2008/3/23
万物の霊長としての人間
20・3・23
今朝の映像も、大量の情報が頭脳内を通過して行き、其の流れの中から、内容を掬い上げて、意味を調べる事は出来なかった。しかし、文章の中の文字は拾えなかったが、其の情報の中から、画像を何枚かスキャンする事は出来た。其の画像で1番ハッキリと捉えたのは、一輪の蓮の花の蕾が、今開こうとしている寸前の様子である。しかし其の蓮の花は、植物性ではなく、エナメル質の花びらに、チタン金属の様な縁取りがある花の構造で、ブローチみたいな造花の様に見えた。
其れは、1昨日の金剛の心棒に続くモノで、いよいよ密教で謂う処の、金剛界の花が、開く時節が到来した事を、伝えて来ているのではないだろうか。そうであれば、1昨日の「金剛界の心棒」の「心棒」とは、正に「心の芯棒」であった事になり、其の芯棒がシッカリと治まるべき所に納まった事で、事象の新しい「花・情報」が開くとの事ではないだろうか。そうであれば、観音菩薩の台座が開く事でもあり、「有情の人・慈尊」の意味の「マイトレィヤー・弥勒菩薩」が、未来の情報を齎す時節が回って来たのだとも謂える。
「心棒」に付いては、18年5月29日のメッセージにも出て来ている。どうやら、1昨日のメッセージは、其のメッセージの続きに成っている様だ。
母系社会への復帰http://moon.ap.teacup.com/applet/20060403/24/trackback
其の情報として、今朝の「みいつ・御出」されて行った内容は、大まかに言えば、男性は文字や言葉などの情報を創造伝達するのが役割であり、女性は物創りをして、其の作業を子供達に伝授して行く事が、本来の働きであるとの意味の様であった。
だから、男性は理論的であり理屈が多いが、女性は根気強く物ごとを伝えて行けるのである。
「茶道」や「活け花」、其れに「書道」や「弓道」など、皆、男性が創り出した世界であるが、其れが現在まで続けられているのは、女性が弟子と成って、根気良く支えているからである。其れは、男性は新しい物が好きであり、同じ事を継続して行く事が苦手である事を示している。しかし其れは、新しい世界を創造して行くのには、古い世界を捨てて行かなければ成らないので、本能的には自然な流れであるのだから、其れで良いのではないだろうか。
今朝の「みいつ・御出」は、簡単に言えば「男性は 言葉を司り」「女性は 生活(生命活動)の伝達を司っている」との理ではないだろうか。今朝、神の世界から、人間社会に流れ出して行った情報は、其の様なものであったのかもしれない。
其れと、今朝気に成ったのは、19日に書いた「森の中の映像が現われ、岩の所に染み出している水溜りに、ヒヨドリの様な鳥が1羽飛んで来て、水を飲み、咽を潤している姿が映し出されて来た。」の鳥の事である。もしかしたら、其の鳥こそ、神霊の姿であり、沖縄の「うたき・御嶽」の神であり、南米の音楽の精霊の姿だったのではないだろうか。
ウタキとは、村の上に斎祈される神所であり、其の神所の下方に巫女の住む家が有り、他の人達は其れよりも下方に家を建てるらしい。南米でも同じ様に、森の中の水が湧く所に楽器を持って訪れ、音楽を司る精霊が降臨するのを待つらしい。だから19日にビジョンに現われた鳥(時告鳥はヒヨドリより少し大きめ)は、其の精霊の姿ではなかったのだろうか。
其れは、北海道の「オジロワシ・尾白鷲」や、北米の「ハクトウワシ・白頭鷲」等の目立ち易い大型の鳥ではなく、余り人目に付かない静かな行動をする小型の鳥である。其れは、真実の神は、深い森の中の「水源・みなもと」に、静かに訪れるモノである理を示している。
本来、神社や、お寺が建てられるのも、森の中であり、木が茂り、岩が有って清水が流れている場所である。其れは、そう言う場所でこそ、精霊との交信が出来るとの事か、そう言う場所に行けば、人間自身が本来の霊性に目覚める事を、意味しているのではないだろうか。
屋久島では、ほんの半世紀程前までは、山中に在る神社の社・やしろに、若者が御籠りをする風習が伝えられていたし、アイヌ民族の風習でも「カムイコタン(神の住む場所)」との言葉が有り、神の住む聖地は、木の枝を折ってもいけないし、苔を毟ってもいけないとされているらしい。其れ等の事を考えれば、現代の人間社会が、如何に精霊の世界から離れているかが理解されてくる。だからこそ、昔は、神社や寺院が、人里から離れた山中に建てられたのである。
其れ等の事柄を考えると、現代社会の宗教世界の根源には、全て、自然崇拝のシャーマニズムの風習が、源に流れている事が理解出来る。だからこそ、人間は、「万物の霊長」であるとの概念も生まれたのであろう。
ウィキペディア辞典「シャーマニズムの定義」
森の中の、水源に辿り着いた「ホトトギス・時告鳥」が、時告鳥自体の意識なのか、私の意識体なのかの区別は難しい。其れを含めて、万物の霊長としての人間の存在を、根幹から見詰め直さなければ成らない様である。
時告鳥は、昼夜の区別なく鳴きながら飛び続けるので、よく咽が渇かないものだと想って居たが、森の奥の湧き水で咽を潤して居たのである。人間はこうして、言葉をPCに入力出来る世界を創造出来たので、時告鳥の様に鳴き続けなくてもよい事に成ったが、森が無く成った都会に暮らして居れば、時告鳥のメッセージも理解出来ないかもしれない。
平成20年3月23日
礒 邉 自 適

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