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2009/6/29
「9の数字の曼荼羅」
遺伝子・DNA
9の数字の曼荼羅
21・6・29
明日6月30日は、暦の上では「夏越しの禊ぎの日」で、明日から半年後が12月の大晦日である。
其の、半年間の禊ぎの日を前にして、今朝は三列に並んだ9の数字が三段現れた。そして、其の九個の九が中心に納まって、其の枠内から外に数字が拡散して行く事で、世界が生まれている理・ことが示された。
「九・9」の数字は中国では最大の「陽」の数字とされ、9月9日は九が重なる日として「重陽の節句」とされている。中国では、九が一番大きな数字だから「九龍」の名が存在し、仏教伽藍も九重の塔が築かれていたのである。
其れに、算数の掛け算でも「9×9=81」で9は最大の数である。其れは、10も100も1000も、元の「一」に返ってしまう数だからである。何故なら、99%は完全な「一」ではないからである。
私が、25年前此の世界に入った時には、三列に並んだ3の数字が三段現れた。其れが25年掛かって、今朝は三列に並んだ9の数字に進化したのである。其れは、進化したと謂うか、完成か、完熟したとの事ではないだろうか。
明日の夏越しの禊ぎで、9・9・9・9・9・9・9・9・9に、0・000000001が加われば、9は「10・十・ジュウ」に変わり、「クロス・X」がトウトウ完成する事に成る。其れは、「聖X・サンタクロス」の完成を意味するのかも知れない。
其れに、三列三段の9の数字並びは、大日如来の「曼荼羅・マンダラ」とも同じなので、其れが「十」に成る事は、「大日如来・マハー・ヴァイローチャナ」の完成であり「十字架・キリスト」の完成と言うか、「トキ・十期・ブッダフィールド」が到来したとの意味に成るのかも知れないのである。
「九」の漢字の意味を、いま漢語林で調べると、屈曲して尽きるの形にかたどる。数の尽ききわまった、ここのつの意味をあらわす。究・尻。と載っている。
昨日の文章に「冬虫夏草」の題で虫の事を書いたが、昨夜は民放のテレビ番組で「虫の知らせ」をテーマに放送が成されていた。其の番組に紹介された沖縄の「ノロ・巫女」の女性は、30年前に霊魂・神に憑依されて、3ヶ月間荒野を彷徨い続けたとの事であった。私も25年前、師の下で安房川の岸辺で、「バプテスマ・禊ぎ祓い」を受けて4311体の精霊に満たされ、6ヶ月間屋久島の荒野を彷徨い歩き、更に11月の半ばに屋久島を出て、全国を18年間「行脚・あんぎゃ」し続けたのである。
何故、神に仕える者は、長い期間生命を危険に晒してまで、荒野を彷徨い歩かなければ成らないかと謂うと、神に仕える者は、人間社会から切り離れる事が必要だからである。だからこそ、釈迦牟尼佛は「出家」を勧め、イエスキリストは「家族や 仕事を止めて 私に付いて来なさい。」と謂ったのである。
しかし現代の日本の坊さんは、全部とは云わないが、自家の寺院を相続するのに免許が必要なので、出家どころか「入寺」をして儀式の作法を習得し、葬式屋と成ってしまっているのである。其れは、釈迦牟尼佛の訓えには全く違反しており、イエスキリストが攻撃した神社の儀式マンと同じで、釈迦仏の名を騙る詐欺師なのである。
其の証拠に、現在の仏教界で大悟した者は、誰も居ない様である。もし居るとすれば、屋久島の百性の小倅である私に、此の様な事柄・現象が起きるはずが無いからである。
私には、「イエスキリスト」がヨハネに水に拠るバプテスマを受けて、精霊に満たされた事や、釈迦が水浴びをして菩提樹に寄り掛かって休んだ時に起きた現象が、実際に此の身に起きたのである。其れは、イエスキリストや釈迦の事を研究して起きた事でもないし、其の為の修行をして学んだ事でもないのである。
其の不思議が起きるからこそ、世界中で宗教の世界・アニミズムが伝承されて来たのである。私も其の大きな流れの中で、自分の役割を果たしただけに過ぎないのである。
今朝は、其の9の数字のマンダラと、其れから拡散して行く数字の世界を視て居て、私が理解した理・ことは、人間の視覚に因る思い込みの深さである。
其の一例を上げると、シュメール文化やインドでは「牛」が神様であるし、エジプト文化や沖縄や日本では「ライオン・高麗獅子(シシ)・シーサー(獅ー様)」が神様である。
何故、インドで「牛・水牛」が神様であるかを考えると、牛は草食で大人しいし人間の役にも立つ。其れに、牛は食べた物を木蔭に寝そべって反芻する。其の姿は、ブッダの涅槃の姿の様でも有るし、反芻する行為は、自分の行為を「反省・吟味」して居る様にも感じられるからではないだろうか。
一方、エジプト文化でライオンを神の使いとしているのは、水の管理をする物としてである。しかし、ライオンが水辺に居るのは、水辺に待ち構えて居れば、水を飲みに遣って来る草食動物を、餌として捕らえられるからであり、水を護っている分けではないのである。其の、牛を始めとする草食動物を狙っているライオンが、水の護り神として、池や浴場や「御手洗水・みてらい」の近くに置かれているのは、大きな人間の勘違いであるのだ。
其の様に考えると、お寺の教えや、神社の教えも、幼稚な世界であり、マルクスが謂う様に、宗教は大衆を惑わす麻薬と同じモノであり、権力者が人民から搾取をする為の手段にしか過ぎないとの謂いが、的を射ている事に成るのである。
しかし、其のマルクスの教えも、レーニンの思考を通過した為に単なるイデオロギーと成ってしまい、闘争の原因と成り、戦争を引き起こす為の道具にされてしまっているのである。
其れ等の事柄を考えると、今朝現れた9の数字のマンダラは、簡潔そのモノであり、何の矛盾も無いし、純粋其のものを意識の対象とする事が出来る物である。
地球の人間の哲学・思想は他の星に行けば全く役には立たないが、数学は全宇宙何処に行っても通用するとの事である。其れを考えると、今朝の様に、純粋な数字だけで示されて来たのは、レベルが高いと言う事であろう。
其の様に考えると、釈迦の謂う「ダルマ・法」や、老子の謂う「タオ・道」や、イエスの謂う「永遠の命」は、数学的に捉えて行った方が正確であり、間違いや誤解を与えないのかも知れない。其の様に考えると、是からの精神世界は、宗教的用語を使うのではなく、数学的に科学的理論として語る事が必要なのではないだろうか。
釈迦や、イエスの時代には「自由」との言葉の概念が、無かった様である。だから「出家」とか、「私に付いて来なさい」「私は 貴方達の兄弟・親子の仲を 裂きに来たのである」との言い方がされたのである。しかし、「自由」との言葉の概念が世界に拡がったので、今では、世界中の人間が「自由」との言葉を理解し、其の概念を共有する事が出来ている。
其の「自由」との言葉の概念と同じ様に、世界中の人間が共有出来る言葉や概念を、澤山創出して行く事が是から最も大事な事であるし、其れが出来れば、現在の様な宗教やイデオロギーの違いに因る戦争は無くなるであろう。
其の為にも、昨日の文章に書いた「アレキサンドロス図書館」に代る様な施設を建設する必要が有るだろう。
其の新しい学問の中に、人間の肉体と精神の本質を突き詰めて行く研究が、1番大事な理・こととして位置付けされなければ成らないのである。其れを考えると、やはり此の美しい日本の国土の中で、守り伝えられて来た「食国の政(おすくにのまつりごと)」の文化は、中心に据えられなければ成らないのである。其の為にも、新しい情報発信基地は、此の日本に創出されなければ成らないのである。
其の課題として、日本の天皇が何故、山に木を植え、水を護り、田植えをして稲刈りを行い、新嘗祭の儀式を行なうのかを、世界に向けて説明しなければ成らないのである。
其の事に関係が有るのが、気仙沼のホタテ貝の養殖で有名に成った「森は海の恋人」の世界の、山林の落ち葉が積もった腐葉土から染み出して来る「フルボ酸鉄」等の存在であり、「EM菌(有効微生物群)」の世界である。そして、落ち葉が醗酵する世界に、酵素の世界が有るのである。其の酵母菌は、酒や、醤油や、味噌や、沢庵等を作るのに欠かせない物である。
今朝は、他の方のブログを見ると、次の様に書いて有る。
「全て電気(電子9で動いてる)226さんの日記
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1209662821&owner_id=12775546
・・・人の体は全て電子を持って動いていると言っても過言ではない。神経の伝達媒体は電気だ。約60兆個の細胞同士の情報交換に使われるモノも極微弱な電子によって行われる。先日そのビジョンを見せられたから本日書こうと思った。そのビジョンは各細胞一つ一つに鎖のような髭を無数に持って居る様だ。これは何かと思い、(細胞、鎖)とYahoo!で調べてみると『糖鎖』と言うモノらしい、これは正常な場合はY字になっており、言わば細胞同士の糸電話の様なモノ。この糸電話が綺麗につながってないと細胞同士の情報交換は乱れ、体の調子にも影響してくる様だ。この糖鎖は何かキーになりそうな気がする。・・・ ─引用終了─
出雲の「神魂神社・かもすじんじゃ」は、日本で1番古い神社として国宝に指定されており、鳥居の原形も洞窟の入り口に保存されている。其の「神魂・かもす」とは「かも」が「神・電気」で「す」は「素・もと」の意味であり、「神の魂の素は電気」との意味に成り、酵素の活動である「醸す」とも繋がりが有るのだろう。
私には其の「神魂」が、2005年4月15日から16日に掛けて、屋久島の奥岳から降りて来る映像が映されて来た。其れは、堆肥に生じる糸状菌の白い糸に似た形状で、正に「酵母菌のかもすの姿」と謂える物であった。其れは、人間の身体の中で60兆個の細胞を繋いでいる電子信号の情報網と同じであり、地球上の68億の人類を無意識に繋いでいる情報網のシステムと、同じ物・形態であるのだろう。
其れが、釈迦牟尼佛の謂う因縁の意味であり、大国主命の働きである縁結びの役割であり、日本の伝統である注連縄の結びの意味なのであろう。
「山が動く」
http://star.ap.teacup.com/170606/512.html
25日に益救神酵素を飲んでから、其の「醸す・かもす・神魂」の力が、私の身体の内側で強く働いているのだろう。確かに小林竜也君が謂う様に、私の身体は陽性に変化して来ている様である。其の証しとして、陽の数字である9・九が、9文字もマンダラと成って現れたのではないだろうか。
「益救神酵素」
http://www5.synapse.ne.jp/sankeidou/
いま「酵素」を検索すると、次の様に載っている。 ウィキペディア辞典
「酵素(こうそ)」とは、生体でおこる化学反応に対して触媒として機能する分子である。
酵素は生物が物質を消化する段階から吸収・輸送・代謝・排泄に至るまでのあらゆる過程に関与しており、生体が物質を変化させて利用するのに欠かせない。このため、酵素は生化学研究における一大分野であり、早い段階から研究対象になっている。
多くの酵素は生体内で作り出されるタンパク質をもとにして構成されている。そのため、生体内での生成や分布の特性、あるいは熱やpHにより変性し活性を失う(失活)といった特性などは、他のタンパク質と同様である。
生体を機関に例えるならば、核酸塩基配列が表すゲノムが設計図に相当するのに対して、生体内における酵素は組み立て工具に相当する。酵素の特徴である作用する物質(基質)をえり好みする性質(基質特異性)と目的の反応だけを進行させる性質(反応選択性)などによって、生命維持に必要なさまざまな化学変化を起こさせるのである。
また、人類は古来より発酵という形で酵素を利用してきた。そして今日では、酵素の利用は食品製造だけにとどまらず、化学工業製品の製造や日用品の機能向上など広い分野に応用されている。医療においても、酵素量を検査して診断したり、酵素作用を調節する治療薬を用いるなど、酵素が深く関っている。
生体内での酵素の役割は、生命を構成する有機、無機化合物を取り込み、必要な化学反応を引き起こすことにある。生命現象は多くの代謝経路を含み、それぞれの代謝経路は多段階の化学反応からなっている。
小さな細胞内では、その中で起こるさまざまな化学反応を担当する形で多くの種類の酵素がはたらいている。それぞれの酵素は自分の形に合った特定の原料化合物(基質)を外から取り込み、担当する化学反応を触媒し、生成物を外へと放出する。そして再び次の反応のために別の基質を取り込む。
ここで放出された生成物は、別の化学反応を担当する酵素の作用を受けて、さらに別の生体物質へと代謝されてゆく。その繰り返しで酵素の触媒反応は進行し、ひいては生命活動が維持されていく。
生体内では化学工業のプラントのように基質と生成物の容器が隔てられているわけではなく、さまざまな物質が渾然一体となって存在している。しかし生命現象をつくる代謝経路でいろいろな化合物が無秩序に反応してしまっては生命活動は維持できない。
したがって酵素は、生体内の物質の中から作用するべき物を選び出さなければならない。また、反応で余分な物を作り出してしまうと周囲に悪影響を及ぼしかねないことから、ある基質に対して起こす反応は1通りでなければならない。酵素は生体内の化学反応を秩序立てて進めるために、このように高度な基質選択性と反応選択性を持つ。
さらにアロステリズム、阻害などにより化学反応の進行を周りから制御する機構を備えた酵素もある。それらの選択性や制御性を持つことで、酵素は渾然とした細胞内で必要なときに必要な原料を選択し、目的の生成物のみを産生するのである。
このように、細胞よりも小さいスケールで組織的な作用をするのが酵素の役割である。人間が有史以前より利用していた発酵も細胞内外で起こる酵素反応の一種である
─引用終了─
此のウィキペディア辞典の説明に載っている、酵素の糸状の繋がりの絵を見ると、6月26日のビジョンに現れた、細い髪の毛を揉み込んだ様な縦長の細糸の塊りが、そうであるかの様に描かれている。此の絵を見ると、私が夢で観ている世界は、酵素の働きを無意識で視ている事に成る。
其れは、正に、昔の人達が神の働きと感じていた事と同じモノを、私が観ている事になる。
私が、今日感じる理・ことは、「人間は 宇宙の法則に従って進化して来た物だから、自分の身体の中に、宇宙の理(ことわり)・ダルマ(法)・タオ(道)が有るのは、当然の事である」と言うことである。
だからこそ、釈迦牟尼佛は「真に頼れるのは 此の自分の肉体だけである だから精進に努めよ」と強く謂ったのである。其の理・ことが、どれだけ仏教徒の中で守られているのであろうか。其れが、仏教徒の中で守られていないのであれば、日本の伝統である「食国の政(おすくにのまつりごと)」1本に、絞り込んで行かなければ成らないのであろう。
平成21年6月29日3時15分
礒邉自適
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投稿者: 礒邉自適
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