2009/10/10
大日如来を育てる
21・10・10
本日の日付は10月10日で、数霊的には「十十」「とうとう完成した」の「とうとう」や、「重々認識した」の「じゅうじゅう」に当てる事が出来る。そして、何が完成したのかを考えると、私が此の世界の「達人・タツジン(たっしたひと)」と言うか、「至人・シジン(いたったひと)」の立場に、「疾う疾う」到着したとの事に成る。
其れは、老子の謂う「嗇(しょく)にしくはなし。(天の働きは 種子を蒔いて 育てて収穫する。それしか無い)」の意味が、完成した事に成るのだろう。
何故、私が其の様に考えるかと謂うと、8日の「礒邉自適に仕えろ」の言葉と、昨日9日に、神の赤子を預けられたメッセージが有った事に拠るものである。「礒邉自適に仕えろ」との意味は、「神の子」を育てる為に、礒邉自適に協力をしろとの事であって、礒邉自適に従来型の権力が与えられた譯・わけではないのである。
其の「神の赤子」とは、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の事である。「大日如来」
とはインドの「マハーヴァイローチャナ・摩訶毘盧遮那」の訳であり、其れは「宇宙の真理の本体」の意味だから、宇宙に「大日如来」が人間の姿で存在する譯・わけではないのである。だから、大日如来とは人間の頭で考え出したイメージで、其の「イメージ・幻影」に名前を与えただけに過ぎないのである。
そして、其の「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の本体は、私が、昨日達して居た「電磁波の電子糸の糸車・紀」の中心軸だったのである。そして、其の糸車の中心軸が「天御中主」との名前であり、其の働きが、人間に収まった姿が「ブッダ・佛」であり「すめらのみこと・皇帝・すめらぎ」なのである。
チベット曼荼羅の始まりは、其のブッダの存在を、枝が茂る樹木の中心に据えている。そして、左右に「月光菩薩」や「日光菩薩」を住持させて3佛とし、更に其れに上下が加えられて4菩薩+1佛=5体曼荼羅と成り、更に倍の8菩薩+1佛=9体曼荼羅となっている。其れから更に数が増やされ、現在の「金剛界曼荼羅・西」と「胎臓界曼荼羅・東」の、両部曼荼羅が作成されたのである。
だから、其れ等の曼荼羅も、実際に其の様な仕組みが宇宙に整っている譯・わけではなく、人間が頭で創り出したモノ・世界なのである。其れは、最初は、大きな木の四方八方に拡がる枝の模様に、釋迦牟尼佛の謂う「縁・エン」を当てた物で、其れは人間の脳の中に有る「DNA・遺伝子」の電気的思考システムを、意識の外側に投射した物に過ぎない。
其の、人間の脳の働きである、電気的思考システムが、昨日、私の意識の中で本番を迎えたと言うか、本来の働きを取り戻したのであろう。其の様に考えると、昨日のメッセージの映像に現れた何万羽の渡り鳥は、飛び散っていた私の「いのち・情報」が源に帰って来た理・ことを意味し、私の62年間の人生の旅は「終結・完成」して、赤子の次元に「帰る・祷り・帰命・リリジョン・religion」した事に成るのだろう。
そして、私は、自分を育て上げた、3つの働きを思い出そうとして居たのである。その3つの世界こそ、大日如来の三密である「身・口・意」の世界なのである。其の「身・口・意」とは、身が「身体・健康」で、口は「言葉・知識」であり、意は「こころ・精神」の理・ことである。
人間は、死ぬ時に「身体・肉体」は地上に置いて行く、そして「知識・記憶」と「精神・魂しい」は分離して、他の次元に移るのである。そして、新たに生まれて来る時に、約3kgの肉体と、神の「こころ・心・精神」を携えて、此の地上に生まれるのである。
そして、其の時代の知識を集め、新たな「大日如来・マハーヴァイローチャナ」を、自らの内に組上げて行くのである。其の為の舞台が、此の、美しい環境に恵まれた地球なのである。
此の、礒邉自適と名づけられた1個の個体は、62年前「霊留・ひと」として此の世界自然遺産に登録された屋久島に生み落とされ、神の働きに拠り、新しい「身・口・意」を組み込まれたのである。其れが、此処3日間で極みに達し、糸車の「芯・紀」が現れ出て来たのであろう。
「大日如来・マハーヴァイローチャナ」とは、「宇宙の真理の本体」との意味である。其の「真理の本体」こそが、釋迦牟尼佛の謂う「縁・エン」であり、日本の神道の「結び・注連縄」の意味であり、海原の生命進化のルーツである「素戔鳴・スサの尾・クサの穂・生命の鎖・いのちの連鎖」の情報の素・もとなのである。
何故、「素戔鳴尊・すさのおのみこと」が鼻から生まれたとされているのか、其れは、鼻が動物の身体の最先端に有り、生命情報の突端だからである。日本語には、「目から鼻に抜ける」との諺が有る。其れは、最も聡明で、物事に対する「選択・チョイス」のスピードが速い者の謂いである。何故、聡明な者が賢いのか。其れは、「生命情報・魂しい」が宇宙の全て・森羅万象に繋がっているからである。其れは、最高レベルの大型コンピュータと同じ原理である。
だから、蓄膿症で、鼻のクーラーが効かない記憶力低下の人間とは反対で、焼き付きや、固まる事の無い、優秀な電気信号処理システムを有した人間が、「大己貴(おおなむち)・大物主(おおものぬし)」なのである。
「大己貴(おおなむち)」は、「大蛇・おおなむち」で、奈良の「三輪山・三室山・神奈備山・ピラミッド」に棲む蛇である。何故、其の「大蛇・おおなむち」が「大物主」や「大国主命」との別名であるのか、其れは、其の人達が釋迦牟尼佛と同じく、「大山祇神・おおやまの巳の神」の意識に目覚めて居たからである。何故、人間の「命・みこと」と「蛇・巳」が関係有るのか。
其れは、人間の意識の本・もとに、蛇や蜥蜴と同じ記憶を有する「古代皮質・古代脳」が存在するからである。其の古代脳の働きを取り戻す事が「悟り・覚醒・成仏」なのである。だから、「天御中主」や「大日如来・マハーヴァイローチャナ」とは、宇宙に存在するのではなく、自分の頭の中に存在するのである。何故なら、自分の脳の中になければ、其れを感知する事も、思い出す事も出来るはずが無いからである。だから「ブッダ・仏」に成る・成仏する為には「覚醒」が必要とされるのである。
さて、今朝のメッセージの映像は、先ず30代の男性が3人現れて、其の男性に農作物を育てる作業を、私が教え・薫陶して居た。其の3人の男性は、飲み込みの早い者、普通の者、遅い者の差が有った。
次に場面が変わり、今度は女子高校生が3人現れて、私は其の3人を修学旅行に連れて行き、様々な地域の生活文化を見せて居た。其れは、家庭科の授業の一環である様に想えた。そして其の3人にも、飲み込みの早い者、普通の者、遅い者の差が有った。
此の2つの場面は、男子には大学を卒業しても、農林漁業や大工等の現場作業の実地教育が必要であり、女子は高校生の時から、衣食住の家庭科の授業を、みっちりと教える必要が有る理・ことを示しているのであろう。
女性にとって一番大事な役割は、子供を生んで育てる事に有る。だから、余計な学問をする事より、衣食住に付いてしっかり知識と技術を習得し、何時、子供が生まれても、育てられる様に成っていなければ成らないのである。何故なら、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の真理は、健全な「身体・肉体」が一番重要だからである。健全な肉体が維持できなければ、他の「口・知識」や「意・精神」を習得できないのである。
そして男性は、自分が生きて行くだけではなく、妻や子供を護って行かなければ成らない。其の為には、丈夫な肉体を持ち、知識や技術を身に付け、社会全体を護れる精神を養わなければ成らないのである。そして、自分の子育てが済んだら「公・大宅・おおやけ」の立場に立ち、「政・まつりこと」に関わりを持たなければ成らないのである。
処が、現代社会の有様は、大学を卒業した女性が飯も炊けない状態であり、赤ちゃんのオムツの取替えも出来ない有様である。私の母方の祖母は、14歳で嫁ぎ、子供を5人育てている。其れは、小さな子供の頃から、母親の真似をしながら「ままごと・飯事」をして居たからであろう。女の子は、子供の頃から人形の着せ替えや、お守りをし、飯事をして居れば、学校に行かなくても主婦が務まったのである。
処が、現代社会では、0歳から施設に預け、他人任せである。其れでは、誰が育てた子供なのか判らなくなるし、先祖代々伝わるの家風などは消えてしまうのである。
其れは、一般家庭だけではなく、日本国の伝統文化を伝えなければ成らない天皇家でも、同じ様な状況に至ってしまっているので、国民の手本と成るべき対象が失われてしまっているのである。其れは、昭和天皇が皇太子の教育係に、キリスト教の信者である婦人を選んだ事にも原因が有り、現在の天皇家の人々は、公には神道を継いでいる様でも、個人的な信仰はキリスト教に傾いているのではないだろうか。
そうでなければ、私に代々の天皇霊が頼って来る譯・わけがないし、此の様なメッセージが毎日送られて来る事もないはずだからである。其れは、天皇家ばかりではなく、宮内庁や神社庁にも責任が有るだろう。其れに、全国の神社の神職や、お寺の坊主も本来の役割を果たしていないからである。
天皇に成る事が決まっている皇太子が、「雅子の人格が・・云々」とかの個人的な事を公の場で云ったり、神社の宮司の跡継ぎに成るべき者が、巫女さんを乗せてモーテルから出て来て、交通事故を起こす様では、世も末である。
其のような有様なので、手立てとして、新しい大日如来の赤子を、私に預けて来たのであろう。其れは、新しい「天照皇大神・あまてらすすめおおかみ」と成るべき御霊を育てる為に、鳳凰がコウノトリに頼んで、私に赤子を届けさせたのであろう。
しかし、愚痴を謂って居ても仕方のない事である。私に神の赤子が預けられて、其の育て方まで示して来ているのだから、何とかしなければ成らない。其の方法が、昨日示された3通りの世界と、今朝映像で示された、男女の育て方の違いであろう。
現在の学校教育の有り方は、男女同権の考えに拠る男女共学体制であり、男女雇用機会均等法までが創られ、男女の差を無くそうとしている。皮肉にも、其の成果が上がり、女性は結婚して子供を生み育てる事を止め、男性は腑抜けに成り役に立たなく成って来ている。
最早「天照皇大神・あまてらすすめおおかみ」の御霊を宿す器に成る様な、人物・大物主・大己貴を育てる環境など、何処にも無い様に想われる。
では、私は、預けられた「神の赤子」を、何処でどの様にして育てれば良いのであろうか。其の為には、「身・口・意」の「身体・肉体」「知識・記憶」「精神・魂しい」が育つ環境を整えなければ成らない。
其の為には、先ず、人間の「死」と「誕生」に付いての理論を、明らかにする必要が有るだろう。
死は、人生の結末であり、誰でもが否応なく体験する事なので、ほって置いても問題はない。今生で悟れなければ、何百回でも生まれ変わって、修行を続ければ良いのである。
処が、誕生と生育に付いては、現世に居る人間に責任が有るのである。其の責任を、私に執れとの事が、此処数日のメッセージの内容であろう。
其の手立ては、3つの方向性や「3・三」の数字に有るのだろう。三は、「三宝」や「三身一体」や「三権分立」「三顧の礼」等の事柄に使われ、「住吉三神」や「宗像三女神」などの神の名にも使われている。そして、中国の老子の言葉には「始めに一が有り 一から二が生まれ 其の二から三が生まれ 三から全てが生まれた」と有る。
其れ等の事からも、先ず、物事の理・ことわりを、三つに分けて考える必要が有るだろう。其の為にこそ、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の三密の教えは、有効な手立てに成るのではないだろうか。
私は1997年から2年間出雲に住み、新しい国造りの為に「安部忠弘氏」の協力を得て「出雲学びの家」を開設し、学びの為のカリキュラムを作成した。其の基本として、「大日如来」の三密の考えを基礎にしたのである。そして、其の初めての学びの会合日は、奇しくも弘法大師空海の命日である3月21日だったのである。
屋久島自適塾の案内のサイドメニュー「ひとの行き方」「カリキュラム」に有ります。
http://www17.ocn.ne.jp/~yjj/yjj/top.html
ようやく時節・トキは準備期間を終え、新しいパラダイム-シフトへと移行するのではないだろうか。其の魁・さきがけとして、私に、森羅万象の源から、こうして毎日、情報が送り出されて来ているのであろう。
今日の題を「大日如来を育てる」としたが、其れは何も大袈裟な言謂いではない。何故なら、宇宙の真実・ダルマ(法)が存在するからこそ、私達の生命が存在するのである。其の大日如来は、自分の内側に内在するのだから、自分が正しい「道・タオ」を生きて居さえすれば、大日如来を育てている理・ことに成るからである。
平成21年10月10日
礒邉自適

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