2008/7/16
蜂鳥の左足・ウィツィロポチトリ
20・7・16
今日は、幾つかのメッセージが有り、其の事は別紙に書いたのだが、気に成る事が有るので、此処に別けて記す事にする。昨日は、宮本武蔵の425回目の命日であった事が判った。そして、私が電気の発電の事に付いて文字を打っている処で、突然停電と成った。其れは、9時53分である。其の停電の原因は、5台も有る発電機の調子が悪くて、電気が発電所から送られて来なく成った為らしい。そして電気が送られて来たのは、0時39分である。
其の時間の数字を意味付けすると、9時53分は、9次元のゴミと読めるが、5月3日とすれば、憲法記念日なので「ククリの決まり」を意味する事に成る。そして、0時39分は「霊からサンキュウ」ともこじ付ける事が出来る。何故、其の様なこじ付けを私がするかと謂うと、其れ成りの理由が有るからである。
昨日、停電に成った時に私が書いて居た文章は、電気の発電とアースに付いてだったので、私の頭には発電機のコイルが浮かんでいたのである。其れを、現実の出来事と結び付けるのは、科学的ではないのだが、神の世界が全部電磁気信号の周波数・振動数で動いている理・ことを考えれば、私の脳波と地球のアース(マイナス電気・粒子)が繋がって共鳴を起せば、発電機の周りのアースに影響が現れて、モーターのコイルの磁気に影響が出るか、管理しているIT機器の磁気に影響を与える事も、考えられない事ではないのである。其れは、私が修行中に起きた事柄を考えると、大した事ではないのである。
私が、荒野で修行をして居る時は、屋久島の花崗岩を走っている石英の道筋の上で瞑想をして、第三の目である松果体(珪素・シリコン)と、其の石英の道の周波数・波動が共鳴した時に、岩が弾け飛んだり、其の石英の道筋に生えている草が焼け焦げたり、天気が急激に変わったりしたのである。
其れは、100円ライターに火が着く事で、科学的に理論は証明されている。石英に電子を送り込むと、何万倍にも増幅するので火が着くのである。其の理で考えれば、人間の生体電気で、額の松果体から磁気を発すれば、花崗岩を走る石英の線上で増幅され、島中の花崗岩に影響を与えて、島の磁気波動が変り、天気に影響が出るのは不可思議な事ではないのである。
其れに、私が此の世界に入った時には、大地の情報が赤龍と成って、私の身体に情報を送り込んで来たのである。そして私は、安房川の発電所から、宮之浦の工場に電気を送っている高圧電線の下に行って、高圧電線から大地にアースされている粒子を、身体に直接充電して、時空を操り、新しい時間軸を創造したのである。其の時、時空に穴を空けて、4311体の霊魂を現在の時間軸の中に集合させたのである。其の時と同じ事が、昨日起きたのかもしれない。
1昨日の夜、私の左肩から、右肩に移動した痛みは、5名の男性の姿の情報と成って意識の中から外に出て行った。其の数は、発電機の数と同じである。更に昨夜は、左肩の痛みが情報化されて映し出されて来た。其れは、左肩から前方に、何十人かの人達が、鎖状に列を組んで並んでいる情景であり、三次元世界に出て行くのを、今か今かと待っている姿であった。そして、「私達の仲間は 是まで 澤山殺されている。」との言葉が聞こえて来た。
何故、左肩の霊魂は殺された人が多いのかと言うと、其れは、平和や平等を唱える人々は、何時の時代も、権力者の手に拠って、殺されて来ているからである。其の代表的な人達が、イエスや、ガンジーや、キング牧師などである。其れに、日本でも天草四郎や、キリシタンが多く殺されている。其れに、2・26事件の人達も、国の事を想いながら死刑に成っているし、太平洋戦争に反対して殺された人達も多いのである。
以前の政治では、現在の様な議会制民主主義の国会は無く、政治を行う王の右手側の席に座るのが右大臣で、左手側に座るのが左大臣である。右大臣側が上座とされるのは戦争の時と葬式の時であり、通常の時は左大臣が上座であって、法制度を創り文化活動に力を入れていたのである。処が、軍隊が力を持ち悪政を敷く時は、左側の人達は力が有れば有る程迫害を受ける事に成ったのである。
今朝の映像は、早く平和な世の中に成り、其の殺された左側の人達が、活躍出来る時を待っているとの事ではないだろうか。其れは、神のプログラムが、三次元に近い次元にまで、下りて来ているとの事ではないだろうか。
そして其の事は、アステカ文化の神「太陽神・ウィツィロポチトリ(蜂鳥の左足の意味)」とも、関係が有るとの事ではないだろうか。何故、日本の芙蓉峰から、アステカの太陽の神の印が降りて来たのか、其れは、日本の八咫烏と関係が有るからかもしれない。
日本の「八咫烏・やたがらす」は太陽の使いとされ、足が3本有るとされている。其れは、アステカの太陽神である「ウィツィロポチ鳥(蜂鳥の左足)」と関係が有るのではないだろうか。日本の八咫烏は足を1本足され、アステカの蜂鳥は足を1本減らされているのである。
其れは、左足が神の足であり、右足が人間の足であり、神と人間は両足の関係である理を示している。
私に出て来る足は右足であり、左足が未だ出ては来ない。だから私は、未だ自分の足で歩き出す事に躊躇しているのである。しかし、私自身が直接歩き出す必要がないのであれば、私は蹴り出す足を引っ込めて、鶴の様に左足だけで立ち、右足は曲げて休めて居れば良い事になる。其れは、昨日、うさぎが耳を畳んだ事に続いて、右足も畳んで良いと言う事に成る。其れこそが、太陽の印である蜂鳥の姿であり、水田の真ん中で片足で立っている稲田の「案山子・カカシ」の姿ではないのだろうか。
アステカ文化と近いマヤ文化の神は、時間の操縦士であり、其の操縦士の臍から生える生命樹のチョッペンには、時を告げる鶏が止まっており、其の下の枝には、太陽と蜥蜴が左右にぶら下げられている。そして、時間の操縦士に捧げられる供物は、脈を打つ人間の生きたままの心臓である。其の儀式の意味は、トキを司っている物への恐れである。其の、マヤの蜥蜴とアステカの蜂鳥に共通するのは、太陽光線に拠って虹色に輝く身体である。其れは、鳩の首の毛色と同じモノである。
其れ等の事柄を考えると、古代人の神に対する考えや、恐れの心境が察せられてくる。漢字の「易」も、日(太陽)と蜥蜴の組み合わせであり、同じ文化が源流に有る事が理解出来るのである。其の、古代人にとって神秘であった世界が、現代科学の力で明らかにされつつある。其の新しい科学知識が、皆に理解されれば、宗教の世界は必要では無くなるだろう。
今朝は、他にも「(+)陽+(+)陽 = (−)陰+(−)陰」や「FPPZZ」の記号と文字が映されて来たのだが今日の処は此のぐらいで探索は止めて於こう。
今日は、枯れ葉マンが現れて、「わたしは 何処にでも 在る」との意味が伝えられて来たので、太陽の隠れた季節にも、確かなモノは何処にでも存在するとの事であろう。其れが、冬間には眠ってしまう樹木からの声なのか、大地を括っているアース-コントロールからの意志なのかは未だ判らない。
明日は、素戔鳴尊を祭る大山神社の1年に1回の祭りである。4月30日にビジョンに現れた大蛇が、どの様な動きを始めるのかも、解かって来るのかもしれない。何故なら、北海道から素戔鳴尊に呼び出された女性が、2008年2月8日に其の神社で「此の島には 私が計画した事が有り 其れが是から始まる。」と、告げて来ているからである。
平成20年7月16日
礒 邉 自 適
※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。