2009/3/4
夕顔 Z 源氏物語
光源氏は二十日ほど重態ではあったのですが、次第に回復し、九月の二十日ごろにはすっかり回復したのでした。病の床に伏したせいでしょうか、すっかりと痩せてしまっていましたが、かえってその姿が艶かしい様子でした。 体は回復しましたが、やはり、夕顔のことを思い出すのでしょうか、物思いにふけったり、よく泣くこともあったのですが、周囲の人々は物の怪でも付いているのかと不審に思う人もいました。
光源氏は側に置くようになった右近を呼び、夕顔がどのような素性の者なのかを聞き出したのでした。
右近によると夕顔の両親はずっと前に亡くなり、父親は三位中将だったこと。頭中将がまだ少将であった頃に、通っていて姫が生まれたこと。昨年の秋ごろに頭中将の正妻の実家・右大臣家から脅しのようなことがあって、気の弱い夕顔は、乳母の縁を頼ってあの家にいたことなどでした。右近は夕顔の亡き乳母の娘であり、三位の中将が娘とともに可愛がって育ててくれたのだと、亡き夕顔を思って泣くのでした。
そんな折に、夫の赴任先へ行く日が近づいてきていた空蝉が、お見舞いの手紙をよこしてきたのを知って、光源氏は思いがけない手紙にうれしく思い、空蝉への恋慕もけして醒めないものだと改めて思うのでした。病後で乱れる筆使いで書かれた返書は美しく、今でも自分を忘れてはいないのだとうれしく思う反面、これ以上の進展を望もうとも思ってはいなかった。
そうしている内に、夕顔の四十九日のの法要を比叡山の法華堂で行うことになり、惟光の兄である阿闍梨が法要を引き受けることなったのでした。
その頃、五条の夕顔が借家をしていた家では、夕顔が行方不明であるのを心配していたが、通っていたのが誰なのかもわからず、ただ、受領の好色男が攫って行ったのではないかと想像するしかなく、ともに行方不明の右近はこの家の持ち主である乳母の娘とは他人であったので、連絡を取る義理はないのかと恨んでもいました。右近の方でも、共をした先で頓死させたのは自分の過ちであったかのような気がして、知らせることができずにいたのでした。光源氏も、幼い夕顔の娘を引き取りたい気もありましたが、自分が夕顔の相手であることを知られたくない気持ちでもいたので、消息を聞くこともできないままに月日が経ってしまうのでした。
十月始めに、とうとう伊予介が空蝉をつれて四国の赴任地へ立つことになり、光源氏は手向けの物を贈ったのでした。内々にも特別に細やかな美しい櫛や扇などをたくさんにして、あの夜の記念の小桂も一緒に文とともに返したのでした。空蝉の弟・小君から託された返書を読みながら、物思いにふける光源氏なのでした。
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光源氏は側に置くようになった右近を呼び、夕顔がどのような素性の者なのかを聞き出したのでした。
右近によると夕顔の両親はずっと前に亡くなり、父親は三位中将だったこと。頭中将がまだ少将であった頃に、通っていて姫が生まれたこと。昨年の秋ごろに頭中将の正妻の実家・右大臣家から脅しのようなことがあって、気の弱い夕顔は、乳母の縁を頼ってあの家にいたことなどでした。右近は夕顔の亡き乳母の娘であり、三位の中将が娘とともに可愛がって育ててくれたのだと、亡き夕顔を思って泣くのでした。
そんな折に、夫の赴任先へ行く日が近づいてきていた空蝉が、お見舞いの手紙をよこしてきたのを知って、光源氏は思いがけない手紙にうれしく思い、空蝉への恋慕もけして醒めないものだと改めて思うのでした。病後で乱れる筆使いで書かれた返書は美しく、今でも自分を忘れてはいないのだとうれしく思う反面、これ以上の進展を望もうとも思ってはいなかった。
そうしている内に、夕顔の四十九日のの法要を比叡山の法華堂で行うことになり、惟光の兄である阿闍梨が法要を引き受けることなったのでした。
その頃、五条の夕顔が借家をしていた家では、夕顔が行方不明であるのを心配していたが、通っていたのが誰なのかもわからず、ただ、受領の好色男が攫って行ったのではないかと想像するしかなく、ともに行方不明の右近はこの家の持ち主である乳母の娘とは他人であったので、連絡を取る義理はないのかと恨んでもいました。右近の方でも、共をした先で頓死させたのは自分の過ちであったかのような気がして、知らせることができずにいたのでした。光源氏も、幼い夕顔の娘を引き取りたい気もありましたが、自分が夕顔の相手であることを知られたくない気持ちでもいたので、消息を聞くこともできないままに月日が経ってしまうのでした。
十月始めに、とうとう伊予介が空蝉をつれて四国の赴任地へ立つことになり、光源氏は手向けの物を贈ったのでした。内々にも特別に細やかな美しい櫛や扇などをたくさんにして、あの夜の記念の小桂も一緒に文とともに返したのでした。空蝉の弟・小君から託された返書を読みながら、物思いにふける光源氏なのでした。
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