2009/8/23
国家の指針を立てる
21・8・23
本日、8月23日の日付での思い出は次ぎの様なものが有る。1997年の8月23日に宝船がビジョンに現れて、その宝船の後を付けて行くと、大きな木が生えている所に到着した。其の木は、後に、実在する物であり「素戔鳴尊」が自分で植えた木である事が判ったのである。其れから、13年が経過している事に成る。其の、宝船に乗って居た女神が弁才天ではなく、1昨日現れた財宝や名誉を与える「大吉祥天女・ラクシュミー」であれば、いよいよ其の大吉祥天女の動きが、始まるのかも知れない。
「宝船」http://green.ap.teacup.com/20060818/110.html
「木の霊」http://moon.ap.teacup.com/20060615/42.html
今朝のメッセージは「軍隊ではない」との言葉が告げられて来て、パソコン画面の左側のサイドメニューの様に、横書きの日本語文字で50ぐらいの課題・テーマが、縦に並んで出て来た。そして、役所の建物の部屋で、5名程がテーブルに着いて、会議を行っている場面も現れた。
「軍隊ではない」との言葉は、昔の政(まつりごと)である「右大臣」の立場を、意味しているのであろう。右大臣とは、スメラミコトの右手に控える大臣の名であり、戦争と葬式の係りであり、戦争と葬式の時だけ上座とされる役職である。其れ以外の時は、左側の左大臣が上座とされるのである。だから今朝のメッセージは、右大臣ではなく左大臣の役割に付いて、告げて来ているのであろう。
左大臣は、現在の「防衛庁・軍隊」と「検察庁・警察」を除いた、他の役所を総合的に管理する役割で、特に「宮内庁」「司法省」「文化庁」「文部省」「財務省」等の、統括をする席を意味しているのだろう。
今朝の映像に映し出されて来た、50項目ぐらいの課題は、其れ等の役所で、必要とされる物ごとが書き出されていたのかも知れない。其れは、いま行われている衆議院選挙で、各党が提示しているマニフェストの内容にも関係が有るのだろうか。
だとすれば、現在・いまの「国家・政府」とは何なのかを、再検討する時節を迎えている事になり、其れが、新しく組み直されれば「大吉祥天女・ラクシュミー」が、経済を支えてくれるとの事なのではないだろうか。
しかし、今朝のメッセージの映像では、役所に勤務している職員は、事務能力は有っても、今朝の課題に付いて検討が始まったら、何の発想も浮かばないのである。其れに、座長の席に座っている私の意識も、役所の書類の事は全く解からないので、ただ時間だけが無駄に過ぎ去り、何の進展も無いのである。
其れに、現場を役所の人達を連れて歩いても、魚の種類も判らないし、漁業の実体や海の環境悪化に付いても何も判らない。其れに、耕作されている農地を案内しても、現場の状況が把握出来ないのである。
私は、其れ等の役所の人達と関わりを持って居ても、何等の埒が明かないので、自分で遣るしかないと想い、自分の事務所に帰って机に向かった。だが、私はPCでの事務作業が出来ないので、お手上げ状態の処で、今朝のメッセージの映像は終った。
今朝のメッセージの映像で理解出来た理・ことは、自分の意識構造と、公務員の意識構造が全く違うと言う事である。私にとっては、地球環境も人類の未来や幸福も、全て自分に関係が有る事なのだが、役所の人間は、自分の役職の事務処理だけが自分に関係が有る事であり、他の事は全く関係が無いのである。
そして、自分の車や物には愛着が有って大事にするが、役所の物品は自分の物ではないので、何等関心を示さないのである。
私は、其れ等の公務員との関係性の中で、自分の意識が通じないので、ジレンマに陥って居たのである。
其れに、公務員は決った給料に拠って生活しているから、自分の金で無駄使いをする事が出来ないので、俗に言う「太っ腹」の精神構造は生まれないと謂う理・ことである。其れに真面目が取り得だから、お腹かが大きく、昼寝が得意な「天狗猿」の様な生き方や、昼間からコアラや釈迦の様に、静かに瞑想をする事も出来ないと言う理・ことでもある。其れが、民間人と公務員の大きな違いなのかも知れない。しかし、其れは、人間の性質ではなく、単なる職業から生まれる癖に過ぎない。
何故、今日のメッセージが、其の様なモノであったのかを考えると、昨日のヤクザな世界に対して、今日のメッセージは全く反対の国家公務員の世界である。其の、激しいギャップを考えると、素戔鳴尊の働きが気に成って来る。
其れは、人間の生命状態は他の生き物と違って、精神・意識の分裂方向が、多岐に渡っていると言う理・ことである。
「素戔鳴尊」とは、台所のかまどの神である「荒神様」や、祇園神社の祭神である「牛頭大王・ごずだいおう」等ともされている神・はたらきである。其の素戔鳴尊は、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」の禊ぎに因り、伊邪那岐命の鼻から生まれた神・はたらきとされており、海原を治める働きを担っている。
其れに、素戔鳴尊は「伊邪那岐・イザナギ(凪・時間)」の鼻から生まれた「神・はたらき」だから、人間の身体を持つ人物神ではなく、ただの生命活動の描写の名である事になる。
「スサノオ」とは、「すさの尾・穂」で、「スサ・(草+切の漢字)」が「幣・ぬさ」と同じく、小さく切り刻まれて繋がっている物の意味で、海から誕生した生命の拡散である、DNA・遺伝子の分裂(生命樹)の世界を意味しているのである。だから、食べ物に関係が有る神・はたらきとして、熊野大社の「櫛御氣の命・くしみけぬのみこと」とされ、外宮の祭神や、かまどの神とされているのである。
其れは、三種の神器の勾玉で象徴され、「保食神・うけもちのかみ」であり、「稲荷鮨」の名と成り「豊受け」の名に成っている。
私に、毎日こうしてメッセージが送られて来るのも、其の「豊受け」の働きが有っての事だろう。そして、今朝の50程の課題は、正しく其の数の多さから「豊受け」と成るのではないだろうか。
其れが、今日8月23日の日付で、13年ぶりに気に成っているのも、何かの因縁が有るのだろう。
私が50歳の時の、1997年の8月23日に夢に現れた木は、素戔鳴尊が植えた木であり、70日後の9月1日に現れた木は素戔鳴尊の次男である「五十猛命 (いそたけるのみこと)」を祀る神社の御神木であった。
其の日付を、私の誕生に当て嵌めると、8月23日は15週目の105日であり、11月1日は25週目の175日である。そして、受精が固定した6月10日には、太陽からメッセージが届いている。(29・5日×9ヶ月=265・5日)
ITで検索すると、15週目から、胎児に直接煙草のニコチン等が影響する様に成ると有り、25週目には手も出来ており、耳も聞こえる様に成っているらしい。其れに、僅か33日目には、勾玉の目の部分にレンズが出来ているらしい。
其れに、今日気付いた事は、エジプトの「生命の鍵」を意味する「アンク」の印は、漢字の「子」の象形と同じ物であり、文化の源流が同じモノである理が理解される。
「進化・人間の身体」http://www.smn.co.jp/takano/taiji.html
其れ等の事柄を考えると、新しい国家の理念には、生命の神秘や環境に付いての事柄を中心に据えて、組み立てて行かなければ成らない事に成る。其の様に考えると、国家の理念を考えるには、現在の国家公務員をメンバーに入れても駄目だと言う事になり、各分野の専門家を召集する必要が有ると言うことに成る。
「公人招来」http://green.ap.teacup.com/20060818/971.html
だとすれば、やはり、私が考えている「生命研究所」を、立ち上げる必要が有ることに成る。インターネットが完備された現代社会では、ゴミゴミした都会の真ん中に、其の「生命研究所」を設置する必要はないであろう。生命に付いて研究をするのなら、コンクリートジャングルの都会の建物より、自然環境に恵まれた地域に本部を置き、都会で研究された情報もITで繋いで、完璧な環境の中で「妊娠・出産・子育て・教育・生活」を実験して見れば、新しい次元へと人類の意識は進化するのではないだろうか。
其の為にも、「世界自然文化遺産」に登録された此の屋久島は、最も相応しい場所であると言えるであろう。
「屋久島生命研究所」http://green.ap.teacup.com/20090421/
いま大阪の多田政宏氏より電話が有り、暫らく話した。其れに拠ると、多田政宏氏の血筋は清和天皇の流れを汲み、高松市が代々の本籍であるとの事。私の師も、清和天皇の血筋の流れで、祖父までは高松の殿様の御殿医だったとの事なので、何かと縁が深そうである。
私の今日の感じでは、新しく購入する土地の計画に付いては、オーナーが「財団を設立した方が良いだろう」と云って居たので、多田政宏氏に事務局長に成って貰い、建入ひとみさんにコンサルトして貰うのが良いのではないかと想う。
素戔鳴尊や、「大吉祥天女・ラクシュミー」が、何を計画しているのかは判らないが、「屋久島生命研究所」の発足は、案外、的を射ているのではないだろうか。其れが図星であれば、新しい動きが急速に起きて来るのではないだろうか。
日本語の「神・かみ」の概念は、「目に見えない 蔭のはたらき」の意味である。正に、其の神・働きが、誰の意識にも認識できる、新しき御世が、目の前に迫っているのであろう。
不思議な事に、昨日の様に、悪い情報が中に挟まっても、辻褄が合って来るのが神の妙技である。岡本天命の日月神示には、「善悪合わせ飲んで 神が働く」と有る。其の意味が、納得できる今朝の様子である。其れこそが、素戔鳴尊の「荒御魂・あらみたま」の意味なのであろうか。
何れにしても「国家の指針を立てる」等の事は、私一人で出来る事ではないので、日本の伝統である「惟神霊幸倍比坐世 (かんながらたまちはえませ)」で「道・タオ」に身を任せて行くしかないであろう。
平成21年8月23日
礒邉自適

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