に置き換えています。
マクベスは↓のような衣装で登場。

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登場人物はみんな銃を持って出てきます。
やれやれ。

第4幕のスコットランドの亡命者の合唱
「しいたげられた祖国」は、
ボスニア・ヘルツェゴビナあたりの難民を彷彿とさせます。
この場面は、
シェイクスピアにはない場面で、
ヴェルディの脚色部分。
そこにこそヴェルディの意図あり、
と演出家は解釈したようです。
まあ、それは勝手ですが、
普通のコスチュームで演じて、
観客が自分の想像力で現代に重ね合わせるのと、
具体的に形象化して演出家の意図を押しつけられるのとは
全く違うわけです。

というわけで、
まいったなー、と思いながら、
ヴェルディの音楽は堪能した3時間でした。

ただ、さすがMET、
美術は素晴らしかったな。
それだけで観る価値はありました。

METライブビューイング、
第2シリーズはどうも、という感じです。
こちらが慣れてしまい、新鮮さが失せたのか。
次は間があいて、
プッチーニ「マノン・レスコー」が楽しみ。


事業部会と豚肉の特別供給  

本日は事業部会
今年度の食肉供給事業を総括し、
来年度の事業の立案をしました。
基本的には従来と同じ。
「〇〇の日」の日程も
いくつか出ていた別案を検討した結果、
今までと同じ日程でいくことになりました。

6月15日 ステーキの日
8月9日 焼肉の日
10月10日 とんかつの日
1月29日 すき焼きの日


そして、
夏は夏期豚価対策
年度末は牛肉特別供給
となります。

そして、この3月の豚肉特別供給は
50周年記念事業の最後を飾って
特別安い豚肉を供給します。
数日後には支部に文書が行き、
秘密ではありませんので、
このブログの読者だけに先に公開すると、
キロ当たり290円で半丸セットを提供。
昨年の同じ時期の部分肉価格がキロ660円でしたので、
半値以下。

こんなことが出来るのは、
組合の資産を生かし、
その運用益を組合員に還元するという基本方針なればこそ。
部会をしていても、
メンバーが
「組合員に喜んでもらう事業をしたい」
という気持ちがあふれています。
ありがたいことです。

話変わって大阪府知事選
橋下氏の圧勝でした。
なぜそうなったか。
既存の政治手法に府民があきあきしていたからです。

宮崎の東国原知事の時と同じで、
「軽い」と思われていた人が、
いざ街頭で語らせてみたら、熱く熱く語った。

そのまんま東は、
女性問題を起こしたりして離婚された
ちょっと頭のいいタレント程度に見下していたのに、
語らせたら、宮崎の現状を本当に変えなければならないという
熱気にあふれていた。

橋下氏も、
茶髪でバカな発言をする子だくさんのタレント弁護士
程度に思っていたら、
今の大阪のていたらくを本気で憂いて、
何とかしなければ、
という思いにあふれていた。

その二人は大物政治家の応援など頼まず、
たった一人で徒手空拳で闘った。

一方民主党は、
国会審議を放棄した党首をはじめ、
次々と大物を投入して、
旧態依然とした選挙選をしていた。
大学教授の政治なんて、
もううんざりだと府民は思い、
また、選挙の応援の中で
「しがらみ」が発生すると感じた。
加えて、熊のぬいぐるみを繰り出して、
「熊がいい〜」(熊谷)などと言わせる戦術が
かつての千葉補選の
「ジャンケンポン、とうごうけん」と
同じで、府民をバカにしていると映った。

そんなこんなで橋下氏に期待感が集まった。
当選後のニュース番組で
飯島秘書官
「政策なき知名度だけの選挙」
と批判したのを
橋下氏が
「知名度だけで闘えるものか。
私は政策をマニフェストでちゃんと出している。
飯島さんが知らないだけだ」
と噛みついたのも好感が持てた。

(余計なことだが、
飯島秘書官は参謀としては優秀なのだろうが、
話はへたで、意味不明の上、
風貌がいかにも寝業師で、
印象が悪いから、
あまりテレビにはでない方がいいと思う)

それにしても、
大阪府は9年も赤字を続け、
借金は兆の単位。
再建団体寸前だなんて、
前の太田知事は2期8年間、一体何をしていたのだろう。
それこそ府民は「給料返せ」と言ってもいいのではないか。
少なくとも太田知事は退職金を返上したらどうか。

しかし、大阪府庁といえば、
労働組合が強い、
不法な手当てまみれの伏魔殿だから、
橋下氏は苦労すると思う。

橋下氏は
「従来のやり方は各部署でこれこれの予算が必要、
あわせるとこれだけ不足だから府債を発行、
だったが、そういうのではなく、
通常の家計と同じに、
収入が足りないなら、
それに見合う質素な府政をすればいい」
と正しいことを言っていたが、
その結果、
行政サービスが低下し、バラマキが減り、
職員の減給などということになれば、
難しいことになるだろう。
それでも、
いつかは誰かがやらなければならないことだが。

最近読んだ↓の本の中に、伊坂幸太郎は、

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犬養というユニークな政治家を登場させている。
未来党という小さな野党の党首である犬養は、
「われわれに政治を任せてくれれば、
5年で景気を回復させてみせる。
もしできなかったら、
私の首をはねればいい」

と言い切り、
「汚職や不祥事、選挙の敗北、それらの責任で辞任した首相はいるが、
国の未来への道筋を誤った、と辞任した首相はいない。
なぜだ?」

と問う。
「政治家はなぜ、責任を取らない。
国民はもう諦めているんだろう。
特に、若者は、顕著だ。
政治家が深刻な顔を作り、自衛隊を派遣するのに大義名分を掲げても、
どうせ嘘なんだろう、と思っている。
規制緩和を行うと言っても、
どうせ小手先のことだけなんだろ、と期待してもいない。
無駄な国の機関を廃止すると計画が上がっても、
既得権益を失いたくない何者かがそれを阻むだろう、と知っている。
政治家が必死に考えているのは、
政治以外のことだと見限っているわけだ。
私は訊きたいのだが、
それが正しい国のあり方か、ということだ。
私なら5年で立て直す。
無理だったら、首をはねろ。
そうすればいい」

と断言し、選挙に勝って、党勢をのばしても、
彼らは険しい顔をしている。
これから国のためにやるべき責任を考えたら、
万歳などできるはずがないと言って、万歳もしない。
そして、5年で首相に登り詰めてしまう。
今までの政治家が、自分たちの不利益になることから逃げてきたのを変え、
議員年金を廃止し、
自分の選挙区や特定の団体や企業におもねる議員を次々と非難し、
自分の利益や安全を度外視し、
潔癖なほど汚職との無縁を貫き、
実際、景気を回復させる。
なぜそんなことができたか、という質問に、
登場人物の一人は、こう答える。
「思い切ったことをやる決断力と、自信、
それと、他人の恨みを買っても平然としてられる肝(きも)があるんじゃない?
多分、今までの政治家だって、何をやるべきかは分かってたんだよ。
ただ、それをやると、怒る人が山ほどいるし、怖いし、
だから、やらなかった。
でも、犬養はやるべきことをやっちゃう」


東国原氏や橋下氏らには、
そういう印象がある。
少なくとも、「しがらみ」がないから、それが出来そうだと思わせる。

今、教育が問題だというが、
本当は子供の教育より大人の教育の方が問題。
学校の先生や親がどの程度か、
子供たちは見抜いているから、
偉そうなことを今さら言ってもだめだ。
特に、毎日報道される政治家たちの行動を見ていれば、
口先ばかりで本当はやる気がなく、
その場その場を切り抜けることばかり考え、
国民のため、と口にしながら、
実は自分のこと、党利党略が一番大切なんだということを見透かされている。
そんなリーダーたちに率いられた国に
愛国心を持てと言っても、
それは無理だろう。

一番困るのは、
ああいう政治風土を嫌って、
本当に優秀な人間が政治の世界に入らないこと。
その結果、
今のような、小賢しい理屈を振り回し、
あの世界で生き抜く手法だけにたけた
ものほしそうな小さな人間が政治を牛耳ることになる。

だから、本当にこの国を変えようと思ったら、
胆力を持った政治家集団が出て、
本気でこの国を変える心意気を見せることだ
と思う。

しかし、あの変人・小泉さんでさえ、
できたのはあそこまでだ。
本当にこの国が変わるには、
戦争か革命が起こるかしなければ、
無理かもしれない。

さて、ここで話は戻るのだが、
今日の事業部会でも、
「組合は本当に変わった」という発言があった。
変わることができたのは、
やはり「やるべきこと」を反発を恐れず実行する「胆力」が執行部にあったからだと思う。
役員の定年制という、長老の反発を恐れて、
誰も言い出さないことを、果敢に実行し、
全国団体からの脱退、という勇気ある行動をして補助金事業と訣別し、
役員の数を減らし、
支部統合をなし遂げ、
失敗を恐れてやろうとしなかった資産の運用を開始し・・・
そのどれもが
「やらなければならない」と思っていながら、
踏み切る勇気が必要なことばかり
だ。
近藤金治・近藤一夫という二人の理事長が率いた組合執行部は
勇気をもって踏み切り、
組合を再生させた。

これからもう一つ、
大きな改革に着手する。
それは痛みを伴い、
反発を買うかもしれないことだ。
怒る人もいるだろう。
だが、「いつかはしなければならないこと」
と会議ではみんなが言っていた。
勇気をもって歩みだし、
後に付いて来てくれることを信じていくしかない。




総務部会ともつの問い合わせ  

また組合のホームページに異変が。
モツに関する問い合わせが急増。

これについては予兆があり、
ポツポツと牛モツを売っている店の問い合わせがありました。
一般の方はお肉屋さんではみんなモツを売っていると誤解しているようですが、
実際は取り扱っている店の方が少ないのが現状です。
というより、内臓は精肉店とはルートが違い、
モツ鍋屋などに流通することが多く、
一般の方が買い求めるのはまれだからです。

なにしろスーパーでも扱っていないそうで、
しかも、かなり高価。

ところが、モツブームが再燃したのか、
肉屋さんの組合に聞けば分かるだろうと、
問い合わせがあり、
内臓の組合に回そうとしましたら、
先方でも小売店レベルのことは把握していないといいます。

そこで、問い合わせの方の指定する地域の組合員に次々に電話して、
売っている店が判明したら、教える作業をしてきましたが、
これが芋づる式に増えて来ました。

で、本日、テレビ東京の『レディス4』という番組で、
「野菜満喫簡単もつ鍋」という特集をやり、
組合のホームページが紹介され、
ついでに電話番号も出たらしく、
4時すぎから電話がかかって来、
ホームページの「組合への質問」コーナーに問い合わせが急増したわけです。

指定地域のお店に問い合わせて回答する作業は手間ではありますが、
何であれ、
初めてのお客さんが組合員の店に来ることは良いことなので、
対応していくことにしました。

さて、本日は、部会三連発の第1日目、総務部会
総代や役員選挙の件や理事会・総代会の日程などに続き、
「より堅固な組織を作るために」
という、かなり重大な課題を検討しました。

内容は

@組合員の資格
A理事長の任期の上限
B理事の精鋭化


で、4時過ぎまで熱の入った議論が続きました。
本日、総務部会の案を作成、
臨時三役会で検討した後、
常務会で審議して決定すれば、
発表となります。

今まで曖昧にされてきたことや見過ごされてきたことを
改めて明確にする
内容なので、
かなり波紋を呼ぶと思いますが、
総務部のメンバーは
「いつかはやらねばならないこと」
という認識で一致していました。

詳しくは後日になります。

夜は六本木ヒルズの映画館に
METライブビューイング「マクベス」を観に。
その結果、帰宅は12時になりましたので、
続きは明日です。

リア王  

それでは、「リア王」です。

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事務局長は昔、演劇の道を志したこともあるので、
当然一時期、シェイクスピアに親しんだ時期があります。
中でも「リア王」が一番好きでした。
それどころか
蜷川幸雄演出・市川染五郎主演の「リア王」
昭和50年7月の日生劇場公演は、
事務局長の演劇体験の第1位に長期君臨していました。

このプロダクションは、
蜷川幸雄が東宝に招かれての第2作で、
その前年5月には、「ロミオとジュリエット」を上演しています。
商業演劇に進出したことで蜷川幸雄は昔の仲間からは
「裏切り者」呼ばわりされました。

蜷川幸雄は昭和44年、「真情あふるる軽薄さ」で演出家デビュー。
その前は役者でした。
清水邦夫と組んで演出した数々の作品は、
当時の全共闘世代に受け入れられ、
一躍、「アングラ芝居」(と当時一括して呼ばれた)の雄となりました。

その頃、事務局長は1つだけ観ています。
昭和48年(1973年)の「泣かないのか? 泣かないのか1973年のために?」がそれで、
当時あった新宿文化という映画館で、
映画が終わった後公演していました。
おそらく開演は10時過ぎ。
満員の観客で、通路に座って観ました。
(消防法違反なので、今はそんなことはできません。)

始まると、通路に銭湯に向かう青年(蟹江敬三)が登場。
舞台に登ると、
服を全部脱いで全裸になる。
舞台を覆っていた幕が落とされると
何と舞台に銭湯が出来ていて、
先客の一人の青年がカランで体を洗っている。
観客は大爆笑。

しかし、その後、そこですさまじいことが展開。
機動隊に追われて逃げて来たアングラ芝居の一座がなだれ込んで来て、
芝居を演じて、
その二人の青年を巻き込んでいく。
途中ジェラルミンの楯を持った機動隊がなだれ込んできたり、
全員機関銃で撃ち殺されたり、
いろいろあって、
その中で、清水邦夫と蜷川幸雄は、
今まで自分たちが作って来た作品を再現し、
かつそれが全て現実に裏切られていく形で、
全面否定をしてしまう。
そして、最後は
二人の青年のタンゴとなり、
周囲を取り囲んだ一座が次々と切りつけて、
血まみれの踊りが展開。
最後に風呂場の壁が崩壊すると、
一団は帆を上げた船に乗り、
御詠歌(?)を歌いながら、肩を次第次第に落としていき、
船は闇の中に旅だっていく・・・

おそらく1時間程度の芝居のはずなのに、
3時間に感じられるほどの
密度の高い、衝撃の舞台でした。
その後1週間は舞台の映像が頭から抜けませんでした。
内容は理解不能でしたが、
若者たちの魂の叫びが胸を揺さぶる、
そういう芝居でした。

この芝居で過去の自分たちの作品をみずから否定してしまった
清水邦夫と蜷川幸雄は、翌年、自分たちの劇団「櫻社」を解散、
蜷川幸雄は東宝に迎えられて
大舞台の演出を任されるようになります。

「ロミオとジュリエット」、
「リア王」
「オイディプス王」

と市川染五郎(当時。今の松本幸四郎)と組んで成功させた蜷川幸雄は、
昭和53年、
平幹二朗と組んで「王女メディア」を発表。
既に新宿の花園神社で評判を生んだ作品ですが、
日生劇場版も評判となり、
昭和55年には、あの「NINAGAWA マクベス」を生み出します。
シェイクスピアをセリフをそのままに、
戦国時代の武将の話として描くこれは、
外国でも評判を呼び、
数々の模倣を生みました。
題名に演出家の名前を冠するほど
蜷川幸雄のスター化は進み、
「客を呼べる演出家」として、
精力的な仕事をしていき、
やがて「世界のニナガワ」となっていきます。

当時、事務局長は蜷川幸雄の演出した芝居を次々と観ていきました。
中でも「ハムレット」「近松心中物語」「元禄港歌」「黒いチューリップ」「タンゴ・冬の終わりに」などは忘れられない舞台でした。
毎回素晴らしい仕事と感じましたが
昭和60年の「恐怖時代」(谷崎潤一郎の戯曲)あたりから「?」と感ずる舞台が多くなり、
2本に1本の頻度で当たり外れが出るようになり、
昭和63年の「欲望という名の市電」(テネシー・ウィリアムスの戯曲の翻案)では退屈さえ覚え、
やがてニューヨークやロンドンに出かけて
あちらのミュージカルに直接触れるようになる中、
蜷川幸雄演出作品から次第に遠ざかるようになりました。

今回行くようになったのは、
あの「リア王」を平幹二朗がやると、どうなるか、という興味からです。

その前に昭和50年版のことを。

配役は
リア王 → 市川染五郎
道化 → 財津一郎
エドマンド→林隆三
エドガー→津坂国章(当時。今の秋野大作)
グロースター伯爵→菅野忠彦
ケント伯爵→西岡徳美
ゴネリル→根岸明美
リーガン→新橋耐子
コーディリア→丘みつ子

今思うと、すごい配役ですね。

訳は小田島雄志版。
美術は朝倉摂、
照明は吉井澄雄。

とにかく衝撃的でした。
舞台はかなりの傾斜の岩山のような感じ、
奥をドームが覆っています。
登場人物は皆毛皮をまとった、荒々しい雰囲気。
そして、セリフを謳うのではなく、
わめき、がなる。
しかし、舞台からはすさまじいエネルギーが客席を差し貫きます。

リア王の荒野の場面では、
叫び声をあげて真正面に倒れると、
その瞬間、背後のドームがまっ二つに裂けてしまいます。
本当はここで本水を使った雨を降らせたかったらしいのですが、
技術的に無理で断念したそうです。

リア王の狂気と共に世界が崩壊する予感を与えるすさまじい衝撃。
それまで観てきた「リア王」が、
わりとおとなしく、
セリフを聞かせようとする
常識の範疇だったのに対し、
舞台の上て肉体がぶつかりあうような、
観客の気持ちをかきむしって
ひきずりまわす
ような
すごい舞台。
これもまた、
1週間の間、舞台の感覚が頭の中から離れませんでした

これ以上のエネルギーを持って襲って来るものは観たことがなく、
こうして、事務局長の演劇体験の一位に長く留まり続けたわけでした。

その印象がありましたので、
1999年版は観ず、
今回は平幹二朗のリア王への関心で行きました。

感想は・・・
観るのではなかった

松の絵の書かれた能舞台の趣の装置。
既に「テンペスト」で既視感がある。
毛皮のコート。
芝居の邪魔になるだけでなく、
役者の肉体の動きが見えない。
それを次第にリア王が脱いでいくところに意味を見出せというのだろうが、
これも「王女メディア」で既視感あり。

平幹二朗のリア王は、これで満足する人は沢山いるのだろうが、
わめきすぎ、うなりすぎで、
王としての威厳も品格もない。
これでは頑固な愚かしさだけが見えてしまう。
だから、
「もっとも年老いたかたがたがもっとも苦しみに耐えられた、
若いわれわれにはこれほどの苦しみ、たえてあるまい」

(小田島訳)
というオールバニー公爵の最後の言葉が胸に迫らない。

ゴネリルの銀粉蝶は下北沢ならこれでいいのかもしれないが、
リーガンのとよた真帆と合わせて品がない。
とにかくやりたい放題。
コーディリアの内山理名に至っては、
なんと我の強いコーディリアであることか。
これでは、コーディリアが全ての原因に思えてしまう。
インタビューを読むと、そういう意図もあったようだが、
コーディリアに感情移入できないのは、観客には相当辛い。
第一、リア王の台詞
「この娘の声はいつもやさしく、もの静かで、低かった」
(小田島訳)
に反するではないか。

道化もエドガーもエドマンドも力不足。
唯一良かったのは、
グロースター伯爵の吉田鋼太郎
で、
この人は、わめかず、静かに語るので、かえって説得力がある。

荒野のシーンも崩壊感は皆無。
上からぼとぼと岩が落ちて来るのはびっくりしたが、
音がうるさいし、あまり意味があるようには見えない。
元禄港歌で椿が落ちて来る既視感あり。

音楽もいつもよりずっと押さえており、
能の謡曲のような音楽や
太鼓の音が場面転換のためのようにしか聞こえない。
あの舞台の奥から聞こえて来る
叙情的な調べ
はどうしたのか。

それと、やはり翻訳。
今回は松岡和子訳。
小田島雄司訳あたりからそういう傾向があるが、
くだけた日本語にすればいいというわけではなく、
王には王らしい、
貴族には貴族らしい、
武将には武将らしい言葉づかいというのがあるのではないか。
日本の時代劇で侍が商人のような口ぶりでしゃべればおかしいわけだから、
やはりこの翻訳には問題がある。
気品、香り、言葉の響き、
こういうことを無視してのシェイクスピアの翻訳はあまり上等とは言えない
だろう。

昔の方が良かったなどとは言わないが、
やはり、あの最高舞台を観てしまうと、
新たな演出がそれを越えていないことは寂しい
(蜷川幸雄、当時39歳、今72歳)

というわけで、
遠く、彩の国さいたま芸術劇場まで行ってのリア王、
残念な結果となりました。





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