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2009/9/1
「690」
生物の仕組み
690
21・9・1
今日9月1日の数字は、花札のオイチョカブでは「91・クッピン」で、親の総取りの数である。だが、子が「9」の札と「1」の札を引くと「9+1=10」で「0」に成り自分の物を失う。オイチョカブは、2枚か3枚合わせた数が「9」に成ると勝ちである。そして、今月9月の札は菊花の絵で、菊札には盃が付いているのが1枚有る。
「クッピン(親のみ)」
親が9と1の2枚の組み合わせとなった場合。順序は問わないが、3枚目を引いた場合は無効。倍率2倍。子の場合はただの0(ブタ)。 ウィキペディア辞典
何故、今朝の文章を数字から書き始めたかと謂うと、今朝起きる寸前に頭を動かすと、「690」との数字が脳裏に現れたので、何の意味だろうかと考えたからである。
其れに、朝事務所に出て来て、PCの前に座ると「内なる命に向かう」との言葉が告げられて来たので、「女神のメッセージ」のブログを開けると、次の言葉が続いて出て来た。其れは、私が「生命・いのち」の源に辿り着いて、役割が果たされた事を意味している。
「内なる命に向かう」
http://moon.ap.teacup.com/20060103/263.html
さて、今朝のメッセージの映像は、先ず、年老いたお婆さんの両手が現れて、占いの道具の様な物を、机の上から片付けている場面が映し出されて来た。
そして、大事な理・ことが書かれている横書きの文章が、PC画面の様に、次々に書き出されて、下って行くのが映し出されて来た。其れは、人間がPC画面に文字を打つと、文章は上に上がって行くのとは、流れが反対である。其の意味は、神の「文章・意思」は打たれている文字だけが、今であり、書かれた部分は、過去に成って行く理・ことを、示唆しているのかも知れない。
そして、次に、何処かの会社の広い事務所が映し出されて来て、男性達が活発に動き始める映像が現れた。其れは、大きなプロジェクトが動き出して、全員が其の為に元気に働き始める様子を示していた。
そして、場面が変わり、中秋の名月・満月を寿ぐ為に、日本建築の建物の広い縁側に、月見団子や、ススキの穂がお供えされている場面が現れた。其処に、スラリとして髪の長い、美しい女性が1人現れた。私の意識は、其の美しい女性と恋仲であり、月の光を浴びながら交尾の行為に入った。其の体勢は、立ったままの女性の背後から、私が迫る形である。
私は、後ろから迫って、女性の前の方を探るとペニスの様な物が付いているのである。私は、アレ男性なのかと想って其れを良く確かめると、其れは男性のペニスではなく、女性のクリトリスであり、其処が、生命にとって1番敏感な感覚器官である理・ことが理解できた。
其れから、性器がどう成っているのかと想い、後ろから女性器の部分を覗いて見ると、其処にはピンク色に輝く性器の口があった。しかし、其のピンク色の性器の口は、人間の物ではなく、海の珊瑚が、満月の満潮時に、ピンク色の卵を吐き出す産卵口である事が解かった。
私は、何故、人間の女性の性器が、珊瑚の排卵口に成っているのかと想い、頭を上げて回りを良く見ると、部屋の奥の方に、其の女性の父親らしき男性が、胡坐をかいて静かに座って居り、私達2人の様子を観察している事に気が付いた。
其の男性は、何も云わなかったので、私達2人の行動を、全て理解しているのであろう。
そして、朝ベッドから起きようとした時に、頭に「690」の数字が告げられて来たのである。「69・シックスナイン」は、中国の「道・タオ」のマーク・モチーフに成っており「陰陽・雌雄・男女」の意味を表している。其の陰陽の働きは、「○・丸・円」の中に納まっており、○は調和を意味するし、満月の形でもある。
其の様に考えると、「690」は○の中に納まった「69・陰陽・雌雄・男女」の調和を意味しているのではないだろうか。
其れは、「タオ・道」が完成したと言うか、トキ・事象が満ちた事が、示されて来ているのかも知れない。
其れは、現実的に考えると、満月の夜の満潮時に、全部が揃って、1年に1回だけ産卵する、珊瑚の様子を数字で現している理・ことになる。そして、抽象的に人間世界に表現・描写すれば、中秋の名月の中で戯れる、男女の姿に当て嵌められるだろう。
今朝のメッセージの映像を、別の角度から観て見ると、机の上を整理していたお婆さんは、箒に跨って夜の世界を掃除する「魔女」の意味でもあり、薄暗い森の中に住む「山姥・やまんば」であり、森から海に降りれば「瀬織津姫・せおりつひめ」であると言う事になるだろう。
そして、満月の夜に人間の姿をして、産卵をし、受精を図るのは、海の妖精である「龍宮乙姫」さんであり、陸に上がって森の泉に暮らせば「山姫」である。
其のお婆さんと、山姫の関係は、母子の間柄ではないだろうか。其のお婆さんが、占いの道具を片付けていたのは、娘の相手が見付かり、未来世界創造の為の跡目を継ぐ生命・いのちの、受精と産卵が可能と成ったので、跡目を娘・姫に譲り、年老いた母親が安心して引退する理・ことを、意味しているのではないだろうか。
其の様に考えると、今年の中秋の名月・満月の夜は、格別の事が起きると言うか、新しいものが生まれる様な気がして来る。
そして、私達2人の様子を静かに見守って居た男性は、私を此処まで導いて来た「猿田彦神(道祖神)」か、日本人の先祖とされている「妙見神社」の祭神である「御祖神・みおやかみ」だったのかも知れない。
今朝のメッセージで、大事な部分は、お婆さんが机を片付けた後に、日本語で書かれた大事な内容の文章が現れた事である。其れは、全ての神の「カラクリ・真実」が、男性である私の協力にて、言葉や文字にて説明できる様に成ったので、もう巫女の小道具に拠る占いが、必要では無くなった理・ことを示して来ているのかも知れない。
其れは、歴史の中の、中国の皇帝から見れば、日本の巫女に頼る政治は愚かであるので、日本の巫女を「卑弥呼・卑しい女子」と呼んでいる事でも、明らかである。
其の「巫女(お婆さん)」が、引退する事に成り、占いを止める原因は、男性の科学的知恵に拠る理論が文字にて完成されたので、必要ではなく成ったからかも知れない。
古代社会では、子供が産まれる事や、穀物が実る事も、神の力であると考えられていたのである。しかし、其れ等の事柄は、神の力ではなく、自然法則である理・ことが、科学の力で解明されて来た。しかし其れでも、海中の珊瑚が、何故同じ時間帯に一斉に産卵するのかの仕組みは、未だ解明されてはいないのである。
其の珊瑚の連絡システムや、蜜蜂のダンスの意味や、人間が未来を霊夢で見る事の謎・神秘は解明されてはいないのである。其れに付いては、私も、霊夢に現れる神々の現れる方向性や、向き等に拠る特徴等を調べ、人間の意識・脳との関係性を探っているが、其れを理論的に纏める作業は、未だ進んではいないのである。
今日は先ほど沖縄で「いまここ塾」を開催している「阿部敏郎氏」より電話が有り、初めて会話を交わした。其の声色の感じは、とても優しく安定したモノで安心感を覚えるものであった。そして、屋久島に10月1日から5日まで滞在する期間の、宿やレンタカーの手配を今済ませた。
阿部敏郎氏が、屋久島に滞在する間に、お互いの意識や波動を合わす・結んで見れば、是までに理解されていない神・宇宙の神秘が、明かされて来るのかも知れない。
今日は9月1日で、阿部敏郎氏が来島するのは10月1日なので、丁度1ヶ月後である。10月1日を調べると、「法の日」であり「酒の日」である。法の日と、酒の日が重なっている意味は判らないが、阿部敏郎氏と「益救神社・やくじんじゃ」で、お神酒でも頂いて見れば、菊に盃の意味も理解されるのかも知れない。
10月1日の日付は、私が野草社の石垣雅設氏と2人で、「第一回スピリチュアルタイム」の会合を開催する事を、群馬県の前橋で決めた日である。
・・・私はこの日、当時奈良市に在った野草社代表の「石垣雅設氏」と2人で、群馬県前橋に居た。石垣氏と榛名神社に参拝したりしている内に、年内に集まりを催そうとの話になり、1987年11月21日に奈良市大倭神宮会館にて、「スピリチュアルタイム」と題して集会をする事を決めた。後に此の10月1日が旧暦の9月8日であり、11月21日が旧暦の10月1日だと分かったのである。
何故この様なことを言うかと謂うと、神示の中の「二(つぎ)の仕組御用は集団作りてよいぞ。」との事と、私達が魂の人達の集いをしようと決めた事が一致するからである。其れから、既に14年を経過しているが、毎年何らかの集りが自然に11月21日に行われて来た。
「スピリチュアルタイム」の言葉は、屋久島で、私が1985年か86年に、天からのメッセージとして受け取ったものである。其れは、日本語では「魂しいの時」と言う様な意味合いであり、精神的な時代の訪れを感じたメッセージであった。その時は、未だ私は日継神示とかが、存在する事も知らなかったのである。
第一回目の「スピリチュアルタイム」には、全国から70名程が奈良市の大倭あじさい邑に集った。古神道研究家の「菅田正昭氏」、マンガ家の「真崎守氏」、シャリーの本を訳している「山川亜紀子さん」、学校給食問題や沖縄のサンゴ礁の海の保全運動をしている「山田征さん」等が参加された。其れに、未だ世に知られる前の「川口由一氏」も参加していた。
11月21日は前夜祭として、京都府亀岡市の憩の家で行われ、22日に奈良市大倭町「あじさい邑」の一角に在る「大倭神宮会館」にて集いが開かれたのである。「大倭あじさい邑」は、故矢追日聖氏が昭和20年8月15日終戦の日に、神の啓示を受けて始めた福祉中心の共同体のむらである。・・・
「私と日継神示其の二」
http://moon.ap.teacup.com/20061108/165.html
此の文章を読むと、1987年10月1日から、今年の10月1日までには、22年が経過している事に成る。「第一回スピリチュアルタイム」を開く事を決めてから、22年目の10月1日に、沖縄から阿部敏郎氏が屋久島に来島する事は、「魂しいのトキ」に関係が有るのかも知れない。因みに、阿部敏郎氏が宿泊する宿は、音楽の神様が通るモッチョム岳の真下の宿である。屋久島の山岳を、行き来する音楽神は「ピーコドンドン」と言う名の神様である。音楽を遣っている阿部敏郎氏に、其の音楽神がどんな音を送って来るのか興味が湧いて来た。
平成21年9月1日
礒邉自適
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投稿者: 礒邉自適
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