2008/4/22
動き出した弥次郎と少彦名神
20・4・22
今日は、朝から大山祇神の祠をお祭りしている大山邦博氏が、昨日行った大山祇神の月祭り旧暦3月16日のお神酒の残りを事務所に届けに来て、「昨日は 山の大山祇神の祠の所に 大きな男神が立っていて 今朝は霊夢に身体の小さな男神が出て来た。」と云うのである。私は其れを聞いて直ぐに、身体の大きな男神は「弥次郎どん」で、身体の小さな男神は「すくなひこ神・スクナヒコナ神」であると思った。
弥次郎どん http://moon.ap.teacup.com/20060109/4.html
私は、昨夜は真上に有る満月を眺めながら12時前に事務所から宿舎に帰って、其の儘ベッドに入ったのだがナカナカ寝つけないでいた。そして、未明にまどろんで居て見たビジョンは、創価学会の池田大作氏と向かい合って、今後法華経の扱いをどうするかを、対等な立場で話し合って居た。そして話が済んでから港に行くと、船が出港したばかりで乗り遅れてしまった。仕方が無いので、次の船に乗る事にして近くの温泉に入浴しに行くと、其の建物は山の傾斜面に建っており、1階がお店かロビーに成って居て、地下1階が宿泊施設で、地下2階が温泉施設に成っているのである。
私は、其の3階建ての階段を1番下の階に有る温泉に向って下りて行き、風呂場の中に入ると、其の広い浴室には10名程の人が居た。そして其の人達の中に、知り合いの土建業の社長をしている男性が居て、海に潜って漁を済ませた後、温泉に入りに来ている事が解かった。
今朝の映像の意味は、私の意識が現代の人間社会の真っ只中に降りている事に成る。創価学会は大きな宗教団体であり、今や池田大作氏の悪口はテレビや新聞も報道する事は無い。何故なら、其れほど創価学会は力を持っているので、悪口を云うと自分の事業経営に影響するからである。そんな力を持っている池田大作氏と、私の意識が体等に話して居たと言う事は、私の今朝の意識は、日蓮聖人か、創設者である牧口常三郎か、二代目会長の戸田城聖の御魂だったのかもしれない。
私に、日蓮の霊魂が現れたのは1983年の3月13日で、安房の自宅二階の寝室の窓から見える太平洋の水平線上に、太陽が顔を半分出している時だった。其れは、私が此の世界に入る3ヶ月前であり、師が3月5日に屋久島に引っ越しして来て7日が過ぎた日の朝の出来事である。何故、太陽が半分顔を出した時に、日蓮の霊に起されたのかと謂うと、元旦の「旦」は太陽が地平に顔を出した時の象形であり、日蓮が太陽を意識して居たからであろう。だから日蓮は自分の名前に日を付け、弟子達にも皆名前に「日」を付けている。
其れに、私が平成元年3月13日に、初めて阿蘇の日の宮弊立神宮に参詣し、境内に入った時間に太陽が異常現象を起したのも、岡の上に立っている日の宮弊立神宮が、太陽を拝する「日の宮」であるからであろう。其れに、其の日3月13日は日蓮が私に現れてから丁度5年目の記念日でもある。だから、其れ等の事柄を考えると、今朝の状況は25年前の計画が一応整ったとの事ではないだろうか。
それと、創価学会は公明党の選挙の票田であり、自民党は創価学会の応援が無ければ多くの議席数を減らす事に成るし、創価学会が民主党と組んでしまえば、直ぐに政権交代が起きてしまうのである。其れが、現在の日本国の政治状況なのである。
そして今朝の映像は、其の社会から2段下の階に、温泉が有り、其処に土建業で儲かって資産を蓄え贅沢をしている社長が居た。土建業界は自民党の票田であり、其の男性が資産を蓄えているのは、国の借金の800兆円の1部が巡った物である。だから創価学会より2段低い所に在り、地獄に近い位置に有るとの意味ではないだろうか。
池田大作氏は、3年前にも私の霊夢に現れた事が有る。其の時には疲れた様子で現れ、私に「早く受け取ってくれ。」と云ったのである。そして其の後日の霊夢に、池田大作氏の息子が東京本部の建物の玄関に、三つ揃えのスーツを着て1人で立っており、私が到着するのを待っている映像が映し出されて来た。しかし今朝現れた様子では、池田大作氏はとても元気な様子であった。其れは、日蓮の念いがようやく果たされる時節が、到来した事を意味しているのかもしれない。
今朝、大山邦博氏と色々話して居ると、ようやく神々が屋久島の山中に有る大山祇神の祠から動き出している事が解かった。其の祠は、山中に有る野晒しの只の祠で、社も無いので風雨に其のまま晒されているのである。其れが、本来の日本の神祭りのカタチであろう。其れは、アイヌ・蝦夷や、沖縄の「ウタキ・御嶽」の神祭りと同じ形態である。そして其れは、南米の「山の神・ミタケオハシンス」と同じ系統の神でもある。
其れに、岡本天命氏に始めて日月神事が降りた、千葉県成田市台方に有る麻賀多神社の境内に有る末社の「天之日津久(あめのひつく)天津日嗣」神社の祠も、同じ様な小さな石の塚である。其の祠の、天之日津久神が動き出したのは、昭和19年6月10日(時の記念日)である。そして、私に「紀・トキの祭りを行え」と告げて来た日付は、其れから62年後の平成18年6月11日であった。
紀・トキの祭りhttp://white.ap.teacup.com/miitu1223/89.html
大山祇神発動http://white.ap.teacup.com/miitu1223/98.html
大山祇神の本体http://white.ap.teacup.com/miitu1223/167.html
昨日は、千葉県から1年振りぐらいに屋久島に来た寺井氏が、夕刻事務所に訪ねて来たので、一緒に焼酎を飲みながら夕食をした。もしかしたら、昨夜私が眠れなかったのは、其の寺井氏が千葉から日蓮の霊魂か、天之日津久(あめのひつく)神を連れて来たからかもしれない。
其れに、寺井氏の話では三重県磯部町に有る伊雑宮に参詣して、宮司さんに会って話を聞き、別宮にも参詣したとの事である。其の別の宮が、本来の伊勢の神であり、熊野古道の元のルートであったとの事である。そして礒部の神は、海から遣って来て、五十鈴川を遡り住み着いた人達であるとのことだった。其れは、奈良から倭姫が天照を伊勢に連れて行く以前から、住んで居た部族である。だから記録にも、倭姫に土地を提供したのは礒部族の人だと書かれているのである。其れに、伊勢神宮の神主をして居た「渡部・わたらいべ・渡辺」も、礒部の人間との事である。
参考HP 磯部伊雑宮は
http://otd3.jbbs.livedoor.jp/246945/bbs_plain?base=547&range=1
今日私が感じた事は、大山邦博氏が何を話しても私が対応出来る事である。其れは、私が18年間全国を回って、神々のルーツを調べて来て知っているからである。其れに、世界中の古代の王達は、若い時に国中を巡り、地方の霊魂との接触を図らなければ成らないコトに成っていたとの事であるから、私は其の仕来たりの通りに動かされていた事にも成るのである。
今日は他にも、大山祇神のお告げが出ている事が判明し、其の事に付いても、皆で検討する事と成った。ワシがお前にhttp://moon.ap.teacup.com/20060615/110.html
どうやら、81歳の大山邦博氏が仲間数名で是まで遣って来た事を、皆でサポートしなければ成らない様である。其れに今日は、松山悦子さんが大山祇神の祭りの前に、仲間と屋久島入りする事が決り、其の日程を知らせて来た。其の日程は、6月8・9・10日の2泊3日である。驚いた事に、其の中日の屋久島1周をする日は6月9日で、タオのマークの「69」の日である。
そして其の6月9日は、大阪の池田市の山中で、天河神社の柿坂宮司が安倍清明の結界を解いた日であり、スーリアさんが矢筈岬で岩戸開きの儀式をした日でもある。其の同じ日に、松山悦子さん一行が其の同じ矢筈岬に立つ事に成るのだ。其の岬の洞窟には矢筈八幡神社が有り、其の岬は東経130度30分線上に有り、其の線上には「開聞岳の開聞(ひらきき)神社」が有り、久留米水天宮―菅原天満宮―宗像大社等が一直線に並んでいる。そして今回のメンバーには、其の久留米市から「みどりの風」と言う名の会社を経営している方も入っているとの事である。
段々と、日本から起きる神一厘の仕組みが、表に出そうな気配である。
平成20年4月22日
礒 邉 自 適
※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。