2008/6/21
さて、この「源氏物語」、どのような経緯で物語が作られたのでしょうか。
紫式部は前回でも書きましたように藤原為時ためときで、母とは早くに死別していて、父の赴任先である越前の国に同行しています。長徳四年(998年)頃に藤原宣孝のぶたかの妻になっていますので、その頃には帰京していたとみられ、長保元年(999年)には娘・賢子かたいこ/けんしを出産しますが、二年ほどで夫と死別しました。
紫式部は幼い頃から漢文を読みこなすなど才女としての逸話が多く、父が娘の才を見抜き「お前が男子であったら」と惜しんだという逸話も残っています。曽祖父には三十六歌仙のひとり・藤原兼輔かねすけや古今和歌集にも歌が載った藤原定方さだかたなどが、兄・惟規や娘・賢子も勅撰歌人ですので、文才・歌人としての才がある一族に生まれたといえます。
そんな紫式部は、いつ頃から「源氏物語」を書き始めたのでしょうか。通説では、夫と死別したあたりから執筆に着手したようです。このときは長編とも言えるべき物語ではなく、ある一帖(原・源氏物語といえるもの)くらいを完成させたかさせないかぐらいではなかったかと思われます。その頃、時の帝である一条天皇の中宮・彰子の家庭教師役として気の利いた女房を探していた藤原道長の目に留まり、寛弘二年(1005年)頃から出仕したようです。
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