2010/1/2
純粋な初夢
22・1・2
昨夜は、12時前に成ると、是までには無かった、感情と言うか、感覚が、自分の意識のセンターに、入り込んで来ると言うか、収まった感じが有った。そして、其れは、宿舎に帰って、シャワーを浴びても消える事なく、続いているのである。
私は、其の状態が、ブッダの真の状態であるのが理解されたので、其の儘、永遠に座って居たい気持ちに成っていた。其れは、瞑想の感覚ではなく、自分が悟った時の興奮状態の歓喜でもなく、「生命・いのち」其のモノが、本来の処に還った、落ち着きの様なモノである。
私は、何故、其の様な感覚状態に成っているのかを、自問自答して診た。其れは、25年半前に起きた、4311体の「御霊の思頼・みたまのふゆ」で、桜沢如一から、出口王仁三郎 → 宮本武蔵 → 一休禅師の順番で始まった、修行(活動・体験・求聞持法)が、逆に、出口王仁三郎 → 桜沢如一と1昨日の大晦日で抜け落ちた為なのだろうか。
・「虚空蔵求聞持法」 お大師様のご誓願
「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん。」
「虚空が尽きるまで、迷える衆生が尽きるまで、さとり(衆生を救う行)の尽きるまで、永遠に
仏に祈りつづけたい。空、衆生、さとりが尽きれば、わたくしの願いも尽きるであろう。」
参考HP http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/gumonnjihou.htm
其れとも、昨日「アルクトゥルス氏」の事を「隊長」として認め、自分の行動の方向を任せてしまったからなのであろうか。其れに、昨日、今年の2月11日、4月19日、5月15日の、日程設定が為された事にも関係が有るのではないか。そして、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の化身である「十一面観音菩薩」の働きが、1月1日11時11分に時間設定された事にも関係が有るのだろう。其れは、アルクトゥルス氏のブログでもシンクロ現象を起こしているのである。
・・・「4月2日」の日付に付いて、私に考えられる事は翌日の「4月3日」が「神武天皇」の誕生祭であるので、前日の4月2日はイエスキリストの「クリスマスイブ・聖夜」と同じく、神武天皇の「宵宮祭・よいみやまつり」の日であると言う事に成る。だとすれば、今年は「2月11日(紀元節・建国記念日)」と「4月19日(天智天皇近江宮遷都・宵宮祭)」に続いて、「5月15日・宵宮祭」の日程が決まった事に成る。・・
昨夜は、其の感覚のまま眠りに落ちていった。そして、見た初夢は、食べ物の事だけであった。其の食べ物とは、「蕎麦・そば」を材料とした食べ物と、「大豆」を材料とした食べ物の世界である。其れは、日本の禅宗の寺院で、僧侶が食べている料理の世界であり、お寺で出される懐石料理の世界である。
今朝の、其のメッセージから考えられる理・ことは幾つかある。
1つは、蕎麦と、大豆を主体とした食品の世界は、人間の身体の健康にも良いし、地球環境にも負担が少ない理・ことである。だから、人類の存続が可能に成り、人間のストレスが無くなり、平和な社会を創り出すのに一番近道の方法であると謂うことが出来る。
もう1つは、私のカルマ・業が消えて、最後に、人間の最大の欲望である「食欲」の世界が、映し出されて来ていると謂う理・ことである。其れは、安楽を迎えた私の状態でも、生命を維持する為に、食べ物が要求されていると謂う事である。其れは、私が安楽を得て、此の侭「即身成仏・そくしんじょうぶつ」の世界に入り込む事を、防いでいるのではないだろうか。
私は、昨日の、夜の状態のまま食を断って行けば、「極楽往生・ごくらくおうじょう」と謂うか、「ブッダ・仏陀」として、永遠の「記憶・メモリー」の中に、還れる理・ことは知っている。知って居ると謂うか、25年前の夏に、長い断食を続けて、心臓の心拍を計れない状態まで行き、此の137億年の宇宙の始まりの記憶を思い出して、還って来る体験をしているのである。其の時、地面に倒れて居る私を、弟が発見して、師に知らせなければ、私は其のまま彼の世に還ってしまって居たのである。
其の時の状態と、同じ感覚が、昨夜私の身体を包み込んでいたと謂うか、身体の内に収まっていたのである。しかし、其の時は、此の世に生きたいとの感覚も無いし、食欲も無いし、人恋しさの感覚も全く無かったのである。
しかし、昨夜の状態は、宇宙(久遠元初・くおんがんじょ)」の中に還ったとの感覚ではなく、此の世の全てを、体内に宿したかの様な満足の感覚だったのである。
其れは、安心出来る環境の中で、好きな男性の子供を、お腹の中に宿している女性の感覚の様なモノなのかも知れない。だとすれば、昨夜の感覚は、是まで背中に付いていた女神が、私の体内・内側に入ってしまい、女神と私の立場と謂うか、存在が、逆に成ってしまったのではないだろうか。
是は、とても新鮮な考えであり、是まで、耳にした事が無い概念である。だとすれば、男性の役割である創造力が、是までには無かった力を、発揮している理・ことに成る。其れは、仏陀や、観音様や、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」等の姿が、中性に描かれている事の理由にも成るだろう。
子供を妊娠した事の無い私が、何故、懐妊している女性の様な感覚を覚えるのであろうか。其れは、私の魂しいが、過去に母親の体験が有るのか、其れとも母親を体験した霊魂が、私の意識に侵入しているからなのであろうか。どちらにしても、私の意識が、戦いの好きな男性意識から、生命意識を身体に内在する感覚へと変化した事は、是から又私の意識が、新たな世界へと旅を始めたと言えるのかも知れない。
今朝は、目覚めてからも、其の感覚が残っているので、ベッドの中で其れを楽しんで居た。そして、時間が気に成ったので、起きて、目覚まし時計を手に取って時間を確認すると、「8時15分」であった。私は、其の数字を見て、8月15日の日付を思った。其の8月15日は、お盆の中日でもあるが、終戦記念日でもある。
そして、其の昭和20年8月15日には、奈良の矢追日聖氏に神のメッセージが有り、日本から世界に向けて、新しい「価値観(政・まつりごと)」が、始まる事が告げられている。
「正傳 矢追日聖」http://star.ap.teacup.com/170606/210.html
今朝は、事務所に出て来てPCの前に座り、コメントやメッセージを確認して居ると、是までとは違う感覚で言葉が告げられて来た。其の言葉は、男性意識からであり「何も無い 其の儘」との言葉である。其の、男性意識の言葉は、外側から来る命令的なモノ「俺に云わせろ」ではなく、是までとは違い、内側から湧き出して来る様な感覚である。
「何も無い 其の儘」http://sun.ap.teacup.com/20061030/231.html
其れは、お腹に懐妊した者が、年老いた翁の様な意識で、私に、男性の意識感覚を完成させる為の、働きを持っているかの様である。其れは、是まで背中に付いて居た女神と、私の意識が入れ替わって、男女の意識が逆転しているからかも知れない。
其の様に考えると、12月28日に「マンママリア・Mamma Maria」と告げて来たのは、「キリスト」を懐妊した「マリア」の事を、意味していたのではないだろうか。「マンママリア」とは、「マリア」の名だけなら、子供を産んだ事のない女性のマリアが多く居るので、区別する為に「母親マリア」と告げて来たのであろう。
「何も無い 其の儘」の言葉の意味は、私の自我意識と謂うか「腹心算・はらつもり」が尽きて、代わりに「永遠の仏陀・キリスト」が腹に入ったとの意味であろうか。
だとすれば、私も愈々「丹田に気が満ちる」と言うか、「腹が座る」と言う事に成るのだろうか。
漢字の「儘」は「人+盡(尽)」の組み合わせで、「盡」は「皿+筆」の組み合わせで、「皿の中の物を 全て刷毛で掃き出す」の意味である。
「儘・侭」@みな。ことごとく。つくす。きわめる。=盡 Aまま。ままよ。まあまあ。
国字・まま。アそのまま。イ想いどおり。気まま。 漢語林
全てを、心から、掃き出した私の意識に、是から何が生じて来るのか。其れは、日本の伝統が「食国の政・おすくにのまつりごと」と言われているので、今朝のメッセージに映し出されて来た、純粋意識からの食欲の映像の献立を、賄い・典座(てんぞ)して行けば、自ずから明らかに成って来るだろう。其れこそが、天皇家の台所の神である「御饌殿神・みけどののかみ」と言う理・ことなのであろう。そして、漢字「謂・言+胃(米+肉)」の組み合わせの、「言葉は 胃袋の中の 穀物から 発生する」との意味にも通じているのである。
平成22年1月2日
礒邉自適

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