ネイチャー・スピリット
生 命
地球は 生命 満ち溢れる 神の苑
其の世界に 生を受けた我われは 神の分身である
其の理を良く理解して 此の生を全うしなければならない
地球に生きる
15・12 吉日
美しい地球に生きる
この広い宇宙に この地球程
美しさに満たされた星は無い
長い長い 宇宙の記憶の海が
この美しい地球を産み出したのだ
誰が 何と言おうと
この生命に満ち溢れた地球と 同じ星が 他に有ろう筈がない
他に無いからこそ 地球に是だけの生命が 遣って来ているのだ
いのちには 永遠の記憶が有る
いのちに意志が無ければ 生物は自分を形ち造る事は出来ないのだ
この地球には 植物30万種
昆虫を含めた動物120万種
バクテリアを含めると 3000万種の生き物が
所狭しと生き続けているのだ
ヒトの為だけではないが
ヒトの為にも それ程の生き物達が
存在を支え合って居るのだ
いとおしい程のいのち達が
毎日必死に生きて 地球の美しさを演出しているのだ
そんな世界を与えられている人間は
何と 幸福な存在なのだろう
わたしが今日生きて居られるのも
全ての 生き物に支えられているからなのだ
明日が迎えられるのも 全ての生き物のちからのお陰だ
私達が明日が有る事を信じられるのも
全ての生き物達が毎日 存在を続けて居てくれるからである
其れ等 全ての生物の存在と
その存在を支えている 見えない働きに対して
私達人間は 感謝の念を忘れてはならない
この美しい地球に生きる事の理由は
その感謝の念を覚える事にあるのだ
其の感謝の念さえ忘れる事が無ければ
全ての罪は許されるのである
2003年12月吉日
自適
生 命
(ネーチャー・スピリット)
18・4・13
今朝は一つの答えが出て来た。
昨日、新しい本尊と成る言葉を立てなければ成らない事が告げられて来ていたが、其の意識の元が今朝ハッキリした。
其れは22年前、私に地球を手に持たせた白山権現菊理姫の本体の白龍である。
其の白龍は、地球を管理して回っている龍体で、永平寺を創建した道元禅師の守護神でもある。其の龍体が22年前、屋久島の私の体に巻き着いて来て、地球を私の手に乗せて護るように告げた。
其の龍体の意識が白山菊理姫で、大山祇神の母神なのだろう。其の母神が、私にいのちの元を探れと云って来た意識の元だったのである。
其の意識が、私の胸の内に繋がっているのだ。だからこそ、地球の地殻から4本の腕が伸びて来て、私を護る4方神と成ったのである。
今朝はようやく其の意識が「そうなのよ。」と認める声を送って来た。
そして「生命」の文字を、新しい世界共通の言霊で呼ばなければ成らない事が示されて来た。私には其れを「ネーチャー・スピリット」としか意味付け出来ないので執り合えずその名で意識することにする。其の概念は日本語では「有るがままの いのち の本性」と理解すれば良いだろうか。それが釈迦牟尼佛の謂う「ホトケ」の世界でありイエスの謂う「永遠のいのち」の世界だと想う。
其の理を、釈迦牟尼佛が説いたのが法華経とされ、日蓮聖人は「南無妙法連華経」と唱えて、其の教えに帰依しなさいと指導したのである。だから法華経の教えの神髄は生命・ネイチャー・スピリットなのだ。私の胸の内なる声(インナーマインド)は其の母神の意識から齎されるものなのである。其のいのちの表現を個人的に言えば「ネイティブ・スピリット(母国言霊の精神)としたいのだが、良く分からないのが今の気持ちである。
平成18年4月13日
礒邉自適

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2012/1/8
共生・調和
24・1・8
今朝のメッセージの映像には、物の世界の「調和」と「共生」の仕組みが映し出されて来た。其れは、人間が大脳の進化に伴い、自分の手で自然に無い物を造り出し始めてから、自然のシステムが壊れて来た理・ことを示している様である。
其れは、質量的に言えば、地面の中の物を掘り出して、建物や道路を建設して、二酸化炭素を増やして大気のバランスを破壊し、水環境も汚染している事である。
生物的には、森林を破壊し、動物の生活環境を無くしているし、自然界に生活して居た猪を豚に変え、狼を犬に変え、山鳥を庭鳥・にわとり→小屋鳥に変え、海を自由に回遊している魚を網の中に囲って養殖している事などである。
其れに、人間にとって一番大事な穀物や野菜も、遺伝子操作をして、生命情報までをも変えてしまいつつある。
其れ等の行為は、人間の都合主義であって、自然界の法則や調和を破壊するモノに外ならない。
今朝のメッセージは、昨日のメッセージに霊山寺の事が知らされた事と関係が有り、生命の事を一番理解していた釈迦仏陀が、現在の世の中を憂いているからかも知れない。
其の様に考えると、釈迦の精神状態と、老子の精神状態は、少し違うのかも知れない。何故かと謂うと、老子の言葉は、釈迦に比べて政治的な要素が多いからである。
其の要因を考えると、老子は王様の図書館に勤めていて、客観的に王様の行動や仕草を観察できたであろうし、釈迦は其の王様に成る地位を捨てて、自然の中に身を置き、生物の様子を観察していたからであろう。
其の違いを考えると、昨日のメッセージに釈迦仏陀が本尊である霊山寺の事が示されて来たのは、政治的な事を考えるよりも、生物の世界・いのちの世界を重点的に考えろとの事なのかも知れない。其の様に考えると、昨日女性指導者の姿が現れた事の意味が良く解る。何故かと言うと、子供を産み育てるのは女性であり、いのちに直接触れているからである。
平成24年1月8日
礒邉自適

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2011/12/10
神とのチューブ
23・12・10
今日12月10日の地球の位置は、「時の記念日」である6月10日の反対側である。此の山間にある中山町は、今日も小雨が降り、冬が来た事を実感している。
今朝のメッセージの映像は、昨日の「いのちの始まり」の映像の続きの様で、粘菌の世界の続きに人間の生態が在る理・ことが示されて来た。其れは、植物や水の世界が出て来なかったので、人間の肉体の仕組みは、植物系ではなく粘菌系であると言う事なのかも知れない。
其の映像は、天から粘菌の形態を想わされる様な、ピンク色の内臓の様なチューブ・管が下りて来て、裸体の人間の男性と女性の肉体に繋がっていた。男性に繋がっているチューブは、背中全体に取り付けられている注入口のバルブ全部に、何かを注入した。
そして、女性の肉体に繋がっているチューブは、背中ではなくお腹の方に繋がっていて、女性に栄養を送っている様であり、胎盤の中で胎児が大きく成って大人の女性に成った感じである。
「命綱や外部からの動力などの供給ケーブル類を へその緒・アンビリカルケーブル と言う」
其の、男女の背腹の繋がりの違いは、男性に対しては、神霊の情報は背中から人体に介入し、男性の行動意識を背後から後押ししている理・ことを示唆しているのではないだろうか。
そして、女性の方のチューブがお腹に繋がっていたのは、女性は胎児をお腹で育てるので、其の胎児に対して神霊が繋がる理・ことを意味しているのではないだろうか。
其の様に考えると、神霊が男性に憑依する事と、出雲地方で女性が妊娠した時に「霊留まる・ひがとどまっしゃった」と言い、先祖の霊がお腹の胎児とどまったと考えている事が理解され、其れが日本語の「ひと」の語源である事も納得できる。
何故、今朝の天から降りて来るエネルギーが、ピンクの粘菌の様な生態で示されて来たのであろうか。若しかしたら、人間の腸は粘菌が微生物を食べる事と同じ仕組みから成り立っているのかも知れない。
粘菌は、種子から大地に芽生えて其処から動かない植物と違い、エサを食べ終わると皆が集合して、ナメクジの様な形態と成り、移動をする。そして、違う場所でキノコの様に立ちあがって、風で胞子を飛ばして拡散するのである。
だから、現在でも粘菌は「植物」か「動物」かの区別がはっきり定まっていないのである。
以前にも、粘菌の世界の事がビジョンに現れて数度文章化している。
・・私が後を付けて行くと、其の蛇は長さが縮んで幅が広がり、大きなナメクジの様な姿に成って、深い森の中に還って行った。私は、そのナメクジが消えて行った森の中を見ていて、先日の霊夢の場面を思い出していた。
海に潜って行き、更に深い森の中をさ迷って居た自分は、此の生き物の魂しいだったことを理解した。其れは、森の中に住む神の姿だったのである。・・
「純化」http://star.ap.teacup.com/170606/906.html
・・今朝のメッセージの映像は、宇宙の腹の中に、自分の電源のコンセントを差し込む場面が現われた。しかし、自分で直接コンセントのコードを引き出して、プラグを差し込む必要が有る理・ことを示された。他人が、腹(胎盤)から引き出しているコンセントに便乗して、自分のプラグを差し込むと、自分の分だけではなく、全体が停電に成ってしまうのである。
其れは、宇宙のシステムが完成して、何人でも自分が直接神の世界・情報に繋がれる理・ことを意味しているのであろう。是で、宗教は必要ではなく成ると言うか、本来の処に返った事に成る。
「高天原に接続」http://green.ap.teacup.com/20060818/1435.html
今朝のメッセージの映像は、人間の潜在意識の根源に粘菌の様な生態記憶が残っており、私のDNAの記憶が其れを思い出したのかも知れない。
其れは、昨日から続いており、私は三次元の作業の目途が一応着いたので「いのちの記憶」の中にアクセスしつつあるのではないだろうか。
其れは、私が27年前に仮死状態と成って、光の源まで意識が「祷り・帰り・帰命・ナーム・リリジョン・religion」して、「阿弥陀・大日如来・マハーヴァイローチャナ・エホバ・ヤハウェー」の世界に辿り着いた事と関係が有り、再び其の世界に帰命しつつあると言う事なのかも知れない。
三次元の作業が一段落したとの事は、是まで宇宙の神秘を解き明かして文章化した事や、東経130度30分の「みいつライン」の建設も軌道に乗った事。其れに、新しい世界暦の発行に付いても人々に知らせた事。そして、釈迦牟尼仏陀の霊界浄化の後に溜まった、神界の御霊の鎮魂が済んだ事なども有るのだろう。
其れに、12月8日のスーリアサロンの集いで、「2012年2月21日」の儀式を何処かで行う事も決まった。もう其れ等の事柄は、私が直接動かなくても停止してしまう事は無いであろう。
私に残されている事は、意識を先に進めて、人類の未来を創造する事である。其れは、宇宙の真実に適った「カルマ・業(人類の意識の背景)」を定着させて、人類の潜在意識を拡充する事であり、釈迦仏陀の謂う「ダルマ・法」や、老子の謂う「タオ・道」を完成させる事である。
其れこそが、私に与えられた、私しか出来ない事なのである。其れは、私を探し出して、此の様な人間にした無庵師匠の意志に従う事でもある。ようやく、1985年3月18日に、私を捜し出した無庵師匠が私に告げた事が、現実として動き出す時節を迎えたのではないだろうか。
其れが、「王道」や「君の立場」や「御稜威・みいつ」の役割を果たすと言う事なのではないだろうか。
平成23年12月10日
礒邉自適

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2011/12/9
いのちの始まり
23・12・9
今朝のメッセージの映像は、オタマジャクシや、亀の子が生育する水辺の自然環境の映像が映し出されて来た。其の水辺は、日当たりが良く古代の苔や水草が生い茂っていて、地球に生命が誕生した頃の様子が窺えた。
其れは、釈迦仏陀が皆に説こうとした生命の世界を意味しており、私の意識が、生命記憶の源まで辿り着いた事を意味しているのかも知れない。
もう1つの映像には、スーリアさんの姿が現れて、是からスーリアさんの事が表に出てサロンが賑わいを見せることが示された。しかし、其の中には、スーリアさんの事を利用しようと考えて近付いて来る人間が居るので、気を付けてあげなければ成らないとの事の様であった。
昨夜8時過ぎに事務所に帰って来て、壁の黄色スズメバチの巣を見ると、門番も姿が見えないので、全て巣を捨てて何処かに去ったのかと思っていたが、今朝暖かく成って来たら、巣から出て餌捜しに出掛け始めた。寒が強く成って来て、何時までスズメバチが活動できるのかを見守りたいと想う。137億年前に誕生した、地球生命の記憶を観察する為にも・・・。
平成23年12月9日
礒邉自適

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2011/9/22
生命の源へ
23・9・22
日本国中に、大雨を齎した台風15号が過ぎ去り、今日は日の光が戻って来た。新しく住む事に成った、中山の自宅の直ぐ横を流れる川は、20日の夜は水が橋げた近くまで上がっていたが、今朝は水量も減って茶色の濁りが無くなり、音も静かに成って来ている。そして、お寺の石垣に植えてある彼岸花が、陽の光を浴びて満開を迎え様としている。
そんな自然環境の中、二階の部屋に寝て居ると、朝方、いきなり固定電話のベルが1回だけ鳴り響いたので、驚いて目を開けて見ると、其れは空耳で頭の中に響いただけのモノ・現象である事が解った。
私は、時間が気に成ったので、起きてカバンの中から携帯電話を取り出して時間を確認して見た。すると、時間は午前6時10分である。
今朝のメッセージの映像は、私が「いのちの源」に辿り着いて、源への意識の道が繋がったので、後に続く4人の人間が、挑戦を始める場面が映し出されて来た。
其の世界は、生命自身のDNA・遺伝子の記憶には有る物なのだが、人間の意識では認識できない世界が、ようやく人間に認識出来る様に成って来ている事を、示唆して来ているのであろう。
しかし、私自身も、是まで体験した事を、全て言葉で説明するまでには至っていない。
今朝のメッセージの内容から、私が想うのは、皆が力を合わせて生命・いのちの原点を見詰め、人間が存在する本当の譯・わけを、見極める時代が来ていると言う事である。
其の理・ことさえ人間が自覚できれば、様々な現在の問題は、解決する道が開かれるのではないだろうか。
今朝は、9時56分に「入江伸明氏」から電話が有った。其れは、昨日入江氏が来訪した時に、「今月29日に 鶴見武道先生の奥さんが 松山市の喫茶店で 味噌作りの講習会を開くので 夫婦で参加する」すると云うので、「私も参加したいので 申し込んでおいて下さい」とお願いしていたからである。
そして、昨日申込みの電話を入れると、鶴見恵子さんが電話に出て、私が参加する事を伝えると「自適さんの事が 3日程前から気に成っていた」と云って、喜んでいたとの事である。私は、鶴見夫妻には、もう10年程会ってはいない。其れが、恵子さんの意識に、3日前から私の事が意識に上っていたとの事は、やはり神の動きが有る事の証であろう。
期日:9月29日(木)10:00から11:40場所:カフェ・マグノリア
受講料:3500円 (仕込んだお味噌約2kg付き)
それでは、皆さまのご参加をお待ちしております。
「えひめ千年の森をつくる会」 事務局 鶴見恵子
TEL/FAX 089-966-6251
「えひめ千年の森を作る会」http://www.1000-mori.jp
この秋から正食協会料理教室初級講座を松山(四国ガス)でも開催される鶴見さんの味噌作り講座です!お申し込みはマグノリアまで!
e−mail: info@cafe−magnolia.jp
TEL: 0898-55-4350
「カフェ・マグノリア」http://www.cafe-magnolia.jp/
沢山の方のご参加お待ちいたしております〜!
「カフェ・マグノリア」のHPをいま見てみると、知り合いである佐藤宇三郎氏の作品である「うさとの服」の展示も行われている。
10年振りに、愛媛県に住む事になり、様々な事が動き出すのかも知れない。
其れは、愛媛県の名前の元に成っている「え姫」の御魂にも、関係が有るのかも知れない。
平成23年9月22日
礒邉自適

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2011/9/12
産土神
23・9・12
本日9月12日は、旧暦8月15日で旧暦のお盆の日である。其の日付の所為か、今日のメッセージの映像は、人々が田舎に帰る映像が映し出されて来て、何処からか通じている電線を通って、部屋の中のシャンデリア(提灯)の光から、薄水色のドレスを着た女性が部屋の中に降りて来た。
今朝のメッセージの映像には、先ず、数多くの不動産会社の存在が判る、紹介ページの様なものが映し出されて来た。そして、其の広告に拠って、都会の歌手や芸能人達が、田舎に引っ越しをする場面が映し出されて来た。
私も其の現場に出掛けて見ると、田舎で不動産業を行っている人達は、泥濘に嵌って動けない車を引き揚げてくれたり、木材を運び出す為に車の運転を代ってくれたりして、都会の不動産屋と違って、何でも出来る事が判った。
次の映像には、建物の中に数人が居ると、電線を伝わって来たのか、部屋の天井に吊るされているシャンデリアの光から、ドレスを着た女性が降って来た様に、部屋の中に現れた。
其れは、光から使わされた女神・菩薩の様であった。
次の映像は、私自身も、産まれた実家が有る、故郷の屋久島の方に帰って行った。
そして、故郷の食べ物を口に含んで、過去の思い出の中に浸って行った。
そして、私の意識が深く入り込んで行った先は、自分の口の中の唾液の世界であり、口の中に出て来る唾液の世界が、自分の意識の故郷である理・ことを、深く認識していた。
其れは、自分の意識の始まりは、味覚に有る事を意味している。
無庵師匠は、私に「食欲が 人間の最大の本能だから 食べ物の味が判らない者には どんな事を教えても 何にも成らない」と、云っていた。
今朝のメッセージは、其の無庵師匠の言葉を裏付けるモノ・現象である。
日本には、「身土不二・しんどふじ」との言葉が有り、其の意味は簡単に謂うと「身体と土は一体であり 切り離されない」との意味であるが、正式には次の様に説明されている。
・(しんどふに)仏教用語。「身」(今までの行為の結果=正報)と、「土」(身がよりどころにしている環境=依報)は切り離せない、という意味。
・(しんどふじ)食養運動のスローガン。「地元の旬の食品や伝統食が身体に良い。」という意味で、大正時代に「食養会」が創作した。ウィキペディア辞典より
今朝のメッセージは、其の身土不二の世界を、もっと幅広く、また深く示して来たモノ・現象の様である。
「故郷」の言葉の「郷・ゴウ」の漢字は、「人+食+人」の組み合わせで、字義は「2人が故郷にて 郷の食べ物を乗せたテーブルを挟んで 座っている」象形であり、「故郷を同じくする友が、一緒に故郷の食べ物を食べる」の意味である。
そして、其れに「音」を付けた漢字が「響・キョウ」であり、響き合うとの意味である。
其れ等の事柄を考えると、人間の身体や意識の情報の元・基礎は、生まれ育った故郷の環境に有ると言う理・ことに成る。其れが、本来の身土不二の概念なのであろう。
そして、現在、医学界で謂われ始めた「病気は 薬が治すのではなく 本人の自己治癒力が治すのである」との理・ことは、自分の正常と言うか、真実の柱が立っていなければ、何処が歪んでいるか、何が外れているのかが判らないので、自己治癒力は働けない理・ことに成る。
其れを考えても、自分の細胞情報と言うか、肉体の芯柱・中心意識を確立して措く必要があるだろう。其の意味でも、身土不二の概念と言うか価値観は非常に大事であると言う理・ことになる。
中国の老子の言葉には、「自分の事を知ろうとして ウロウロすると 益々 自分が判らなくなる」と有る。
其れは、先ず、自分の意識を確かめる事が大事であり、其れをしないうちに、何かを求めてうろうろすれば、新しい情報に振り回されて、本来の自分の立場まで失ってしまって、自分が何者なのかの基準を失い、自分の存在が全く判らなく成ってしまうとの理・ことであろう。
其の老子の言葉を参考にすると、公務員の様な転勤族の家庭に生まれた子供達は、自分の故郷が構築されていない理・ことに成り、其の様な育ち方をした人間には、意識の基準が無いと言う理・ことに成る。
其の意味では、37歳まで故郷から一歩も動いていない私は、身土不二の世界を生きており、自我の確立が出来ているのではないだろうか。
特に、私の場合は、世界自然文化遺産に登録された、自然豊かな屋久島に生まれ育ち、中学校までしか出ていないので、余計な知識が詰め込まれていないのである。
其れに、家には仏壇や神棚が無く、私の父親は、神社やお寺に子供を連れて行く事も無かった。
そして、父親は、「学校は 子供の世界であり 大人が顔を出してはいけない」と云って、一度も学校に顔を出した事が無いのである。
だから、私は、学校の入学式も、卒業式も1人であった。
無庵師匠は、私に会った時に「自適さんは 一番 頭が良いのだ」と云った。私が、無庵師匠に、其の譯・わけを訊ねると「自適さんは オリジナルだから」と答えたのである。当時は、其の意味が良く判らなかったのだが、後に、其れは、余計な他人の知識が詰まっていないとの事である理・ことが、理解されて来た。
今朝は、朝起きて洗面を済ませ、PCの前に座ると、女神の声で「優しくしなさい」と告げられて来たので、女神のブログを開くと続きの言葉が告げられて来た。
其れは、次の様な言葉である。
「優しく 在りなさい
何故なら 貴方は いのちの源に 辿り着いたのだから
旅の目的を 果たした事に 成るのです
ですから もう 貴方は どんなモノとも 戦う必要が無いのです
貴方は 永遠と言う 未来の鍵を 手にしたのです・・・・・つづく」
全文「優しく在りなさい」http://moon.ap.teacup.com/20060103/358.html
其の女神の言葉からも、今朝、私は「いのちのみなもと」に辿り着いたと言うか、「人間は 何処から来て 何処に帰るのか」との、永遠の疑問の答えを掴んだと言う事に成るのだろう。
其れは、ゴールが、遥か遠い銀河の果てに在るのではなく、一番身近な本能である食欲の所に、存在したのである。其れも、食欲と言う漠然とした言葉ではなく、「唾液」と言う、口の中に湧き出す粘液に、其の世界が有ったのである。
確かに、地球生命は37億年前に、岩を溶かした存在を始めた事は、間違い無い様である。
其れは、漢字の「謂」が「言+肉+米」の組み合わせで、「言葉のイメージは 胃袋の中の 穀物から 発せられる」との意味である概念から、もう一歩進んで、胃に食べ物が行く前に、口の中で食べ物が噛まれて、唾液に混ざる時に、食べ物の持つ情報が、脳細胞に取り込まれるとの事ではないだろうか。
しかし、其れが、そうであると自覚出来る為には、自然の情報を持った食べ物と、其の食べ物から情報を汲み取るセンサーを持つ感覚器官が必要である。
其の二つの情報が、上手く組み合わさった時に、初めて本来の「いのち」が発動するのであろう。
無庵師匠は、其の能力が私に有る事を、見抜いたからこそ、恵果和尚が弘法大師空海に施した様に、自分の持つ全エネルギーを私に注ぎ込んだのであろう。
無庵師匠は、私が、神の世界に入る事に成功した時に、「もう二度と 人間に関わりたくない」と云っていた。其れは、私を神の世界に送り込む為に、精魂尽き果てたからであろう。
其の所為か、無庵師匠は2001年11月7日に60歳の若さで此の世を去ってしまった。
今朝のメッセージから、私が感じる理・ことは「食国の政・おすくにのまつりごと」の真の意味が其処に有り、「すめらみこと・天皇」の座に着く者は、其の理・ことに精通していなければ成らないと言う事である。
だからこそ、石上物部に伝わる「新嘗祭」と「大嘗祭」の儀式が、天皇家に取り入れられ、現在でも其の祭祀が続けられているのであろう。
しかし、其れは形だけのモノであり、真実が行われていないので、磯部・石部の血筋に役割が戻って来たのであろう。其の理・ことを、知っていた無庵師匠は、流石であり、日本国の政・まつりごとが「天津日嗣・あまつひつぎ」と呼ばれ、人類にとって最重要である事も理解されてくる。
「国家の在り方・個人の在り方」http://green.ap.teacup.com/20060818/1432.html
そして、其の世界は、豪華な宮殿や、立派な神社に有るのではなく、人間の口の中の唾液に関係が有り、其れが血液を通じて、細胞や脳に送られて言葉と成って現れるのである。
其の世界こそが、弘法大師空海の謂う「真言・マントラ」の世界であり、「宇宙の真実」との意味の「マハーヴァイローチャナ・大日如来」の意味なのである。
そして、今朝の私の意識は「饒速日命・にぎはやひのみこと」の長男である「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」が開発した、「食国の政・おすくにのまつりごと」の神髄を掴んだのであろう。
「大田に下車しろ」http://star.ap.teacup.com/170606/437.html
今朝の、女神のメッセージからすると、私は「塒・ねぐら」に帰る時が来た様であり、自分の故郷の「産土神・うぶすなかみ」に、お礼の「土産・みやげ」を準備する必要が有るのかも知れない。何もかも、土・土・土の世界である。
平成23年9月12日
礒邉自適

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2011/8/10
更なる進化の為に
23・8・10
広島・長崎の原爆投下の悲劇から66年が過ぎ、人間の意識は更なる進化に向けて動き始めた様である。其の意味では、平和利用目的の原発が此の日本国で事故をお越し、人間の科学に限界が有る事が認識出来た事は、日本人にとっては大きな学びであり、次なる次元への出発の為の、踏み台に成ったのではないだろうか。
今朝は、愉伽さんのビジョンに緑色のミミズが1匹現れ、次に父親の姿が現れて、花束をプレゼントして来たとの事である。其れから、子供達が大勢現れて、大空に伸びている梯子を登る競争を始めたとの事である。
緑色のミミズは、森の緑を意味し、大地を耕しているのはミミズである理・ことを示唆しているのであろう。ミミズの名の元は、ミミズの身体の全身が音を聞く為の感覚器官と成っているからである。つまり、ミミズは「耳素・みみす」であり、聴覚の素・モトを意味しているのであろう。
其のミミズの名を付けた人物は、ミミズを餌としているモグラが、ミミズの臭いを嗅ぎながら穴を空けて前進し、ミミズの居場所の2〜1mくらいの所までモグラが近付くと、ミミズはモグラが土を掻き分ける振動を感じ、危険を察知し、地表の落ち葉の上に出てしまうのを、観たからであろう。
其の緑色のミミズは、日本の神社で唱える「大祓い祝詞」に、「神は 高き山 低き山の 草草の影に・・」と有る事に関連しており、神の働きが何処に有るのかを示して来ているのであろう。
其れは、真実の神は、神社の建物の中に住むのではなく、湿気の有る深い森の中に棲むと言う理・ことを示している。
アイヌの風習では、神の住む聖地は「枝を折ってはいけない。落ち葉を掻き分けてはいけない。苔をむしってはいけない。」とされている。其れに、イエスキリストの言葉にも、「あなた方は 神は何者かと訊かれたら 此の大自然 其の物であると 答えなさい」と有る。
其れ等の事を考えると、我々は釈迦牟尼仏陀の様に、深い森の中に身を潜める必要が有ると言う理・ことに成る。
其の理・ことに気付いた愉伽さんには、天の父・ファーザー【Father】が花束をプレゼントすると言う事なのかも知れない。
そして、大勢の子供達が、天への梯子登りを競う場面は、皆がFatherに会う事に憧れる理・ことを意味しているのであろう。
西洋の古い宗教画には、必ずと言って良い程「白百合」と「窓」と「梯子」が描かれている。其れは、白百合が「清純・無垢・純粋」を意味し、窓は「異次元・四次元・別の世界」を意味し、梯子は「神への階段・螺旋」を意味しているのである。
其れは、神の世界に通じる大事な三大要素である。
其の梯子と、同じ物が、日本の神社の有る山頂への階段や、神社の社・やしろの施設の拝殿から、奥の神棲む高殿社まで16段有る階段であり、「伊邪那美命・いざなぎのみこと」から「天御中主神・あめのみなかぬしかみ」までの、17神名の階梯の意味でもある。
其の愉伽さんへのメッセージを考えると、現在の学校教育では、宗教画の意味も教えないし、神・天へ登る梯子の意味や、神社の社の階段の話だけでなく、人間の意識に学びの階段が有る理・ことなどは、一切教えない事に気付く。
だから、現在の人間は「性格」の言葉の意味も解らないし、花嫁が何故「角隠し」を冠り、白無垢の衣装を身に付けるかの意味も知らないのである。
さて、今朝の私のメッセージの映像は、始めに、私が森の滝の所で休んで居ると、大きな白い雄犬を連れた男性が散歩に遣って来た。私が其の犬の勢いに恐れて逃げようとすると、其の男性が「大丈夫ですよ」と云って、危害を加える心配が無い事を示したので、私は近くに止まっていた。
すると、其処に別な小さな白い雌犬が遣って来て、お互いに臭いを嗅ぎ始めた。
そして、雌の方が発情していて、体格の差にめげずに、何とか交尾に成功した。
そして、其の結果として数匹の子犬が誕生した事が示され、何故か其の内の一頭が白い若犬として、森の高い木の梢に登っているのである。
其れは、実力の有る雄猿が自分の群れから出て、他の群れのボスに戦いを挑んで、其の群れのボスに成る為の修行に、日々明け暮れている姿とダブっていた。
そして、二頭の体格の違う白い犬は、元は茶色の狐と同じ生き物の番・つがいから生まれた物であり、色々な種類に進化して来た物である理・ことが示された。
其の映像の意味は、動物が全て雌雄のつがいから生まれて来た物である理・ことを示しており、長い時間を掛けて、姿かたちを変化させて来た事を示しているのであろう。
次の映像は、私の意識は高い所に在り、天上界の母神から生み出される美しい人々の姿が映し出されて来て、「内面・ハート・精神」も美しく、「外面・ボディ・肉体・プロポーション」も美しい事が必要である理・ことが示された。
其の。美しい人々の日本人の中に、私自身の姿も混ざっており、私には何故か双子の片割れが居る事が示された。そして、隣のブロック・籠の中には、中国人の男性をパートナーにしている、西洋人の美しい女性が2人で入って居た。其の女性は、香港でモデルの仕事をしているとの事であった。
其れから、場面が変わり、其の美しい人々が地上で増える為に、人間界の社会条件を整えなければ成らない様子が示されて来た。私は、其の様子を離れた所から、ただ静かに眺めて居ると、突然男性の声で「不細工のままで良いのか」と怒鳴られた。
其れは、人間が美しく進化する為に、私の手伝う必要が有り、私が協力しなければ天上界の人々が地上に降りられないで、人類が不細工の儘進化出来ないとの理・ことの様である。
私の今朝のメッセージの映像は、愉伽さんのメッセージと連携しており、是から人類の新たな進化が始まるとの理・ことではないだろうか。
しかし、其の為には大掛かりな地上の浄化が必要な様であった。
と言うのは、大地の浄化が始まって、国の体制は崩壊し、世界経済は行き詰まり、食料が手に入らなく成った人々が、家族単位と言うか親戚一同が1つの群れに成って、方々を彷徨い始める映像が映し出されて来たからである。
其れは、旧約聖書にあるイスラエルの民が、自分の国が無くなって、世界各地に散って行く様子が想像できる場面である。
其の様な事が、実際に起きるのかどうかは私には判らないが、今朝のメッセージの映像は、妙にリアルで現実感が有ったので、若しかしたら現実として起きるのかも知れない。
其れに、昨夜から今朝に掛けてのメッセージは非常に長い物であり、其れを解釈して記憶する為に、私は凄く疲れている。其の要因の1つに、今朝のメッセージの映像には天上に在る女神に関するプログラムと、地上で働く男性側のプログラムが、別々の縦長のブログで現れ、横書きの文章でどんどん下に下って行った。
其の内容は、全然記憶には残っていないが、其の情報は、両方とも神の世界では既に組み込まれている物であり、我々人間サイドは其のプログラムには逆らえないモノなのであろう。
其れは、6月21日のメッセージに有った、凄い量・1000ギガの情報が地上に下された事と、繋がりが有るのだろう。
今朝のメッセージから、私に考えられる事は、天界の母神からのメッセージの内容と、地上に新しい人間社会を構築する為の、男性役割・はたらきのメッセージを、分けて情報発信すると言うか、管理する必要があると言う事である。
其の為には、先ず地上と言うか我々の住む此の三次元世界に、2つの仕組みを準備する必要が有るのではないだろうか。其れは、現在有る参議院と衆議院の様な組織ではなく、既存の宗教界や経済界の様な分け方でもなく、古代社会に存在した「シャーマン・呪術師」と「部族長・長老」の関係の様なモノで、其れを近代社会に合う形で整える事である。
「男神のブログ・ぼつぼつ始めようか」http://moon.ap.teacup.com/20060109/
其れも、昔の様な部族単位のモノではなく、世界規模のモノでなければ成らない。其れは、昔と違って、現在では電子機器が有りIT社会なので、やろうと想えば可能な事である。
其れに、似た様な事は、既に世界を舞台にしているメジャー企業や、CIAの様な組織は行っている事であるので、人類が其の気に成れば可能な事である。
今朝のメッセージの映像から、私が感じる事は、残された時間は余り無いと言う事である。若し、人間側の対策が遅れ、崩壊の方が先に来れば、社会は秩序を失い、人心的にも経済的にも其の準備・対策は出来なく成る。
其の為にも、来年の2月21日(聖徳太子の宵宮祭)までには、何等かの手を打つ必要が有るだろう。仏教関係には、「聖徳太子の本願は 阿弥陀の本願である」との言葉も有る。
其の言葉を裏付けるかの様に、神域内に聖徳堂が有る阿蘇の「日の宮幣立神宮」では、平成元年9月3日3時33分に聖徳太子からの御言葉が有り「私は ようやく高天原に通じた。臨済から始める」と伝えて来た。
「是からが本番」http://star.ap.teacup.com/2007313/215.html
「法隆寺の奇跡」http://moon.ap.teacup.com/199966/105.html
「 動きだした聖徳太子」http://moon.ap.teacup.com/20060615/20.html
「日宮幣立神宮3時33分」http://star.ap.teacup.com/20060505/69.html
是まで、27年間の旅・人生には、色々な事が有ったが、是ほど自分が直接主体として関わらなければ成らない事・意味が、示されて来ているのは初めてである。逃げ出したいのは山々であるが、「不細工のままで良いのか」と迫られれば、次の転生の事を考えると逃げ出す譯・わけにも行かない。
何故なら、未だ人類は「内面・ハート・精神」と「外面・ボディ・肉体・プロポーション」が、両方とも美しく完成されているとは思えないからである。
今朝のメッセージの映像に映し出されて来た、美しい人々が地上に蔓延する為には、もうひと踏ん張りする必要が有るのだろう。
しかし、其の事に自分が振り回されない為にも、絶えずモグラの出現に、全身の聴覚をそばだてている、森に棲む「緑のミミズ」のイメージを、忘れない様に務めなければ成らないのであろう。
追記
人類も、他の生物の様に、1日も休まず、逞しく、自分の姿を進化させる念いを、抱き続けなければ成らないのだ。何故なら、其の様に努力を続けて来た結果が現在の人の姿なのだから、是からも其の気持ち持ち続ける必要が有るのだ。
平成23年8月10日
礒邉自適

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2011/5/15
生命の島
23・5・15
作日は、午後6時30分から小林君に迎えに来てもらい、ビリケンさんと2人で小林宅に伺った。そして、奥さんの美味しい手料理を頂きながら、10時過ぎまで楽しく語らった。其れに、小林君と同じ薬草園で働いている一樹氏が、8時過ぎから合流した。一樹氏は、名古屋大学院卒で自然に興味が有るらしき事が判った。
今朝のメッセージは、1昨日からの続きの様で、生命の源・みなもとに関係が有り、一段とクライマックスに近づいている様である。
今朝の映像は、形としての輪郭が無い、色相だけのビジョンなので、映像と言える様な物ではなく、視覚器官の無い生き物が、苔が生えている森の地面を這って進んでいる様な場面が、映し出されて来ただけである。
其れは、昨日のメッセージの映像で、生命意識が自分の生きる場や食べ物を欲して動こうとしていた事と関係が有り、其の生き物の意識が、何処かに向かって這い始めたと言う事なのかも知れない。
其の生き物が何であるかを考えると、粘菌・ねんきんの存在が浮かび上がって来る。森の中に生きる粘菌は、未だに動物なのか、植物なのかの決定がされていない生き物である。
其の原因は、粘菌は餌が無く成って来ると、皆が集まってナメクジの様な姿に成り、他の場所に移動して、其処で根の部分,茎の部分,枝の部分,胞子の役割に分裂して、新しい地面に胞子を撒き散らして、再び餌を食べ始めるので、動物なのか、植物なのかの判断が着き難いからである。
今朝は、其の生き物には視覚器官が無い様なので、どの様な仕組みで景色・場を補足しているのだろうかと考えて居ると、女神の声で次の様に告げられて来た。
「生命の島」「貴方は 此の島を 命懸けで護れば良いのです」
「何故なら 貴方は 此の島に 育てられた物だからです」
「簡単でしょう」
「全文・いのちを探せと云うモノ」http://moon.ap.teacup.com/20060103/328.html
其の女神の言葉から、私は神・宇宙の計画で、此の世界自然文化遺産に登録された屋久島で、育てられた事に成る様である。其の様に考えると、確かに「ガイヤ」と言うか「大地の女神・マザーアース」が存在する事になり、私は其の女神の意志に拠り育て上げられている事になる。
そして、其の女神が「命懸けで 屋久島を護れ」と告げて来たので、此の屋久島を護る事が、地球を護る事に繋がり、更に人類を護る事に繋がると言う事なのかも知れない。
聖書のイエスキリストの言葉にも、「貴方達は何処から来たかと訊かれたら、光の元から来たと 答えなさい」「神は何かと訊かれたら、此の大自然全てと 答えなさい」と有る。其のイエスキリストの言葉からも、人間は此の自然から生まれた物である事に成る。
確かに、私は子供の頃から1人で山岳に出掛け、森の中を歩き回ったり、山頂の岩の上で昼寝をしたりしていた。其れに、学校の授業時間以外は殆ど机に座って勉強したりする事がなく、中学校までしか学校に通っていないし、38歳まで此の屋久島の自然の中で生きて来ている。
其れ等の事を考えると、私は屋久島の事を再認識して、生命とは何なのかをしっかりと把握しなければ成らないのであろう。人類は、約700万年前に森から草原に出て立ち上がった、類人猿の子孫である理・ことが判って来ている。
今朝のビジョン・私の意識は、其の森の中に帰っており、類人猿よりも、更に生命・いのちの源に帰っていた様である。
其れは、私に2006年1月2日に「いのちを探せ」と告げて来た女神の意識が希望している世界に、ようやく私が達した事を意味しているのではないだろうか。
・・今朝は、「田舎」と「長生き」の言葉が並んでいる処から、意識が目覚めて来た。そして「其の間を 開けて措け」との意味が伝わって来て、其処に「いのち」が在ると、告げられた。
其れから、中年男性7名ぐらいが、暗い部屋の中に座って俯いて居る映像が映り出されて来た。其の人達は、皆バラバラに其処に来たらしく、繋がりが未だ何も無い人達である。彼等は、皆私の方から見て、部屋の右半分に左向きに座って居る。私が、どうしてだろうかと想うと、今度は左の方に光りが当たっているテーブルが見え、其処に3人に見える人型が座っている様子が見えた。
更に場面が変って、其処に1人の女性が、緑色のラベルの着いたビンを手にして、左の方から遣って来た。其のビンには、6〜7分目くらい迄、まだ透明な液体が入っている。
そして次に、文章の中に「 Aiso 」の文字が書き込まれているのが映されて来た。・・・
「青龍」http://star.ap.teacup.com/170606/710.html
今日は、2006年1月2日から5年目の今年1月2日に、「大麻比古神社・おおあさひこじんじゃ」の参道に有る「民宿観梅苑」に宿泊した時に、地球と共鳴を起こす反応が起きた「由神(香織)さん」が、安房港に昼の船で来島する。
其の事も、今朝のメッセージに関係が有るのではないだろうか。
・・其の事を考えると、1月2日に男女二組が揃った事で、何等かの反応が、宇宙と言うか、地球の霊的情報システムに、起きたと言う理・ことである。
其れは、私の肉体に、地殻が揺れる様な感覚が起きて来たので、地球規模の事であり、大地の動きに関係が有ると言う事である。そして、其れは人間の心臓のリズムよりはゆっくりとしているが、とても大きな動きを伴っていると言う事である。
私が体験した其れ等の事を、マヤの古代人が体験していたのであれば、人間の心臓を神に捧げる儀式が始まったのも、理解できる様な気がする。・・・
http://blog.livedoor.jp/jiteki129/archives/51581675.html
平成23年5月15日
礒邉自適

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2011/5/14
生物の根本意識
23・5・14
昨日のメッセージには、三重のカウンターと、進む時間と、丸太の事が出て来たが、今朝のメッセージは私の意識が生物の根本の所に帰った所為か、はっきりした物は現れないで、意識だけが長い間、自分の生存の為に、安全な食物や存在する為の場・空間などを探り出そうとしていた。
其れは、生物の根本原理を現しているのかも知れない。其処には、人間の特徴である言葉に拠る理論や認識作用は何も無く、生物が生きる為に、水や栄養を探して暗い地中の中で毛細根を伸ばして行く様な感覚である。
何故、今朝其の様な世界に意識が在ったかを考えると、人類のカルマ・業と言うか、此れまで積み上げて来た人類の記憶が、消去されて、本来の処に帰った事を意味しているのかも知れない。
そうであれば、聖書に書かれている蛇に勧められて食べた、知識・知恵の実(リンゴ)が吐き出されて、人類の元であるアダムとイブがエデンの園に帰った事に成る。
其の様な世界が有るからこそ、日本では「鎮魂・ちんこん」の禊ぎ祓いの儀式が行われ続けて来たのではないだろうか。其の意味では、私は自分の個人的な禊ぎだけではなく、霊界の鎮魂浄化を果たらした事に成るのかも知れない。
昨日は愉伽さんから電話が有り、私と同じ様な映像を見せられたとの事であった。そして、今日は、11時12分に香代さんから電話が有り、今朝のビジョンには「369」の数字が示されて来たとの事である。
369の数字は、ミロクと読まれており「弥勒菩薩・マイトレーヤ」が登場すると伝えられている「みろくの世」の事を意味する。
今朝のメッセージの様子からすると、新しい人類の生活様式を組み上げて行かなければ成らないとの事が感じられる。明日から、由神さんや卓ちゃん達が屋久島入りするので、何等かの変化が起きるのではないだろうか。
平成23年5月14日
礒邉自適

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