レビュー ◆「機工童子ULTIMO」の挑戦と課題
〜日本漫画とアメコミの間の文化的な障壁〜
シミヅ・マッケンダイザ
1.未知との遭遇
今年四月に何の気なしに集英社の月間少年マンガ誌「ジャンプスクエア」(以下「ジャンプSQ」)の五月号を流し見しながらページを繰っていた私は、とある広告ページの内容に気を引かれて、既にページを進めていたのにわざわざ戻って読み直してしまった。
それは五月発売予定の増刊号「ジャンプスクエア セカンド」の紹介の広告だったのだが、主に私の目を引きつけたのは見開きページのど真ん中に描いてあった変なオッサンの絵である。白髪にサングラスをかけ歯をむき出しにした挑戦的な笑い顔、特攻服のような長袖長裾の服の前をはだけて、裸の胸とサラシを巻いた腹を見せている妙にマッチョなこのオヤジ。他の人なら大して気にも留めないであろうこのイラストに、私は妙に惹きつけられた、というかこの絵にはどこかに見覚えがあった。
見開きのページで大見出しに告知されていたのは、増刊号での少年ジャンプの作家と世界的なクリエイターとのコラボレーション作品の掲載についてだった。ジャンプ側作家の名前は武井宏之。「仏ゾーン」で頭角を現し、「シャーマンキング」で一世を風靡して、その連載末期と「ユンボル」によって話題を欲しいままにしてしまった(悪い意味で)現ジャンプの問題児作家の筆頭である。まぁ、私は仏ゾーンは好きだったんで武井は別に嫌いじゃないっすよ? むしろユンボルの後できちんと仕事が来てるのは良い事なんじゃないでしょうか、という程度の認識でした。ジャンプ編集部がプロジェクト企画に配する作家としては順当な名前だと言える。しかし相手側の作家の名前を見たときにはあまりの驚きに思考が(本当に)真っ白になってしまった。
『武井宏之「シャーマンキング」×
スタン・リー「スパイダーマン」「]‐MEN」』
……ジャンプでは絶対に見ることのないであろう名前を見た気がする。これは何かの間違いではないだろうか、しかし何度読んでも「スタン・リー」と書いてある。作品の名前が併記してある以上、あのスタン・リーのことであって、別のスタンさん(プロレスラーとか)でもないことも確からしい。そして何よりもさっきの見開きのイラストに描かれているオッサンがスタン・リー自身以外の何者でもない! 何ということだ! 私のようなアメコミファンでなくとも、まさしく歴史的快挙と言うにやぶさかでないコラボレーションである。
知らない人のために説明しておくと、スタン・リーはアメリカのスーパーヒーローコミックス(とりあえず大まかにアメコミと総称しておく)の伝説的な原作者/ライターである。アメコミ界の二大出版社はDCコミックスとマーヴルコミックスの二社だが、スタン・リーは1960年から創業間もないマーヴル社で漫画原作を手がけ、現在のマーヴル社の看板作品の大半の原案と原作を務め、マーヴル社を大手に押し上げ60〜70年代のアメコミに大変革をもたらした巨人なのだ。具体的に言うと、2000年以降に日本で公開されているマーヴル社のキャラクターのアメコミヒーロー映画は、(「パニッシャー」「ゴーストライダー」を除く)ほとんどがスタン・リーの創ったタイトルである。彼がアメコミ界に占める位置に相当する日本の漫画家を探すなら、手塚治虫か石ノ森章太郎あたりだろうか。まさしくアメコミ界での「漫画の神様」であり、その主要作品の大半の作画を務めた大作家ジャック・カービーと共に「The Man(伝説の男)」「King(キング)」と並び称される生ける伝説といえる。
とはいえスタン・リーが代表作のほとんどを成したのはやはり60〜70年代(アメコミ史では「シルバー・エイジ」と呼ばれる時代である)であり、その後はマーヴル社の編集長から社長となり、90年代末にマーヴルを退社し現在は原作者として過去の作品に関わりつつも主にフリーランスの仕事をしていて、世間的には最近の作品はイマイチぱっとしない印象がある。
しかしアメコミファンには第一線を退いた時代にもスタンが単発的に書いた作品にはベテランの腕を見せる優れた作品が数多くあることは知られている。結局50年近く漫画原作のキャリアをもつ現役の人物なのだ。このクラスの巨星は存命の作家では他には小池一夫ぐらいしか世界にいないかもしれない。
私は即座にジャンプSQUの購入を決めていた。そんな人物の作品であるからして、どのみち出来が良かろうが悪かろうがとりあえず話の種と記念品にはなるのである。いや、ファンとしてスタンはきちんとしたものを書くと一応信じてはいますよ? 武井は初期の作品の頃から作風にアメコミの影響を公言している日本のマンガ家だし、このプロジェクトには最適な配役の一人だと言える。こうして私の期待は発売日の5月12日に向けて高まっていったのである。もっとも、冷静な視線を保ちながら。
そして、もはや雑誌を読むなどしてご存知の方もいられるかもしれないが、掲載された「機工童子ULTIMO」のパイロット版第一話はかなり微妙なものとなった。とりあえず好評で迎えられるべき内容ではなかったことは確かだ。これがもっと誰の眼に見ても「ダメ」と言い切れる駄作であればもっと話題になったと思うのだが、しかしそうとは言い切れない否定しがたい魅力の片鱗がそこにあったのも明らかだった。
とにかく、武井の作画は日本マンガ界の代表だけあってかなり良く出来ていた。世界の背景描写には両国の文化圏の違いを理解した上でのユーモアが嫌味にならないよう上手く生かされていた。キャラクターデザインやアクション描写など日本マンガのダイナミズムに合わせて、アメコミの読者が重視する周辺描写や脇役など世界の描き込みにも配慮がされていた。
ストーリーも物語の起点としてはオーソドックスなものだと理解されたとは思う。しかし、日本の読者のほとんどを困惑させたのはおそらくネームの内容、つまりマンガ中のセリフ・ナレーション・フキダシの文章の不自然さだったはずだ。
セリフ回しは比較的いい。語りの内容は日本のマンガ標準の適切な長さになっているし、翻訳風のぎこちなさはほとんど見られない。コレだけだったらちょっと字が多いマンガという程度だろう。しかし、日本のマンガではまずやらないところにナレーションが入りすぎている。特に後半の激しい戦闘シーンやその山場にとかくナレーションが入るのは日本の読者には訳が分からなかっただろう。しかも設定や細部の説明ではなく、脚本のト書きのようなシーンを文学的に描写・捕捉する語りの一部としての内容なのである。でもこれはアメコミのスタイルでは普通の表現であり、向こうの読者にはこちらの方が読みやすかっただろう。海外のマンガの主流スタイルなら、緊迫したシーンの流れの中ではその状況を文章で描かなければむしろ変に思われるところだ。
世界の二大漫画圏による世紀のコラボレーションは、両者の文化的差異を浮き彫りにする結果となった。しかし多くの人々は多分そのことに気づかずに通り過ぎてこの事を忘れてしまうのだろう。本稿はULTIMOがなぜこのような形になったのか、ということをアメコミファンなりの視点から分析して推測することにする。
2.マーヴル・メソッド
一言でまとめれば、ULTIMOの違和感は二人の作者がそれぞれの漫画圏のスタイルで描いた部分のすり合わせが十分ではなかったことが原因である。
日本マンガの表現・制作スタイルはこのレビューを読んでいる方々はだいたい本能的に理解しているのではないかと思う。だから日本マンガと比較してアメコミの特徴を述べると分かりやすいだろう。そこで、過去にスタン・リーが関わったある作品のエピソードを類似のケースとして紹介したい。それは1988年にマーヴル社から発売された「シルバーサーファー」の短編読み切り(ミニシリーズ)である。
この作品は原作をスタン・リーが務め、作画はそれがアメコミ界では処女作になるフランス漫画界の巨匠メビウスだった。アメリカとフランスで単行本も発売されており、日本でも小学館プロダクション発行のアメコミ雑誌「マーヴルクロス」の一、二号に邦訳版が掲載された。その際に載っているメビウスがアメコミ界での初仕事を終えての感想として書いた文章が興味深いのでここに引用してみる。(内容はマーヴルクロス二号掲載の日本語版)
「私がいわゆるマーヴル・メソッド≠フ下で働いたのはこれが初めてだった。スタンは私に、きっちり書き込んだ(だがコマ割り指定もセリフもない)6ページほどのプロットをくれた。これは私にとって尋常ではなかった。私がジャン=マイケル・シャリエと『ブルーベリー中尉』をやる時、彼は完全なスクリプトを持ってくる(必ずしもそれに忠実なわけではないが)。ジョドロウズキーと私はとてもユニークな手法でストーリーを合作している。しかしいずれも私が描き始める頃には、すでに全部のヴィジュアル要素が頭の中に出来あがっている。今回はそれがなかった。
私はこのやり方が気に入った。ジャン・マイケルにも、次のブルーベリーでこれを試してみようと持ちかけるつもりだ。これはスタンのプロットが念頭にあることを除けば、まさに私自身の物語を作ることができる方法だった。
(中略)レイアウトは見開きページなしの46枚でまとまった。これはスタンがいかに優秀かを物語っている。実際私には何かを足したり、何かを削ったりする必要は全くなかった。スタンは私のレイアウトに別段驚いたふうもなく、それは彼が必要な情報を全て盛りこんだ上での、当然の結果なのだと思わせた。
(中略)絵コンテに合わせてスタンが起こしたセリフを受け取った時、私は彼がそれぞれのキャラクターを各々自身の声で話させていることに感嘆した。彼は私のコマ割りのいくつかに悩んでいたようだが、そのつど賢明に解決していった。彼の言葉はとても詩的で美しく、舞台劇風ですらあり、常に最良の言い回しが用いられている。」
このマーヴル・メソッドという制作形式は、おおよそ日本の読者にとっては想像を絶する内容であるに違いない。実際に漫画を描いている方々にとってはある程度納得できる部分もあるかとは思われるのだが。
一般の日本マンガと違ってアメコミでは制作が基本的に分業体制であることを聞いている方もおられると思う。しかしまず絵のアウトラインが決まってから、初めて原作者がセリフ等の実際のテキストを書き始めるとか、普通に考えれば大変な話である。しかしこれに近い作業をしているライターは実際には結構いる。ゲーム(特にエロゲーとか)のシナリオライターにとっては作品を構成する要素(絵・音楽)を本文に先立って指定・発注しなければ制作ペース上間に合わないという現場は多い。おそらくスタン(そしてマーヴル社)の生み出したマーヴル・メソッドの手法は、そのような多くのクリエイターの共同作業の現場を個人の創作努力を損なうことなく回すための方法として発生し洗練されていったのだろう。
もちろんアメコミ作家のすべてがこの方法で作業をしているわけではない。80年代以降はアメコミ界にもイギリスなど独自の漫画文化圏をもつ国からのクリエイターの流入が本格化しており、以来おそらくマーヴル社内でも他の製作体制での進行を作家に任せているのではないかと思われる(実際私もマーヴル作品のスクリプト形式の原作稿と鉛筆下書きの対を幾つか見たことがある)。
武井もアメコミを過去に結構読んでいたはずで、スタンもプロの作家として日本マンガを多少読んではいただろう。しかしULTIMOにおいて、両者は相手の属する漫画圏のスタイルにプロとして可能な限り配慮はしつつも、基本的には自分の慣れ親しんだ作業のスタイルに従って制作を進めたのではないかと私は思う。武井はスタンの示したプロット案に従い日本マンガ流のネーム(セリフ・文章を含む)を下書きとしてスタンに提示する。スタンは武井のテキストを参考にしつつも、基本的には自分の文体で武井のラフに合わせる文章を書き起こしたのだろう。
なにぶん実験的で前例の無いプロジェクトだったために、おそらく武井・ジャンプSQ編集部の日本側は最終的なテキストをどうするかを丸々スタンに任せるしかなかったのではなかろうか。しかし当然ながら完成した作品がアメコミ読者ではなく日本人にどう見えるかという点に関してはスタンも未知の領域だったはずだ。ゆえに、完成した作品は両者の作家性や作風よりも、漫画文化の差異の点で問題が出てしまった、というのがアメコミファンの視点から見たULTIMOについての推測である。
3.明日のために
ULTIMOは日本では読者にほとんど無視される結果に終ったものの、まだ海外での発表つまり北米版ジャンプでの掲載に対する注目は熱い。武井は北米版ジャンプでのシャーマンキング連載で人気を得ている作家であるし、日本の読者を疎外したULTIMOの問題点は、むしろ海外の読者にとって読みやすい部分になるはずだ。この作品は別にここで終る必要は全く無い。続ければ両クリエイターもひとかどの作家であるのだから、両者のスタイルを刷り合わせて、次第にバランスと調和のとれた作品に仕上げていくだろう。
これまで言及を避けてきた部分だが、ULTIMOの作品それ自体の魅力はかなり価値が高い。スタン・リーはシルバーエイジにおいてそれ以前は単純な勧善懲悪の冒険活劇の色彩が強かったアメコミヒーローを、人間的な弱さにそれを克服する内面性を兼ね合わせた人物のドラマへと流れを変えた作家であり、作家生活の中で好んで描き続けてきたテーマは人間性への思索といった思弁的なものだった。それは世界的なストーリーテリングの潮流の一つとなり、はるか離れた日本の漫画家の武井宏之がジャンプの王道だったバトルストーリーに対して行った抵抗に重なる道程だといえる。
この二人が描く「究極の善と究極の悪のロボット同士の戦い」というテーマは誰しも心引かれるものだろう。二体のロボットは、それぞれが人間存在のある二極を示してはいるが、人工的に生み出されたことによるその純粋・無機質さゆえにまだ人間的ではない。彼らの戦いが周囲の人間の世界をいやおう無く巻き込み、接点が生まれるとき人間性を獲得するのは果たしてどちらなのか……
しかしこの作品を羽ばたかせるには現状多くの下積み的な努力が行われる必要がある。それはジャンプSQ編集部が支払うべき労苦なのだが、結局のところジャンプ編集方針に従わなければ会社で生きていけない彼らに、即時的なリターンの薄い投資をする選択肢があるかどうかは疑わしい。まぁ彼らも彼ら自身が構築したメソッドに従っているだけではある。
おそらく日本ではこのまま黒歴史に葬られそうな気配(事実次回掲載の予定は二ヶ月経った現在でも皆無である)なので、続きが読みたい私は北米版ジャンプからの外圧に密かに期待している状況である。
2008/7/4
初出:筑波大学SF研究会アルビレオ会誌「白鳥座Hotline103号」

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