2008/10/5
聖徳太子の因縁
20・10・5
1昨日の夕方、急に電話が有り神社案内を頼まれ、昨日9時10分の飛行機で着いた川勝朗弘氏を5時まで案内し、夕食を共にしながら大山邦博氏を交えて話をした。そして、大山氏に頼んで8時過ぎに川勝氏を宿まで送って貰った。川勝氏は、京都出身で秦の河勝の子孫だとの事である。
「秦 河勝(はた の かわかつ、生没年未詳)」は、6世紀後半から7世紀半ばにかけて大和王権で活動した秦氏出身の豪族。
秦氏は6世紀頃に、朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来した渡来人集団と言われ、そのルーツは秦の始皇帝ともいう。河勝は秦氏の族長的人物であったとされ、聖徳太子のブレーンとして活躍した。また、富裕な商人でもあり朝廷の財政に関わっていたといわれ、その財力により平安京の造成、伊勢神宮の創建などに関わったという説もある。聖徳太子より弥勒菩薩半跏思惟像を賜り広隆寺を建てそれを安置した。
佐伯好郎は1908年(明治41年)1月、『地理歴史 百号』(主宰 喜田貞吉)収載論文「太秦(禹豆麻佐)を論ず」において秦氏は景教(ネストリウス派キリスト教)を信仰するユダヤ人一族であったとする説を発表した。秦一族が渡来する6世紀以前にすでに唐に東方キリスト教の「景教」が伝わっており、その寺院は大秦寺と呼ばれていたためである。ただしこれは学会の通説とはなっていない。ウィキペディア辞典より
是を参考にすると、秦氏は中国人で、キリスト教を信じるユダヤ人であった事に成る。そうで有れば、昨日のメッセージに現れた中国人は、川勝朗弘氏の先祖であり、キリストの意識に関わりが有ると言う事に成る。そして、聖徳太子の大事なブレーンであったとの事だから、今回の新世界創造に絡んで来るのは、根拠の有る処である。
奇しくも、イエスは馬小屋で産まれたと伝えられており、聖徳太子も「廐戸王子・うまやどのおうじ」と呼ばれ、馬小屋で産まれた事に成っている。そして余計な事だが、私の名前の「自適」は、私が産まれた次の日に、馬小屋の前で、父親の頭に飛び込んで来た名前なので、私も名前だけは馬小屋で産まれた事に成る。
其の縁に関係有るのかどうかは解からないが、今朝のメッセージはイエスのイメージより聖徳太子のイメージに近いので、今朝の題は「キリストの意識」ではなく「聖徳太子の因縁」とする事にした。
其の聖徳太子は・・・平成元年9月3日に、阿蘇の日宮幣立神宮の境内に有る、地球平和道場に私が家族で宿泊した時、夜中3時33分に私の意識の中に現れ「ようやく高天原に達した。臨在から始まる。」と、告げて来た事が有る。其れに、聖徳太子の命日は622年2月22日である。・・・・全文
「是からが本番」http://green.ap.teacup.com/20060818/465.html
其の、聖徳太子の「ようやく高天原に達した。臨在から始まる。」とのメッセージは、是から始まる村造りの内容に関係している様である。
其の村造りの予定地に通じる道路の始まりには、シドッチの上陸地点が有ってカトリックの教会が建っており、其の通りの名を「ルーアンの道」と呼ぶ様にと、メッセージが来ているのである。そして、現に臨在宗のお坊さんが、9月から既に屋久島に引っ越しして来ている。其のお坊さんは、16年前22歳の時に、私の阿蘇郡蘇陽町の自宅に訪ねて来たので、1晩泊めた事の有るお坊さんである。其れも、聖徳太子の図りごとなのかもしれない。
「ルーアンの道」http://green.ap.teacup.com/20060818/764.html
ジョバンニ・バッティスタ・シドッチ(Giovanni Battista Sidotti 1668年-1714年11月27日)はイタリア人のカトリック司祭。江戸時代中期の日本へ潜入して捕らえられ、その死まで江戸で幽閉された。時の幕政の実力者、新井白石はシドッチとの対話を通して『西洋紀聞』などを著した。
イタリア、シチリアの出身。司祭として活動していたが、ヨーロッパへも殉教物語など宣教師の報告が伝わっていた日本への渡航を決意。教皇クレメンス11世に願い、日本潜入を目指した。マニラまでたどりついたものの、鎖国下の日本へ宣教師を送る危険を冒す船はなかなか見つからず、ようやく1708年(宝永5年)8月、侍の姿に変装して屋久島に上陸したが、ほどなく捕らえられて長崎へと送られた。ウィキペディア辞典
昨夜は、昨日のメッセージをアップしたり、久し振りに撮影した写真を整理して、終ったのは午前2時であった。其れから、宿舎に帰ってベッドに入って横に成り目を瞑ると、昨日アゲハ蝶の写真を澤山撮った所為か、アゲハ蝶の姿が現れて直ぐに其の後、毛筆で書かれた手紙が1通現れた。其の手紙に、何が書かれているのかは解からなかった。
其の意味を考えると、昔し蝶々の事を「てふてふ」と言っており、和歌に「うたた寝に 恋しき人を 見てしより 夢てふ(蝶)ものは 頼みそめてき」 小野・古今・恋2
が有って、其れらしき雰囲気を感じ取れる。
「てふてふ」とは「手符・手符」の事で、文字を書いた手札の事の様である。其の言葉から短い便りの書き物を「手紙」と呼ぶ様に成った様である。何故、私に、其の蝶と手紙が現れたのであろうか。まさか、小野小町の霊が来た分けではないだろう。
今朝は、最後の場面に、私はふくよかな女性の自宅に居て、綿か麻の糸で編まれた絨毯の様な敷物が、敷かれた部屋に寝そべって、床を這っている虫を棒で突付いで遊んでいた。其の女性の横顔を見ると、左目だけが見えて、優しい眼差しをしているのが感じられた。
其の様子を考えると、前の和歌の心象風景と似ていない分けでもない。手紙や和歌は、男女の恋歌・恋文が元に成って発展したモノ・世界である。其れを考えると、昨日の雌雄の蝶蝶との関係性が気に成って来る。昨日は、雌雄の喋喋と蛾の恋活動の様子を30枚程撮影した。喋喋は、言葉や文字を持たないので、身体の動きで異性にアタックするしかない。人間も、言葉や文字や、紙と筆と墨が無ければ、喋喋の様にじれったい想いをするのではないだろうか。
中国の荘子の伝記にも「胡蝶の夢」が有る。 ウィキペディア辞典 ・・・荘子の思想を表す代表的な説話として胡蝶の夢がある。「荘周が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだ所、夢が覚める。果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか。」この説話の中に、無為自然、一切斉同の荘子の考え方がよく現れている。・・・
参考 第7話・・「てふてふ」とは何か http://www.amitaj.or.jp/~kenji/home17.htm
この様に書いて行くと、キリストと聖徳太子の意識からは離れてしまって居る様だが、聖徳太子は「天皇・すめらのみこと」が男性継承であるのに、其の禁を破って、叔母さんさんの推古天皇を立てて、自分は摂政の職に甘んじて、夢殿を建て瞑想に明け暮れて居たらしい。其れは、釈迦牟尼佛の訓えに心酔して居たからだろうが、夢を見ようとして居た事には間違いないだろう。
聖徳太子が、果たして胡蝶の夢を視たかどうかは分からないが、宇宙の真実に迫ろうとして居た事は間違いない。
今朝私が感じた事は、「大山祇神・おおやまの巳」と「海神・わたの巳」の「み・巳」は、7回半トグロを巻く大蛇で、其の7回半のトグロは、三輪神社の三室山やアステカの8段のピラミッドに棲む、螺旋の時間軸のトキの神である。其れは、日本の神社の、拝殿から社までの16段の階段と同じ意味を持ち、イザナミからタカミムスビまでの16の階梯を意味している。其れは、回転する8段の渦巻を、左右に分けて、16段にしているものである。
其れは、人間の身体を構成している70兆個の細胞の中に在る、DNAの螺旋構造に関係が有るのだろう。人間が、36億年掛けて何故、此の様な姿に成って来たのか、其れは、DNAが環境の変化でストレスを受け、環境に適合する為に、其れまでの遺伝情報の上に、新しい情報を上書きして来たからである。
其の理が分からなかった古代人が、自分の無意識に現れて来るビジョンを、神の世界だと想って、言葉や物の形として伝えて来たのである。其れが、何時の間にか宗教の世界と成って、人間の認識を狂わせてしまったのである。
其の、DNAの記憶の中に飛び込んで、生命の記憶情報を再確認したのが、インドの釈迦牟尼佛である。其の姿は、奈良の東大寺に大仏像として鋳造されている。其の仏像の左手は、宇宙の情報を受けている物(受信)で、右手は其の情報を三次元に放出する物(発信)の形を現している。其れは、コンピューター用語で言えば、左手はインプットを意味し、右手はアウトプットを意味している。そして、其の作業を全部止めているのが「大日如来・ビルシャナ」の印である。
其の螺旋の基礎は雌雄のペアーであり、其の陰陽の働きが無ければ、単細胞以外の生物は全て存在しない事に成るのである。其の理を考えれば、昨日写真に収めた蝶蝶や蛾の行動は、生命の根源の様子・働きを私に示してくれた事に成るのである。そして、其の偶然の出来事の背景・業には、大きな宇宙の働きが存在するのである。
今朝は、其のロマンチックなビジョンとは別に、男の子が育つ環境に付いて示されて来た。其れは、父親と1人息子が一緒に住んで居て、息子が成人に成ってから「自分の母親が 何故いないのか」と、父親に問い掛けるので、父親が「お前が小さい時に 私が隠していたピストルを持ち出して、母親と兄を撃って殺したからだ。」と答えたのである。すると、其の息子はとても衝撃を受けて、挫折感を味わっている様子であった。
其れは、子供が育つ為に、環境や物が如何に深く関わっているかを示している。
子供が物心が付くまでは、両親や家族や衣食住の環境が、正しく護られていなければならないのである。其れが、戦時下のアフリカの様に、子供の頃から銃を持たされて、人を殺す事を教えられれば、自分の命を大事に考える事や、DNAの情報に意識を向けて、瞑想をする等との事など、夢にも想えないし、ロマンチックな思い出の人生などは送れないであろう。
今朝のメッセージは、人間の意識の基礎的分野の気付きに付いて、私に示して来たのであろう。其れは、イエスの時代には図書館や学校が無く、文盲の弟子達が相手だったので、高い理論が組み込まれてはいない。私は、聖徳太子の念いは、弘法大師空海の意識と成って生まれ代っている事は、ビジョンで見せられて居たが、今日は聖徳太子の魂しいは、イエスの生まれ変りではないかと想えて来た。
釈迦牟尼佛は「自分が悟ったのは今世ではなく 何代も前だ」と謂っているし、老子も「古の人は 素晴らしい」と謂って、自分の認識は、古代人達の意識の積み重ねの御陰様だと謂っていて、イエス-キリストも「永遠の魂・いのちに入る為に・・」と謂って、其の世界の存在を明らかにしようとしているのである。
3日の夜、眠りに入る前に「人間のカルマ・業・背景を全て回収する」との意志が伝えられて来たが、其れは「最後の答え」が出たからであるとの意味だった。其の最後の答えが、DNA・遺伝子からの「てふてふ」の便りとの事ではないだろうか。
日本語の「いきる」とは、「息・呼吸・いき」をしているとの意味で、動物や植物など地球生命全体がガス交換をしている間が、生きているとの意味で、ガス交換を止めた物は死なのである。そして「いのち」とは、「胃の血・霊・ち」であり、食べ物を胃に入れて意識・霊を繋ぐ事の意味である。日本語に、胃(飯・いい)の霊(ことたま・言霊)を能く知らない御仁が、好い加減な漢字を当てた為に、世界で1番古い言霊を持つ日本の文化が迷い船に乗ってしまったのである。
其れは、神社庁や宮内庁の大きな責任であろう。何故なら、本来の日本語の言霊を理解しない人達が、毎日祝詞を唱え、儀式を行なっているからである。其れが正しく行われていれば、私に天皇霊や神霊が4311体も頼って来るはずが無いからである。
私の師は、光源氏のモデルに成った人物が前世であると謂って居た。もしかしたら、今朝のビジョンで、私の意識が女性の住いに居て、寝転んで遊んで居たのは光源氏のモデルか師の霊魂だったのかもしれない。其れが師の魂しいであれば、師が私に求めて居た答えを、25年掛けてようやく出したとの事に成るのかもしれない。其れが、最後の答えの意味であり、優しい眼差しの左目は、エジプトの「籠目・ラーの目」を意味しており、私はスフィンクスの謎解きに成功したと言う事に成るのではないだろうか。
是で、私の来世は、気楽なモノと成るのではないだろうか。来世は、陶芸家にでも成って、今度は自分の事だけ考えて行ける様な、人生を送りたいモノである。どうせ神の計画は、是からも自分の左目の存在を継続する為に、人間の身体を乗り物として使うのだろうから。そして、相変わらず、地上の男性には、錬金術師の右目しか与えないのである。
平成20年10月5日2時38分
礒 邉 自 適

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