女が髪を切ると、「失恋したの?」と問うことがある。この考えは、今でも若い人に伝わっている。
学生に、自分の髪と人の髪を識別することができるか聞いた。多くができるようだ。不思議なことに、人の性質は、一本の髪の毛からも感じ取ることができる。
ばっさりと切り落とされた髪は、私自身だった。分身のように。表参道のサロンの床に掃き集められて、ちり取りに入れられ、ゴミとなって焼かれる私の血、私の記憶。
首元が軽くなると、気持ちも軽くなる。怨念が切り離されたのだろうか。
「それでは先生、失恋したんですか」「う〜ん、その失恋という言葉には当てはまらない」「難しいんですね」「いわゆる、恋をして執着して、夢を見て、受け入れられることを求めたけれど、拒絶されたとか、心変わりにあったとかいうような失恋は、このところしていない」「3年ほど前に失恋した時は、一晩廃人のようになったけど、翌日は回復した。驚異的な回復だと驚かれた。食べ物が喉を通らないということもないし、こういうところは強いみたい」
「恋って、病気みたいなものだから。執着して依存して、自分を見失うことがある。それが恋ってものだから、ああ、自分は今病気なんだなと考えることができれば、自分を見失ってしまうということはないと思う」
「ほら、水上に丸太を浮かべて渡るゲームがあるでしょう。相手と手をつないで、それぞれの丸太をバランスよくリズミカルにステップを踏んで、長く歩ければいいと思う。もし、自分がうまくバランスをとれなければ、相手に寄りかかって、支えてもらわなければならなくなるよね。相手がバランスを崩したら、二人とも落水してしまう。まずは、自分のバランス感覚を養う必要があるよね。それぞれが、自分の丸太の上を歩いて、バランスを取っていくのが、長続きするいい関係だと思う」
こんな話で、今日の授業は始まった。
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